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【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説⑤『Dear My Friends』第6話
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【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説⑤『Dear My Friends』第6話

2018-07-17 09:01
    「あれあれぇ!?」
     店内に、間の抜けた若い女性の声が響き渡った。
     ――“店”というのは、関西国際空港に存在する飲食店、『スカイレストランテ』の事だ。そして、“女性”というのは、そこでバイトをしている女子大生、すなわち私の事である。
    「どうしたどうした? 何かあったんか?」
     出勤早々に奇声を発した私に驚いて、店長まで近くにやって来る始末だった。「あれあれあれぇ?」
     性別も違い、年齢も一回り近く違うとは言え、その現象に対するリアクションは同じであった。
     というのも、だ。驚くべき事に、溝端愛理がキッチンの端にある従業員用休憩所で、澄ました顔をしながら座っていたからである。
     ……なんて風に説明をすると、まるで部外者である彼女が、勝手に『スカイレストランテ』へ入って来て鎮座しているかのような印象を与えてしまうかもしれないが、そういう事ではなかった。彼女も、れっきとしたこの店のバイトである。紹介した私が言うのだから間違いない。
     じゃあ、出勤すべき日ではないのに、エリが勘違いして来てしまったのかといえば、それも違うのだ。むしろ、時間まで合っている。
     では、どうして私や店長が叫んでしまうくらい驚いたかといえば、それはずばり、エリが夕方の四時半に、つまり、出勤時間の三十分前にちゃんと店に居たという事実からであった。
    「え、なになに? 何かあったん?」
     当の本人は、キョトンとした表情で我々を見つめていた。
    「何って……まだ三十分前やで」
     私があっけに取られながら、なんとか言葉を紡ぎだすと、
    「うん、そうやけど……まずい?」
    「いや、まずくはないけどさ……」
     恐らく今日も遅刻に対する叱責の準備をしていたであろう店長も、どのように対応すればいいのか判断しかねている様子だった。
     早い話が、そんな珍妙な状況を作り出してしまうくらい、エリはこの『スカイレストランテ』内で、日頃から恐るべき遅刻魔ぶりを発揮していたのであった。
     私の誘いにより彼女がここで働くようになって早六ヶ月。その魅力たっぷりの笑顔と持ち前の明るさで、関空内の従業員を中心に常連客を倍増させ、売り上げに多大なる貢献を与えたという業績がもしなかったとすれば、とっくに解雇されていそうな勢いで、彼女は遅刻の記録を更新し続けていたのだった。さらに、遅刻の理由も『ぼ~っとしていたら、時間を忘れてしまった』だの、『起きるタイミングを間違えた』といった、全く同情に値しない類のものなので、それでも周囲から嫌われないのは人徳としか言いようがない。ある意味、不器用な私からすれば羨ましい点でもある。
     もっと言うならば、この時間感覚欠落女は、たとえなんとか勤務時間に間に合ったとしても、それが五分前だったり三分前だったりと、常にスリル満点な時刻だったりするのだから、そりゃあ三十分前に来られた日には、店長だろうと総理大臣だろうと驚きのあまり叫んでしまうというものだ。彼女にとって、バイトのシフトというものは、あくまで自分の行動指針の単なる『目安』にしか過ぎないのだろう。
    「こら! 室内でマフラーや手袋をするな!」
     仕方がないので、ここは別の理由で怒る事にした。それは、変なところにだけ病的なまでの神経質さを誇る私が、いつもエリに注意している点でもあった。「外に出た時に、防寒具の役目を果たさないやろ!」
    「あ、ごめん! 忘れてた!」
     同じ件で何回も怒られているだけあって、謝罪も慣れたものだ。
    「……ま、時間までゆっくりしときや」
