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K2ndさん のコメント

岩崎さんの記事は「人間にとっておもしろいこととはなにか」を主軸にしているように感じるので、IT業界以外のエンタメ分野で培った独自のレアな着眼点とその内容分析と、ある種の思い切った決めつけがとても魅力的に感じますw

はてな時代から反響のあったものは、概ね決めつけて断言した記事だったのではないですか?
No.5
136ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
昨年の出版界は、1年を通してあまり良いできごとがなかった。 雑誌の発行部数は減り続け、廃刊も相次いだ。書籍もベストセラーが出ず、ミリオンは土壇場で大量に増刷した「聞く力」以外なかった。 理由ははっきりしている。インターネットだ。インターネットが出現したことによって、人々が本にお金を払うことでしか手に入れることのできなかった情報を、インターネットからほとんどただで手に入れられるようになったのだ。 その一方で、書籍の電子化には少なからず動きが見られた。楽天のKoboとAmazonのKindleがスタートして、多くの出版社が電子書籍の出版に前向きに乗り出した。 しかしながら、電子書籍の市場はいまだ大きなビジネスを生み出せずにいる。電子書籍を読むのは電子ガジェットに敏感な人々ばかりで、一般の人々にまでリーチするには至っていない。そのため、紙の書籍と比べると売り上げは桁違いに低い数字にとどまってしまっているのだ。 出版界は、紙の本が売れなくなったのに加え電子書籍の売り上げも伸びず、市場が急速に縮小してしまった。そのあおりで、文筆家も仕事が減ったり収入が減るなどして苦しんでいる。生活が立ちゆかなくなる人も増えた。10年前と比べると、いや5年前と比べても、文筆家は全く生きにくい時代に突入してしまったのである。 そんな時代に、文筆家が生き抜くためにはどうすればいいのか? その答えの1つとして期待されているのが、有料メルマガである。あるいは、ニコニコ動画の立ち上げた有料ブログサービス――通称ブロマガだ。 テキストコンテンツ――いわゆる「文章」は、インターネットとの親和性が高い。軽いデータでやり取りできるし、編集やコピペも簡単だ。 そのためインターネット時代の今は、世の中にテキストが溢れかえるようになった。文章なら誰でも書けるから、多くの人がテキストコンテンツを発信するようになったのである。おかげで、人々の「文章を読みたい」という飢餓感は、容易に満たされるようになったのだ。 インターネット時代に価値を持ちにくくなったテキストコンテンツの代表格に、「ニュース」というものがある。例えば、誰それが国会で首相に任命されたというニュースは、誰か一人の記者が提供すれば、残りの記者は必要ない。いや、国会に参加していた議員がそれを現場からツイートしてしまえば、その一人の記者でさえいらなくなる。 このように、ニュースにお金を払う価値が少なくなったこの時代に、文筆家はどのようにして食べていけばいいのか? そのことについて、上記の事象を念頭に置きながら、ぼくは約4ヶ月間、有料ブロマガの執筆に取り組みながら考えてきた。その中で、やがてインターネット時代に文筆家が生きていくためには鍵となるであろう3つの条件というものが浮かび上がってきたので、今回はそれらについてここに書きたい。 ところで、ぼくのブロマガの購読料は月額840円である。これで月間約22本の記事を書いているから、1本あたりの記事に直すと約40円というところだ。 また、月額840円というのは年間に直すと約1万円になる。そのため、1万円掛けるブロマガの購読者数が、だいたい年間の売り上げということになるのだ。 2013年1月13日現在、ぼくのブロマガの会員数は535人である。ということは、年間にすると535万円の売り上げが見込めることになる(あくまでも見込みだが)。 