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【#ゲンロン8 発売記念】「メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史1991 − 2018」冒頭部分(無料公開)
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【#ゲンロン8 発売記念】「メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史1991 − 2018」冒頭部分(無料公開)

2018-05-24 23:42
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「メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史1991 − 2018」冒頭部分 
井上明人 @hiyokoya6
黒瀬陽平 @kaichoo
さやわか @someru
東浩紀 @hazuma


 『ゲンロン8 ゲーム時代』の発売を記念し、本誌収録の共同討議「メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史1991 − 2018」冒頭部分を無料公開! 井上明人、さやわか、黒瀬陽平、東浩紀の4人がこの30年の日本ゲーム史を語り尽くします。

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  『ゲンロン8 ゲームの時代』

    本体価格 2,400 円 + 税
    ISBN: 978-4-907188-25-2
    A5判 342頁

1. 一九九〇年代前半

一九九一年から


東浩紀 『ゲンロン』はじめてのゲーム特集ということで、基本的な歴史を押さえようというのが今日の主旨です。
 とはいえ、ゲームそのものの歴史となるとあまりに漠然かつ広大なので、今日はいまの日本のゲーム消費環境を作りあげた条件をあきらかにする目的で議論をしたいと思います。というわけで、一九九一年から今年二〇一八年までの二八年間に時期を区切って、おもに日本のゲーム消費史を見ていきたいと思います。
 事前の相談で九一年をスタートにしようということになったのですが、まずは井上さん、なぜこの年なのか語ってもらえますか。

井上明人 世界のゲーム市場がつながった年ではないかと思うからです。ゲームの歴史というのは国によってけっこうちがっていて、アメリカと日本の歴史もファミコン以前はかなり分断されていました。アメリカだとアタリ2600が最初に大ヒットした家庭用ゲーム機としてインパクトを持ちましたが、日本ではさほど遊ばれていません。ただ、アメリカ市場と日本市場は八五年のアメリカでのNES(欧米版のファミコン)発売以後は、かなり似たようなゲームを遊ぶようになりました。
 そして、一般的なゲーム史ではあまり注目されていませんが、九一年一二月のソ連崩壊はゲーム史にとっても重要だと思います。旧東側諸国のゲーム史にわれわれはテトリス以外ほとんどなじんでいませんが、独自の歴史を持っています。たとえばいまフィンランドはゲームの世界市場できわめて重要な地域ですが、かつてはソ連の影響下にありました。それで、フィンランドのひとに話を聞くと、彼らのゲームの歴史上で最重要の年は八四年だと言うんです。この年はコモドール64が鬼のように売れて家庭用ゲームなるものを知らしめた年らしいんですね。ファミコンじゃないんです。また、旧東ドイツでも独自の家庭用ゲームが作られたりしています。旧東側諸国は、西側とはあきらかにちがうゲーム史を辿っていた。それが東西の分裂がなくなってファミコンやスーパーファミコンのおかげで世界中のひとが同じ遊びをするようになる。それが九一年から始まる時代ではないかと思います。『テトリス・エフェクト』(原書刊行一六年)などでは旧ソ連のゲーム事情について書かれています。ちなみに、日本では九〇年に発売されていたスーパーファミコン(SFC)が、アメリカで発売された年でもあります。
 もちろん、完全に世界が同じ歴史を歩んでいるとまではいきません。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』(セガ、九一年)はこの年に出て日本では三〇万本弱の売れ行きですが、アメリカだとゲーム機本体との同梱版が出たりしたこともあって、一〇倍の三〇〇万本以上が売れています。なので、日本とアメリカで『ソニック』の影響力はだいぶちがいます。こういうことはいろいろあるんですが、各国でばらばらだったゲームマーケットが、グローバルで考えられる時代になった。そういうタイミングとしては重要な年だったと思います。
 それと、九一年といえば『ストリートファイターⅡ』(カプコン、九一年)がアーケードで出た年でもありますが、こちらは日米の両方で大ヒットしました。

