• 迷える子羊

    2017-03-27 14:253時間前

    ◇◇迷える子羊(マタイ伝18‐10~14、ルカ伝15‐3~7)◇◇
    【2002年5月23日に作成した<第249回>より】 

    ●あなた方に内に、百匹の羊を持っている者がいたとする。
     その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて
     いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないだろうか
     (ルカ伝15‐4)
    ●これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい
     (マタイ伝18‐10)
    ●これらの小さな者が一人でも滅びることは、
    あなた方の天の父の御心ではない(マタイ伝18‐14)

    神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

    主イエスは自らを【善き羊飼い:救世主】にたとえ、私たち人間を
    「子羊」にたとえて様々な教えを説いてくれました。

    この「たとえ」についてテレビ伝道の奥山牧師は解りやすい説教を
    してくれました。

    多くの動物の中でも、何故「羊」であるかというのは大きな理由が
    あるそうです。

    羊の大きな特性は三つあるそうです。
    ①耳が遠い
    ②目が悪く近眼
    ③帰巣本能がない

    「耳が悪い」とうことは、つまり、「神の声(愛)」に従わずに自分勝手に
    動き回り、挙句の果てに迷子になってしまうことになります。

    「近眼」であることは「目先の現実:この世の利害・損得」にばかり
    心が奪われて高い理想や将来への展望や来世への希望などを抱きにくいことを
    示しているといえるでしょう。

    「帰巣本能がない」という事は、我々が安全な「エデンの園」から追放され
    苛酷な「荒れ野(現実)」をさまよう中で、自力では安全な「エデンの園」に
    帰る事ができず、【善き羊飼い;主イエス】に見つけ出され、導かれる事で
    ようやく【天国】に立ち帰ることができるという示しといえるでしょう。

    ●私は善い羊飼いである。善い羊飼いは、羊のために命を捨てる
     (ヨハネ伝10-11)
    ●私は羊の門である。私を通って入る者は救われ、また出入りし、
     牧草にありつくであろう (ヨハネ伝10‐9)

    最近の残酷な動物虐待事件には「愛の冷却」が起こっている事を痛感します。

    ●多くの人がつまずき、互いに裏切り憎みあい、
     多くの偽預言者が起って、多くの人を惑わし、
     不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう
     (マタイ伝24‐10~12)

    彼等を単なる精神異常者や人生の落伍者として見捨てることは、神の望みでは
    ありません。彼等もまた我々社会の「迷える子羊」であり犠牲者であるからです。

    彼等の多くは世間的には目立たず無関心な対象で孤独であった事が犯行の動機に
    あっていることは明かです。

    マザー・テレサは日本を訪れた時に、日本の孤独な人々を見て哀れに感じたと
    聞きます。インドの物質的飢餓よりも、愛の欠乏感である「精神的飢餓」の方が
    解決困難であり、よほど辛いことだからです。

    ●愛の反対は憎しみでなく、無関心である(マザー・テレサ)

    ドイツの社会事情には感銘を受けました。例えば、学校での銃乱射事件が起きた
    時のドイツのTV報道では、犠牲者を追悼する教会を中心にした盛大なミサが
    行なわれていました。それ以上に驚いた事は、政府機関の建物の国旗が半旗で
    あったことです。

    日本でも、9・11テロ事件の時は半旗であったかもしれませんが、一人の子供が
    起こした傷害事件で政府が半旗にしている光景が報道されるところを見た記憶が
    ありません。

    ドイツ政府は、たった一人の子供が起こした事件を、単なる異常者の事件として
    扱っていない証拠です。国民全体で考えるべきで、まさに有事の重要問題として
    政府が積極的に先頭に立って取り組んでいる決意表明といえるでしょう。

    そして、国旗は権威の象徴として崇め奉る存在ではなくて、国民に身近な存在で
    喜びも悲しみも共に分かち合う国家の【優しさの象徴】であるように映ります。

    小さき弱き者に優しい国家・社会・個人は強要しなくても自然に愛されます。

    最近ドイツでも、動物虐待が多いらしく、動物の権利を尊重する法案も可決した
    報道も紹介されていました。世界ではじめて「社会権」を法律化しただけあって
    弱く無抵抗の動物の権利を守ることにも素早い決断だと思います。

    日本に仕事目的で生活していたドイツ人が、ある日、河川敷を散歩していた時に
    一匹の子犬の死骸が放置されているのを目撃して、ショックを受けたそうです。
    ドイツでは考えられない事だったからです。

    彼はそれまでの仕事を辞めて、捨て犬・捨て猫を保護することを決意するまでに
    なって、今ではテレビで紹介されるような動物保護団体を運営しています。

    さて、孤独で愛に飢えている人々に対して「無関心な日本社会」を改善するには
    どうすれば善いのでしょうか。実はとても効果的な具体的な方法があるのです。

    それは、「見知らぬ人」とでも交わす気軽な挨拶の習慣です。この習慣は、特に
    米国NYマンハッタンに見られる光景だと思います。世界中の民族が集まって、
    各自が夢を追いかけている最もエキサイティングな街であるNYマンハッタンの
    パワーの源は「気軽な挨拶」による連帯感だと私は考えるのです。

    朝起きて、せっかくの一日の始めが不快な気分や不安な気持ちであったとしても
    一度ドアの外に出て、エレベータに乗るだけで、気分を変えさせてくれます。

    エレベータには、初めて出会う見知らぬ隣人が乗っていても、日本でよく見られる
    じっと息を止めてエレベータ・サインを見つめる、あの「沈黙」はありません。

    目が合えば、「ハイ!元気?」。別れ際には「善い一日を」と気楽に声をかけられ
    「君もね」と互いに挨拶を交わすことで、どんなに落ち込んでいても気分は晴れて
    爽快な気持ちに戻っています。

    オフィスの自分のデスクに腰掛けるまでに、通行人やタクシー運転手やビル警備員や
    初めて出会う見知らぬ様々な住人と、繰返し交わす「気楽な挨拶」がお互いを元気に
    させて、リフレッシュさせ、パワー・アップさせてくれるのです。

