• オニゴーリ使いこそが悪というお話

    2018-04-02 14:41
    なんだかオニゴーリが悪いのであって、使用者は悪くはないという記事(http://www.todorico-poke.com/entry/glalie)が伸びていたので、それに対する反駁記事として。
     まずそもそも、オニゴーリに非があるということはあり得ない。アメリカのライフル協会が言うことにも一理ぐらいはあり、道具そのものが悪いということはない。戦争のように、殺し合いという、人道から外れたことでありながら、人道的な殺し方ではないとかで、武器の使用の規制をすることの方がよほど不自然だ。しかし、不快に感じるから悪という安直な考えもまた人間的でなく、理性の下に善悪を考える必要がある。
     あちらの記事には、「与えられたルールの中で勝ちを追求するのが対戦ゲームなので、オニゴーリ使用者に非はまったくない。強いポケモンは使ってなんぼ。」という文言があったが、これは真実でない。つい先日の出来事で知っている人も多いだろうが、高島屋限定一人二点までのドールを、五十人雇い一人で百点全て買い占めたという話だ。これは法律上なんら問題のない行動だ。しかし、資本主義の社会に生まれたのだから、合法な範疇でとにかく金を稼ぐことが正義、などとは誰も思うまい。やはり、どのような状況にあっても、「倫理観」というものは要求されるのだ。
     我々がオニゴーリに対して抱く不快感の元凶は、特性ムラっけにあることは確実なところであろう。みがまもを多様するグライオンを嫌う人がそう多くないことからも分かる。では、何故ムラっけなのか。これは飽くまでも自分では、という主観の域を出ないが、プレイングを超えた、もうどうにも出来ないことに、勝敗が左右されるからではないだろうか。
     とことんまで考えたわけではなく、直感的な感じ方なのだが、二段階上昇し一段階下がる、これはまずまず良くなる、悪くなることが非常に少ない特性だ。プレイングでは如何ともしがたい現象が、強力に勝敗に干渉してくる、これは非常に精神的圧力が重く、苦しい。そしてオニゴーリの不快感を語る上で外せないのが、絶対零度の存在であろう。これもまた、明確な対策をすることが難しく、非常に強力な技だ。
     以上のことを踏まえて、オニゴーリは、どこまでも勝ち筋を残し続けることの出来るポケモンというように言えるだろう。「勝負に勝ち内容で負ける」ということを言うが、それがポケモンにもあるならば、どんなに劣勢でも、ひどい内容の戦いでも、勝つことの出来るオニゴーリは、倫理的でないと言えるのではなかろうか。
     ただこれを機に更に話を展開させて頂くと、これはオニゴーリ使いというよりは、多くのポケモントレーナーに共通する悪しき感覚であると思う。よく生放送などで、急所しか勝ち筋がなかったり、やけどにさせるしか勝てないとき、連呼している人を見るが、その行動に象徴される、内容よりも勝負を取りに行く姿勢は、何とも醜く倫理的ではないではないか。勝ちに執着する姿勢というのは、もっと根本的な部分で鍛錬することを言うのであって、小手先の現象に乾坤一擲することではない。仮に野球でファールラインを転がるボールを、ピッチャーキャッチャーサードが総出で必死になって息を吹きかけていては、眉をひそめるだろう。こんなこともあろうかと肺活量を鍛えています!など聞いた日には、馬鹿なんじゃないかと思うだろう。
     とにかく、勝ちに固執するなという訳ではないが、勝ちが内容よりも重視されるようではダメだということだ。そして、自分を含め、多くの使用者の頭では、様々な可能性を考慮しつつオニゴーリを運用することは難しいということだ。その結果安直に勝敗が見えやすい、内容のない戦いをする。簡単な例を挙げると、裏のゲンガーに滅びがあったら負けだな~と言いながら動かす。これはケアが簡単な方だが、オニゴーリに限らず、内容のある戦いをしようとすると、膨大な演算量になる。個人的な考えだが、特にオニゴーリは非常に高度な、内容の密な戦いか、低俗な戦いに二極化されやすいポケモンだと思う。上記の例より更に高度な状況が発生しやすいポケモンだと思う。そのために、多くの動かし方が下手な使用者は、勝ちにのみ拘泥するような動きを見せ、少なくともそれが自分には不快に感じられる。
     というわけで、オニゴーリ使いが悪いということでもなく、ポケモントレーナーの頭が弱いというお話でもない、勝ちから離れた、ポケモン対戦の原理や仕組みを考え、もう少し内容なる、大げさに言うと品格のある、高尚なポケモン対戦というものを考えてみてもよいのではないかという提案でした。

