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ブロマガ

  • 1994:その12(1,602字)

    「恋愛」というのは、60年代には存在していたものの一般大衆からは遠い存在だった。映画の中だけで起こる憧れのようなものだった。 それが70年代になると、一般大衆にもゆっくりと広がり始める。ところが多くの人にとって不慣れだったため、上手くいかないケースが多く、四畳半フォーク的な悲しい結末に終わることが多かった。 80年代に、入ってその傾向に劇的な変化が見られる。それまでの暗さから、急に明るい存在になっていくのだ。理由はただ一つで、女性の地位向上である。恋愛において、女性が主導権を持ち始めるのだ。 なぜ主導権を持ち始めたかの理由ははっきりしていて、1980年くらいから恋愛適齢期における男女の数が逆転するのだ。それまでは女性が多かったのだが、この頃から男性が多くなる。 なぜ男性が増えたかというと、そもそも有史以来、男性は女性よりも5%多く生まれている。女性が100人生まれれば、男性は105人生まれた。 ところが1960年までは、男性は育ちにくく、幼くして死ぬことが多かった。それで、成人する頃には女性の100人に対し95人になっていた。それほど、男の子はよく死んだのだ。 おかげで、昔は「一姫二太郎」が理想と...

    14時間前

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  • [Q&A]好きな植物はなんですか?(1,489字)

    [質問] 文脈ノートで、「社会認識の差が格差社会を生んでいる」とありましたが、これは、世の中の大きな流れと、共同親権問題などの小さな社会的な事象を結びつけられる能力がないから、結果として大きな流れを利用できた人との差が深まり、格差がより大きくなるという意味でしたでしょうか? 理解が間違っていたら、教えて頂けますと幸いです。 [回答] 「社会認識の差」は、「客観的に見る」ことと「主観的に見る」ことによって生まれます。例えば、個人的には共同親権に反対でも、「客観的に見る能力」があれば、共同親権の方が正しく、世の中がそれを選ぶだろうということは納得できます。 例えばぼくは男ですから、男がもっとモテる世の中が来た方がいいと、個人的には思っています。しかしながら、世の中は男性の方が多いため、女性の方がどうしても基調価値が高く、女性がモテる世の中になっています。そのことを客観的に見る能力があるから、たとえぼくの個人的な願望に反していても、「女性がモテる世の中」あるいは「女性上位の世の中」に納得し、それを受け入れられるのです。 そして、受け入れて初めて、それに対処する方法も思いつきます。だか...

    1日前

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  • 劣化する人:その19(1,703字)

    劣化する人が問題になるのは、格差社会の拡大につながるからだ。 ぼくは、今の最大の社会問題は「格差」だと考える。そしてぼくは、たいていの社会問題は容認できるが、格差についてだけは、なかなか容認できない。だから、これを是正するに越したことはない――と考えている。 そうして、ぼくを含めた今を生きる全ての人にとって、「格差是正に取り組むこと」こそ、最大の社会貢献だと考える。また、人は社会貢献をしないと生きていけない。だから、格差是正は、もはや現代を生きる人にとって「義務」といってもいいだろう。 そうなったとき、我々は何をすべきか? 格差是正の一番の方法は何か? それは、格差上位の者が、格差下位の者に正道を「教える」ということである。まず、彼らの誤りを正してやることだ。 その際、知的能力のない人は、ほとんど問題がない。誤りを教えればその通り、改正してくれるからだ。 逆に問題となるのが「若いときには知的能力を発揮していたが、40歳以降にそれができなくなり、格差社会の下位に落ちてしまう人」である。つまり「劣化する人」だ。 なぜ問題かというと、彼らはなまじっか若い頃に成功している分、他人...

    2日前

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  • 石原莞爾と東條英機:その44(2,107字)

    石原莞爾はスイスから帰国した直後、仙台の歩兵第四連隊長に着任する。これは、心身の疲れから引退を申し出た石原を引きとどめるため、陸軍上層部が用意したポストだった。石原の故郷である山形に近い地で、石原の好きな歩兵たちとの仕事だ。そこで心身の疲れを癒してほしいという狙いがあった。 ここから分かるのは、このときの陸軍上層部は石原に対して破格の扱いをしていたということだ。それは、満州事変の成功を評価してのものだ。満州事変と満州国の成立は、陸軍としても強く望んでいた、心から嬉しいできごとだった。それを主導してくれた石原に対する感謝の気持ちもあって、この人事になった。 また、陸軍上層部は石原の「好み」もよく分かっていた。普通のエリートなら田舎の連隊長など絶対に望まない。もし配置されたら、「自分は左遷された」と大いに嘆くところだろう。 しかし石原は、陸軍に入ってから除隊するまで、一貫して出世を望まなかった。それよりも、歩兵たちの間近にいて、彼らを助けることが最大の望みだった。 だから石原としても、この配置をとても喜んだ。もしかしたら、石原自身が上層部に対し、陸軍に残る条件としてこのポストを...

    3日前

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  • 庭について:その73(1,728字)

    偕楽園は水戸藩の第九代藩主徳川斉昭が、1833年に作ったものだ。つまり、江戸の末期である。 斉昭は、優秀な政治家であり、またカリスマ性の強い思想家だった。世の中を良くしようと、徳川家の内側からいろんな改革を実行した。ちなみに、徳川最後の将軍徳川慶喜は、彼の実子である。 斉昭は、気性が激しいことから烈公と呼ばれた。彼は、祖先でもある水戸光圀が創始した水戸学の強く信奉していた。そうしてこれを、日本中に広めた。 するとそれは、多くの若者に影響を与え、後に明治維新が起こったり、あるいは教育勅語が起こったりすることのバックボーンともなった。その意味で、斉昭は日本近代化の陰のキーマンともいえる。 「水戸学」とは、端的にいうと「日本主義」だ。日本という「国(国体)」がとても重要で、何ごともこれを中心に考えなければならない――そういう思想である。 これの最大の特徴は、日本という存在を徳川や天皇よりも上に置いていることだ。まず日本がだいじで、そのために徳川はもちろん、天皇も貢献しなければならない――そういう考えである。 これは、江戸時代には直感的に理解しがたい概念だった。だから斉昭は、必然的に教育...

    6日前

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2014/01/30 11:01

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