    同時に、バスの運転手や売店の店員などに金銭を払う時には「ありがとう!」と
    声をかけることも自然に行なえる雰囲気があります。彼等は「善い一日を!」と
    励ましてくれます。「君もね!」

    感謝の言葉を交わし、励ましあえる人間関係を、いつでも気楽に作れてしまう場所が
    NYマンハッタンであり、街全体が夢を理想を目指すコミュニティであると思います。

    ●おのおの自分のことばかりでなく、他人のことを考えなさい(ピりピ書2‐4)

    見知らぬ人同士の「気楽な挨拶」は、ある人にとっては、灰色の世界を、ばら色の
    世界に一変させるような【希望の光】となり、小さな社会的扶助のおかげで、孤独な
    最悪の【どん底】に落ち込む前に助け出されるチャンスが至るところに存在していて
    1匹の【迷える子羊】が99匹の仲間の所に立ち帰れる【愛の導き】となるのです。

    ●人が天から心を授かったのは愛するためにのみである(ボワロー)
    ●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい
     (マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
    ●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝等神が汝等に為し給う如くに
     汝等また人にもその如くせよ(黄金律:マタイ伝7‐12)

    現在の日本政府は様々な経済・景気対策や有事対策で社会改革を目指していますが、
    どうやら1匹の犠牲があっても、99匹の方を守ろうとしているように感じます。
    しかし、たった一人を粗末にすれば、やがて残りの99匹までも犠牲になるという
    教えが【主イエス】の教えであるといえるのではないでしょうか。

    ●目の前の一人を救える者が、世界をも救える(ユダヤの格言)
    ●幸いなことよ、弱っている者に心を配る人は。主は災いの日のその人を
     助け出される(詩篇41‐1)

    見知らぬ隣人に【気楽な挨拶】を交わす事が、実は励ましや慰めや希望や勇気の
    エネルギー源となることは実際に行なってみなければ実感できません。そして、
    この習慣が【信じる心・望む心・愛する心】を自然に育成させてくれるのです。

    ●人に与えるということも、多くの偉大な事柄と同じように、ただ実地の練習を
     通じて学ぶものである。しかし、一旦学んでしまえば、それは人生の最も
     大きな喜びの一つとなる(ヒルティ)
    ●受けるより与えることの方が幸いなり(使徒行伝20‐35)

    皆さんの身近な環境にも、社交儀礼の挨拶でなく、お互いに感謝し励まし合える
    【気楽な挨拶】が導入されることを望んでいます。そうすれば、そこでは互いに
    感謝し励ましあうことで自然にパワー・アップできて前向きに積極的になるので
    各自の【ビジョン:理想・夢・志】を目指せるエキサイティングなNYのように
    なるでしょう。

    ●元気を失うな、勇敢であれ、慰めはしかるべき時に必ず来るであろう(ヒルティ)

    お互いに励まし上手になって、日本社会を元気に復興させようではありませんか。
    皆さんのチャレンジを心より応援しています。

    ●喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書12‐15)
    ●先ず人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)
    ●自分を励ます最上の方法。それは誰かを励まそうと努力することだ
    (マーク・トゥエイン)
    ●やさしい言葉は、たとえ簡単な言葉でもずっとずっと心にこだまする
     (マザー・テレサ)
    ●思いやりのある言葉は 短く簡単なものであっても、その反響は実に無限である
    (マザー・テレサ)
    ●ほめ言葉をもらえれば、それだけで二カ月間幸せに生きられる
     (マーク・トゥエイン)
    ●心の奥底に達してあらゆる病を癒せる音楽、それは暖かい言葉だ(エマーソン)
     
    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    May grace and peace be with your spirit.
    Good luck & God bless you!

    メイル歓迎します!
    cforum@tanaka.name
    田中 聡(さとし) 



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  • 失敗や挑戦に【優しい社会】を目指せ!

    2017-03-26 12:59

    ◇◇失敗や挑戦に【優しい社会】を目指せ!◇◇
    【2005年4月29日に作成した<第372回>より】

    何故ニューヨーク・マンハッタンは世界で一番エキサイティングなのか?

    ●何を与えるかと言うことよりも、大切なのはどう与えるかということだ
    (ゲーテ)
    ●私たち一人びとりは、隣り人の徳を高めるために、
     その益を図って彼らを喜ばすべきである(ロマ書15-2)

    神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!

    今日現在、様々な【苦難】にあっても、【再起・復活】のために、
    【神の愛】が慰め励ましてくれます!
    明日こそ、【ビジョン:理想・夢・志】の実現を目指すために
    【神の愛】が勇気と希望を与えてくれます!
    皆様の心に【神の愛】が宿り、存在を実感できますように
    【主イエス】の御名によって祈ります!アーメン

    私たちの生きている社会には、日々信じられないような、
    驚くばかりの事件や事故が起こり続けています。
    今は、悲惨さや不条理さにだけ心を奪われて【神の愛】を見失わないように
    注意するべき時だと思います。
    対立・分裂の【社会の危機】は私たち個人個人が、愛に冷めきった社会が、
    【神の愛】の再生・復活には【絶好のチャンス】であることを私は信じます!

