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  • 【INSIDER No.1239】2024年の主なニュース予定

    2024-01-08 10:57
  • 田中良紹:日本ではなぜ安全保障戦略の転換が国会で議論されずに決まるのか

    2023-01-02 21:03
    岸田内閣は12月10日に臨時国会が終わるのを待っていたかのように「安保3文書」の取りまとめに入り、1週間も経たない16日に敵基地を攻撃する「反撃能力」の保有を含む「安保3文書」を閣議決定、同時に防衛費を増額する財源として「増税」の方針を盛り込んだ税制改革大綱を自公両党が決定した。

     専守防衛に徹してきた戦後の日本にとって、歴史的大転換となる安全保障戦略の変更は、国会の議論を経ずに極めて短期間で決定された。従って国民的議論が巻き起こるはずもなく、しかし世論調査によると国民の半数以上が「反撃能力」の保有を支持している。

    これに対し野党は国会での議論がないまま決定されたことを批判している。しかし年内に「安保3文書」が決定されるスケジュールは野党も分かっていたはずで、自民党の方はスケジュールに合わせ4月27日に党の安全保障調査会が「反撃能力」の保有を岸田内閣に提言していた。

    一方、野党第一党の立憲民主党が「反撃能力」の保有に関する見解をまとめたのは、閣議決定後の12月20日で、「政府方針には賛同できない」としつつも、「政策的な必要性と合理性を満たし、専守防衛に適合するもの」という条件付きで「反撃能力」を認めた。

    仮に野党が閣議決定前に国会で議論すべきと言うのなら、秋の臨時国会で野党の方から論戦を挑むべきだった。しかし野党が臨時国会で追及に力を入れたのは、旧統一教会との関係が指摘された山際前経済再生担当大臣と細田衆議院議長、不適切発言の葉梨前法務大臣、「政治とカネ」が問題視された寺田前総務大臣に対してだけだ。

    細田議長以外の3大臣をクビにし岸田内閣の支持率を下げたことで野党は満足のようだが、それは岸田内閣からすれば、国民の見えるところで安全保障の論議を行うことから目をそらすのに役立った。そのためのいわば囮の役回りを3人は演じたのかもしれない。

    私の経験では、ソ連崩壊で世界の安全保障環境が激変した時に、日本の国会は「政治とカネ」の追及に明け暮れ、宮沢総理は「これで平和の配当が受けられる」と呑気なことを言い、誰も日米安保体制を見直す必要や、自衛隊配備を変更する必要について議論しなかった。

    当時、米国議会を取材していた私は、対ソ戦略のために作られたCIA存続の是非を議会が3年がかりで議論し、「世界は混沌の時代を迎える」との結論からCIAの情報収集能力が強化され、また米軍の配備も見直されたことと比較し、国家の平和と国民の安全より「政治とカネ」の追及がそれほど大事なのかと呆れた。

    今回、岸田内閣の方針に強く反発したのは自民党最大派閥の安倍派である。防衛力増強の財源を安倍元総理の考えと同じ「国債」で賄うことを主張した。そのためか岸田内閣は「増税」の実施時期を先送りした。つまり大方針は決めたが、具体的な中身の議論はこれから始まる。

    従って2023年の国会は安全保障戦略の大転換について議論の舞台になる。だが的を射た議論になるかどうかが分からない。なぜかと言えば日本の安全保障を巡る議論には憲法9条という米国の呪いがかけられているからだ。

    戦後日本を占領支配したGHQのマッカーサー司令長官は、日本が二度と米国に歯向かわぬよう、日本を「非武装中立国家」にしようと考えた。それに吉田茂総理が共鳴し、1946年の衆議院本会議で「憲法9条2項で一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄したのであります」と答弁した。

    しかしこれは第一次大戦の反省から国際社会が作り出した平和主義の考えと異なる。国際社会の平和主義は、侵略に対する自衛戦争を当然の権利として認めている。さらに侵略国に対し国際社会が協力して防衛に当たる集団的自衛権も国連憲章によって認められた。

    ところが吉田の「非武装中立論」は、敗戦を経験した日本人の心を掴み、憲法9条は世界平和を目指す理想として日本社会に浸透した。だが理想は理想であって現実ではない。その証拠に世界にはスイスのような「武装中立国家」は存在するが「非武装中立国家」など存在しない。

