私が「映画日記」をつけている事を記した
2009年11月27日の記事
『映画鑑賞日記』
によれば2003年から
6年以上つけていたようだ
数100本はあっただろう
かなりの量だ
ところが「Macintoshコンピュータ」が
そのOSのバージョンを何度も上げる中で
日記を記録していたアプリケーションが使えなくなり
気がつけば私の「映画日記」は
完全に消滅してしまった
もう読む事もできない
「なんともったいない」
と思ってくれる方もいるかもしれないが
私にはほとんどショックが無い
”この世に残る文章は石に彫られたものだけ”
という事を私は認識しているからだ
それから数年間に渡って
「映画日記」はつけずにいたのだが
最近”大きなiPhone”
通称「大Phone」を入手した際
「映画ログ」
なる無料アプリケーションをダウンロードした事から
私の「映画日記」は再開された
なかなかシンプルなアプリケーションで
使い勝手がいい
感想文を書き込む事も可能な上に
1本の映画に対して
0点から5点までの評価点を
0.5点刻みに付ける事ができる
他人の作品を批評する事など好きではないが
それをやっているうちに
自分がどんな物を作るべきなのかが
よくわかるようになるため
自己開発の資料として
貴重なアーカイブが出来上がる
わずかな期間の間に
既に100本近い「映画日記」が記されている
5点をつける映画など滅多にない
5点がつけばそれは
私の人生に大きな影響を与えた映画だ
『エクスペンダブルズ3』でも4.5点である
しかしそんな採点をしていると
始めたばかりの「映画日記」は
低い点数のものばかりになってしまった
すると
男性特有のコレクション・スピリットが働き
なんとか「5点」という欄も
埋めてみたくなった
そこで私は
既に私の人生に多大なる影響を与えた映画
つまりは確実に5点な映画を
改めてひろぐ事を始めた
そんな”秋の5点キャンペーン”の中で
私は『The Tinglerザ・ティングラー』を見た
日本ではソフト発売されていない作品であるため
20年近く昔にアメリカでDVDを購入した物だった
私にとっては恐らく
今世紀に入って初めて見る『The Tingler』だろう
「極限の恐怖を感じて死んだ人間を解剖すると
背骨が折れている場合がある」
解剖医を演じる「ビンセント・プライス」が
そう語るところから話は始まる
どうやら人間の体内に寄生して
恐怖を栄養分として生きる生物
「ティングラー」というのがいるらしい
あまりにも強い恐怖の場合
「ティングラー」は短時間に異常成長する
そのせいで背骨が折れてしまうのだそうだ
彼によれば
「ティングラー」は誰の体内にも生息しているらしい
ところが人間は
通常恐怖を感じた際には悲鳴を上げる
その悲鳴が「ティングラー」の成長を抑制するそうな
つまり恐い時には「わー」と叫べば
体内の「ティングラー」は麻痺して
動く事も成長する事もできなくなるのだと言う
では
話す事のできない障害を抱える人間の場合は
どうなるのだろうか
かくして叫ぶ事のできない女性の遺体から
巨大な「ティングラー」が取り出され
逃げ出したそれが
次々と人を襲うという展開なわけである
1959年にこの白黒映画を作ったのは
私が最も強く影響を受けた映画監督
「ウィリアム・キャッスル」だ
彼は世界の映画関係者から笑われ続けた人物だ
いわゆる”映画にくわしい人”に彼の名を出すと
馬鹿にしたような笑いを見せられる
”B級ヒッチコック”と呼ばれるのならば
評価は高い方だ
映画史に残る彼の悪評は
”小細工師”だの”映画を侮辱した監督”だの
ひどいものばかりである
理由は彼が映画の可能性に挑み続けたからだ
例えば1961年にキャッスルが作った
『Mr.Sardonicus』では
裁判長の休廷合図で映画がストップする
そこから観客全員に有罪か無罪かを投票させ
その多数決によって
”有罪バージョン”か”無罪バージョン”のエンディングを
上映した
キャッスルはその上映方法を
「The Punishment Poll(刑罰投票)」と名付けた
彼の作品で日本盤DVDが発売されている
数少ない中の一本
『13ゴースト』では
観客に青色メガネを配布し
上映途中で
「怖いものを見たくない方は
メガネを着用してください」
と促した
何の事はない青色の合成で
お化けを出しただけなのだが
