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記事 15件
  • ビュロ菊だより 第七号「菊地成孔の一週間」のフォトレポート

    2012-11-28 11:00  
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  • ビュロ菊だより 第七号「菊地成孔の一週間」

    2012-11-28 11:00  
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     「菊地成孔の一週間」第7回〜(笑)からwwwへの自己更新など、何で目指していたのだろうか?と自問しながら、とにかく咳喘息だけは勘弁してほしい11月下旬〜   11月21日(水曜)  「ビュロ菊だより」も2ヶ月目を終えようとしていて、この日記と動画コンテンツの「ポップアナリーゼ」が7回目となり、映画エッセイが3、グルメエッセイが4回を数える事になったが、内容はともかくとしても(とはいえ毎回「ああ面白い。こんなに面白い物が何で10万人に売れないのだろう。おっかしいな〜。うっはははははは〜」とか言って仰け反ったりしている。完全な馬鹿だと言えるだろう)、ポーションの問題が常につきまとう。「多いか、丁度良いか、少ないか、どれが好き?」と問われたとき、正しき人は何と回答し続けてきたのだろうか。グリム童話とか故事とかに答えがありそうだが、どっちも読んだ事が無い(特に故事。名前が名前だけに)。  単に顧客の方からの反応だけを参照するならば、「量が多過ぎて早くも投げ出してます。金を払ってノルマに苦しむのはイヤ」(実際にそれで退会した人がいた・笑)という声と「がっつり満腹で充実です!」という声がどちらも届くので(一番多いのは「内容はもう十分だから、とにかくしっかり休んで加療しろ」というもの・笑)、誰もが気持ちよく通読/再読できる、丁度いいポーションを模索中だ。ただ、料理屋の倅であり、料理屋の毎夜の客である身から言えば「万人にちょうど良いポーション」は存在しない(「もし客全員が早稲田大学の体育会の学生なら、定食屋は悩まないで済む」というビジネス新書があったら買う。理由=旨そうだから)。  どうやらなんだか(まだちゃんと把握していないのだが、決して把握を放棄した訳ではない事は強調したい)、200円ぐらいで各コンテンツを別々に買えるようなのだが、それこそ料理のように複数名でシェアできれば良いのに。と思う。  恋人と二人で買って、どちらかが全部支払い「アタシは日記3日分で良いや。あとあげる」「え?いいの?」「うん。アタシ動画で三輪さんだけ観れれば良いから。写真も要らない。三輪さんが写ってたらそれだけ頂戴」「あそう。じゃあこの映画評、オレ貰うね」「いいよ。岩井俊二のだけくれれば」「OK、じゃあすいませんこのグラスの赤、おかわりください」「アタシも」とかいっちゃって。  とか何とか、いきなり話は変わるが、現在(というか、結構前からずっと)考えているのは、インターネットに接続しないPCもしくは単体のワードプロセッサーを買う事だ。値段はいくらでも良いから、防水のがあったら最高。風呂で原稿を書くというのは人類史上の夢だろう。食事もセックスも、作曲やサックスの練習すら風呂で出来るが、原稿だけが書けない。「スマホで書いてるよ。とっくにあるよ防水」という友人がいっぱいいるのだが、ロクな物を書いていない。人の事は言えないが。  うわあもう既にその日の事を何も書いていないうちにこんなに書いてしまった。早めに引きあげないと。とか言いながら、今日は仕事がてんこもりで、まずは「イントキシケイト」で「峰不二子という女」の山本監督と対談、それが終わって新宿のシネアートに移動(といっても近所に散歩に出るのと同じだが)してホン・サンスの「次の朝は他人」の上映後トークショー、そして「粋な夜電波」の収録、と、5時から始まって、終わったのが3時だった。10時間労働など屁でもない人もいるだろうが、僕個人の平均では――演奏も練習もしないという前提では――多い方だ。  山本監督は才気あふれる女性で、背が高くスタイルが良く、とても奇麗なのだが顔出しNGなのだそうで(フォトレポート参照)、やはり頂点を突く業界というのはヤバいよなあ。と思うばかりである。今はどうか知らないが、菅野よう子さんと良く仕事をしていた頃、ファニーフェイスでかわいらしい彼女も顔出しNGだった。  こっちは本当の顔がどんなだか解らないほど出し放題である。こないだ酉の市に行って、花車を買っていたら、近くで「ねえねえあの人芸能人だよね、芸能人だよね」「名前なんだっけ?菊地」「そうそう菊地なんとかさん」という声が聞こえたかと思うや否や「すみません菊地さん握手してください〜」と言われ、にこやかに(演技ではない。僕は――偶然でありさえすれば。だが――街で声をかけられるのは、友人であれファンの方であれ、同様に好きだ)握手させて頂いたのだが、おそらく彼女達は、僕がテナーサックス奏者で、ブルーノート東京のステージで、67年のウエイン・ショーターのストックフレーズにリアルタイムディレイをかけているとかぜんぜん知らないと思う。勿論全く文句はないし、山本監督とてそうなったら同じだろう。ストリート接触の危険度がアニメとジャズでは全然違うというだけだろう(アニメファンが危険な人物だと言っているのではない。1万円と1000万円では1000万円のが危険だ)。  ホン・サンスについては、トークの中で「毎回必ず同じショットが繰り返されるが、観客は気がつかない(「欲望の曖昧な対象」と同じで、観客が恋愛という狂気と全く同じ状態に陥っているので、短気記憶を失うが故)。もし<途中から気になってしょうがなかった>という人はメールを下さい」といった話をしたら、一通だけ頂戴した。どんな色男にも、落ちない女性はいる。あまりに痛快だったので、若干の短縮と修正を加えた上でご紹介させて頂きたい。 菊地成孔様 こんにちは。昨夜のトークショーで、菊地さんの『次の朝は他人』の解説、拝聴いたしました。 残念ながら『麻雀放浪記』はまだ観たことがなかったのですが、ルイス・ブニュエルの2作品は観たことがあったので、「ああなるほどね。」とふむふむうなずきながら楽しくお話を伺っていました。 そしてトークショーもそろそろ終わりにさしかかっていた頃に、ズームアップ→パンのショットの話をして下さって、もしかしてアレに触れないままトークショー終わっちゃうのかしら、、と危惧していた私はほっとしました。 しかし、ほっとしたのも束の間、菊地さんは、アレが映画が進むうちにまったく気にならなくなってくると!映画を観た人の大半はそう思うのではないかとも!! わたしはアレが映画中、気になって気になってしょうがありませんでした。そして今、映画からだけではなく、菊地さんのコメントも加わって、ダブルで悶々状態に陥ってしまっています。 「このショットうっざ~い!と思っていた方は、メールして下さい」、と菊地さんも仰ってくださったので、早速お言葉に甘えてさせて頂きました。笑 できれば、その辺の話も含めて、菊地さんが直接、ホン・サンス監督とお話されるトークショーがあればいいのに。ないのがとても残念です。 『ユングのサウンドトラック』に解説されている『アバンチュールはパリで』もこの機会にぜひ観ようと思っています。 最近は急に冷え込んできましたので、お体にはくれぐれもお気をつけて。どこかで、またお話を聞けるのを楽しみにしております。    この方には感謝と同時に(1)「麻雀放浪記」を是非見て頂きたい(2)ホン・サンスはゴダールどころではない気難しい嫌な奴でインタビュアがみんな恐れているので、対談なんかとんでもない。でも僕の批評は韓国語に訳して送ってみようと思っている。という2点を添えさせて頂きたいと思う。  あまりに当たり前すぎる事だが「恋愛映画」は恋愛を映画で描いているだけで、観客に実際に恋愛させている訳ではない。所謂「疑似恋愛」は、鰻の匂いを嗅いでいるのとほぼ同じだ(だから「デートで恋愛映画を見る」という事は、鰻を食いながら鰻の香りを嗅がされているのと同じで、食っている鰻の味も、食欲も助長しない上に、必ずおかしな事が起こる)。  要するに、映画で描く事が出来る恋愛の範囲には限界があり、「次の朝は他人」が最大の成果を上げたとき、それは超えられてしまうのだが、それが新しい技法(記述法だが)と、新しいアティテュード(同一性を揺らがせる。ということ)によって構造的になされているのが素晴らしいし、恐ろしいと思う。  帰宅したら3時半だったので、コンビニでカロリーメイトと「一発元気」みたいな名前のゼリー食を買って、部屋に戻るまでに食べてしまう。もし許されるのなら、星付きのメインディッシュも歩きながら喰ってみたい方だ。                                                 11月22日(木) ペン大理論科中等。「テンション」の授業。基本的なコード進行にテンションノートを付与し、調性を拡張する。と、文字や楽譜で書くとチンプンカンプンだが、音を出せば「ああ、あれの事ね」と解る。  ここが大衆音楽教育の特徴である。聴いた事もない、もの凄いことを教えるのではないのだ。言語と似ているようで、微妙に似ていない。  以下「何か前回の日記にも、同じような事が書いてあったぞ」と思われる事必至。なのだが(何せ、同じ事を書くので)、僕の主催するパーテイーのひとつである「モダンジャズ・ディスコティーク」の初回にライブを行ってくれた、ジャズ発の大変に優れたバンド「けもの」のヴォーカルである青羊(あめ)さんと、ベースの織原くんと、エアプレーン・レーベルのベーアと、事務所で打ち合わせをする。  と、ここから先は(なんと)前回の「ものんくる」の記述と一字一句違わないので、お手数だが前回の11月15日分(つまり、きっちり一週間前)をコピペして頂きたい。要するに、来年僕は、「ものんくる」と「けもの」のアルバムを連続でプロデュース/リリースするので、一週間おきで打ち合わせを連続したのである。とにかく繰り返し言うが、誰もが驚く筈だ。ジャズミュージックの可能性に。   終わって歌舞伎町のど真ん中にある「魚心」(寿司屋)でハイボールと寿司をたらふく。ベーアはまたしてもほとんど喰わず、不機嫌そうにハイボールを飲んで煙草をふかしていた(これまた一週間前と全く同じ)。  「魚心」は、むかしラジオで話した「姫セット」のある(今はもう無い)、顧客の99%がホスト/キャバ嬢/準任侠道、もしくは亜種任侠道(いわゆる「半グレ」)/任侠道の人々が占める、紛うかたなき「歌舞伎町の寿司屋」である。ここに青羊さんをお連れする等、花を手折るに等しい悪行なのだが、青羊さんは臨室(個室に通された)のエグイ騒ぎ(一文字も書けない)を、個室と個室をパーテするブラインドシートをめくって、幼稚園児が隣の教室を見つめるようにじっと覗いていた。
     

