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  • 岡真理氏:ガザのジェノサイドを黙殺してはならない

    2024-03-27 19:59
    550pt
    マル激!メールマガジン 2024年3月27日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1198回)
    ガザのジェノサイドを黙殺してはならない
    ゲスト:岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
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     ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
     実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
     しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
     にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
     しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
     イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
     元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。
    以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
     まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
     今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
     ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。
    そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
     国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
     国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
     「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
     まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。

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    今週の論点
    ・イスラエルのガザ攻撃は人類史に刻まれるジェノサイドだ
    ・ヨーロッパの戦後処理を押し付けられたパレスチナ
    ・イスラエルを批判しない日本政府
    ・ガザの現状を黙殺することでわれわれが失うもの
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    ■ イスラエルのガザ攻撃は人類史に刻まれるジェノサイドだ
    神保: 今日は2023年3月23日、吉見俊哉先生に相方をしていただきます。世界ではとんでもないことが起きているのにニュースの半分は大谷の通訳の賭博問題で、本当にそんなことで良いのかという思いがありこのテーマを選びました。
    ゲストの方の講演の様子がオンラインで見られるのですが、ガザの状況について黙っているということは加害に等しいということを強く言われていて、この番組でもまだまだ緊急性の認識が甘かったと思い、改めて今ガザで何が起きているのか、なぜそれを放置することがいけないのかについてじっくりと議論していきたいと思います。

     ゲストは早稲田大学文学学術院教授の岡真理さんです。何が起きているのかについて日本では正しく認識しにくい状況にあると思うのですが、日本に伝わっているガザの状況についてどのように評価されていますか。

    岡: ガザで起きていることは21世紀のホロコーストであると考えています。それが起きている時に延々と一人のスポーツ選手の私生活などをトップニュースで報じているということは、ガザで3万人が殺されている事実よりもスポーツ選手の私生活の方が重要なのだというメタメッセージを発しているのだと思います。10月7日以降ガザで起きていることについてホロコースト研究の専門家は、攻撃が始まって1週間も経たない時点で、教科書に載せるような典型的なジェノサイドであると言っています。 
  • 小塩海平氏:いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか

