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  • ”虫撮り”のすすめ

    2023-06-27 14:30

    まずは報告だ!

    山形県村山市民会館館長の「安孫子さん」
    山形新聞の記事を写真に撮って送ってくれた!
    前回『ひろぐ』でご紹介した同級生「岡田君」
    正式に龍門寺の住職となったそうだ!
    200人を越える人達が参列する就任式というのだから
    静かな山形市においては
    郷土力士、柏戸の優勝パレード以来の大イベントだった事だろう!
    うん!
    そこまでではないだろう!
    なにしろおめでとう岡田君!


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    はてさて!
    コロナ禍にカメラを数台購入した!
    (まぁ今もコロナ禍ではあるのだが・・・。)
    「ラヂオ塔」でおなじみのカメラマン「一幡公平」さんや
    元”青年失業家”を名乗って今では出版社社長となり
    フォトグラファーという仕事もこなす「田中泰延」さん
    といった奇人変人達と会ううちに
    写真に深く興味が湧いたのが理由だった!
    ”数台購入した”とは言っても
    ほとんどが型落ち品や中古品などで
    十万円を越えるような高価な物は1台もない!
    俗に言う”安物買いの銭失い”と言われるかもしれないが
    それなりに用途があっての購入だった!

    まず1つ目の用途は
    粘土活劇『やめとけ!チキンマン』だった!
    これは作った樹脂粘土製の人形を撮影して
    そこに文章でお話を載せる”写真絵本”だ!
    当時私が使っていた携帯電話iPhone6Plusでは
    どうにもいい写真を撮る事ができなかったため
    なにかしらのカメラが必要となった!
    そこで格安の中古品を探して購入したのが
    Canon PowerShot SX730 HSだった!
    よく実物を見た人に驚かれるのだが
    チキンマン人形の身長は8cmほどしかない!
    まぁ成人男子の人差し指ぐらいだ!
    そんなサイズの人形達に向けてカメラを構えると
    やがてその大きさがわからなくなる瞬間がやって来る!
    静物撮影にも関わらずそれがシャッターチャンスだ!
    そうして撮ったへんてこ写真を見るのがどうにも楽しく
    考えていた以上のストーリーが展開する事もある!
    写真は「王将アイス」もしくは「三色トリノ」のなる木から
    アイスを奪った事で
    氷の怪人バスキンとロビンスが飼っている怪獣
    ナッチョコジャムンチョに追われるチキンマンだ!
    漫画版『やめとけ!チキンマン』単行本に収録)

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    このカメラの特技は何と言っても望遠だ!
    これで初めて月を撮影した時には
    思わずしりこ玉が飛んだ!
    なにしろこんな写真が撮れるのだ!

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    何度も撮ってみてわかったのは
    写真に撮っておもしろいのは
    満月ではなく欠けた月の方だという事だ!
    欠けた部分に生まれるクレーターの影などが
    どうにもそこに立ってみたくなる誘惑を仕掛けてくる!
    そこで生まれた私だけが従う哲学「ひろソフィー」が以下だ!

    「月も人も
     とにかく輝いているより
     しっかり影を持っている方が魅力的である!」

    さらに!
    それだけの望遠力があれば
    のらねこを撮影しても
    まず気づかれる事はない!
    私は「ねこ撮り」という新たな”ひろぎ”に出会った!

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    私はこのCanonのコンパクトデジカメを
    ほとんどの外出時に持参している!
    いい月もいいねこも
    いつ出会えるかわからないからだ!
    まぁ中崎町を歩いたところで
    チキンマンに偶然出会う事はあるまいがね!

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    先日、天皇がインドネシアのボロブドゥール寺院を訪れた際
    私物のコンパクトデジカメで遠くの何かを撮影する姿が報道された!
    そのニュース映像を見る限り
    機種は恐らく私と同じCanon PowerShot SX730 HSか
    もしくはシリーズ機ではないかと推測する!
    カメラに詳しい方の見解があればぜひ教えて下さいな!

    続くお気に入りカメラは国産トイカメラの傑作
    BONZART ZIEGEL(ボンザート・ツィーゲル)だ!
    まずはカメラ自体の見た目のユニークさも素晴らしい!

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    近年のスマートフォンの進化はほぼカメラ機能の進化だ!
    通話に関する進化はあまりにも遅く
    ハンズフリー以降の新しい発明を見た事がない!
    スマートフォンのカメラがあまりにも進化したため
    高価な一眼レフカメラを手放したという人が
    どうやら本当にいるのだそうだ!
    そんな高性能高画質カメラが携帯電話の基本になってしまうと
    やはり文化は逆流現象を生じさせる!
    あえて操作の手間暇を取り戻し
    より悪い画質を追求する
    トイカメラに目を向ける人々が現れたのだ!
    そんな中で登場したBONZART ZIEGELの価格は安くない!
    中古で買った先のCanon PowerShot SX730 HSと
    ほとんど同じぐらいの値段だった!
    しかしこのカメラで撮れる低画質な写真がどうにも好きで
    なぜか毎年元日になるとBONZART ZIEGELを持って
    大阪の町を撮影して回る習慣がついてしまった!

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    はてさて!
    そんな具合に
    色々とそれぞれの用途があって購入したカメラなのだが
    1台だけ猛烈にはっきりした用途で購入した物がある!