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  • ビュロ菊だより 第七号 グルメエッセイ第四回

    2012-11-28 00:00  
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    グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」第四回 <人は一生のうちあと何回、香港に行くのだろうか?> 
    2008年11月1日 香港にやってきました。英国返還後に来たのは初めてですが、以前よりも居心地が良いですなあ。ペニンシュラにおります。20年近く前のクリスマスには、家族旅行でここに泊まっておりまして、クリスマスパーティーで宿泊客が全員ラウンジに降りている時に、8ミリビデオを取りに部屋に戻ったところ、パーティー時の客室荒らしと間違えられてホールドアップを食らい、つまり、壁に両手をつかされて背中に銃口を押し当てられるというアレをやられたわけですが、ポケットからルームキーが出てきてもまだ信用してくれなかった香港警察のエグさに感動した憶えがあります(ちゃんとタキシード着ていたのに)。  一泊の予定でしたが、余りの居心地の良さと「唐閣(タンコート)」のアヴァロンと燕の巣の旨さに恍惚としてしまい、どうせジョアンも来ないのだし。と、滞在を週末まで延ばし、持ってきた「記憶喪失学」をペニンシュラ名物「バスルームにある、クラブ並みのBOSEの再生装置」で聴いております。  ルームサーヴィスの焼鴨と焼鳩、四種のフリュイのコンポート(イチジク、洋梨、林檎、パパイヤ)のアソートにシャトー・マルゴー(パヴィオン・ルージュで充分です)を併せています。女優の名になったことでも有名なマルゴーですが、巷間言われるとおり、もしヴァンルージュにファムとオムがあったとしたら、ファムの代表がこれでしょう。  ワタシは女性クラシックバレリーナの、練習用のレオタード姿が好きで、それが焼鴨や焼鳩が好きなことと結びついていると思うのですが(表皮のキャラメリゼがレオタードに見えるのですね)、こうしてマルゴーやフリュイと並べると、何人もの女性達を食べ、そして飲んでいる気分です。  焼鴨を一切れ、白飯の上に載せると、血だるまのバレリーナがシーツの上に横たわっているようである。ガラス張りのバスルームから「アルファヴィル」のワルツが聴こえてきます。これを流しながら肉を喰い、ワインを飲むのは、ちょっと他人と一緒には無理ですね。一人で食べています。ワタシはツインやスイートを一人で使う時に、それがペニンシュラと言わずラブホテルと言わず、必ず恍惚とします。ここまでの欠損感は、他のどんなことでも味わえません。  それにしてもしかし、本土復帰後から11年が過ぎたせいでしょうか、ワタシが前に訪れた時よりも、韓国人が多いような気がします。というか、韓国人しかいません。まるでリトルコリアのようである。しかも、日本人のホストがたくさん歩いている。ホストクラブが香港にここまで進出しているとは知りませんでした。まるで歌舞伎町であります。  本日はペニンシュラホテルの1階にあるジャズクラブ(セルリアンタワーのJZ BRADにそっくり。勿論、ペニンシュラが先ですが)に飛び入りで出演し、そのままレンタカーを借りて九龍島から香港島に車で移動し、香港島にある古いボーリング場でやっている「candy」というパーティーで演奏しましたが、南博さんそっくりのピアノと、水谷浩章さんそっくりなベースがいて、思わず笑ってしまいました。香港島の若者には優れたDJなどもおり、東京からは失われてしまったパーティーの清純な悦びに満ちていました。  ボーリング場の近くにあった「バーミヤン」という名前の広東料理店で、まるで日本のファミリーレストランのような味の麻婆豆腐等を食べて、驚くほど安く、味が痩せた紹興酒をガブ飲みしてしまったので、演奏が終わってすぐに車でハイウエイを飛ばし(関越自動車道にそっくり)、「これではまるで、群馬県の前橋市のようだ、、、、」と呟きながらペニンシュラに戻りました。完全な飲酒運転ですが、ワタシがホールドアップされるのは、どうやらクリスマスの晩だけのようです。  楽曲が「大天使のように」に変わりました。ワタシは育ちが悪く、食い意地が特別に張っているので、デカダンな人々のように、料理を喰い散らかして残す。ということが出来ません。それだけが残念です。舐めたように奇麗になった銀盆とグラス、料理皿の上を、真夜中の大天使が飛びかっています。  東京に帰ったら、ワタシの店の奇麗な男の子たちに、奇麗な美味しいものを食べさせ、奇麗な服を着せ、奇麗な女性に奉仕させるという、日々の務めに戻ります。自分が何のためにこの世に生まれて来たのか、こんな夜は、誰でも考えずにはいられないでしょう。ある種の恍惚感と罪悪感とともに。ですが。  演奏が後半に至り、虹がかかりましたが、それは生まれながらにして夜の闇に消え、しかし香港名物の動かない電飾の光にうっすらと照らされて、巨大な姿を悠然と浮かび上がらせています。 
     2008年11月3日「蝦餃」と書いてこれは「ハーガウ」と読みますが、ご存知エビの蒸し餃子のことです。「福臨門魚翔海鮮酒家(九龍店)」のハーガウはワタシが知る限りに於いて、少なくとも20世紀までは世界で一番旨いハーガウでしたが(海老の身をピンタオ――いわゆる中国包丁――でしっかり叩き潰したものだけを餡にしているので、安っぽい「プリプリ感」等がありません。海老の味のする新種の木の実のような、あるいは、海老の味のする新種の海老のようなものが、葛をたっぷり使った透明な皮の中で、湯気を上げながらじっとしている姿は、見つめるほどに、恥ずかしながら、勃起を禁じ得ません)、21世紀になっても、変わらず世界一のままでした。  とても、小さい声で、「久しぶり。変わらず世界一のままだね」と言いながら、二籠頂きました。中国では昔「一中二件」と言って、飲茶はお茶を1ポットと2種類の点心で済ますと言われたものですが、これは点心が皆、饅頭のように巨大だった頃の言い草で、食い意地が張ったワタシは、過去、この店で一度に27種類食べてしまい、どういう意味が込められているのか全く解らないまま、豪快に笑われたものです(そこが中国人とのつきあいの中での、醍醐味の一つですが)。 