• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 11件
  • 堀潤 連載第8回『ワンコインマーケット「ココナラ」代表・南章行氏インタビュー(前編)』

    2013-07-30 12:00  
    330pt
    米最大手クラウドファンディングサイト「Kickstarter」で、最高額の資金調達に成功したプロジェクト
    われわれは「効率性の経済」から「創造性の経済」へと移動する必要がある---。
    これは、ダナ・キャランやマーク・ジェイコブスなど著名なデザイナーを輩出してきたことで知られる、米国ニューヨーク市のパーソンズ美術大学教授ブルース・ナバーム氏の言葉だ。
    彼は、近著『Creative Intelligence』の中で、巨大な資本によって管理され、効率性を追求することで成り立ってきたこれまでの経済システムの中では、イノベーションは起こりにくいと指摘。そうした中、世界各地で潮流となりつつあるのが、「Indie Capitalism(独立系資本主義)」だと語る。
    独立系資本主義とはつまり、これまで資本や市場の存在を前提に行われていた経済活動から独立し、個人が単独で資金を集め、作品や製品、サービスなどを資金提供者に直接供給する資本主義の姿を指している。ナバーム氏は、インターネットを使った少額出資サービス、「クラウドファンディング」の成長が独立系資本主義の拡大を後押ししていると語る。
    クラウドファンディングとは、インターネットを使った寄付や投資のサービスのことで、アメリカを中心に数年前から世界各地で急速に広がっている。
    例えば、ある個人が「新しいスマートフォンを開発したいので、制作費用として500万円を集めたい」と完成品のデザインや事業計画をインターネット上で公開すれば、それを見た賛同者が「ぜひ実現させて欲しい」と1万円や10万円といった額をクレジットカードや電子マネーで直接本人に向けて支払うというものだ。
    実際に、米国では会社を立ち上げて間もない20代の経営者が、スマートフォンと連携する腕時計(スマートウォッチ)のアイデアを発表。そのプロジェクトが、最初の28時間で100万ドル以上の資金を集めたことが話題を呼んだ。製品は今、世界市場で販売されている。

    「ココナラ」のトップページより
    米国の調査会社massolutionの調べによると、世界のクラウドファンディング市場が、2012年は27億ドル、日本円でおよそ2,700億円だったのに対し、2013年は51億ドル、5,100億円まで成長すると見込まれている。
    アジアなどの新興国でも、個人やベンチャー企業がクラウドファンディングで資金を調達するケースが増えており、新たなイノベーションが生まれている。このような独立系資本主義の成長は、世界の産業構造に小さな変革を起こしているのだ。
    一方、個人と個人を結びつけ、相対的な関係の中で需要と供給のバランスを満たす動きは、クラウドファンディングの他にも広がっている。ワンコインと呼ばれる小額貨幣を介在させて、合理的にサービスを融通し合う仕組みだ。
    ものづくりから子育てまで。今、独立系資本主義の思想や仕組みが、社会にあらたな価値を生み出そうとしている。そこで、最前線の取り組みをシリーズでリポートする。
    ワンコインが解決するマーケットへのアプローチ
    会社にいながらも自分のやりたいことを実現させてあげたい---。
    去年のサービス開始以来、1年間で会員数が6万人に迫るWEBサービス『ココナラ』をみなさんはご存知だろうか。今、市場からの注目を集めるITスタートップ企業だ。
    ココナラは、「自身の"得意なこと"をオンライン上で売買できるオンラインフリーマケット」だ。売買するのは自分のスキル。現在"1回500円"という一律の価格設定で運営されているが、出品されているサービスの質はかなり高く、バラエティに富んでいる。
    例えば、駆け出しの翻訳家の女性が「英語と日本語の翻訳を500円で行います」というサービスを出品し、価格の安さと仕事の速さが評価を得たり、現役の歯科医師が同じく500円で、ホワイトニングやインブラントに関する質問に個別に答えたりと興味深い。
    「バナーをつくります」「ホームページのデザインを行います」といった、IT関連の出品も目立つ。一般ユーザーはもちろん、「プログラミングや開発の相談に乗ってほしい」というエンジニアからの支持も集め、盛り上がりを見せている。
    今回、ココナラを運営する、南章行さんにインタビューを行った。金融業界、海外でのMBA取得、2つのNPOの立ち上げなど、様々な経歴を持つ南さん。『一人ひとりが「自分のストーリー」を生きていく世の中をつくる』という南さんの考え方は、これからの時代に即した新しい働き方への大きなヒントとなるのか。インタビューシリーズでお伝えする。


    「ココナラ」代表の南章行氏
    慶応義塾大学を卒業後、1999年4月、住友銀行に入行。運輸・外食業界のアナリスト業務などを経験したのち、2004年1月に企業買収ファンドに入社。 2009年に英国オックスフォード大学経営大学院(MBA)を修了。東日本大震災をきっかけに2011年6月に投資ファンドを退社し、株式会社ウェルセル フを設立。知識・スキルの個人間マーケット「ココナラ」を2012年7月にオープン。