東 九一年というのは、ゲームのグローバル化がスタートした年であると。さやわかさん、どうですか。

さやわか 九一年以前にも洋ゲーという言い方で海外ゲームを楽しむ向きはありました。もともとゲームは日本よりも海外のほうがマーケットも大きく、また初期のゲームファンはApple II用などの海外製PCゲームを楽しんでいた。ただ八〇年代にはファミコンが登場して国内ゲーム市場が大きく発展し、ゲームが一気に輸出産業として認知されていく。九一年は、それがさらにグローバル化に向けて舵を切っていったタイミングです。
 『ストリートファイターⅡ』自体が海外市場を意識して開発されたタイトルです。もともと海外から『ストリートファイター』(カプコン、八七年)の続編の要望があった。それでカプコンは類似作品を作るんだけど、それが横スクロールの『ファイナルファイト』(カプコン、八九年)だった。しかしそれは海外市場が求めていたものではなかったので、あらためて一対一で戦うスタイルの『ストリートファイターⅡ』が開発された。つまり日本向けに作ったものが、たまたま海外でも当たったわけじゃない。この作品がいわゆるベタな日本を描いているのも、海外市場を意識しているからこそでしょう。
 ともかく、九〇年代にはたしかにマーケットはひとつになった。でも他方でコンソールごと、プラットフォームごとに文化が分かれていく時代でもありますね。そういう意味では、グローバル化を成功させたメーカーのひとつがセガだったのがおもしろい。グローバルになってみんなが任天堂を遊ぶようになるのかと思ったら、そうでもなかったわけです。

井上 任天堂は九○年代の前半は強かったですね。九二年に『ストリートファイターⅡ』がSFCに移植されて、『ファイナルファンタジーⅣ』(スクウェア、九一年)や『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』(エニックス、九二年)といった人気JRPGも出る。

黒瀬陽平 プラットフォームにおいて任天堂が圧倒的に優位であった一方で、ソフトに目を向ければ、むしろ、『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂、八五年)を中心とした任天堂イズムのようなものに対して、多様性のあるいろんなジャンルのゲームが出てきたように感じます。

さやわか もうひとつ九〇年代で重要なのは、日本でPCゲームが売れなくなっていくことですね。『Wolfenstein 3D』(id Software、九二年)は海外で大ヒットしますけど、日本では話題になりませんでした。海外ではこのあともPCゲームの市場は継続して大きくなり、いまにつながっていくんですが、九〇年代の日本では「コンシューマーゲームがいちばんすごい」という空気があった。PCゲーム雑誌『コンプティーク』(八三年創刊)九四年一月号の特集は「パソコンゲームってなくなるの?」というタイトルで、国内のPCゲームの衰退を感じさせます。
 コンシューマー機はゲームセンター市場も取り込んでいきます。SFC版『ストリートファイターⅡ』は、移植作業をアーケード版と同じ開発者が担当し、完成度が非常に高いものだった。日本ではコンシューマー機がゲーム文化の中心として定着していく、それが九一年以降に起こったことです。
 並行して日本では、そのようなコンシューマー機の繁栄のもと、『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズのヒットを受けて、JRPGと呼ばれる日本独自のRPGがもてはやされることになります。

井上 九〇年代前半は、PCゲームやアーケードと比べて、コンシューマー機市場がお金も、ユーザーもいちばんリッチでしたね。パソコンやゲームセンターでヒットすればすぐコンシューマー機に移植されました。SFCを遊んでいれば、ゲーム全体の風景をそこそこ見渡すことができた時代なんです。

JRPGの時代

東 もうすこし細かく見ていきましょう。九一年から九二年にかけては、『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』(任天堂、九一年)や『スーパーマリオカート』(任天堂、九二年)などが出ています。