「東京の銀座店に良く行くが、ハーガウだけは全くここに敵わないね」と英語で言いますと、「どうせ醤油をつけるから、解りはしない」といったようなことを笑いながら言われました。ワタシは点心には卓上調味料を(余程不味くない限り)使いませんので、少しは認めてくれたのでしょう。シャンパンを併せてくれ。という注文に、ニコラフィアットのグランクリュ・ブラン・ド・ノワール97が出てきたので、軽くゾッとしました。  本当に美味しい中華料理を食べると、日本だと幸福感が溢れますが、香港や中国本土だとそこに恐怖感が加わります。我が新宿御苑にはシェフスがあり、礼華があり、胡月があり、東口には霞月楼があり、最早、香港に行く必要などない。と言われるほどですが、どこまで旨くとも、この「怖さ」は存在しません。  昨日はピットインの香港支店「九龍ピットイン(略称「九ピ」)」に飛び入り出演しました。昨日知り合った、南博さんにそっくりなピアニストと水谷浩章さんにそっくりなベーシストに「明日もセッションしよう」と誘われたのです。演奏が上手くいったので、藤井フミヤ氏にそっくりな店長と、香港水谷さんと3人で朝の7時まで痛飲しまして、彼等は飲茶など喰い飽きているので、イタリアンから始め、最後はソウル・バーでした。  香港水谷さんは床で寝てしまい、香港鈴木店長は笑いっぱなし。マルケの赤を2本と、北アフリカの白を1本と、阿片を数本。とても細くて背の高い女性が膝の上に座り、小さい頃どれだけ日本のアニメを見たか。という話をしだしたので、軽く笑って外に出ようとすると、階段の踊り場で、舌を引き抜くような感じでキスをされました。  ほらやはり恐ろしい。と思いながら十秒間そのままにし、自慢の犬歯(ワタシはこれを使って、鉄線も切ってしまいます)を彼女の舌の上に軽く突き立てて1センチほど滑らすと、彼女は笑いながら離れて「蝦餃を食べたわね」と言いました。  風呂から上がったばかりです。フランク永井さんの訃報がインターネットで届き、香港の夜景に「バターフィールド8」が流れています。湯上がりの女性の肌は、茹でた鶴の肉の臭いがする。と谷崎潤一郎は言いました。本当に素晴らしい。日本人女性の美を言い当てて極北です。たった今ワタシが嗅いでいるのは、とても微かな、茹でたての海老の臭いです。それは全裸の彼女の、尻の辺りから背中まで続き、首筋から中国製の香水の匂いに変わりました。   *    *    *    *    *   世界の武満もノヴェンバー・ステップスとは言ったもので、少なくとも私の仕事(ここでは「ジャズメン一般」の意ではなく、菊地成孔個人に於ける。の意)は、毎年10~11月が多忙のピークになり、それが12月中旬ぐらいまでに一回凪いで、後はクリスマスシーズンに突入。という流れになっています。どういう理由によるものか全く解らないのですが。  これは別コンテンツである「菊地成孔の一週間」にもありますとおり、今年なんてマイコプラズマ肺炎なんかになっちゃったりしてるわけですが、そもそもメルマガを始めたのも、夏からやる予定がドワンゴさんとの絡みで9月になり、それが更にこちらの都合で延びて、気がつけば10月中旬に開始、そうでなくとも忙しいところに持ってきて、一挙に週刊の連載が4つ増えた格好になった結果、免疫が下がっちゃって学童(と益若つばさ氏)が患う病気を。という有様です(微笑)。  というわけで11月というのは私にとってエグイ月でありまして、毎年11月になると狂おしくなって、心身が一種のヒステリーを起こすのですが、ご覧のとおりこのあからさまなフェイク日記は、3年前の11月、あまりに忙しく窒息的になってきた状況下(因に、これ良い状況)でいきなり発想され、書かれたものですけれども、冒頭から「香港が<英国>に返還される」とウインクが書いてありますし、当時のブログフォームに添えられていた写真は「ペニンシュラホテルからの夜景」として、私の部屋から撮影した歌舞伎町の夜景(何度もブログにアップされている類いのもの)や、その時の現場の写真(例えば前半は群馬県の前橋市のボーリング場のそれ)なのでした。  ですからつまり、これがエイプリル・フールならぬ、ノヴェンバー・フールの類いで、忙し過ぎておかしくなり、脳内で勝手に香港旅行に行ってしまったという、読むほうも一体全体どう捉えていいのか解らないものとはいえ、とにかくフェイクであることだけは一見するだに明らかだったはずなのですが、これが何とアップ数時間後から「香港はイギリスには返還されないんですけどwwwwwwwww」とか「本当に美しい旅行記です。私も香港が好きで毎年行っていますが後略」といった、所謂「本気にしてしまった人々」からの反応が結構大量に届き始めまして(焦)、「自分の日記を読んでいる人々は、嫌な感じの人も良い感じの人も共にピュア中心なのだろうか?ひょっとして最初から」と、一瞬壮絶に不安になりながらも気を確かに保ち 「菊地です。これはウソの日記です。証拠は最後にされるキスで、<舌を引っこ抜かれるように>というのは、即ち相手の女性に吸われているわけですが、<犬歯を相手の舌に突き立てる>というのは、舌を挿入されている状態を指し、矛盾します(吸いながら舌は挿入できません)。解りづらく大変失礼しました。勉強し直しますので今後ともご指導度鞭撻の程よろしくお願い致します」  といった丁寧な返事を書いて出すと同時に、「今後少なくとも、ネットでは古典的なフェイクとかブラックユーモアは止めよう。みんな二次創作とか中継とかのやり過ぎで現実感のあり方が自分のそれとは違ってしまっているのだ」と自らを戒め、ブログでのフェイクやVO(ヴァイタル・オーガン=造語。積極的に間違いを書くこと)をだんだんと止めてゆくのですが(私は現在49・5歳で本当に良かったです。もし30だったら、潰乱や韜晦が許されぬ方向に舵が取られてゆく世界の気風に自らの抵抗値が吊り合わずに発狂していたでしょう)、今こうして読み直すと、やはり誰も本気になどしようもないではないか。と思います。  舞台が香港でさえなければ。 
     

