• 乱数へ対する公式の見解

    2017-05-24 21:157







    以下私見
    世の中のオフ会や大会では、修正されたバグや、第三者へ与える影響が不明瞭である改造などは禁止されている。これらは、他にこれという理由の提示もないため、個々人の倫理観によるものであると思われる。前者と後者は異なる特性を持つと考え、その両方の倫理観が個々人の独善、ないしは偽善であることを主張する。
    まず、バグの禁止は、公式の見解に準拠するという姿勢であろう。この姿勢を常に構えている者であるならば、作品を経ると、乱数の解析が難解になっていくという点から、公式の見解を忖度出来たのではないだろうか。かつ、この公式の見解は、問い合わせれば応えが返ってきたのである。ということは、忖度ではなく、事実として認識することも出来た。それを欠いたのは、乱数による利益を鑑みたからであり、その姿勢は、虚構と言える。
    次に、後者を禁止する理由だが、第三者へ与える影響などなのであろうか。
    ここで言う改造とは、個体の創造・錬金のことを言う。因みに、改造は違法という意見もあるが、三國志Ⅲ事件では、数値上限の解除であっても合法とされている。すでにある著作物を錬金することが合法であるということは、想像に難くない。また、自分の調べた限りでは、改造自体が罪に問われた判例は見受けられなかった。
    そして、改造による他者への影響であるが、「他者へ確実に影響を与える改造」は存在した。「他者へ影響を与えない場合もある改造」も存在した。ということは、「他者に確実に影響を与えない改造」もあると考えるのが自然ではないだろうか。悪魔の証明を求めることは論外なので、どんな改造にも他者へ影響を与える場合があるという説明責任があるように思われるが、未だなされていないので、実際の影響を理由とするには力不足だ。

    二点お願い
    ・こんな改造の肩を持つような言い方をしているが、改造をしたことはないので全く知らないのだが、誰か改造をしたことがある人は、「自分のこの改造は絶対に人に迷惑かけないんですよ!!」ってのがあればお教えください。
    ・当方不勉強にて、ポケモンにおいて「他者へ影響を与えたり与えなかったりする改造」の例を知らないので、実例があったら教えてください。


    しかし、確実に第三者へ影響を与える改造は排除するべきである。ここで疑問になるのが、「影響を与えたり与えなかったりする改造」の存在である。過去存在したであろうか。これが実在しなかった場合、改造は影響を与えるか与えないかの二極と考えられる。そこで、「他人へ悪影響を与える改造の禁止」とし、悪影響を与えた場合には、即座に通報なりすればよいのではなかろうか。これは幸福追求権の侵害なりでしょっぴけるだろう。一部の改造を容認することで、悪いほうの改造も参加しやすくなるというのは、念のために絶対に無いと言っておく。根拠がない。
    また、オフ会においては、不安に感じる参加者への配慮として禁止にしているとも考えられるが、これは地震などに対するインフォメーションがない(行うオフもありましたら申し訳ありません)ことからその可能性も排除できる。地震などが起きた場合の対応というのは、公的には学校の式典など、私的なものでは、コンサートやライブなどでも行われおり、多くの人を箱ものに詰め込む際には行うことが普通である。参加者への配慮として一般的なものを欠いて、特殊なものだけ取り上げるとは考えにくいために、参加者への配慮ということも考えられない。
    よってこれらも短絡的であり、独善・偽善と見られても仕方のないことだろう。
    有難いことに、こう書くと自分は改造を無理やりにでも容認させたいと考えていると思われると近頃知ったのでもう少し。
    違法性や、説明責任を果たさないまま、拒否することも別に良いと考える。ただ社会通念に反する、ないしは好ましくやり方であり、個人が主催するオフ会・大会に関して言えば、批判の対象となるだけで、何ら問題はない。
    そして、参加者への配慮ですが、これはこのままではまずい。普通を飛び越えて特殊に関しての対応しかしないというのは良くないので、ごく一般的なイフォメーションも行うべきだ。

    ところで、先日狐の社オフへ行ってきましたが、冷房が付けられることがなく、体感で申し訳ないのですが、25℃はあったように感じました。これは環境省によると、熱中症警戒レベルであり、好ましくないどころか悪いと思うのですが、批判の声をまったく聞きませんでした。地震や熱中症等、体の危険への配慮が欠けても、参加者は何も思わないようですので、ゲームデータぐらいは気にしないどころか、思いも及ばないような些細なことなのではないでしょうか。

    情報提供によって、記事は随時書き換えますので、ご意見があればコメント、ツイッターまで。魚拓・キャプチャを取りたい方はお早目にお願いします。

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  • ポケモンにおけるレーティングシステムの問題点

    2017-05-19 03:492053
    何か今話題らしいんで、話題には乗っかって売名していきたいんで書きますね。
    まず自分はポケモンにおけるレート差マッチングには反対という立場を明らかにしておきます。ではなぜレート差マッチは悪なのか。ちょっと小難しいことも交りますが、丹念に読み解いていただければと思います。

