【ゲームの歴史】ファミコン以前の任天堂の製品をまとめてみた。
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【ゲームの歴史】ファミコン以前の任天堂の製品をまとめてみた。

2013-03-30 18:53
  • 7

大百科記事などを書くときのための個人的なメモを兼ねて。考証はわりと適当です。
また、アーケードゲームなどについては詳しく記していません(別記事で書くかも)

(2013年3月30日22:40、テレビゲーム6、レーシング112、ブロック崩しを追記)

◆創業当時(明治22年~)

組長元社長の曽祖父、山内房次郎が1889年(明治22年)に花札製造の個人商店として開業。
花札は江戸時代から庶民に遊ばれていたが、ギャンブルに使われることが多くたびたび規制がかかっていた。当時は製造が解禁され京都を中心に多くの花札屋が創業した時期だった。

明治中頃には競技かるたが全国で開催。正月の定番として定着した。

当時の花札は職人による手作りで、山内商店の花札は品質がよく評判だった。タバコ屋の流通ルートを使うことで全国への販売ラインを確保。明治の終わりにはトランプ、百人一首の販売も開始した。花札製造技術を応用し、しっかりした品質だった。

ちなみにこの頃は骨牌税(のちのトランプ類税。平成元年に消費税が導入されて廃止)が導入され、多くの花札屋が廃業した。

昭和初期には日本一のカードメーカとして業界に名を馳せる。

◆エンターテイメント会社「任天堂」の始まり

1933年、社名を山内任天堂とする。

以降しばらく太平洋戦争の激化によりカルタ取りなどが禁止されていたが、終戦により製造が可能に。ちなみに戦時中は「愛国かるた」なるものを作ってたりした。

戦後間もない1947年には事業拡大のために販売子会社「丸福」を設立(丸福は山内家の屋号)。これが1949年には「丸福かるた販売」になり、翌年には山内任天堂から花札製造業を引きついで「任天堂かるた」となる。1951年には「任天堂骨牌」(骨牌とはかるたのこと)へ社名変更。1953年、日本初のプラスチックトランプを発売し、1959年にはディズニーの版権をGETしてディズニートランプ(当時の絵柄には東京オリンピックとミッキーのイラストなんかもある)で大成功し、1962年に大阪証券取引市場第二部上場。1963年に「任天堂」となる。



この頃(1963年)任天堂は室内玩具の販売を開始。花札、かるた屋からの脱却を模索する。

◆1960年代

東京オリンピック辺りで好調だったトランプ事業の伸びが止まり、株価が急落。ボードゲームなどへ舵を切り始める。当初は輸入物が多かったが、60年代後半からはディズニーキャラを使用したボードゲームなどを販売(ディズニーランドゲームなんてのも)。任天堂のボードゲームは数が多いので挙げていくとキリがないが、69年には「運命ゲーム」がヒットした。経営方針を模索する中でタクシー事業やラブホテル経営(ソース不明)、インスタント食品開発なども行なっていたようだ。

バランスゲーム(1960年台)600円

ヤジロベーを落とさないようにバランスを取りながら、3本の手にある重りのチップをスプーンですくっていくゲーム。サルも木から落ちる、アンバランス、ジェンガなどに近い?

パンチレース(1960年代)500円

ピンボールのような台に5つのミニカーが並んでおり、そこに玉を打ち込んで上からぶつけて下にゴールさせるおもちゃ。2台がセットになっており、二人で対戦できる。

ルーレット(1960年代)400円

ルーレットのおもちゃ。後述のミニゲームシリーズなども含めると多くの種類が発売された。

マーブルゲーム(1960年代)300円

海外のおもちゃの権利を取得して売っていたもの。フライパンのような形の本体を傾けて玉をゴールの穴に入れる迷路ゲーム。

ソノゲーム(1960年代)380円

ゲーム用のソノシート(簡易的なレコード盤)が2枚付属し、音楽を聞きながら楽しめるボードゲーム。AセットからEセットまで5種類存在していたようだ。

ディズニーフリッカー(1962年)