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  • 最近噂の構築共有について

    2018-03-20 22:50


     先日、あるポケモン放送でゲンガーテテフ対面のテテフに気合い玉を打たれ、ゲッコウガに引いた生主に「こんなのポケモンじゃねえ」と言わしめる一幕を見た。ポケモン勝負において読み合いという行動は非常に不毛なもので、いたちごっこでしかないはずだ。この読み合いを制する際に重要となるものが、統計である。
     統計というのは、実際にそのような場面で、どのようなことがどういう比で起こったか、つまり上の実例で言うと、裏にゲッコウガがいる可能性があるとき、ゲンガーと対面したテテフはどれぐらいの確率で何をするのか。より分かりやすい例でいうと、リザXと一緒にいるポケモンと、リザYと一緒にいるポケモン。どのようなポケモン、並びが存在したら、どれくらいの割合でどちらのリザードンであるのかを、実際をもとに算出することだ。
     しかし、統計というものは後手後手になりやすく、さらに時間の流れとともに、著しく変化する。因みに、レート対戦は終盤に一気に上げることが効率的であるというのには、このような側面がある。ごく僅かの期間であれば、統計をとって相手がどのような行動をするかは、比較的容易に想定が出来る。その統計が採れ、周囲のレートもシーズンの中で最も高い時期であり、さらに環境も固まりその環境を十分に考察し終え対策した構築で終盤に集中して対戦を重ねると、高いレートが得られるという、レート攻略とでもいえる方法がある。
     話を元に戻すと、後の先でしかない統計の欠点を補うには、そう数を重なることなく学習する必要がある。一度見た(一度ではわざわざ考える必要も無いかも知れないが)こちらに非常に有効な相手のポケモンの型や動きに対し、次からはそれらの存在を含んだ動きが出来るということだ。その動きをすることによって、少なからず従来のポケモンたちへは不利な動きをすることになる。そこはまた頭を使って、どちらがより勝てるのか、何を切り捨てれば良いのかを考える必要がある。
     重要なのは、初めて見た相手の動きを学習することで、決して拒否、ましてや非難をしてはダメなのではなかろうか。また、相手の意図を汲み取りにくいという点において、初手には価値がある。例えば、ラッキーに対して出てくるサザンドラなどは、およそまともな型ではないことが考えられるのに対し、初手に出てきたサザンドラに、そのような想像をすることは難しい。これは死に出しにも同様のことが言え、苦し紛れ感や、降参するので誰でもいい感を醸すことが出来、相手の目を騙くらかすことが出来る。
     いいことを教えると、受けルなんぞは適当にガブ投げりゃヤドランがれいび打ちに出てくるので、それにリザを受けだしゃ勝手に受けル側はラッキーやら何やら出すので、そこで剣舞でも打ってりゃ勝てるのだ。
     さてお話はまだまだ続いて、やっとの本題へ。レートの高さは個人の強さを表さないという僕の主張に、追い風を吹かせてくれているのが構築共有だ。NARUTOで、影分身をして経験を一人のときの数千倍の効率にまで高め、短い期間で螺旋手裏剣を習得した流れを知っている人は少なくないだろう。それと同じ事がポケモンにおいて可能になるということだ。○○というやつの、このような型のポケモンがいて、そいつが我々の使う構築にかなり有効だったと一人が言うと、他の人が、俺もそいつに当たって負けたという。しかし、どうにも○○以外に使っている者が見られないので、その型は切り捨てようとなる。また、他にも△△や××という者も使っていた、このような動きをしてきたので、こうすると勝てる・・・などと合議の結果対策が立てられたりもする。仮に五人集まれば、一人だと三百戦のところ、千五百戦分の統計が採れる。その効果は言うまでも無く計り知れないものになる。
     これを見て、なぁんだレートは個人の強さと関係ねぇなぁ、と思ってくれた人が一人でもいてくれればいいのだが、本来多様性がある方が楽しく感じられるはずのものが、何故このように画一化によって数字の高さを競い合う結果になったかと言うと、何も考えずに、数字の高さには価値があると信じ、数字の高い者を持ち上げる風潮を醸成させた人々にあるわけだ。無闇矢鱈に構築共有の批判する前に、構築共有が生まれる土壌が生まれた責任を自身にも感じ、今後は物事を多少考え、穿った目、懐疑的な目で物事を見ることに努めてみてもいいのではないかと思う。
    追記
    構築共有をすること自体は、非難出来るものではなく、多様性や発想力を乏しくさせる(考える事を抑制させる)物ではあると思うが、現状では悪とは言えないと思われる。
  • 受けループの定義