    「一人一人が自分のストーリーを生きる世の中をつくるサービス」とは
    堀: ココナラは、一般の人たちがこれまでタッチできなかったようなマーケットや資本への入り口になっていると思うんですよね。個人が自分の力を大きなものにしていくことに関して、どんな未来を思い描きながら、サービスを構築されてきたのですか?
    南: ベースの発想として、現代って手触り感を持つのが難しい時代だと思うんです。働く意味が見いだしにくいというか。大きな話で言えば、昭和だったら働く理由を考える必要がなかったと思うんですよね。
    例えば、日産自動車に入りますというと、そこで働いて会社が潤えば、国が潤って、国民が潤うし、車が売れればみんなが嬉しい。そんな環境において「なぜ働くか」なんて考える必要があんまりなくて、純粋に「よりいいものをより多く売る」ということだけ考えていれば、みんな幸せだったんですよね。
    しかし、今は必ずしもそうじゃない。いい悪いではないですが、現状で日産入ったらどうなるかというと、車は飽和している現状で、勝てるの勝てないのという議論になる。電気自動車が出てきたけれど、環境的に車はどうなのかとか、車に乗らない若者が出てくる中で、何で日産で働いてるのかといった時に、答えを持っていないとちょっとつらくなるんですよね。なぜつらくなるかというと、会社も成長しているわけではないし、給料も上がらず、昇進もしないという中で、働くことの意味合いも見い出しにくい。
    世の中で、こういうことが全般的にすごい増えてると思うんです。そうなると、何で働いてんのかな、何で生きてんのかなあ、ということが分かりにくい時代になってしまって、すごく手触り感がないというか。
    このような中で、人ってそもそもどういう時に幸せを感じるんだろうと考えたんです。僕自身は、ある特定の環境下、あるいは組織、関係性において、自分が機能している感覚を持った瞬間に、人は生きることができると思っています。
    あなたが生きてきた人生をベースに、誰かに、何かを提供する。「ありがとう、よくできた、うまくいった」ということでもいい。夫婦間とかでもいいですが、何らかの関係性で機能してるな、誰かの役に立ってるな、という感覚を持てることが人を生かすと思うんです。
    ココナラのベースの思想は、わりとその辺にあって、知識やスキルを販売できる、売ってお金が得られる場となっています。そして、ビジョンでは、「一人ひとりが自分のストーリーを生きる世の中を作る」という言い方をしています。何かが得意とか詳しいとかって、その人の人生そのものじゃないですか。
    ココナラでは、その人の人生そのものから抽出された何かをしますよ、話聞きますよ、ということが提示される。そして、そこに頼る人がいて、何か問題を解決する。それだけの稼ぎで食えるかというと別ですけど、生きられるベースになると思ってるんです。誰かに肯定されて、がんばったら何か報われたみたいなことって、すごくうれしい瞬間だと思っています。
    一方で、購入する側、お願いする側の人も、もともと念頭に置いていたのは女性だったりするんです。やっぱり、気軽に人に聞けないところがあるし、つらいことがあっても言う場がないというのがあるかなあと思っていて。
    システムそのものがすごく大きくなっていて、みんなその中の小さな役割があらかじめそこにあったかのように求められている今の世の中。誰も困った時に聞けないとか、意外とそういう孤立化って進んでいるのかなあと思います。あるいは主婦になって、社会との接点がすごく持ちにくいことも、ネットが拍車をかけているところがあると思うんです。
    ほんの数年前までは、ママさん友達の愚痴なんてmixiに書いてればよかったんですよね。でも今、Facebookが主流になってくると、オンとオフの切り替えなんてないです。ママさん友達はみんなFacebookにいて、かわいい服でも子供に着せようもんなら、こんな服を着せている誰々ママは素敵とか、「いいね!」を押さなければならないじゃないですか。これって、めんどくさいし、逃げ場がないですよね。
    すべてがオープンになってきている中で、そういう人が困った時に相談できる場だったり、しがらみなく聞けることの価値がすごく出てきています。匿名でクローズドの場で誰かに聞ける、親身になって聞いてくれる人がそこにいる関係が、すごく大事で、その人がその人らしく生きるために必要なピースになっていると思います。
    そういう何かを教える、あるいはアドバイスする時と、困った時に頼るペルソナは、そんなに離れたものではなくて、ある部分ではこっちだけど、ある部分ではこっちということがあるじゃないですか。
    すごく俗っぽいけど「あなたらしく生きる」。それをサポートするのがココナラです。それが、「一人ひとりが自分のストーリーを生きる世の中をつくるサービス」ということですね。ベースとしてそういう思想があり、自分が得意なことで誰かの役に立てるというのがいいねということ。そのような空気感を持ちつつも、スキルを売って食っていくのも大事だし、やっぱり仕事って、自分が興味・関心が持てる領域でやるのが一番幸せだと思うんですよね。
    ただそれをすべての人がやれるかというとなかなか難しいところがあります。働きながらやっているうちに、ひょっとしたら自分の興味こっちかもあっちかもとなることもある。自分の夢を殺して働いている人もいるだろうし、別に一つじゃなくて、これは仕事としてやってるけど、二つ三つ興味・関心がある人もいると思うんです。今までそういう人に対しての場が、すごくなかったと思うんですよね。
    だから、自分の中に存在する二つ三つの興味を実現したり、食うための仕事はこっちでやってるけれど、もう少し喜んでもらうための仕事があってもいいと思います。少しでも興味・関心のあることに対して、アクションを起こすことができて、それに対して正のフィードバックがあって、楽しく生きられる感覚を味わえる場がすごく欠けてると思ったんです。僕らとしては、そこを用意したいと考えました。
    人って変わっていくもので、例えば一個得意なことがあって、「ココナラでキャッチコピーを作りました、似顔絵作りました」となると、何人かに一人は、これでいけるんじゃないかな、食えるんじゃないかなって気持ちになっていく人がいるんです。何百人に一人かもしれないけど、実際に転職しちゃった人もいるんですよね。 
  • 田原総一朗 自民圧勝で日本経済、次はどうなる?アベノミクスの本気度は「TPP」と「農業」でわかる

    2013-07-29 12:00  
    330pt
    参議院選挙、自民党の圧勝に終わった。52.61%という投票率の低さが象徴しているように、非常につまらない選挙だった。では、なぜつまらなくなってしまったのか。
    経済問題、TPP問題、原発問題、そして外交や社会保障など、本来、争点はたくさんあったはずだ。それなのに、野党が与党・自民党に対抗できる政策を打ち出せなかった。その結果、野党は、単なる自民党の「亜流」になり下がってしまったのだ。だから争点のはっきりしない、つまらない選挙になってしまった。
    もちろん、経済ではアベノミクスが、「今のところ」成功している、という要因は大きいだろう。折しも政府は、7月の月例経済報告で景気の基調判断を「自律的回復に向けた動きもみられる」と発表している。3カ月連続で上方修正したのだ。「回復」という表現が使われたのは、2012年9月以来、実に10カ月ぶりである。これは、選挙直前の好材料だったといえるだろう。
    しかし、これまでの経済の好調は、いわば「期待値」だ。安倍政権にとって、参院選後こそがさまざまな問題の正念場である。TPPの交渉参加も、ついに今月23日に実現している。このTPPと密接に関係してくるが、アベノミクスの成長戦略、構造改革でもっとも重要な産業は農業だと僕は思っている。高齢化が進む日本の農業は、このままでは衰退するばかりだ。しかし、実は日本の農産物は世界でも高い評価を得ているのだ。
    リンゴのフジ、イチゴやお米……。味といい、見た目の美しさといい、日本人の繊細な感性で作られた農産物は、外国でつくられたものとは、ひと味もふた味も違う。十分に国際競争力を持っている。 
  • 長谷川幸洋 コラム第12回 自民が勝っても「違憲国会」では憲法改正できないと、安倍首相は知っている

