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記事 6件
  • 「あるTBS社員と称する者の書き込み」より

    2017-12-22 10:30  
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    今回のメルマガは、ネットで見つけたある書き込みを皆さんに紹介します。
    これは「TBS社員の独り言」というものです。あるTBSと思われる人物が、「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう」という書き込みです。
     

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  • 出光興産が大きく揺れている

    2017-12-15 14:55  
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     昨年から、出光興産が合併にからんで経営陣と創業者一族の間で揉めています。
     出光興産は、『海賊とよばれた男』のモデルとなった会社ですから、私も大いに気になります。創業者の出光佐三は絶対に外資とは提携しないという信念を持っていました。私は、出光佐三が大切にして生きた伝統を守ってほしいという気もありますが、現代は佐三が生きていた時代とは大きく異なりました。企業が生き残るためには、グローバル化もやむなしというのも、時代の趨勢かもしれません。
     私は出光興産とは何の関わりもない者ですが、この合併劇がどうなるのかは大変気になります。
     以下の一文は、昨年、出光興産が揺れている時、月刊誌「WILL」に書いたものです。
     

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  • 「永遠の百田尚樹」紹介

    2017-12-08 13:00  
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    今月の14日、飛鳥新社から月刊「Hanada」の別冊が出ますが、それは少々変わった別冊で、タイトルは「永遠の百田尚樹」というものです。
    全256ページ、すべてが「百田尚樹」という、何とも恥ずかしい本です。
    私の手元にはまだ見本が届いていませんが、記事を以下に紹介します。
     

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  • 2014年田原総一朗氏との対談より

    2016-05-27 11:00  
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    私は2年前に田原総一朗氏と何度か対談しました。
    その対談はその後、『愛国論』という本になりましたが、今読み返すと、なかなか面白いものがあります。
    面白いというのは、二人の意見が全然噛み合っていないことです。自虐思想の問題、韓国の問題、日中戦争の問題、従軍慰安婦の問題とことごとく論点がずれているのです。
    今週のブロマガでは、「百田VS田原対談」の中の、「極東軍事裁判」と「靖国参拝」について語り合ったことをご紹介しましょう。
     二人の意見がいかに食い違っているか、どうぞ、その目でお確かめ下さい^^
     
     
     A級戦犯を事後法で裁いた極東軍事裁判は、インチキ裁判?
     

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  • 飛行体験

    2016-05-20 07:00  
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    先々週、先週と、大東亜戦争末期に芙蓉部隊を指揮した帝国海軍の美濃部正少佐のことを書いた文章をお届けしましたが、今回は、その美濃部少佐と芙蓉部隊が活躍した元藤枝基地、今は自衛隊の清浜基地での、私の飛行訓練体験の様子を書いたものをお届けします。
     これは今から四年前の二〇一二年十二月に「週刊新潮」に載せたものです。
     同じ月に、私は航空自衛隊のパイロット練習機に乗り、模擬空戦や神風特別攻撃隊の模擬突入などを体験させてもらいましたが、その時の体験記です。 

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  • 7月3日号:私の炎上発言について

    2015-07-13 03:33  
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    【メインコーナー】 私の発言が炎上することは毎度のことだが、今回は久々に大炎上しました。
    朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、中日新聞、沖縄タイムス、琉球新報、北海道新聞が軒並み一面で扱い、またNHKや民放テレビ局各社もニュースで取り扱うほどの事件となりました。その後、全国の他の地方紙も一斉に一面に報じました。
    それにしてもマスコミたちの浮かれようはどうでしょう。まさに「総力を挙げて」という感じです。
    「沖縄タイムス」と「琉球新報」の二つの新聞社を「つぶさなあかん」と言った私に対して、朝日新聞と毎日新聞をはじめとする左翼系マスコミは「集団的自衛権」を行使して、私に向けて総攻撃を開始しました。
    私はあらためて「集団的自衛権」の効果を確認した次第です^^
     
     二〇一五年六月二五日、私は自民党本部で若手議員有志三〇数名が参加する勉強会「文化芸術懇話会」に講師として招かれました。約三〇分の講演を終えたあと、出席した自民党の議員たちと質疑応答を行ないましたが、その席上で飛び出したのが、「沖縄の二紙はつぶさんとあかん」という言葉です。その言葉がどういう流れで飛び出したのかを説明する前に、まず当日の状況を説明しましょう。
    「懇話会」はまったく私的な集まりで、決して公的なものではありません。当日は何社も報道陣が来ていましたが、会の冒頭だけ(一分ほど)報道陣を部屋に入れ、その後は退出してもらい、取材はシャットアウトするというものでした。私は主催者に、「それでも部屋の外から話を聞くのではないですか」と訊ねた。すると彼はこう答えました。
    「冒頭の話だけは聴いて書いていただいてもいいとは言っています。でも、退出したあとは取材はなしということを伝えていますから、それを書くのはルール違反になります」
    「要するに、うちわの話ということですね」
     私がそう確認すると、彼は「そうです」と答えました。
    彼はさらに、「懇話会が終わってから、報道陣を部屋に入れて、どういう話をしたのかをブリーフィングします」と言いました。
     実際、会が始まって私が冒頭の挨拶をすると、報道陣から写真とビデオを撮られました。
     私は報道陣を前にマスコミ批判を一席ぶちました。
    ついでですが、その全文を記します。
     

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