No.010 復元記紀年表で迫る ~初期天皇家は末子相続&少年王?~
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No.010 復元記紀年表で迫る ~初期天皇家は末子相続&少年王?~

2017-06-19 19:33
    今回も小ネタでお送りします。
    復元年表で迫れる情報には限りがあるので、適宜、記紀の記事やそれ以外の情報も入ってきます。
    全体の復元年表は第8回のものでこちらを参照してください。

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    初期天皇家の年齢と年代



    表1:初期の天皇の年代と年齢

    復元年表から初期の天皇家の年代・年齢の結果だけを取り出した表1を参照してください。
    比較のためにC列D列だけは日本書紀の記事から得られる即位時年齢と享年を示してあります。

    結局復元年表は記紀記載の年代や年齢に対しておおまかに以下の操作をすることで得られました。
    • 日本書紀の在位年数および干支と在位年数から得られる年代について、在位57年以上のものに対して干支1周分(60年)を減算
    • 古事記の享年に対して90才以上となるものを干支1周分(60年)または2周分(120年)減算
    • 古事記の享年干支が記載されているものは日本書紀から得られた減算後の即位年、没年を古事記に合わせてシフト
    規則的な変換であっても、適正な年齢・年代で構成された年表から年齢を加減算した場合には世代間の年齢差が狂ってしまうはずです。
    復元年表では年代は日本書紀のものを、年齢は古事記のものをベースにしているので表1ではより辻褄があっているように見えます。
    (反面、他の部分では日本書紀から得られる系図と矛盾する年齢差が生じるのも事実です。それについてはまた後日。)

    ここで気になるのは朱記太字で示した部分、2代綏靖天皇~5代孝昭天皇まで少年時に即位していることと綏靖天皇の出生時の神武天皇の年齢が高いことです。

    初期天皇家は末子相続&少年王?
    神話の時代には火照命(ほでりのみこと)火須勢理命(ほすせりのみこと)火遠理命(ほおりのみこと)の例や神武天皇本人など、弟に兄が皇位を譲る話が多く記載されていて、古代の天皇家は末子相続であったろうという説があります。
    復元年表ではこの傾向が顕著に出てきました。
    表1H列の誕生時の先代(親)の年齢を見ると30代の方が多いので、長男というよりは末弟に近いだろうということがわかります。
    しかも即位時に皆同じように10代前半です。

    少年のまま即位するとどのような動きが出てくるでしょうか?またどのような背景や体制が想定されるでしょうか?考えてみましょう。
    • 縁組が急がれる。皇太子ではなく既に天皇なので、有力氏族は自分たちの娘をすぐ妃に皇后にと勧めるでしょう。結果として皇子の誕生も早いはずです。
    • 在位が30年ほどありますから、子供は多かったはずです。そのなかで崩御時に10代前半の世継ぎがちょうどいるという例ばかりなのは不自然なので、多くの皇子のなかで10代前半の者が次代の天皇に選ばれたと見るべきでしょう。つまり末弟であるとは限らないということです。
    • 初期の天皇家にも兄弟が多かったということは、古事記・日本書紀の系図に記載がない皇子や皇女も多かったということです。もちろん、古代では成長せずに亡くなる方も多かったでしょうから、成長した有力な御子だけが記載されたとも考えられます。
    • 政治的には親戚にあたる有力氏族と天皇家の分家の間での集団指導体制であることが分かります。(条件的には傀儡というケースもありえますが、同等の権威(兄弟)が多い中で数代に渡って支配するのは難しいでしょう)
    開拓期が終わり領地や収穫高が伸びなくなった農耕社会では本家の存続が重要視され、長子相続が続く様になりますが、開拓や領土拡大の余地が残り人口がまだ少ない時代では、年長者から独立させて氏族全体の勢力を拡大したほうが氏族全体では有効な手段です。
    年長の皇子も危険を犯して皇位を奪うよりは、自分の融通の効く道を選んだほうが得策です。親族の顔色を伺うしきたりで縛られた窮屈な大王よりは気軽だったのかもしれません。

    当時の人口推計はここで確認できます。弥生時代末から8世紀までで7倍程度に人口が増えておりその後、平安時代になると横ばいです。(弥生時代も一貫して人口増加しているようですが数値的に読み取れない)

    現代においては末子相続は遊牧民族の特長とされていますが、人的資源の拡大が「必要」だった時代では、農耕社会でも有効な方法だと思います。
    ただし必要に応じて村境国境などの境界を超えて支配権の拡大ができる立場にある場合で、境界を変えられない場合は生産拡大手段は開拓に限られ、開拓が技術的に困難になれば境界を超えて土地争いになります。
    土地争いは弥生時代により大きな王権が誕生した要因でもあり、末子相続になりにくいように感じますが、東征期の天皇家は土着氏族の境界を超えて、土着氏族の階層の上に新たな支配階層を作る形で拡大したためにこのようなことが可能になったのではないかと考えます。