    米ソ冷戦が始まると、吉田は1950年の施政方針演説で「戦争放棄の考えに徹することは、自衛権を放棄する意味ではない」とそれまでの主張を転換した。ここから日本は9条2項を変えずに9条2項を解釈によってなし崩す摩訶不思議な「解釈の世界」に入り込むのである。

    米国は第二次大戦後西ドイツと日本を非武装国家にしようとしたが、冷戦が始まると米国に逆らえない範囲で再軍備させようとする。西ドイツは米国の要求に従い、NATO軍の一員として戦前とは異なる民主的な軍隊を作る。そして国民には徴兵制を敷いた。

    1950年6月に朝鮮戦争が起こると、米国はアジアの戦争にはアジア人を当たらせる考えから日本に再軍備を要求する。しかし吉田は国民に「非武装中立」の考えが浸透していることを理由にこれを拒み、代わりに米軍が出兵した後の国内治安維持の名目で警察予備隊を創設した。

    それが2年後に保安隊になる。保安隊も国内治安維持が目的だが、小銃や機関銃を装備するなど軍隊並みの組織である。しかし政府はそれを警察だと言い張る。その1年後に保安隊が自衛隊になり、初めて国内治安維持ではなく侵略に対して国家を防衛する組織、つまり軍隊ができた。

    ところが吉田は「自衛隊は戦力ではない」と言う。9条2項を変えないために「戦力なき軍隊」という奇妙な組織が誕生した。こうして日本の安全保障政策は理性の世界からかけ離れて迷路に入り込んでいく。

    吉田内閣が倒れて鳩山内閣が誕生すると、自衛隊は自衛のための「必要最小限」の戦力は持っても良いと解釈された。ただし紛争解決や侵略戦争をするための戦力は持ってはならない。その後の歴代政権はこの考えを受け継いだ。

    では「必要最小限」の戦力とは何か。三木内閣が「防衛費GDPの1%以内」という原則を作る。岸田内閣はそれを今回「2%」に倍増する。米国がNATO諸国に要求している「2%」を日本も真似することにした。戦後日本と同じ境遇のドイツがウクライナ戦争の影響で「2%」を表明したことの影響が大きい。

    しかし「1%」の歯止めがなくなっても「安保3文書」には「必要最小限」の文字が入った。「必要最小限」という文言さえ入れば、以前に憲法違反とされたことでも憲法9条の枠内となり、「合憲」と判断される。

    そして「2%」の増額が実現すれば、日本の防衛費は米国、中国に次ぐ世界第3位となり、軍事力でも米国、ロシア、中国、インドに次ぐ世界第5位にランクされる。それが憲法上「必要最小限しか戦力を持ってはならない」とされる自衛隊の実態である。

    憲法は制定されてから一字一句変更されていない。しかし日本の防衛力は蟻が象に変わったように大きく変化した。ところが解釈で変更されてきたため、安全保障問題を国会で議論すれば、必ず「憲法解釈の迷路」に入り込み、神学論争のように誰にも理解できない議論が延々続くことになる。

    私には苦い思い出がある。冷戦終結後最初の戦争となった1991年の湾岸戦争で日本が国際社会に恥をさらした時のことだ。90年8月にイラク軍が隣国クウェートに侵攻すると、世界各国の議会はこの問題にどう対処するかを議論した。

    米国議会では様々な分野の専門家を喚問して200時間を超える議論を行い、最後に議員全員が一人ずつ戦争に賛成するかどうかの意見表明を行った。そして第一次大戦後に作られた平和主義の原則に従い、国際社会が結束して侵略を食い止めるため多国籍軍が結成された。

    ところが日本では有識者や文化人の間から湾岸戦争に反対の声が上がる。国連が認めて国際社会が結束して侵略を防止しようとしている時に、日本ではいかなる戦争も悪だとする「絶対平和主義」の叫びが上がったのだ。

    当時の外務省北米一課長は私に「国会を開けば神学論争になるだけで何も決まらなくなる。国会は開かせない」と言った。日本だけは国会を開かず、130億ドルという巨額の資金援助を政府が決定した。

    ブッシュ(父)大統領から自衛隊の派遣を要請された海部総理は、憲法9条2項を盾にこれを拒否した。日本の政治家で「派遣すべき」と主張したのは、当時の小沢一郎自民党幹事長ただ一人だった。