     バツが悪そうな顔で、店長はホールへと戻っていった。
     ――二月二十六日、木曜日。
     事件発生から五日後、私達が桜井の遺体を発見してから四日後、そして、降矢との会見の二日後の事だった。
     この世から一人の人間が、それも我々のごく親しい人間が姿を消しても、日常はとめどなく流れていく。私達も、少なくとも表面上は、平凡な喧騒に飲み込まれる日々を取り戻しつつあった。
    「どうしたねん、あんたがこんなに早く店に顔を出すなんて」
     うずうずしていた私が、さっそく彼女にインタビューを試みる。
    「それがさぁ、事件の事を考えてたら、眠れなくなったねん」
     少し憂いの帯びた、というよりは単純に眠そうな顔で答えるエリ。
    「眠れなくなったって……もう夕方の四時半やろ。いつまで寝ようとしてたんや!?」
    「いや、昨日の夜から寝てないんや」
     彼女は姿勢を崩して、机にへばりついた。「うぎゃ~! 眠い!」
    「はぁ!? じゃあ、今日の授業はどうしたんや?」
    「今日はハマちゃんも授業がない日やろ。なら、うちも休んでいいかなぁっと思ってね」
     悪びれる様子もなくしゃあしゃあと言い放つ彼女を見て、
    「あんたとは一緒に卒業できそうにないな!」
     呆れ果てた私は、さっさと更衣室に入った。
    「あ、うちも着替える!」
     ニコニコしながら彼女も後に続いてきた。「あのな、うちは何があっても、絶対にハマちゃんと一緒に大学の卒業式に出たいねん!」
    「あたしも、それはそうやけどな」
     ため息をつきながら、もう一度エリの方を向く。「……問題は、卒業できるかどうかを決める権限が、あたしじゃなくて大学側にあるって事や」
    「やっぱりそうなのか……」
     肩を落とすエリだった。ひょっとすると彼女は、今の今まで私にそれほどの権限があるかもしれないという一縷の可能性に賭けていたのかもしれない。だとすれば、世界的にも類を見ない大馬鹿者である。
    「だから、明日からまたちゃんと大学に行くんやで!」
    「はぁい!」
     エリは、狭い更衣室の中で手を上げて元気に返事を返してきた。姉妹というよりは、もはや親子の会話だ。
     関西国際空港内でも、トップクラスの売り上げを誇る『スカイレストランテ』だが、その夜は二月の平日という事もあって、訪れる客もまばらであった。
     店が暇な時はいつもそうしているように、入り口近くで客を待っている私の隣へ、エリがちょこちょこと近寄ってくる。
    「……ハマちゃんに、一つ聞きたいんやけどさ」
    「ええっと、それは仕事の事?」
     怪訝な顔で私が訊くと、
    「ううん、プライベートな事やねん」
    「お客さんの前やから、手短かにね」
     先輩バイトとして、当然の忠告である。「で、何について?」
    「桜井さんについて」
     エリはそう一言だけ発した。
    「……えらくヘビーな話題やな」
     私の顔が曇る。あんまり耳にしたくない固有名詞だったからだ。
    「うん、しかも仕事中にね!」
     私の心境を察したのか、おどけるように彼女は軽く笑った。
    「そんな話は、別に帰りの電車の中でしてもいいやろ。そこでまたゆっくり話そうや」
    「いや、今みたいな時の方が、かえってハマちゃんの本音が聞けるかなと思ってさ!」
     我が親友なりの秘策らしい。よくわからないけど、エリは自信満々な表情を浮かべていた。
    「でも、お客さんの前で、いくらなんでも殺人事件の話をするのはなぁ……」
     戸惑いながら、周囲を見回す私に対して、
    「事件の話じゃなくて、桜井さんの話!」
     強調するように、エリは私に顔を近づけた。
    「どっちも似たようなもんやろ」
     その迫力に、珍しく後ずさりしながら私が返すと、
    「違う! 全然違うで!」
     真剣な表情だった。多少矛盾した言い方になるだろうけど、こんなエリの表情は、仕事中に見た事がなかった。
    「……まぁいいわ。とりあえず何やねん」
     根負けしたように、私が尋ねると、
    「う~ん、う~ん」
