• アニメのシンデレラガールズ24話再考

    2017-03-20 21:52320

     探し方が悪いのか知らないが、この世界には私が読みたいようなシンデレラガールズ考察記事が
    存在しないらしい。仕方がないので自分で書く。
    (以下、断定的な口調で書くけどもちろん個人の意見に過ぎないことは留意して欲しい)


    ・真面目に島村さんを描いたのは初めて。

    ■24話を自分なりに解説してみよう

     アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』は24話「Barefoot Girl.」によって「島村卯
    月の自立の物語」として結実しているので、24話を語ればデレアニを語った事になるのでは?と
    思うものの、24話に至るまでに21~23話の話が必要になるし、それを支える作品全体のテーマも
    説明したほうがいいので順を追って解説する。急がば回れ。

    ■1期のテーマ「選ばれて、その機会を活かせるか」
     
     偶然選ばれた普通の女の子がその機会を活かすことができるか?が1期のアイドル達の課題であ
    り、彼女らは課題に取り組む事で生き生きとし成長する。作品内の表現で言えば「キラキラする」

    ■NGsの三人が美嘉のバックダンサーとして抜擢される。三人は怖気づくこともあったが最終的には
     機会を存分に楽しむ。(3話)
    ■PRの場を与えられたアイドル達は、その未熟さ故に殆どが何らかの形でズレた自己表現をしてしまう(4話)
    ■「選ばれない」ことに不平を言う前川とその他。(5話)
    ■ラブライカとして選ばれたアーニャと美波はライブを成功させる。未央は与えられた場に満足できず、
     NGsは不完全燃焼なライブを行う(6話)

     8~12話も同様に、「選ばれる」という形でチャンスを与えられたアイドル達がそれを活かす内
    容になっている。

    ■武内P「今日は、どうでしたか」
     凛「楽しかった、と思う」(13話)

     13話は、1話で「偶然アイドルにスカウトされた渋谷凛」が合同ライブまで経験したあとでニコ
    リと笑顔を見せ、アイドルの道に踏み込んだ事の喜びに浸っている。

     魔法にかけられ、透明なハイヒールを履いた渋谷凛

     満足げな「笑顔」

    未央「偶然でもさ、なんかこういうの、いいじゃん!」

     未央の台詞は「先に何があるかわからなくても、飛び込んでみたら面白かった」という「挑戦し
    てみる」ことの価値にサラリと触れて物語にオチをつけた。

     一見すると本作でのアイドルとプロデューサーの関係は、シンデレラと魔法使いの関係に見立て
    たものに見える(実際そう作られていると言っていい)。プロデューサーがプロデュースという形
    で普通の女の子にチャンスを与え、素敵な衣装をまとったアイドルに変身させる過程は、まさにシ
    ンデレラ伝説だ。
     しかし、アイドルはプロデューサーにただ立派な衣装やステージを用意されたから輝いたのでは
    ない。環境に関わらず、その娘が与えられたチャンスに挑戦する精神にこそ魅力が宿ったのだ。本
    当に大事なのはシンデレラ本人がどうするか。だからシンデレラに「魔法」をかけるのは実はシン
    デレラ本人であり、プロデューサーはそのきっかけ(見せかけの魔法)を与える存在に過ぎない。
     1期終了の時点でアイドルたちは、「輝き」が自分の意志の如何にかかっている事にまだ気づい
    ていない。だから、偶然に左右されず、何が起こっても「輝き」を手放すことのない強靭なアイド
    ルになるためにはどうすればいいのか?という課題が発生する。それが2期という戦場である。


    ■2期のテーマ「自立」

     新キャラクター美城常務は、アイドルたちに何らかのチャンスを与えるという点で1期と同様だ
    が、問題は深みを増している。チャンスを活かせるかどうか、ではなく、そもそもそのチャンスは
    飛び込むに値するものなのか?と選択する自由をアイドルたちは自覚し始める。これは他人の言い
    なりに動いてきた彼女たちが自分の意志で行動する「自立」の兆し。そして自立に必要なのは、他
    人の意見に揺るがされない「自分の夢」を持つことである。
     夢=目標・理想と読み替えていい。あなたは自分の目指すものを持っているか?それはどれだけ
    強い思いなのか?という問いがアイドルたちに試練となって現れる。

    ■高垣楓はファンとの距離感を優先して常務の誘いを蹴る(15話)
    ■安部菜々は事務所の方針に逆らいウサミン星人としてパフォーマンスする(16話)
     etc.

