• #8

    2014-02-14 07:34
    公園まで足を伸ばすと、向かい側のベンチに見知った顔を見つけた。こちらが近づいて声をかけるより先に、彼女はこちらに気付き、
    「あ、先輩~! おはようございま~す!!」
    と声をかけてきた。彼女のベンチまで30mは離れているのだが。元気なことだ。あらためて彼女のポテンシャルとテンションの高さに驚いていると、彼女はそのままベンチから跳ね上がり、とことことこちらに駆け寄ってきた。
    「おはようございます、先輩! もう、返事くらいしてくださいよ~」
    「おはよう。悪いけど僕は接触の悪いスピーカーみたいな大声を出すのが得意じゃないからね」
    「うわ、相変わらず辛辣ですね先輩。今日は犬の散歩ですか?」
    リードに繋がれたドワーフを見やって尋ねた。
    「まあね。この状況だと七割くらいの確率でそうとしか言えないと思うよ」
    「意外と蓋然性低いですね………。残りの三割は何なんですか」
    「異世界から召喚された使い魔の犬にこの世界を見せてやってる、とか」
    「それ広義の散歩に入りますよね………。というか、先輩、犬とか飼ってるんですね。しかもコーギーですか。なんというか、もっと得体の知れないものを飼ってそうなイメージですけど」
    「微妙に失礼なこと言うね、君」
    「先輩はストレートに失礼なことを言いますよね?」
    まあ、そうだけども。
    「名前はなんて言うんですか?」
    「ドワーフ」
    「………いや、もうその設定はいいですから」
    「違う違う、ほんとに『ドワーフ』って名前なんだって。短足だろ? そいつ」
    「そりゃあ、コーギーですから、そうでしょうけど…………。いやいや、さすがにドワーフには見えませんって」
    「まあまあ、愛着があれば別にどんな名前つけようが構わないだろ?」
    「え、先輩の辞書に愛着とかいう単語があるんですか」
    「絶妙に失礼なこと言うね、君」
    「先輩はダイレクトに失礼なことをいいますよね?」
    まあ、そうなんだけども。
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  • #17

    2014-01-31 20:56
    自転車に乗るようになってから、風の違いを肌で感じるようになった。
    自転車は前に推進するという目的のために効率を向上させた機関だ。地面との摩擦が小さくなると、普段歩いている時には気にならないような風の影響が、相対的に大きくなってしまう。タイヤを動かすペダルは、追い風のときには軽く、そして向かい風の時にはとびきり重くなる。強い冬風が向かいから吹き付けるときなどは、心臓破りの赤坂もかくやというほど、寒空の道のりは険しいものになる。
    体育会系の猛者ならともかく、そのような労力を厭うインドア派の自分としては、なるべく順風の吹く時間帯を選んで通わねばならない。はじめのうちは、風が味方する時間帯を探そうといくらかの試行錯誤を繰り返した。この街は比較的平らな地形だが、ちょうど街を南北に二分するように一級河川が流れているため、風の流れは複雑なものになる。夜明けとともに暖められた空気は、逃げどころを探すように川面に流れ込み、山を下ってきた冷たい東風と混ざり合って渦を巻く。とてもじゃないが、風の流れなど読めたものではない。数週間のうちに風の味方などというものは諦め、文字通り風の吹くままに任せることにした。
  • #31

    2014-01-27 13:00

    空間を支配する静寂に、鋭い打鍵音がときおり交じる。
    駅前に立地するこの図書館は、この市の名を冠する図書館の中では最も小さく、館内には、整然と並べられた本棚がところせしと並べられている。そのため閲覧用の空間も他館と比べて極めて狭く、長机の周りに並べられた椅子の間の距離もほんの数十センチ程度しかない。これだと逆に隣に座るのを遠慮してしまいそうだが、この街の住民はそういったことを気にしないのか、五人がけの長机は常に三人か四人が腰を並べている。
    イギリスの図書館との違いに感嘆しながら、わたしは目的の書架を探した。イギリスでは800の棚に置いてあったが、これも日本では違う。書架全体の3分の1ほどを占める900の棚の中から、私は一冊の本を見つけ出した。
    "Behold!"。それがこの本のタイトルだ。中学時代のわたしの全てとも言えるこの作品が、日本でもまた多くの人に読まれていることを知ってわたしは胸を詰まらせた。装丁は私がよく知っているエディションのもので、カバーに巻かれたビニールには小さな傷が反射して見えた。