    2013-07-25 12:00  
    330pt
    [Photo] Bloomberg via Getty Images

     参院選の焦点の1つに憲法改正問題がある。自民党が勝った場合、すぐにも憲法改正に動き出すのではないか、という見方を強調するメディアもある。はたして、自民党をはじめ改憲派が多数を占めた場合、本当に改正発議のような動きが始まるのだろうか。
     私はそうは思わない。少なくとも、いまの国会を前提にする限り、可能性はほぼゼロに近いとみる。理由は簡単だ。相次いだ高裁の判断で「いまの衆院は違憲」とみなされているからだ。
     昨年末の衆院選について全国14の高裁と高裁支部で示された16件の判決中、14件が違憲、残る2件が違憲状態という判断だった。違憲判決のうち2件は衆院選そのものが無効という厳しい内容だ(たとえば日本経済新聞)。
    「すっきりしたいねえ」
     これを素直に受け止めれば、いまの衆院議員は「違憲の議員」という話になる。そんな違憲の議員が選んだ安倍政権は「違憲の政権」である。そもそも違憲の政権が改憲に動く正統性があるか。もちろん、ない。これは単純明快な原理の話だ。
     分かりやすく言えば、自民党がいくら選挙カーの上から改憲を訴えてみたところで、路上から「政権自体が違憲じゃないか。改憲を言う前に国会を解散して政権を選び直せ」とヤジを飛ばされれば、それで終わりである。
     誤解がないように言うが、私自身は憲法改正に賛成だ。だから、改憲に反対するために書いているのではない。だが、その私からみても、安倍政権が本気で改憲に動き出そうとするなら、そういうヤジを飛ばすだろう。
     実は安倍晋三首相に直接、そういう趣旨の話を申し上げたことがある。それは5月14日夜に会食したときだ。
     いまから2カ月前で結論も出た話なので、もう書いてもいいだろう。私は安倍に「衆参ダブル選挙は考えないのか」と聞いた。衆院が違憲状態なので、選挙で改憲の話を言うなら、まず衆院解散が先になる。そこで参院選に合わせて、ダブルで総選挙に打って出る可能性はないか、と尋ねたのだ。
     私自身はできるなら「すみやかに解散すべきだ」と考える。それは政権が改憲を目指そうが、目指すまいが関係ない。裁判所から憲法違反と指摘されて、国会が対応しないのは政治の怠慢と思うからだ。まして政権が改憲を唱えるなら、なおさらという話である。
     それに対する安倍の答えは「できるものなら、やりたいよね」だった。それから言葉を続けて「でも長谷川さん、日程が間に合わないんだ」と言った。
     つまり、衆院で1票の格差を是正する0増5減の公職選挙法改正案を成立させて、そこから1カ月の周知期間をおくと、7月21日の参院選投開票日に間に合わないという話である。実際、0増5減法案が衆院の再議決で成立したのは6月24日だったので、参院選には間に合わなかった。
     そこで、次が本当のポイントである。安倍はそう説明した後、思案顔で「でも、すっきりしたいよねえ」と言ったのだ。 
  • 田原総一朗『歴史に学ぶ、「政権交代」で人類は何を選択したのか?』

    2013-07-23 12:00  
    330pt
    先日、日本に住む韓国人の方から僕の番組宛てにメールが届いた。要約するとこんな内容だ。
    「成熟した資本主義において新自由主義は、限られた富の奪い合いとなる」
    「そして、一部の限られた人たちだけが富み、貧富の格差は開くばかりになる。実際、現在の韓国がそうなってしまっている」
    「やはり新自由主義はよくないのではないか」
    彼の言うことはよくわかる。自由競争を前提とする新自由主義には、そういった負の側面があることは事実だ。では、新自由主義がよくないとして、対する社会民主主義はどうなのか。
    社会民主主義では、国民の間でできるだけ格差が生じなようにと考える。そのために社会保障を厚くするから、いわゆる「大きな政府」になる。富の再分配を積極的にするのだから、格差は少なくなるのだけど、人間というのは正直なもので、そうなると社会全体の経済成長もなくなってしまうのだ。このように社会民主主義には、長所と短所がある。同じように新自由主義にも、長所と短所がある。政治に完璧な「正解」などないのだ。
    ところが、その「完璧な政治」を目指した国があった。ソビエト社会主義共和国連邦、旧ソ連である。1991年に崩壊したソ連は、マルクス主義を標榜して築かれた、共産主義国家として、長く理想の国だとされてきた。
    僕はソ連を訪ねたことがある。1965年に映像関連の文化交流で招待されたのだ。そこで、僕はモスクワ大学の学生と討論をした。そのときのことだ。僕がフルシチョフについて質問したところ、その場が凍りついたのだ。「政治について、触れないでください」と後でガイドにきつく注意された。
    その前年に、西側諸国に対する寛容的な政策を理由に、ソ連の最高指導者・フルシチョフが失脚したばかりだったからだ。ソ連に「言論の自由」などなかった。だが当時、日本の多くの知識人とメディア関係者は、ソ連を理想の国だと勝手に思い込んでいたのだ。
    平等で、完璧な「理想の国」を実現しようとすれば、必ずどこかに歪みが出る。そのことを、ソ連という国の行く末を見て、僕たちはようやく知った。「理想の国」と言われながら、「粛清」という名の大量殺人が行われ、党幹部や一部の階層は贅沢を極めながら、建前だけの「平等」を謳っていた。ソ連の工業製品は、なんら創意工夫もなく欠陥品ばかりだった。これでは、経済成長など望むべくもないことだろう。
    改めて言おう。政治に完璧な「正解」などない。新自由主義にも、社会民主主義にも、正解はない。では、どうしたらよいのか。
    やはり政権交代でバランスをとっていくしかないのではないか。たとえば、新自由主義によって自由競争が活性化すれば、経済は上向きになる。しかし一方で、格差は開いてしまうだろう。この状況が行き過ぎたら、社会民主主義の政党が政権をとればいい。社会保障を厚くして、格差を縮めるようにするのだ。
  • 田原総一朗 ネット選挙は「不偏不党」を口実に、肝心なことを報じない既存メディアを変えられるか?