     2期前半はこのように「他人(常務)から押しつけられた目標」をアイドルが跳ね除けて己の道
    を行き「自分の夢」を浮き彫りにするという内容になっている。彼女たちは世界の外圧と格闘して
    自分の理想像を堅持することで幸せな「自立」を果たした。

     しかし、常務の誘いにとにかく反逆すれば良いというわけではない。誘いに乗るのも立派な選択
    肢だ。掲げられた目標が自分の望む所なら、それが自発的なものでも他人主導のものでも問題ない
    のだから。それを実践するのが凛とアーニャである。
     美城常務はただアイドルに立ちはだかる壁としてのみ出てきたわけではなく、凛とアーニャに新
    しい道を示す。二人はシンデレラプロジェクトの仲間意識に後ろ髪を引かれつつも、最終的には「
    挑戦する」事に価値を見出し常務の誘いに乗る。二人は熟考してから自由意志で他人の企てに参加
    する事を選んだという意味で「自立」しており、与えられたものをただ受け取っていた1期とはそ
    こが違う。
     そしてこの決断には勇気が必要だった。自分の選んだ道が本当に良い結果を得られるかどうかは
    わからないからだ。ただ、わからないからこそ賭ける価値があり、わからないからこそ自分の想像
    を超える場所にたどりつけるかもしれない。




    美波「星」「ここからじゃあまり見えないね」
    アーニャ「はい、でも、いま見えないだけ」(20話)

     作品内で頻出する「星」のモチーフは、夢が叶った姿、漠然としたロマン等、希望を与える何か
    を指す。アーニャは雲の陰に星が輝いていると信じて、まるで見えないものが見えるかのように、
    星に手を伸ばした。



     不確かな道を、勇気を出して進んだことで、アーニャは星空にたどり着く。(22話)

     「自立」に必要なのは「勇気」だ。勇気を出して信じることで、見えないものが見えるようにな
    り、夢に見惚れるその眼がキラキラと輝き出す。「魔法」にかかるとはこういう事である。ちょっ
    とポエムっぽくなってきたでしょ?

     本作に対して、なんでポエムなの?もっと普通に喋れないの?という疑問は一見もっともだが、
    私はあえて意見を異にする。夢を語る時にポエムを吐けなくてどうする。もし「アイドルはどうす
    れば輝く事ができるのか」という最重要課題には現実的ではなく詩的に接近した方がよいと感じた
    ならそうすればいいし、そうやって満点解答を叩き出した女が本田未央である。


    ■夢を生きる

     20話、凛が常務の企画に乗るといい出したせいで卯月と未央は混乱し、NGsは危機を迎える。
    そんな中、凛の気持ちを知りたいと考えた未央は自分も新しい何かを始めてみようとソロデビュー
    し、演技の稽古を始めた。
     最初はたどたどしい演技しかできなかった彼女だが、回を重ねて遂に奥義に開眼する。



    「この花園は、生きているのね」


     未央が生き生きとした視線で見つめる先は、実際は何もない稽古場の壁である。だが彼女はこの
    何もない壁に生きたバラを見ている。つまり、「そこに花園があるという演技」を超えて、「そこ
    に花園があると信じている」所まで行っているから彼女の瞳は煌めいているのだ。演技という体を
    利用して、彼女は自分の夢を現実化し、ありもしない花園を見ている。
     花園は星の輝きに同じ。未央は本来見えないものが見えて、夢を現実にするためには「勇気」を
    出して自分の夢を信じればいいという極意を会得した。そこで卯月と未央を本物の花園に迎える。

    未央「練習、付き合ってくれない?」
    凛「はぐらかさないでよ!」
    未央「はぐらかしてないよ」

     未央は決してはぐらかしていない。「どうすればキラキラできるか」は言葉で説明するだけでは
    足りない。「演技(信じるフリ)」を通して「夢を信じる」ことを体感で掴まなければいけないか
    ら、卯月と凛を自分の夢の中に巻き込む必要があるのだ。

    未央「恐れずに踏み出せば、花園は私たちを待っていてくれるわ!」

     未央はもう誰かにきっかけを与えてもらう(見せかけの魔法をかけてもらう)必要が無い人間で
    ある。なぜなら、自分で自分に魔法をかけられるのだから。これが他人に依存しない「自立」した
    最強のアイドルの姿。それを凛たちにも教えようとしている。
     凛は未央の夢見る瞳に感化されて、挑戦を決意する事ができた。しかし卯月にはまだアイドルの
    極意が理解できない。なぜなら彼女は、そもそも挑戦したい目標が見つからないからだ。


    ■島村卯月の夢



    卯月「私、ずっと待ってました」
      「アイドルに、キラキラした何かになれる日がきっと私にも来るんだって そうだったら良いなって」
      「きっと私は、これから夢を叶えられるんだなって」(1話)

     とても漠然とした形で、一話の卯月は「夢」を見ている。手の中の桜は星の輝きに同じで、彼女
    に希望を与えるもの。この時点での彼女は既にアイドルとして輝いているから、何も問題が無かっ
    た。
    (凛は卯月の夢見る姿に感化されてアイドルの道に踏み込む。これは上述の未央のシーンとほぼ同
     型である。)

     しかしデビュー以後様々なアイドル活動を経て、卯月はアイドルとしてやりたいことを大体やり
    尽くしてしまったようだ。

    卯月「今後やりたいお仕事ですか?ステージもCDデビューもラジオ出演もできましたし、ええっと
       TVも出ましたから…このまま3人で頑張りたいです」(21話)

