経済なんて、全部イカサマなんですよ
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経済なんて、全部イカサマなんですよ

2018-03-12 20:00
  • 53
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いつか経済に対する愚痴を書きたいと思っていたが、今月はたまたま出費が重なってクレジットカードの支払いがとんでもないことになったのでようやくその気が起こった。

文体を見れば分かるが、気分に任せてあまり真面目に書いてないのであしからず。本気にして思いつめないように・・・みんな、明日もお仕事頑張りましょう。

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おエライ経済学者さんがイタリア政府関係者と会食した。ちょうど欧州債務危機の折で、世間では南欧諸国の債務危機が囁かれていた時期である。

そんなご時世なのだが、学者先生も鳴かずば撃たれまいに「イタリア財政も大変ですね」とわざわざいらぬお節介を口にしてしまうと、相手のプライドを刺激してしまったのか、「貴方は貴方の国の心配をした方がよいのではないか。イタリアの債務状況は日本よりよっぽどマシだ」と反撃を受けてしまったのだった。

だがその学者先生は、まずいことを言ってしまったかな、と悪びれるよりも、「この状況に成っても日本の社会は動揺する素振りも見せないが、もしイタリアが日本の立場に立たされれば社会はひとたまりもないだろう・・・」と胸中で冷ややかな思いを抱いたという。

高等な気でいるヨーロッパの社会経済など、その程度であるぞ、という日本人の冷めた目である。

ヨーロッパや北米は日本よりも多様性に満ち、ダイナミクスがあり、人口動態に恵まれ、日本よりも恵まれた財政状況と経済成長を続けているのに、一方でロンドンやパリでは暴動やテロが起き、ドイツでは難民センターが襲撃され、各国で排外的な極右が増長し、社会の分断が進む。豊かになっているはずのイギリスで自殺的なブレグジット投票が起き、世界最強の経済大国であるアメリカでは失敗と分かりきっているトランプが大統領になった。

数字の上じゃ成長してるのに、豊かなのに、幸せでなければおかしいのに、現実が映し出すのはまるきし反対のものである。衰退しているはずの日本の方が社会は安定していて、狼狽する気配すら見せない。諦めていると言ったらそれまでだが、諦観しているようにフカしていられるのはその実はまだまだ「諦めなきゃいけない状況」なんて思っていないからである。余裕の裏返しだ。

日本と違って○○は成長していると言う。しかしまぁ、そういうのは、成長していないと持たない国、という裏の事情があるのだ。

そういう「青い芝生」の国では、少しでも経済が悪化すれば企業は首を切ろうとし、議会は公的支出を切らねばと言い、労働組合が大絶叫をあげ、デモが起き、混乱の環は社会中に広がって移民が暴動を起こしたりする。成長できる国というのは成長するように作りあけられた社会であり、それは成長がなければ成り立たない国になってしまったわけでもあるのだ。

成長を絶対視した結果、グローバリズムだの競争力だの多様性だの柔軟性だのの言葉の響きに騙され、なじみ深い愛着のある産業を捨てて不愛想で得体のしれない国際企業の軍門に下り、本当は嫌いな癖に外国人を国に招き入れる。国際色豊かな社会なんて言うが、浅黒い肌の人間が群をなして歩道を歩くことや、トルコ語やアラビア語やメキシカンの話し声が通りに流れることを腹の底では不快に思ってるのなんてお見通しなのだ。IT企業のスター経営者の気取ったプレゼンだって、受け入れない自分が時代遅れに見えるのが嫌で無理やり拍手をしているだけだし、脇を固める優秀で高級どりの若い社員のことだって、生意気で仕方ないと思ってるんだろう?

知らない人間・知らない言語が自分たちの社会を知らない形に作り変えてしまうことにホントのホントはとんでもない恐怖を感じているくせに、「経済成長が万事を解決してくれる」なんて思い込んで逃げている。これが西欧物質主義の末路である。だからほれ、経済成長なんて誤魔化しが少しでも曇ると薄汚い本音を隠し切れなくなるわけです。

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ああ、でも、日本も数字のうえじゃ成長してるんでしたっけ?