    2013-07-18 18:00  
    330pt
    今回の参議院議員選挙から、ネットの選挙活動が解禁された。この動きは、時代の流れからみて当然のことだろう。いや、むしろ遅すぎたと言えるかもしれない。従来の選挙での街頭演説などでは、いい加減なことを言ったり、ひどい中傷などもあった。ところが、ネットでの発言は記録が残ってしまうから、発言が慎重になるというメリットもある。

    今回のネットでの選挙活動の解禁で、僕は気になることがある。既存メディアが、どういう選挙報道をするのか、そのあり方についてだ。気になると言ったが、はっきり言えば、新聞などの報道に僕は苛立っているのだ。

    例えば、新聞は各党の公約を並べて載せる。けれど、公約を並べるだけで、分析、批判はしない。なぜか。「不偏不党の原則」に従っているから、ということらしい。だが、「不偏不党」というなら、すべての党に対して、きちんと批判すべきことは批判するという姿勢でいけばいい。分析しない、批判しないことが、「公平」なんかではないのだ。ところが、どのメディアも、コンプライアンスという言葉にがんじがらめになっている。

    新聞だけではない。テレビも同じだ。「無難に」という姿勢になって何もしなくっているのだ。ところが、ネットは「不偏不党の原則」にしばられない。だから思い切った企画もできる。そして、何よりもスピード性がある。

    既存メディアの人間たちは、自らの存在意義を考え直さなければならないのではないか。このままでは、既存のメディアから人びとは離れて行くだけだろう。

    特に新聞は、危機感が必要だ。スピードという面で見ても、ネットに遠く及ばない。事件、事故の記事にしても、新聞に掲載されるはるか前にネットやテレビで流されている。「速報」という点では、すでに新聞の役割は終わっている。では、新聞の存在意義は何か。事件、事故であればその原因を徹底して調べて報道する。社会問題、政治であれば、分析し、どうすべきなのかを論じる。事実だけを流すのでは、もはや新聞の存在価値はないのだ。

    ところが、独自の取材をしない記者、そして取材ができない記者が、なんと多いことか。記者発表の情報をただ流すだけ。情報の裏にあるものを調べようともしない。

    いま選挙のあり方は、大きく変わりつつある。既存メディアも変わらなければならなくなっている。この問題意識を若い人たちと一緒に変えていきたいと僕は思っている。一緒に変えていきたいと 僕は思っている。

    記事を読む»