「フリッカー」って何やねんとお思いだろうが、ふりかけである。60年代に任天堂は三近食品(サンオー食品)という子会社を作り、ポパイラーメン、カップライスといったインスタント食品を開発していたが、ノウハウ不足でコケた。カップライスはお粥のようだったらしい。

ラビットコースター(1964年)600円

伝統玩具「樽ころがし」を商品化。任天堂では最も古い、ネジを使用した組立型玩具。出来は悪かったがヒットを飛ばし、数種類のバリエーションが登場した。

マイカーレース(1965年)2500円

ゴムベルトが自動で回転してミニカーを上に運び、コースを滑ってくるおもちゃ。組立が複雑で動作が不安定気味だった。筆者の家にもペンギンが滑ってくるこういうのがありました。

ホームボーリング(1966年)

海外からライセンスを得て販売していたもの。当時はボウリングブームだったため同様のものが多く他社からも発売されていた。っていうか筆者の家にも似たようなのが何台かあります。

ウルトラハンド(1966年)600円

工場の設備点検で暇を持て余していた横井軍平が、工場の旋盤などで作って遊んでいたマジックハンドを組長社長が見つけ、商品化させたもの。ハンドのところにギアが付いており、持ったものを手元に引き寄せてもハンドが開かないようになっている。

「メイドインワリオ」「さわるメイドインワリオ」にプチゲームとして登場したほか、クラブニンテンドーのプレゼントとしてWiiウェア版があり、50ポイントで交換できる。

ドライブゲーム(1966年)3800円

ハンドルで自動車を操作しコースのポイントを通過していく。コースは電動で動くロール状になっており、その上を操作用の針金で繋がれたミニカーが走る。機構が複雑なため故障しやすく、考案者の横井軍平にとって課題が残るひと品となった。

ツイスターゲーム(1968年)800円

アメリカでヒットした、ラッキースケベを狙えるアダルトなゲーム。悪いイメージを抱かせたくなかったのか、「美容と健康」をテーマにした専門家の先生の解説付きバージョンもある。

ウルトラマシン(1968年)1480円

ファミコン発売以前のロングセラー商品。ウルトラハンドのヒットで気を良くした組長社長が軍平を開発課に移動させて作らせた品。室内で遊んでも危なくないよう柔らかいプラスチックを使用しており、玉はピンポン球よりも柔らかい。近年テンヨーから復刻版も出た。

発売年に80万台、翌年には100万台を売り上げた。当初はパッケージ化するために組み立て式を採用していたが、構造などに不安定さが残った。改良を加え、初めから組立済みの形でパッケージし、上司からの助言でくぼみの入ったカーブボールもついた「DX」も登場。より本格的になった。スプリング状の金具を調節すると投球角度が変えられる。

「メイドインワリオ」「おどるメイドインワリオ」にもプチゲームとして登場した。

また近年になって復刻版も発売された。

N&Bブロックシリーズ(1968年~)

レゴブロックやダイヤブロックに比べ低価格のブロック玩具。1962年に輸入が開始されたレゴブロックや国産のダイヤブロックに対抗して1968年に投入した。マニュアル曰く「任天堂は世界で初めて円型、半円形、円錐型など様々な形のブロックを作った」そうな。

70年台に入るとレールの上を電動で走らせることが出来る「トレーン」や、コンセントに差し込むと実際に動く「電気時計」など。モーターや電池を使った電動のものや、ゲーム性を取り入れたものも登場。光線銃SPとの連動も構想されていたようだがお蔵入りになった。ブロックの車で踏むとスプリングで跳ね飛ばされる「クレーター」には横井軍平も関わっている。これはブロックを崩す遊びという発想の転換だった。この機構はのちに「光線銃SP」の、撃たれるとビンが飛ぶターゲットに流用された。70年代初頭にはさっさと撤退してしまった。

