• フォレの何だろう?

    2017-06-23 18:59
    これだけの内容でブロマガを1つ書いて良いのか分からないのだけれど、
    フランスものは好きな割りに詳しくなく気になるので…。



    フォレの影響じゃないか、とのコメントを頂戴したのですが、
    具体的にはフォレの何だろう?
    ド忘れしていなければ、思いつく作品はないのだけれども。

    私がエジプト風の二楽章をこの動画で挙げた理由は、
    ケクランが「Traité de l'harmonie」第二巻十章で、
    特殊な扱いとしている(俗に扱われる複調とは扱いがやや異なる)ことに由来していて、
    このダンディも、フロランシュミットの29-6も、
    同じ範疇だろうと私は判断したからです。
    私の中ではラヴェルのボレロもそうなのです。

    オルガンのFournitureからヒントを得ているのだ、
    とする説もあるようです(説得力はある)ね。
    これに類する作例がフォレにもあっただろうか。

    この程度の内容なら
    アカウントを作ってマストドンでやった方が
    良いのかも知れませんね。(当面やるつもりはないですが)
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  • フルート、弦楽三重奏、ハープのための作品

    2017-06-20 00:1011
    予約投稿動画があり、私の過去作品もあるので、列記してみますね。

    均衡のとれた美しい編成だと思います。
    ルネルロイというフランスのフルート吹きが結成していた五重奏団が恐らく発端で、
    その後、沢山の作曲家が曲を作っています。

    抜けや間違いがあったら指摘してください。
    室内楽の愉しみが広がらんことを。



    ■ジャン・クラ(1879-1932)フランス
    「五重奏曲1番」(1922年作、ルネルロイ献呈)

    ■ジョセフ・ジョンゲン(1873-1953)ベルギー
    「題名なし」(1923年作、ルネルロイ献呈)

    ■アルベール・ルーセル(1869-1937)フランス
    「小夜曲」Op.30(1925年作、ルネルロイ献呈)
    https://www.youtube.com/watch?v=IQxOqmImeoY


    ■ジャック・ピロワ(1877-1935)フランス
    「5つの俳句」(1926年作、ルネルロイ献呈)
     ←6/29 0:05予約

    ■シリル・スコット(1879-1970)イギリス
    「五重奏曲」(1926年作、ルネルロイ献呈)

    ■ヴァンサン・ダンディ(1851-1931)フランス
    「小組曲」Op.91(1927年作、ルネルロイ献呈)
    https://www.youtube.com/watch?v=6desBwXUWg0
     ←6/23 0:05予約

    ■ギィ・ロパルツ(1864-1955)フランス
    「前奏曲、海と歌」(1928年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=MmmwjeSpScQ



    終楽章の私のアレンジ譜はこちら→ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1117909

    ■ジャン・クラ(1879-1932)フランス
    「五重奏曲2番」(1928年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=Q-ATDBgDbLE

    ■マルセル・トゥルニエ(1879-1951)フランス
    「組曲」(1928年作)←出版は1929年
    https://www.youtube.com/watch?v=sKPSHP_1-AY


    ■ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)フランス
    「自由な変奏と終曲」Op.51(1932年作)←1933年との記述が多いが、パート譜が1932年に出版されている
    https://www.youtube.com/watch?v=LnJygJZ9aDI

    ■フロラン・シュミット(1870-1958)フランス
    「ロカイユ趣味組曲」(1934年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=aYKJ6h6fqn0

    ■ジャン・フランセ(1912-1997)フランス
    「五重奏曲1番」(1934年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=yupacdtmDCg

    ■ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)フランス
    「愛する国への旅」(1935年)←日本語Wikipediaの作品番号や副題は誤り
    https://www.youtube.com/watch?v=5KRtaMHWYGs

    ■シャルル・ケクラン(1867-1950)フランス
    「プリマヴェーラ1番」Op.156(1936年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=2veVKpWf0ok

    ■アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974)フランス
    「リノスの歌」(1944年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=-AoMXN_ET7E
    (余談だけど最近パユのこれを聴いてちびった)
    https://www.youtube.com/watch?v=sM-4pArS3jA