じゃあ周りを見て、10年前より幸せそうな顔をしている人々がどれだけいますか?小学生が社会人になって擦り切れた顔をしているのは当然ですか?では25歳から35歳になった人は?35歳から45歳になった人は?45歳から55歳に・・・定年が視界に入っている人の表情はどうですか?

数字が正しいなら、日本全体では10年前に比べて4.6%幸せになっているはずである。

しかし全体と個は違うだろう。山田太郎さんは日本人である前に山田太郎という一人の人間であるから、日本には預金が1,000兆円とあるが、それは全体の抽象的な財産であって山田さん個人のものではない。全体のお金が4.6%増えても山田さんにはそれほど関係ないのでは?おっしゃる通り。

では貴方個人の幸せ増加率を見るならどうか。

もっとも分かりやすくするためにサラリーマンであるなら源泉徴収票を並べたらばよい。去年の12月に貰った源泉徴収票と10年前のものを比べて、給与支払総額から源泉徴収税額と社会保険料等の金額を引いた額がどれほど伸びていますか?ちなみに私は10年前はまだ絶望の学生だったので10年前の自分とは比べられないが、働き始めの頃と昨年の源泉徴収票を比べたらおおよそ80%増でした。ここには住民税が入っていないから実際はもう少し下がるだろうが、だとしても、果たして80%弱も幸せが増えただろうか?

10年前は子どもだったよ、と言う人は考えてみるといい。年間の可処分所得などゼロに等しい、所得と言えば月々のお小遣いと年に一回こっきりのお小遣いしかない子供の自分と、働き始めてウン十万ウン百万の自由なカネを手に入れた今の自分。数字上、理屈の上でだけで言えば、子どもだった自分から見れば、両手で抱きかかえても抱えきれず零れだすような量の幸せを今手に入れているわけである。果たして、あなたはいま比べようもないほど幸せですか?

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えーっと、昨年終わりの日本の現金総量がおおよそ100兆円でしょ?そんでぇー、マネーストックは「こーぎりゅーどーせー」を含めて1007兆円だっけ?それっくらいのおカネがあるはずなのだが・・・ちょっとどんぶり勘定すぎるって?ちゃんと調べてんのかって?出典?別にこまけーことはどーでもいいんだよ。とにかく、今の日本には1万円とか5千年とか100円とかがまぁ100兆円ぐらいあるんだけど、でも世の中にはその10倍ぐらいのカネが「ある」ことに「なってる」の。

本当はないのに?あるという仮定で?架空のおカネってこと?銀行口座には150万しかないのに婚約相手には300万もあるよと嘘をついているわけ?それで結婚生活の計画を立てちゃうの?いいの?

いいんです。あと150万くらい、いまの働きぶりならちょっと遊興費を削れば3回目のボーナス時には財形貯蓄口座にはそれぐらい貯まっていることになってるのだ。今はないけどいずれある、なら今あるのと同じでしょ?

そう。所謂クレジットという奴である。ちょっと違う?別にこまけーことはどーでもいいんだよ。だいたい同じでしょ?だいたい同じってことはほとんど同じで、ほとんど同じってことは完全に同じってことなんだよ!

アメリカでは取引される現金に対して取引されるクレジットが50倍もあったらしい。つまり、ちゃんと現金払いしている堅実な人が1人いればツケ払いで事を済ませている奴が50人もいるわけである。あるいは、貴方がどこかの家電量販店のレジで10万円札を払ってドラム式洗濯機を買っている時に、日本のどこかでは「ローンが通る」という実体のない「可能性」を代金代わりに、印刷原価2~3円の紙切れ1枚で500万円のトヨタ・ハリアーの売買契約が結ばれたりしているわけである。いや、日本だとそんなにクレジットの量は多くないだろうから、もしかしたら買われた車はプリウスαくらいかもしれないが、まぁだいたい同じでしょ?だいたい同じってことは完璧に同じなんだよ。

つまり「経済」なんてのは大部分がイカサマなわけなのですよ。

昔、森で獲ったものや大地から芽を出す作物を食んで日々を暮していた頃は経済と生活はイコールそのままだったが、貝殻を「価値」として扱い始めたり、鉱物を加工して実体以上の「価値」を与えたり、あるいはその無根拠の「価値」を他人に認めさせられるぐらい強大な権力が中国なりローマなりギリシャなりで生まれ始めると、この「イカサマ」が増長する余地が大いに膨れはじめた。

だから、現代経済なんて、もとを辿れば大昔に誰かが始めたイカサマなのだ。

誰かの始めたイカサマが、何の間違いか百何十代にもわたってそのまんま相続され、今日にまで続いていしまっているわけである。このイカサマは今となってはもう誰にも清算できないくらい複雑巨大化してしまった。

でもイカサマはイカサマである。不当であることに変わりはない。そんなものを放置しているなんて正義に反するのでは?なんでもいいから何かしら手を打たなければならないのでは?