併せて読みたいブロマガ記事>こんな時代もありました、任天堂によるレゴブロックのコピー品「N&Bブロック」

ピープルハウス(1968年)800円

シンデレラや赤ずきんなどの童話をモチーフにした女児向けドールハウス玩具。N&Bブロックが、一部の小物と互換性があったりもする。

ヒップフリップ(1969年)980円

フラフープから着想した玩具。バーの中心にベルのついた部品がぶら下がっており、二人の腰や腹でこれを挟んでグルグル回して遊ぶ。回すとベルが鳴る。

チャレンジダイス(1969年)400円

6面体にサイコロの目のような穴が開いていて、ここに長さの違うピンを挿していく。よく考えて指していかないと中でピンがぶつかって手詰まりになってしまう。

運命ゲーム(1969年)1400円

ボードに書かれたお題をクリアしながらルーレットの目に従って進むゲーム。人生ゲームの亜流?任天堂のボードゲームでは最も売れ、DX版(1700円)も発売された。

ラブテスター(1969年)

検流計を応用した「愛情測定器」。白黒を基調にした本体から黒と赤のコードが延びており、コードの端には大きなボタンのような金属(テスター)が付いている。これを男女それぞれで握り、空いている方の手を握り合うと、本体が人体に流れる微弱な電流を感知して針が振れる。これを「愛情度」として「ラブ」という単位で測るという寸法。開発者は横井軍平。

当時(昭和44年)は「手をつなぐ」だけでも結構きわどい行為とされていた時代であり、「公然と手をつなぐことが出来る」道具であるラブテスターはなかなか挑戦的な商品だった。またラブテスターは任天堂では初めての電子部品を使用したエレクトロニクス玩具でもあり、高度成長期の変革の中で発売された、商業的な意味でも挑戦的な商品でもある。

「まわるメイドインワリオ」におまけとして登場したほか、ピクミン2にも登場した。

近年になって復刻版も発売された。

◆1970年代

「光線銃」シリーズの成功を機にエレクトロニクス玩具分野に進出していく一方で、実用品分野への進出を目指して様々な製品を世に送り出していく。

ピクチャーカッター/ニューピクチャーカッター(1970年代?)800円/1000円

アメリカの会社からライセンスを得て販売していたもの。発泡スチロールに書かれた絵を電熱ニクロム線で切り取って作る工作キット。元から書かれた絵の他に付属のサインペンで絵を書いて切り出すことができる。

キャンデーマシン(1970年)2980円

家庭で作れるわたあめマシン。当時はかなり売れたようだ。

ママベリカ(1970年台)8900円

実用品路線への進出を計画して作った、アルミフレームのベビーカー。Nintendoの刺繍が入っている

ペーパーモデルシリーズ(1970年台)100円~

50種類以上発売された安価なペーパークラフト。おもちゃ屋などで大きめの袋に入って売られていた。筆者も似たような飛行機のペーパークラフトを作ったことがあります。

ショットレーサー(1970年代)3500円

マシンガンのような発射台に付属のミニカーをセットし、引き金を引くとスロープを滑っていって床を走るおもちゃ。円盤型の的とそれを左右に揺らすためのバンクが付いていた。

エレコンガ(1970年)9800円

コンガの叩く面にボタンが付いており、5種類の打楽器の音が出る電子楽器。考案者の横井軍平はピアノが得意だったから何とかなったが、ピアノが弾けない人は上手く演奏できないと作ってから気付いたらしく、パンチカードで演奏できるオートプレイヤーも発売された。

チャレンジボール(1970年)1200円

リング、シートと2色のボールがセットの玩具。2人で目隠しをしてボールをリングに投げ入れ合ったり、ボールを入れ替えたりして遊ぶ。シートに描かれた足型に合わせて体を動かし、ボールを取り合うなどの遊びもある。

光線銃SP(1970年)ガン:980円 ライフル:2500円 ターゲット:3800円

いわゆる「ガンコン」の原型。銃口に豆電球が入っており、引き金を引くと豆電球が光る。ターゲットの太陽電池がその光を受けると、ビニールのボトルが割れたり、ライオンが吠えたり、さまざまなアクションを起こす。考案者は横井軍平。