    ■シャルル・ケクラン(1867-1950)フランス
    「プリマヴェーラ2番」Op.223(1949年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=yVthqyWoPiA (視聴注意)

    ■エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)ブラジル
    「五重奏曲」(1957年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=GjXno8V02w8
     ←6/26 0:05予約

    ■ジャン・フランセ(1912-1997)フランス
    シューベルトによる6つの即興曲(1973年 編曲)

    ■ジャン・フランセ(1912-1997)フランス
    D.スカルラッティによる5つのソナタ(1975年 編曲)

    ■ジャン・フランセ(1912-1997)フランス
    「五重奏曲2番」(1989年作)
    https://www.youtube.com/watch?v=KAcvkczua9o


    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


    近い編成だと
    フランツリストの「ヴァーグナーの墓前で」S.135(1883年)、
    https://www.youtube.com/watch?v=QmEoAW45kc8

    モーリスラヴェルの「序奏とアレグロ」(1907年)、
    https://www.youtube.com/watch?v=vYinRNy3llA

    フロランシュミットの「アンダンテとスケルツォ」Op.35(1908年)、

    アンドレカプレの「協奏的幻想」(1908年)、
    https://www.youtube.com/watch?v=Xn9XidhQ8r0

    モーリスラヴェルの「マラルメの三つの詩」(1913年)
    https://www.youtube.com/watch?v=UPdsPhSQy58

    デジレエミールアンゲルブレシュトの「ハープ五重奏」(1917年)
    https://www.youtube.com/watch?v=gr9E_fZzlFU

    アーノルドバックスの「ハープ五重奏」(GP214 1919年)、
    https://www.youtube.com/watch?v=fZl92kvBUUI

    「サミュエルルソーによる古きクリスマスパストラールの変奏曲」(1919年編曲 トゥルニエによる室内楽版がある)
    https://www.youtube.com/watch?v=d7H_7DCFpdg

    エフゲニーゴルベフの「ハープ五重奏」(Op.39 1938年)
    https://www.youtube.com/watch?v=sIQiDzBE49g

    ジャンカルロメノッティの(カンティレーナとスケルツォ 1977年)
    https://www.youtube.com/watch?v=1hRCGNWfT4M

    も名曲です。
  • 人は物事を繰り返す存在である

    2017-05-11 21:2261
    人は物事を繰り返す存在である。従って、優秀さとは行動によって得られる物ではない。習慣になっていなければならないのだ。 アリストテレス


    まず注意書きになりますが、、
    「実際に反復するその方法について、
     精確な解釈、その方法について幾らかの問題が生じ、
     その全てが明瞭な解決をみたわけではない」
    というのが歴史的結論として
    私が論文(久納さん、N.Temperley)にみていることを前提としてください。

    例えば、ベートーヴェンのスケルツォ(交響曲でもソナタでもよい)で、
    トリオ後の句を繰り返していた、繰り返していなかった、という2者が居たとします。
    何故そうなのか、というのを考えることが大事なのであって、
    前者が繰り返していたから私は繰り返す、後者が飛ばしていたから私は飛ばす
    というのは思考の放棄だと思うのです。
    そうではなく、その理由を考える必要があるだろう、というのが私の見方です。
    他人の習慣を持ち込むのではなく、自身の習慣を形作る、
    即ちこれが良い奏者だと、このように考えます。


    ~~~~~~~~~


    音楽の繰り返しには、2つのルーツがあると私は考えます。

    ■先議的都合による必要物
     例えば宗教儀式的な要因によるもの。
      →「Kyrie」は3唱しなければならない、など。
     例えば舞曲のステップに起因するもの。
      →元の位置に戻る必要があるので、偶数あるいは奇数、など。

    ■構造論からみた省略によるもの
     繰り返すことに意味があるのではなく、
     繰り返す物がたまたま同じであるという考え方。
     あるいはゴシック的な空間の作法。
     同じだから、一つで用を足そうという概念。
     (私は、歴史的に抜け落ちてしまった考え方ではないかと思っている
      日本人は疎い感覚なのかも、とも)


    例えばヴァリエーション(変奏曲)というのは、
    非常にバロック的な概念ですよね。
    端的に言うと「ごちゃごちゃしている」。
    ヴァリエーションこれも繰り返しなわけだけれども、
    フォリアとは違う物になってしまった。
    ここに潜んでいるのは、
    繰り返しであるのか、省略であるのか、
    という視点だと私は思うわけです。


    以前、これって何て名前の記号なの?