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  • ビュロ菊だより 第六号「菊地成孔の一週間」のフォトレポート

    2012-11-24 07:00  
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  • ビュロ菊だより 第六号 菊地成孔の一週間

    2012-11-23 10:00  
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    「菊地成孔の一週間 第六回/(笑)からwwwへの自己更新を再び目指しながら、MIXI日記とどこが違うのか?ちゅうか昔の自分の日記と何が違うのか?というかこれ本当にライブへの導引になるのか?咳のし過ぎで変なとこがマイルスみたいになってしまうのではないか?等々キワキワの自問を不断に繰り返しつつの11月も中旬」 11月14日(水曜) 美学校の高等科の授業。次回でラストなのでラス前という事になるが、2年間で予定していたカリキュラムは何とかこなす事が出来た。あまり大きな声では言えないのだが、ここなら1000人弱しか読者がいないし、課金で読んで下さっている方ばかりなので、結構ヤバい話も出来、、、と思ったら、これいきなり一日目なので、無料で見れるゾーンである事に気づき(笑)、どうしようかなと思いながら書いてしまうが、この仕事を始めて早くも11年目になるが(私塾を入れると16年)、高等終了までの2年間で、自分が組んだカリキュラムが十全に行渡った感があるのは今年がはじめてである。 「良いのかソレでwww」というツッコミが入りそうだが、どうしても物足りない生徒は美学校卒業後に僕の私塾「ペン大」に編入して頂いているので、良い悪いで言えば良いのではあるが、とにかく美学校が、単純にバークリーと比べて4倍圧縮のスピードラーニンである事は確かで、大袈裟に言えば、僕はその事をこの10年間、常に頭の片隅に置いて生きている(一方、ペン大は卒業が無く、バークリー平均の逆4倍の、即ち拡張してゆーっくり進むので、覚えの良い生徒がイライラしたりする)。 終了後すぐTBSに行って「粋な夜電波」収録。水曜の美学校終わりで収録するというのはシーズン1以来で、非常に懐かしい。生だゲストだ交通情報のアナウンサーと絡む(もう絡まないが)だリスナーからのお便りだと、僅か1年半でかなりAMオリエントな番組になっているが、最初は「どうせ誰も聴いちゃいないし、半年で終わる」と思って、何も気にせず好きに無茶苦茶にやっていたのである。そしたら何かの間違いで同時間帯1位になって、(僕を除く)関係者全員がちょっとおかしくなったのである(笑)。 子役の親とかと一緒だ。と書こうとしたが(書いたが)、現代の子役の親は、もっとずっと投機的にレッスンとかに通わせて天才子役を作るので、昔と大分違う。とはいえ行く末は同じで、「将来が無茶苦茶にならない子役」の登場を、僕は結構むかしから待望している。芦田さんがそうなるのではないかと一瞬思いかけたのだが、ちと無理そうである。むしろそれだったらコドモの頃に幼児ポルノをやらされてい(自主規制)。 収録は無事終わったが、咳がなかなか取れない。というか、咳だけ残って重傷化して来た。これが噂の「咳喘息(そのほとんどが、まず風邪をひいて、それが治った後に出るらしい)」なのだろうか。ヤケクソで近所のマクドナルドに行く。 ここは職安通り沿いのサイゼリア(の、早朝4時頃)と並ぶ、激戦地の野営地で、泥土と血にまみれてボロボロになった兵士たちが、片手に口のケチャップを拭うティッシュを握りしめたまま、店内に土嚢の様にうず高く盛られ、うううーとか、あああああああとか呻いている。あまりの凄絶さに、戦場カメラマンと化して写真を撮るが、一枚も掲載出来ない。 (日本で最初のマック、銀座一号店の開店日に並び、ニュース映像に映ってから幾星霜、現在は年間に3〜4回ぐらい、かなり荒れている時にしかマックに行かない僕ではあるが、マクドナルドの名誉の為に書かせて頂くとするならば、地獄の野営地じみているのは、僕が知る限り、ここーー新宿七丁目の信号角――だけである。他は夢の様に美しい、童話と美味しいファストフードの世界が虹と地平線まで一面に広がっていると信じる)。 

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  • ビュロ菊だより 第六号 「TSUTAYAをやっつけろ~日額30円の二本立て批評」第二回

    2012-11-22 05:00  
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    「菊地成孔の<TSUTAYAをやっつけろ!~日額30円の二本立てマッシュアップ批評」第二回
     
    対象作品)
    ・フランス映画『ディーバ』(ジャン=ジャック・ベネックス監督1981年)
    ・日本テレビドラマ『FRIED DRAGON FISH』(岩井俊二監督1996年)
     
     
    <下方倍音列的な名翻案/『ディーバ』から15年後の『FRIED DRAGON FISH』から16年後の日本とフランス>
     
    *予めのお願い、片方あるいは両方を未見の方は、必ず『ディーバ』→『FRIED DRAGON FISH』の順でご覧になってください。
     
     
     
     今回ばかりは全文をフランス語で書いて、ニコ動フロンセーズにアップすべきだったろう。『FRIED DRAGON FISH』のキャスト全員は、我々日本人にとってあまりに現役すぎ、我々の多くは「うっわ懐っかしー」と喜び過ぎるか、あるいは「うっわ懐っかしー」と悲しみ過ぎるかしてしまい、つまり『ディーバ』と『FRIED DRAGON FISH』両者の冷静な比較批評的態度を阻害してしまう可能性が高いからだ。しかし「フランス語で書かれた、日本人による(今年で公開31周年となる)<ディーバ>評」というのも、こうして書いてみるに、かなりゲンナリさせられる産物である。ここはひとつ、韓国語で書いてニコ動てーはみんぐにアップするのが最適格かもしれない。
     
     筆者は浅野忠信氏ともCHARA氏とも若干の知己がある上、先日ほんの挨拶程度ではあるが岩井俊二氏とも知己を持ったばかりで(二回前の日記をご参照いただきたいのだが、更に言えば筆者は岩井氏の作品をこの『FRIED DRAGON FISH』と『ゴーストスープ』しか観ておらず、そして恐らく、岩井氏は筆者の作品を一つも知らず、という一種の膠着状態の中から『ときめきに死す』はもの凄く素晴らしい。という突如の結論で大いに盛り上がったのだった。つまり、予めお断りしておくが、筆者は岩井俊二監督の作品群中の一作として『FRIED DRAGON FISH』を位置づけることが不可能であり、本稿はその限界性に基づいている)、そしてこの本稿は、浅野氏と離婚したCHARA氏が歌手として本格復帰を果たし、活動が安定期に入った。というタイミングで書かれているが、言うまでもなくそうした総ては、あらゆる意味で本稿には関係ない。
     
     むしろ本稿は、前回の<『死刑台のエレベーター』と『死刑台のエレベーター』の比較>と一連を成している。日本映画『死刑台のエレベーター』が、フランス映画『死刑台のエレベーター』の翻案であることは言うまでもないが、『FRIED DRAGON FISH』は『ディーバ』の翻案である。
     
