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【福島はいま #1】津田大介×二上英朗×二上文彦×東浩紀 司会:上田洋子「原町無線塔から3.11後の世界を考える 『南相馬に日本一の塔があった――震災とネットワーク』展オープニングトークショー」【2014/7/5 収録】

動画パックの説明 かつて南相馬には世界一の無線塔があった!
通信技術が変化し、ラジオによる商業目的の情報通信が重要になっていく20世紀初頭、福島県南相馬の原町に巨大なコンクリートの塔が建てられた。
対アメリカの情報発信の拠点として磐城無線局が開設され、南相馬の原町に送信所が、富岡町に受信所が置かれたのである。
1920年に竣工した原町無線塔は高さがなんと201メートル。1958年に東京タワーができるまでは、東洋一の高さを誇る塔だったという。
関東大震災の第一報を海外に発信したのが、この塔である。
しかも、震災情報の発信は政府主導ではなく、銚子無線局と関西の無線局とのSOSのやり取りをたまたま傍受した磐城無線局の米村局長が独自の判断で行ったことだった。受信国のアメリカでは、この情報をもとに日本支援のキャンペーンが起こった。また、磐城の対米通信を傍受した北京郊外の無線局を経由し、震災情報はヨーロッパ各地へと伝えられた。
現代と変わらぬハイスピードで技術が革新されていった時代、ラジオの主流はあっという間に長波から短波に変化し、原町無線塔も1930年にわずか10年足らずでラジオ塔としての役割を終えた。とはいえ、1982年に老朽化で取り壊されるまで、塔は原町のシンボルとして存在し続けた。
この原町無線塔の記憶を甦らせ、災害時のネットワークの象徴として再定義したのが、2014年に南相馬市博物館で開催された「原町無線塔——世界をつないだ白亜の巨塔」展である。
ゲンロンカフェでは7月5日から8月2日まで、南相馬市博物館のご好意により同展示の資料をお借りし、「南相馬に日本一の塔があった——震災とネットワーク」展を開催する。同時に、南相馬市博物館学芸員の二上文彦氏、『原町無線塔物語』の著者二上英朗氏をゲストにお迎えし、ジャーナリストの津田大介と思想家の東浩紀とともに、福島の歴史と現在から日本の未来を考える。

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