     途端に彼女は色々な方向に首を傾げながらもだえ始めた。「やっぱ、やめとこうかなぁ……」
    「あのなぁ! ここが店じゃなかったら、というよりお客さんの前じゃなかったら、絶対にあんたをしばいてるで!」
     優柔不断なエリをきつく睨みつける私。「いいから、早く言ってや!」
     それでもしばらく黙り込んでいた彼女だったが、やがてようやくもぞもぞと声を出した。
    「あのさ……」
     目を逸らしながら、エリは訊いてきた。「……ハマちゃんは、桜井さんの事が好きやったん?」
     ……唐突な、そしてあまりにも衝撃的な問い掛けに、今度は私の方が絶句してしまった。
    「な、何やねんその質問!?」
     やっと私が訊きかえすと、
    「ぜひとも教えて欲しいねん、うちは。なぁ、ハマちゃんは桜井さんの事を好きやったん?」
     もう一度、今度は強い口調で質問を繰り返す彼女に、私は、
    「それは死んだ人に対してふさわしい質問か?」
     と、搾り出すように答えるのがやっとだった。
     不謹慎かもしれないけど、それが本音だったのだ。
    「相手が死のうが生きてようが、愛は変わらんもんやろ!」
     少女漫画愛好家の、というより、本と言えばそんなジャンルしか読まないエリは、たまにこんな聞いている方が恥ずかしくなるような台詞を吐くのであった。決まって、陶酔したような表情と共に。「だから、教えて。好きやったん?」
     ……私には、どうして彼女がそんな事を知りたがるのか、さっぱりわからなかった。しかも、今さらである。
     エリは、昔から私の恋愛について詮索する事が大好きだった。好意的に解釈するならば、恋に不器用な私を心配してくれていたのかもしれない。とにかく、ちょっとでも私が不自然な行動を取ると、『どうしたん? 好きな人でもできたん?』としつこく問い質すような女の子だったのだ。
     ところが、何故か大学に入ってから急に、その癖は鳴りを潜めてしまった。それほど親しくない人間にまで怪しまれていた私と桜井の関係についても、彼女はほとんど触れようとはしなかった。それが初めて話題に出されたのは、例の合コンの夜――皮肉な事に、桜井の遺体を発見した夜の事だったのだ。
     そして、桜井が死んだ今となって、ようやくエリはこんな質問を投げかけてきたのである。幼馴染である私にも、その意図がどうしても見えなかった。
     なので、私に出来るのは、
    「……まぁ、嫌いではなかったな」
     という曖昧な返事を返す事くらいであった。
    「つまりそれは、好きやったって事やな!」
    「あんたはデジタルな女やなぁ」
     苦笑しながら私が呟いた。「嫌いじゃなければ、イコール好きなんや」
    「うちは知ってるもん! ハマちゃんが『嫌いじゃない』って言う時は、すなわちゾッコンな時やから!」
     さすが、幼稚園時代から付き合っている人間の洞察力は鋭い。
    「……どうとでも思ってや。解釈は自由やからな」
     投げやり気味にそう応じると、
    「良かった! ホンマに良かった! ハマちゃんは、桜井さんの事が好きやったんやな!」
     嬉しそうにはしゃぐ彼女。理由もわからない親友の興奮ぶりを前に、私はただただ困惑してしまった。
    「何が良かったんや? 本人はもうこの世に居ないんやで」
     しかし、そんな私の冷酷な意見に接しても、エリの表情の晴れやかさは失われなかった。
    「だって、それなら桜井さんが少しでも浮かばれるかなと思ってさ!」
     明るい口調の彼女に対して、
    「あのなぁ……仮にあたしが桜井さんの事を好きやったとしても、別にあの人は浮かばれへんと思うで。あんたが言ってる事の意味が全然わからへんわ」
     私が一層顔をしかめる。
    「絶対に浮かばれるって!」
     エリはとうとう私の腕まで掴んで、必死に訴え始めた。
    「いいや、絶対に、何があっても桜井さんは浮かばれへんと思う。……それは、間違いないやろうな」
     ――これも、偽らざる本心だった。
    「そんな事はないって! 絶対に桜井さんは喜んでるはずや!」