    2024-03-20 20:00
    550pt
    マル激!メールマガジン 2024年3月20日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1197回)
    いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか
    ゲスト:小塩海平氏(東京農業大学国際食料情報学部教授)
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     スギ花粉の飛散がピークを迎える3月上旬から中旬にかけて、日本では花粉症もピークを迎えている。多くの日本人がこの時期になると、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどの症状に苦しんでいる。国民の5割近くを毎年苦しめる花粉症は、もはや日本の国民病といっても過言ではないだろう。
     しかも、パナソニックの試算によると、花粉症による労働力低下の経済的損失の総額は1日あたり約2,340億円にのぼるという。花粉が飛ぶシーズンが約2カ月続くことを考えると、日本では花粉症のせいで毎年10兆円を超える損失が生じていることになる。これは国家予算の約1割にのぼる規模だ。
     花粉症の原因となる植物としてはスギ、ヒノキ、ブタクサなど様々な種類があるが、日本人の花粉症の多くはスギ花粉によるものだ。戦争によって荒れ果てた日本の山林の復興を急いでいた政府や地方自治体は、戦後急増した住宅需要に対応するために植林事業に着手。その多くで成長が早いスギが選ばれたが、この時点ではまさか将来、これが花粉症の温床になるとはまったく考えられていなかった。実際、日本で花粉症が初めて確認されたのは1960年代に入ってからで、一般社会にその言葉が浸透したのは1980年代以降のことだ。
     日本では1950年代から1970年代にかけて毎年30万ヘクタールを超える植林が行われたが、その大半はスギだった。しかし70年代、海外からの安価な輸入建材が入るようになり国産木材の需要が減ると、大量に植えられたスギは、間伐も伐採も行われないまま放置されるようになった。日本のいたるところで細長いスギの木が密生した放置林が散見されるのはこのためだ。
     『花粉症と人類』の著者で、スギ花粉の飛散を抑制するための先駆的な研究を行っている東京農業大学の小塩海平教授は、花粉症とは単に医学的な問題ではなく、自然に対する行き過ぎた働きかけの結果、生態系がバランスを崩し、ある特定の植物が過剰に繁茂した結果生じている社会的、政治・経済的な問題だと指摘する。
    イギリスでは巨大な肉食の需要に応えるために農地開拓、とりわけ牧草地が急増した結果、夏場になるとヘイ・フィーバーと呼ばれる牧草の花粉症が全国的に発生するようになった。アメリカでは、西部開拓に伴い裸地や空き地が増えるとブタクサが繁茂し、深刻な花粉症を招いた。スギ花粉症が全国的に発生する日本の場合は、スギに偏った過度な植林とその後の管理不足が原因だった。このように花粉症は、多分に人災としての側面を持つ。
     林野庁は花粉症の発生源対策として「3つの斧」というものを掲げている。それは「伐採して利用する」、「無花粉スギなどに植え替える」、「花粉を出させない」の3つだ。しかし、日本には現在約440万ヘクタールのスギ林があり、日本の林業従事者は4.4万人なので、1人あたり100ヘクタールのスギを伐採しなければならないことになる。
    ちなみに100メートル四方を意味する1へクタールには約900本のスギが植わっているため、計算上は花粉を出すタイプのスギを全て植え替えるためには軽く見積もっても100年以上の年月が必要になる。しかも、高さが10m以上の木を切るには5万円程度かかるのに対し、それを売っても1本3000円ほどにしかならない。スギを切れば切るほど損失が出ることになる。
    しかもそんな状態だから、林業従事者は年々減少を続け、高齢化も進んでいる。3つの斧のうちの1番目の「伐採して利用する」や2番目の「無花粉スギなどに植え替える」だけでは、とてもではないが今後更に悪化することが予想される花粉症の猛威には到底、太刀打ちできない。
     そこで小塩氏は今、スギを植え替えることなく花粉を出させなくする技術の開発に乗り出した。まだ試験段階ではあるが、既に一定の成果を収めているという。スギの花粉は雄花から発生しているが、特定の物質をスギにかけると雄花が枯れ花粉が作れなくなるという性質を持つことが分かっている。これを利用すれば、スギの木自体を枯らすことなく、花粉の飛散だけを抑え込むことが可能になる。
     小塩氏が色々な薬剤を試す中で、ある日サラダ油を試してみたところ、雄花だけが枯れてとても高い効果が見られた。とは言え、サラダ油を大量に撒けば水質汚染などにつながるので、サラダ油の中のどの成分が効果を上げているかを更に研究したところ、オレイン酸が含まれる分解性のある界面活性剤に行き着いた。小塩氏は天然油脂由来の界面活性剤をスクリーニングしてパルカットというスギ花粉飛散防止薬を開発し、それが2016年には農薬として登録された。オレイン酸は食品だが、大量に散布するためには農薬としての認可を得る必要があったからだ。
     ただしこれをヘリコプターで撒くには膨大な予算が必要で、現在の林野庁の予算ではとてもではないが、実効性のある施策とはならない。年間10兆円は超えようかという経済的損失をもたらしている花粉症に対処するためには、林業を管轄する林野庁だけでなく経産省や厚労省、国交省や、はたまた受験生の負担軽減につながるという理由で文科省までを巻き込んで、省庁横断的に予算を確保すべきだと小塩氏は言う。
     そもそも花粉症とは何なのか、なぜ花粉症は貴族病や文明病と呼ばれるのか、スギ花粉症は環境や生態バランスを置き去りにもっぱら経済成長を追い求めた日本にどのような警告を鳴らしているのかなどについて、小塩海平氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・日本人の4割以上が苦しむ花粉症
    ・密に植えられたスギが悲鳴を上げている
    ・オレイン酸によってスギの雄花だけを枯らす新技術
    ・生態系バランスの崩壊が引き起こした花粉症がわれわれに問うもの
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    ■ 日本人の4割以上が苦しむ花粉症
    神保: 今日は2023年3月15日、東京は現在3月中旬がスギ花粉のピークです。 