    ワシントンで私は米国人から「私は日本経済の目覚ましい成長を見て日本に一目置いていた。その日本経済の生命線は中東の石油である。ところが中東で戦争が起きているのに日本は国会を開かず、国民的議論も行わず、カネだけ出して済ませようとした。米国と肩を並べる大国になると思ったが、所詮は米国の従属国でしかない」と言われた。

    国際社会から批判されたことを知ると日本政府の姿勢は一転する。自衛隊の海外派遣に前のめりになるのである。ひどかったのはアフガン戦争とイラク戦争に対し、どちらも国連が認めない米国だけの戦争なのに、自衛隊を派遣して協力した。

    国連が認めた湾岸戦争と認めないアフガン・イラク戦争は性格がまったく異なる。しかし「絶対平和主義」を信仰する日本人にはその区別がつかない。イラク戦争に積極的に協力した英国のブレア首相は議会で責任を追及され任期途中で辞任した。しかし日本で小泉総理に対する非難は起こらない。日本人は真面目に戦争を考えたことがないと私は思った。

    それ以来、日本の安全保障政策は米国の言いなりになった。安倍内閣が成立させた「特定秘密保護法」も集団的自衛権を解釈変更によって認めた「安保法制」もすべて米国からの要求である。今回の「反撃能力の保有」や「防衛費増額」も同様だ。

    宗主国からの命令は誰が総理であっても実現しなければならない。一方で米国は日本国憲法の中に「非武装」の思想を盛り込んだ。その影響を受けた国民が大勢いる。米国の相反する要求を、戦後日本は理性を超えた魔訶不思議な憲法解釈でやりくりしてきた。だからまともな議論ができない。

    すべての出発点は吉田茂の「非武装中立論」だ。それでも吉田の政治路線が国民から批判されない理由は、それが日本に経済的繁栄をもたらしたからだ。吉田は防衛を米国に委ね、軍事に力を入れない代わりに経済成長に全力を挙げる路線を敷いた。

    自民党は9条2項を変えさせないため、野党に護憲運動をやらせ、憲法改正させない3分の1の議席を与え、米国が軍事要求を強めれば、政権交代が起きて親ソ政権が日本に誕生すると米国に思わせた。野党に3分の1の議席を与えることを可能にしたのが中選挙区制の選挙制度である。

    その仕組みを私に教えてくれたのは竹下登元総理だ。こうして日本は世界で最も格差の少ない経済大国を実現した。しかしそれは米ソ冷戦構造があったからで、ソ連が崩壊した後の米国は、日本に遠慮することなく高度経済成長で貯め込んだ金を吸い上げる作業に取り掛かった。

    9条2項を維持することは日本が米国に防衛を永遠に委ねることを意味する。米国の言うままに米国製兵器を買わされ、自衛隊は米軍の二軍として肩代わりに使われ、その一方で米国は高度経済成長を支えた日本型経営を潰し、日本を「失われた時代」に導いた。

    9条2項を維持する経済メリットは冷戦崩壊と共に失われた。それでも「非武装中立」の幻想は今も消えることなく残っている。吉田に次いで「非武装中立」を唱えたのは旧社会党だが、その理論的支柱だったマルクス経済学者の向坂逸郎は、社会主義政権が誕生するまでは「非武装中立」を主張するが、政権を獲得すれば武装するとの考えを表明している。

    自さ社連立政権で村山内閣が誕生すると、社会党出身の村山総理は自衛隊を合憲とし、日米安保体制も認めた。日本は米国の従属国だから総理としては当然の判断をしたまでだが、これで社会党は大きく支持者を失った。

    いずれにしても世界に「非武装中立国」は存在しない。コスタリカのように「非武装」を憲法に明記した国はあるが、コスタリカは防衛を米国に委ねているので中立国ではない。中立国はどの国とも同盟関係を持たず、独立独歩で他国の侵略から身を守るために武装する。だから「武装中立国」はあるが「非武装中立国」はない。

    永世中立国スイスは中立を貫くためEUにも加盟しない。そして安全保障戦略の基本は「専守防衛」である。専守防衛とは他国から攻撃されても「反撃」しない。そのためスイスでは核攻撃から国民を守る核シェルターを100%完備するが、核兵器もミサイル兵器も持たない。