また、この中からサービス事業者であるドワンゴにマージンを払ったり、ぼくのマネジメントをしてくれている事務所にもマネジメント料を払ったり、さらには動画制作を手伝ってもらっているバイトくんに賃金を払ったりすると、だいたい4割くらいがぼくの手元に残ることになる。つまり、会員数が535人だと、年間で214万円がぼくの収入ということになるのだ。 これは、果たして高いか安いか? それは、人によって評価の分かれるところだろう。これだと、独り身ならなんとか暮らしていける金額かもしれないが、扶養家族がいるとちょっとつらい。 そういう労働条件の中で仕事をしているという前提で、以下に、ぼくがブロマガ執筆において取り組んでいる、3つの施策について紹介する。 その1「多くの人が知ることによって価値が高まる情報を提供する」 情報には、大きく分けて2つの種類がある。1つは、多くの人が知ることによって価値が薄まる情報。例えば、芸能人のゴシップなどがそれに当たる。 例えば、Sという芸能人が麻薬スキャンダルを起こしたとして、まだ誰にも知られていない状態であれば、それはスクープ記事として大きな価値を持つ。それをすっぱ抜いた雑誌を発売すれば、大きな売り上げを記録するだろう。 しかしながら、それを多くの人が知ってしまった後では、そうした情報は全く価値を持たない。事件発覚から3年も経ってそれを伝えたところで、誰にも見向きされないのだ。 それとは逆に、多くの人が知ることによって価値の高まる情報というのがある。それは、例えば社会問題についての「問いかけ」だ。 「問いかけ」というのは、1人で受け取る分には、その人の中だけでしか考えを巡らせることができない。しかしながら、友だち同士で共有すると、それをきっかけに議論を楽しむことができる。そうして、以前より親密な関係を築けるかもしれない。そういうふうに、コンテンツを楽しむ以上の喜びを、その人にもたらしてくれるのだ。 インターネット時代のテキストコンテンツは、この後者のような情報でなければ、ビジネスとして成り立ちにくいのではないだろうか。 すなわち、芸能人のゴシップのようなニュースなら、多くの人が読めば読むほど価値が下がっていくので、どうしたって価格が不安定になってしまう。しかし、社会問題についての問いかけのような情報だと、多くの人が読めば読むほど議論の輪が広がるという意味で、逆に価値が高まっていくのだ。そのため、価格も安定した水準を価格しやすくなるのである。 しかも、そういう情報は口コミで伝わりやすいという特徴もある。例えばぼくのブロマガを読んだ人が、それを肴に友人と議論を交わしたいと思ったら、それを友人にも読むように勧めてくれるのだ。そのため、結果的に多くの人に読んでもらいやすくなり、コミュニケーションが容易になったインターネット時代ともとてもマッチしているのである。 その2「読んでもらえるよう最大限に配慮する」 「読んでもらえるよう最大限配慮する」というのは、インターネット時代でなくとも文筆家なら当たり前のことのように思われるかもしれないが、ここでは単に、文章の内容や読みやすさについていっているのではない。それを読む読者の環境や行動までをも考慮して、配信方法や分量に気を配ることが、インターネット時代にはだいじになってくるということをいっている。 現代人は、ぼく自身もそうなのだが、生活が忙しくなってしまい、テキストをじっくり読める時間というのが少なくなった。その代わり、細切れの時間を使ってテキストを読むということが増えた。そのため最近では、ちょっと長い文章だと、ついつい後回しにして、結局読まないというケースが増えたのだ。 しかも、世の中にはテキストコンテンツが溢れ返っているので、ちょっとの期間読まれないと、すぐに忘れ去られてしまう。そのため、他のテキストコンテンツに目移りしてしまわないよう、頻繁に配信し続ける必要も出てきた。 上記のように、インターネット時代ではたとえ内容が面白かったとしても、読者の購読環境に配慮できていないと読んでもらえなくなるケースが増えている。 そして読んでもらえなくなったら、購読者がそのブロマガにお金を払う理由というのはなくなってしまうので、解約されるケースも増えてしまうのだ。 だから、インターネット時代の文筆家は、読者に読んでもらうようその環境にまで最大限配慮するということがだいじになってくるのである。 