     表には出さないが卯月は内心で焦っている。仲間達は次々と新しいことに挑戦してキラキラして
    いるのに、自分だけ次のビジョンを見いだせないから。小日向美穂とのユニットにも刺激的な可能
    性を感じられなかったため、どこに向かって進んでいいかわからなくなったのである。

    卯月「凛ちゃんは、凄く綺麗な声してて…未央ちゃんは演技が凄く上手くって…私は…あの…」
      「私の良いところって何でしょうか?」

     卯月は重大な勘違いをしている。アイドルとして輝くために必要なのは、なんらかの特別な技術
    や才能だと思っているのだ。自分にはそれが無いからみんなから置いてけぼりをくらっている、と
    考えたのである。

    凛「あの時、言ったよね」「夢だって」「キラキラした何かになれる日がきっと来るって」「今は?」
     「嘘の笑顔なんて見たくない!」(23話)



    夢を見失うと同時に笑顔を失っていた卯月。卯月の真の笑顔を知る凛はそれを看破する。
    1話で卯月を飾った桜はもう枯れ、手の中には何も無い。

    卯月「プロデューサーさんが、私の良いところは笑顔だって…だけど…だけど…」
      「笑顔なんて、笑うなんて誰でもできるもん」「なんにもない」「私にはなんにも…」

     武内Pの言は気休めにしかならないようなものだったのか?違う。卯月には伝わっていないのだ。
    武内Pの言う「笑顔」とは単なる顔の表情ではなく、彼独特の夢の表現だということが。 


    ■武内Pの考える「笑顔」

     夢を見て、夢を追うことで人は輝く。それは本田未央の例にみた通りだが、忘れてはならないの
    は、魔法使いが魔法の存在を信じるように、武内Pも夢を信じているという事である。彼の夢とは
    「笑顔」に集約される。

    凛「そもそも私の何を見て、アイドルになれって言ってるわけ?」
    武内P「笑顔です」
    凛「私、アンタの前で笑ったことあったっけ?」
    武内P「いえ、今はまだ…」(1話)

     見てもいない笑顔をスカウトの理由にするのは論理的におかしい。実は彼は1話の時点で相当独
    特な言葉の使い方をしている。ここでいう「笑顔」とは現在や過去の話ではなく、「これから笑顔
    になる見込み」を意味している。

    武内P「今、あなたは楽しいですか?」
       「あなたはいま、夢中になれる何かを、心動かされる何かを持っているんだろうかと気になった
       ものですから」

     この凛への問いかけは、問いというより殆ど反論を許さない指摘だ。凛が軽くくすぶっているの
    に鋭い嗅覚で気づいた武内Pは、彼女が(頑張りようによっては)これから素晴らしい幸せを手に
    入れるであろう未来を幻視しているのだ。彼もまた、見えないものを見る人間である。その特殊性
    は1話の何気ないシーンに潜んでいる。

    卯月「今回の選考理由とか、聞かせてもらえればって…」
    武内P「笑顔です」
    卯月「笑顔…?」
    武内P「説明不足でしょうか」(1話)

     説明不足である。もちろん現在ニコニコしている卯月が魅力的なのは異論の無い所だが、顔の表
    面の話をしているのではない。彼は卯月がアイドルとして成功し幸せを掴む「可能性」に賭けてい
    る。そしてまた彼女の笑顔が周りに夢を与えると信じている。凛は卯月の笑顔に感化されてアイド
    ルの道へと踏み込むが、これは卯月の初ステージの成功と言っていいものであり、武内Pの選考眼
    が正しかった事を証明している。


    卯月(アイドル)と凛(観客)の関係はステージの最小単位

     「笑顔」=幸せの象徴、アイドルとしての輝き、またはその可能性。きっと彼は、自分が選んだ
    全てのアイドルに対して「選考理由は笑顔です」と答えるだろう。彼の夢は選んだ誰かを笑顔にす
    ることなのだから。
     しかし本物の笑顔とは他人が無理矢理作らせるものではなく、本人が自分から独りでに笑う必要
    がある。自分にできるのはそのきっかけを与える事だけだと知っている武内Pは、笑顔を失った卯
    月にあえて孤独な戦いを強いる。

    ■全ての結論としての24話
     ようやく24話。24話はこれまでの歩み全てを今回の前フリとして消化し進んでいく。時系列順に
    追ってみよう。

     346玄関ホールの階段前で立ちすくむ卯月。時計は12時を指す=魔法が解けている。魔法が解け
    たあとのシンデレラはどうしたらいいのか?という最終テストである。

    常務「君の輝きはどこにある」「君は灰かぶりのままだ」
      「輝けないものは、城の階段を上がれはしない」

     常務はポエムで卯月を挑発する。中国に行ったら中国語を喋る必要があるようなものだと思えば
    いい。夢の世界(ショービズ)の住人である常務はそういう言葉遣いをするし、ここで怯んでいる
    ようではいつまでも素人さんのままだ。自分のロマンをハッキリ持ち、ロマンチックな言葉を平気
    で使える人間こそ(この世界で)成熟した人間の証ではないか。