    ●見よ、侮る者たちよ、驚け、そして滅び去れ、
     私はあなた方の時代に一つの事をする。
     それは人がどんなに説明して聞かせても
     あなた方のとうてい信じられないような事なのである(ハバクク書1-5)
    ●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。
     我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三)
    ●主は待っていてあなた方に恵みを施される(イザヤ書30‐18)
    ●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中より援(タス)け出し給う
     (詩篇34‐19)
    ●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
     あなた方はそれを知らないのか。確かに私は荒野に道を、荒地に川を設ける
     (イザヤ書43‐9)

    皆さんもご存知の「電車事故」は私たちが造っている社会自体が
    失敗やチャレンジに堅くて厳しいことを示しているように思われます。
    私自身も出来て当たり前と思っている日本の「定刻通り」という常識も
    誰かの犠牲の上に存在した寓話でしかなかったのです。

    一方で、失敗やチャレンジに対して優しく柔軟性がある社会の代表的な街が
    ニューヨーク・マンハッタンであると思います。
    米国は貧富の差が激しく弱肉強食の油断できない社会だと思われがちです。
    しかし、私のわずかな駐在経験でしたが日本には馴染みのの薄い目立たない
    「生活マナー」が社会を柔軟に優しくして、いつも元気で一体感を生んでいる事を
    私は発見し感動しました。

    以前にも紹介したように、エキサイティングで失敗やチャレンジに優しくさせている
    大きなマナーは「あいさつ」という習慣です。
    日本の「あいさつ」は一般的に身内・組織内の目下が目上に、
    身内・安全判断するための形式的・儀礼的なものです。

    一方、米国はいったん部屋を出てから目が合う人と誰でも「ハイ!」と
    気軽に声を掛け合える雰囲気で満ち溢れています。
    アパート(マンション)では同じ階の見知らぬ住人でも、
    エレベータは何メートルも先から、じっと開けて待っていてくれるような
    親切は当たり前で、日本でありがちなエレベータの中の居心地の悪い
    「静寂・沈黙」はありません。

    わずか数分前に出会った人とでも、エレベータを出る時には、
    すっかり心が打ち解けた身内のような雰囲気になっています。
    「今日が素晴らしい一日になりますように!(Have a nice day !)」
    「君(あなた)もね!(You, too !)」

    バスの運転手でもタクシーの運転手とでも、ビルのガードマンでも、店員とでも、
    見知らぬ通りの人でも交わす「あいさつ」は単なる形式的・儀礼的でなく、
    お互いに励ましあうことでチャンレジンする勇気への【原動力】である事に
    気づいたのです!
    部屋を出るまでは内向きで憂鬱で暗くても、外を歩くだけで、私は元気を与えられ、
    私も誰かに元気を与えていることで街全体が教会の中のように、闇を光に変えて、
    善循環に満ち溢れるのです!

    見知らぬ人同士の「気楽な挨拶」は、ある人にとっては、灰色の世界を、
    ばら色の世界に一変させるような【希望の光】となり、小さな社会的扶助のおかげで、
    孤独な最悪の【どん底】に落ち込む前に助け出されるチャンスが
    至るところに存在していて1匹の【迷える子羊】が99匹の仲間の所に
    立ち帰れる【愛の導き】となるのです。

    ●喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書12‐15)
    ●先ず人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)

    アメリカでは「パブリック・公衆」な仕事にある人々、運転手、パーキング従業員、
    警備員などでも、日頃から目が合えば気軽に挨拶する【身近な関係】です。
    彼等の仕事への感謝の気持ちを積極的に表す心とは「与える喜び」から生まれるものです。

    ●受けるよりも与える方が幸いである(使徒行伝20‐35)
    ●与えるということも、多くの偉大な事柄と同じように、
     ただ実地の練習を通じて学ぶものである。しかし、一旦学んでしまえば、
     それは人生の最も大きな喜びの一つとなる(ヒルティ)
    ●何を与えるかというよりも大切なのは、どう与えるかということだ(ゲーテ)

    そしてこの「与える喜び」である【隣人愛】こそが「独り勝ち」せず
    出し惜しみしない「Win・Win」の共存共栄精神を産み出すのだと
    私は思っています。

    ●各自は惜しむ心からではなく、また、強いられてでもなく、
     自ら心で決めた通りになすべきである。
     神は喜んで施す人を愛して下さるのである(コリント後書9‐7)
    ●誰でも自分の益を求めないで、他の人の益を求めるべきである
     (コリント前書10-24)
    ●【黄金律】
     すべて人に為(セ)られんと欲(オモ)うことは、
     神が汝等に為し給うごとくに、
     汝等もまた人にもそのごとくせよ(マタイ伝7‐12)
    ●何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって、
      互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。
     おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。
     キリストイエスにあっていだいているのと同じ思いを、
     あなた方の間でも互いに生かしなさい(ピりピ書2-3~5)

    日本では小・中学生から社会参加させて、販売員などの経験をさせて、
    金を稼ぐことの厳しさを体験させようとしています。
    日本では販売員が「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」と
    大声を上げて敬礼させるような光景が一般的です。
    NYでは店員は必要以上の気配りはしません。
    一方で客の方が「ありがとう(Thank you)」と先に声をかけるのが常識です。

    先日の石原東京都知事の記者会見で興味深いエピソードを聞きました。
    彼にも映画会社に勤めるサラリーマン経験がわずかながらあったらしく、
    その時の新入社員研修で映画館の「チケット売り場」の店員を
    体験させられた時のことです。

    アメリカの映画が上映されていて、アメリカ人の観客も来たそうです。
    日本客と異なり、彼らは「ありがとう!」と声をかけてくれたことが、
    とてもうれしかったそうです。それ以来、今日現在でも、
    映画館では店員に「ありがとう」と声をかけるそうです。

    米国のホームレスは哀れみでなく、先に勝手に車の窓拭きをしたりして、
    成果報酬として堂々と対価の金銭を求めます。
    つまり、必要以上の「へりくだり」を客は店員に求めえることなく、
    かえって【感謝の言葉】をかけることが常識となっています。

    「気配り」は目下(部下)が目上(上司)にするのが日本の常識ですが、
    米国では【主イエス】の【洗足の教え】が浸透しているようです。

    ●それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
     腰にまとった手ぬぐいでふき始められた(ヨハネ伝13-5)
    ●シモン・ペトロのところに来ると、
     ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った
     (ヨハネ伝13-6)
    ●イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、
     再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか」
     (ヨハネ伝13-12)
    ●主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
     あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
     わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、
     模範を示したのである(ヨハネ伝13-14)