     まずポケモンというのは、その人の強さの担保はレートが行います。勝率やその他ではなく、レートによって順位が決まることからも明らかですね。そして、ポケモンには、そのレート環境へ挑戦するための制限がありません。
    これには二つの理由があると考えます。強さを競う最大規模の環境がレートです。これに制限をかけては、ポケモン対戦をどこにいても出来ない人が生まれるということになります。
    そして二つ目、これが重要なのですが、ポケモンにおける強さの測り方が確立されていないからです。というか確率出来るようなシステムにはないように思われます。つまり、必ずしも強い方が勝つというわけではない。これは皆さんがご承知の通りであると思います。

     以上を踏まえてレート対戦の話をします。レートというのは強さの担保。つまりレートが高い人は強い。しかし、強いから弱い人に勝てるというシステムにはなっていない。ということは、強弱関係にあろうとも、その試合の勝敗の価値は不明瞭であるということです。
    にもかかわらず、レート環境においては、強者が勝てば低価値で、弱者が勝てば高価値という判断にあります。これはおかしい。大企業の技術は中小企業よりも優れていて当然なはずはありません。
    例えば、ニッチな産業なのですが、セーラーという万年筆のメーカーがあります。万年筆のペン先の研ぎ方には様々な種類があるのですが、このセーラーでは長刀研ぎという種類が、この企業独自のものとしてあります。他の企業では開発出来なかったことです。ですがこの研ぎ方、そんなに実用的というわけではありません。そんなに売れてません。しかし、面白味はあるので、マニアの方が買い求めているようです。そして一方で、パイロットという皆様ご存じのメーカーがあります。ここの企業はキャップレスというノック式の万年筆を開発しました。ただノック式というだけの万年筆で、マニア受けはイマイチですが、一般のサラリーマンなどの人気を博しています。自分の知っている範囲では、セーラーの長刀研ぎでは太刀打ち出来ないほど売り上げております。
    何が言いたいかというと、多く普遍的な物と、一部に受容されている物、どちらが優れているということはありません。キリスト教と神道に序列なんてありません。ポケモンとチーターマンもきっとそうです。きっと。

     ですから、強い方が勝ったからまあ当然だよね。弱い方が勝ったから、弱くはなく本当は強いんだ。なんてのはありません。当然コンテンツによって異なる、例えば相撲や将棋では弱い方が勝ったりしたら話題になったりますが、これは弱い方が勝てる可能性が、ポケモンのそれに比べて極端に低いから、もしくはドラスティックな変革が見られたりするからです。
    それから、妙ちきりんな構築だけど、全部択勝ちして2300叩き出すとかいう例外とかもありますが、巨視的に見たときに、レート差マッチというものは改善されるべきものであるように考えます。なぜならば、レートの大きさに価値の違いはあれど、勝敗自体に価値の違いはないからですね。

     改善案としては、まあ数字の近いもの同士をあてがうか、誰と当たっても同じ数減って同じ数増えるとかですかね。後者はまぁ勝率、勝ち数による換算ということになりますね。
    余談ですが、先ほどポケモンよりも勝敗が対局者の強弱に非常に左右されやすいと紹介した将棋ですら、この勝ち数制度を取っています。レート制は皆無ではないかと思います。
    基本的にレート制というのは、人為によって意図的に数字が近くように組まれるもので、人がいなかったらまあ約25連勝分離れていてもマッチしてもいいか~なんて、ましてこんなにも過疎化の一途をたどっている時分にあり得ることではありません。
    同じ人と当たる?上等です。強さを測る場であり、楽しさなど二の次です。楽しさを求めたいのならば、フリーのインフラ整備を要求するのが筋であり、インフラが整備されているからと言って、レートという高速道路に多様性があるほうが面白いじゃんなどと言って、自転車やらジョギングやらが跋扈するのはよろしくありません。
    追記
    レートを楽しむものではないと解釈された方々が散見されましたので、説明を。
    レート環境では、上下が出ます。そして自分が上位にいることを「喜ぶ」ことに本質はあります。もっと言うと、自己満足、承認欲求を満たすために存在します。
    そういった意味で、対戦や多様性による「楽しさ」は二の次です。高レートだと構築が似通っている。より楽しめるようにレート差関係なくマッチするべきだ、という考えへの回答です。解答ですかね。純粋な対戦の楽しさ「のみ」を求めるならば、現状無いので他に求めるべきであり、レートにそれを求めると、レートの本質を失い、確実に欲に飢えている層がポケモンをやめます。対戦の楽しさはレート環境でも賄えますが、その手の欲望は、レート差マッチが蔓延している環境では代用が利きません。ですから、もしレートに本質が失われたとき。やめる人の数は過去最大と予想するのが本寸法でしょう。
    因みに、レート対戦にも当然楽しさはあります。それは対戦外の場面にて考察することなどが主ですね。これはどの層も感じる楽しさではあると思いますが、個人的には勝ちを求める層の方が、その恩恵は大きいような気がします。