当時としては高価な玩具だったがCM放映、体験コーナーの設置などにより同年の売り上げナンバーワンとなる。長年続けてきた花札屋から、エレクトロニクス玩具への脱却という路線を決定づけた。しかし経験の浅い分野だったため、故障のクレームや返品に悩まされ、あまり儲からなかったという。光線銃のシステムは世界的に知られるようになり、1972年発売の世界初の家庭用ゲーム機オデッセイには任天堂製の光線銃が周辺機器として採用された。
つまり「光線銃をTVに向けて打つ」というアイディアはアメリカが考えたものである。

1973年、任天堂はブームの終わったボウリング場を使い、大型レジャーとして光線銃のシステムを応用したクレー射撃(レーザークレー)を展開したがオイルショックにより失敗。会社が傾きかけたが翌年16ミリフィルムの映写機と光線銃を組み合わせたアーケードゲームを開発して成功した。ガンマンと対決するようなものが主だったが女性のボタンを撃ちぬくと服がはらりと落ちるなんてきわどいものも。

GB「ポケットカメラ」のおまけ写真にはターゲットライオンの写真がある。

ユニラック(1970年代)

突起とくぼみが付いており、縦横に組み合わせて使えるカラーボックス。当時任天堂はマジック用品も作っていたため、ハンカチが出てくるマジックが無駄に付いてたりした。

スペースボール(1971年)800円

電源を入れると回転する受け皿の上で土星型のコマを回転させ、投げたり受け止めたりして遊ぶコマ回し風けん玉。当時は宇宙や未来への憧れが大きくなっていた時代だった。

コピラス(1971年)9800円

実用品事業への進出として開発した湿式コピー機。破格の安さだったが、写りの悪さからクレームが出た。1973年には上位モデルのコピラスST(当初はニューコピラスという名称だった)を25000円で発売。写りを改善し、安価であったことからまずまずの成功を収めた。姉妹機の写真の用のフォトコピラス(19800円)、コピラスドライ、B3ワイド版なんてのもある。

電気時計(1971年)1000円

仮面ライダーや白雪姫、シルバー仮面などの絵が文字盤に入った時計。

ウルトラスコープ(1971年)2980円

乾電池2本を用いた電動の潜望鏡。ボタンを操作すると鏡のついた棒が1m近くまで上に伸び、遠くを高い視点から見ることができる。考案者は横井軍平。

光線電話LT(1971年)9800円

太陽電池やトランジスタを使った、当時としては最先端の玩具。一方通行のトランシーバーと違い、普通に双方向で会話が楽しめる。相手の受光部を照準で狙って声を出すと光が飛んで相手に聞こえる。マイクは口元にあり、相手の声は付属の方耳ヘッドホンで聞く。逆光などを遮断するアタッチメントフードや近距離用のフィルターキャップも付属し、三脚用のネジ山もある。車でのツーリングで「窓越しに会話したい」というところから横井軍平が発想した。一台で単一1本、単三2本を使うためあまり普及しなかった。高かったし。条件が良ければ最高400m離れても聞こえるそうな。

蜂の巣ゲーム(1971年)1200円

ハニカム状の37個のブロックを木槌で崩さないように落としていくゲーム。

ミニゲームシリーズ(1971年)300円~800円

穴がパッケージに開けられており、フックなどに引っ掛けて販売されていたアナログゲーム。
縁日の景品などで遣われていた。いわゆる100円ショップにあるような感じのゲームである。ラブテスターもこの形式で販売されていたことがある。

タイムショック(1972年)1800円

他社のヒット玩具「パーフェクション」の(開発担当の横井軍平曰く)パチモノ。穴の形に応じたブロックを時間内にはめ込んでいき、タイムアップになるとブロックは飛び出してしまう。中央のダイヤルを回すと穴の形の組み合わせが変わり、違う条件で遊べるのがウリ。

荒野のガンマンゲーム(1972年)1400円

サボテンや岩陰に隠れながら小さな玉を撃ちあう玩具で、英語表記は「ワイルドガンマン」。そう、ファミコンの同名ゲームは原型がこれである。玉は一度に7発しかチャージできない。

マッハライダー(1972年)2500円

同名のファミコンゲームとは関係なく、海外の会社からライセンスを得て販売していたもの。車輪を回す、ギアレバーの付いたジャンプ台とレーシングカーがセットになったおもちゃ。ギアレバーを高ギアにしていくと回転数が上がり、飛び出させた時のスピードが増す。

