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小飼弾の論弾 #30「ゲスト対談:行動遺伝学者 安藤寿康教授(その4):あらゆる文化が、格差を拡大する!?」
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小飼弾の論弾 #30「ゲスト対談:行動遺伝学者 安藤寿康教授(その4):あらゆる文化が、格差を拡大する!?」

2017-02-27 07:00

    「小飼弾の論弾」で進行を務める、編集者の山路達也です。12月19日(月)に行われた、行動遺伝学者 安藤寿康教授との対談を4回に分けてお届けします。動画も合わせてぜひご覧ください。

    次回のニコ生配信は、3月6日(月)20:00の「小飼弾のニコ論壇時評」。旬のニュースをズバズバ斬っていきます。21:00頃からは、通常の「小飼弾の論弾」になります。

    次回もお楽しみに!

    ■2016/12/19配信のハイライト(その4)

    • 産業革命以降、知能が要求されるようになった
    • あらゆる文化は、格差を拡大する
    • 人類が目指すべき世界は?

    産業革命以降、知能が要求されるようになった

    安藤:それについては、「WEIRD」が関係するのかもしれません。"westernized"(西洋化された)、"educated"(教育が行き届いて)、"industrialized"(工業化された)、 "rich"(豊かで)、"democratic"(民主的な)、社会では頭がいいが大事だと思われる。
     それと正反対なのが狩猟採集の世界です。ほんのちょっとですが、僕はアフリカのピグミーの村に行って、自分の価値観が完全に覆されました。
     彼らに知能検査をさせると、とんでもなく変な答えを回答するんですよ。どう見たって正解はこれしかないだろうという質問に答えられなくて。頭クラクラするくらい面白い経験だったんだけど、この時、「この人は僕たちが考える知能を使わなくても生きている」のだと思いました。
     彼らは、着ている服だって汚いし、子供の3分の1近くは大人になる前に死んじゃったりする。今の僕達があの生活をやれと言われてもできないんだけど、でも考えてみたら人類史のおそらく99%はそういう生活だった。ノスタルジックに昔は良かったという話をするわけではないんだけれども、今のようにIQとして計られる知能、たくさんの情報を処理して論理的にきちっとした法則性を見つけ出してそれをあてはめていく能力が重視されるようになったのは、産業革命以降の西洋社会だった。
     戦国時代だって、もちろん頭のいい悪いというのはあったと思いますよ。でも、それ以外のなんらかの知能、例えば戦術的知能というのか、今の科学的知能とはちょっと違った知能が使われていた可能性はある。あの頃の農民たちの知恵も今とは全然違ったかもしれない。

    小飼:そもそも生物学的な知能とは、どうやって敵を騙すかということですね。

    安藤:動物の擬態とかそうですよね。生物みんなやっている。

    小飼:だから知能が高ければ高いほうがいいっていうのは、ずるければいいっていうことになりますよね。

    安藤:そういう研究が出始めてきています。いま生物学で注目されているのが「利他性」なんですよ。要するに自分自身を犠牲にして相手を助けようとするっていう、愛ですね。それは、生物あまねくといいいほど存在する。これは、基本的には遺伝子が持っている利己性の現れ方の違いです。

    小飼:ハチなんかはそうですよね。自分で卵を産んで子供を育てるより、姉妹を助けた方がより多く自分の遺伝的性質を残せるという説明がなされています。シロアリの方はがなかなか難しいらしいですが。

    安藤:社会的な動物に関しては、利他性が重要な形質として認められるようになってきました。これは決して純粋な愛ではなくて、そうじゃないと利己的に自分の遺伝子を残せないからそういう戦略が獲得されていったと考えられます。
     人間に対して利他性のテスト、例えば「あなたの持っているお金をいくら相手に渡しますか」といった経済的な実験をやると、人間は脳の中のかなり速い回路を使って利他的な行動を起こします。

    小飼:あんまり考えないでやっている。

    安藤:まさにそう。あんまり考えない回路で、それができちゃうんですね。ところが、どうしたら得になるかっていうのを考える人はちょっと遅い回路を使う。そういう人のほうがIQは高いんですよ。

    小飼:「待てる人」ね。

    安藤:そう、待って、ずる賢く振る舞おうというのが、いわゆる頭のいい人がとる戦略です。でも、人間のベースには利他性ってのがあるらしい。

    小飼:利他性のほうがファンダメンタルなんだ。利他的なほうが動物的であると。宗教の言っていることと逆ですね。

    安藤:人間において言えることなのかもしれない。人間の一個体はとてつもなく弱い動物じゃないですか? 一人ではほとんど生きてけなくて、親や仲間が助けてくれないと生きていけない。そして、人のために仕事をしないとお金が儲からない。だから、まず利他性というのがベースになるのではないか。
     教育というのはまさに、知識を自分だけのものにしないで、人と与え合うっていうシステムです。学校教育以前に、人間というのは放っておくと教えたくなっちゃうわけですよ。そもそも「こんな番組をネットで配信しよう」なんていうのも、まさにそうじゃないですか(笑)。これで儲かるからってこともあるかもしれないけど、やっぱり知ってほしいからじゃないですか?

    山路:まだ全然儲かってないですけどね(笑)。

    安藤:頑張りましょう(笑)。どんなに悪びれたことをしている人間でも、みんなが喜んでくれるとうれしいとか、そういうメンタリティというのはどっかにある。だけど「あわよくば儲けよう」とか「工夫して相手をだまくらかしてもうちょっとお金を貰おう」というのは、頭を使って初めてできることなんですね。そういうところに遺伝的な個人差もどうもありそうだという。
     
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