     映画作品(『FRIED DRAGON FISH』はテレビドラマだが、今回は映画作品として扱う)に於ける「翻案」の類語としては「リメイク」等があり、意味的に薄めた準類語としては「換骨奪胎」とか「影響を受けた」とか、「パクリ」とかがある。一方、具体的な音素材までが二次使用され得る音楽作品では、「翻案」の類語/類意は映画作品のそれよりも爆発的に多く「カヴァー」を始め、「マッシュアップ」「リミックス」「サンプリング」「パクリ」等々、枚挙に暇がない。
     
     こうした翻案行為全般に関する筆者の立場を先ず最初に表明しておかなくてはならないだろう。巷間、漠然と「無断の剽窃や盗用」を意味し、「パクリ」と呼ばれて悪行とされる営為は現在、法律上は商工業法に於ける著作権の侵害として法廷で精査され、裁かれるが、倫理上でのそれは裁かれるべきものではなく、批評/評価の対象である(前述のように、映画作品と音楽作品、また、その他の芸術ジャンル総てで、この意味合いに各々若干の違いはあるが、筆者の立場としては、それらは総て概ね同等である)。音楽や小説や映画に、所謂「パクリ」を見つけて、それに倫理的、審美的、構造分析的な評価を下す以前に、反射的に揺るぎない激しい義憤を抱いてしまう。という心性は、インターネットというドラッグ依存の主症状である、幼児的で異様な潔癖性の発動以外の何物でもない。
     
     この件についてやや遡る。詳しくは拙著『アフロ・ディズニー~エイゼンシュタインから「オタク=黒人」まで』にあたっていただけると幸いだが、現在「著作権」と呼ばれる権利の発生は、発生時においては興味深く、また必要性も十分にあった新法であったが、現在では、一義的な悪法とは言わないまでも、既に実質を失ってから数十年を経ている、言わば「準悪法」もしくは「死に法」であると筆者は考える。
     
     とはいえ死に法といえども法は法。といった意味合いにおいて、第一には「『FRIED DRAGON FISH』を『ディーバ』の翻案である」と明言することはためらわれ、第二にはそもそも、映画作品が映画作品を「下方倍音列的(この用語は前述の拙著に詳しく、エイゼンシュタインの論文に依拠する新概念だが、本稿では一切の説明を省く。省くが理解には至ると思われる。故に本稿では『FRIED DRAGON FISH』が『ディーバ』を「下方倍音列的に翻案」していることを、シンプルに「翻案」としている)に翻案」すること自体に歴史的な不全を生じてさせてしまったままである。悪影響として甚大なのは言うまでもなく後者である。
     
     必要上更に遡る。「著作物に関する著作権の発生」は15世紀であり、音楽に対するそれは19世紀である。即ち音楽史に於いては「著作権」の発生はかなり後発であり、作曲の手法の多くは共有されていた。10世紀に於いては、同じ和声進行に、ほぼ同じメロディーが乗っても、歌詞やそのテーマが違えば全く別の楽曲と考えられていた。この痕跡が現代に於いても根強いのは周知の事実である。
     
     しかし映画に対するそれは、ほぼ映画産業の登場から存在していた。つまり、映画と、20世紀音楽というジャンルは、「最初から著作権が発生していた」極めて特殊なジャンルであり、その属性は現在、前述の悪影響によって、「名翻案」とも言える優れた作品の製作可能性に強い抑圧をかけていると言えるだろう。
     
     本稿が掲載されているメディア(ニコニコ動画)に対して、筆者よりも遥かにユーザーリテラシーの高い方々にとって、現在「翻案」は「二次創作」等々と呼ばれ、違法だとは解っているが、楽しくてしょうがないので見つからないうちにどんどんやってしまえといった、言わば中高生に於ける飲酒や喫煙のような、中軽度の背徳メンタリティを基盤としていると予想されるが、これも前述の、インターネット依存による幼児退行症状の一つとも言え、つまり事は二段構えであって、先ず、映画を含む総ての動画と20世紀音楽は、その誕生時から「著作権の侵害」という、翻案可能性への大きな制限がかけられており、20世紀中盤にインターネットが出来てからは更に、別種の大きな制限(「子供の、悪い遊びとしての<二次創作>」しか生じない、学園的な世界の固定化)がかけられている。というふうに言うことが出来るだろう。
     
     恐るべきことに、と言っても過言ではない。現在は遵法である「リメイク(権利に料金を支払い、素材を「原作」として、なるべく忠実に翻案する)」という方法、即ち前回の『死刑台のエレベーター』のやり方に並列/拮抗すべき例としての翻案(「下方倍音列的な翻案」例)作品の中の成功例は、筆者の知る限りこの『FRIED DRAGON FISH』1作しかないのである(「映画化権を買い取った上で、原作を似ても似つかぬようにメチャメチャにする」という、ゴダールがよくやる――そのようにしか出来ない――ような方法は、前者と後者のキメラであるとも、順法闘争だとも言え、死に法である著作権概念の存在、即ち死体の存命という異常によって、現在でも法廷レベルの揉め事が絶えないのは周知の通りである)。
     
     例えば、『FRIED DRAGON FISH』は、まだ一般的浸透も、それによって引き起こされる依存も、それによって引き起こされる世界的な市民の幼児化も、ほとんど空想されていなかった、1996年の「インターネット」(一般家庭にインターネットを爆発的に定着させたとされるウインドウズ95の発売翌年)を、『ディーバ』に於ける「ウォークマン」として共有している。後者には説明を要するかもしれない。言うまでもなく、『ディーバ』には、愛好者の誰もが登場していると信じ込んでいる「ウォークマン」は登場しない。し得ないのである。
     

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  • <ビュロ菊だより>号外No.4

    2012-11-18 07:40  
    53pt


    <ビュロ菊だより>号外No.4

    どうもどうも菊地(IMADA加療中)です。こちら「ビュロ菊だより号外no.4」となります。内容は公式サイト「第三インター速報」と同じなので、ビュロー菊地チャンネル非契約の方は、これだけ買っちゃわない様に気をつけて下さい! 先ずは、ピットイン3デイズにお越し頂いた皆様に心からの感謝を表明させて頂きます。正直ヤバかったでしょう大谷君のラッパーぶりは。え?オマエのがヤバかったって?そんなの余裕〜ゲホゲホゲホゲホ。

     と、肺炎の後遺症というか、さすがに肺炎まで行くと完治までが長時間化する訳ですが、何とか治療しつつ働いております。日々の事に関して、詳しくは、毎度申し訳ない(笑)「奇跡の840円」「メルマガ界のアップルもしくはジャパねっと」と言われている充実のラインナップ、「ビュロー菊地チャンネル」がお届けするメールマガジン「ビュロ菊だより」の「菊地成孔の一週間」でご閲覧ください。自分で言うのもナンですが、全コンテンツが余りにも面白くて面白くて(特に三輪君)、これだけ買ってれば済んでしまいそうなほど(ライブへの導引またしても失敗か)。
    という訳で今回のトピックをどうぞ。 