任天堂マーキングペン「ノンドライ」(1972年)50円

従来のマーキングペンにみられた、インクが蒸発する、裏写りする、といった欠点を改良した製品。太さごとに4種類が発売されたようだ。

レフティRX(1972年)5900円~10800円

曲がる機構を左だけにし、高嶺の花だったラジコンを破格の値段で売りだした商品。ヒットしたが儲けとしてはそこそこだったらしい。

パワーリフト(1973年)2500円

産業トイシリーズというらしい。フォークリフトの玩具で、ゲームとして遊べるように標識の書かれたボードも付いていた。ケーブル付きリモコンだったため安価。

ミスターマジシャン(1975年)2000円

マジック用品。大きなコインが瓶に入ったり、ステッキがハンカチになったりする。

光線銃カスタム(1976年)2500円

光線銃SPの続編で、ストロボの機構を搭載して射程距離が4~5メートルから100mにまで伸びた。ガンマン(7500円、銃とのセット版は9800円)ライオン(9800円)など、打たれるとクンニャリ倒れ、また起き上がるターゲットになった。命中すると6色のランプが光る専用ターゲットも作られた。「レバーアクション ライフル」なんて射程距離100m以上の大型ライフルも出したが、16800円もしたので売れなかった。というか、カスタムは高値なので全体的に売れなかった。ちゃんとトリガーレバーを引くと発射可能になり、照星と照門に調整ネジが付いてるなど無駄に本気。カスタムでSPのターゲットを狙うと50~80mくらいしか反応しないので、ターゲット側の感度も上がっていることが分かる。

「メイドインワリオ」にもプチゲームとして登場した。

光線銃ダックハント(1976年)9500円

壁に投影したカモを狙って光線銃を打つと、「ガァガァ」と鳴きながら落ちるリアクションが見られる。付属の光線銃はショットガン。これがFCソフト「ダックハント」の元ネタである。ここから光線銃はファミコンの周辺機器として進化していくことになる。

本体にある鏡にカモの絵をモーターで回転させて投射し、アニメーションを映す。ここに光線銃の光が当たると投影機に光が届き、センサーが働いてカモが落ちる仕組みになっている。マニュアルには「草木や空などをスクリーンに書くと臨場感が得られる」など、アイデアにあふれた記載が見られる。Wii版の「おどるメイドインワリオ」にもプチゲームとして登場した。

テレビゲーム6 / テレビゲーム15(1977年)9800円/15000円

任天堂初の家庭用テレビゲーム機。名前のとおり6種類の内蔵ゲームがカラーの画面で遊べる。ゲーム内容自体は「バレーボール」「ホッケー」「テニス」の3種類だが、それぞれにシングルとダブルスがあるので6種類となる。遊べるゲームが多い「テレビゲーム15」も同時発売されており。テレビゲーム15では上述のもの以外に射撃ゲーム、ピンポンと、前述のゲームのA/Bモードが選べる。

この2つのゲーム機、実は内部基盤は全く同じであり、テレビゲーム6は本体の構造上、全てのゲームが選択できないようになっているだけである。これは「9800円という値段で興味を引きつけ、お得な値段で多くのゲームが遊べる方を買わせる」という思惑と、「9800円という価格で競合相手を牽制する」という狙いがあった。実際テレビゲーム6の9800円という価格設定は売れば売るほど赤字になるという思い切ったバクチだったが、6、15を合わせた売上げは商業的に見事成功した。その半分以上の売り上げはテレビゲーム15によるものである。

レーシング112(1978年)5000円

テレビゲーム15のヒットを受けて発売された、112種類(の車の動き)のレースゲームが遊べるゲーム機。パドルコントローラで2人プレイは可能。「メイドインワリオ」にも登場した。

チリトリー(1979年)5800円

文房具屋を中心に販売されていたラジコン掃除機。普段は本体がグルグル回転しており、リモコンのボタンを押すと直進する。吸引力はケシカスを吸うのがやっとというくらいだが、筆者の実家にある安物の掃除ロボは壁にぶつかるとそこから動かなくなるのでこっちのほうが数倍優秀である。

「メイドインワリオ」にもプチゲームなどとして登場したので知ってる方も多いのでは?