    つまり、「富める者、強き者、先にいる者」から
    「貧しき者、弱き者、後にくる者」に対してが基本中の基本であるようです。
    「レディー・ファースト」のマナーも一般的に「弱き」女性を優先するという事から
    生まれたのだと思います。

    さらに、米国は何事にも緊張感を嫌います。「リラックス」を周囲が
    心がけてくれるのもチャレンジには大いに励ましになるのです。
    米国人は誰にでも「あいさつ」してくれるので、陽気で外交的で気さくで
    天性の「社交的性格」だと私も思っていました。

    ところが、そんな米国人に「貴方が恐れることは何ですか?」と質問すると
    上位3番目くらいに「人前で話すことが怖い」といった
    興味深いアンケート結果を聞いたことがあります。

    だからこそ目上・先輩から優先してリラックスさせる事に気を使ってくれるのです。
    無駄な緊張感は失敗を生むだけだからです。
    クリントン大統領が演説でポケットに手を入れて話すのも、
    無礼であると見るのではなく、自分から率先して「リラックス」の態度を
    示すことは謙虚で高慢でない態度であり、かえって聴衆の心もリラックスさせて
    善循環させる効果があるのです。

    どんな分野でも「初めての挑戦」において、失敗するなよ!と緊張させるではなく、
    成功してもらうようにリラックスさせることの方がうまく行くことは、
    米国の成功物語が証明しています。

    初めての面接・会議でも「メルティング・アイス」といって、
    雰囲気を和らげるのは、優秀な上司・先輩の役割です。
    部下・新人に服従を強要したり、緊張させるのは社会全体にとって危険であることを、
    今回の事故で、私たちは改めて知ることになりました。

    ●おのおの自分のことばかりでなく、他人のことを考えなさい(ピりピ書2‐4)

    以前にお話したように、夢を実現させやすいアメリカの特質とは
    【アメリカの良心】にあると私は感じています。それは誰でも時と場合によっては
    「Accidenntal Hiro思いがけないヒーロー」になれる精神風土であり、
    「優しい社会」であるからだと思います。

    以前にも紹介した米国の空港内で起こった私自身のエピソードは
    今でも感動的印象があります。

    私が、待合いロビーで座っていた時に突如、非常ベルがけたたましく鳴り響きました。
    一瞬緊張感が走りましたが、それは誤動作であることは周囲の気配でわかりました。
    しかし、すぐには警備員も駆けつけることなく3分位大きなベルが鳴り響き続けました。
    やがて、大柄な警備員がゆっくりと歩いてやって来ました。
    彼は静かにベルのスイッチを切りました。

    その時です。周囲の一般市民が「スタンディング・オべーション」をしたり
    指笛を吹いたりして、彼に感謝と祝福のエールを贈ったのです。
    男は照れくさそうに笑みを浮かべて、軽く会釈しながらゆっくりと
    立ち去って行きました。彼はその時間違い無く「ヒーロー」でした。
    そして、彼は自分の仕事に喜びと誇りを持ったに違いありません。

    ベルが止み静かになったロビーには、何か感動的で、
    すがすがしい空気に充たされました。

    日本ではあまり考えられない光景だと思います。先ず、3分間も鳴りっぱなしだと
    誰かが係員に苦情を言うでしょう。もし、係員がノソノソ歩いて来たなら
    どうでしょうか。日本だと恐らく、走って来るはずです。
    係員がベルを停めても拍手喝采となるでしょうか。

    係員も苦情を言った人も周囲の市民も、皆不快や不安な気持ちになるだけで、
    そこには勝利者はいないかもしれません。一方、アメリカではどうでしょうか。

    あの日の経験をしてから、あの警備員は注意されなくても、
    彼はもっと迅速にもっと気を配るような警備員になったと私は信じます。
    何故なら、自分が期待していない時に【思いがけないヒーロー】になれたからです。
    彼はもっと多くの人々を喜ばせて自分も喜べる道を目指すはずです。

    ●あなた方が召されたのは、実に自由を得るためである。
     ただ、その自由を肉の働く機会としないで、
     愛をもって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5‐13)

    以前にも紹介しましたが、最後に、私が経験したとても印象深い
    ユーモアある話をさせてください。

    それは、まだNYの道路事情に精通してないままに車を運転していて、
    誤って一方通行の道を逆走してしまった時の事です。
    日本ならば、「気をつけろ!!」とか怒鳴られるところです。

    そんな、おろおろしている私に対して、車の窓を開けて笑顔で叫ぶ人がいました。

    「NYへようこそ!!(Welcome to NY!!)」

    私たちが参加・形成している社会を堅く厳しくするのも、
    優しく活き活きとさせるのも、政治や経済や法制度でもありません。
    私たち個人個人が身近なところから【神の愛】である【優しい思いやり】を
    示し行うだけで【善循環】が始まる!ことを信じましょう!

    ●【最も貴きもの】
     富と糧とに優って貴きものは知識なり
     知識に優って貴きものは道徳なり
     道徳に優って貴きものは信仰なり
     信仰に優って貴きものは愛心なり(内村鑑三)
    ●人が天から心を授かったのは愛するためにのみである(ボワロー)
    ●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい
    (マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
    ●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝等神が汝等に為し給う如くに
     汝等また人にもその如くせよ(黄金律:マタイ伝7‐12)

    皆さんが【神の愛=隣人愛】に満ち溢れさせ、失敗やチャレンジに
    【優しい社会】を造ることに活躍される事を心より応援します!