はい、というわけでなんとかするわけです。ニンゲンは賢いので。

誰も手におえなくなって上塗りに上塗りを繰り返した結果、政治家を抱き込んだ詐欺師どもが何をしたかというと、イカサマを集団でまるごと合法化して正当化したあげく、あまつさえその中心にある伏魔殿を「聖域」に指定して、誰もイカサマを暴けなくするというとんでもない共同犯罪行為だった。バベルの塔と化したイカサマ経済はしかし、華麗な装飾で高貴な神殿に仕立て上げられ、デマカセの祭祀をつかさどる詐欺師たちは聖職者の衣に扮している。

アメリカ独立宣言の生みの親の一人であるトマス・ジェファーソンはこの真実を看破して巨悪アレクサンダー・ハミルトンに立ち向かったものである。ジェファーソンのいたアメリカには、まだ正義が生きていたのだ。そして今、ジェファーソンはもういない。

今や全世界がこのイカサマに頭を垂れている。果たして貴方はどうだろう。まぁ、みんながそうなのだから貴方一人がどうであってもほとんど変わらないだろう。

ほとんど変わらないということは、まったく変わらないということだ。

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これは詐欺なわけですよ。

給与明細を見て、ふむふむ、今月の給与・・・私の労働時間の価値はこれこれ25万ぐらい・・・

しかしよーーーく見てみなさい。所得税に住民税に厚生年金保険料に健康保険料に介護保険料と積み上げていくと、貴方の手元に渡る前に取り上げられるカネの量は5万になるじゃないか!割合にして20%にもなるが、しかもこれは源泉徴収できるもので、貴方の給与支払者の手の届く範囲にすぎない。ここに家賃の支払い電気料金水道料金ガス料金、生きているうえで絶対必要なカロリー量に相当する食費・・・分かりやすいものでもそれだけ、さらに人間らしく生きるために要る交遊(人間活動)費や情報の入手費用となるプロパイダの契約等を入れれば、差っ引かれる額はいくらになります?そして後に残った貴方の労働の「利益」はいくらになりますか?給与支給額の半分ぐらいで住んでいる人は非常に優秀でなかろうか。

五公五民だ。江戸時代かな?

経済とやらがいくら「近代化」したところで、天下公儀を回す為に個人に要求される負担の量は今も昔も変わっちゃいないのである。「近代化」したのはごまかしの方だった。

車を買えば所得税に登記費用に自動車税に車検代に任意保険料金にガソリン代に・・・家を買えば不動産取得税と固定資産税と登記費用が・・・豊かになったかと思えばそれにひょっこり貧しさがついてくる。儲ければ儲けるほどコストが増え、だから同じように、経済だって成長すればするほどどこかで「穴」から富が漏れているのではないか?あるいは、積み上げられたコインの横で未来の負債もまた同じ高さにまで積み上げられているのではないか?

ラジカセ、カメラ、腕時計、目覚まし時計、固定電話、家庭用ゲーム機、電卓、レコーダー・・・昔は数々の家電製品が分担していた役割を今ではスマートフォン一台で代用できるという話が、遠い過ぎ去った日々を懐かしむと同時に、現代の豊かさを誇る文句として度々用いられる。

30年前の人々は30年前を今だけの日々として精いっぱい生きたのだから、30年前の、色あせていても温かい記憶の中の淡い光を、けばけばしい現代のLED光線で突き刺すような真似は無粋の極みである。

しかし、そんな心情を抜きにしても、数々の家電製品が肩を寄せ合っていた賑やかな部屋が、今はスマートフォンがたった一台ポツンと立ち尽くしている殺風景で空虚な虚空となっているとすれば、それを見比べて、淀みなく私たちは豊かになったのだと言ってしまえるのだろうか?何もないそんな部屋が豊かだと・・・確かに、物質主義から脱却できたのだとは強弁できるかもしれないが。