     オフィスの前で入室できないでいる卯月。階段の上には凛と未央。本作で「階段」の比喩はずっ
    と繰り返されてきたが、結局は卯月がまた階段を登ることが出来るかという問題に収束する。

     レッスンルームに顔を出す卯月。仲間たちはこれまでの道のりを思い返す。一部抜粋。

    李衣菜「もう半年前なんだね、こんなことになってるなんて思いもしなかったな」
    みりあ「怖かったけど、ついた時はすっっごい嬉しかった」
    かな子「こんな私でもアイドルになれるんだって、うれしかったなぁ」
    アーニャ「新しい世界は、とてもドキドキ 仲間もできて、一人じゃないと思います。」
    美波「もちろん不安だってあるわ、冒険の先に何があるかわからないから」
      「でも不安は分かち合えるって、一緒に立ち向かえるってわかったから、だから前へ進もうって思えるの」

     アイドルの道に踏み込む前と後を比べ、口々に「挑戦」の価値を語るメンバーは、紆余曲折を経
    て既に「自立」を果たしている。卯月が未熟なまま最後に残されたのは、最も不利な状況に立たさ
    れていたから。夢を失い取り柄も見つからなかった彼女がそれでも立ち直る時、シンデレラの物語
    は完成する。


    未央「なんにも無くなっちゃったね」

    かつてのオフィスはもぬけの殻になり、ゼロに戻る卯月。渡される「星」のカード。


    武内Pと常務の口論。

    常務「君がそのpower of smileなどという幻想を捨て、島村卯月を切り捨てればいい」「早く目を覚ます事だ」
    武内P「方針は変えません」「光はそこにあります」「今の貴方には見えていないだけで」

     ここでも「見えないものを見る」能力が原動力になっている。武内Pは自分の夢を追う。

      勘違いしないで欲しいのは、常務は「早く目を覚ます事だ」と言っているものの「寝言を言って
     ないで現実を見ろ」と言っているわけではない。

     常務「星」「君はその星すべてを見いだせるというのか?」
     武内P「いいえ」「私に見えて、常務に見えないこともあれば、その逆もあります」
     常務「君とは噛み合わないな」「私は城を、君は灰かぶりの夢を第一と考えている」
      「我々は平行線のままだ」(25話)

      星とは可能性のこと。常務は常務で個人的な(人には見えないが彼女には見える)夢があり、そ
     れに邁進している。24話時点で彼女は武内Pに「自分の夢を捨てて、私と同じ夢を見ろ」と言って
     いるのである(常務自身にはその自覚は無いかもしれない)。


     卯月の通う高校まで武内Pが出向く。学校が映るのは「普通の女の子」の強調で1話の凛に同じ。
    ライブ会場に向かって走るのは1話の未央に同じ。降り積もる雪は灰かぶりの比喩。プロデューサ
    ーに連れられて一度階段を登り、ステージに達し、暗い地下に降りていく。この流れはすべて卯月
    のこれまでの歩みを「シンデレラ」になぞらえておさらいしている。
     立ち止まって武内Pと対峙する卯月。



    卯月「みんながキラキラしてるのに、私だけ出来てなくて」
      「怖いんです」「もう一度頑張って探してそれで、何も無かったらどうしようって…」
    武内P「春に出会った時、私はあなたに選考理由を質問されました」「私は笑顔だと答えました」
       「私は、今もう一度同じことを質問されても、やはりそう答えます」「あなただけの、笑顔だと」
       「いま、あなたが信じられなくても、私は信じています」
       「あなたの笑顔が無ければ、ニュージェネレーションズは、私たちはここまで、来られなかったからです」

     笑顔なんて誰にでもできると卯月は言ったが、彼女の笑顔は誰のものとも交換不可能である事が
    伝えられる。

    武内P「島村さん、選んで下さい」「このまま、ここに留まるのか、可能性を信じて進むのか」
       「どちらを選ぶのかは、島村さんが、決めて下さい

     武内Pは何より卯月の復帰を望んでいるが、卯月の手を引っ張るようなマネは決してしない。本
    人が自ら進んで走り出さなければ輝きは得られないし、自分はそのきっかけを与えるだけの存在だ
    とわかっているからだ。決断だけは孤独に為されなければいけない。そこに「自立」がある。


    卯月は遂に階段を登る。

    卯月「私、確かめたいんです!」「もし、何かあるかもしれないなら」
      「あるかわからないけど、でも、信じたいから」「私もキラキラできるって信じたいから」

     他のみんなと違って具体的な目標なんか無い。才能も無い。そんな自分でも輝くことが出来るの
    か?絶望的な状況で卯月は勇気を振りしぼって戦おうというのだ。泣いても仕方ない。
     渡された星のカードに結局何も書けなかった卯月。それもそのはず、彼女の願いは星のようにキ
    ラキラすること自体であって、輝きに内容は関係ないのである。


