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  • 【週刊奥村vol.244】追悼・狩撫麻礼

    2018-01-18 22:24

     あー。皆さん御存知かもしれないが、原作者の狩撫麻礼さんが亡くなった。去年の秋口ぐらいから体調が相当悪いって話を聞いていたから、覚悟はしていたんだけど、いざ亡くなってみると本当に哀しいもんだね。
     俺が最初に狩撫さんの家を訪れたのは、もう27年ほど昔の話になる。最初に狩撫さんに怒られたのは“先生”についてだ。何のこっちゃって思うだろ? 我々編集者は、まず配属されたら、漫画家さんのことを“先生”と呼ぶように教育される。んで、それに従って俺が“狩撫先生”つったら、「誰が君の先生なんだよ!!」って怒られた。業界の慣習を一刀両断されちまったもんで、結構慌てたもんだが、内心「そーこなくっちゃ」って嬉しくなったのを覚えている。それ以来、俺は漫画家さんを“先生”と呼んだことはない。
     つまり、狩撫さんと仕事するっつーのは、そういうことなのだ。一言でいうと「既成概念やら常識を捨ててかかってこい!!」ってことなのだ。そっから俺はひたすら怒られ続けた。そんだけ何にも考えていなかったんだね。俺。狩撫さん曰く「利口がアホに説教するのは反則だけど、アホがアホに説教するのはかまわねえ」ってことらしい。いや、べつに狩撫さんがアホだと言ってるんじゃなくて、上からモノを言うなって意味なんで。
     まあ、怒られまくった分だけ狩撫さんとのエピソードなんて、いっぱいあるんだけど、訃報を聞いた時に、真っ先に思い出したのは以下のヤツなんだ。場所は狩撫さんの仕事場。俺は30代初めで狩撫さんが40代中盤である。

    「俺はまだ(キャッチボールで)140kmの球を投げれるぜ」

    「えー、ムリっしょ、そんなの」

    「冗談で言ってるんじゃねえ、今から近所の公園に……」

    「いやあの、グローブもミットもスピードガンもねえすよ」

     話はそれで終わっちゃったんだけど、何なんだ、この会話!! 実際問題、そんなスピードで投げれる可能性はゼロとは言えねえけど、その年齢だと元プロのピッチャーでもダメな奴が大半だろうし、狩撫さんが日夜秘密の特訓をしていたって話も聞かなかったので、実質ムリだって断言してもいいと思う。狩撫さんの死後、俺はずーっと、あれは一体何だったんだろーと考え続けている。夕暮れ時の仕事場で突然のインスピレーションが湧いてしまったのか!? それとも、“男=アホとロマンの肉袋”といった狩撫さんの定義に従った発言だったのか!? ……亡くなった今は確かめようがない。しかたがねえから、自分が死んだら、あの世で聞いてみようと思っている。
    「あ、そんな事言ったっけ? 覚えてねえなあ」なんて言われたりして。たぶんそうだ。絶対にそうだ。……愛すべきボーダーに合掌!!
    ……んじゃ、また来週!!
  • 【岩井っスの日記】 サヨナラ、狩撫麻礼さん。

    2018-01-16 03:26
    本日、狩撫麻礼さんの訃報が公表されました。


    昨日のブログで、「19日には」と書いていたことは、狩撫麻礼さんの訃報でした。

    ご親族からの連絡は10日水曜日の夜だったのですが、狩撫さんご本人とご遺族の希望で、既にご葬儀も内々ですませられた後にお伝えいただいたとのこと。
    狩撫さんのご遺志は、とにかく「騒がぬように」ということでしたので、そうしたお人柄を重々承知している編集者たちは、これからについていくつかの出版社間で話し合いを行い、19日に第一報とすることになっておりました。

    それが、諸事情から、本日の訃報と急遽なりました。


    ビームの公式ツイッターで訃報をツイートしたところ、とても多くのかたにリツイートしていただいております。
    その後、訃報はヤフーのトップに上がり、「狩撫麻礼」がトレンドワードとなりました。

    狩撫さん、「騒ぐな」って言っても、そんな、無理ですよ。
    狩撫さんの漫画を読んで、愛してくれた人が、こんなにたくさんいるんです。
    申し訳ありませんが、勘弁してください。


    正直、まだ、狩撫さんのことを書ける精神状態ではありません。
    いつか、少しずつでもその想い出を書ければと思っていますが、とにかく、今は無理です。


    7日に亡くなったということを、私は本日知りました。

    そうか、7日、日曜日か。

    昨日の日記で書いた、私の「暗闇の部屋で、視界の中に閃光が走った」のも、日付は7日でした。たぶん、朝の3時か4時か。
    狩撫さんが、この世を去られたのが正確に何時だったのか知りませんが、あれは、狩撫さんが、別れの挨拶にきてくださったのですね。
    ぼくは、そうであると決めました。
    そうに決まっています。

    「加齢による生理的症状」? 冗談じゃない。

    「真っ暗闇に疾る刹那の閃光」が、狩撫麻礼でなくてなんだって言うんだ。


    狩撫さん。
    ありがとうございました。

    ぼくらは、まだまだ、あちら側とこちら側の狭間を行きます。


    サヨナラ。
    これが、一番美しい日本語だとぼくに教えてくれたのは、アン・モロー・リンドバーグと狩撫さんでしたね。

    For Sayonara, literally translated, "Since it must be so," of all the good-bys I have heard is the most beautiful.
    さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう)
    (『北へ』 訳は須賀敦子『遠い朝の本たち』より)