    ●目の前の一人を救える者が、世界をも救える(ユダヤの格言)
    ●人間の無私の献身によって隣人たちの幸福を生み出したり、それを固めたり、
     または増進したりするためにはたらく時、初めて真の人間、
     つまり神の似姿になり始める。ただ自分のために存在するならば、
     人間とはいったい何であろうか(ヒルシェ)
    ●幸いなことよ、弱っている者に心を配る人は。
     主は災いの日のその人を助け出される(詩篇41‐1)
    ●<誠実の奨励>(内村鑑三)
     すべてのまじめなる企図を助けよ。
     その策の拙なるがためにこれをあざけるなかれ。
     これを導くに奨励の言をもってせよ。
     単に危惧の注意を与えて、その熱心を阻むなかれ。
     もし慰癒の提すべきなくば、口をつぐんで語るなかれ。
     今や批評家と称する、勇心、善行の冷却者多し。
     吾人は彼らの群れを避けて、
     厳格にして慈悲深き奨励者たらんことを努むべきなり
    ●君がもし、それをしなければならないという確固たる信念をもってある事をなす時
     たとえ多数者(大衆)はそれについて違って考えようとも、
     公然とそれをするのにはばかることはない。
     君がもし、正しく行動しないのなら、その行動をこそはばかるべきで、
     もし正しく行動するのなら、君を不当に非難する人々に対して
     何のはばかるところがあろうか (エピクテトス)
    ●いつでもどこでも愛をもって真理の味方をすること、
     これがまことにわれわれの日常の活動的生活の課題である(ヒルティ)

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主に感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    May grace and peace be with your spirit.
    Good luck & God bless you!
     
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    田中 聡(さとし)



  • 【本来】を知って【将来】を見出そう!

    2017-03-25 13:36

    ◇◇【本来】を知って【将来】を見出そう!◇◇
    【2004年7月16日に作成した<第339回>より】 

    ●神はキリスト(愛)を目的に、キリストに在りて、キリストをして、
     宇宙万物を造り給へり(内村鑑三)
    ●【愛】をもって宇宙を造り、宇宙の目的は【愛】、その成りし手段は【愛】、
     その原理と精神は【愛】、宇宙は犠牲によりて成る(内村鑑三)

    神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。

    先日のTV番組で興味深い紹介がありました。日本の国学の創始者である本居宣長が
    日本独自の精神を再発見するためには、日本の「古(いにしえ)の神々」をそのままに
    先ずは信じて受け入れて、【本来】に立ち帰り学び知る事で【将来】も見出せる!と
    日本独自の精神の再生・復興を目指し古学としての国学を提唱したそうです。

    日本の「古事記」には様々な神々は存在しても、残念ながら【御子イエス】の存在は
    (あくまでも今日現在の歴史的研究発表に基づけば)明確に示されていないようです。

    日本の【本来】を「古事記」で終わるのか、その後判明した【御子】に立ち帰るかで
    これからの日本の個人個人にしても日本国にしても【将来】を決定付けると思えます。

    たとえば、科学技術・医学・哲学・法律など様々な分野で人類の進歩に貢献してきた
    イギリス、ドイツ、オランダ、北欧、アメリカなどを構成しているゲルマン民族とは
    当初は明確な文字すら所有しない戦いに明け暮れる「蛮族」であったと聞きます。

    彼らにも原始的な宗教も戒律も信じる神々がありました。しかし【御子イエス】を
    知りませんでした。従って「目には目を!」の報復精神で【武力】こそ力なり!と
    常に強奪と殺戮の繰返しで【平和なき民族】であったそうです。

    紀元4世紀までは文字すら無い「蛮族」に、たった独りの【先駆者】が登場します。
    ウルフィラは百科辞典にも記されていませんが、ドイツやゲーテ研究者では日本を
    代表する小塩節フェリス女学院学長が現代の世界に復活させ解明してくれたのです!

    ウルフィラ自身の母親もまた略奪拉致された奴隷の女性でした。ゴート族の父親は
    文字も持たなかったのに、母親はギリシャ語を話せるキリスト信者だったのです!

    ウルフィラは賢明な母親のおかげで素晴らしい【神の国の平和】を夢見るのです。
    彼にとって【本来】は【御子イエス】によって【神の愛】に立ち帰ることでした。
    彼が望む【将来】は【自由・平等・寛容・博愛】の【キリスト精神】に根ざした
    【神の国の平和】の実現となったのです。そんな彼に【チャンス】が到来します。

    ローマ帝国とフン族とにはさまれていたゴート人や他のゲルマン民族にとっては
    意思・命令を正確に伝える文字がないために行政面でも軍備面でも情報の伝達が
    徹底しないことを理解した族長は、独自の文字開発の必要を痛感するのです。

    【キリスト精神】にある優秀なウルフィラが抜擢されます。彼が思いついたのは
    先ずはギリシャ語で書かれた【聖書】の翻訳するために、新たな「ゴート語」を
    産み出すのです。

    現在私たちが一般的に理解しているヨーロッパ世界の【神】である【God】を
    始めて定義してくれたのは、驚くべき事に名も無き奴隷の子ウルフィラなのです!

    旧約のユダヤ民族がヘブライ語で定義した【神】は【エロヒム:義の神<怒り>】
    新約が普及した当初ギリシャ語で定義した【神】は【テオス:光の神<明るい>】

    しかし、ウルフィラが解釈した【神】は【ゴッド:相談相手<おとうちゃん!>】
    という天の父として頼り甲斐があって、しかもいつでも相談できる身近な存在に
    してくれたのです。それまでの厳格だけでもなく、哲学的で難解な存在でもなく
    世界中の個人・民族も理解できる人格的【神】を定義してくれた【先駆者】です!

    ウルフィラは【聖書】を翻訳するために「ゴート語」の文法や文字を完成させると
    【聖書】を広く伝えるためにと、今度は羊皮紙を活用した「紙」までも開発します。

    族長は【平和】を願うウルフィラの情熱に動かされて、ゲルマン民族全体に言語の
    普及のために【聖書】の福音伝道する司教に任命されます。【神の愛】の奇蹟です!
    しかし、キリスト教布教することは「ローマ帝国のスパイではないか?」と疑われ
    結局はゴート族から迫害され追放されることになります。

    【この世の富・権威・名声】に迫害されても見捨てられず守られた事はウルフィラが
    【神の愛の僕】の証明でした!私たちに勇気と希望を与える【先駆者】に感謝します!