     あえて独りでステージに立つ卯月。これは彼女の「自立」の儀式。ステージ衣装ではなく制服で
    出てくるのは、他者の力(見せかけの魔法)を借りない裸の自分での勝負を表す。



     観客を前にして怯む卯月だが、客席にピンクのサイリウムを見つける。一緒に仕事をしてきた仲
    間たちが送ってくれる光は、かつての卯月を彩った桜色。失くした桜が帰ってきた。




    2期OPより抜粋

    ”ねぇ 探していたのは 12時過ぎの魔法 それは この自分の靴で いま進んで行ける勇気でしょ”

     桜の花びらが足を覆って靴になるシーンは、まさに24話を予告するもの。危険に足を踏み入れる
    時は「靴」が必要であり、その材料(勇気)を提供してくれるのは他者との絆である。たとえステ
    ージに独りで立つとしても、仲間と心を同じくしていることが彼女の勇気になる。


     最終的に卯月は笑顔を取り戻す。自分でもキラキラできると勇気を出して進んだこと、それ自体
    が彼女を輝かせたから。自分の夢を、自分自身を信じることができるようになり卯月は遂に「自立」
    を果たした。それがこのアニメの事実上の終着点である。

    「魔法ってなんだろう」「魔法は本当にあったのかな?」

    「私たちは夢をみてる」「私たちは夢を生きてる」「私たちは夢を信じている」(25話)

     「シンデレラ」は御伽噺である。でも、夢物語を本気で信じるなら、その夢は当人にとって現実
    になる。夢を信じ、夢を見つめる事ができる人は、夢の世界を生きている。夢を見る瞳がこれだけ
    美しいものになるとわかった今なら、やっぱり魔法はあったと言っていいだろう。

    ■感想
     いい島村アニメだったな、と思った。内容に色々と制約の多い企画であることは想像に難くない
    んだけど、その条件をクリアしながらここまで実直なものが出てきたのには驚き。不満点もあるが
    それを差し引いても観てよかったと心から思える内容だった。
     個性に欠ける島村さんと真摯に向き合い、しっかりと理路を用意し、持たざるものでもアイドル
    として輝けるのだと堂々と言ってのけたのが素晴らしい。これは島村さんだけでなく、未だスポッ
    トの当たらない数多くのシンデレラガールにもエールを送る内容だと思う。大事なのは何を持って
    いるかではなく何を信じているかという結論は、たしかに勇気を与えてくれる。これなら「夢みた
    いに綺麗で泣けちゃうな」と自分で言い出したって許されるでしょう(実際泣きました)。おわり

    ■出典
     画像・台詞・歌詞の出典はすべて
     TVアニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』
     ©株式会社バンダイナムコエンターテインメント/PROJECT CINDERELLA より


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  • ニコマスじさくがたり2

    2016-11-26 22:3947
    どうもお久しぶりです。
     もう1本くらいupしてから自作語りしようと思ったけどやっぱいいや。書く。

    『続々と花咲き』

     タイトルは「生まれたものがまた次のものを産んで、連鎖していく」という程度の意味です。コメントで指摘がある通り「古事記」からアイディアを得ており、イザナミのゲロから新たな神が生まれたことや、コノハナサクヤビメが火中で出産した事などがモチーフになっています。ザッピングで話を進めることも併せて、何かが繰り返されるという事象に神話的なイメージを重ねたら綺麗になるかなと思ってやりました。
     鷺沢さんでシナリオ考えるとしたらどうするかな…鷺沢さん→大量の本→焚書!という着想でかなり早くシナリオの大枠が出来上がってその勢いだけで作ったのですが、そのぶん熟成が足りず、アイドルよりオッサンが映ってる時間のほうが長い内容になってしまいました。プロデューサーが映っている時間が長いからこそ「蛇足」をつけて(鷺沢さんではなく)Pの話にしなくてはならなくなった、というオチなのです。初期案では鷺沢書店の火事からPの計画的なものだったスジや、アヤカが客2に子供を孕まされた状態で終わるなどのエンディングも考えていたのですが、こういう風にしていじってるパラメータが男の方ばっかりな時点でアイドルが主体ではなく道具にしかなってないんですよ。お前、本当はアイドルの人格に興味ないんじゃないのか?
     ザッピングや神話モチーフ、謎を残す展開などがハマっていき、鷺沢さんの願い(小説)とPの願い(新しい本棚)がそれぞれ歪んだ形で叶うという構造も達成されています。しかしそれで自己満足に陥ってしまい、肝心のエンターテイメント性を忘れてしまったまま作ったのが反省点です。
     なぜ3年ぶりに動画を作ったかというと、近頃の自分がとてもつまらない生活をしているように感じられたため、なにか面白いものを作って客観的に自分の面白さを確かめたかったからです。しかしこのようにコンセプト先行の頭でっかちな動画を吐き出したのには納得がいかず、その悔しさが次の動画を作ることにつながりました。
     