    遊気舎時代からお世話になっている
    舞台照明家の池田哲朗(いけだ・てつろう)氏は
    私の心の中だけで発行される雑誌
    月刊『尊敬に値する身近な人物』で
    何度も表紙を飾っている!
    なかなかの奇人で
    舞台照明家である以前に
    植物の研究家として知られている人物だ!
    とても穏やかで現場でも声を荒げる事など決してない!
    そんな氏と私は
    技術打ち合わせ以外で演劇の話をした記憶がない!
    一緒にいればいつでも植物学や昆虫学や動物学や古生物学や
    まぁいわゆる科学的な会話が圧倒的に多い!
    氏の話を聞いていると
    「砂漠の真ん中で這いつくばって
     サボテンの一種を観察してたらさ。
     急に日陰になってね。
     おかしいなと思って見上げたら
     でーっかいダチョウが上に来てたの。
     逃げたら追われて勝ち目はないし
     声出して脅かしたら蹴られて殺されるからさ。
     そのままいなくなるまで
     砂漠の真ん中で長ーい間じーっとしてたよ。」
    とか
    「車で移動してたらパトカーに停められてさ。
     植物観察だけでなんにも悪い事してないから安心してたら
     車を運転してくれてた現地ガイドが
     トランクにアルマジロ隠しててさ。
     それが違法で捕まっちゃってさ。」
    とか果ては
    「会食でスティーブン・ホーキングと一緒にご飯食べてさ。」
    とか普通の人が言ったら絶対に虚言であろう話が多い!
    ところが氏は嘘をついたりホラを吹いたりで楽しむ人ではないので
    どの話もどうやら真実のようだ!

    そんな氏にある時
    「昆虫をじっくり撮影してみたい」という話をしたら
    「植物研究でも昆虫研究でも
     全てのフィールドワーカーが持ってるカメラは
     全部同じ機種なのよ。」
    と静かな声で言われた!
    それは何かと尋ねてみたらば
    OLYMPUS Tough TG-5というカメラだった!
    ならば迷う事はない!
    誰あろう池田哲朗氏が薦めるのであれば間違いはない!
    さっそくインターネットで値段などを調べてみたところ!
    TG-5の後継機種として
    TG-6がちょうど発売されたところだった!
    最新機種なので値引き率は低く
    私にとってはまるで安くなかったが
    このカメラはきっと私に
    何か新しい世界をもたらしてくれるに違いない!
    と信じた上で購入を決意した!

    そうして私の中で生まれた新しい”ひろぎ”が
    「虫撮り」である!

    先日、昆虫仲間の「チョロ君」「矢倉君」
    そこになぜか劇団太陽族の女優「佐々木淳子」が加わり
    片道2時間かけて虫撮りに行った!
    ちなみに私は佐々木が18歳の頃から知っている!
    なぜなら彼女は
    今はなき大阪外国語大学の
    インド・パキスタン語学科ヒンディー語専攻で
    私の直接の後輩にして
    私があまりに留年するのでやがては先輩になった
    という経歴を持つ女優だからだ!
    関西の演劇人が彼女を「ささじゅん」と呼ぶのに
    私だけが唯一「佐々木」と呼ぶ理由は
    普通に大学の後輩だったからである!

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    あれこれいろんな機材を持参せず
    TG-6の性能だけを信じての虫撮りだった!
    そしてTG-6はその信頼にしっかりと応えてくれた!

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    なんとも素晴らしい時間を過ごした!
    なんだろう?
    ラジオから聞こえて来るニュースでは
    人間はこんなにも苦しんだり泣いたり
    果ては殺しあったりしているのに
    この小さな生命たちは生きる事だけを楽しんでいる!
    なんだかうらやましくなった!

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    大きな人間たちは小さな悩みでいっぱいなのに
    小さな昆虫たちは大きな喜びに満ちている!
    そんな風に見えて仕方がない!

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    花の蜜を吸っているうちに
    体いっぱいに花粉をつけてしまい
    本来どんな色の虫なのかわからない!

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    けどもそんな食べっぷりは
    まるで人間のくいしんぼう赤ちゃんの食事風景のようで
    どうにも愛おしい!

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    高価なカメラがなければ虫撮りはできないのか?
    いいやそうでもない!
    佐々木は安価なスマートフォン用クリップレンズを購入し
    それでこんなおもしろい写真を撮影していた!
    日当たりといい
    ”葉っぱにみつばち”という違和感といい
    とてもいい写真だと思う!
    大事なのは「これを撮ろう!」と思う撮影者のセンスだ!

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    (佐々木淳子がスマートフォン用クリップレンズで撮影)

    難しいとは思うが
    100円ショップで売られている
    スマートフォン用クリップ式マクロレンズでも
    それなりに面白い虫撮りはできる!
    これなどは
    我が家のベランダで
    カミさんが育てている植物についたアブラムシを
    100円レンズで撮影したものである!

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     (100円ショップのクリップレンズで撮影)

    しかしながら
    小さなドラマを覗くには
    やはり池田哲朗氏が薦めてくれたTG-6が
    圧倒的に優れたカメラだ!

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    本当は昆虫の目玉にピントを合わせたいと思うのだが
    これがなかなかに難しい!
    これから先も技術向上のための修行が必要だ!

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    虫撮りで小さな世界をいっぱい覗いた後で
    ふと頭を上げて人間の視線で周りを眺めてみる!
    するとなんだか何年もの間
    別の世界にいたような気がする!
    そして自分が生きる場所がこちら側だという事を
    改めて深く認識する!
    この不思議な心のトリップが虫撮りの大きな魅力でもある!
    ぜひあなたもこの夏”虫撮り”に挑んでみてはいかがだろうか?

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    そうだ!
    宣伝がある!

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    ずっとやってみたかった自分主催のトークイベントを
    『後藤ひろひとーく』
    というタイトルで開催してみようと思う!
    2023年6月30日(金)19:30より
    梅田のLateralにおいて
    記念すべき第1回のテーマは
    私が長年馬鹿にし続けた「群馬県」
    ゲストは”吉本興業唯一の良心”と呼ばれる
    兵動大樹(矢野兵動)君!
    ライブでも後日でも鑑賞できる配信チケットもあるので
    ぜひ全国からご覧くださいな!
    チケットは以下で!
     ↓↓↓↓↓
    『後藤ひろひとーく 第1回:群馬県~鶴舞う形の後藤ひろひと』



  • 龍門寺の岡田君

    2023-05-17 17:16

    マスクをしないで飲み屋にいる写真を載せるだけで
    不気味な自粛警察があーだこーだ言う暗黒時代が
    もう落ち着いただろうと認識したので
    『ひろぐ』を記す!
    なにしろこの記事は
    ノーマスクで飲み屋にいる姿を載せないと
    面白さが激減する内容なのだ!