黒瀬 『ファイナルファンタジーⅣ』は当時リアルタイムで遊びましたが、文学性の高い物語とグラフィックのすばらしさが印象に残りました。ドット絵で天野喜孝さんの絵を再現する。それまでのRPGでは、パッケージやイメージイラストはすごいんだけど、実際のゲーム画面では簡略されたドット絵にすぎなかった。「イラストもゲームのなかも同じだ!」と感じて衝撃でした。
 あとマルチシナリオ、マルチエンディングを試みた『ロマンシング サ・ガ』(スクウェア、九二年)がこの時代に登場していますね。これもJRPGの可能性を広げた重要作です。

東 JRPGという言葉は否定的な意味を込めて使われることもありますが、ここでは「日本独自に発展した物語性の強いRPG」を広く指すものとして使うこととしましょう。当時はあまり日本独自という意識もなかったと思いますが、いま振り返るとこの時期はじつはRPGが「ガラパゴス化」し始めた時代でもあった。そしてそのようなJRPGの基本文法は、まさにこの時期に形成されていった。
 さやわかさんは『僕たちのゲーム史』(一二年)でゲームと物語の関係について書かれていますが、JRPGについてはいかがですか。

さやわか 日本人は、八〇年代後半からゲームに対して、いわゆるマルチエンディングの、エンディングが変えられる物語を求めていたと思います。ロールプレイングという言葉の意味を、プレイヤーが自分で物語を変えられることだというふうに解釈していた。だから、ハードウェアが発展すると、すぐフリーシナリオを標榜する『ロマンシング サ・ガ』が出てきた。九二年の段階で、『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』など物語があるていど固定されたゲームを遊んでいるユーザーに、ハイブローなものをぶつけるところまで到達していたんだと思います。

黒瀬 『ロマンシング サ・ガ』シリーズのあと、対抗するかのように『真・女神転生』(アトラス、九二年)や『伝説のオウガバトル』(クエスト、九三年)といったプレイヤーの倫理観を問うハードなシナリオのゲームも登場しました。そういうゲームが独特のカルチャーを作っていった。

さやわか スーパーファミコンのユーザー層にはヤングアダルトもいて、彼らに向けて『真・女神転生』は登場した。このゲームはもともと八〇年代の伝奇小説が原典で、その読者層に近いところへ届いたと言えます。

井上 『伝説のオウガバトル』を手がけた松野(泰己)さんなどもヤングアダルト層を意識していたとはおっしゃっていましたね。あと海外の話になりますが、九〇年代以前の状況を考えると、そのような倫理観を問う作品として『Ultima IV』(Origin Systems、八五年)のインパクトが大きかったと思います。
 SFCになり容量が増えてテキストがたくさん入るようなったこともあるでしょうが、ゲームユーザーのメインが高校生・大学生になり、多少入り組んだ話でも受け入れられるようになったことが大きいでしょうね。倫理観を問うようなゲームの中身の成熟とユーザー層の年齢的な成熟は比例していましたね、このころは。

黒瀬 言い換えれば、九〇年代には、「おれたちはゲームファンなんだ」というアイデンティティを持つユーザーがグンと増えてきたんだと思います。『ゲーム批評』が九四年に創刊されますが、ゲームでもっと複雑なものを体験してみたい、という欲望が育っていた。だから『真・女神転生』も受け入れられた。

ゲームファン第一世代/第二世代

東 九〇年代以前のゲームファンについても整理しておきたいのですが。

さやわか 第一世代はアーケードゲームやパソコンゲームのファンでしょう。ただ八〇年代にはファミコンが出てくる。ファミコンは子ども向けだったんです。初期のファミコン雑誌も子ども向けに、漢字にふりがなを振っていた。その子たちが大きくなったときにSFCが登場して、次第に大人びたタイトルを遊ぶようになるわけですね。
 他方で同じ世代でも、セガのファンはすでに先鋭化してて、16ビットだの同時発色数は何色だのとハードウェアのスペックを競っていた。「おれたちはファミコンとはちがうんだ」「おれたちのほうがかっこいいんだ」というイメージが作られていた。