    『暗い月曜日』

     もちろん元ネタは『暗い日曜日』です。自分ではなく他人が死んでいくという内容だから、日曜の反対として月曜にしました。
     リストカットや手相、香典を断られるなど、やりたかったネタをペタペタとつなげていっただけで、メタファーとか事件の多義性とか何も考えていないんですが、その分肩の力が抜けていてだいぶ見やすいと思います(でも「単にイベントをペタペタつなげる」のにかなりの心理的抵抗があり、完成するまでに数ヶ月かかったシナリオです)。ほたるちゃんが全く救われていないまま蘭子に軸がズレて終わるという、オチがついてるんだかついてないんだかよくわからない読後感も気に入っています。ちなみに「蘭子ちゃんは死にます」という文章は「この動画はアイドルが死ぬような内容です」という、視聴者に対する最低限の警告のために書いたもので、実際にいつのタイミングで蘭子が死ぬかは決定していません。蘭子の部分だけはBGMも変えてるんですよ(伝わらない作為)。二人が友達になってたくさん歳を重ねていったっていいじゃない。
    死ぬ直前の響子とふじともがちょっとだけ可愛く描かれてるのは、これから酷い死に方するから少しくらい力を入れてあげよう…という供養の意味があります。これは『孤独、けれど正気』が普段より作画に力が入っていたのと同じ理由です。
     それにしても俺の動画は本当にアイドルがなにも行動しねーな!歩いてるだけじゃん!でも歩いてるだけなのに不幸を振り撒くほたるちゃんはキャラに合ってるし今回だけ主体性の無さもギャグになってるからアリなんじゃないでしょうか。なんらかの前フリを除けばアイドルの人格を可愛く描こうとか考えたこと一度も無いんですけど、ほたるちゃんのかわいそうな部分を強調することでほたるちゃんの可愛さも自然に出た気がして嬉しかったです。この動画を上げた直後に「アイマスの敵」というタグがついてたしつけたくなる気持ちはわかるんですが、悪意は無いんですよ。でも悪意が無いっていうのがむしろ良くないのかな…

     この動画で色々と満足したので次があるかどうかは不明です。私はまた冬眠します。冬眠が永眠になる可能性もあるので一応言っておきましょう。みなさん、さようなら。

  • 革命機ヴァルヴレイヴ 感想:反復の感触

    2016-10-23 00:425
     ようやくまとめの感想書けました。


    ・サザナミ型宇宙艇


    『蒼穹のファフナー』って良いアニメですよね。
     知らない人に簡単に説明すると、少年少女がロボットに乗って怪物と戦うというありがちな形
    式の作品なんだけど、内容は抜群に良い。

    『ファフナー』のテーマは「存在すること」で、パイロット達は自分たちの存亡を懸けて怪物と
    戦う。その過程で次々とパイロット達が死んでいくし、その悲しみを抱えながらやはり戦い続け
    る。そうしていく内に、「生きる(存在する)ことは辛い」「仲間が生きていて(存在して)嬉
    しい」「あいつが死んで(存在しなくなって)悲しい」という形で何度も何度も「存在」の重み
    がパイロット達にのしかかってくる。そしてそれを観る視聴者の側こそがいつの間にか、好きな
    キャラクター達が散っていったり生き残ったりする事に一喜一憂し、画面を通して「存在」の重
    さを感じることができる(ような契機がある)。

     この「感じる」という作用を大事に扱いたい。『ファフナー』は映像の中で「存在」とはこれ
    これこういう風なものですよと、AとはつまりBですよと説明していたわけではない。そうではな
    く、「存在」ってこういう痛みなんだとこちらの感覚を呼び起こす。全26話の中、少年たちの戦
    いを何度も何度も繰り返し描写する事を通して、「存在」の痛みや喜びが観る人間の内側から沸
    き起こって、体で理解できるように作られている。それが素晴らしい。


     ここからヴァルヴレイヴの話。
     コアなファン以外は知らない人も多いと思うけど、『革命機ヴァルヴレイヴ』は「シーンを反
    復する」という演出が大量に為された作品だ。わかりやすいものを挙げると
    ■エルエルフ「俺はまた勝ったよ、リーゼロッテ」←勝ってない、ハルトに逆襲される。(1話)
    →エルエルフ「勝ったぞカイン、その機体は動かない」←勝ってない、弐号機は動く。(12話)
    →エルエルフ「勝ったぞ…カイン…」←勝ってない、脱出に成功するがリーゼロッテは死ぬ。(19話)
    →エルエルフ「勝ったんだな!俺達は」←カインに勝ちはしたが、ハルトは死ぬ。(24話)
     彼の勝利宣言は、敗北フラグとして意図的に再生産されていることがわかる。これに気づいて
    ヴァルヴレイヴを見ていた私は、彼が「勝った!」と言った瞬間ああ……と悲しい気持ちになっ
    たものだった。

     ちょっとひねったものでは、状況それ自体が隠喩的に反復されている事も。
    ■モジュール最深部から地上へとドリルが上昇。6号機がしがみついてルーンの力で逆行させる。(12話)
    →地球から脱出するためロケットが上昇。リーゼロッテがしがみついてルーンの力で助ける。(19話)
     (これはドルシア/ジオールの関係や、推進を止めるか否かが反転して再演されている)
    ■体育館に大勢が集合している中、別の場所でサキはハルトに性器を貫かれる(10話)
    →体育館に大勢が集合している中、別の場所でサキはカインに剣で貫かれる(20話)