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    (コロナ禍における自宅での晩酌の様子)

    まずは怪談から始めよう!
    これは私が高校生の時の実話怪談だ!

    岡田君はふと見るといつも
    左手の指をぱらぱらと素早く動かしていた!
    多分彼の頭の中ではいつも
    ヴァン・ヘイレンかナイト・レンジャーか
    マイケル・シェンカーかイングウェイ・マルムスティーンが
    ループして流れていたのだろう!
    空中を動く岡田君の指が
    実際にレジェンド・ギタリスト達の指使いを再現できていたのかは
    今となっては知る由もない!
    しかしとにかく岡田君は
    否定しようのないハードロック少年だった!
    そんな岡田君はしかも男前だった!
    いやいや”男前”という言葉は当てはまらないかもしれない!
    なぜならその整った顔には
    ちょいと女の子っぽさもあったからだ!
    普通に考えたら女子が群がるであろう岡田君だったのだが
    そうだった記憶はない!
    ひょっとしたら女子からの幾多の告白も
    左手指が動いていたせいで聴こえていなかったのではないだろうか?
    そんな岡田君の左手指が動いていない時に話しかけてみて驚いた!
    なんと彼の家は
    山形市の北山形に500年以上建つ
    由緒あるお寺だと言うのだ!

    「俺は寺の息子
      俺は寺の長男
       いつかは俺も坊主になって
        死に行く誰かのために木魚を打つ

     俺は寺の息子
      俺は未来の住職
       だから今この時間だけは
        自分のためにギターを弾かせておくれ」

          『岡田君のロック』作詞・後藤ひろひと

    その時に岡田君が話してくれた内容を要約して
    衝動的に詩にしたためてみた!
    なにかうっすらと影のある高校生の岡田君だったが
    どうやら人生設計の中で
    プロのミュージシャンになる事が許されていなかったのだ!
    当時の私はと言えばコメディアンまっしぐらに生きていたので
    なんだか岡田君が気の毒に思えた!

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    (コメディアンまっしぐらな当時の私)

    しかしそれにしても家がお寺という友人ができたのは
    私にとって刺激的だった!
    遊びに行くとそこは
    「あら新しいお友達?」
    とお母さんが出迎えてクッキーを出してくれる
    そんな構造ではない!
    寺だ!
    大きく立派な本堂を抜け
    板張りの廊下を歩き
    やがて岡田君の部屋にたどり着くまで
    岡田君の家族を見かけた事がない!
    あ!
    和尚さんがいたのを見た!
    そうか!
    あれは和尚さんにしてお父さんか!

    ハードロックのポスターが壁を埋め尽くす岡田君の部屋は
    実に異様な雰囲気だった!
    行けば誰かがゴロゴロしており
    煙草の煙がもうもうと立ちこめ
    床には酒瓶が転がっていたりもした!
    夜間にエレキギターをかき鳴らしても親に叱られない
    そんな理想的空間は悪童が集う無法地帯だったようだ!
    そこはとんでもなく悪の巣窟に思えたし
    岡田君は”悪の管理人”的存在だったが
    いずれこの岡田君も先ほど本堂で見かけた和尚様になって
    死者を成仏させる事に生涯を捧げるのだろう!
    そう思うと
    人生の天秤が釣り合うのを感じた!

    「岡田君!
     俺は肝試しのコーディネイトが得意なんだが
     どうだろう?
     このお寺の墓地で肝試しをさせてはくれないか?」

    私からのなかなかパンクな申し出だったが
    なにしろ相手はハードロックだ!
    それは面白い!
    と返答され即実行に移された!
    ある夏の夜
    まぁまぁ遅い時間
    悪の巣窟に集合したメンバーには
    同級生もいたが別の高校の同学年の子達もいた!
    岡田君の中学時代の同窓生だった!
    なので初めましてだ!
    初めましてでいきなりルールを説明した!

    スタート地点は”悪の巣窟”!
    挑戦者は懐中電灯を持たずに
    1人で広大な墓地を歩く!
    私の説明通りにちゃんと歩けば
    とある曰く付きの墓石に到着する!
    そこに初めて懐中電灯が置かれているのだが
    さらにはラジカセと怖い本も添えられている!
    その墓石の前で怖い本の一節を朗読し
    ラジカセに録音しなければいけない!
    つまり置かれている懐中電灯は足元灯ではなく
    読書灯というわけだ!
    用意した本は
    当時”心霊写真界の暴れん坊”として崇められた
    中岡俊哉氏による名著
    『実写!日本恐怖100名所』
    だったと記憶する!
    これは中岡氏がまとめた一般からの恐怖体験話と
    それにまつわる恐怖写真が載せられた本だった!
    なのでパッと開いた時に文章のページならいいのだが
    うっかり開くと黒い棒で目隠しされた男性の背後に立つ
    恐ろしい形相の老婆と目が合ったりする!
    これには悪の巣窟に集うショッカー達も
    かなり怖気づいていた!
    その本に載る体験談の1つを朗読してラジカセに録音し
    懐中電灯を置いてさらに進み
    鐘つき堂に登って鐘を打つ!
    その鐘を聞く事で
    「ああ、あいつは無事にクリアしたな!」
    と察するわけだ!
    そこからまた墓場の同じルートを悪の巣窟まで引き返す!
    それでゴールだ!

    実際の墓場を舞台としたあまりの恐怖体験に
    途中で断念して戻って来る者あり
    「ラジカセには”ごめんなさい”とだけ録音した!」
    という者あり!
    女子がいないため堂々たる敗北者がどっさり生まれた!
    これはイベントとして大成功だ!