そこでぼくは、例えば1つの記事の分量に注目した。1つの記事について、だいたい2000文字前後に定めたのである。 これだと、だいたい5分くらいで読める。電車でいうと、1駅か2駅くらいだ。この1駅か2駅というのが、現代人の生活の中で発生しやすい隙間時間である。だから、そこにアジャストした内容にしたのだ。例えば朝の通勤途中に、電車の中でさっと読んでもらう――そんな購読環境を想定して、この長さにしたのである。 また、配信日時も平日の毎朝6時とした。 まず毎日にしたのは、週に1度にしてしまうと、忙しい現代人にはすぐに忘れられてしまう可能性が高まるからだ。1週間も間が空いてしまえば、その間にたくさんの他のコンテンツに目を奪われ、存在を忘れられてしまう危険性が高い。 だから、それを避けるために毎日の配信とした。これは、書き手の負担は大きくなるものの、読み手の日々の習慣に組み込んでもらえる可能性が高いので、読んでもらえる可能性はぐっと高まる。 さらに、配信を朝にしたのは、人間の脳が最も活性化する時間だからだ。人間は、脳が活性化した状態だと情報を受け取りやすくなる。だから、その時間に記事を配信するようにすれば、読み忘れや読み飛ばしを少なくしてもらえるのだ。 このように、読者の読み方というものを想定し、それにアジャストした配信を心がけていかなければ、文筆家が生き残っていくのは難しくなるだろう。 最後の3つ目は、「内容以外の価値をコンテンツに持たせる」ということである。 これはドワンゴの川上量生会長が分析していたのが、メルマガやブロマガというのは「ファンクラブビジネス」に似ているという。つまり、その内容が好きというよりも、書いている本人のファンで、その活動を支援するために購読するケースが多いというのだ。 実際、現在ブロマガで人気のある文筆家というのは、その人自身に人気があるGacktさん、岡田斗司夫さん、夏野剛さん、津田大介さんなどに集中している。 そうした方々と比べると、ぼくはファンというものが少なかった。著作こそ多くの人に読んでもらったものの、それはぼくのファンだったからではなく、純粋に内容が認められてのことだった。 だから、ぼくのファンというものはとても少ないのである。その証拠に、ぼくのブロマガの初月の会員数は34人だった。ぼくのファンは、これくらいの数なのだ。 だから、ぼくはぼくの有料ブロマガにおいて、人気以外の価値をコンテンツにもたらす必要に迫られた。そこでぼくは、「ブロマガを書くという行為そのもの」を、一つのコンテンツ化しようと考えたのである。 具体的にいうと、ブロマガ執筆においてクオリティの高い内容を維持し続けていれば、やがてそれそのものが価値となってるのではないだろうか――と考えたのだ。例えていうなら、マラソンを走っている姿を見せるようなものだ。マラソンというのは、走り続けているという事象そのものだけで、多くの人にインプレッションすることができる。 これに倣って、ぼくもブロマガを、あたかもマラソンを走るかのように書こうとした。それで、平日の毎朝6時、2000字の記事を配信し続けるということを決めたのである。 この取り組みは、もう4ヶ月間続いていて、記事数にするとちょうど100本を超えたところだ。そろそろペースが形成されて快調に走り始める――マラソンでいうと5キロを通過した頃合いである。 このように、インターネット時代の文筆家は、ただ単に面白い記事を書けばいいというものではなく、上記のようなそれ以外の取り組みも平行して行わなければいけない。おかげさまで、最初34人からスタートした購読者数は、現在も着実に増え続け、なんとか500人を越えるところまで来た。 しかしながら、もちろん「これで十分生活していける」というレベルには、まだ到達していない。ただ、上記のような施策の効果が現れるのには時間がかかるというのは覚悟しているので、本当の勝負はこれからの12ヶ月――つまり2013年にあると考えている。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。