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記事 19件
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第2部官僚の壁 vol.11 「妨害の始まり」(琉球新報提供)

    2014-03-31 13:22  
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    妨害の始まり2009年8月の衆院選を約1カ月半後に控えた同年7月19日。民主党公認候補(当時)の玉城デニーの応援演説をするため、沖縄市民会館で登壇した党代表・鳩山由紀夫(当時)は、ホールを埋め尽くした聴衆を前に、県民の大きな期待を感じていた。熱気と高揚感が会場を包んでいた。米軍普天間飛行場の返還・移設問題について触れた。 「県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」。さらりと出た言葉だったが、県民の心をつかむには十分だった。 民主党が勢いを増す象徴的な場面だった。同党は衆院選で県内4選挙区中、玉城を含む公認2候補を当選させる。普天間移設の「最低でも県外」は、多くの国民から事実上の公約として捉えられた。 鳩山の発言から約1カ月後。衆院選を10日後に控えた8月20日早朝の米首都ワシントン。古典的なドーム型建築が特徴的な国会議事堂周辺レストランに、米民主、共和両党の議員秘書ら約10人が集まった。在米日本大使館の職員が呼び掛けた説明会に出席するためだ。米政府にも影響力がある民主党の著名なベテラン議員秘書らの顔が見える。秘書の中でも上級の「チーフ」も参加している。 大使館職員2人のうち「後輩」が、衆院選を前にした日本国内の政治情勢について一般的な説明を始めた。 政権を担っている自民党と野党の議席数、自民党のそれまでの政策、来る衆院選に関する国内メディアの世論調査状況と民主党勝利の予測、選挙後の与野党の議席見通しなどについて述べた。 秘書らは食事を取りながら聞き入った。今度は大使館の「先輩」が説明を代わった。 その内容は次期政権を担う民主党のマニフェスト(政権公約)に対する批判だった。 「We 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.10 「海兵隊削減」(琉球新報提供)

    2014-03-29 10:00  
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    海兵隊削減 10月21日。米ワシントンでの講演で、海兵隊の配置計画を担当する少将マッケンジーが危機感を吐露した。国防長官ヘーゲルが海兵隊を現在の約19万5千人から最小15万人まで減らす可能性に言及したことについてだ。「15万人なら危険なほど小さな力になる」 ヘーゲル発言に先立つ6月、海兵隊は自ら18万人4千人にまで削減すると説明していた。だがこの日マッケンジーは「15万人」には反対する一方、国防総省の事務方が検討している17万4千人案を受け入れる考えを示した。 国防費削減に伴う米軍の兵員削減計画に基づく海兵隊への圧力がさらに強まり、踏み込まざるを得なかった形だ。 米政府関係者は海兵隊は15万9千人にまで減らす選択肢もあるとしている。最終方針は決まっていないが、大幅な削減案が実施されれば、在沖海兵隊の再編にも大きく影響する可能性がある。 普天間飛行場の県外・国外移設を求める多くの県民にとって、海外基地の検証を含む海兵隊の削減・再編の流れは大きな好機だ。だが日本国内では政府が沖縄に「辺野古が嫌なら固定化」と二者択一で移設容認を迫り、米国内でくすぶる移設計画の「プランB」(代替案)の可能性をかき消している。  10月、日米のシンクタンクなどが 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.9 「海兵隊の影響力」(琉球新報提供)

    2014-03-28 13:53  
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    海兵隊の影響力 少し古いが、米海兵隊の政治力を象徴する話がある。 1989年、海兵隊への導入を目指していた開発段階の垂直離着陸輸送機オスプレイの初飛行があった。だがオスプレイは91年、92年に合計死者7人、負傷者2人を数える墜落事故を立て続けに起こす。ヘリコプターと固定翼機の機能を併せ持つ複雑な構造のオスプレイは安全性に疑問がもたれていた。そして、開発費は高額だった。 当時のブッシュ(父)政権の国防長官、ディック・チェイニーはそれらの理由から開発を中止しようとした。 これに対し開発を維持したい海兵隊側は「都合の悪い情報は報告するな」と試験飛行部隊に支持し、計画続行のロビー活動を大展開する。これらが功を奏し、米政府・議会も一緒になった「軍産複合体」は開発の継続を決めた。 チェイニーは繰り返しオスプレイの計画中止を試みるが 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.8 「共同体構想の背景」(琉球新報提供)