    さてくじ引きでかなり後半になったが
    いよいよ私の番が来た!
    昼間に充分歩いたコースだったので
    暗闇でも難なく歩けた!
    そもそも私は墓地を怖い場所だと思わない!
    なぜならそこは
    お坊さんが毎日ちゃんとお経を上げて
    供養を行っている場所だからだ!
    つまり霊というものが存在するのならば
    事故現場や事件現場に赴き
    足だけで踏切を渡る
    車の窓に手形をつけるなど
    もしくは恨みを抱く相手の部屋に行って
    急にシャワーを出す
    壁や天井をカリカリ言わせるなどすればいいのであって
    住職が代々に渡って永眠を見守ってくれる場所に
    わざわざ出現する動機は皆目見当たらないのだ!
    つまり墓地とは
    地球上で一番霊が出る必要のない場所である!
    私が霊ならばそう思うのだが皆さんはいかがだろう?
    はてさて!
    やがて辿り着いた墓石に曰く因縁など無い事は
    でっち上げた私が一番よく知っている!
    中岡俊哉氏の本にしても私の蔵書だ!
    内容は全て把握している!
    何枚かはできれば深夜の墓地で見たくない写真だったが
    そもそも私は霊現象も心霊写真も一切信じていない!
    後に演劇人となるポテンシャルを発揮した上で
    なんなら砂利や枯れ葉などで効果音までをも添えて
    怪しげな恐怖体験をちゃんと怖く朗読して録音した!
    そして鐘つき堂に登って景気よく鐘を鳴らした!
    がいいいーん!
    さぁ帰ろう!

    と歩いて来た道を引き返していた時だ・・・。

    因縁などは無いはずのあの墓に近づくと
    ふとどこからか石や草を踏む足音が聞こえた気がした。
    夜中だぞ。
    気のせいか?
    ひょっとしてコーディネーターである私に不公平を感じて
    誰かがいたずらを仕掛けてきているのか?
    それもまた面白い!
    知らないふりをして逆に驚かせてやろう
    と歩き続けると・・・
    やはり足音がする。
    確かにする!
    間違いなく誰かが歩いている。
    1人ではない。
    複数の足音だ。
    私が止まると・・・その音も止まる。
    仲間のいたずらならばそろそろ何かを仕掛けてきそうなのに
    なんにしもして来ない。
    私が歩けば足音が聞こえ
    止まれば消える。
    これは仲間のいたずらではないと思うと
    どうしようもない恐怖に包まれた。
    じゃあ一体この深夜に誰が墓場を歩いているというのだ。
    私はさらに異変を感じた。
    あの曰く付きと私が詐称した墓石が
    ・・・赤い。
    赤い光が墓石の上を動いている!
    私はそれを見て立ちすくんだ!
    なんだあの光は!
    動けない!
    そんな私に背後から足音が近づいて来る!
    走る事はできなかった!
    足がまったく前に出なかった!
    ぼっ
    ぼっ
    ぼっ
    ぼっ
    という土を踏む足音が私の真後ろまで近づいた!

    そして!

    ポン

    と右肩を叩かれてしまった!
    私は墓地の地面にカクカクーンと崩れた!
    腰が抜けるというのはこういう事か!

    座り込む私に
    男が上から声を落として来た!

    「なにしてんのかなぁ?」

    見上げるとそれは
    赤く点灯する懐中電灯を構えた
    2人の制服警官だった!
    私はうまく話せなかったと思う!

    「夜中に龍門寺さんの鐘が鳴るって
     ご近所さんから通報があってね。」

    夜中に懐中電灯も持たずに1人で墓場を歩いていた理由を
    どうにかこうにか説明し
    もう肝試しは切り上げると宣言する事で
    私は解放された!
    鐘は鳴ったもののなぜか誰よりも帰りが遅い私を
    悪の巣窟で待つ参加者達は
    どういうわけかたいして心配していなかった!
    まぁ当時の私はそういうキャラクターだったのだろう!

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    (あまり心配されない当時の私 1989年3月19日撮影)

    このストーリーは後日
    山形新聞の「今週のお騒がせ110番」みたいなコラムに
    おもしろく文章化されて掲載される事となり
    「ごんぼちゃん」にたいそう喜ばれたものである!

    それがいつの話だったのか定かではない!
    高校では生徒会長をしていた時期もあり
    その頃に起こした事件だとするとなかなかの問題となるため
    その1年間は除外しよう!
    とすると多分
    高校1年生の夏だったのではないだろうか?

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    (大学推薦だけを目的に生徒会長をしていた時代の私)

    その後、岡田君からバンドに誘われた!
    髪の毛が耳にかかった人の音楽を聴かない私は
    岡田君とはまったく感性が合わなかったのだが
    ある時たしかブルースかR&Bの話題で盛り上がり
    それならば一度バンドで歌ってみないか?
    と誘われたのだった!
    かくして今も場所を変えて営業している
    山形の老舗音楽スタジオ「サンセットスタジオ」に赴いた!
    ところがそこで岡田君から求められたのは
    ヴァン・ヘイレンの『パナマ』
    オジー・オズボーンの『クレイジー・トレイン』だった!
    完全に話が違った!
    耳に髪の毛がかかった人たちの音楽じゃないか!
    特に喧嘩にはならなかったのだが
    私が岡田君のそのバンドに関わる事はそれから二度と無かった!
    恐らくそれを機会に
    だんだん岡田君と疎遠になっていった気がする!
    我々の仲を裂いたのは
    デイブ・リー・ロスとオジーだった!

    やがて高校を卒業して
    私は大阪に来た!
    岡田君は駒澤大学に入学したと聞いた!
    つまり彼はそこから仏門に入って行ったというわけだ!
    それから岡田君との接触は一切なかった!
    ただ一度だけ!
    彼に連絡を取って承諾を得たい一件があった!
    それは後に『パコと魔法の絵本』という映画になる舞台
    『ガマ王子vsザリガニ魔人』の中で
    登場するヤクザの名前に「龍門寺」と名付けた事だった!
    その役は
    ”パジャマ姿ながら顔にも苗字にも威圧感のある男”
    という設定だった!
    顔の威圧感は山内圭哉に預けるとして
    苗字の威圧感として私が選んだのが
    岡田君の実家の名前だった!
    しかし調べれば全国的に存在する寺の名であったし
    あそこまでヒットする事も想定していなかったため
    岡田君を探す事は早々に断念したと記憶している!