車もいらない酒も飲まない旅行にもいかない、全部スマートフォンとネットで済むから・・・それが豊かになった身の上だからと言えるのか。豊かになっているはずなのに、私たちの身の回りの世界はますます寂しくなっている。それは、見えないところで豊かさを取り上げられているからだ。進歩や進化や成長という言葉の裏に偽装された「五公」が、巧みに貴方から年貢を取り上げているからなのです。

なーーんてことを考えていると、もう何もかも信じられなくなってくるでしょう?

だからね、最初に言った通り、経済なんてのは「イカサマ」なわけなんですよ。

つまりはこうして、「理屈」とやらは繋がるべきところに繋がっていくんですな。

*********

いっちょまえに社会人社会人と・・・働いている働いていると言うが、果たして貴方の職業なんて、書類整理ばかりのお役所と何がどう違うのか?

偉そうに俺は勤労者さまだ労働者だというが、果たして貴方の労働内容は「生産的」と言ってしまえるほど大したものなのか?

老人や何も知らない疎い一般人を、嘘は言っていないが口先三寸の抽象的な方便で丸め込んで、必要のないリフォーム契約を結ばせ、あるいはスマートフォンのプランに意味の無いオプションを紛れ込ませようとしたり・・・もしくは、世の中に必要とされていないどうでもいい商品をセールスしたり・・・そんな仕事はたくさんある。そして直接的にも間接的にもそれに加担している人はたくさんいる。

超巨大な、天文学的な無駄を細断し、皆にそのカケラを一つずつ配る。なるほど目の前の渡されたものだけをみれば如何にも意味ありげに見えるが、何年間もかけてみんなの持っているそれらすべてを繋ぎあわせてみると、あら不思議、何の意味も無い巨大な無駄が姿を現す。その事実に気づかせないために、巨大な無駄は細かく分解さればら撒かれているのだ。

世の中になんの意味も無い、あってもなくても誰も迷惑しない、誰にもアテにされない、ただカネを手に入れる為の方便を整えるだけの労働、アリバイとしての職業、そうでないと言い切れるのか?

貴方の会社の事業内容が明日突然、空き地に穴を掘ってその穴を掘り帰した土でまた埋めるだけのループ作業に代わってしまっても、もしかしたら誰も困らないんじゃない?

その無駄の対価として手に入れた現金も、実はその90%が実体のない共同幻想である。虚業に虚金を重ねてイカサマの経済を回す。

しかしまあイカサマというのは単純なことでいつか壊れるもので、例えばインフレ率が跳ね上がるだけで悲鳴を上げて崩れることになる。

そうなれば、価値のあるものなんて腹を満たせるものぐらいになるだろう。

田畑を耕し、大地から恵まれる米や野菜を唯一の労働の収穫とする素朴な営みこそが、唯一の価値ある行為だったと認められる、そんな古く正しい瞬間が来るかもしれない。

実家が農家である人は、幸運である

(了)
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他43件のコメントを表示
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>>44
まあ、そうですね。
もちろん、学術論文ほどの定義や根拠を出せ、とは言いませんが、少なくとも記事にする以上、「何が」「どうして」「どうなのか」くらいの内容が欲しいものです。

例えば、「リン、銅、亜鉛が溶け込んだ水を摂取した場合、その死亡率は100%」なんて言うと、さも恐ろしそうに感じますが、「リン、銅、亜鉛」はいわゆるミネラルであり、水にふんだんに溶け込んでいるものです。一方、我々は日常的に水を飲んでいますが、最後には誰でも必ず死ぬので、結果として上記の文章はごく当たり前のことになります。よって、この場合「含まれているリン、銅、亜鉛の量」がどれだけの場合、「いつまでに」「どういう理由」で死因になるのかを定義しないと、議論にすらならないわけです。