    (第3回オリジナルクラシカ初演祭 m-aさま作曲「三声の舞曲」より)
    という話題になったことがあったんです。
    私は不勉強で答えられなかった。
    その時調べた際の一旦の結論は、abbreviation、省略記号。
    典拠はこれ。
     
    (P.Weirick著 Dance Arranging 詳細は奥付の通り 
    …たこルカさんは、図書館の本ではないよ、私の写真だよというスタンプ)
    原書(PD)はこちら
    この時、私は繰り返し記号だと思っていたから、
    論文漁りもRepeatしか脳になかった。
    「ああ省略だったのか」と思ったように記憶しているのですが、
    最近書かれたウィキペディアには、
    AbbreviationとしてのRepetitionだと書いてあるんですよね。

    ちなみに、改めて他に拾ってみたところ、
    • 『最新 音楽用語辞典』(リットーミュージック 1998.3.20発刊)
    • 『吹奏楽のための音楽用語記号辞典』(シンコーミュージックエンターテイメント 2016.10.16発刊)
    の2冊でも、省略記号に位置づけています。
    言葉が適当かどうか疑問ですが、軽音楽によく使われるのではないか、という印象ですよね。
    要するに音楽のミニマル的な部分に現れる。

    Wikipedia記事を誰が書いたのかとか、真偽はどうなのかということはさておき、
    この表記のぶれというのは、
    記号の名称が決まらないまま慣習的に使われてきた証拠なのではないか、
    と、このように思う訳です。
    名称を気にする必要が、歴史的に求められてこなかった。
    だが、繰り返しと省略というのは、大きく違う概念だと
    最近の私は思うわけです。


    ~~~~~~~~~


    同時に、このようにも考える必要があります。
    楽譜に表記されたアーティキレーションは、
    作曲家の望んでいたもののほんの一部に過ぎない。
    だからこそ私たちは、かつて一般的だった
    伝統的な基礎知識をもう一度習得しなければならない。
    これはアーノンクールの言葉だったと思います。

    バロックダンスの舞踏譜をみると、
    軸を持ったシンメトリー(あるいは点対称)なものが多い。
    この軸は、仕えている侯爵の方向を向くわけだけれども、
    要するに主人に対してシンメトリーなわけです。
    だから、多くが偶数になるし、多くがトリオの後も繰り返す訳です。
    バロックダンスを勉強なさった古楽奏者の方は、
    演奏においてもこの傾向があるのではないでしょうか。

    その後、メヌエットが交響曲においてスケルツォへと転身していったように、
    バロックダンスは絶対音楽の中で居場所を失いつつあった。
    ムファット(ゴットリープではなくゲオルグ)は
    「グラーヴェの如く遅いものは繰り返しを省略して良い」と言っている。
    同じく「テンポの快活なものは、二、三度と繰り返して良い」とも言っています。
    私は、トリオ後の繰り返しが省略される習慣というのは、
    こういった思想から始まっていると考えています。

    あるいは、17世紀までのヴァージナル音楽の記譜について、
    反復の概念が不正確だ、ということを何かの文献で読んだことがあります。
    ムファットのレギュレーションもそうなのですが、
    割と自由だったのではないかとも思う訳です。
    ヘンデルの水上の音楽にもありますよね。反復回数問わないよ、と。
    しかし、例えばゴルトベルク変奏曲の、
    前半だけ繰り返して後半繰り返さない変奏を続けるのは、
    やはり不自然と考えるべきだと私は思うんです。