    高校を卒業してから36年?37年?
    なんかそれぐらいが過ぎた!
    もう36でも37でもどうでもいい年月だ!
    なにしろあの時生まれた赤ちゃんが
    おっさんと呼ばれるに充分な年月である!

    今年1月に山形県で講演会を行ったその主催である
    「村山市役所の安孫子さん」
    村山市民会館の館長にして
    現役のお坊さんであると自己紹介してくれた!
    公務員でありながらサイドビジネスが許され
    それがお坊さんというのは実に興味深かった!
    現に安孫子さんは私が講演会を行う日に
    一度会館を離れて
    どこかでお経をあげてから戻って来た!
    そんな安孫子さんとの談笑中
    実に意外な名前が飛び出した!

    「宗派で言うと私は岡田さんの龍門寺と一緒でしてね!」

    ん?
    岡田さん?
    龍門寺?
    ああなるほど!
    岡田君のお父さんの話か!

    「確か岡田さんは大王の同級生じゃないですか?」

    ややっ!
    違った!
    安孫子さんはあの岡田君の話をしていた!

    「どうなったんですか?
     岡田君はどこでどうしてるんですか?」

    私の質問に安孫子さんは笑った!

    「どこでどうしてるって・・・
     彼は龍門寺の副住職ですよ!」

    山形市の実家に帰った私は
    さっそくインターネットで
    山形市北山形にある龍門寺の電話番号を調べて
    ものすごく苦手な電話というものをかけてみた!
    電話を取った女性にどう切り出していいものか迷いながら

    「あのう私・・・
     吉本興業という会社で・・・
     作家をしておりまして・・・
     かつては山形東高校で・・・
     えーっと・・・
     岡田・・・」

    しまった!
    岡田君の下の名前が思い出せないのに電話してしまった!
    きっと先方はみんな岡田さんだろうに!
    どうしよう!
    するとその女性は私のしどろもどろを察して!

    「秀一の同級生の後藤さんですか?」

    「は!はい!ええ!そうです!」

    女性はお母さんで私を記憶してくれていたようである!
    そして岡田君は秀一だった!
    そうそう!
    岡田秀一君だ!

    やがて夜になって岡田君から電話が来た!
    夜になったら岡田君から電話が来ると知っていたので取った!
    なんだその文は?と思われるかもしれないが
    普段はそれぐらい電話との関係を断っている私なのである!

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    (その日の朝起きた時の実家の庭。雪はさらに降り積もった。)

    山形大学で「小幡准教授」と共に
    「嘉一ボックス」を開封した後
    外に出るとそこは
    一歩踏み出すにも膝蹴り並みに足を上げなければいけない
    驚くほどの大雪だった!
    ふと携帯電話を見ると
    「山形大学入口に車を停めて待っています」
    と岡田君からの連絡が入っていた!
    見渡すと守衛室の横に
    そもそも何色だったのかわからないほど
    真っ白な雪を積もらせた車から
    ハンチング帽を後ろ向きにかぶった同級生が降りて来て
    こちらに手を振っていた!
    てっきり袈裟でも着ているものと思っていただけに
    とても岡田君な姿をした岡田君に私は手を振り返した!

    「いやいやいやいやどーもどーもまず!
     何年ぶりだべねぇ!」

    車内で話しかけて来た岡田君は
    何も飾らない山形人だった!

    「まずは龍門寺でいいんだべがねぇ?」

    もちろん!
    君に会えたなら次の目的はそれしかない!
    車は大雪の中を龍門寺に向かって走った!

    到着した龍門寺は相変らず立派なお寺だった!
    残念ながらあの思い出深い墓地には
    突然の大雪で踏み込めなかったが
    鐘つき堂はちゃんとそびえていた!
    岡田君は立派な副住職になっていた!
    そして聞くところによると来月6月には
    彼は本住職になるらしい!
    ”本住職”という言葉があるのかは知らないが
    ”チーフ住職”とか”トップ住職”とかよりは正しいだろう!
    2人で白い息を吐きながら
    立派な本堂を抜け
    廊下を歩き
    通された綺麗な和室でお茶をいただいた!
    そこで話を聞いて驚いた!
    なんとそこがあの”悪の巣窟”だったと言うのだ!

    「タクシー着いだんで!
     行ぎましょう!」

    あまりにも長い年月をおいての再会だったせいで
    我々はどう呼び合っていいかもわからずギクシャクし
    岡田君は時々私に敬語を使った!
    私に関して言えば彼の下の名前を忘れていたぐらいなので
    きっと高校時代も”岡田君”と呼んでいたに違いない!
    かくして抜けていた時間を埋めるべく
    岡田君行きつけのお店を二軒ほど巡った!

    一軒目は海鮮料理の居酒屋銀次郎というお店だった!
    実に美味しい海鮮料理をいただきながら
    あの時どうだった
    あいつはどうなった
    な会話を楽しんだ!

    二軒目に連れて行ってもらったお店は
    山形のロック界におけるレジェンドの1人である
    「半澤ジョージ」さんが経営するロックバー
    「ラバーソウル」だった!
    どうやら岡田君は山形に戻っての混沌とした時代
    この半澤ジョージさんにずいぶんお世話になったとの事だ!
    このお店で吐血して運ばれた事もあれば
    このお店でしばしばライブも行っていたと言う!
    そう!
    岡田君はまだギターを弾いていたのだ!

    「おい岡田君!
     あれ覚えてるか?」

    私は岡田君からバンドに誘われた
    あの忌まわしき事件の話をした!
    そしてあの時はあまりにも趣味が合わなかったが
    53歳(当時)になった自分は
    髪の毛が耳にかかった人たちの音楽にも
    ちゃんと聴く耳を持っている事を伝えた!
    なので!
    岡田君のギターに合わせてその場で『パナマ』を歌った!
    それほど悪い出来ではなかった!
    この歌のせいで2人の仲がこじれたとはとても信じられない
    愉快なご機嫌セッションだった!
    実を言えば私は
    MTVのリアリティドラマ『オズボーンズ』のファンだったので
    その主題歌であった『クレイジー・トレイン』も
    時折お風呂で口ずさむ事がある!
    とは言えまぁパット・ブーンが歌うジャズ・バージョンだが!