    「一番美しい日本語を知ってるか……? ………サヨナラ」
    (『迷走王 ボーダー』)


    狩撫さん、もう、あの経堂の部屋でお会いできないと思うと、胸が張り裂けそうです。
    でも、しかたないですね。
    思い通りにならないことなんて当たり前にある、ってことを教えてくれたのも、狩撫さんの作品でしたから。
    もう、「そうならねばならない」んですもんね。
    お別れです。

    サヨナラ、狩撫麻礼さん。


    あの光は、まだぼくの瞳孔の中で、ギラギラと煌めいていますよ。
  • 【岩井っスの日記】 あまりにいろいろなことが…。

    2018-01-15 02:58
    1月5日の始業から、すぐに、6日(土)・7日(日)・8日(月・祝日)と、三連休。

    土曜の夜、寝ようかな…と寝室のベッドに横になろうとしたら、視線の端でビカっと光が走った。
    「ん、なんだ、なんだ!?」と驚くほどの閃光。
    ベッドルームは灯りを消して真っ暗だったので、外でなにか光ったのかとキョロキョロ。(寝室のすぐ外に、集合住宅の駐車スペースがあって、そこに車が停めてある。でも、寝室の窓には遮光カーテンがかかっているのです)
    まあ、眼鏡のレンズの縁になにか反射したんだろうな…と、とりあえず、そのまま就寝。

    翌日起きると、どうにも光を感じたほうの左目が、おかしい。
    自分は強度の近視で、十代から飛蚊症的な自覚はあったのだが、黒い影が盛大にワシャワシャしていて、さらに加えて、白いモヤッとした影がかなり大きくフワフワと視界を覆う。
    目がぼやけているか、ゴミでも入っているのかと思うが、どうも違う。

    とにかく、気になって仕方ない。

    翌日、月曜日になっても、白いモヤモヤは消えない。
    編集部で少し仕事をしたのだが、まったく集中できない。
    普通の文字を見るのが、どうもできない。

    ネットで調べると(こういうとき、タブレットは便利ですね。拡大できるので、なんとか読める)、視界に光が走るのは、そのとおり「光視症」と呼ばれるものらしい。
    火曜日の午前に、自宅近くの眼科に行くことにして、とりあえず就寝。
    ベッドに横になり、目をつむるのだが、眼球を動かすと、視界の端に細い三日月のような光が走る。
    「目をつむっているのに、光が見えるんだ…」と、少し面白い。

    9日(火)、午前中に眼科。
    視力を計って、レントゲンを撮り、瞳孔が拡大する薬を点眼して検査。

    とりあえず、シリアスな状況ではなく、加齢からくる生理的飛蚊症らしい。
    経過を観察しつつ、ひと月後にもう一度検査することに。
    やれやれ。

    編集部に行ったのだが、瞳孔が拡大してしまっていて、視界がボヤけて、全然仕事にならない。

    夜になって、やっと落ち着いたので、ネーム打ち合わせなど。


    10日(水)

    昼にひとつ来客、午後2時から部長会議、午後5時から編集会議、6時から営業会議の、定例連チャン。



    ……そして、とある連絡がきて、すべての思考が止まってしまった。
    それで、金曜日までは、仕事はしつつも、どうにもならなくなる。
    これについては、19日(金)には、皆さまにお伝えできると思います。


    13日(土)、私用で街をフラフラとし、夕方からセキネシンイチ制作室。
    コミックスのデータをいただく。

    途中から、おくやまゆかさんが同人誌「ランバーロール1号」の制作のためにやってくる。(セキネシンイチさんはカバーデザインや本文の入稿も関わっていらっしゃるのですね)

    編集部に行き、入稿作業。


    14日(日)、上野の森美術館。
    生賴範義展」。
    圧倒される。
    そうでなくとも、小松左京・平井和正両作家の装丁で少年期からずっと憧れていた人である上に、原画の凄さ、オリジナルの大作は、まったく知らない生賴範義である。
    イラストレーターとしてあんなにも多量の仕事をこなしながら、よくあれだけのオリジナルの大作を何枚も描いていたものだ。

    寺田克也さんと話していた時に、自分が「生賴さん、かなり塗り重ねた感じの重厚さがありますよね」と言ったら、寺さんが
    「いや、生賴さんの原画はピターっと平たいんだよ。原画見ると分かるけど、ほとんど塗り重ねていない。一筆であの絵を描いてる。筆を置く前に、完璧に色を決めているんだと思う。そこが本当にすごい」
    と、おっしゃっていたのですが、まさにそうでした。
    原画を間近で見ると、それぞれの描画は筆をスッと置いているだけなのが分かる。
    それで、あの圧倒的な精緻さと奥行きが表現できているのが、目の前にその原画がいくらもあるのに、まったく信じられない。

    老眼鏡を忘れたことと、視界に白いモヤがフワフワしていることを呪いながら、何枚もの生賴世界を食い入るように見つめていたら、なんだか体調がおかしくなってきた。

    売店で、SWでもっとも好きな作品である「帝国の逆襲」ポストカードと図録を購い、外に出る。
    なんだかフラフラしていたのだが、自販機で温かいお茶を買って飲んだら、落ち着いた。ちょっと脱水気味だったのかもですね。

    上野駅構内に崎陽軒の店舗があったので、夕食用に好物のシウマイを買って帰途に。
    ついでに、エーグルドゥースでケーキも買いました。


    さて、新しい週だ。
    なにがあっても、どうしたって新しい週は始まるんだ。
    嗚呼。