    2014-03-27 09:52  
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    共同体構想の背景 米側が敏感に反応し、「米国外し」と強い不信を抱いた首相鳩山由紀夫の「東アジア共同体」構想とは、どんな考えだったのか。 首相就任から13年前の1996年。旧民主党を設立した鳩山は同年11月、月刊誌「文芸春秋」に「民主党 私の政権構想」との題で寄稿する。 当時、沖縄県が打ち出していた、2015年までに全ての米軍基地を返還させる基地返還アクションプログラムと、跡地利用を中心に沖縄を東アジアの交易・交通拠点にする国際都市形成構想に触れた上で、こう述べた。 「沖縄の米軍基地が返ってくることを可能にするようなアジアの紛争防止・信頼醸成の多国間安保対話システムをどう作り上げていくか」 「活力にあふれ、ますます緊密に結び付きつつあるアジア・太平洋全体を、日本が生きていく基本的な生活空間と捉えて、国連、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、東アジア、東南アジア諸国連合(ASEAN)および北東アジアすなわち環日本海という重層的な多国間地域外交をこれまで以上に重視」 後の東アジア共同体につながる考えには沖縄が大きく関係していた。「常時駐留なき安保」の持論も背景に、2009年8月の衆院選で鳩山の口から普天間飛行場の「最低でも県外」発言が飛び出す。 だが鳩山の「東アジア」構想は 
  • One Korea, New Asia(朝鮮日報提供)

    2014-03-27 09:39  
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    第1章 - 統一の課題と効果 

    パネッタ元米国防長官 

    - アジア太平洋地域にNATOのような多岐の安全保障機構を作るべき  鳩山元日本首相 -東アジア共同体の設立のため、日本は戦争犯罪に対する謝罪を表明すべき 

    デメジエール元東ドイツ首相 - 統一、もうすぐ現実になる...離散家族再会を通じてそれを実感する   3日、アジアンリーダーシップ·カンファレンス(ALC)の最初の議論(第1章)では、日本、ドイツ、オーストラリアの元首相らが「統一韓国」に向けての課題と、統一韓国のもたらす効果、在任中の経験などについて、90分間の熱い討論が交わされた。 

    ロタール・デメジエール元東ドイツ首相は、25年前のドイツ統一からの教訓を話した。鳩山由紀夫元日本首相は、北東アジアの安定と朝鮮半島の統一を阻止する日本のナショナリズムを鋭く批判した。ジュリア・ギラード元オーストラリア首相とレオン・パネッタ元米国防長官は、朝鮮半島の統一により新しいアジア時代が開幕し、世界の中心軸が太平洋へ移るきっかけになると展望した。◇二つの顔の北朝鮮政権がネックギラード元首相は「金正恩は、新年のあいさつにて対外的にポジティブなメッセージを出したが、(粛清など)残酷なやり方で権力構築を推進している」と述べた。 パネッタ元米国防長官は、「北朝鮮は予測不可能な国であり、韓国・アメリカだけでなく、他の国に対しても攻撃可能だということを必ず承知しておくべきである」と述べた。北朝鮮の二つの顔が統一へのネックになりうるという意味だ。

     

    3日開幕したアジアン・リーダーシップ・カンファレンスのファーストチャプター、「一つになった朝鮮半島、新しい世界」で、イ・ジョンミン国家安保問題担当大使が、ロタール・デメジエール元東ドイツ首相などを対象に、“朝鮮半島の統一可能性”について質問している。(写真:左から大使、デメジエール元東ドイツ首相、ジュリア・ギラード元オーストラリア首相、鳩山元日本首相、レオン・パネッタ元米国防長官、リュ・ギルゼ統一部長官) オ・ゾンチャン記者

     周辺国との葛藤も統一への障害物として挙げられた。鳩山元首相は「昨年の安倍首相による靖国神社参拝は、
     
  • 3月31日(月)20時~のUIチャンネル放送 高野孟×辺真一(コリア・レポート編集長)「今後の日韓、日朝関係を読む!」

    2014-03-26 17:39  
    第44回目となる3月31日(月)20時からのUIチャンネル放送は、高野孟×辺真一(コリア・レポート編集長)対談「今後の日韓、日朝関係を読む!」をお送り致します。http://live.nicovideo.jp/watch/lv173717078辺真一氏プロフィール1947年 東京生まれ明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、 フリージャーナリストへ1980年 北朝鮮取材訪問 1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長 1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作 1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始 1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力 1992年 韓国取材開始(以後今日まで二十数回に及ぶ) 1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー1999年 参
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.7 「圧力の裏側」(琉球新報提供)