    私はスマートフォンを操作して
    岡田君に1枚のピンボケ写真を見せた!
    それは高校一年生の時に学校の旅行で撮影された
    我々2人のこんなツーショット写真だった!

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    「せっかくの再会だ!
     これとおんなじのを撮ろうじゃないか!」

    そしてこんな写真を撮った!
    大好きな写真になった!

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    「岡田君、実はヤクザの名前に
     ”龍門寺”って付けたんだけどさ・・・」

    そんなのは映画公開時から気づいていたよと笑われた!

    抜けてしまった時間を
    取り返しのつかないものと考えるのは
    実にもったいない事だ!
    たとえ30年以上空いてしまっていても
    ほんの数時間とビール数杯(十数杯)で取り戻す事ができる!
    不仲になった原因の歌が
    忘れられない再会の歌になったりする!
    だとすると今抱えているかもしれない不愉快な記憶も
    きっといつかは楽しい財産になるのだろう!
    人生は予想がつかないから面白いのだ!

  • 祖父からの時空を超えた贈り物〜衝撃の嘉一ボックス!

    2023-02-26 22:31

    2005年から続いた山形新聞での連載コラムが終了した!
    不定期連載ではあったものの
    35年以上を大阪で暮らす私と
    かけがいのない故郷山形とをつなぐ
    大切な場であっただけに
    実に残念でならない!

    そんなコラムの最終稿は
    敢えて前回の『ひろぐ』記事の縮小版を書いてみた!
    なにしろ山形で起こった1頭のオットセイをめぐる
    どうにも不思議なストーリーだ!
    できる事ならば山形新聞で
    しっかり結末まで納めかったのだが
    連載の回数が尽きてしまったため
    最終回コラムはこんな言葉で締めくくってみた!


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    というわけで山形新聞のコラムを読まれて
    「そこからどうなったの?」
    と『ひろぐ』を覗きに来てくれた方々!
    ようこそお越し下さいました!
    数十年に渡って山形県をお騒がせした私の文章は
    ここでしっかりと
    しかも文字数制限無しで続いておりますよ!

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    ★前回のあらまし

    村山市で山形大学の准教授と会った。


    村山市での講演会を終えた私は
    そこからの1週間を山形市の実家で過ごす予定になっていた!
    村山市民会館の館長である安孫子さんが慎重に運転する車で
    村山市から南下し
    山形空港のある東根市を越え
    ミッチーチェンの根城である天童市を抜けて
    目的地となる山形市に入った!
    車窓からの景色は冷たく寂しい夕暮れだったが
    後部座席で私の隣に座っていたのは
    村山市職員にして
    私の中学時代の憧れの同級生「真紀ちゃん」だったため
    なかなかな心臓の高鳴りと体温の上昇を感じ
    なんならこのまま上山市も高畠市も過ぎて
    米沢市か福島県ぐらいまで行って下さい安孫子さん!
    な気分に満ち溢れていた!
    が、残念ながら安孫子号は無事実家に到着し
    私は昨年6月の「王立ブロニーショー」公演以来
    約半年ぶりの帰郷を果たした!
    ラテン語では”人間を煮る釜”と表記するかもしれない
    驚くほど高温な温泉
    「青田健康ランド(旧・臥龍温泉)」
    まだ営業している時間だったので
    かなり煮られた後
    煮魚のようにぐったりと床に就いた!

    その翌朝10時25分に私の電話が鳴った!
    (今も電話履歴に残っているのでそれは正確な時間だ!)
    私は基本的に・・・
    いや!
    99.7%電話に出る事はない!
    そしてかける事は100%ない!
    仕事の連絡も全てLINEかE-Mailだ!
    なので吉本興業の私の歴代マネージャーは
    誰一人として私と電話で話した事がない!
    聞くところによると引き継ぎの際には
    「番号は教えてくれるが後藤に電話をかけても無駄」
    と申し送りが為されるらしい!
    そんな私の電話嫌いはプライベートな仲間内でも
    かなり知られている!
    当然それを知っているはずの
    山形の俳優兼ミュージシャンである龍巳
    通称「たっちゃん」
    私の電話を鳴らしている!
    これは何事かと電話に出てみる事にした!

    「なに?どうしたの?」
    「今おうちの下にいるんですけど。」
    「わかった。」

    かのアポロ11号船長
    ニール・アームストロングの名言を引用すれば
    「世間にすれば一瞬の電話だが
     後藤ひろひとにすれば記録的な長電話」
    だった!

    玄関を出るとそこには
    薄汚れた和歌山産ポンカンの箱を抱えて
    たっちゃんが寒そうに足踏みをしていた!
    聞けば数ヶ月前の事!
    たっちゃんは私の母「のーちゃん」から
    我が家の物置の整理を依頼されたらしく
    多くの不用品を廃棄場に運んでくれたそうなのだが
    その中に
    捨てるべきではないと思われる箱があったので
    私が山形に帰るまで保存しておいてくれたと言うのだ!
    たっちゃんは遺品整理士の資格を有しておるそうで
    「恐らくこれはお祖父様である
     後藤嘉一(かいち)さんが遺した
     貴重な物だと思うんです!」
    とポンカンの箱を私に手渡して去って行った!

    箱に関して特に謎はない!
    和歌山産のポンカンの箱という事は
    先日、和歌山県紀の川市フルーツ大使に選ばれた
    うちのカミさんの実家からの贈り物だったのだろう!

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    かなりほこりをかぶった箱を部屋に持ち込み
    そーっと開けてみるとそこには・・・
    古い切手やら絵葉書やらスライドやら何かの切符やら!

