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劣化する人:その15(1,475字)
ChatGPTに大騒ぎしている人がいまだにいるが、実はもう無意識的に飽きられているのではないかと思う。最近気になるのはAIの描いた美人がみんな同じ顔であることだ。AIが発展したことによって、逆にAIができないことが見えてきた。ネットの番組で「そこらの学校の先生や塾の講師よりChatGPTに聞いた方がなんでも知っているし安価だから教育は変わる」と話していた。しかしそれは違うと思う。そもそも教師や講師、あるいはChatGPTに教わらないと成長しない人間は、勉強に向いていない。だから勉強などしない方がいい。勉強に向いているのは自分で調べ物ができる人間だ。今ならネットだが、昔だったら辞書だったし、図書館だった。柳瀬尚紀のエッセイに、電子辞書の楽しさを語ったものがある。電子辞書には項目の説明文に用いられている言葉にそれぞれリンクが張ってあって、ボタン一つで飛べる。するとついついその言葉の説明も読 -
石原莞爾と東條英機:その40(1,693字)
石原莞爾は満州事変を計画し、現場で指揮した。ただし、石原には権限がないので、あとは上の者が乗っかってくるかどうかが勝負だった。上の者とは天皇までをも含む。石原は、満州事変で日本そのものを動かそうとしたのだ。しかしもちろん、石原が単独で計画したのではなく、そこには板垣征四郎のバックアップがあり、さらに永田鉄山のプロデュースがあった。この謀略の首謀者は、一夕会そのものだともいえる。一夕会が軍部を動かし、政府を動かし、日本を動かしたのだ。張学良が指揮する軍隊の兵力は、総勢で約45万だった。これに対して石原が率いる関東軍は、約1万だった。実に45倍の差がある。それでも石原は、電光石火の早業で張学良を混乱させた。そうしてずるずると反撃のいとまを与えないまま、順次満州各都市を占領下に置いていったのだ。こうして満州の占領は既成事実化され、日本政府もそれを追認する形となった。全ては事後承諾だったが -
庭について:その69(1,752字)
日本三名園はいずれも「大名庭園」である。大名庭園とは、その名の通り大名が造った庭園のことで、江戸時代には大名が庭園を造ることが流行っていたのだ。庭園は、表向きは大名の保養や趣味、接待のための場所として作られた。そうして、大名自身が造り、周遊することを楽しんだり、家臣や藩民、お客さんに楽しんでもらったりした。形式はいずれも池泉回遊式庭園である。つまり真ん中に池があり、その周りに道を配して、歩いて楽しむ。そう考えると、大名庭園は江戸時代のテーマパークそのものである。そこを訪れることで、自然や芸術、あるいはお茶などのイベントや花見などのアトラクションを楽しむための空間だった。だから、日本三名園が今も観光名所となっているのは、設立当初の目的に適っている。逆にいうと、300年前に作られたテーマパークが、今なお現役で人気を博しているのがすごい。いかに江戸時代の造園を含む文化全般が魅力的だったか
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