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  • ビュロ菊だより 第五号 菊地成孔の一週間

    2012-11-17 11:00  
    220pt
    「菊地成孔の一週間」「菊地成孔の一週間/(笑)からwwwへの自己更新は取りあえずおいといて、肺炎後の養生と仕事の両立を目指しながらの一週間+1」11月8日(木曜) 抗生剤(クラヴィット)が無くなったまま3日ほど経ってしまったので医者に行く。どうですかその後は?と言われたので「お陰さまで少しづつ良くなっていると思うんですが、まだ咳も痰も出ますね。肺というか、背中や胸の奥はもう熱さは無いです。だんだん気管支から咽頭に上っている気がします」というと、突如医師が二ヤーっと笑い、僕の左膝をパシンと叩いて「抗生剤、ずっと飲まなきゃダメよ~。切らしちゃダメ〜(満面の笑)」と言った。うわ、ブラックブラザー。と思いたじろいでいると、何か、金属製の尺か戦隊モノの変身キットみたいな、丸くて紫色のパック(「アドエア250ディスカス」というのだが。これは「空気(エア)を加える(アド)」という意味だろう。ジェネリックも含め、日本の薬品の命名は富山の薬売りの時代から現在までいまだに総て駄洒落で、競馬馬のそれと変わらない。いつもいている事だが、もう一度ここでも言うが、一番凄いのは「ドグマチール」だと思う。「ドグマ」が「散る」と、鬱病が治るのである。とにかく(1)誰がやっているか知りたい(2)外国ではどうなのか知りたい) を出して来て、「あなた喘息じゃないんだけどね、これ喘息用のステロイドだから、これ吸って。1日2回」と、いきなりもの凄い真剣な顔で言った。医師というのは全員キチガイだと思う。院名は出さないが、面白いのでマイコプラズマ肺炎治療日記として、病院の対応も全部書いてしまう事にする(僕の日記に欲出てくる「大久保病院」ではない。念のため)。 それにしてもなんと言うか、我ながら律儀というかドラマティックに過ぎるというか、今年はもう大規模なライブは年内2回しか無い。要するに今年の公演のセリエー(例年に比べて、結構激しかった)の掉尾を飾る形でマイコプラズマ肺炎のままサーキットに出て、仕上げにピットイン3デイズをやり、着地したような格好だ。 精神がリラックスしたか、どっと疲労感が出るが良質の物だと思う。取りあえずリハビリ感覚でペン大(私塾)へ。 理論科初等は現在「テンション」に関する中盤に差し掛かっている。テンションは今やテンション・ノート(テンションは緊張/高所といった意味。コードトーンの奇数列――1、2、5、7――を演繹的に高所ーー9、11、13――に積んだ事に由来。「加えると緊張感が増す音」という意味ではない)にと呼ばず「サブ・コード・トーン」とか「アッパー・オッドナンバー」と読んだ方が理解が早いかも知れない。 疲労感とセットになっているのが食欲の昂進で、これに任せてしまうと胃を壊すほど喰ってしまう事が多々あり、慎まなければならない。とはいえ、韓流よりも20年早く職安通りに定着した偉大なる大衆焼肉チェーン「幸永」(今や職安通りだけでも4店舗、、、といっても全盛期は6店舗あった。明らかにやりすぎ)に、突撃するように入店し、僕と同じ体型の、同年輩の人物だったら「狂った様に貪り喰っている」と言う他ないであろう量を注文して全部食べる。 塩サラダ、首子肉(鶏)、ザブトン、下駄カルビ、厚切りカルビ、ライス大盛り1、馬ユッケ、テールスープ、ケジャン、ライス大盛り2。箸休めに青唐辛子のごま油和え。全部喰い終わった瞬間「ああ、腹が減った」と思った。これでもセーブしているのである(精神科対応の、例えば過食症の類いではない。生まれつきである。念のため)。 11月9日(金曜)  久しぶりで完全オフになったので、母親のいる施設に行く。 彼女はもう6年前から僕の事(だけではなく、あらゆる何もかもが)が解らなく成っているし、ここ3年は人語を発していない。自分が生きている、という自覚も恐らく無い。でも生きている。一種の純粋である。 脳挫傷とパーキンソン病と認知症を併発しているのだが、僕同様、体型と関わり無く猛烈に喰うし、僕同様、まったく年齢にそぐわないルックス(もう90近い筈だが、70ぐらいに見える)で、僕同様、手首が細いのにグリップが異様に強い(掴まれると引き込まれて、こっちの足が浮きそうに成る)。そして、死んだ夫の写真を見せた時だけ、自分にまだ感情や言語の、ほんの僅かな、砂粒大の破片のような残滓があることを示す。 「太平洋戦争直後型の夫婦愛」としか言いようのない、凄まじい共依存のかたち。父親は、彼女に三重苦が発症したのを確認するや否や、まったくの無病の状態(もの凄く健康で、血液年齢も内臓年齢も異様に若かった)からガンを発症し、僅か数ヶ月で末期ガンに至り、猛ダッシュして妻を追い抜く様に死んだ。妻はおそらく、だが、夫が生きていると認識している(死んだのは、目の前で確認している)。 愛と呼ぶのを躊躇うぐらいの彼らの猛烈な夫婦愛は、僕に音楽への強烈な依存(文字が書けなく成っても、セックスが出来なく成っても、酒が飲めなく成っても、好きな物が喰えなく成っても、人間関係が総て無くなっても、僕は恐らくなんともない。音楽を聴き、演奏出来なく成ったらニッコリ笑って死ぬ)という、依存の極端な横滑りを与えたと思う。 母の部屋で、母と向かい合って、二人っきりで30分過ごす。「怪獣ブーム」だった頃、公園で遊んでいる僕に、彼女は「ナル坊、テレビに怪獣が出てっぞ。見に来なくていいのか?」と伝えに来た。僕が友人の家で車庫の屋根から落ち、頭を割って血だるまになったとき、彼女は僕を抱え上げ、自分の割烹着に僕のおびただしい出血を染み込ませつつ、僕の尻を強く叩き続けて病院まで走った。僕の結婚式の間、彼女はほとんど居眠りをしていた。一度だけライブに来た時「でっけえ音出すなあオメエさん」とだけ言った。父親が亡くなったとき、病院の霊安室で彼女は「いくらテメエの旦那でもよお、死体ってなあ気持ち悪りいなあナル坊よおオメエ。キシシシシ」と、僕の片腕を、両手で掴んだ(物凄い握力で)。恋人の様に。 きっちり30分で立ち上がり「それじゃあねえ、おかあちゃん、また来るわ」と、一応彼女に向かって言い、部屋を出る。かれこれ50回ぐらいこれを繰り返したと思う。 施設を出ようとすると、車椅子に乗った、太った貴婦人(としか言いようの無い老婆)が「あら、有名な俳優さんね。何でこんなところにいるのかしら。やっぱり生で見ると素敵だわ。あらあら、お花を持ってくれば良かった。お花はないのかしら。有名な俳優さんだもの。素敵だわ。すみません。ねえあなた、握手をしてくださらない?いつもテレビで見ていますよ。昔からねえ。見ていますよ」と言ったので「奥様、いつも応援ありがとうございます」と言って握手をし、跪いて手の甲にキスをし、施設を出る。11月10日(土曜) 外に出る用事はないのだが、遅配しているビュロ菊だよりの映画評を書く(追記*この原稿はまたしても遅れに遅れ、毎週水曜の一斉配信は事実上瓦解しつつある。執筆体制、校正体制を改め、次回から水曜一斉配信に戻す)。詳しくはそちらをどうぞ。この機会でないと「死刑台のエレベーター」と「死刑台のエレベーター」を一挙に見る機会など一生無いと思われます。 オバマに決まったようだが、そんなもん何も決まっていないのと同じだ(ロムニー支持という訳ではない。念のため)。とにかくアメリカには変わって貰わないと困るのだが、僕の予想では結構劇的に変わるので、まあとにかく、誰になっても同じだ。