筆者は上記のような詭弁を繰り返していますが、流石に複合型コンテンツのサイトの広告バーに掲示されるブロマガにおいて、こんな情報の混乱を招いてはマズいでしょう。根拠や定義という言い方が堅苦しいのなら、「わたしのおもったこと」「ただしいとおもったりゆう」くらいは書き込んでおかねば、小学生の感想文よりひどいものになるのではないでしょうか。
4ヶ月前
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はぁ〜(クソデカため息)
自治厨めいたことは言いたく無いけどな〜俺もな〜
最近コメント欄が変な伸び方してるなと思ったら1人で知識人気取って長文コメ返ししてる寄生虫くんがいるわけね。他人のブロマガの記事に寄生して何回も似たような内容の長文垂れ流すのクッソ見苦しいから自重してくれませんかね。
ブロマガのコメント欄見る目的って記事におけるブロマガ主と閲覧者の擬似的な双方向コミュニケーションや閲覧者同士のプチ議論から刺激や見識を得ることで1人の人間の持論展開する様なんて見たく無いんだけど。持論展開するならせめて自分のブロマガ作って、そっちに誘導してくれないかな。同一人物の複数長文スクロールするの面倒くせえわ
批判はあって当然の記事だけど、ろくに返信もされねぇのに同意を求めるようにコメントしまくるの恥知らずってこと分からないかな? 分からないんだろうね
4ヶ月前
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チラ裏に書くようなレベルの記事だからコメ欄で馬鹿正直に議論しても仕方ないね。
筆者は真面目に議論しようとしてるわけじゃなく日々の生活で感じたストレスを文章にして垂れ流してるだけなんだから、読者も力抜いて鼻ほじりながら読んだらいんじゃねーの。
4ヶ月前
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食べ物が貨幣だった時代や国もあるぞ(日本の米とか)

ただそうすると、豊作時はインフレ、凶作時はデフレが発生する。
しかも江戸時代は開墾・開拓したお陰で初期から末期にかけては平均するとインフレしてるのよね(農家がんばりすぎぃ!)

致命的なのは食べたり、畑にまくことによって「貨幣を捨てることができる」こと。
しかも国中の畑所有者が造幣権を持てちゃうとかいうヤバイことになる。
(総生産が計算できへんやんけ……)

ちなみに今は昔と比べて幸福かってトコ。
幸福なんて数値化できたっけ?(すっとぼけ)
価値は貨幣として保存できても、それをもって幸福が増えてるとは原理的に言えないんだよなぁ……(貨幣で測定できるのは「効用」を満たすために消費される貨幣の数値のみ)
4ヶ月前
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人は農耕社会に移行して部族戦争をするようになったと聞きますね
資産を得た事によってゼロサムゲーム的に格差が出来て行く様子は
現代の物に溢れ物質的な豊かさと逆に二次的欲求が伴われていかない
幸福度の低い国内データのそれと似たような物なのかも知れない。

理想とする幸福像の基準が高くなり過ぎたが故に心が豊かにならない
そういう意味では今の物離れした若年層はこの記号消費の不幸から
脱却しつつあるとも考えられる。

我々は暮らし楽にするために社会を技術を文明を発展させてきたが
それは同時により高度なパフォーマンスを要求されてる事に他ならない
例えるなら完成し手を加える必要がなくなってしまった芸術品のように
合理化が進むほど人間の労働力としての価値が薄れていくのに似ている
貢献したが故に仕上がって貢献出来なくなってしまう、そんな世界では
上位層しか成し得ない能力や地位や報酬を夢見て生きて行くにしても
どこかで折り合いを付け、妥協ではなく許容として考えないと
山田太郎さん達は心の豊かさを得られない気がします。

幸福の在り方はゼロサムのような他に移って減る物ではないと
個人的には思いたいところ。
4ヶ月前
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>>50
星りんさんから出る愚痴が、もっと気取りのない、あくまで一生活者としての目線に沿ったものであれば、小賢しい批判なんて飛んで来ない、またはその数は大きく減るように思うんですよね。
私的な領域の愚痴に過ぎない言葉について、共感以外の感想をいちいち述べる人は、そうそうおらんでしょう。
しかし、ここ最近の星りんさんの「愚痴」は、私的な感覚に小賢しい理屈付けをし、過剰な自己正当化と感覚を共有できない者達への攻撃性を孕んでいるように映ります。
これは、もはや愚痴が愚痴であることを放棄したに等しい、他人の庭への踏み込みとなり、必然の帰結として対立を生むわけです。
この対立は、ネットでよく見られる、過去に星りんさん自身が批判されているような、小賢しさ同士の石合戦に発展していきます。
エニグマさんのように自分の庭が広いと思っている方からは、それはもう大量の石が投げつけられることでしょう。
私自身も、>>2で触れたような部分については、どうしても許容しがたいものがありますから、小石を投げ込まざるにはいられなくなってしまいます。