    宮台: 僕も花粉症ですが、花粉症にどういう文明史的な問題があるのかということを考えるのは、不思議ですが少し救いになります。

    神保: 花粉症は明らかに自然がSOSを出しているサインとして見なければならないということで、今回の番組は「人類の警鐘としての花粉症」を仮タイトルにしています。

    宮台: 僕たちが自然と共生しようとしていないことから出てくる生存戦略なのでしょうね。

    神保: 花粉症への対応の仕方を考える上で、そもそもこれが何なのかということが分かっていなければ間違った対応をしてしまいます。これだけ皆が花粉症にかかっていて、今はニュースの天気予報でも花粉情報をやるようになっているにもかかわらず、花粉症が何なのかということについての番組はあまり見ません。
    そもそもなぜ花粉症が起きているのか、これをどう考えるべきか、どういうふうに対応すべきなのかといったことです。症状については薬を飲んで抑えるといったことが必要ですが、もっと根本的な解決方法を考える上で、やり方を間違えてしまえば、次の花粉症のようなものが来てしまう可能性があります。 
  • 山下祐介氏:被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために

    2024-03-13 20:00
    550pt
    マル激!メールマガジン 2024年3月13日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1196回)
    被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために
    ゲスト:山下祐介氏(東京都立大学人文社会学部教授)
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     東日本大震災からこの3月で13年が経つが、被災地では今、「復興災害」とも呼ぶべき課題が表面化している。
     確かに、高台移転した土地が整備されたり、津波から町を護るための防潮堤が作られるなど、一見復興は順調に進んでいるかのように見える。また、復興の過程で生活を再建できた人たちも多くいる。しかし、巨額の予算をかけて高台に造られた住宅地にはいまだ空き地が広がり、海を見ることができない巨大な防潮堤は人々から震災前の暮らしを奪っている。
     何より問題なのは、復興計画に被災当事者の思いが込められていないことだ。復興計画の基本方針の中には必ずといっていいほど「被災者の声を聞く」という文言が含まれているが、実際それは形だけで自分たちの意見に耳を傾けてもらえていないと感じる被災者は多い。結果的に、復興計画は失敗だったと語る被災者もいる。
     他の公共事業と同様に、大規模な復興計画は一度動き出したら止めることができない。目の前で進む大規模事業を目の当たりにして、自分たちが復興の過程から排除されたと感じる被災者も多い。
     災害大国の日本では、これからも大規模な災害が続くことが避けられない。当事者を排除しない復興の在り方はどうあるべきかを今、考えておかないと、能登半島地震の復興でも、またその後の災害復興でも、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
     宮城県石巻市雄勝町では、震災前に約4,000人いた住民が1,000人しか戻ってきていない。市の雄勝支所が主導し県が協力に推し進めた高台移転と巨大防潮堤建設という復興の方針に賛同できない住民は、早々に町外に移転せざるを得なかった。津波で18時間漂流した経験を持つ、雄勝町出身の阿部晃成氏は、「震災後に雄勝を離れた人は雄勝町民と見なされなくなり、復興の当事者ではないとされた」と語る。
     巨大防潮堤は国を挙げての復興政策だった。2011年4月に発足した復興構想会議では、逃げる防災・減災という考え方が原則とされたが、同時期に始まった内閣府の中央防災会議での議論は、同じ被害を二度と起こさないためにハード面をどう整備するかが議題となった。安心・安全をどう実現するかが議論の中心となり、ひとびとの暮らしや生業といった話は置き去りになった。
    東京都立大学教授の山下祐介氏は、国策としての巨大防潮堤や高台移転にNOを突きつけることは、津波で甚大な被害を受けた多くの市町村にはとてもできないことだったと言う。そして、それに納得できない被災者がひとたび地域を離れれば、その被災者は復興の当事者と見なされなくなってしまったのだ。
     一方、同じ宮城県でも雄勝町とは異なる経緯を辿った地域もある。気仙沼市本吉町大谷地区も当初は町のシンボルでもあった砂浜を全て埋める巨大防潮堤の計画を示された。津波で多くの犠牲者を出したこの町でも被災者の意見は分かれた。しかし住民たちは、防潮堤に対する賛否をいったん横に置き、まずは住民の意見の尊重と計画の一時停止を求める署名を行った。その後、何度も繰り返し話し合いを続けた末に、最終的には計画変更が実現した。砂浜は守られ、国道をかさ上げして防潮堤を兼ねることで陸側のどこからでも海が見える形となった。
     大谷里海づくり検討委員会の事務局長として当時、住民や行政との調整を中心になって進めた三浦友幸氏は、「行政の当初の計画に対して住民が具体的な対案を出すまでにはかなり時間がかかった」と、行政が提示した復興案に歯向かうことがどれほど大変だったかを語る。
     一口に被災者といっても意見は多様だ。東日本大震災の被災当事者たちは、復興のためにそれぞれにまちづくりの会を作り、議論を重ね、声をあげていた。被災地に入った多くの専門家たちもそれを支援したはずだった。それでも巨額な予算と安全な国土を望む声と復興を急かす世論などに押され、一度動き出した計画は個別の被災者の思いなど受け入れる余地もないまま進んでいった。
     能登半島地震から2カ月が経ち、いまだ1万7,000戸で断水が続く中、一刻も早いインフラ復旧が最優先であることは言うまでもない。しかし、避難が長期化し、住民が物理的にばらばらにならざるを得ない中で、山下氏はこのままでは再び被災者が望む形の復興につながらないことを危惧する。
    さらに山下氏は石川県の復興対策本部が示した「創造的復興」という言葉にも疑問を呈す。復興の過程でこれまであった課題解決も図ろうとするこの考え方の背景には、過疎地は問題だらけなので切り捨てた方が良いといった発想が見て取れると山下氏は指摘する。被災地の人口減少や高齢化と、復興は本来は直接関係ないはずだ。
     東日本大震災の被災当事者のインタビューも含め、能登半島地震の復興では同じことを繰り返さないためには何が必要なのかについて、『限界集落の真実』の著者でもあり過疎地の問題に詳しい東京都立大学教授の山下祐介氏と、ジャーナリストの迫田朋子、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・東日本大震災からの復興はなぜ失敗だったのか
    ・巨大防潮堤と高台移転をめぐる意見の対立-石巻市雄勝町
    ・巨大防潮堤計画を変更し砂浜を守った事例-気仙沼市の大谷海岸
    ・被災当事者の思いを吸い上げた復興を実現するために
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    ■ 東日本大震災からの復興はなぜ失敗だったのか
    迫田: 今日は2023年3月8日、あと3日で東日本大震災から13年になり、高台移転や防潮堤の完成など、復興と呼ばれるものは一応終了したと言われています。しかしこれが本当に被災者が望んだ復興だったのかどうかということは、大いに検証が必要だと思います。元日に起きた能登半島地震の復興を考えていかなくてはならないタイミングで今日は、東日本大震災の教訓をどういうふうに次に繋げていかなければならないのかということを話していきます。