東 アーケードゲームやパソコンゲームを中心とした第一世代と、コンシューマーゲームとともに育った第二世代がいるということですね。そして九〇年代はその第二世代が大人になった時代だと。

井上 第一世代でもアーケード系とパソコン系ではぜんぜんちがう。アーケードはストリート文化なんです。作り手としても学生運動やフォークソングブームに乗っかったひとたちが流れ込んでいて、不良文化などカウンターカルチャーとも結びついていた。他方でパソコン系は技術志向というか、いわば当時の理系オタクです。
 なので第一世代にも二派います。カウンターカルチャー系&ストリート系のアーケード派と、理系ギークなパソコン派。そこに第二世代としてコンシューマーゲームのユーザーが登場してくる。

出版とゲームが交差したJRPG

東 九〇年代のJRPGの普及にはそのような世代交代が関係していそうですね。第一世代のひとたちは、物語を楽しむだけのために何十時間もゲームをプレイしてくれそうにない。そんなのゲームじゃないとか言いそうです。

黒瀬 そうなんですよ。そこはすごく大事なところで、コンシューマーゲームで育った世代は、そもそも、マンガを読んだりアニメを見たり、メディアミックスに囲まれながらゲームを遊んでいる。ゲームが特殊なメディアだという認識がない。
 ぼくらの世代、いまの話でいうと第二世代になると思うんですが、この世代にとってゲームはむしろ「物語を消費すること」を前提に作られたコンテンツです。児童向けマンガ雑誌の『コロコロコミック』や『コミックボンボン』では、ゲームやアニメの販売促進のような作品が多かった。でもぼくらにとってそれが最初のマンガなので、なんの違和感もなく読んでいた。そしてゲームもマンガも同じコンテンツであればすべて好きになる。たとえば『SDガンダム』が好きであれば、マンガからゲーム、プラモデルまですべてを消費してしまうわけです。

さやわか 八〇年代後半のPCエンジン系の雑誌には、『天外魔境』(ハドソン、八九年)の発売予告が掲載されています。けれど、アニメのセル画のようなヴィジュアルやキャラクター設定画が載っているだけで、ゲーム画面はぜんぜん載ってなかったりする。このようなメディアミックスの売り方が生まれたのが八〇年代後半で、かたちになったのが九〇年代前半。中心は角川です。
 これは言い換えれば、ゲームもキャラクターで売るようになっていくということです。第一世代はゲームはアイデアで作るものだという考え方が強くて、キャラクターを売り物にするキャラクターゲームは軽蔑していました。ところが第二世代はそういったキャラクターゲームを楽しんだわけです。

黒瀬 攻略本の文化も九〇年代前半に成熟している。攻略本がどんどん肥大化し、辞書みたいに分厚いものがたくさん出版されました。たとえば『ロマンシング サ・ガ』については、『ロマンシング サ・ガ 大事典』(九二年)という本が出ています。アイテムのリストやキャラクターのイラスト、ゲーム内のパラメーターが掲載されるのはもちろん、最後にはマンガに小説、おまけに楽譜まで載っていた。そういう消費が自然に受け入れられる環境があった。

東 なるほど。たいへんおもしろい指摘だと思います。JRPGはじつはメディアミックスで支えられていた。
 この話は、なぜ北米ではJRPGのような「物語的」で「文学的」なゲームが生み出されなかったのか、その理由につながる気がします。日本のメディアミックスはそもそもが出版社が主導です。メディアミックスがゲームのコンテンツを支配していたというのは、つまりある時期まで「出版の想像力」がコンテンツを支配していたということです。ひらたく言えば、ゲームはアニメやマンガに呑み込まれていた。実際にアニメやマンガは日本ではたいへん強かったから。けれどそんな環境は北米にはなかった。