ブロック崩し(1979年)13500円

当時ブームだった「ブレイクアウト」に乗じて作られた家庭用ゲーム機。任天堂が初めて回路設計を行ったゲームであり、ある意味任天堂初の自社開発によるゲームハードとも言える。「テレビゲーム15」などの「カラーテレビゲーム」シリーズとACアダプタが共通のため、3DSLLのように当初はACアダプタを同梱せずに販売された。同梱版の価格は15000円。本体のデザインは当時デザイナーとして所属していた宮本茂が担当している。

「おどるメイドインワリオ」にもプチゲームとして登場した。

◆1980年代

ゲーム&ウオッチの成功を礎に、アーケードゲームと並行してファミコンゲームの開発へと移行していく。スーパーマリオブラザーズ発売頃にはファミコン一本に方針を絞ることになる。

テンビリオン(1980年)1000円

ツクダオリジナルのルービックキューブ(80年)ブームを受けて発売。ヨーロッパを中心に高い評価を受けた。円筒形のケースに5色×4の玉と黒色の玉(手玉)が3個入っており、中央の2段は2個ずつの玉が入る。上下3箇所あるくぼみに黒球を入れ、中央2段に4個ずつ同色の丸が並ぶようにすればいい。上下には「プランジャー」という蓋があり、これを上下させると上下にあるくぼみに3個ずつ玉が入ってそこだけ玉がずれる。開発者は横井軍平。

ドイツではTeufelstonne(悪魔の石)という商品名で発売され、人気を博した。解法の研究が盛んに行われ多くの本が出版されたが、開発した本人は解き方を特に考えていなかった(曰く「最初に揃えて入れてあるからそのうち揃うやろ」)。テンビリオンの名は「100億通り以上の組み合わせ」を表す言葉(当時ルービックキューブがこういう数字をウリにしていた)だが、計算した人によると玉の組み合わせは4兆5千億通り以上とか。

2007年にはクラブニンテンドーの景品に「スターテンビリオン」が登場した。

ゲーム&ウォッチ(1980年)5800円~


1400万台(世界では5000万台)を売り、当時80億近く借金があった任天堂の業績を好転させファミコン開発の礎となる(貯金は40億になったそうな)。初めての海外進出を果たし、国内では類似品で廃れたが、海外では10年近くに渡り売れ続けた。電卓で遊ぶサラリーマンを新幹線で見た横井軍平が、風邪で休んだ専属運転士の代わりに組長社長を車で送迎する際に「俺は運転士じゃなくて開発部長なんだから仕事の話をしないと」と相談。その日たまたまシャープのエライさんと会う約束だった組長社長が話を取り付けた。「手に隠して遊べるように」とサイズは手のひらサイズになった。これはデジタル電卓の「小さく薄く安く」という価格競争の後、供給過多で価格が下落した液晶(これがいわゆる枯れた技術)を流用したものだった。

コンピューターTVゲーム(1980年)48000円

デカい、高い、モノクロ画面と三重苦を抱えた、ファミコンに比べればかなり鈍重な家庭用ゲーム機。本体も巨大だがアダプターも巨大で本体より重い(約2kg)。それもそのはずで、78年発売のアーケードゲーム「コンピュータオセロゲーム」の基盤をそのまま流用したものだった。家庭用機というより旅館などで用いられるためのようなゲーム機。

コンピュータ麻雀 役満(1982年)16800円

一人でも麻雀ができる携帯液晶ゲーム機。開発者は横井軍平。横幅は28cmとかなりデカいが、通信ケーブルでの二人対戦という初の試みがなされた。内部的にはCPU側は常にテンパっており、人間側が上がれないと勝手に上がってしまう。バグで白が5枚あるらしい。

クロスオーバー(1983年)1000円


偏光スクリーンを応用したパズル玩具。たぶんスクリーンを動かしてすべての色が見える形かすべての色が隠れる形を目指すものだと思われる。


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