  • 長谷川幸洋コラム第12回『今回の参院選は与党勝利のつまらない選挙ではない 成長をめぐる歴史的選挙』

    2013-07-18 12:00  
    330pt
    参院選の投開票日が迫ってきた。ほとんどのメディアは与党勝利を予想している。こうなると有権者も選挙への関心が冷めてしまい、投票率の大幅低下が心配になるような展開だ。それを前提に、固い組織票をもつ公明党や共産党が善戦するのではないか、という見方も有力になっている。  本当に、今回の参院選は「つまらない選挙」になるのだろうか。私はそう思わない。たとえ投票率が下がったとしても、長い目で見ると、実は日本政治に深い影響を残す選挙になるのではないか、と見ている。  大げさに言えば、時代を画すエポックメイキングな選挙になるような予感がするのだ。 今回の選挙で問われているのは経済成長  なぜかといえば、そもそも政治の目的の一つである「経済成長」が問われているからだ。この大問題について、与党と野党第1党である民主党の考え方はまったく異なっている。その点がはっきりしたのは、安倍晋三首相と海江田万里民主党代表の日本記者クラブでの公開討論会(7月3日)だった。  安倍は「アベノミクスの副作用を強調しているが、どうやって経済を成長させるのか」と迫った。これに対する海江田の答えはこうだった。 「デフレや円高、株安のままでいいとは思っていない。経済の成長にとって大事なのは持続可能性だ。長続きする経済成長には国内の需要、健全な消費を拡大しなければならない」 「私たちは子ども手当や高校授業料無償化を通じて(子育て世代の)手取り額を増やすことに努力してきた。手取りを増やすことによって、一番消費を必要としている人たちに消費してもらい、持続的に経済が成長することを目指している」(一部略)  ここが核心である。  前々回のコラムで、民主党は「雇用や所得の増加、厚い中間層」という成長の結果を成長の源泉であるかのように取り違えている、と指摘した。  党首討論で、海江田はそこから一歩踏み込んで「子ども手当や高校授業料無償化を通じて消費を増やす」という考えを披露した。しかも、それが「健全な消費」という認識である。子ども手当も高校授業料無償化も元は税金だ。消費の源泉を税金に求めて、どこが健全なのか。  税金を子育て世代に配って消費させるという政策は、所得の再配分にほかならない。  つまり、民主党は「所得再配分が成長を促す」という考え方である。世界標準の経済政策は「まず成長を目指して、次に所得を再配分する」と考える。まったく因果関係、優先順位が逆なのだ。所得再配分が成長を促すのだとしたら、政府の役割はひたすら高所得者や儲かっている企業から税金を徴収して、若年者や低所得者に配ればいいという話になってしまう。  民主党の政策はまさに、そういう構造になっている。だからこそ、前々回コラムで指摘したように「企業」という言葉は重要文書に1回も登場しない。民主党の頭の中で企業の役割はないかのようだ。 経産相経験者の枝野は「成長は幻想」という  同じ考えは海江田だけでなく、民主党の幹部たちが選挙戦を通じて繰り返し述べている。どれくらい本気でそう思っているのかと思って、たまたま枝野幸男事務所から送られてきた「叩かれても言わねばならないこと~『脱近代化』と『負の再分配』」という枝野の著書を読んでみた。  そこには、こう書かれている。 < 経済成長期は日本が手にするパイ、つまり富はみるみる増えていった。この時代の政治の役割は『富の再分配』だった。しかし、低成長時代に入って、パイの拡大は限られたものになった。現代はコストやリスクをどうやってみんなで公平に分担するのかという『負の再分配』の時代に入っている。私たちは、成長幻想や改革幻想といった夢から覚めて、その現実に向きあわなければならない >(一部略)  民主党政権で官房長官、経済産業相を経験した枝野が「成長は幻想だ」という認識なのである。簡単にいえば「もう低成長だからパイは増えない。夢は捨てよ。コストやリスクの分担を考えよう」という主張だ。控えめに言っても、枝野はパイをどう増やすかに熱心でない。  これに対して、アベノミクスはデフレ脱却を目指して金融と財政のマクロ政策を総動員し、その後、中長期の安定成長を目指して規制改革を進めるという政策である。改革の進展具合に不十分さはあるが、もちろん景気回復も成長もあきらめてはいない。  肝心要の経済成長について、自民党は言葉だけでも「全力を尽くす」姿勢なのに対して、民主党は「まず分配政策。成長幻想から覚めよ」と言っている。両党の考え方がこれだけ違ってしまうと、いまの段階では、とてもまともな議論にならない。根本が違うからだ。  はっきり言うが、私も公正な分配は必要だと思っている。ただし、それはあくまで成長が前提である。成長なくして公正な分配だけを目指しても、ジリ貧になるだけではないか。15年デフレ、20年にわたる大停滞を経た日本に必要なのはジリ貧脱出政策である。  デフレ下で税金を再配分するだけで、どうして成長が持続可能になるのか。ジリ貧が進行するだけだ。  自民党と民主党の成長に対する考え方がこれだけ違っていて、有権者の判断が明確に示されてしまうと、負けた側(メディア予想によれば、おそらく民主党)は大きな痛手を被る。そうなると、選挙後は野党再編のような展開になる可能性すらあるかもしれない。
  • 田原総一朗 『参院選、「決められない政治」を終わらせるために、何を選択すべきか』

    2013-07-13 12:00  
    330pt
    7月4日、参議院選挙が公示された。第2次安倍晋三内閣発足後、初の大型国政選挙だ。21日の投開票に向けて17日間の熱い選挙戦が始まった。僕は現在の時点で、すでにすべての党の党首に話を聞いた。なかでも印象的だったのは、「日本維新の会」共同代表の橋下徹さんと、「生活の党」代表の小沢一郎さんだ。

    橋下さんは、正直言ってとても参っているようだった。慰安婦発言に対して、メディアからの大批判、さらに共同代表である石原慎太郎さんからも責任を問われた。その挙句に東京都議会選で敗北。打たれ強い彼にとってさえも、よほど大変な状況が続いたということだろう。

    一方の小沢さんは、人を口説く天才だ。かつて、新生党代表幹事だった小沢さんは、日本新党、新党さきがけ、公明党、日本社会党などとの連立を謀った。反自民連合を作り、細川護煕内閣を樹立させたのである。そのため自民党は、第一党でありながら野に下ることになる。小沢さんの胆力と口説きがあったからこそ、生まれた内閣であった。1993年のことだ。

    その後、小沢さんは民主党の代表となる。そして、民主党が衆議院選挙で圧勝し、第一党となった2009年、小沢さんは首相になるはずだった。ところが、その直前に公設秘書が逮捕される。西松建設をめぐる汚職事件だ。これで、小沢さんは首相への道が絶たれた。その後の検察からのリークで、メディアにさんざん極悪人扱いをされた。メディアに潰されたと言ってもいいだろう。

    今回、小沢さんに会って、その独特の「力」のようなものが、感じられなくなっていた。橋下さんと小沢さん、この野党党首2人に、本来のパワーを感じられないのは大変残念なことだ。「闘う相手は?」という僕の問いに、橋下さんは「メディア」、小沢さんは「自民党だ」と答えていたのが印象的だった。

    小沢さん、そしてまだ若い橋下さんの力を奪ってしまった「報道」とは、いったい何なのだろうか。果たしてそれは、国民のためになっているのだろうか、と考えざるを得なかった。
  • 長谷川幸洋 コラム第11回『アベノミクス第4の矢は財政再建にあらず 政府は宝となる砂の山を公開せよ』