     今日のゲストは東京都立大学人文社会学部教授の山下祐介さんです。山下さんは東日本大震災の後にマル激に出ていただいたことがあり、国主導の復興に疑問を投げかけていました。山下さんの新著『被災者発の復興論』では東日本大震災の復興がどうだったのかということが書かれていて、被災当事者の方も共同執筆されています。能登半島地震ではその教訓を伝えていかなければならないということで、お越しいただきました。
    東日本大震災の時に色々な疑問を投げかけていた立場から、能登半島地震が起きた時のことについてはどのように見ていますか。

    山下: 地震が発生した直後から、全員は救えないという話が出てきましたよね。ずっと災害を見てきた者からすればとんでもないステージに入ってきていて、そんなことをしていたら防災対策、災害対策、復興対策もできないような考え方です。それをしっかり検証しなければなりません。東日本大震災から13年経ち、被災者の方からも復興対策の問題について言葉が発せられるようになりました。もっとはやく言っていたら変わっていたかもしれませんが、13年という重みの中でようやく出てきた言葉がちゃんと伝わるのかどうかが非常に大事だと思います。

    迫田: 被災当事者からしても、災害の全体像が見えるまでには13年の長さがかかったということでしょうか。

    山下: 東日本大震災の復興政策が失敗であるということを、震災から3~4年目の頃に発信したのですが、その時は被災地から、よく言ったという声が寄せられました。しかしそれでも復興は失敗だという声が大きくなる方向にはいきませんでした。10年も経つと復興は失敗だと言っても良いという感じになりましたが、それだけ時間が経つと取り返しがつかないんです。政策は間違えないようにするということが基本だと思うのですが、それがリスクをとっても良いんだという賭けのようなものに転換しているのではないかということを考えていきたいと思います。