井上 関連するエピソードとして、坂口博信さんが、『ファイナルファンタジーⅣ』を作るまえに『週刊少年ジャンプ』編集部の編集者・鳥嶋和彦さんに会ったそうなんです。そのとき鳥嶋さんから「FFはいいけど惜しい。キャラが弱い」と言われたらしいんですね。最初はなにを言っているんだろうと思ったけど、あとになって考えなおした。そこで『ファイナルファンタジーⅣ』はキャラクターの魅力を押し出したということらしいんです。ここでも「出版の想像力」は影響してますね。
 それと『ドラゴンクエスト』も『ジャンプ』なしでは成立しないものでした。ゲームデザイナーの堀井雄二さんは『ジャンプ』でライターをしていましたし、大人気マンガ『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインをしている。『ジャンプ』と二人三脚でヒットしたタイトルです。『月刊少年ガンガン』につながる『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』になると、集英社を離れ自社媒体にもっていってしまうのですが。

さやわか メディアミックスの歴史を考えるうえでは、『コンプティーク』が無視できない。これは角川書店の雑誌ですが、じつは、創刊当初はすごくサブカルっぽい雑誌なんです。それがパソコン雑誌としてカラーを確立した結果、マンガやアニメなどの近接的な文化と親和性の高い国産パソコンゲームを重視する本になった。さらに八六年にテーブルトークRPGをもとにした『ロードス島戦記』を載せるようになって、一気にメディアミックスの中心になった。この編集方針が、各ゲーム機の専門誌や美少女ゲーム専門誌などの派生するゲーム雑誌へ受け継がれていきました。『蓬莱学園』シリーズなどプレイバイメールと呼ばれる読者参加型ゲームも、同誌から派生した各ゲーム機の専門誌における読者参加企画へ受け継がれて発達していきます。なかでも『マル勝PCエンジン』のスタッフが角川書店のお家騒動によってメディアワークスに移ったことで『電撃G’s magazine』の創刊につながり、そこで読者参加企画として『シスター・プリンセス』や『ラブライブ!』などの作品が生まれていく。つまり今日にいたるまでのキャラクターを主軸にしたコンテンツの盛況も、『コンプティーク』の読者参加企画にまでさかのぼることができるわけです。

東 テーブルトークRPGやそれに関連して八〇年代に出版されていたゲームブックは、まさに出版とゲームの「あいだ」にあったものです。日本ではその蓄積を受けるかたちで、九〇年代前半、出版の想像力とゲームの想像力が入り混じる空間があった。それがメディアミックスだった。そしてそこで生み出されたジャンルこそ、JRPGだった。つまりJRPGは純粋なゲーム史から出てきたものではなく、ゲームと出版が交差する場所から生まれたハイブリッドなジャンルだった……。
 いや、いい話ですね。もう今日の共同討議の結論は出た気がするな(笑)。

『バーチャファイター』の重要性

東 気を取り直して、ゲームそのものの歴史に戻ることにしましょう。ここまでの話では、九〇年代はコンシューマー機の時代だということになっていましたが、他方で九三年には『バーチャファイター』(セガ)が出ます。

井上 たしかに、アーケードならではの差別化を図った作品は出てきます。でもそういうゲームですらも数年内にコンシューマー機に移植されていく。

さやわか セガの『バーチャファイター』は対戦格闘ゲームに別の流れを作り出そうとしたと言えると思います。カプコンの『ストリートファイターⅡ』に対して、見た目も操作も大きくちがった。開発者は『ストリートファイターⅡ』のように、手から気功波のようなものを出して戦う、アニメ的と言ってもいいような現実味のない格闘ゲームとはちがうものを作ろうとしたといいます。

『バーチャファイター』は映像史的にはカンフー映画と『マトリックス』(九九年)をつなぐものですね。『マトリックス』の格闘場面のカメラワークはあきらかに『バーチャファイター』の影響を受けている。そういう意味でも重要な作品でしょう。