    こうしたシーンの反復は作品全体に散見され、時も場所も違う状況で、キャラクター達は同じよ
    うな行動を繰り返していく。

     このように、個々の反復を発見する事なら私にもできるけれど、作品全体を通して反復にこだ
    わっている理由は今まで上手く言葉に変換すること
    ができなかった。明らかに作為あってシーン
    が反復されているのはオンエア当時から気づいていたから、それは無視できない要素だと思って
    いたけど、結局なぜそこまで執拗に繰り返す必要があるのか。
     この疑問に悶々としながらヴァルヴレイヴが放送終了して1年のち、私は偶然『ファフナー』
    を観てようやく反復演出の理解のきっかけをつかめた。

     反復は何かを意味しているんじゃなくて、反復されることでシーンの味がどんどん深まってい
    くように設計されているんじゃないか?
     抽象的な物言いになってるので、具体例を出していくと
    ■バッフェ隊に勝利する1号機。学生たちは歓喜するが、当のハルトはショーコの死を思い涙する。(1話)
     ヴァルヴレイヴは一話から、「敵は倒したしみんな喜んでるけどハルトの心は何も救われてな
    い」という違和を感じさせるシーンを演じる。そしてそれだけでは終わらず、
    →ドルシア軍を撃退するヴァルヴレイヴ。学生たちは歓喜するが、犬塚は自分の無力に涙する。(8話)
     犬塚が孤独に泣くシーンが挿入される。ここでもし、観ている人間が1話のハルトの涙を覚え
    ているなら
    、二人の姿を重ねることで、「自分の感情を周囲と共有できない」という個人と全体
    の対立というテーマへの理解がより深まるだろう。その上で更に悲しみは繰り返される。
    →ドルシア軍を壊滅させることに成功し、学生たちは歓喜するが、ショーコは父の死を嘆く。(11話)
    →月に帰還したハルト達は国民との再会を喜ぶが、エルエルフはリーゼロッテを失った悲しみに暮れる。(20話)
     同種の悲しみの記憶が残っていればいるだけ、キャラそれぞれが抱える精神の孤独はディティ
    ールが深く彫り込まれていく。繰り返すほどテーマを鮮明に感じ取ることができる。

     ところで、テーマを感じる、という重い役目でなくとも反復は活躍している。
    ■サキへ苦言を呈するタカヒに対し、ハルト(中身はサキ)がポッキーで口に栓をする(6話)
    →サンダーへ苦言を呈するタカヒに対し、サンダーがオレンジジュースで口に栓をする(14話)
     これって作品テーマを表すでも、伏線でもなく、日常のワンシーンを繰り返したにすぎない。
    でも、いませんか?大事な日に限って熱を出す人とか、毎回似たような異性にひっかかってる人
    とか、いつもレストランに眼鏡を忘れてくる人とか。高慢な素振りを見せているタカヒが、男性
    に対して実は押しに弱い事が反復によって浮き彫りにされる。
     反復されることによって、キャラクターの輪郭をどんどん確かなものにしていく。「どうして
    自分はいつもこうなんだ?」というジンクスに絶えず直面し、しかし改善しない人々。そして、
    「わかっちゃいるけどやめられない」部分にそのものの核が存在する。
    (ヴァルヴレイヴにおいては…という前書きをしておくが、人間の人格を固定する鍵はその本人
     の記憶…つまり過去の経験である。自分が何者であるかは自分が今まで何を繰り返してきたか、
     によって定義することもできるだろう。もし記憶が
    無くなればマリエのように人格が拡散して
     誰でもない存在になってしまう。「マリエ解
    放」とはマリエが彼女自身の人格(拘束)から解
     放されてバラバラになり死んだ、という意味
    ではないか?)

    ■砲撃を防ぎ「俺には、神が憑いてる」とアイナの言葉を借りた犬塚は、アイナへの恋慕を呟きながら
     敵戦艦に向かって特攻する。(9話)
    →砲撃を防ぎ「俺たちは化物じゃない!カミツキだ!」とアイナの言葉を借りた犬塚は、ハルトに
     ショーコへの恋心を確かめてから敵機に向かって特攻する。(21話)
     9話をよく覚えている状態で21話を観た私は、身を投げうって自分の行動を繰り返す彼の姿に
    感動したことを覚えている。ここでは犬塚キューマがどうしようもないくらいな犬塚キューマで
    ある事がリピートされているからだ。未だにアイナへの恋愛感情から動いて、とっくに死んでし
    まった彼女の言葉にすがり、ハルトとショーコに、そうあってほしかった自分の理想的な関係を
    託して死んでいく犬塚。彼が彼自身でしかありえないと、言葉で理解するのではなく体で「感じ
    られた」。