    2013-07-11 12:00  
    330pt
    アベノミクス・第3の矢に続く「第4の矢はないのか」という議論が盛んだ。先日、出演した読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』でも「あなたが考える第4の矢を提案してください。ゲストの安倍晋三首相がグランプリを決めます」という企画があった。  そこで、今回は「第4の矢」を考えてみる。  その前にまず第3の矢、すなわち成長戦略だ。安倍内閣は6月14日に日本再興戦略(詳しくはこちら。PDFです)と経済財政運営と改革の基本方針(いわゆる骨太の方針、詳しくはこちら。PDFです)を閣議決定した。  この2つの文書はセットになっている。前者が第3の矢に相当し、後者は戦略のエッセンスも含んでいるが、主に財政政策について基本的な考え方を記している。  両方合わせて計130ページと大部だ。各メディアは結構なスペースを割いて報じたが、さて全文を読んだ記者がどれだけいるかとなると、実はほとんどいないのではないか、と思えるような分量である。 130ページの書類の中から浮かび上がるのはオープンデータ  この手の政府文書は発表前に記者向けの事前レクチャーがある場合もあるし、発表から数時間で原稿の締め切りに間に合わせなければならない場合もある。後者だと、ゆっくり読んでいる暇はない。ざっと斜め読みして、ポイントだけに絞って、とにかく原稿を出す作業を迫られる。  すると、当然ながら重要だが書き切れなかった、というか読み落とした部分が出てくる。実は、そういうところに面白い部分もあったりするのだ。  私が今回、紹介したいのもそういう部分である。それは何かというと、オープンデータについてだ。  日本再興戦略は「世界最高水準のIT(情報技術)社会の実現」を掲げ、その中で「オープンデータやビッグデータ利活用の推進」をうたった。  ご承知の読者も多いと思うが、オープンデータとは政府が保有している膨大な公共データを民間に開放して、新しいビジネスの創造や生活の利便向上に役立てる、という構想だ。  戦略は2015年度中にデータセット1万以上という世界最高水準の情報公開を実現する目標を掲げている。民間にデータを公開する一方、政府情報システムのクラウド化を進めて、今後5年間で約1500の政府情報システムを半減し、8年間で運用コストを3割圧縮するという。  これだけ読めば、結構な話だと思う。  本来、政府が集めた情報はもともと国民のものなのだから、個人情報とか安全保障などに支障がない限り、基本的には国民が自由に参照し、可能ならビジネスにだって活用できるようにすべきである。 オープンデータは欧米では経済活性化にきわめて重要と目されている  欧米では、オープンデータさらにオープンガバメントは単なる情報公開にとどまらず「経済活性化にきわめて重要」という認識が強まっている。6月21日公開のコラムでは、先の主要国(G8)首脳会議で採択されたロックアーン宣言でオープンデータの重要性が強調されたことを紹介したが、実はそれとは別に、もっと具体的な「オープンデータ憲章」が会議で採択されている。  外務省は当初、ホームページで憲章の日本語訳を公開していなかったが、私が26日付東京新聞「私説」というコラムで「憲章の日本語訳をネットに公開することから(オープンデータを)始めてほしい」と注文したら、翌27日になって概要の日本語訳を載せたようだ。  ようだ、というのは、私がコラム掲載前に外務省ホームページをチェックしたときは日本語訳も英語の原文も掲載されていなかったのに、いまになったら掲載されている。それも「6月18日」というサミット当日の日付入りだ。ううん???  こんなことがあるのかと思って、ツイッターで関連情報を調べてみたら、ツイッター上では27日付で「外務省が和訳版を公表」というツイートが流れている。公開日をいちいちチェックするほど私は暇ではないが、どうやら後で公開したけど、日付はサミット当日にしておいたという話である「ようだ」。  ま、それでもいいだろう。ないよりましだ。  オープンデータの趣旨は、ともかく政府が持っている情報はなんでも「生のデータセット」で公開し、民間が自由に使えるようにするという点にある。これに限らず重要な文書は日本語訳が間に合わなかったら、ポイントだけでもいいからすぐ紹介して、英語の原文へたどり着けるように工夫してほしい。  そこで、憲章の内容である。  憲章は「オープンデータがなぜ重要か」に始まって、オープンデータを進めるうえで5つの原則を指摘した。それは「デフォルトとしてのオープンデータ」「質と量」「だれでも使える」「改善した統治のためのデータ公表」「技術革新のためのデータ公表」である。 宝の山を掘り当てるのは民間の"ひらめく人"だ  第4の矢との関連で言えば、最後の「技術革新を促す」という点が最大のポイントであると思う。膨大なデータをどう使うかは、やってみなければ分からない。日本のどこかに「ひらめきのある人」がいて、データセットを前に「こうしてみたら面白いんじゃないの」と思いつくかどうかが勝負である。  もしかしたら、それが大きな需要を生んで、新しいビジネスになる。だから「オープンデータは現代の宝の山だ」とも言われる。砂の山から何かを掘り当て上手に加工したら、とんでもないダイアモンドに化けるかもしれないのだ。  掘り当てるのは官僚ではない。  あくまで民間の「ひらめく人」だ。だから安倍政権はまず、砂の山を徹底的に公開することに全力を注いでほしい。間違っても「あれはただの砂だから」などという役人の言い分を聞いてはいけない。外務省はもしかしたら、オープンデータ憲章さえ「サミットで出た砂の残りカス」程度にしか思っていなかったかもしれないのだ。  だから、まず日本再興戦略の長文の中に埋もれていた「オープンデータ」が第4の矢になりうる。政策の磨き方次第である。
  • 堀潤 連載第7回 『キーワードは自前主義からの脱却と協業。ホンダとエバーノートの現場主導の成長戦略』