井上 その観点から言うと『バーチャファイター』を作った鈴木裕氏の「リアル」を考える視点はおもしろいと思います。彼は理系オタク的な技術ベースの発想で作りはじめたひとだと思います。大学で3Dやプログラムの勉強をして、そこから当時の体感ゲームとして疑似3D表現のゲームを作って成功します。ゲームの世界のなかにいかに現実を実装するかにずっと取り組んできたひとです。そして行き着いたさきが、九〇年代末の作品になりますが、『シェンムー』(セガ、九九年)であり『F355チャレンジ』(セガ、九九年)ですね。
 『シェンムー』は八六年の横須賀をそのまま再現する試みです。天気が時間に応じて変わったりする。街にいるひとも毎回ちがうことをしゃべる。現実を作りたいという欲望がものすごくわかりやすく出ている。他方で『F355チャレンジ』はフェラーリ正式ライセンスのシミュレーターで、たいへんリアルな挙動で話題になった。だから両方とも「すごい!」とは思うけど、「楽しいか」と言われると評価が分かれる。
 鈴木さんはリアルさへの欲望に忠実なひとで『バーチャファイター』はその過程の一部に位置づけられる作品です。だからリアルなんだけどいびつな表現もあって、そこが逆に『マトリックス』などにも影響を与えたのかな、と思いますね。

黒瀬 先日、ポリゴン・ピクチュアズ代表の塩田周三さんとお話しする機会がありました。塩田さんが言うには八〇年代後半まで日本のCG業界は世界トップだった。技術を買われて、『ターミネーター2』(九一年)製作中のジェームズ・キャメロンから買収の打診まであったそうです。
 そのポリゴン・ピクチュアズが九三年に作ったのが『Michael the Dinosaur』というPVで、キャラ的に表現されたティラノサウルスがマイケル・ジャクソンのダンスをするという3DCGアニメです。ところが、同じ九三年に『ジュラシック・パーク』が公開されてしまい、彼らは完全に打ちのめされたそうです。そのあと、ポリゴン・ピクチュアズは、資生堂のHGスーパーハードムースのCMに登場するイワトビペンギンのキャラを作ることになる。これは大ヒットしたんですが、リアルなCGではもうアメリカに太刀打ちできないからキャラに舵を切るという選択があったというんですね。おもしろいことに、このイワトビペンギンのキャラは、メディアに出るたびにタレントのように「出演料」を取っていたそうです。
 この話が九三年で、『バーチャファイター』のリリースと同じ。日本のCG技術が挫折したとき、『バーチャファイター』という新しいポリゴンゲームが登場したのはおもしろいタイミングだなと思いました。

『バーチャファイター』はサブカルチャー研究からもおもしろいですよね。「新宿ジャッキー」とか「ブンブン丸」とかプレイヤーがスターになった。

さやわか この時代、ゲームセンターは生き残りをかけていました。そんなとき対戦格闘ゲームがうまく機能して、プレイヤー自身がキャラクター化/物語化する回路が開けた。いまのeスポーツの先駆けと言えますね。

井上 九〇年代は論壇では宮台(真司)さんの存在感が大きくなってきた時期でもありますが、ゲームセンターは当時の宮台さんがテーマとするような空間でもあった。学校や家庭のコミュニケーションに苦しむ子どもたちにとって逃げ場としてゲームセンターが機能していたという研究があります。これは加藤裕康さんの『ゲームセンター文化論』(一一年)に詳しいですが、加藤さんはゲームセンターに置かれたノートを読み解いて、それがいかに重要なコミュニケーションの場になっているかを書いている。

新本格ミステリとゲームの出会い

東 九四年、九五年になってくると、かなり多様な作品が出てきますね。目立つところでは、糸井重里さんの『MOTHER2』(任天堂、九四年)。あと飯田和敏さんの『アクアノートの休日』(アートディンク、九五年)、飯野賢治さんの『Dの食卓』(ワープ、九五年)も出る。一種のメタゲームというかゲーム批判ですね。