    2014-03-26 10:45  
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    圧力の裏側米国防長官ロバート・ゲーツの態度は、明らかに日本政府へ圧力をかけようというものだった。日本の民主党政権が誕生してから約1ヶ月後の2009年10月20日、外務省で外相岡田克也と向き合ったゲーツは、報道陣の冒頭撮影が終わる前に、いきなり本題を切り出した。 「われわれは米軍再編の実施を約束している」 会談の約35分間、笑顔は一切なかった。「現行案は日米が長い時間をかけてさまざまな選択肢(オプション)を検討した結果、唯一実現可能なものだ」「日米合意に従い、米軍再編の着実な実施が必要だ。できるだけ早期に結論を出してほしい」。普天間飛行場を名護市辺野古へ移設する日米合意案履行を迫る言葉を繰り返した。 翌21日の首相鳩山由紀夫、防衛相北沢俊美との会談でもゲーツは現行計画の早期履行を要求する。さらには会談後の記者会見で、 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.6「東アジア共同体」(琉球新報提供)

    2014-03-25 11:50  
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    東アジア共同体各国の首脳らが集う国連総会で2009年9月24日、米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長のジェフリー・ベーダー(当時)は一般討論演説を苦々しく見ていた。登壇していたのは、その日が外交デビューとなった日本の首相鳩山由紀夫。 鳩山は高揚感に満ちあふれた表情で「日本が懸け橋となって挑むべき5つの挑戦」を掲げた。最後の一つに挙げたのが「東アジア共同体の構築」だった。アジア太平洋各国にとって安全保障上の危険を減らし、「経済的なダイナミズムを共有し合う」ことは大きな利益になる、と訴えた。 ベーダーはその場で周辺に 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.5 「基準」(琉球新報提供)

    2014-03-24 09:45  
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    基準 会場の名護市民会館のガラス越しに、詰め寄った市民らの怒声が届く。窓の向こうには「怒」の文字が書かれた数多くのプラカードがかざされていた。 2010年5月4日。米軍普天間飛行場の県内移設への方針回帰を伝えるため、就任後初来県した首相鳩山由紀夫は、騒然とする中、名護市長の稲嶺進と向かい合った。 鳩山は直立したままだ。 「県外移設をさまざま模索したが、やはり(ヘリコプター部隊と)陸上部隊の共同行動がどうしても必要との議論が先方(米国)からなされている。あまり遠い所に移設地を求められない」 念頭には、米側から約2週間前に示された普天間を県外移設する場合の距離の「基準」があった。 09年8月の衆院選で代表の鳩山率いる民主党は308議席を獲得する圧勝で政権交代を果たす。沖縄での党公認候補の応援演説で鳩山は普天間移設をめぐり「県民の気持ちが一つならば最低でも県外」と発言、公約として受け止められた。 新政権発足後、県外を含めた新たな移設先を検討するが、沖縄から離れた本土には飛行場と演習場を一体的に移す必要があるとの認識に縛られ、作業は難航した。 鳩山は自ら決着時期と定めた「10年5月末」が迫る中、本土と比べて沖縄の演習場から近い、鹿児島県徳之島への移設案にいちるの望みを託す。 「徳之島を全力で追及したい」。同年4月2日。関係閣僚会議でこう明言し、政府は徳之島を軸に対米交渉と地元調整を進める方針を固めた。だがその半月後、在日米大使館で行われた米側からの説明で希望は打ち砕かれた。 米側の説明について書かれた政府の内部文書には、演習場のある沖縄からヘリコプター部隊を移転する場合の条件として 
  • お詫び

    2014-03-24 09:43  
    第43回目鳩山友紀夫×孫崎享「時事対談」の放送時間が変更となり、3月24日(月)20:00から放送いたします。お待ちいただいておりました皆様には、大変申し訳ございませんでした。

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