    ご質問等あればツイッターかコメントにでも、と言ってコメントやツイッターだったらうやむやになったり、僕の悪戯心が騒いだりするんで、是が非でも善悪を徹底的に求めたい方がおられましたら、Skypeのほうまでお願いします。こちらでも悪戯心はまず騒ぎますので多少のご理解をお願いします。
  • 馬鹿への手解き/ボルさんへの謝罪

    2017-05-01 19:30
    昨日ボルさんとツイッターで遊んでいたら、随分と酷い言われようで、
    さすがにいわれなくバカにされるのは情けないので、
    僕に散々言ってのけた方々に挑戦状と、ボルさんへの言葉を後ろの方に書いときますね。

    僕がボルさんと遊んでる中で、どれだけ僕の理論展開がいかにおかしかったかは知らないが、そもそもツイッターにおいて正解を導き出すために討論はしない。

    限られた文字数、どうしても多くなった場合いくつかに分けて読まなければならない、一部の誤りをいちいちすべて指摘する必要など、他にもいくつか問題がありますが、
    正解を求めようと思ったときに、ツイッターでの討論は非常に効率・精度が悪いことは、
    ここまで書かずとも自明であるように思っていたが、これらが分からぬ賢者に、暴言という形で教えていただき非常に感謝している。

    ところで、話は変わるようで実は変わらないんですが、
    凡愚な人間は往々にして権威を有難み、中身にはまるで頓着しないというのは、
    法華経常不軽菩薩品 第二十(一番鯱張った、†権威†感が出るのでこれを書くが、もっと読みやすい物が良ければツイッターなどで訊いていただければ紹介させていただきます。)
    を見れば分かるようなので、
    自分の意見だけでなく、著名人の実例・作品からもご紹介させていただきます。

    まず、書面上でのみやり取りをし、思うように進まず、話が長く長くなった例で言うと、
    大谷崎潤一郎先生と、皆さんが最も耳にした小説家かと思われます芥川龍之介の、
    『改造』上で行われたやり取りが分かりやすいかと思います。
    また、会話をしそれを素養とすることで古き良きヨーロッパは成立していたと、
    先日亡くなられた上智大学名誉教授であられせられます、渡部昇一氏がベストセラー、
    『知的生活の方法』にてかの有名な哲学者カントの生活より感じられたそうで、
    やはり声によるコミュニケーションが最も効率的で高精度な討論であると考えられます。

    と、ここまで僕のツイッターでの論理展開について文句を言った不逞な輩へ手解きをしましたが、文句を言った人自体は随分いるようで、まさか馬鹿が雁首揃えてただ論理展開に関して文句言ってるだけとも思いにくいので、もし僕の論理そのものに文句を言う人がいるようでしたら、僕と効率的で高精度な討論をぜひしましょう。
    自分の言葉が的を射ないものであったと気付かれた、救いようのある馬鹿の皆さんには、
    謝罪を要求しないまでも、多少の良心の呵責があることを願います。

    以降ボルさんへの個人的な言葉となります。
    ツイッターで、
    本当に結論を出したいのなら通話という形が望ましかった。
    という進言をしたとき、特に何も言われなかったので、ご理解いただけたのかと思い、
    その後通話による討論へシフトするお話もされなかったので、僕同様にただ遊んでいるか、
    正解を出そうという意思はないものだと思い込んでいたのですが、
    あの発狂ぶりを見て、純粋な少年の心を弄んでしまったような気がしております。
    まさかボルさんが、進言したにも関わらず、通話へのお誘いもなく、
    しかしなお本気で答えを出そうとされていたとは露とも思っておりませんでした、
    申し訳ありません。
    一般論かどうかは、調査法はご提案させていただいたのでご満足いただけたかと思いますが、
    どっちでもいいで済むという言葉については、返答不足であった気もしますので補足をしますと、前述しました谷崎と芥川の討論、これは純文学において何を重視すればよいか、
    ということであります。このためだけに長期間ぐだぐだと言い(書き)争ったのです。
    まして単語においてどっちでもいいなんてことは絶対にありえません。
    ご理解いただけたでしょうか。
    最後にボルさんからの僕への頭おかしいだのという暴言に関してですが、
    まさかボルさんがそこまで純粋であるとは知らず、僕の配慮不足の面も大きいため、
    僕の寛大な心で気にもしませんので、どうぞご心配のありませんように。