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早田英志のスーパー人生論 第六回     ~女性(男性)魅惑の秘訣~
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早田英志のスーパー人生論 第六回     ~女性(男性)魅惑の秘訣~

2014-03-04 08:40

    <女性にモテる方法>

    二十代、三十代、四十代と女性にモテる方法をだいぶ研究したもんだ。
    男性ならば誰しも同様な事を考えるのが当然であろうが、私の場合は三十代以後は外国であるから
    状況が日本でと少し違う。しかし女性の心理は日本だろうと外国だろうと似たようなもんである。
    いろいろ自慢できる事はあるが、女性にモテた事を自慢する事だけは私の本意でないけどここでは
    仕方ない、少し恥をかこう。
    日本での初恋は高校の同級生で十七歳で始まり二十二、三歳まで続いた上品な同郷の病院の娘
    であった。結婚の約束までしていたのにフラレてしまった。私が東京に出て、バカやってて愛想を
    つかされたのだ。つぎの恋人は東京の女性で私が大学四年生のとき知り合った。私より四歳若く
    モデルをやっていて、三年ほど付き合った後結婚した。そのとき私は航空会社に勤めていた。
    強いてその当時のモテる道具といえば英会話が流暢であったのと当時は数少なかったダイハツの
    オープンスポーツカー・スパイダーを持っていたことぐらいだ。
    しかし、この結婚も二、三年しかもたず破局を迎えた。結論を先に言うと、どうも私には女性が
    徹底的にホレぬく男の性格的魅力はないのかもしれない。それはその後の女性遍歴でも明らかで、
    自分自身のライフ・スタイルも軽く,愛を深くつむいでいくという重厚な心境には至らないのである。
    三人目の恋人は私にとって天使、エンジェルにも値する清楚な中米コスタリカのカソリック、
    スペイン人であった。この結婚生活は十七年間続いたがその間に何度か浮気の問題が発生した。
    私が仕事ですむコロンビアに家族を同居させておけない安全上の理由で家族をロスアンゼルスに
    移住させたのがその原因で単身の私はプレイボーイ、ハスラーになってしまった。
    その当時の破廉恥なモテ方を一寸披露しよう。ボゴタの私のエメラルドオフイスには昼前に一組、
    午後から別の一組というように連日ガールフレンドが押し掛けていた。土日、日本人のバイヤーと
    ゴルフに行かなかった日に朝食を街道筋のカフェテリアでガールフレンドと一緒にとっているところを
    お客さんにみられ、午後ゴルフの後の帰り道にカフェテラスで別のガールフレンドと一緒にいる
    ところを又彼らに目撃され、その夜高級サパークラブでそのお客さん達にばったり会った時に私が
    又別の女性を同伴していたので、さすがにお客さん達はビックリした。もちろん私は恥じ入った。
    彼女らのほとんどが、大学生かセクレタリア(オフイスクラーク)でときに高校生や店員さんで
    あった。むろん、皆が可愛い。何十人ものバイヤーにはそれぞれ私のガールフレンドのその友達を
    紹介していたのでとても喜ばれた。これはもうプレイなので、ある年、
    “今年は青眼(か、緑眼で勿論コンタクトではない)のガールフレンドだけ五人と付き合います”
    と言い、実行した。その中でとびきりの超美人アナマリア嬢のガールハント方をご披露。
     
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