オバマは軍を掌握できないし、ヒスパニックから白人だと思われている。それでもとにかく、大統領が誰になっても同じで、アメリカは変わる。 映画評の次回の連載がベネックスの「ディーヴァ」と、先日初対面のご挨拶をさせて頂いた岩井俊二さんの「フライドドラゴンフィッシュ」なので、今のうちに観ておこうと思たのだが、よくある話で、全然違うのを2本借りてきてしまった。ボブ・フォシーの「オールザットジャズ」とウォン・カーウァイの、今のところ最後のアジア映画だが、後者はいつか扱うので詳述しないとして、「オールザットジャズ」は拙著「ユングのサウンドトラック」にあるように、我がオールタイムベストに入っていて、DVDも持っている(レーザーディスクもVHSも持っている)。持っているのに借りてしまった(ロイシャイダーの解説が聴きたくて)。 オールタイムベストである作品についてあれこれ書き始めると止まらなくなるので、思いっきり視点を動かして書くが、僕はアメリカ映画ではこの作品が、欧州ではサーカスを蘇生させたシルク・ドゥ・ソレイユが、そして日本ではピーチジョンが、レオタードやダンスウエア、スイムウエアやアンダーウエア等々を「国家的なエロティシズム」という階級から「フェティシズム」という地下運動へと突き落とした(完全に落とされ切っていないが)3大英雄だと思う。「英雄」と書いたのは、「何がエロいか?」という「エロいか?」という部分の駄洒落、、、、、では勿論無くて(大変失礼。大変)、「何がエロいか?」というのは、人類史上最も激烈な戦闘の歴史だからだ。この作品の有名な「エア・ロティカ」(航空会社「ロティカ」のCM用ダンス)のダンスシーンで欲情しない者は、未だに存在しないだろう。しかし、それは同時に、「どんなにエロいダンスも、ダンスである限り、ヘルシーでアスリーティヴなのだ」という刻印を押した瞬間でもある。 「ブロードウェイ版の8 1/2」と言われ、大変なプライズを持つこの作品だが、現在の目で見ると、随分と能天気でお気楽なオレオレ映画である事が解る(悪い意味では全くない)。かなり長い間、この作品は僕のオブセッションになっており、観るたびに興奮しつつ、錯乱するほど恐ろしかったのだが、今回はリラックスして、笑いながら大いに楽しんだ。普通に感動したのだ。 「自分の娘と愛人がどちらもダンサーで、二人が自分のために、レオタードとシルクハットだけで、目の前で踊ってみせてくれる」という、素晴らしい光景を経験する(ボブ・フォッシーは実際に経験した)可能性が、僕の人生からは完全に無くなったし、と同時に、それは人生で起こりうる、最高の瞬間ではなくなったし、何せ僕は煙草をやめたのである。 この映画は「タバコと覚せい剤(合法)と酒と女と仕事に依存すると、早死にしますよ。でも、良い仕事をすれば末期にはみんなが許してくれますよ。そして死も、楽しい音楽に乗って訪れる可能性があるのです」というだけ(それでけで凄いが)の映画だ。「8 1/2」の、未だに僕を何がなんだか解らなくさせる、ユング的な深遠さには遠く及ばない。 肺炎で体力が奪われると、普段よりブルゴーニュの赤が飲みたくなる事が解った。グルメエッセイと映画評の編集者であるコーラくんを誘って、下高井戸までクタクシーを飛ばす(コーラくんは下高井戸在住)。昔の日記にも何度も出てきたが、下高井戸には、日本のワイン通の聖地が向かい合わせに並んでいる(とうとうどちらも、あの「神の雫」に実名で登場した)。歌舞伎町からタクシー往復で約5000円上乗せになるのだが、まったく高くない。  二つの店は系列店で「蜜月」と「おふろ」という。読者の方で、自分はワインが死ぬほど好きで、それを非常に優秀な和食でやることができ、変な酔い方もせずに、奇麗な客として振る舞う自信がある。という方がいらっしゃって、もしこの2店をご存じなかったら、必ず「おふろ」の方から行ってほしい(菊地のブログに書いてあった。と言って頂いて構わない)。僕に跪いて感謝の言葉が止まらなくなると思う(言うまでもなく、礼には全く及ばないが、あなたが礼を言いたくなる気持ちを押さえられる自信が僕には無い)。 最近ではもう無くなったが、狂愛のファンの方が、トラットリアやビストロでの振る舞いが全く解らないまま、とにかく僕と会う事だけを夢見てブログで紹介した店に行ってしまい、店員に「菊地さん、今日来ませんか」とか「菊地さんっていつ来るんですか?」といい続け、コーヒーだけ飲んで帰る。という痛めの珍事がちょこっと群発した事があって(言うまでもないが飲食店の店員がそんな質問に答える訳が無い)、もうこれではブログでお勧めの店が紹介できないのでは?アイドルでもあるまいし、息苦しいなあと思っていたのだが、やはり伝わる物は伝わる物で、今では「菊地さんのブログを読んできてくださる方は皆さん大変良いお客様ばかりです」と言ってもらえるようになり、嬉しい限りだ(本当に嬉しい)。 以下、様々な意味で書くのはリスキーなのだが、一度だけやや悪質なのがあった。ミクシィの僕のコミュで、ファン同士の飲み会をしようと、店の名前が出た時があり、その店に電話をし、予約をキャンセルした奴がいたのである(勿論、すぐに予約は戻されたが、関係者全員に精神的な汚物はなすり付けられたと思う)。 彼に言いたい。探し出して裁くつもりは全くない。全部許すので、気を楽にしてほしい。本気だ。自分はそんな事をした事が無いから、された時はショックを受けたが、誰かが誰かの事を忌々しく思って、出来心で悪事に及ぶというのは普通の事であって、僕は、まさか僕自身にそんな事が及ぶなどと思ってもいなかった若造だっただけだ。 もし君に頼み事があるとすれば一つだけだ。僕がまだ憎かったり忌々しかったり、怖かったり気持ち悪かったりいけすかないのであれば、面倒をかけて申し訳ないが、二者選択をお願いしたい。僕の事をもっともっと知るか(ただで読める記事だけちらっと読んでも僕の事はほとんど何も解らない。極言すれば、演奏を聴かなければ何も解らないに等しい。その場合、君が忌み嫌っているのは僕ではなく、鏡に映った君自身である)、僕の事は一切忘れてくれ。 「もっと理解してほしい」などとガキのような事は言わない。安いバイクが一台あったとする。それのタイヤ滓だけでそのバイクの事が、誰にでもすっかり解ったような気にさせるように仕向けている恐ろしい組織がいる(勿論、君がバイクに関する達人で、タイヤ滓だけでそのバイクの全貌が解るというのなら話は別だが)悪いのは君でも僕でもない。インターネット(を含めたマスメディア)だ。毎週同じことを言うが、「誰にでも、立派で内実のあるコメントを吐かせている気にさせ、実際にコメントを発する事に依存させる」というのは自我への激しい労働基準法違反でで、人々をヘトヘトにさせてしまう。目的は革命を抑止するためだ。 だからもし君が、世界を変えるためにデモに行くなら、スマホをかざして「ここに情報や呼びかけがある」と言っている限り体制側の思うつぼだ。革命に再放送は無い。体制側を揺さぶりたかったら、デモに行った全員が、自分のスマホを一斉に足で踏みつぶし、その場の回線を切断してから詰め談判に入る事で、これは自爆テロに匹敵する迫撃を体制に与える。 とか何とか、誰にも支持してもらえず、むしろ嫌われ嘲笑される言説を毎度毎度繰り返してしまう訳だが、嘲笑したくばするがいい。「おふろ」の料理(和食)とワインは、僕が知る限り、新宿から片道3000円で行ける圏内の最高峰で、神域にいて雲上に浮遊しているような気分になってしまう。詳しくは写真とキャプションでどうぞ。 