    2013-07-09 12:00  
    330pt
    アベノミクス3本目の矢はすでに折れているという指摘
     安倍政権が成長戦略の柱の一つに掲げるクールジャパン政策。先月、国会では官民ファンド「クール・ジャパン推進機構」を設立するための法案が可決成立し、500億円が投入されることが決まった。今後、アニメやゲームなどのコンテンツ、ファッションに加え、日本食、伝統工芸、伝統文化、自動車などを投資対象として、政府が音頭をとって支援していくことになる。
     このコラムではシリーズで、クールジャパン政策の可能性と課題について探ってきた。ソーシャルゲームの世界展開で急成長を遂げるgumi代表の國光宏尚氏は、政府主導の現政策の方向性について、真正面から次のように指摘した。
     「クールジャパンの今の方向性は間違っています。問題は、国が支援をしすぎで過保護であること。現地と一人も繋がれない雑魚企業を支援する必要はありません。企業に関していえば、いいものを作れば売れると未だに思っていますが、これは大きな間違いです。売れるモデルの構築が大切です」
     さらには、選択と集中を促し、個別単位での投資をやめプラットフォームの構築に向けた大規模な投資こそ国家が担うべきだと語った。
     一方、経済産業省でクールジャパン政策を牽引する官僚の1人、小田切未来氏は「現在のクールジャパン戦略に対して寄せられる批判点、それは、点が面になっていないこと。単なるイベントにおわってしまうといった指摘です」と率直に語り、海外現地コミュニティとの連携を強化し華僑のようなネットワークを構築する必要があると持論を述べた。
     先月英国・北アイルランドでおこなわれたG8(主要国首脳会議)では、ドイツのメルケル首相が安倍総理大臣と1時間以上に亘って会談。巨額の借金を抱える中でどのように成長戦略を打ち出し実行していくのかについて具体的な質問が続いたと報じられた。"噂で買って実で売る"という投資家たちの視線は、日本が打ち出す成長戦略の実効性の行方を厳しく見つめている。
     今、日本に求められる実行力とは具体的にどのようなものなのか。筆者が掲げるキーワードは"自前主義からの脱却と協業"だ。今、米国カリフォルニア・シリコンバレーでは、伝統的既存産業である日本の自動車メーカーと新興IT企業の協業により、新産業の開発に向けた模索が始まっている。
     シリーズ最終回は、自動車メーカー「ホンダ」とクラウド型の情報記録サービスで成長を遂げた「エバーノート」の協業による取り組みから、官ではない、現場主導の成長戦略を報告する。
    シリコンバレー発「IT×自動車」 ~仕掛人は異色の経歴
     サンフランシスコ空港から車で南におよそ30分。シリコンバレー北部に位置するレッドウッドシティを訪ねた。カリフォルニアらしいギラリとした強い日差しを反射するガラス張りのビルに、緑地にゾウのマークが描かれたおなじみの看板が掲げられていた。
     エバーノート社。スマートフォンを利用している人なら一度はそのアプリを見かけたことがあるのではないだろうか。インターネットを利用したクラウド上に文書や画像を保管し記録するアプリだ。欧米やアジアを中心に5000万人の会員数を誇り、日本国内でもすでに500万人が利用している。
     エバーノート社がシリコンバレーで立ち上がったのは今から5年前。日本でのサービス開始は3年前。クラウドやスマートフォン市場拡大の波に乗って急成長を遂げ、1億人の利用者獲得に向け、今、勢いに乗る新興IT企業の一つだ。
     吹き抜けのエントランスを通り抜けドアを開くと見通しのよい広いオフィスが広がっていた。6人掛けの四角いテーブルが20個程並び、Tシャツやパーカー姿の若者たちがノートPCを開いて作業に没頭している。天井からは、エバーノートの横断幕に加えて、赤い文字で「HONDA」とプリントされた横長の旗が吊り下げられ、空調の風に揺られていた。

     この日、このオフィスで開かれていたのはエバーノートと自動車メーカーホンダによる「ハッカソン」。一般からの応募で集まったシリコンバレーのIT技術者たちが3日間の日程で、ホンダやエバーノートが公開した自前のプログラムを使って、新たなサービスを考えだすという催しだ。
     ハッカソンとは、高い技術でプログラムを開発する「ハック」と「マラソン」を合わせた造語で、シリコンバレーでは企業や自治体の主催で盛んに行われている。一般のプログラマーがチームを組んで技術を競い合いながら新たなサービスを開発する。賞金が出たり、主催企業に採用されたりするハッカソンもある。この日は、20代~30代の若手IT技術者を中心に100人が参加し、13のチームに分かれてそれぞれが独自サービスの開発に熱中した。

     ホンダは、シリコンバレーに研究所を構えて10年。これまでは基礎研究の拠点として役割を果たしてきたが、数年前から車に搭載するITサービスの開発を行うようになったという。会場の一角では、ホンダの研究チームが参加者向けに、公開しているプログラムの説明を行っていた。プロジェクターに映し出される資料には、複雑なコンピューター言語が並ぶ。
     「彼らのプレゼンを見たら分かると思いますが、車はもはや、スマートフォンと同じようなデバイスです。生活環境の情報のハブになるような機器という概念に変化しています」
     眼鏡をかけ髭を生やした日本人男性に声をかけられた。 ホンダシリコンバレーラボで研究員を率いる杉本直樹所長だ。日本の大手製造業が米国内でハッカソンを開くのはおそらく初めてということだった。
     杉本さんは、ホンダ生え抜きの技術者ではない。7年前にリクルートからホンダに移ったという異色の経歴を持つ。
     「良いモノづくりをしていたら売れるという時代ではないんです。メーカーはテクノロジーの変化とともに進化していかなければダメです」
     ホンダシリコンバレーラボが関わる企業は殆どが地元IT企業。日本のサプライチェーンとの関わりは薄いと話す。
     ホンダのチームと話をしていると、もう1人会場に日本人が現れた。白縁の眼鏡をかけた柔和な物腰の男性。今回のハッカソンの主催者、エバーノート日本法人会長の外村仁氏だ。
     「ホンダさんとのコラボは楽しいですよ。新しい可能性や提案がどんどんでてくればいい。うちのハッカソンはとてもオープン。特にヘッドハンティングの場というわけではなく、とにかく彼らの自由な発想にぼくらも触れてみたい」
     ホンダとエバーノートはベンチャーの育成を目指し、今年4月に共同育成プログラムの実施を発表するなど、あらたな協業体制の構築に力をいれている。
  • 長谷川幸洋 コラム第10回『民主はやっぱり左。現実感覚の希薄さは綱領を読めば見える』