    2018-03-13 20:39

     先に定義の提示からする。受けループとは「相手は減るけどこっちは減らない」構築であるとする。言葉の意味というものは、多くの人の使用法によって変わるものではある。しかし、その使用法が論理的に説明出来なければならなかろう。百人が百人、青と緑は別の色だと言おうが、青は緑を包括していたという歴史があるため、別の色とは言えない。

     ポケモンにおいて、「受けられる」という状況は、とどのつまり「勝てる」という状況にある。地球投げどくどく卵産み電磁波のラッキーでは、メガゲンガーを受けられるとは言えなかろう。つまり、「受け思考」とは畢竟「勝ち思考」なのであって、この構築は受けるポケモンが多いから受けループなどとは言えないのだ。回復源の有無などによっても語られる場合があるが、レベル1統一などは、多くのポケモンが回復をするが、受けループとは呼ばれないために、これも論理に反する。

     こう考えたときに、数ある構築の大別名称で、受けループと呼ばれる構築にのみ見られる特徴というのが、「相手は減るけどこっちは減らない」ではないかと思う。「減る」という言葉には、「徐々に」「ゆっくりと」という、つまり、一撃ではなく数ターンかけて一体のポケモンを倒していくという意味が含まれる。因みに、「受け回して勝つ構築」という定義にすると、受け回せない構築が現れた時点で、その構築は受けループではなくなる。それに対し、多く受けループと呼ばれる構築が、徐々に削られて負けるということはまずあるまい。多くの構成ポケモンがHPを半分回復する技を持っている以上、二発以内に倒す必要がある。

     この点において、ゲンガーの入る構築は、その時点で受けループではなくなる。祟り目や滅びの歌によって積極的に展開を急がせ、霊獣ボルトに投げてからの道連れなどは、相手もこちらも一発で処理をする、上記の定義に最も反する行為だからだ。

     一応断っておくが、だからといって無駄に試合を冗長にさせる構築というわけではなく、ヒードランにはグライオンで一発で倒すことが多いからと言って受けループでなくなるというわけではない。この動きとゲンガーの動きとの違いは、その繰り出し性能にある。徐々に、ゆっくりとした試合展開を狙う以上、高い耐久である必要がある。もしくはヌケニンのように、とにかく長いターン数生存し続ける必要がある。なぜならば、耐久が高く、火力が低い分、その場にいるだけで相手のHPが減っていくことをダメージ源とするからだ。多くのヒードランには、五回程度はグライオンを繰り出せるだろう。そして、交換した先にどくどくやら地震やらを入れて、削って行く事が出来る。しかし、ゲンガーにはそのような動きは出来ない。

     仮想敵とするポケモンに繰り出すだけで、どくどくなどによって相手のHPを削り、更に交換した相手に攻撃技や補助技でダメージを加えることを目的とする物が受けループである。受けループではこちらのポケモンで仮想敵をその場で倒せなくとも問題ないが、ゲンガーは、その特性で無理矢理その場に留めて、無理矢理な1対1の交換を目指す動きをする。この二つの戦い方を一つの言葉で説明して良いものではないだろう。

     言葉の意味を厳格に統制することの意味を問う文章をたまに見るが、それは言うまでも無いことで、鰺買ったら鯖だったりしたら困る。下手に鯖のなめろうなんて作ろう物なら中って下して大問題だ。ゲンガーの入った展開の早い構築を求めて、蓋を開けると重たい構築でしたというのは、非常に不便だ。

     受けサイクルという言葉がゲンガーの入る構築において使われたりもしているが、それも定義をするべきで、ゲンガーの入った軽快な動きをする構築を使いたいと思ったときに、あの構築は一体何なのだろうとなると、取っ掛かりがない状態なので好ましくない。

     構築を使おうと思ったときに、多く人がそれについて調べる。そのときに、現状ではよろしくない。構築ブログを書く人は、多くの人への伝播を望んでいるだろうから、検索・特定しやすくするべきだろう。

     旧来のゲンガー入り受けループと呼ばれるものと、自分の定義する受けループの違い。また、同じ大別がなされても、処理方法や仕組みの違いなどに目を向けること、意識して見ることは、構築をさらに詳細に分類することへと繋がり、ポケモン強くないので明確には言い表せないが、より勝てるような道に繋がるのではないかなーと思ったりもする。