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ビュロ菊だより 第十四号 菊地成孔の一週間
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ビュロ菊だより 第十四号 菊地成孔の一週間

2013-01-23 00:00
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菊地成孔の一週間〜どうやらこれが一番の人気コンテンツのようだと知って驚愕。一番の人気コンテンツは三輪君だと思っていたのに。。。それはともかく、まだ「多過ぎる説」と「丁度良い説」が拮抗するこの日記、「少な過ぎる説」というグルマンは現れないのかこの脆弱な国家に、それにしても大雪はびっくりしましたねー。の1月第3週〜



 

1月14日(月曜)



 

 12時丁度に起きてカーテンを開けると歌舞伎町全体がスキー場に成っていて「やったあ」と、しばし笑う。豪雪に日々苦しんでいる人や、雪の災害で亡くなった方には不謹慎だが、雪が好きである。「もの凄く好き」とはっきり断言出来る。



 

 以下、何を言っても不謹慎だという誹りがあるだろうなと思うのだが(エッセイを書く際に、いちいちクレームに気をつけないといけない。というのは非常に現代的である。昔は何たる事だと嘆いていたが、時代の刻印だから良いと思うに至った)、何故雪の日が好きかと言えば、第三には都市機能が停止するからであり、第二には街全体を覆う雪と氷が美しいからであり、なにより第一には、雪の日は寒くないからである。


 


 東京の「寒さ」がちょっと苦手なのは、生ヌルいからだ。生ヌルさの恩恵もあるし、何せ日本の文化は生ヌルさに端を発し、生ヌルさによって形成された非常にエキゾチックな物で、日本で「この国は生ヌルい」と違和感を感じるとすれば、それは赤道直下の国で「この国は暑い」と違和感を感じるような物だとは重々承知しているのだが、日本の「生ヌル」の中でも「寒さ」が特に苦手だ。なんか「冷え込んだ」とか雅やかな事を言っている日に外を歩いていると気候全体に向かって「オレに言いたいことがあるなら、遠回しにグジグジ言ってないではっきり言えよオラー!」と叫びたくなる。



 

 それが雪の日、しかも大雪の日に成ると、一線を超えて、もう、ぜんぜん寒くなくなる。さきの例えで言えば「はっきりものを言われた感」によって、であろうが、「うん。そうか解った」とばかりに、何やら嬉しいといった感じさえある。



 

 世界中の「寒い国」に行ったが(一番物凄かったのが「ロシアからの寒波が150年ぶりに襲って来た」ときのウィーン。毛皮の帽子を被らないでホテルから一歩外に出た瞬間、脳全体が一瞬で氷結して死ぬかと思い、急いでフロントに戻って巨大なガスストーブの側に立ち、頭に暖気を--浅草寺の線香の煙のようにして--かき集めた)、辛さは全く感じなかった。普段暑い国の音楽ばかり喰っているが(所謂「北欧系」はジャンルを問わずあんまり好みではない。少女時代の「GENIE」を除いて)、モスクワとかストックホルムに住むのが向いてるのかもしれない。げー。



 

 それにしても変な引きが強いというか、「もうこれのイベントは良いんじゃねえの?」という神の采配か、今日は新宿タワーで「峰不二子という女OST」のトーク&握手会だ。「5分間で300枚の予約券が捌けた」と聞いて、有り難い反面、やはり圧倒されてしまった。日頃からアイドル業やアニメ業など、この国の国是であるジャパンクール関連の仕事をしていれば、圧倒される事も無いのだろうが、たまにやるとドカーンと来るのはテレビと一緒だ。



 

 とはいえテレビは生業ではないのでまだ良い、ヘアサロンで「ホリケンって実際どういう人なんですか?」とか聞かれるのは楽しい(答えは「すんげえ良い人」)。しかし何を隠そう音楽は生業であって、生業期間内にドカーンが来ると、反射的に落ち着け落ち着けと自分に言わざるを得ない。



 

 何せ「不二子OST」は、このまま行くと自分の全作品中、批評も売り上げもナンバーワンになる可能性を秘めているのである(嫌だと言っているのではない。我が家は、穀潰しだった兄貴が一夜にして長者番付の1位になって、軽くおかしくなった。というやや珍しい家系であり、そういった動きに過敏に適応しているのである。一般の方には解り辛いだろう)。



 

 ビュロー菊地号こと日産エルグランドは当然走れないし、かといって部屋からタワーまですら歩けない豪雪なので、いつもなら散歩コースである歌舞伎町〜南口を、わざわざ大江戸線を使って移動した。こんなに楽しい事があるか。大江戸線がロンドンやソウルのボックスサイズ(小さめ)であることも何年か振りで思い出した。