    2013-07-04 12:00  
    330pt
     いよいよ参院選だ。前哨戦と位置付けられた東京都議選は自民、公明両党の圧勝に終わった。日本共産党は大健闘した。
     その一方、惨敗を喫したのは民主党である。いったい民主党はどうなってしまうのか。
     そんな折、たまたま民主党議員たちが集まる勉強会に招かれた。民主党について「思うところを忌憚なく語って欲しい」という。そこで、出かける前に民主党の綱領とその解説、参院選に向けた「重点政策」というパンフレットを読んでみた。
     そこで今回は、民主党についてあらためて考えてみる。
     まず、民主党とは何か。綱領は「私たちの立場」として次のように書いている。
    < 我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。同時に未来への責任を果たすため、既得権や癒着の構造と闘う改革政党である。私たちは、この原点を忘れず、政治改革、行財政改革、地域主権改革、統治機構改革、規制改革など政治・社会の変革に取り組む >
    民主党は「やっぱり左」、綱領が社共そっくり  ここで、すぐ思ったのは「民主党ってやっぱり左なんだな」ということだ。
    「働く者」の立場に立つのだとすると、社会民主党や日本共産党とそう変わらない。たとえば、社民党は党の理念を説明した「社会民主党宣言」の中でこう書いている。
    < 私たちは、社会民主主義の理念に基づく政策の実現を目指し、経済・社会の中心を担う働く人々や生活者の立場から社会の民主的な改革に取り組み、すべての人々に門戸を開いた政党です >。「働く人々」と「生活者」というキーワードは民主党と同じである。
     共産党はどうかといえば、綱領の中に次のような文章がある。
    < 現在、日本が必要としている変革は社会主義革命ではなく、(中略)民主主義革命である」としたうえで「民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される >というのだ。
     こちらは「労働者」とか「生活向上を求めるすべての人々」と少し表現が違うが、やはり働く人と生活者重視である。
     民主党は綱領を作るときに、社民党や共産党の綱領をチェックしたのだろうか。
     もしも両党との相違点をはっきりさせようと思ったら、もう少し書きぶりは違ったかもしれない。似た表現になったのは、やはり基本的考え方に似た部分があるからだろう。
     民主党が生活者重視だからといって、それを理由に批判するつもりはまったくない。
    「どういう人々の利益を代表しようとしているか」を示すのは、政党の根本的な存在意義にかかわる。だから、最初に立場をしっかり明示したのは良かった。
     次に「私たちが目指すもの」だ。
     綱領は「共生社会をつくる」としてこう書く。
    いまの日本ではすべての人に居場所と出番がない? < 私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、すべての人に居場所と出番がある、強くてしなやかな共に生きる社会をつくる >
     私は率直に言って、ここがよく分からない。
     いまの日本には「すべての人に居場所と出番がない」のだろうか。 
     たしかに、ホームレスとかうつ病の蔓延とか、日本の病とされる問題はある。だからといって「共生」といわれると、肝心の民主党が目指す「政府と国民の関係」が分からなくなるのだ。
     政府と国民は横並びの関係ではない。政府は強制力をもって国民から税金を徴収し、政策を実行する権力機構だ。
     そして国民の多数で選ばれた国会議員たちが、内閣と政府を構成する。つまり、究極的には国民に対して権力の行使を目指している人たちが「みなさん、共に生きましょう」と唱えるのはおかしくないか。
    民主党は政治と国家観があいまい  権力奪取を目指さず、権力を行使もしない社会運動家とか経済人、あるいはメディアの人間が「共生社会を目指す」というなら分かる。
     だが、国会議員というのは最終的に権力を目指しているのだ。そういう人たちの集まりである政党が共生を唱えるのは、権力行使というハードな問題に対して感度が鈍いのではないか、と思えてならない。
     政治と国家観があいまいなのだ。
     それから「『新しい公共』を進める」とある。これは公共の担い手が官だけではなく、自治体や学校、NPO(非政府組織)、地域社会、個人も連携するという考えだ。これは賛成である。
     次の「正義と公正を貫く」。これもいい。
     問題は「幸福のために経済を成長させる」という部分だ。ここはこう書いている。 
    < 私たちは、個人の自立を尊重しつつ、同時に弱い立場に置かれた人々とともに歩む。地球環境との調和のもと経済を成長させ、その果実を確実に人々の幸せにつなげる。得られた収入や時間を、自己だけでなく他者を支える糧とする、そんな人々の厚みを増す >
     経済成長が重要であるのは言うまでもない。問題はどうやって成長を実現するのか、だ。
     私は成長を実現しようとすれば、民間企業の活力が鍵になると思う。
     だが、綱領に「企業」という言葉はない。それは綱領だからかもしれないと思って、重点政策を読んでみると、こちらにもやはりなかった。
     重点政策の中で、成長について海江田万里代表が直筆で書いたのは次の部分だ。
    < 雇用を作り、所得を増やし、暮らしを安定させる。社会を支える中間層を厚く、豊かにして日本の経済を蘇らせます >
    本末転倒の経済政策は民主党らしい  雇用や所得の増加、厚い中間層。
     これは成長の結果であって、源泉ではない。源泉は活発な企業活動である。企業が元気を失っているような経済社会で、雇用や働き手の所得が増えるわけがない。
     それとも、企業はいくら赤字になってもいいから、雇用と所得さえ増やせばいいと言うのだろうか。それはできない相談だ。
    「経営者の取り分を減らせばいい」というなら、そうなると今度は「創業しよう」とか「新事業にチャレンジしよう」という起業家精神をなえさせてしまうだろう。
     このあたりが民主党らしいといえば、民主党らしいのだろう。
     だが、私に言わせると、だからダメなのだ。原因と結果の取り違い。経済をよく分かっていないところが象徴的に示されている。
     私は勉強会で「まず経済成長、それから公正な分配だ」という点を強調した。
     私の意見に同意してくれる参加者もいたが「もう成長は難しい。やはり公正な分配こそが大事だ」と反論する人もいた。
     民主党には「働く者」「生活者」だけでなく、ぜひ企業の役割とか成長の源泉についても議論を深めてほしいと思う。
     外交、国際関係についてはこう書いている。
    < 私たちは、外交の基軸である日米同盟を深化させ、隣人であるアジアや太平洋地域との共生を実現し、専守防衛原則のもと自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海を守る。国際連合をはじめとした多国間協調の枠組みを基調に国際社会の平和と繁栄に貢献し、開かれた国益と広範な人間の安全保障を確保する >
     ここでも「共生」という言葉が出てくる。
    民主党の問題は現実感覚の薄さにある  これは北朝鮮の拉致と核ミサイル問題、中国との尖閣諸島問題などを考えると甘いと思う。もちろん共存共栄できたら言うことはないが、それは理想だ。現実はもっと厳しい。
     結局、民主党の問題は現実感覚の薄さではないか。