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【編集長:東浩紀】ゲンロンβ5【哲学は観客をつくる】
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【編集長:東浩紀】ゲンロンβ5【哲学は観客をつくる】

2016-08-13 00:40
    ゲンロンβ5 2016年8月12日号

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    5
    2016年8月12日号
    編集長:東浩紀 発行:ゲンロン


     目次 

    1. 観(光)客公共論 #11 批評とはなにか(3)東浩紀
    2. 浜通り通信 #41 豊間から「当事者として」復興を考える 小松理虔
    3. 「ポスト」モダニズムのハード・コア――「貧しい平面」のゆくえ #12 黒瀬陽平
    4. 【引越し後初回】日常の政治と非日常の政治 #4 18歳の投票率から振り返る政治教育の課題 西田亮介
    5. 【新連載】SF創作講座レポート〈春〉 定義・知性・歴史 溝口力丸
    6. 【新連載】批評再生塾定点観測記 #1 導入・批評・媒体 横山宏介
    7. フクシマ・ノート #10 タイムスリップで古式野馬追の小高にGO! 二上英朗
    8. ポスト・シネマ・クリティーク #8 庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』 渡邉大輔
    9. 人文的、あまりに人文的 #4 山本貴光×吉川浩満
    10. メディア掲載情報
    11. ゲンロンカフェイベント紹介
    12. 関連イベント紹介
    13. 編集部からのお知らせ
    14. 編集後記
    15. 読者アンケート&プレゼント
    16. 次号予告
       

    ※西田亮介さん「日常の政治と非日常の政治」は『ゲンロン』本誌から移動し、今号より毎号連載となります。
    ※吉田雅史さんの連載「アンビバレント・ヒップホップ」は隔月連載となりましたため、今号は休載です。

    表紙:ワタリウム美術館の地下書店「On Sundays」にて8月21日[日]まで開催中の弓指寛治さんの個展「Sur-Vive!」より。弓指さんは個展のために計1500羽もの鳥を描いた小作品を制作。
    撮影=カオス*ラウンジ

     


    観(光)客公共論 #11
    批評とはなにか(3)
    東浩紀
    @hazuma


    ゲンロン友の会の第7期が始まった。新規に入会された方には、ゲンロンの活動をよくご存じない読者もいるかもしれない。

    そこで今回は、第9回[★1]と第10回[★2]で続けてきた批評史の話をいったん横に置き(とはいえ内容は連続している)、ゲンロンカフェの存在意義について簡単に説明してみたいと思う。それはこの連載のタイトルとも深く関わっている。

    弊社ゲンロンは、東京の五反田で「ゲンロンカフェ」というイベントスペースを運営している。スクールの教室として活用しているほか、月に7回前後トークショーを開催している。開店は2013年の2月なので、すでに3年半続いている。

    ぼくはもともと批評家である。それも、身体性や空間性について語ることをとても苦手とするタイプの批評家である。著作リストを見ていただければわかるが、ぼくは批評家と言いながら、音楽や演劇やダンスやスポーツについてはほとんど語ったことがない。ぼくが得意とするのは、高度に記号化され形式化された表現――といえば聞こえはいいが、要はひきこもり系のオタクくさい文化ジャンル、つまり思想とか文学とかゲームとかネットコミュニケーションとかである。ぼくは現実の身体にあまり興味がない。

    したがって、そんなぼくが、現実に空間を借り、現実の人間を集めて定期的にイベントを開催することになるとは、自分でも驚きである。20代でそんな将来を教えられたとしても、絶対に信じなかったことだろう。リアルの人間を集めてリアルに話す、それほどかつてのぼくが忌避していたものはない。院生のころにジャック・デリダに惹かれたのも、彼がパロール(話し手が現前する話し言葉)ではなく、エクリチュール(書き手が現前しない書き言葉)を評価する哲学者だったからだ。

    にもかかわらず、現実にぼくはいま、毎週のようにリアルな観客を集め、リアルな場でリアルなコミュニケーションを組織している。けれどもそれは、ぼくも中年になって身体性の価値に目覚めてきた――という話ではまったくなく、むしろ逆に、身体の現前性なるものこそが幻想であり、非身体的な記号とはまさにその幻想を作るためにこそ存在するのではないかという逆説に気づくようになったからにほかならない。パロールはパロールだけでは実在しない。パロールをパロールたらしめるためにはエクリチュールが必要なのであり、むしろエクリチュールはパロールが実在するという幻想を生み出すためにこそ用いられるべきものなのだ。ぼくはこの点では、いまでも一貫してデリダ主義者である。

    どういうことか。
     

     
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