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    嘉一宛の年賀状の束なども入っていたので
    間違いなく祖父、嘉一の遺物だった!
    しかしよく見ると
    嘉一の死亡記事が載った1990年の山形新聞も収められていた!
    さすがにこれは本人にはできない事だ!
    恐らく父「ごんぼちゃん」
    あれこれまとめて箱に入れた物だったのだろう!
    当時の新聞だからか?
    面白いほどがっつり実家の住所が記載されていた!
    なのでそこは消しておいた!

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    たっちゃんが言った通り
    それは嘉一が遺した物である事に間違いないが
    ”貴重な物”ではないと直感的に推測できた!
    かつては山形新聞の記者として活躍し
    山形公民館長として山形に立ち寄った山下清を迎え
    孫と同業の戯曲作家としても活動し
    郷土史研究家として世を去った嘉一が
    本気で集めた文化的資料は
    こんなレベルの物ではない事を
    遺族である私はよく知っている!
    遺品の多くは山形県や山形市のしかるべき機関に
    父ごんぼちゃんが寄贈したと聞いている!
    なのでこの粗末なポンカン箱の中身は
    言ってしまえば”嘉一のかけら”に過ぎない!
    私はこのどうでもいいポンカン箱に
    「嘉一ボックス」と名付けた次第である!

    さてこの嘉一ボックスをどうしましょうか?
    正直言って私にはどうする事もできない物ばかりだった!

    私はその前日に村山市民会館楽屋でお会いした
    山形大学の小幡圭祐准教授の事を思い出した!
    そう言えば彼は
    「かつての文化や風情を知るための資料として
     古い絵葉書などをよく購入するんです!」
    といった事を話していた!
    そもそも古い絨毯や戸板などと共に捨てるはずだった
    そんな嘉一ボックスだ!
    もし小幡氏が欲しいと言ってくれるような物が
    ただの1つでもあれば
    是非もらってもらおうじゃないか!
    そう思い
    先ほど掲載した写真を小幡氏にE-Mail送信した!

    「昨晩お話しした祖父、後藤嘉一が
     死後30年以上を経て
     今朝になってこんな箱を私に送って来ましたよ!
     もし欲しい物でもあればどれでも差し上げます!
     大学の研究室まで運びましょうか?」

    軽い気持ちの一通のメールだった!
    ところがだ!
    小幡氏からの返事はただならぬ物だった!
    先ほどの写真を見ただけで
    小幡氏には大変な発見があったようなのだ!
    恐らくは冷静沈着なキャラクターであろうはずの彼が
    私と同じように感嘆符を句点に用いた文体で返信して来た!

    「とても貴重な物ばかりのようです!
     ぜひ拝見させて下さい!」

    特に小幡氏の目に留まった物は
    写真中央左にあるハトロン紙に包まれた何かの切符だった!
    どうやらこの切符は
    小幡氏も資料集で写真を見た事があるだけの
    昭和2年に山形市主催で開かれた
    「全国産業博覧会」の切符だと言うのだ!
    ・・・ん?
    待て待て!
    その名前はどこかで聞いたぞ?
    あれ?

    そう!

    小幡准教授の新説(恐らくは真説)によれば
    オットセイのブロニー君は
    大火のあった明治44年の千歳公園植木市ではなく
    没年として墓石に彫られた昭和2年に開催されたイベントで
    石を14個飲み込み命を落としたとされている!
    そのイベントこそが!
    なんとそのイベントこそが!
    なんとなんとそのイベントこそが!
    全国産業博覧会なのだ!
    嘉一ボックスにはその切符が入っている!
    ここに来て
    オットセイのブロニー君と
    祖父である後藤嘉一の関係性が浮上してきた!
    なにしろ嘉一はブロニー君を見ていたかもしれないのだ!
    なにかとお騒がせな1頭のオットセイは
    後藤家の歴史の中に潜り込もうとしていた!

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    数日後のものすごく寒い日だった!
    どれぐらい寒かったかと言うと
    かつて来日したジェームズ・キャメロン監督が
    ここの湯につかった時に
    溶鉱炉で自らを溶かすという
    『ターミネーター2』のエンディングを思いついた!
    という都市伝説があってもいいかもしれないほどお湯が熱い
    青田健康ランドにこんな張り紙がされていたほどだ!

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    温泉をも凍らせる大寒波の中
    私は嘉一ボックスを持参して
    山形大学へと向かった!
    今は無き大阪外国語大学を中退した私は
    その不勉強さが故に
    大学の研究室という場所に入ると猛烈に緊張する!
    しかし小幡准教授の研究室に案内されると
    いきなりこんな感じだった!

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    自画像を描いてそれをフィギュア化し
    自分の研究室入り口に飾る!
    安心した!
    彼は感性的にも常識的にも私に近い人物だ!
    しかもよく見れば自画像フィギュアの横に寝転んでいるのは
    私の作品の登場人物「ガマ王子」に違いなかった!
    さらに
    「こちらもどうぞ!」
    と部屋の奥に案内されると
    本棚がこんな事になっているではないか!

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    3段全てが私に関する物ばかりで埋め尽くされている!
    悪名高い伝説の「ワースト・ジグゾーパズル」もあるし
    『ベントラー・ベントラー・ベントラー』の
    トレーディングカードなんかもある!
    さらには中段一番右にあるガマ王子の金色のやつなどは
    私も見た事がない超レアアイテムだ!
    なんだこの小幡准教授という人物は!
    次に行く時にはもっと珍しい物を持参して
    コレクションを増やしてあげようと思う!

    さて!
    嘉一ボックス開封の儀が粛々と始まった!
    研究棟1階にある山形大学博物館から
    佐藤琴准教授も上がって来てくれて
    なかなかに真剣な空気の中で執り行われた!
    なにかを取り上げて
    なにかを開いて
    なにかを読んだりするたびに
    2人は「おー!」と言ったが
    私には何の事やらわからなかった!
    なにしろ祖父嘉一には
    すごい人達から年賀状が届いていたようだ!
    その中で私が知っている名前は
    国際司法裁判所所長の安達峰一郎ぐらいだった!
    (後に姉から聞かされたのだが
     志賀直哉から嘉一に来た手紙は
     父ごんぼちゃんがどこかに寄贈したとの事だ!)