 

 自分よりも遥かに電車に乗らない人々(アイドルさん達とか、一般的な有名人の皆さん)は、この「電車久しぶりに乗ったら激ナイス」という感覚はあるのだろうか。サングラスと帽子を着けないと街を歩けない。という人生を選択した人々には全く移入出来ない(批判ではない。畏敬を感じているのである)。



 

 目算だが、50名程の方にご来場頂いた。これをお読みの会員の方の中で、この日の参加券を持っており、カーテンを開けてがっくりした方や、ましてや必死で向かったのに時間に間に合わず苦汁をなめた。という方がいらっしゃったら、第二には「大雪が好きだ」等と言って不謹慎でしたと頭を下げる準備は万端だし、第一には、時折だが大雨だの大雪だのインフルエンザだのを呼んでしまう可能性のあるアーティストなのだとご理解ください、開き直るつもりではありませんが、こちらも大変辛く。と、紛れも無い本心を吐露する準備も万端である。


 


 目算50名の方は、多くが「不二子始まり」の新しいファンの方々で、自分が若い頃はアニメファンというのは(ジュラ紀の話を考古学者としてしているのだという事でご理解頂きたいのだが)愛に溢れすぎたキモい人々で、直接接触など一番危険。といったパブリックイメージリミテッドだったのだが、あれから幾星霜、消費メジャー、カルチャーブルジョワとして、我が国で最も社会性のある、礼儀正しいマスとなっていて、「サイン/握手会」といった物の経験数で言えば、サインする方の自分よりも遥かに経験値が高く、皆さん驚くほど礼儀正しく、ある意味機械的なまでに嫌み無く奇麗に接触行程を終えられるので、何でも頂点に立つジャンルというのは流石だなあ。と思った。ジャズファンやラジオファンのが遥かに危なっかしい。危なっかしくても全く構わないが(ブルーノート名古屋でサイン会をやったら、ワインでベロンベロンになった色っぽい女性が、自分に抱きついて胸や股間を押し付けたり、耳を噛んだりして数分間止めなかった事があったのだが、ニコニコしながらそのままサイン会を続けた。その女性は同行の友人に引きずり倒されて帰ったが、自分もその女性もナイスな気分だったと思う)。



 

 終えてまたしても大江戸線に乗り、事務所でブルータスのインタビューを受ける。例のヒッチコックである。文字数や特集全体の方向性を聞き、どのぐらい使われるかが解ったので、二重売りに成らぬよう「ヒッチコックと音楽」の完全版を、「TSUTAYAをやっつけろ!」の枠で書こうと思う。音楽家を畏れ、嫉妬したのは、有名どころではゴダール、ヒッチコック、そして北野武だが、これは音楽家との「幸福なマリアージュ」(大抵は、「普通のマリアージュ」に留まる)を果たした監督達との比較に寄って、一種のミソジニー論にもなると思う(音楽家と上手くやれなかった監督が女性嫌悪者だというシンプルな話ではない。嫌悪者/恐怖者である方が、対象と上手くつきあえる場合もある)。ヒッチコックと音楽家の関係は、有名なアルマ(糟糠の妻)との関係にそっくりである。お互いに好きで、がんがん一緒に仕事をして、非常に上手くやっているが、冷たい。



 

 23時〜深夜5時でサックスの練習。スタジオの近くにある吉野家で「焼き鳥つくね丼」を食べる(ファストフードに関しては、吉野家、富士そば、を愛用)。ファストフードは大袈裟に言えば町人文化の伝統であり、それをよく解っている吉野家はとても良い。入店から退店まで3分間きっかりである。靴磨きよりも短い。



 

 気がついたら3S揃っている。何事も「気がついたらそうなっていた」がよろしい。「気がついたらそうなっていた」以外、この世に何があるというのだろう。



 


 

1月15日(火曜)
 

 

 ダブセプテットのリハの前に、伊勢丹の銀座アスターでランチをし、ヘアカットに行く。何せとにかく、自分でも驚いているのだが、未だに午前4時か5時に寝て、午前11時に起きる生活が続いている。所謂「午前から午前まで」である。午前11時と言えば、昨年までは下手すれば少し夜更かし(「朝更かし」だが)した日の就寝時間だった。とにかく昼間にいろいろな事が出来る。伊勢丹の中の銀座アスターなんて初めて行った。軽く舞い上がっているのである。



 

 汎用の宴席中華の、特に銀座アスター辺り対するノスタルジーの実にくすぐったい感覚。というかノスタルジーには実体験が元になっているリアル型と、疑似体験が元になっているファンタジー型のミックスだが、銀座アスターに対するのは後者のヴォリュームが高い。子供の頃、銀座アスターに連れて行ってもらった経験。というのは下手したら一度も無い。