    もし他国の軍隊が侵入すれば、国民全員が銃を取って戦う。すべての橋やトンネル、道路に爆薬を仕掛け、敵の侵入を阻止する構えを見せている。それが敵に攻撃を思いとどまらせる「抑止力」だと考えている。

    1815年に永世中立国になったスイスはそれ以降一度も戦争に巻き込まれたことがない。1815年の日本は11代将軍徳川家斉の時代だが、その昔からスイスは208年間も平和を守ってきた。そこで思い出すのがマッカーサーの「日本は東洋のスイスたれ!」という言葉である。

    マッカーサーがどういうつもりで言ったのか、真意は測りかねるが、私はこちらの方が日本の目指すべき道だったのではないかと思う。憲法9条2項を守ってありもしない「非武装中立国家」を目指すより、他国に依存せず自分の力で自分を守るというまともな国家を目指すべきだったのだ。

    しかし2023年の国会で、安全保障問題を巡る議論に、このような視点が加えられることはないだろう。米国が日本に要求する安全保障政策と、その米国がかつて作った憲法9条2項との乖離の中で、不毛な議論が続けられ、最後は米国が要求する通りになるというのがこの国の戦後政治だからである。

    * * *

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    <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
     1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

     TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。

  • 田中良紹:自立できない国家の訳の分からぬ安全保障論議

    2022-12-07 15:303
    自民、公明両党は2日、敵国の軍事基地を攻撃するいわゆる「反撃能力」を保有することで合意した。これで日米安保体制によって日本は守りに徹し、攻撃を米国に依存してきた専守防衛が根本から変わることになる。

    この変更を憲法9条の枠内で行うため、①我が国に急迫不正の攻撃があること、②これを排除するのに他に適当な手段がないこと、③必要最小限の実力行使にとどめるという「武力行使の三要件」が歯止めとされた。

    安倍内閣が「敵基地攻撃能力」と言っていたのを、岸田内閣では「反撃能力」と言い換えた。それは「先制攻撃」と受け取られることを避けるためだと説明されるが、言葉をやわらげ公明党が賛成しやすくしただけで、「敵基地攻撃能力」も「反撃能力」も中身に変わりはない。

    ただ「反撃能力」というと、攻撃されてからでないと武力行使に踏み切れないニュアンスがあり、それだとこちらが壊滅的打撃を受け、反撃できなくなる恐れがある。従って敵が攻撃に「着手」の段階で、すぐ攻撃を行うというのが「反撃能力」である。

    その「着手」とは何か、その判断が難しい。判断を誤れば敵に「先制攻撃」の口実を与え、日本が国際法に違反したとして倍返しの攻撃を受ける可能性がある。さらに敵が攻撃に「着手」したように見せて日本を挑発し、日本に攻撃させてから、それを大義名分に本格的戦争を仕掛ける可能性もある。

    「着手」の判断は日本にとって死活的である。しかし日本に判断できる情報能力があるかと言えば、残念ながらないと言うしかない。日本にもインテリジェンス機関はあるが、海外の情報収集となれば、米国の情報力には到底及ばない。敵の「着手」の情報は米国に頼るしかない。

    米国の能力に頼って日本が判断を行うことになれば、極めて危ういことが起こりかねない。ウクライナ戦争を見て分かるように、米国は自国の兵士を戦地に送らず、他国を支援することで他国に戦争をやらせ、米国が潰したい相手を弱体化する戦術を採用するようになった。

    史上最長となった「テロとの戦い」に疲れ果てた結果、米国は中東での覇権を失い、その間に中国とロシアが影響力を強めた。そのためまずはロシアを弱体化させ、次いで中国との覇権争いに備えている。その米国の手先となったのがウクライナのゼレンスキー政権だ。何度も書いてきたが、ロシアを挑発して軍事侵攻を招いたのはウクライナ自身である。

    米国は「台湾有事」に備えているが、これもウクライナ戦争でロシアとの直接交戦を避けたように、中国と直接戦争するつもりはない。それをせずに中国を弱体化させるため、他国に戦争をやらせ、それを支援する形をとる可能性がある。

    直接の当事者は台湾だが、そこに日本を巻き込み、日本を前面に立てて自分は後方支援に回る。台湾と目と鼻の先にある尖閣諸島を巡り、日本と中国が緊張状態にあるのはその可能性を後押しする。