私が、この一年間の読者でありながら、最近になって初めてコメントしたのは、星りんさんから出た話題が私の庭に石を投げる形になったという偶然の産物から生じた現象でもありますが、
星りんさん自身が批判されていた「クリーチャー」に、星りんさん自身が近づいていってしまっているのではないかと感じたことも大きいのです。
これは最近の何本かの記事を読んだ上での包括的な感想であって、具体的にどの部分がと示すことは難しいので、過去の星りんさん自身の言葉に触れることでお茶を濁そうかと思います。

>クリーチャーたちがおよそ人語によるコミュニケーションの通じる相手ではないという異様さの根本は、人間として相手を感知する能力に欠けているところにあった。

>ネット上の匿名性を利用して自身の思考を抽象的な宇宙に飛ばしてしまうと、理屈で武装した理性を持たない劣等生物に堕落してしまう。

私の取り越し苦労なら良いのですが、もしそうでなかったら、この社会病理の強烈な感染力に身が震えます。もしや私自身も既に・・・?
4ヶ月前
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>>53
返信ありがとうございます。後で冷静になると感情的な書き込みになっていたのが恥ずかしく、コメントは削除しました。
自分がクリーチャー側になっていたのは自分で否定できないので、反省しています。

紹運さんの>>2のコメントを読んだ時は、それは記事の一部なのだからスルーすればいいのにと思いましたが、それができない人が反発するのは確かに否定できません。
私にとっても星りんさんの文章や主張は気に入らない部分はありますが、スルーして読める程度なのでそちらの気持ちはわからないですが、一年読み続けていた物が自分の受け入れられない物になったのは察して余りあります。
以前より記事の攻撃性が増しているという指摘は気になったので過去の記事をざっと読み返してみましたが、今とそんなには変わってない印象を受けました。
ただコメント欄は政治関連や道徳観などどうしても荒れやすい話題の時に荒れていて、その時は星りんさんの文も攻撃的になっているとは思いました。
やはりネットは感情のメディアで、特にそういった話題では違う立場に配慮して感情を抑えるのが困難で、これは誰でも難しく仕方のない面があると思います。
その仕方のなさを承知で自分の受け入れられない部分を指摘し続けるのは、それも一つの読み方だと思います。
私としては読むも読まないも自由の個人ブロマガなので、気に入らなければ読まなければ良いと単純に考えていましたが、そちらの立場を率直に語っていただいて思った所があるので、自分の中でスタンスを改めようと思います。

コメントを削除した理由は書いた時に冷静に書き込んだつもりでいたのが恥ずかしかったのもありますが、その引用を見て自分に恐怖したのもあります。
その現象を星りん兄貴に言語化してもらい、自分でも考えた気になっていたのが全く…
人に上から物を言えるような立場ではないと再自覚し、ネット上ではできる限り謙虚にいようと思います。
ご指摘ありがとうございました。
4ヶ月前
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記事の本文とコメントを一から読んだけど、良い文章書く奴ばっかで素直に感心する一方で、肝心の経済に関する知識は皆あんまり無いんだなーと分かる。

せめて経済学部の学部一年生くらいの知識があればだいぶ良い議論が出来そうなんだけどなぁ。
4ヶ月前
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>>56
身も蓋も無いかもしれないけど、経済の虚構を指摘するだけの記事で経済の効用について論じてもあんまり意味ない、意味なくない?
4ヶ月前
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>>56
通常の生活してて経済の理論を意識してたり経済学の知識持ってるイン↑テリ↓なんてほとんどいないから多少はね。経済学の議論が見たいなら経済学者のフェイスブックとかがinじゃねーの?フェイスブックの学者さんのコメント欄には本業の学者や知識人がいて学問的な見識広める分にはいいゾ~これ
でもコメントすごく活発なところは大体英語で会話されてるから理解は……ナオキです……
4ヶ月前
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