 

 ミシュラン星付きのチャイニーズレストラン(今のところ、「フウレイカ」「レイカサイ」以外は総てホテルの中にある)もよく使うが、これは全くノスタルジーとフェテッシュがないという点がある意味異様で、好んでいる(まだ数が少ないせいもあり、コンプした)。



 

 あな嬉し、その名も「アスター麺」という五目そばがあって、とにかく宴席中華の五目そばが好きで好きで、それでラーメン文化に馴染めないのかなと思う程だ。春巻きを前菜に、妙に嬉しくなって、昼間っから杏露酒のロックを飲んでしまう。所謂「昼間からそば屋で熱燗1合」という奴だろう。旨いの何の。チャイナドレスの店員、床の絨毯、壁の水墨画。下手するとスペシャリテのズワイガニ炒飯が昼から3000円近く。コスパ最悪、自分大満足である。



 

 帽子もコートも脱がずに酒も飲み五目そばを喰ったら、すっかり汗ばんでしまい、これまただらしなくて気持ち良い。伊勢丹を出てタクシーを拾い、下北沢のヘアサロン「ZEND」に行く。



 

 チーフの池田さんは自分のステージメイクとヘア(とヘッドスパ)をずっと担当してくださっている人で、もうつきあいは10年近い。美容師と料理人には不良上がりが多く、そこがヘアサロンと料理店が好きな理由の一つなのだが、この日もカットの最中ずっと関東連合の話をして、とても楽しく、癒される。朝青龍がどれだけストリートで悪いかとか、あの関東連合のヘッドがいろんな意味でとんでもない。といった話などなどで(ほとんど書けないが)、二人で時折、思いっきりゲラゲラ笑ったりする。



 

 銀座アスター、ZENDと、腹は一杯だし頭もさっぱりして、物凄い良い気分のままダゼセプテットのリハに向かう。



 

 今回はセットリストからドルフィーの「GW」を削り、「やり過ぎてアンコールが出来ない」というブルーノート1stセットでの定番(2セット制による)を予め抑止すると共に、ジョージラッセルの曲と自分の曲だけに絞る事で、雑味を抜く(ドルフィーが雑味だと言っているのではない。とはいえ「雑味の独特な味わい」というのがドルフィーの楽曲への形容として相応しい事もまた間違いない。エリックドルフィーは雑味の天使であり、雑味の科学者である)。



 

 とはいえ、ラッセルの曲は基本的にクローズタイプ(ソロの長さが無限、という方向性に作られていない)で、自分の曲(「スーザンソンタグ」「GL/JM」)はオープンスタイル(ソロの長さが無限志向)であり、つまり--解りづらいと思うが、あくまで「志向」として--ダブセクステットはオープンバンドで、ダブセプテットはクローズバンドである。しかしやはり自分の曲はアレンジをセプテット用に変えても、5年間演奏し続けた曲なので、プレイがオープン志向になる。現在はまだキメラなのだ。



 

 あと5曲位作曲し、完全なクローズバンドにするか、このままキメラで行くかが、現在このバンドが抱えている構造的な保留で、しかし保留はセクシーであるので、しばらく保留のままにしておこうと思う。



 

 演奏は全く問題ない。本当にみんな素晴らしい。物凄く悩み、試行錯誤の末に辿り着いた最高の人選。とかではない、やりたい音楽が頭の中で成った瞬間にメンバーは決まっている(知己がなくとも)。駒野さんも、オファーして一回ライブに来て貰ったらその場でOKが来たので、すぐにスーツの採寸に入ってもらった。



 

 木村さんが葉山よりも遥か遠く、清水の次郎長の膝元まで越したので、ホテルを用意しようと思ったら、さすがアウトドア派、寝袋を持って来てビュロー菊地事務所に宿泊するという。長沼が温泉旅館の従業員のように、奇麗に風呂や寝床や飲み物の準備をバッチリしていてびっくりした。



 

 坪口も明日は仕事の都合でライブ後飛び出さなくてはいけないという事で、木村さん、坪口と一緒に前打ち上げとして「すしざんまい東新宿店」に行く。ニッカハイボール5杯と、ファストフードのような(というかそもそも、寿司はご存知、日本で最初の都市型ファストフードである)安価で旨く、がつがつ喰わせる料理と寿司で、延々と音楽の話をした。



 

 ほとんど一瞬も別の話--人生の話とか、女性の話とか何とか--に脱線しないので、我ながら音楽バカぶりに呆れる。一日中、おはようからおやすみまで良い気分で終わってしまった。


 
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