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礼讃・第83回「貞操より節操」
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礼讃・第83回「貞操より節操」

2015-03-03 13:00

    乗り物の車内で知り合った男性に、堀さんという人がいる。私より十五歳年上のカメラマンだった。上野─札幌間を結ぶ寝台個室特急ブルートレイン北斗星の食堂車で一緒になった。まだカシオペアは運行していない時代だった。

    飛行機だと九十分で行けるところを十七時間かけて移動する贅沢をしようという板尾さんの提案で、北斗星に乗って札幌競馬場に行くことになった。夏だった。

    私はまだ板尾さんと肉体関係はなく、板尾さんの事務所の慰安旅行を兼ねており、男性ばかりぞろぞろついてきたものだから、私はツインデラックスを一人で利用した。個室を一人で利用すると二人分の寝台料金と特急料金が必要だったが、板尾さんが払ってくれた。

    男性達は個室で花札をしていたので、私は一人で食堂車に行ったのだ。

    オールブラックの美しいセラミックケースの腕時計が似合う人だった。ウブロを手首にはめた堀さんは鉄道好きで、夏休みの一人旅に北斗星で北海道へ向かっていた。

     白いポケットがついた黄色いワンピースを着た私に、堀さんは、

    「ドラミちゃんみたいだね」と、言った。

    「メロンパン好き?」とか「虫は嫌い?」と訊いてきた。

    「メロンパンは好きよ。虫は嫌い。二十歳の時に住んでいたアパートで虫が1匹出た翌週に引っ越したくらい虫は苦手なの。ドラミちゃんってね、身長百cm体重九十一kgよ。前にもドラミちゃんみたいだって言われたことがあって調べたことがあるの。私、ドラミちゃんより背が高いし、ドラミちゃんより痩せているんですけど」

    私が真剣に答えると、「真面目だなあ」と言い、ぷふっと笑った。

    学生時代はアメフト部だったという彼は、ワイルドな肉体にグレーのカーディガンと白のインナーを着て、ブルーのデニムパンツを穿いていた。靴はベルルッティのスリッポン。チャニング・テイタムのようなタフネスと優しさが絶妙にブレンドした笑顔にぐっときた。

    私は愛犬が生んだ子犬を、カメラマンをしている男性に譲った話をした。

    「車を専門に撮影している方で、ご自身はベンツのステーションワゴンに乗っているんです。それは仕事用の機材を運ぶためだそうで、本当はスポーツカーがお好きなんですって。彼はエリック・クラプトンが好きで、犬にレイラと名付けたのよ。三人お子さんがいるんですけど、男の子が蘭知亜君、女の子は、瑠乃ちゃん、亜瑠葉ちゃんていうの。凄いでしょう」

    なんと堀さんはそのカメラマンを知っていた。

    「俺はモーター関係の仕事はしないけど、車は好きだよ」

    と言う堀さんは、黄色いアストンマーチンに乗っていた。

    YMOが好きな人だった。津川さんとエルヴィスプレスリーのラヴ・ミー・テンダーを聴いた回数より多く、堀さんとテクノポリスを聴いた。堀さんがご機嫌な時の鼻歌はライディーンで、カーステレオからはいつもソリッド・ステイト・サヴァイヴァーが流れていた。私はこのアルバム収録曲の順番をすっかり覚えてしまった。

    彼は、カーオーディオで良い音質を出すために、ボディ剛性や車幅、スピーカーの距離やアンプを載せるための広い収納スペースにこだわり、

    「どう? この音質。びんびんくるでしょ」

    と、聴き入っていた

    彼が連れて行ってくれるバーやカフェには、YMOとその界隈について延々と語り続ける人達がたくさんいた。たった六年の活動で、八十三年に解散した三人グループのことを、二十年以上経ってもこんなに熱く思っているファンがいるのかと驚いた。

    北斗星の車中で、堀さんは九十三年に一時的に再結成してリリースしたアルバム『テクノドン』をウォークマンで聴いていた。

     堀さんはおぼっちゃま育ちの男性だった。カメラマンの仕事をしなくても生活に困ることは全くないようだった。東麻布の広いマンションで暮らし、そのマンションの所有者は親だという。こういう人はよくいる。しかし、彼が凄いのは、マンションの建物一棟丸ごと親の持ち物で、彼にも家賃収入があるということだった。そういうことを厭味に聞こえず、傲慢な印象を与えることなく爽やかに話す彼に、好感を持った。一人旅が好きな男性というのも珍しかった。

    食堂車で、旅に持参する食べ物の話になった。

    「私はね、ドライマンゴーとマロングラッセ」

    「俺は、ピスタチオとぬれ煎餅」

    私が「ぬれ煎餅って何?」と訊くと、「銚子電鉄のぬれ煎餅知らないのかよ?」と驚かれ、気づくと私達は、個室の寝台に腰掛け、ぬれ煎餅を食べていた。

     堀さんは缶ビールを飲み、銀杏色のピスタチオをぽりぽり齧っていた。

    健ちゃんが、焼いた銀杏の殻を剥き、翡翠色につやつや光る銀杏の実をクリトリスみたいだなと言って食べていたのを思い出した。健ちゃんより細い指で、堀さんは器用にピスタチオを剥いては、取り出した緑色の実を口に運んでいる。

    会ったばかりとは思えなかった。膝がくっつく程の距離で、旅の話をした。

    すぐに打ち解けたのは、彼が本音で話す人だったからだと思う。相手に望むポジションが一致していることを、会話や仕草や視線で私達は感じ取っていた。

    「俺は、女の子の男性関係の話を訊くと興奮するんだよね。過去の彼氏とのセックスとか。現在進行中なら余計に燃える」

    これは意外だった。行きつけのホテルでも初めて来たふりをし、本命の彼氏の存在は極力隠し、他の男性関係の話はしないことに努めていた私は、堀さんの発言にびっくりした。これは、度量の大きさというより性癖ではないだろうかと思い、私は

    「スワッピングや覗きが好きなの?」と、訊いた。

     
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