    ●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
     途方にくれても、行き詰まらない
     迫害にあっても、見捨てられない
     倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)

    彼は迫害されても、キリスト信者や迫害される者を受け入れる自給自足の村を作って、
    福音伝道活動を続けたので、ゲルマン民族は【キリスト精神】が【本来の姿】となり
    「のっぺら」の一面化されるどころか、ゲルマン系民族はそれぞれが、個人も民族も
    個性を重視して自分らしさである【独自性・オリジナリティ】を最善発揮できた事は
    現在活躍しているヨーロッパの民族国家の姿を見れば明らかでしょう。

    彼の夢見た【キリスト精神】を実現した【平和の村】は見事に建設されて、彼の死後、
    250年間も平和が守られた驚くべき事実は私たちも目指すべき【将来】だと思います。

    ウルフィラの功績偉業は当時も現代も歴史的には目立たず【小さき存在】だからこそ
    【人間の歴史】に記されずとも【神の愛の歴史】に【金字塔】を打ち建てたました!

    ●人に知られていないようで、認められ
     死にかかっているようで、生きており
     こらしめられているようで、殺されず
     悲しんでいるようで、常に喜んでおり
     貧しいようであるが、多くの人を富ませ
     何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)

    私たち民族はゲルマン民族ほど「蛮族」でもなく歴史的にも宗教的にも豊かである!
    と誇る人は多いと思います。

    本居宣長が【古事記】の神々の記述を受け入れ信じたように【聖書】に従うならば
    【聖書】が伝え描く世界の始めである【本来の姿】とはいかなるものでしょうか。
    【この世】全てが始まる前から、そして【この世】の万物を守り支配しているのは
    【主イエス・御子】であることが明確に示されていることは感動的です!

    ●最初に言葉(道)があった。言葉(道)は神と共にあった。
     言葉(道)は神である。この言葉(道)は初めに神と共にあった。
     全てのものは言葉(道)によってできた。できたもののうち、一つとして
     言葉(道)によらないものはない。
     この言葉(道)に光があった。そして、この命は人の光であった。
     光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった
     (ヨハネ伝1‐1~5)
    ●そして、言葉(道)は肉体となり、私たちの内に宿った。私たちはその栄光を見た。
     それは、父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
     (ヨハネ伝1‐14)
    ●御子(主イエス)は見えない神の形であって、すべての造られたものに先だって
     生まれた方である(コロサイ書1-15)
    ●万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位(王座)も
     主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これら一切のものは
     御子によって造られ、御子のために造られたのである(コロサイ書1-16)
    ●御子は万物よりも先にあり、万物は御子にあって支えられ成り立っている
     (コロサイ書1‐17)

    「始めに言葉ありき」は余りにも有名な記事ですが、この記述の内容については興味深い
    解釈を奥山牧師はTV伝道で紹介してくれました。

    何故「始めに【主イエス・御子】ありき」と最初から説明せず、わざわざ【言葉(道)】と
    紹介したのでしょうか?

    それは新約聖書が最初に記述された当時は、ご存知のように「ギリシャ精神世界」であり
    ギリシャ精神では【ロゴス(理性の言葉)】が【真理】として広く受け入れられていたので
    ギリシャ精神で受け入れられるために【主イエス・御子】の【神性】を【神の言葉】から
    哲学的にも論理立てて紹介したという解釈です。

    内村鑑三は「神と道(主イエス)」との関係を要約するならば次のように説明しています。

     【神】は実在の原理(The First Principle of Existence)
     【神】は在って在るものの中で最も確実なる者
     【道(主イエス)】は道理でもなく、言語でもなく、言語を説明する為の実物でもない
     【道】は少なくとも性格(Personality) を備えた者であって人に似、神に似たる者
     【道】は神を表出するは言語以上、天然以上のものでなくてはならない

    ●御子は神の栄えの光輝、神の本質の真の姿であり、その力ある言葉で万物を
     保っておられる(ヘブル書1-3)
    ●我(主イエス)を見し者は父を見しなり

    いずれにしても【主イエス・御子】は【創造主・天の父】と共に一体的に存在しながら
    【イエスの生涯と教え】を通じれば【神の愛の摂理】を理解する事ができるようになり
    【この世】の始めから存在して、万物を守り育てて【来世・天国】にわたって支配する
    【主イエス・御子】を信じ受け入れるならば、【本来の姿】も世界観も一変します。

    ●神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ
     天上において御自分の右に座せしめた。
     彼をすべての支配、権威、権力、権勢の上に置き、また、この世ばかりでなく
     来るべき世においても唱えられる、あらゆる名の上に置かれたのである
     そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして
     教会に与えられた。この教会はキリストの体であって、すべてのものを
     すべてのもののうちに満たしている方が、満ちみちている場に他ならない
     (エペソ書1‐20~22)

    私たちの【生き方】を決定する【行動規範】も【人生航路】を指し示す【羅針盤】を
    【聖書・福音】に示す【イエスの生涯と教え】に定めて万全である!ことになります。

    どこかにあるかもしれない【主イエス】以外の【真理】を捜し求めれば、疲れ果てて
    絶望的になり厭世的になったり、全身全霊を最善発揮する【チャンス】を失う危険に
    あると思います。【主イエス・御子】を【本来】と受け入れれば、もう安心です!