    ともかく国家の命運を決する「戦争」を、自らの判断ではなく他国の判断に頼って始めることほど愚かな話はない。「着手」の判断は、その兆候を事前に把握できたとしても、こちらが攻撃に踏み切るのは一瞬の判断である。それを日本だけで出来ると私には思えない。

    そもそもなぜ「反撃能力」を持つ必要があるか。「抑止力」になるからだという。戦争を防止するには2つの方法がある。1つは他国に日本は攻撃してこないと安心感を与えること。憲法9条を保持してきたのはそのためだ。もう1つは攻撃したら何倍もの反撃を受けると恐怖を与え、攻撃を思いとどまらせること。それが「抑止力」である。

    そこで敵に恐怖を与えるため、敵の基地に到達する射程の長いミサイルを持つことや、米国の巡航ミサイル「トマホーク」を購入することが検討されている。問題はそれで敵が恐怖心を抱くかどうかだ。

    敵とみられる国は、北朝鮮、中国、ロシアだが、いずれも核兵器を保有している。核兵器を持つ国が日本の通常ミサイル兵器を恐れるだろうか。通常ミサイル兵器の殺傷能力など核兵器に比べればまるで大したことはない。

    相手を恐れさせるのが「抑止力」なら、核ミサイルを持たなければ核保有国に対する「抑止力」にならない。まして日本は狭い国土に多くの原子力発電所を持つ。相手は通常ミサイルで原発を攻撃すれば日本に壊滅的打撃を与えられる。それを思いとどまらせることができるのは核ミサイルを持つことだ。

    それが日本にできるか。「非核三原則」があるのでそれはできない。そして日本がその気になっても米国が許さない。米国は米国の核で日本を守ると言う。しかしそれが「抑止力」にならないと思う事態が生まれたから、日本は「抑止力」を持とうとしているのではないか。

    それなら日本は「非核三原則」を撤廃し、自前で核武装するしか「抑止力」を持てないという理屈になる。しかしこれまで日本は「憲法9条」を守り専守防衛を行ってきた。日本が他国を攻撃しない安心感を与えることで平和を維持してきた。しかし今回は「憲法9条の枠内」で「抑止力」を持つという話になった。

    「憲法9条の枠内」だから武力行使は「必要最小限」とされる。相手を恐怖させるのが「抑止力」なのに、恐怖させない歯止めをかけるのだから、訳の分からない話になる。なぜこんなことが起こるのか。

    国民は憲法9条を守れば平和が保たれるというおとぎ話を信じ、自分の国は自分で守るという最低限の義務感を持たず、米国に安全保障の全てを委ねて何も危機感を抱かず、世界の現実を直視しないできた。

    それを利用して日本政府は、「憲法9条の枠内」と言いながら、米国に都合の良い政策転換を次々に行った。安倍政権は2013年に米軍との機密情報共有を強める「特定秘密保護法」、15年に日本の自衛隊が米軍を守る集団的自衛権行使を可能にする「安全保障関連法」を成立させた。

    「反撃能力」はそれに次ぐが、いずれも米国から要求されたもので、日本政府が独自に考えたものではない。そして「憲法9条の枠内」と言えば、国民が納得することを米国も日本政府も知っている。だから今回も武力行使は「必要最小限」とされ、抑止力と言いながら目的と反する訳の分からない話になった。

    日本国憲法9条1項は「戦争放棄」で、第一次世界大戦後に結ばれた「不戦条約」の平和主義を継承する。ただし「不戦条約」では他国からの侵略に対する自衛戦争は認められると解釈されている。

    問題は9条2項だ。戦力不保持と交戦権の否定が盛り込まれた。これは日本が米国に2度と歯向かわぬようにする条文だと言われる。当時日本を占領していたGHQのマッカーサー司令長官は日本を「非武装中立国家」にしようと考えていた。

    日本には自衛戦争も認めず、侵略があれば米国が日本を防衛するつもりだった。そこでマッカーサーは「日本は東洋のスイスたれ!」と発言する。スイスは1815年に「永世中立」を認められてから、フランス、ドイツ、イタリアに囲まれているのに今日まで一度も戦争をしたことがない。

    ただしマッカーサーは勘違いを犯した。スイスは非武装中立ではなく武装中立で、どの国とも同盟を結ばない中立国である。スイスは今でも自分の国は自分で守るが、他国を攻撃しない専守防衛国家だ。