     これ以上話しても、水掛け論になりそうだった。なにしろ、二桁の掛け算の答えについてさえ、水掛け論に発展させる女を相手にしているのだ。こんな展開になってしまったのなら、議論が進むはずがなかった。
     そこで、私は会話の方向を少し逸らす事にした。
    「それよりエリはどうなん?」
    「……え?」
     エリがポカンと口を開く。
    「ほら、桜井さんに言い寄られてたりしてたみたいやけど、あんたはあの人の事をどう思ってたねん?」
    「言い寄られてなんかはないけど……うちは別に好きじゃなかったで」
    「じゃあ嫌いなんや」
    「ふふふ、デンタルやな、ハマちゃんも」
    「あたしの歯がどうしたねん!?」
     一文字の違いくらい、彼女からすれば誤差の範囲程度の問題なのだけど、ここはあえて突っ込まさせていただいた。
    「それにしても、良かった良かった! なんか、気分がすっきりしたわ!」
     指摘された間違いを省みる様子もなく、いまだに満面の笑みを浮かべるエリを尻目に、私の気分はどんどんと沈んでいった。
     どれほど好きだろうが、愛していようが……もう絶対に、絶対に、絶対に、桜井と私が結ばれる事はありえない。これは、はっきりとした現実なのである。
     それに。
     仮に、奇跡中の奇跡が起こり、今ここで桜井が生き返ったとしても、彼が私と結ばれようとするなんて、私を愛してくれるなんて、全く思えなかった。
    「あ、そうそう。……もう一つ聞きたい事があるんやけどさ」
     彼女が、急にかしこまったように声を潜めた。まぁ、今さら小声で話したところで、すぐ近くのレジで立っている店長の目線の鋭さは変わらないと思うけど。
    「次は何ですか?」
     ボスの強烈な視線に気付いて、気まずくなりながら私が尋ねると、
    「二十八日の夜って、暇?」
     おずおずといった様子でこちらを見るエリ。
    「二十八日って……明後日やな。あんたはバイトに入ってないんやったっけ?」
    「うん。さっきシフトを見たけど、ハマちゃんもその日はバイトが休みやったよなぁ。じゃあ、暇って事やろ?」
    「その決め付けは、どうかと思うが」
     名誉の為に言っておくと、別に私の友人はエリだけではない。こいつと一緒に過ごす時間が異常に多いってだけで、他にも一緒に遊ぶ人間くらいはいるのだ。
     ……ただ、その日は確かに予定が入っていなかった。
    「別に、男もいないんやろうし」
    「どうせあたしはモテないですよ!」
    「それはともかくやで……」
    「そこは否定しろよ!」
     私が口を尖らせる。「で、何をするんや?」
    「なんか、パァ~っとしたいねん! ストレス解消の為に!」
    「パァ~っと、ねぇ……」
     なかなか悪くない提案だった。どちらかといえば、願ったり適ったりのアイデアと言えた。何もかもを忘れて騒ぎたいという欲求は、私の中でも強烈に目覚めていたからだ。「いいねいいね。パァ~っと行こうや!」
    「やろ? あのな、うちはカラオケに行きたいねん!」
    「カラオケかぁ……そういえば、最近行ってないな」
    「ハマちゃんの歌声が聞きたい!」
     踊るように体をクネクネさせながら、ガッツポーズを取るエリ。「テンションが上がってきたわ! わっしょい! わっしょい!」
    「……うるさい!」
     とうとう、店長がキレた。他人事のようだが、店舗責任者としては、むしろよく我慢したほうだろう。「もうおまえらよりも後輩のバイトが入ってきてるんやぞ! そんなたるんだ姿見せとったらしめしがつかへんやんけ! 仕事中は静かにしろや!!」
    「す、すみません……」
     返す言葉なんて当然なく、素直に頭を下げる私達。
     おかげで、いっきに険悪な空気が支配する事となった『スカイレストランテ』だった。
     ……やがて、再びエリがさっと私に近づいてきた。そして、聞き取れないくらいの小さな声でこう言った。
    「だから、明後日は予定を空けといてな。……あ、詳しい事はまたハマちゃんが考えておいてや」
     結局、今回も主導権を握るのは私になりそうであった。
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