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    小箱の中のスライドはかなり新しい物だった!
    写っているのは八木山ベニーランドで
    ♫ヤンヤンヤヤンと遊ぶ
    私の姉”かおちゃん”と兄”よっと”
    祖母(嘉一の妻)と従兄弟だった!

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    さて問題の全国産業博覧会切符だ!
    袋状のハトロン紙から取り出してみると
    とても美しい状態だった!
    保存方法が良かったのか退色も最小限と思われる!
    これは素晴らしい物だ
    と2人の准教授も興奮気味だった!
    しかし!
    これはおかしいぞ!
    綺麗すぎる!
    しかも!
    もぎられていない!

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    もしこの切符で博覧会に入場したのであれば
    半分がちぎられて
    いわゆる”半券”となっていなければいけない!
    しかしこれらの切符は完全な物
    つまりは”未使用切符”だ!
    という事は
    嘉一は全国産業博覧会に行っていない
    という事になってしまうのだろう!
    なんだか・・・
    なんだかとても残念な気分になった!

    しかしここで
    生前の嘉一をあれこれと思い出してみる!
    私にはただの少しも優しくしてくれなかった
    頑固じじいだった!
    なんなら私は彼が嫌いだった!
    確か瑞宝章を受賞した際
    授賞式の出席者名簿というのを見せてもらうと
    加山雄三の名前があった!
    当時小学生だった私は嘉一に
    「若大将のサインもらって来てー!」
    と頼んだが
    「歌手なんかの下手な字をもらうために
     頭など下げられるか!」
    という意味の山形弁で怒鳴りつけられた!
    そんな男が!
    いかに若い頃の話とは言え!
    行ってもいない博覧会の切符をもらって
    それを保存するだろうか?
    私はそれはあり得ないと感じた!

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    (下段中央が嘉一でその左が私)


    私はここに来て
    昭和2年(1927年)の嘉一が一体何をしていたのか
    を調べてみようとインターネット上をさまよった!
    すると山形県のページにある斎藤茂吉賞受賞者名簿の中に
    嘉一の名前を発見した!

    「斉藤茂吉賞受賞者11-20回」

    このページには
    1905年生まれの嘉一が
    1924年から
    満州に渡る1938年まで
    新聞記者だった事が記されている!
    全国産業博覧会が行われたのは1927年!
    そう!
    嘉一は博覧会開催時点で既に山形新聞社の記者だったのだ!
    自分が生まれた小さな町で
    全国的な催しが開かれているのに
    主催地の新聞記者である嘉一が
    博覧会に行っていないと考えるのは不自然だ!
    嘉一はまず間違いなく博覧会を連日取材して回っただろう!
    そして!
    記者証を付けた嘉一が会場を巡るのに
    切符は不要だったはずだ!
    「けど一応切符はお渡ししておくので・・・」
    というのは今もよくある事なのだが
    残された切符を見ると大人用と小児用の2種類がある!
    昭和2年にはまだ嘉一に子供はいない!
    入社3年目の若い新聞記者が
    親戚の子供などを連れて取材に行くだろうか?

    このように消去法で少しずつ可能性を削って行くと
    やはり切符を必要としなかった記者の嘉一が
    大人用も小児用もコレクションとして入手した
    という可能性が際立って高い!
    確たる証拠はないのだが
    後藤家の男子にはみんなそういう癖がある事を
    私の中の遺伝子が知っている!
    なにしろ父、ごんぼちゃんが
    生前私に譲った遺品「ごんぼファイル」がこれだもの!

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    チケットの使用・未使用問題はさて置いても
    嘉一はまず間違いなく全国産業博覧会には行ったはずだ!
    そして博覧会に来ていたサーカス団
    「有田洋行会」のショーも仕事として鑑賞しただろう!
    そこにはきっと
    96年後に我々をここまで振り回す
    オットセイのブロニー君がいたと思われる!
    嘉一はきっとブロニー君に会っている!

    ・・・まぁすべては推測でしかないのだが。

    結局、姉と兄が遊園地で遊ぶスライド以外
    全てを箱ごと山形大学に引き取ってもらった!
    小幡准教授は今後学生達と共に
    一点一点を研究してくれるとの事だ!
    なので嘉一ボックスに関してまた面白い発見があれば
    ぜひ知らせてもらおうと思う!

    そして残念だが
    この話はここまでしか書く事ができない!
    何の結論もないまま
    ストーリーを終えなければならないのは悔しいが
    どうなれば結末が迎えられるかはわかっている!
    きっとどこかに嘉一が新聞記者として撮影した
    ブロニー君の写真があるはずだ!
    私はそれを確信している!
    どこにあるのかを調べよう!
    それは嘉一が勤務した山形新聞社かもしれないし
    既に寄贈してしまったなんらかの公共施設かもしれないし
    私がいつも実家で寝る部屋の本棚の中かもしれない!
    それを探し出せたら!
    それがひとまずエンディングとなるのだろう!

    たまたま小幡准教授から
    「オットセイの古い絵葉書を見つけました!」
    と写真が送られてきた!
    私は嘉一が撮ったこんな写真を探してみたいのだ!

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    ところでこれをお読みの中に
    『パコと魔法の絵本』に登場した
    動物好きのヤクザを覚えている方はおいでだろうか?
    「龍門寺」という名前で
    舞台でも映画でも山内圭哉が演じた役だ!
    次回の『ひろぐ』ではその話を書こうと思う!
    なにしろ小幡准教授に別れを告げて山形大学研究棟を出ると
    驚くほどの大雪が降る大学正門で
    ”龍門寺”が私を待っていたのだ!

    と書き終えて見上げた月がかっこよかったので撮影した!

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    2023年2月26日(日)21:00 書斎「LEVEL 4」ベランダにて!