    国民全員が銃を持って戦う覚悟を示し、核兵器は持たないが国民を守る核シェルターを100%普及させ、農地が少ないのに食料自給率を高める憲法改正を行い、日本以上の6割自給を達成している。

    ともかくマッカーサーに「東洋のスイスたれ!」と言われながら、日本はスイスとはまるで逆の方向に歩み出した。冷戦が始まり朝鮮戦争が起きると、米国は一転して再軍備を要求するが、吉田茂は憲法9条を盾にこれを拒否、後方支援を行うことで戦争特需にありついた。

    その後のベトナム戦争でも日本は出兵することなく、戦争特需で大いに金儲けに励む。憲法9条は日本の経済成長の源であった。一方で戦力を持たず、交戦権もない日本は、米国に防衛を委ねて米国の従属国になるしかない。憲法9条と日米安保は裏表の関係だった。

    日本政府は国民に憲法9条を信じ込ませ、野党に憲法改正させない護憲運動をやらせ、米国が自民党政権に過度な軍事要求をすれば、たちまち政権交代が起きて親ソ政権が誕生すると米国に思わせた。それが日本を経済大国に導く「軽武装・経済重視」路線である。

    ところがソ連が崩壊し、冷戦構造が終わると、米国は日本に遠慮する必要がなくなり、軍事的に従属する日本から経済の果実を奪うことが可能となる。米国は日本経済にバブルを起こさせ、その崩壊と共に日本経済の中枢にあった銀行を破たんさせ、日本を「失われた時代」に追い込んだ。

    日本経済成長の源泉であった憲法9条は一転し、日本経済から富を奪い、軍事的にも従属度を深化させる道具になる。沖縄総領事を務めた国務省のケビン・メア氏は米国人学生を前に「憲法9条は米国の経済的利益になるから変えさせない」と講演した。

    憲法9条2項を削除して日本が軍隊を持ち、交戦権を復活させれば、日本は自立できる。それは米国の利益にならない。だから安倍元総理の憲法改正案は2項を残し、それとは別に9条に自衛隊を明記するという。

    軍隊は対外防衛を担うので国際法の下に置かれた組織である。しかし自衛隊は警察予備隊から始まり国内法の下に置かれ、各国の軍隊とは法制度が決定的に異なる。ところがその軍事力は米国、ロシア、中国、インドに次ぐ世界第5位である。憲法9条で戦力不保持とされているにもかかわらず、軍隊でない自衛隊が世界第5位なのだ。

    その実態を国民はほとんど知らされていない。かつて米国議会を取材した私が日本の国会との違いを最も通関したのは、議会に軍人が呼ばれて証言させられていたことだ。その応答から民主主義国の軍隊は国民の代表が集う議会に従属していることが良く分かった。

    議会が賛成しなければ予算は承認されず、軍の行動は常に議会に監視される。戦争の判断も議会が行う。最高司令官は大統領だが、軍にとっては議会の存在の方が大きい。ところが日本の国会に自衛隊幹部が呼ばれたことはない。野党が反対するからだ。そのため国民は自衛隊の実像を何も知らされていない。

    日本を従属させたい米国にとって、軍隊でない自衛隊の方が都合が良い。それを憲法に明記することは日本を自立させたくない米国の思うままになることだ。日本国民はかつてのマッカーサーの「東洋のスイスたれ!」を思い出す必要がある。国民全員が銃を持ち、自分で自分の国を守る気概を示すが、他国を決して攻撃しない。あくまでも専守防衛に徹する。それこそが「抑止力」ではないか。

    ウクライナ戦争で世界的に軍拡の流れが起き、相次ぐ北朝鮮のミサイル実験に恐怖した日本国民は、防衛費の増額や「反撃能力」の保有に半数以上が賛成している。しかしこの機会に国家の自立と防衛問題を真面目に考えて欲しい。

    自民党内には防衛費増額を増税ではなく国債で賄うという馬鹿な話が飛び交っている。国防は国民が痛みを感じることでまともになる。他国に防衛を委ね、将来の子供たちに負担を負わせるなど、楽をしながらやるものではない。腐った国家にならないためには真剣に軍事を考える時が来たと私は思っている。

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    <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
     1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

     TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。