    これらは、ある種アカデミック…クラシカルな考え方だと思うのですが、
    例えばホロというのはその系譜にはない舞踏だと思うのです。
    Youtubeなどで踊りを見ましたが、歴史保存的な資料としての側面しか見えず、
    踊りの生きた姿…結婚式で踊るのか、葬式で踊るのか、酒場で踊るのか、港で踊るのか…がわからない。
    勿論、ダンスノーテーションも見あたらない。
    ブルガリアに行くお金も時間も当然ないので、
    実舞踏的な側面からのアプローチというのは極めて困難だと判断しました。
    民族音楽学者…具体的には今回はヂュヂェフの論文だけを拝見して、
    そこからは知識と経験で取り組みました。
    ヂュヂェフの項は初演祭のホームページでのやり取りをご覧下さい。
    タイトルがソナチナであること、
    作曲の動機としてラヴェルの名が挙がっていること、
    というのも、当然無視できない要素です。


    私が、kbnさまのソナチナのホロで、
    ダカーポ後も繰り返した一番の理由は、短すぎるから。
    その次の理由に、繰り返さなければ、在り来たりすぎるから。
    そして、ただアーチ型にするのではなく、ヴァリアントを設けるために、
    強弱を1箇所だけ変えました。(ダカーポ後の最初だけ、弱→強)
    ここに(民族音楽における)ルンガを持たせた、このような判断です。
    (個人的には、古いシャンソンのルシャンという形式にも通ずると思います)
    ただし、以下のような論拠も同時に存在します。


    ~~~~~~~~~


    例えば「言葉」。
    日本語の「あ」「し」「た」という文字それ自体には大した意味がない。
    だが「あした」となると意味が生まれる訳です。
    「明日」と「あした」というのは同じものだけれども、
    「明」「日」という文字は別々の意味を持っている。
    音楽も同じで、組み合わさった「音」だったり「構造」が意味を生んでいる。
    これらの意味は、歴史が作り出すものです。
    誰か個人が作り出しても、いずれコピーレフトになる。今までもなってきた。
    民族音楽というのは正にこれなんだ、というのがバルトークの言っていることです。
    作曲者が誰だかわからなくなっても、勝ち残ってきた音楽、
    この意義や理由から目を背けるべきでない、と。
    バルトークよりはコダーイの方が私は勉強したことがあるのですが、
    コダーイもまた、同じように言っています。
    ちなみに私は、kbnさまのソナチナ初見時に、
    バルトークとリゲティのイディオムを感じていました。
    (ラヴェルやカプースチンは影を潜めていた)

    この「明」の偏にあたる『日』は、「明"日"」の"日"とは似て非なるものです。
    構造としては日という字が繰り返されているのだけれども、
    漢字という大陸の概念、当て字という流用的な概念、音訓という概念、
    こうした歴史が、今の「明日」という字の「在り方」を形作っている。
    何故繰り返されるのか、省略される線引きはどこか。
    これはやはり歴史を紐解く必要があるのではないかと思います。
    人人→人々に対し、明日の日部分が省略されない理由は、
    文字の単位が2文字でそれぞれが違う字だからです。

    音楽において、強と弱は違うもの、対極にあるものです。
    私はそう考えています。


    ~~~~~~~~~


    ここと別に、初演祭というイベントの特殊性も留意すべき、と思います。

    普通の初演というのは、作曲家と演奏家が手を取り合って、
    より最奥のものを世に送り出す尊い仕事です(私は初回からずっと言っています)。
    初演祭では、それが割と遮断されてしまう。
    楽譜に込めきろう、楽譜から読み解こう、というイベントだからです。
    掲示板があるけれども、奏者と作曲者が音で語り合う場面がないまま初演となってしまう。
    これは作曲者にとっても演奏者にとっても、極めて怖いことなのだと思うわけですが、
    クラシカ(楽譜)というものの歓びや発見が垣間見られるチャンスだと思うんです。
    ここに魅せられた人が集まっているのではないかと思っています。

    初演祭の最も重要な点は、
    作曲大会ではなく、演奏するお祭りだ、というところです。
    (kbnさまに演奏で参加いただいたことに私は狂喜乱舞しました)
    これを見ているあなたの参加もお待ちしています。

    自分の見知った曲に取り組むのも良いですが、
    音で知らない作品に楽譜から取り組む、というのは本当に面白いですよ。
    クラシカ演奏の醍醐味です。
    IMSLPで発掘したり、過去の初演祭作品を
    是非演奏してみてください。

    初演祭がこれからも、
    こーじゃないか、あーじゃないか、えーじゃないか と言い合う
    楽しい場であってほしいと希望います。