    ●【神を経験する事の証し(ヒルティ)】
     -精神の安らぎ
     -満ち足りる事
     -真理の渇きが鎮まること
     -精神と内的生命との一種の強化
    ●【神を見ること(内村鑑三)】
     神を見るとは夢幻(マボロシ)の彼を見るということではない
     また神秘的に彼を感ずるということでもない
     神を見るとはイエス・キリストを真(マコト)の神として認むることである

    日本で有名な文学者や芸術家や研究者や政治家などが欧米に修業・見学に出かけた時に
    体験談で共通する事には、日本よりも【精神的自由】があることではないでしょうか。
    それは、「因習・戒律・過去のしがらみ」の呪縛から解放された【自由】だと思います。

    先述のようにヨーロッパ・米国世界は4世紀にウルフィラが立ち上がっても6世紀頃まで
    人間の都合で定めた【因習・律法】に閉じ込められ【真理】が明確でありませんでした。
    【真理】であり自由解放の【恵み】であった【御子・主イエス】を受け入れてからは、
    もはや守りきれない偽善の正義なる【因習・社会規範・世間体】の呪縛から解放されて
    【神の愛】から与えられる【真の自由】を様々の市民革命や宗教改革を戦争分裂などを
    経験しながら実感したから現在にように花開いているのだと私には感じられます。

    ●律法はモーゼによりて与えられ、恩恵と真理とはイエス・キリストを通して来た
     (ヨハネ伝1-17)
    ●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
    ●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
    ●【真の自由(内村鑑三)】
      ◆真の自由は発意である    ⇔ Unconditional(無境遇)
      ◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
      ◆真の自由は善き意志を行う能力である 
    ●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
      何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
      ⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力  
    ●自由とは理想にあらず、境遇にあらず、能力である
    ●Ican do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
    ●他のいかなる自由よりも、先ず第一に良心に従って知り考え信じ、かつ言うことの
     自由を我に与えたまえ(ミルトン)

    どの民族も何故すぐに【御子・主イエス】を受け入れることはできないのでしょうか?
    それこそ私たち全人類が【神の愛】に背を向けてしまった証明であると実感できます。

    人間が【善悪の判断】を持ってしまった【アダムの原罪】によって、世界に散らされて
    各地の天候地形に順応して集団・民族で生活するためには、彼らの【遠い記憶】にある
    【神の愛の摂理】に対応するような厳格な【正義・戒律】が必要だったと思うのです。

    私たちが【神の愛の摂理】で造られ育て守られ生かされている証明であり【神の愛】に
    立ち帰る【チャンス】として人間の【厳格なる正義】の【狭き門】を経験することだと
    実感できるはずです。

    ●厳格なる正義の準備なきところに、キリストの福音の栄えた例(タメシ)はない
      ◆全ての預言者はイエスの先駆者であった
       ⇔預言者なくしてキリストは世にあらわれなかった
      ◆旧約の道徳を排して新約は解らない
      ◆ピューリタン道徳があって、健全な英米キリスト教があり得た
      ◆最も善きキリスト者は厳格な武士の家に起こった(内村鑑三)
    ●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、お前は
     すぐに得ようと欲するのか。主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、
     勇気をしっかり持っていなさい。孤疑せずに、逃げ出さずに、心身を
     いつも変わらず神の栄光へとささげなさい(トマス・ア・ケンピス)
    ●我々が神の国に入って行くには多くの苦難を経なければならない(使徒行伝14‐22)
    ●私は思う。今この時の苦しみは、やがて私たちに現されようとする栄光に比べると
     言うに足りない(ロマ書8‐18)
    ●快適な場所に着くまでにあなたは火と水の中を通り過ぎなければならない
     (トマス・ア・ケンピス:詩篇66-12)

    【この世】の【本来の姿】は【主イエス・御子】によって造られ守り育てられている!
    ことと同時に、たとえ原初の【楽園・エデンの園】とは異なる【呪われた大地】でも
    現在の【この世】は人間が治めるためには【最善】に守られている事を信じましょう!

    ●神その造りたる全てのものを観られて「はなはだ善し!」とされた(創世記1‐31)
    ●天を創造された主、すなわち神であって、また地をも造り成し仕上げて
     これを堅く立て、いたずらに形の無いものに創造されず、人の住みかに
     形造られた主はこう言われる「私は主である。私の他に神はない」
     (イザヤ書45‐18)
    ●神はまた言われた「我々に似るように、我々の形に人を造り、これに海の魚と
     空の鳥と、家畜と、地の全てのものと、地の全てのはう者とを治めさせよう」
     神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神の形に創造され、男と女とに
     創造された(創世記1‐26~27)

    日本人が【本来】に【御子・主イエス】を受け入れれば【将来】は世界中で個人個人が
    大活躍することは、現在でも多くの個人的に活躍している姿を見れば明かだと思います。
    特に、これからは世界に【水と緑と生命】を取戻す【エデンの園復興事業】で活躍する
    ことが日本の得意分野だと私は確信しています。

    たとえば、フィリピンで45年間の長き間、独りから立ち上がって大活躍している紹介を
    TV番組で観て感動しました。

    30代前半まで商社マンで活躍していた45年前当時、フィリピンの木材取引を扱っていて
    不思議に思ったそうです。「何故フィリピン現地の人々はこんなに貧しいのだろう?」
    彼らに質問すると、日本が木材を伐採したままで放置された土地は貧しく枯れてしまい
    農業もできなくなってしまうからだと応えてきたそうです。

    若き【青年の心】を目覚めさせられた商社マンは家族を説得して、フィリピン人の為に
    企業を退職して独立して単身でフィリピンの荒廃した土地の【復活】に挑むのです!

    地元住民ですら絶望的で策を見出せないのに、農業・林業に素人同然の元商社マンに
    何ができるのでしょうか?非常識で愚かな【ドン・キホーテ】でしかありません。

    世間的には愚かで無謀に思われても【神の愛=隣人愛】に動かされた【チャレンジ】や、
    「フィリピンの緑を【復活】させたい!」という高き【ビジョン:理想・夢・志】には
    間違い無く人間の叡智と能力を超えた【神の愛の摂理・神助(プロビデンス)】が働いて
    【現実的不可能】を可能にする!【神の愛の奇蹟】が起きることを信じましょう!

    ●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、
     ただそれを所有して楽しむためには与えられない (ヒルティ)
    ●<神助>(内村鑑三)
    ◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
     ⇔ ★天来の思想
       ★外来の友人
       ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
    ◆汝の事業を助けん。
    ◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
    ◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
    ◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
     汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
    ●賢さで人生を乗りきるのは困難だが、導きによって生きるのは容易である
     (ヒルティ)

    専門的知識・能力と異なる【ミッション:使命・天職】で生まれる【愛好精神】に豊かで
    【レイマン・スピリット(素人根性)】があったおかげで【神の愛】の大発見をするのです!

