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ミュージカル「レ・ミゼラブル」相葉裕樹・内藤大希・岸祐二くんを観て来た@帝劇20170526
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ミュージカル「レ・ミゼラブル」相葉裕樹・内藤大希・岸祐二くんを観て来た@帝劇20170526

2017-06-18 13:14

    課ryakainokie75ac0ea45fbd784c36a6cd9a54371a156ae34767b6ceaff09b061ca38402fbb0abf900c7f47eb40「レ・ミゼラブル」を帝劇で観て来た。

    僕のイメージしている「レミゼ」はそこにはなかった。
    僕はこの演目が好きで今まで何十回観たか記憶にないほど見慣れている芝居だ。今年もつい数か月前にロンドンで観ていて、ああ「レミゼ」っていいなって思っていたから余計違和感があったのかもしれない。
    いつ観ても感動が来る、階層社会の壁と人生の不条理さに立ち向かう人の精神の強さ、社会の階層に価値があるわけではなく一人の人間が誠実に生きることに価値があり、自分の人生を思うようには全うできなかった人間が次代にロマンを託す、無常と希望がココロ深く届き幕が下りても椅子から立ち上がりたくない、と感じたばかりだった。

    今回の演出は見慣れた「レミゼ」をかなり変化させていて、その変え方が何を目的として居るか分からなかった。もちろん演出家には何かしら変える目的があるはずで、それがこの演目の持つドラマ本来の意図をその演出家なりに増幅させたいと思ってのことだとは思うが、そうした意図は残念ながら僕には感じられなかった。

    人生の流転が扱っている事象なのに時代の流れや時間の経過の表現が薄くなった、社会性のある事件を扱っているので何もない空間があってもそこには何かしらその時の世の中の空気感が詰まっているように、人の心の感情が漂っているように濃い空間があるはずだ、と思っていたのがそれが消えていた、バリケードの場面は悲劇としてどうにも物足りないし表現になっていたし、戦いが終わった後の空間にはなにかの濃い空気がほしかったのにとか、などなどいくつもあるのだけど、一度見ただけで詳しく批評すると自分の見方がずれているといけないのでこの辺りはいずれ再見して場面に即して書きたいので、一つだけ。

     

    キャラクターの人物像があいまいになった、浅くなったと言ったほうがいいかもしれない。

    ティナルディエの酒場の場面に在った彼のいやらしくもおかしみのある人柄を表す細かい芝居が消えていた、なんてことだと思った。

    当時のフランスは革命途上で社会には明らかな階層が存在し、その階層に属した人にはそれぞれ特徴があるはずで、「レミゼ」はその階層社会の人物像を描き分けている。例えばエポニーヌは下層社会のしかも詐欺師夫婦に育てられたまごうことなき下層社会の底辺の人間だ。それが思いが届かない恋に身を焦がす只のどこのお嬢様って見えてしまい、底辺で生きている人間の強さ弱さ悲しみといった背景は僕が観た回ではひとかけらも感じられなかった。ジャンバルジャンは下層から這い上がった人で、這いあがる結果になったことにはキリスト教の神に触れ生き方を劇的に変えたことが基盤にある。その人が飽食に明け暮れて太っているわけがない。修道僧に建前上は太った人はいない、粗末な食にも感謝し神に奉仕する頬こけ痩せた姿になるのが普通だ。そこも忘れられていた。

    もう一つ、フランス革命は1789年の始まりから民衆の支持があった。街の中のパン屋さんのおばさんや中小工場の経営者のおじさんがデモ隊を支援し時には自らが群衆に加わった。バリケードは、帝劇では舞台の間口が広く街の中に孤立していて民衆が温かく見守っているようには見えないが、ロンドンのQueen’s Theatreではアパートの軒先がバリケードに触れるほど近く、窓から首を出しているただの民衆に学生たちは見守られている、民衆の支持があることが自明に提示されている。それが登場人物の背景にあるから「Do you hear the people sing?」が文字通り「民衆の歌」としてあれほど力強く聞こえるはずなのに、今回はそこもどこか焦点がぼけて、多くの民衆に支持されている感、自分たちには自分たちの思い込みだけではなく人々の気持ちが後押しをしてくれている、そうした自負を背負っていることから来る高揚感は聞こえなかった。そう「レミゼ」には通底のテーマとして階層社会の人物像が反映され意識されているはずだ、というのが僕の「レミゼ」を観るときの基本の姿勢だ。

     

    そうした視点から観て今回の演出は足りていない演出に変化した、演出家がそのことを意識から外して作ったのだろうと思う。初演から30年という時間を経過し世の中も変わって来たし、そういう作り方が時代の変化に対応する作り方で、こちらが新しい方法なんです、ということも在ると思う。僕の感想は非常に個人的なものなのでどうでもいい類のものだけど、でもこの演出がこのまま定着するかどうかは観客のあるいはスタッフさん自身の中で支持されるかどうか、議論があってしかるべき事だと思う。

     

    そんなことを考えながら楽屋に相葉裕樹くん、内藤大希くん、岸祐二くんを訪ねた。

    アイバッチは、会った瞬間に、緊張で体がバクバクですよ、と言い、同感だったので、こわばってたね、と応じた。いつも彼には一言辛口のダメ出しをするのだけど今回は、この息も絶え絶えに緊張を解きほぐし切れないでいる若者を前に、何を言っても全く届かないだろうと思って、とにかく彼が帝劇の舞台に立ったことがうれしい、と強く握手したら、そうなんですよ、僕が帝劇ですよ、自分でも驚いているんです、と嬉しそうだった。でも演技ではない部分で一言は言っておきたくて、1789年から始まったフランス革命勉強してね、アンジョルラスという役柄は長いフランス革命の体現者だからリーダーだから社会的使命を感じて立ち上がったリーダーなんだからね、そこを見せてね、と言ったけど、ぼく勉強苦手なんです、って言いたそうな顔をしたので深追いしなかった。

    内藤大希くんのマリウスは言うことない。まじめで誠実で知的で結果弱弱しく見えるけど信念は強く持っている、って人柄が良くでていた、ってベタ褒めしたら、うれしいっ、て言って顔をくしゃくしゃにしてくれたのでハグしてしまった。

    岸くんのジャベールは僕は好きだ。歴代のジャベールの中でトップクラスに好きだ、彼の歌声が、歌の技巧ではなく、出てくる声が舞台の板の上を這って来るように聞こえる。目の前で直立して歌っているのでそのままストレートに客席に声は届いているはずなのに下からも声が来る。彼の声の響きが好きだ。

     

    楽屋のフロアが3人とも違うので写真は二つになった。

     

     

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