黒瀬 ぼくは飯野さんは過大評価されていると思いますよ。ゲームが多様になってきたという点でむしろ注目すべきは、『ときめきメモリアル』(KONAMI、九四年)でしょう。のちの美少女ゲームブームにつながる重要な作品です。

さやわか この作品については、硬派なゲーマーは受け入れないかと思いきや、「ラスボス(メインヒロイン)が手強い」という言い方で受け入れられていたのが印象的でしたね。ゲームマニアっぽい屈折を感じさせる表現ですが、それくらいに成熟したゲーム消費者やコミュニティがすでに存在していた。
 SFCが出たときに、ファミコンの延長線上で遊ぶひと用のハードなのか、そうでなくて大人でも遊べるハードなのかというのは解釈が分かれたところだと思います。すこし時期が戻りますが、九〇年代頭には『ベスト競馬・ダービースタリオン』(アスキー、九一年)『弟切草』(チュンソフト、九二年)などもあった。当時はまだ、シミュレーションゲームはPC向きのジャンルだと思われていましたが、『ダービースタリオン』はゲーム雑誌のライターが熱心に推したおかげでちゃんと人気が出た。いずれにせよ、この時期になると、子ども向けではない作品が出てくる。

東 ぼくは『かまいたちの夜』(チュンソフト、九四年)に注目します。ヴィジュアルノベルの最初の成功作ということもあるのだけど、我孫子武丸がシナリオを担当したことが重要です。
 我孫子さんは綾辻行人や法月綸太郎らと並ぶ新本格ミステリの担い手で、その点では『かまいたちの夜』は「出版」なんですよ。さきほどのJRPGの話ともつながるけど、ここでもまた出版とゲームが交差している。具体的には新本格ミステリとアドベンチャーゲームが出会うということが起きていて、これはかなり親和性が高かった。ずっとのち『Ever17』(KID、〇二年)で完成形を見るような、プレイヤー視点と叙述トリックを組み合わせたトリッキーな作品が、このあと現れるようになる。これもまた日本独自の進化ですね。

さやわか それはキャラクターの話とも関係しませんか。『かまいたちの夜』はSFCで七五万本も売っている。新本格ミステリとアニメ文化の親和性の高さが生んだ現象じゃないですか。『かまいたちの夜』に登場する美樹本とか真理とか、すごくキャラ的な造形でしょう。

東 それは本質じゃないと思います。新本格ミステリがキャラクターを前面に押し出すのは、むしろ京極夏彦や森博嗣が登場して以降です。彼らは、推理の見事さよりもむしろ名探偵キャラに依存する新しい読者層を生み出し、最終的にそこから西尾維新が出てくる。『かまいたちの夜』が製作されていた九〇年代前半時点では、キャラクターノベルとミステリはそれほど近くありません。
 そもそもミステリとキャラクターは本質では相性がよくないんですよ。ミステリの本質はパズルで、徹底して作品内の情報だけをもとに推理を組み立てていくことに魅力がある。ところが名探偵キャラはその前提を壊してしまう。ぼく自身が『ゲーム的リアリズムの誕生』(〇七年)で書いた話ですが、キャラクターの想像力は基本的に作品の境界を壊すものですから。キャラクターは、メディアミックスのような手法にはとても親和性が高いけれど、端正な完結した作品を作るのには向いていないと思います。(『ゲンロン8』へ続く

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討議に参加した面々。数時間にわたる白熱の議論が交わされた。撮影=編集部

井上明人(いのうえ・あきと)
 一九八〇年生。関西大学総合情報学部特任准教授、立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員。二〇一一年より #denkimeter プロジェクトを提唱し、CEDEC AWARDゲームデザイン部門優秀賞。著書に『ゲーミフィケーション』(NHK出版)。