    遊牧民族の系統にしては馬や家畜に他する説話にかけるなど、普通遊牧民族の持っている誇りに対するリスペクトがなさすぎる気がして私には天皇家=騎馬民族の末裔説は何かしっくり来ないものがあるのです。

    綏靖天皇の出自
    話は変わって、綏靖天皇出生時の神武天皇の年齢が69才である点です。
    第8回
    の「1.出生時の年代が日本書紀の記事と合致しない」の項で綏靖天皇の出生時の年代が日本書紀の記事と合わないという話をしました。
    日本書紀を読むと神武天皇は大和征服後即位しその後皇后を娶り、その子が綏靖天皇であることになっていますが、日本書紀から年表を作るとそうならないのです。(復元途中の復元年表も同様の矛盾点がありました)
    表1ではどうでしょう?神武天皇即位が61才、綏靖天皇出生時の神武天皇の年齢が69才なので矛盾しません。

    ですが、おじいちゃん過ぎますよね?いやお元気なのはいいことなんですが ^^;)
    日本書紀自体が持っていた矛盾点は解消しましたが、新たな問題が発生してしまいました。

    たとえば戦国武将などでは子供が次代を継げる年齢になれば、他の有力武将との間で子供同士の縁組を行います。
    当世の当主が亡くなってしまえば縁組は意味なくなってしまうので、縁組相手がなくなればなるべく早めに縁組し直します。
    当世の当主が高齢であれば、次代の当主と目される人物と縁組をするのが一番の方法です。

    当時はこのようではなかったのでしょうか?

    日本書紀の綏靖天皇の記事にヒントがあります。(以下、日本書紀※1の要約)

    神武天皇が崩御し、庶兄の手研耳命(タギシミミノミコト)は皇位を手に入れようと弟の神八井耳命(カンヤイミミノミコト、兄)と神渟名川耳命(カンヌナカワミミノミコト、弟、後の綏靖天皇)の殺害を企てる。
    八井耳・渟名川耳兄弟は察知し危機を脱する。
    反撃をする段になって、渟名川耳が合図をし八井耳が矢を射る手はずになっていたが、八井耳は手が震えて矢を射ることが出来ず、代わりに渟名川耳が矢を射ることで手研耳の誅殺に成功した。
    八井耳命はこれを恥じて皇位を渟名川耳命に譲り、自分は神祇を祀る道を選ぶ。

    綏靖天皇と神武天皇の間に一代挟むとすれば、やはり神八井耳命でしょう。兄弟関係ではなく父子関係ということになります。

    日本書紀でも復元年表でも同様ですが、神武天皇崩御から綏靖天皇即位の間には空位期間があり、足かけ3年にも及びます。(復元年表だと足かけで西暦77年~西暦79年)
    手研耳命の反乱はそれだけ大規模だったということです。あるいは、神渟名川耳命の成長を待ったのかもしれません。
    手研耳命は神武天皇の東征にも深く関わっているようで、熊野での進軍の場面でも名前が出てきます。
    神武天皇の年齢-20才としても50才は超えており、日本書紀にも政を任されてきたとあり、神武天皇崩御時に9才だった神渟名川耳命との違いは圧倒的です。

    日本書紀には手研耳命の襲撃を察知して避難したとありますが、用意周到な襲撃の察知は難しく、やはり神八井耳命は落命されたのだろうと思います。
    国を立ち上げた直後の世代での内紛(2代目の殺害)は不名誉なことですし、話の上では存命ということにして弔意を示したのではないかと思われます。

    ちなみに和風諡号や諱で「神」が頭に付くのは「神日本磐余彦尊(神武天皇)」「神八井耳命」「神渟名川耳命(綏靖天皇)」しか知りません。(神功皇后は漢風諡号)

    そして、皇統を孫が継いだというエピソードは、神代の天孫降臨のエピソードを連想させます。
    皆さんはどう思われますか?

    まとめ
    • 初期の天皇家は年少の皇子が相続し、内戚・外戚の集団指導体制で政事を行った。
    • 従来の支配階層の上に君臨することで村境・国境に束縛されない支配領域の拡大が可能になり、年長の皇子は皇位にこだわらなかったと考えられる。
    • 神武天皇没後、皇位の継承が上手く行かず内紛が起こり、孫の神渟名川耳命が13才で即位した。(綏靖天皇)

    領域拡大の要因には他に「婿入り婚」と「氏族祭祀の継承」があると考えていますが、それはまたの機会にしたいと思います。
    簡単に済ませようと思っていても長くなってしまう、、、

    ↓上でクリックされなかった方、よろしくお願いします。

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    【次回予告】
    倭の五王の関係を復元年表を使って読むと、、、以外な結果が、、、


    ※1:要約元 「原本現代語訳 日本書紀(上) 山田宗睦訳 ニュートンプレス」
    参考資料:
    国会図書館デジタルコレクション 日本書紀30巻


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