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  • ビュロ菊だより 第五号「菊地成孔の一週間」のフォトレポート

    2012-11-16 22:10  
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  • ビュロ菊だより 第五号 グルメエッセイ第三回

    2012-11-16 21:40  
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     グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」第三回「最初期の奴隷は、自主的に主人の悪徳を軽減させるため、楽しそうに笑った」
     
     2006年10月2日
     
     山中湖に行って、演奏し、日帰りで帰宅しました。雨で非常に寒く、ワタシは踊り狂っているのでホカホカしていたのですが(注*DCPRG/Mt.FUJI CALLING in 山中湖06)、立ちっぱなしのメンバー等は、演奏中にたまらず暖をとりに行く始末(笑)。いつもはクラウドのガキ共の失神の心配をするワタクシですが、本日ばかりは「全員風邪ひいて帰るのではないか。天の定めとはいえ」と心配するような一日でした。
     
     フェスと言えばフードコートで美味しい店を見つけるのが、楽しみの重要な一角を担っていることは言うまでもありません。しかし残念ながらここ最近のワタシの嗅覚(店の前に立って旨いかどうか直観で見定める力)は伊仏料理と和食一般、この数年で鍛えられたアジア料理のみしか働かず、「絶対一番旨い店を見つけたね。俺にはわかる」という確信が得られないまま、なんとなく行列の多い店に並んでしまいます。
     
     本日はトルコ料理店の「豚のバジル炒めライス」とタイ料理店の「チキンカレー(所謂イエローカレー)」をいただきましたが、それは「そこそこ美味しくはあったものの」という程度に留まりました。なんと言っても「この設備と店舗と価格設定だったら、自分のが旨く作れるな」という気持ちが払拭できなかったのは大きいです。
     
     真のグルメは自らは決して料理はしないものですが「自分が作ったほうが旨く作れるな。まったく同じシチュエーションでも」と一瞬でも思ってしまう。というのは、自ら料理するグルメ諸氏にとって一種の構造的な不幸であり、ワタクシも(星付きレストランでさえ)その不幸に日々苛まれておりますけれども、神社の縁日や高速のインターチェンジのように、最初からこれはキッチュやガジェットよ。料理としてマジで評価するのは野暮でっせというハンデが与えられているのならば兎も角、レイブやフェスというのは「ちゃんとフードが旨いんだ」という押し出しがあるだけに、ここはキツいところであります。
     
     フェスにまつわるフードと言えば、インターチェンジでのそれも大変重要でして、今回、面白がってツアーバス借りて全員で移動したのですが、今後インターチェンジというものが、猪瀬直樹先生の尽力によって市場競争という熾烈な激戦状態に参入することは間違いなく、そうした前夜に起こりがちなマヌケな物件と言えばそれっきりなのですが、本日ちょい寄りしたインターチェンジにモスバーガーがどかーんと竚立しているのを発見した際には、キッチュやガジェットをノスタルジーとセットにして大いに嗜むのだという勢力から大ブーイング大会が起こりました。
     
     「インチキなアメリカンドッグはどこに行った!」「味のしないオデンが喰いたい!」「座って喰うのに立ち食いより不味い、あの意味不明のうどんを出せ!」「モスなんかうちから歩いて3分のとこにあるからほぼ毎日行ってんだよ!!」「もういいやそれだったら海鮮かきあげライスバーガー5個!!」といった阿鼻叫喚のなか、一瞬ワタシが妄想したことは「それならばいっそのこと、アメリカのトレーラーハウスみたいな、キッチン付きのワンボックス・カーを開発すれば良いのに」ということでした。そしたらワタシは全員の注文を聞き、ツアーはワタシの料理付きでないと行かない。というメンバーが続出すること間違いなし。神社のお祭りや高校の文化祭にまでモスバーガーが出店するようになったら、いくらワタシが偉大なる統率力を誇るリーダーだとしても、インチキなアメリカンドッグだの、味気ないうどんを求めるメンバーの暴動は止められないでしょう。猪瀬先生の統率力に期待します。
     
     
     
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     06年の記述ですから既に6年も前になります。基本的に、執筆時にインターネットの検索を使わないので、曖昧な記憶という、ある種の甘やかさを頼りに今回も過去を想起するわけですが、この――「非常に牧歌的だった」とするのにやぶさかでない――06年当時、猪瀬先生のインターチェンジ改革(道路公団民営化による、市場競争の開始)などと並び、世間を騒がせていた、田中康夫先生の脱ダムだのなんだかんだの、みーんなひっくるめた「結局どうなったんだよ、あの事やこの事」の山を懐かしく思い出すだに、自分が心理的にどうなるかと言うと、何とびっくりとても癒されるという(笑)、最近の、SNS等によって国政への批判をガチで行う怒れる若者等から見たら、真っ先に糾弾され、殲滅されるべきバブル世代の救いがたいバカさ加減を誇らしく、胸を張って高らかに謳い上げることに些かな躊躇もない私でありますが、「55年体制の終わり(忘れもしない09年)」という、思い出すだにゲラゲラ笑うしかない(当時から私は、あんなもん何の意味もないと思っていましたし、今も思っています。諧謔でもなんでもなく、国民が国政を本当に変えられたら、総ての神はびっくりして地上に落下してくるでしょう。SNSなんてアナタ、餌も餌でして「インターネットの呼びかけで集まったデモ」が世界を変えることは原理的にあり得ません。スマホ片手にデモに向かう彼らにかける言葉は、私のバカ頭をしぼっても「全員が一斉に自分のスマホを踏みつぶしてみせたら国会議員も少しはたじろぐかも」ぐらいしか浮かびません)あの騒ぎの更に3年前、既にフェスの飯は不味く、インターチェンジの飯は旨くなりはじめていたのだなあ。というのが今回の感慨です。
     
     ご存知のとおり、あれから幾星霜「フェスに於けるフード」は、その二つ(そこに行くまでに喰うものと、そこで喰うもの)とも大分変わりました。今やインターチェンジの充実ぶりは、フードのみならずあらゆるサーヴィス同様、目を見張るものがあり、一方、フェスのフードというものは、堕落し切ったとまでは言わないものの、一部の好事家(フェスを完璧で重要なイベントだとしている、極右フェス愛の人々)の皆様にのみ価値が存在する食い物になっている気がします。
     
     文化論や歴史観はめんどくさいですから全部ふっとばしますが(<*追記と宣伝>とはいえ私は「ユリイカ」誌の「B級グルメ特集」に、6000文字に及ぶ寄稿をさせていただきまして、我が国に於ける「洋食」「カフェ飯」「コンビニ食(ちょっと前「ちょい乗せ」と言われていたやつ)」の関係について、「C級グルメ」という虚数概念の提示を基に、かなり丁寧で熱烈な考察を展開しているのですが、どうやら特集の主眼はラーメンやカレーやとんかつを楽しく論じるものだったらしく・笑・ものすごい寒い仕事をしてしまったと反省しきりです。この話に御興味ある方は、是非バックナンバーをあたってください)、私は「フェスのフードが旨い」とするコンセプトは、実際に旨いかどうかとは別に、最初から何か危なっかしいなと思っていました。
     
     というわけで、以下、猪瀬先生の偉業(私は、冷凍麺の発達によって「のびきった不味いうどん」という存在が地上から消えうせたという歴史的事実さえも、猪瀬先生のおかげなので、次の都知事は是非猪瀬先生になっていただきたいと思っている、中世の農民のような情報貧者です)のほうは泣く泣くカットさせていただき、「フェス」に対する、私が見つけた構造的な問題に批判を加えようと思います。
     
     
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