    ●神を捜し、神を見出せ(トインビー:使徒行伝17‐27)
    ●神は時おり、自然の出来事や自然の事物を通して、私たちに話しかけることもある
     (ヒルティ)

    先ずは、原産のマニラ麻を活用して上質の丈夫な紙を作ることに見事に成功したのです。
    マニラ麻は一株で百年ももつという【天の恵み】でありながら、その活用先を知らずに
    いたのです。今では設計図面の上質紙として世界で認められ使われているほどになり、
    手作業中心の製紙工場は地元の貴重な働き場所として歓迎され【善循環】になりました。

    彼はさらに前進し続けるために、工場を現地に譲渡して、さらなる大発見をしたのです。
    労働を取戻してマニラ麻を植樹の次には緑を【復活】させてくれる【ヒーロー】の木を
    見つけたのです。原産の「イピルイピル」は丈夫で一年に5センチも成長する木であり、
    しかも幹の途中で枝を切っても、また枝が直ぐに生えてくれる便利な木なのです。

    彼の【長期ビジョン】では森を再生させることで水を復活させ同時に農業も発達させる
    【アグリ・フォレストリー】の実現です。

    そこで農薬過剰利用で貧しくなった土地を「農産有機土壌」に復活させるために現地で
    習慣になっていなかった「たい肥(有機物)」を使うように教育指導も始めるのです。
    最後の難関は害虫駆除でした。現地では高価な農薬使用しか知恵がなかったのですが、
    農薬を使えるほど農家は豊かでもないので使うこともできず「悪循環」状態でした。

    ところが、この貧しき大地にも【神の愛】は【天然の恵み】を用意していたのです!
    昔から「ニーム」という原産の木が「蚊よけ薬」に使われていることを知りました。
    そして、安くて天然の安全なニームを害虫駆除に活用することに成功したのです!
    自然に優しい穏やかな殺虫剤は世界で高く評価され「ミラクル・ニーム」と呼ばれて
    「20世紀のギフト」として世界でも大活躍しているのです!

    「自然の力を使えば必ず解決する!永久天然資源を見出せ!」が彼の信条です!

    苦闘の45年間を経た74歳になる現在では、後継者の人材育成に懸命になっています。
    続けて行くこと仲間を増やすことを目的として今も活躍し続ける【同志】がいます!

    私たちが勇気と希望が与えられ、彼の偉業に学べる事は、【本来の姿】や【復活】を
    目指す時には、【自然の力】など【神の愛】で造られた万物はどんな状況にあっても
    常に【最善】に向かって【復活・再生・再起】できる【チャンス】がある!事実です。

    ●The Best is yet to come!(ロングフェロー)
     <最善の時はこれからだ!>
    ●【最善の最後(内村鑑三)】
     信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
     終わりに近づくほど、ますます善くある。
     最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
    ●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
    ●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり
     (内村鑑三)
    ●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目というわけではない。目前の感じに
     よって物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)
    ●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、許されていると
     考えるからである(トマス・ア・ケンピス)
    ●ひとが本当に神を信じ、それが単に口先だけのことでないなら、唯物論的
     世界秩序においては、ただ不可能としか思えない多くの事が当然のことに
     なってくる(ヒルティ)
    ●私たちは善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると
     時が来れば刈取るようになる(ガラテヤ書6‐9)
    ●人にできないことでも、神にはできる
     (マタイ伝19‐26、創世記18‐24、ヨブ記42‐2)
    ●神には何もできないことはない(ルカ伝1‐37)
    ●理想の実現は(不可能と見えるのは)人間の力や制度によるのではない!
     「万軍の主の熱心これ成し給うべし(イザヤ書9-7)」(内村鑑三)
    ●一切の仕事が、神を離れては困難であり、神と共にあれば
     一切が可能である(ヒルティ)

    私たちには【本来】から【将来】まで、死後の【永遠】に通じる【主イエス・御子】が
    いつも一緒で【一心同体】であることを信じましょう!

    ●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、必ず(そこに)イエスを
     見出し得よう(トマス・ア・ケンピス)
    ●視よ、我は世の終わりまで常に汝等と共に在るなり(マタイ伝28‐20)
      ≪With You Always≫
    ●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
     力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの
     主キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことは
     できないのである (ロマ書8‐38~39)
    ●見よ、私が選んだ僕
     私の心にかなう愛する者よ
     私は彼に私の霊を授け
     そして、彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう
     彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない
     彼が正義に勝ちを得させる時まで
     いためられたアシを折ることがなく
     くすぶる燈心を消すこともない
     まことを持って公義をもたらす彼は衰えず、くじけない
     ついには地に公義を打ちたてる
     島々も異邦人も、その教えを待ち望み、彼の名に望みを置くだろう
     (イザヤ書42-1~4、マタイ伝12‐18~21)
    ●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。
     神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う
     (内村鑑三:詩篇139‐7~8)
    ●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
     私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
     たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
     私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます(詩篇139‐7~8)

    皆さんの【本来】と【将来】を定めてくれる【神の愛】として【御子・主イエス】を
    受け入れて、人生で大活躍されることを心より応援しています。

    ●神は我をして我以上の思想を語らしめ、我以上の事をなさしめ給う。
     神に頼る我は小なりといえども、はなはだ大なる者なり(内村鑑三)
    ●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。
     我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三)
    ●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、人を励まし、
     いつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。愛は常に向上を欲して、
     いかなる、いと低い事物によっても引き停められることを望まない
     (トマス・ア・ケンピス)
    ●あなた方の光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなた方の立派な行いを見て、
     あなた方の天の父をあがめるようになるためである(マタイ伝5-16)
    ●すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。
     明らかにされるものはみな、光となるのです。
     それで、こう言われています。
     「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
      そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エペソ書5-13~14)

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主に感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    May grace and peace be with your spirit.
    Good luck & God bless you!
     
    メイル歓迎します!
    cforum@tanaka.name
    田中 聡(さとし)