     もちろんこの話はキャラクター描写に収まるものじゃない。
     ストーリーの流れを「殻を破る」という反復に焦点を絞っておさらいしてみよう。

     革命物語の始まりとして、あのモジュール77を卵だと喩えればその中立的立場(殻)がドルシ
    アによって破られることが一期のスタートになる(「ハムエッグ」はそこに引っかけられる)
    強引に殻をこじ開けられた未熟児の子どもたちは、ヴァルヴレイヴというロボットの過剰な力で
    ダイソンスフィアという更に大きな卵の殻を破って独立を果たす(4話)。また、未熟な彼らは
    クチだけ中立国ジオール(弱い外殻)から、国際的に戦争禁止の条約が結ばれた中立地帯である
    月(強い外殻)を求めて旅立っていく。
    (ちなみに、世界中から好奇と同情と利害の目線に晒されている学生たちは、前述の「自分の気
     持ちを他人と共有できない」孤独な人間たちと同型で、それが拡大して反復されている。
    アイ
     ナの死をリアルな現実として受け止めているのは学生達だけで、SNSでの大衆はそれを
    軽薄に
     しか受容していない(9話)。)

     1期のクライマックスで、最も自分の殻に閉じこもっていた連坊小路アキラがダンボールハウ
    スを突き破って第二の人性を歩み始め、その活躍によってハルト達は「世界を壁(殻)で覆う集
    団マギウス」と対峙する。

     カプセル(殻)を破って生まれた弐号機が二期の幕を開く。一難去って月(殻)に再度避難し
    た学生たちは、月の中立ライン(殻)を越えて地球へと出発(ここでは1号機が足裏からスパイ
    クを出して駆ける様子が4話の独立シーンを反復しているのが綺麗)
     大気圏において連坊小路兄妹がお互いの殻を破って絆を結び直す、マリエが自らの謎を曝いて
    しまい自我を溶解させてしまうなどの事件を越えて、今度はハルト達が逆に、マギウスが牛耳っ
    ているという世界の裏側(殻)をこじ開けにかかる。幽閉(殻)されていたリーゼロッテを解放
    してマギウスの出自を知ることでそれは決定的となった。
     月に帰還したハルト達は、再度ドルシアによって、封じ込めていたカミツキの秘密(殻)を強
    引に破られてしまい窮地に陥る。その余波でショーコはハルト達カミツキに対して強固な殻を作
    り閉じこもる。ハルトとエルエルフはお互いが抱えるクリティカルな秘密(殻)を打ち明け合い、
    最終的にマギウスが構築していた世界秩序の壁(殻)をぶち壊す。

     そして200年後、ショーコはエイリアンに対して壁を築くのではなく手を差し伸べることで殻
    を破り続け帝国を拡大していく。ハルトとの間に作った壁を破れなかったことを償うように。


     眼を光らせればいくらでも見えてくる。ヴァルヴレイヴはあらゆる拘束をぶち破って解き放つ
    ストーリーだ。ヴァルヴレイヴにとっての「革命」とは「解放」のことであり、英題”Valvrave
    the Liberator(解放者)”の面目躍如である。
     ここには説明なんか要らなくて、ただただキャラクター達が暴れまわっていく過程であまねく
    卵の殻が(善悪を問わず)叩き割られていくヴァルヴレイヴのストーリーを肌で感じることがで
    きた。
     ミクロな個人の心の機微から、世界を巻き込むうねりまで、様々な事象が反復され、同様の刺
    激を繰り返すことで条件反射的に過去の記憶を引っ張り出される。ヴァルヴレイヴの展開はジェ
    ットコースター的で意外性に満ちているようで、1話1話が「ああ、やっぱりこうなってしまうの
    か」という宿命の再現でもある。
    (ついでにいえば溜まったものがはち切れるシーンの連発である本作は最高にエンターテインメ
     ント。ここぞというタイミングで並行するシナリオがバーンとぶつかり弾け合うカタルシスを
     体現する作劇の妙手の連続には魅了されっぱなしだった。反面、嘘と裏切り、違和感をのせる
     露悪的な演出で複雑なディスコミュニケーションを表現しつつ解放の下準備をすすめるやり口
     にも大いに唸るものがある。)


     作中、つながってはまたほつれての連続であるハルトとエルエルフの関係は、断裂しては超回
    復する筋繊維のように絆を固いものにしていき、その24話分の絆の強靭さによって世界の壁たる
    カインをぶち破る。そしてハルトの死により絆が失われてしまっても、エルエルフの中には友と
    しての大切な記憶が、ショーコにはハルトの願いが1号機の呪いとして残り続け、また終わらな
    い反復を未来へと続けていく。それは人間の情の尊さでもあり、過去にこだわるあまり反省する
    事ができない愚かしさでもあるが、いずれにしろ人の歴史は呪いと祝福をスイッチし続ける。
     ここに、ヴァルヴレイヴの感触がある!久々の視聴を終えて作品の妙が伝導した瞬間、本作が
    提供してくれた、反復するメロディの中で踊る快楽を噛みしめたのでした。おわり。