黒瀬陽平(くろせ・ようへい)
 一九八三年生まれ。美術家、美術評論家。〈ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校〉主任講師。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。梅沢和木、藤城嘘らとともにアーティストグループ「カオス*ラウンジ」を結成し、展覧会やイベントなどをキュレーションしている。主なキュレーション作品に「破滅*ラウンジ」(二〇一〇年)、「カオス*イグザイル」(F/T11主催作品、二〇一一年)、「キャラクラッシュ!」(二〇一四年)、「カオス*ラウンジ新芸術祭2015『市街劇 怒りの日』」(二〇一五年)など。「瀬戸内国際芸術祭2016」にカオス*ラウンジとして参加。著書に『情報社会の情念』(NHK出版、二〇一三年)。

さやわか
 一九七四年生。ライター、物語評論家。著書に『僕たちのゲーム史』(星海社新書)、『一〇年代文化論』(星海社新書)、『文学の読み方』(星海社新書)、『文学としてのドラゴンクエスト』(コア新書)など。

東浩紀(あずま・ひろき)
 一九七一年生まれ。作家。ゲンロン代表取締役。主著に『動物化するポストモダン』(講談社)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞受賞)、『一般意志2・0』(講談社)、『弱いつながり』(幻冬舎)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)等。東京五反田で「ゲンロンカフェ」を営業中。

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『ゲンロン8 ゲームの時代』
 ゲームという新しい技術あるいはメディアは、いかに21世紀を生きるわたしたちの生と認識を規定しているのか。 その連関を探る、ゲンロン史上最大の大型特集!
 井上明人・さやわか・黒瀬陽平・東浩紀による50ページ超の共同討議に加え、 『ペルソナ』シリーズを手がけた橋野桂、インディーズゲーム向けプラットフォーム「PLAYISM」を立ち上げたイバイ・アメストイへのインタビュー、 さらに吉田寛の「ゲーム的リアリズム」論、アレクサンダー・R・ギャロウェイの翻訳論文等を掲載。 そして特別付録には充実のゲーム史年表と膨大なキーワード集。
 ロシアの批評誌『青いソファ』編集長エレーナ・ペトロフスカヤ、哲学者オレグ・アロンソンへのインタビューも特別掲載。 現代タイのカリスマ作家プラープダー・ユン、東アジア思想の精鋭・ホイ・ユクなど国際色豊かな連載も充実しています。

[巻頭言]
二一世紀の『侍女たち』を探して 東浩紀

[特集 ゲームの時代]
共同討議|メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史 1991 ‐ 2018 井上明人+黒瀬陽平+さやわか+東浩紀
補遺|視点、計算機、物語――斜めから見るゲームの時代 黒瀬陽平+さやわか+東浩紀
論考|メタゲーム的リアリズム 吉田寛
論考|現代美術の起源――二重化された視覚の系譜 黒瀬陽平
論考ボタンの原理とゲームの倫理 さやわか
論考|ゲームはどのように社会の問題となるのか 井上明人
インタビュー|経験装置としてのJRPG 橋野桂 聞き手=さやわか+東浩紀
インタビュー|ゲームは黒澤明を求めている イバイ・アメストイ 聞き手=黒瀬陽平
コラム|日本国外のヴィジュアルノベル ランディ・アウ
論考|ゲーム的行為、四つのモメント アレクサンダー・R・ギャロウェイ
キーワード|ゲームの時代 一〇の論点 #1 今井晋
付録|ゲームの時代 1991 ‐ 2018年表

[特別掲載]
インタビュー|レーニン、収容所、ポストモダニズム――ロシア現代思想の最前線
オレグ・アロンソン+エレーナ・ペトロフスカヤ 聞き手=東浩紀

[連載]
集中掲載|中国における技術への問い――宇宙技芸試論 序論(2) ホイ・ユク
論考|新しい目の旅立ち 第5回 プラープダー・ユン
論考|独立国家論 第7回  速水健朗

[コラム]
辻田真佐憲/福冨渉/市川真人

[創作]
ディスクロニアの鳩時計 午後の部VII 海猫沢めろん


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