それでもキャッスルはそのシステムに
「Illusion-O(イルージョン・オー)」
と名付けて大々的に宣伝した
「O」の意味は不明だ
他にも各映画館職員に指導して
上映中の劇場に
天井から骸骨を吊って飛ばすシステムを
「Emerg-Oエマーゴー」
また「O」だ
臆病で最後まで見られない観客には
返金した上で
ロビーに設置した「臆病席」に座ってもらう
さらし者システムを
「Fright Break(フライト・ブレイク)」
と名付けて公開した
もうそれを聞いただけで
鼻で笑う映画ファンがいるだろう
映画を芸術と考えている人には
全く受け入れられない事ばかりを
ウィリアム・キャッスルはやり続けた
しかし反対に
常習的な『ひろぐ』読者の心は
どっさり揺れているのではないだろうか
恐怖を食べる生物「ティングラー」は
クライマックスで映画館に入り込む
そこではなんだか面白い無声映画が上映されているため
我々観客もつい見入ってしまう
そこで劇場の照明が全て落とされる
そして場内アナウンスが流れる
「この劇場内にティングラーが入り込みました
もしもティングラーがあなたを襲った場合
逃れる方法は一つだけです
叫んで下さい
叫ぶのをためらわないで下さい
すぐに叫んで下さい」
恐らく当時の観客はにやにや笑っていたに違いない
なーにを馬鹿な事を
と笑い飛ばしていたに違いない
ところが次の瞬間
キャッスルが「PERCEPTO(ペルセプト)」と名付けた
ドルビーも3Dもかなわない
映画史上最恐の上映システムが起動する
キャッスルはあらかじめ
映画館のいくつかの座席の底に
バイブレーション機を設置していたのだ
この「いくつかの」がポイントだ
全部に仕掛けてはいけない
全部に仕掛ければ
全員が一斉に笑って終わるだけだろう
しかし「いくつか」に仕掛けられていたら
真っ暗闇の中でへらへら笑っていると
突然隣の女性が本気で悲鳴を上げる
後ろの席でも
前の席でも
なにかが床を這い回っているかのように
様々な位置から悲鳴が聞こえて来る
それが完全な暗闇で起こっている事ならば
とんでもない恐怖だったに違いない
キャッスルはあろう事か
観客の悲鳴を演出効果として使用したのだ
結局は場内全員が悲鳴を上げているという作戦は
見事に成功したと聞いている
その仕掛けの巧妙さは
まるで高度な心理学実験だ
一度見た観客が
「あの映画恐いんだぜ」
と言ってまた別の女の子を誘って来場しても
結果は同じ事になる
なぜなら座席に仕掛けられるバイブレーション機は
毎日職員によって移動させていたからだ
私が観客出演型映画
『エル・シュリケンvs悪魔の発明』
を作り
それに「デルシネ」と名付けたのは
完全にウィリアム・キャッスルの影響だ
舞台作品にしても
観客にストーリーの行き先を選ばせたり
ロビーや客席にも面白い仕掛けを用意したりするのは
全てウィリアム・キャッスルの
しかも「PERCEPTO」の精神が
私にそうさせるものだ
カンブリア紀に「オパビニア」という生物がいた
「オパビニア」には目が5つあり
胴体から出た長いノズルの先には
はさみのようなバクバクする口があった
かなり無理のある姿をしていた
そんな姿でいる事で便利な事など
何一つなかった
なので「オパビニア」は
何にも進化する事なく
「オパビニア」として絶滅した
カンブリア紀の間に全てが死滅した
なので「オパビニア」の遺伝子を継ぐ生物は
現在の世の中には存在しない
「ティングラー」は「オパビニア」とよく似ている
実際に姿もとても似ている
しかしそれ以上に
せっかく誕生した類を見ぬ斬新が
その後まったく進化する事なく
ほんのわずかも受け継がれる事なく
完全に消えてしまったという点で
「ティングラー」と「オパビニア」は
同一と言えよう
いや
そうはさせない
「オパビニア」は生物種として続く事はなかったが
「ティングラー」は生き続ける事ができる
私が「PERCEPTO」な作品を作り続ければいいのだ
私の「映画日記」の”5点”の欄に
『The Tingler』が書き込まれた
『吸盤男オクトマン』と並んだ
知人に見せたら
「お前は何を考えているのかわからない」
と言われた
そう簡単にわかられてたまるか
と返しておいた
そんなこんなで
即興劇イベント『The Empty Stage』の構成演出で
しばし東京へ
仕事は毎日夜中なので
昼間は映画でも見て過ごそうかと思う