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【復興が発掘する歴史】ゲンロン観光地化メルマガ #35【編集長・東浩紀】
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【復興が発掘する歴史】ゲンロン観光地化メルマガ #35【編集長・東浩紀】

2015-04-17 23:50
    ゲンロン観光地化メルマガ #35 2015年4月17日号

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    #35
    2015年4月17日号
    編集長:東浩紀 発行:ゲンロン

    ゲンロン観光地化メルマガ4月17日号(#35)をお届けします。
     

    前号を配信した際には満開だった目黒川の桜も、すっかり新緑に変わりました。寒い春もやっと暖かくなってきましたが、皆様いかがお過ごしですか。
    今号の「浜通り通信」は小松理虔さん。4月8日にゲンロンカフェで開催された「『常磐線中心主義』刊行記念トークショー:線路はどこで途切れていたのか」の総括です。
    弊社徳久倫康による2015.3.11 福島取材レポートでは、富岡町から南相馬へ常磐道を通り抜け、南相馬市博物館へ。前号の「浜通り通信」をご担当いただいた郷土史家の二上英朗さんと、博物館学芸員の二上文彦さんのナビゲートで、南相馬の歴史を学んできました。
    セルゲイ・ミールヌイさんの「チェルノブイリの勝者」では、放射能偵察隊の上官の一存で、偵察ルートが変更になってしまいます。偵察隊員の日常、そして放射線量との付き合い方が、ユーモアを交えて文学的に描かれています。
    黒瀬陽平さんの「311後の東北アート」は番外編。寺山修司の演劇論に関する考察の後編です。前号と合わせてお読みください。
    さらに東浩紀の巻頭言では、批評の現在と未来について、そしてゲンロンの新しいあり方について述べられています。このメルマガもなんと来月からリニューアルが予定されています。
    リニューアル間近のゲンロン観光地化メルマガ、今号も充実のコンテンツをお楽しみください。

     目次 

    1. 観光地化計画が行く #35 東浩紀
    2. 2015.3.11 福島取材レポート #2 徳久倫康
    3. 浜通り通信 #24 福島の筋肉痛 小松理虔
    4. 311後の東北アート #24 黒瀬陽平
    5. チェルノブイリの勝者~放射能偵察小隊長の手記 #28 セルゲイ・ミールヌイ 保坂三四郎訳
    6. メディア掲載情報
    7. 関連イベント紹介
    8. 編集部からのお知らせ
    9. 編集後記
    10. 次号予告

     


    観光地化計画が行く #35
    東浩紀
    @hazuma


    次々号(5月15日発行号)を最後に、メルマガの刊行頻度をあらため大幅にリニューアルをすることにした。タイトルを変え号数も「1号」に戻す。連載は継続するが、事実上の新創刊である。

    唐突な告知になってしまったが、前々から考えていたことである。ゲンロンはじつは去る4月6日で創業5周年を迎えた。節目の年である今年は、創業時の理想を思い起こし、ゲンロンの方向性をより明確にしたいと考えている。

    具体的には、かねてより構想を温めていたスクール事業を始めるとともに、『思想地図β』、会報、カフェイベント、友の会、そしてこのメルマガと五月雨式に広がってしまったサービスを整理統合し、よりすっきりしたかたちに整える改革を行っていくつもりである。その一環として、まず来月カフェサイトのデザインを一新し、中継料金も改定する。続いて、「新芸術校」「批評再生塾」に続き、秋のチェルノブイリツアーをスクールのひとつとして位置づけ、プログラムに共通性をもたせる。そして最後に、まだ詳細は告知できないが、創業の原点となった『思想地図β』および友の会会報『ゲンロン通信』を、タイトル・刊行頻度を含めて大きく改変する。本誌のリニューアルは、そんな一連の改革の一部である。

    あらためて言うまでもないが、ゲンロンは批評誌『思想地図β』の刊行のために創業された。『思想地図β』は無印の『思想地図』の後継プロジェクトで、2008年に創刊された後者のほうは、当時それなりの部数が出て「ゼロ年代論壇」の中心と目されていた。つまりゲンロンは、ゼロ年代に現れた若手論客を2010年代に繋ぐ拠点として期待され、創業された会社だった。しかし現実には、創刊号を出版したとたんに震災が起き、急変する社会状況に対応するなかで、事業の拡がりも支持者の性格もずいぶん変わることになってしまった。今回の改革は、そんな現実に対応するため行われるものでもある。つまりは、もう「ゼロ年代」は止めましょうということだ。

    けれどもぼくは、いっけんいま述べたことと矛盾するようだが、そんな「軌道修正」こそがむしろゲンロンの原点に戻るものだと考えている。

    ぼくは最近、前掲の「批評再生塾」のキャッチコピーとして、「昭和90年代、批評は再起動する」という文章を記した。2015年の今年は、じつは昭和に換算すると90年にあたる。つまり、これから10年、ぼくたちは「昭和の世紀」の最後の10年を生きることになる。

    単なる言葉遊びに思われるかもしれないが、批評の歴史に興味をもつものにとってはそうでもない。なぜなら、「昭和の世紀」は、日本ではまた「批評の世紀」のことでもあったからである。小林秀雄のデビューは昭和4年。大澤聡が『批評メディア論』で詳述したように、批評という「メディア」(表現と流通の形式)はほぼ昭和とともに生まれている。そして日本における批評は、その後、歴史の偶然で、ほかの先進国には見られない独特の魅力と奔放さを身にまとうことになる。ぼくたちは、そんな独特の形式が、誕生から1世紀を迎え、新しい形式に生まれ変わるのか、それとも単純に死滅するのか、その選択が突きつけられた時代に生きている。

    批評とはなんだろうか。ぼくはそれは、要は「制度化されない人文知」のことだと考えている。この先生に学び、この本を読み、この概念を学び、この方程式を解けば正しく批評家になれる、そういうことが決してありえないのが、批評という知の本質だと考えている。

    批評は生き残ることができるのか。だから、それは、具体的には、大学やマスメディアの外で人文知は生き残れるかという問いである。さらに正確に表現すれば、制度化された大学やマスメディアの外部にある野生の知が、これからの社会でも知と見なされ続けることができるのか、という問いである。

    いまから5年前、ゲンロンを創業したとき、ぼくはこの問いについていまほどは鋭く考えていなかった。自分の目指しているものがなんなのか、よくわかっていなかった。けれども、政治的にも文化的にも保守化が進行し、並行して表面だけは世代交代が進み、結果として「若手」の多くが制度のなかに組み込まれようとしている(ように見える)いま、そんな野生の知の拠点であり続けることこそが、このゲンロンという小さな組織に与えられた使命だったのではないかと、最近は考えるようになっている。

    いまから10年後、「批評の世紀」が終わる2025年に、批評の生き残りにゲンロンは微力ながら寄与したと、そんなふうに言われる会社を目指し努力していきたい。

     

    東浩紀(あずま・ひろき)
    1971年生まれ。作家。ゲンロン代表取締役。主著に『動物化するポストモダン』(講談社)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞受賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『弱いつながり』(幻冬舎)等。東京五反田で「ゲンロンカフェ」を営業中。
     

     
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