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  • コミケの中心でオタク憎悪を叫んだ馬鹿者――『間違いだらけの論客選び』余話+『30年目の「10万人の宮崎勤」』

    2018-02-23 23:40
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     前回、後藤和智師匠の同人誌をご紹介し、師匠の「ビッグさ」についてお伝えしました。が、師匠、この同人誌を出す前にツイッターでつぶやいていたことに、後になって気づきました。
    後藤和智@サンクリK05b/EJ気仙沼・ガタケット・文フリ前橋参加‏ @kazugoto2017年12月3日

    冬コミ評論新刊でいちばんやりたくない本のOCR作業に取り組む。

    後藤和智@サンクリK05b/EJ気仙沼・ガタケット・文フリ前橋参加‏ @kazugoto2017年12月3日

    H頭S児『ぼ○○ちの○災社会』(二○書房、2008年)。結論から言うと、最初から最後まで何を言っているのか本当にわからなかった。個別事例と表面的な統計だけで、セクハラとかストーカー概念の成立とかを検討しないだけで「男が被害者になっている」的な議論を展開していて、(続く)

    後藤和智@サンクリK05b/EJ気仙沼・ガタケット・文フリ前橋参加‏ @kazugot2017年12月3日

    そして内容の薄さを紛らわすための(?)ネットスラングやアニメの台詞の転用とか、正直痛々しかった……*1

    https://twitter.com/kazugoto/status/937317413590261761

     すごいです。
     後藤師匠は本当に、さっぱり理解の及んでいない本を、本当の本当に単語だけ切り抜いて「表面的な統計だけで」語ってしまっていたわけです*2
    (ちなみに拙著の出版年が2008年となっていますが、実際には2009年)
     普通、「さっぱりわからない」などという発言は言葉のアヤというか、「反論したいがそれが適わない」場合に仕方なく悔し紛れで口をついて出てくるものだと思っていたのですが、師匠ともなると「本当の本当の本当に、読解すること適わなかった」ご様子です。
     まあもっとも、実のところ、ぼくも上のツイートの「表面的な統計」、「セクハラとかストーカー概念の成立とかを検討しないだけで」という部分の意味が「さっぱりわからない」のですが……「表面的な統計」って何でしょう? 上には「師匠の本こそ」とは書いたモノの、確かに何の関連性もない恣意的に選んだ単語を著作からカウントし、その単語と何ら関連性のない方向性がその著作にはあるのだとの結論を導き出すやり方は「表面的な統計」の域を脱しているかも知れません。むしろ、「事実の二次創作」というクリエイティビティを獲得していると言えましょう。
     後者に至っては文章として成り立ってませんが、わかる人います? これ、恐らくは「兵頭はこれら概念の成立過程について語っていない」と言っているのでしょうが、ぼくの本を読めば一目瞭然、語っていますよね。そう、「セクシュアルハラスメント」という言葉は本来「労働用語」であったものを、フェミニストが拡大解釈し、ねじ曲げて広めた、というのが経緯でした。
    「ストーカー」の方は「成立」過程については書きませんでしたが、この言葉が広まるきっかけになった著作については言及し、その翻訳者の著作を採り挙げ、言葉の受け取られ方について十二分に検討していることは、読んでいただければおわかりになるとおりです。
     そんな自明のことすらも、師匠は理解する能力がない。
     いえ、それよりも、そもそも、それ以前の問題として、ぼくの主張はこれら概念のメディアでの扱われ方、法律上の扱われ方がヤバいというモノであったのだから、仮に「成立過程」それ自体について語っていなかったとしても、それがことさら問題だというのはさっぱり意味がわからない。
     フェミニストやフェミニズムを擁護しようとする人たちは、見事なまでに例外なく「全く言いがかりになっていない言いがかりを相手につけた後、惨めに敗北を喫して、しかしどういうわけかガッツポーズを取る」人たちばかりです。彼ら彼女らの提示する「論理」も「事実」も、その両方が必ず間違っているのだから、読んでいて頭がおかしくなりそうになります。
     いずれにせよ、これでは『男性権力の神話』の方も本当の本当の本当の本当に理解が及んでいなかったのだろうと考える他ありません。当然、『電波男』についてもしかりでしょう。前回、師匠が政治的意図で事実をねじ曲げているなどと書き、侮辱したことをお詫びします。師匠はそんな狡猾な人物では決してなく、そもそも文章が一切読めない方であったのです。だから単語のカウントだけでモノを語っても、仕方がなかったのです
     どうやら「悪の組織」に捕まると、本当の本当の本当の本当の本当に脳改造手術を受けるようです。
     でなければ、「組織」に理がないとバレて逃げられてしまいますしね。
     本当の本当の本当の本当の本当の本当に、怖いですね。

    *1「表面的な統計だけで」の惚れ惚れとするようなブーメランぶりについては前回参照。
    *2 「内容の薄さを紛らわすため」漫画ネタで相手を罵倒するという惚れ惚れとするようなブーメランぶりについては前回参照。

     さて、前回の補遺はこれくらいにしまして。
     実は今年最初のブログネタは上の書と、もう一つ、同じく冬コミでゲットした『30年目の「10万人の宮崎勤」』にしようと考えていました。あまりにも師匠がビッグでここまで引っ張ってしまいましたが、急ぎ、こちらの書についても簡単に触れておきましょう。
     本書はタイトルどおり、三十年前の宮崎事件におけるオタクについての報道を検証した本です。
     宮崎事件というのは……詳しくない方は各自お調べください。
    『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』において、宮崎はまるでオタク文化の創始者であるかのように書かれ、海燕師匠が「デタラメだ!」と大袈裟に騒いでおりましたが*3、「マスゴミ」がオタクの敵として可視化されることでオタクが団結するきっかけを作った、まあ、ある意味では功労者としての側面はあるなあと、ぼくなんかは思ったりもします。
     今回語りたいのもそういう感じのことなのですが、まずは本書についてご説明しましょう。本書のテーマになっているのは、「事件当時、ワイドショーのレポーターがコミケに取材に来て、『ここには十万人の宮崎がいます!!』と絶叫した」という都市伝説の真偽です。そう、この都市伝説はかなり流布して信じられ続けていたモノだが、どうもウソらしい、というのが本書の要旨なのです。
     なるほど、もしそうしたことが本当にあったなら、もうビデオも普及していた時期なのだから、絶対に映像が出てくる。ウソだと断言はできないが、まあ、ほぼそう考えて差し支えないのではないか……とぼくも思います。
     が、同時に当時のオタクに対する世間の視線は、言ってみればそうした都市伝説が「いかにもありそうなこと」に思えるほどに、非道いモノであったということも事実のわけです。
     しかし……ぼくが感じたのは、本書が当時の「オタク内オタク差別」こそが非道かったということの記録に(ちょっとだけ)なり得ているな、というものでした。
     ぼくが本書を読んでいて一番興味深かったのは、取材に来た週刊誌の「差別的」なインタビュアーに対し、コミケのサークル関係者が同調し、「オタク」に対して苦々しげな罵倒をする様子でした。

    「べたっと油っぽい長めの髪に眼鏡をかけていて開襟シャツに肩掛けカバン。すぐに文句をつけ、自分に権利ばかり主張する(原文ママ)。宮崎のクローンみたいな連中ですよ」(サークル関係者)
     週刊文春1989年8月31日号「ロリコン5万人 戦慄の実態 あなたの娘は大丈夫か」
    (12p)

    「ロリコン5万人」というフレーズといい、「もう、この三十年前の文春砲こそが件の都市伝説の出所ってことでいいんじゃないか」と言いたくなる非道い記事ですが、それよりも引っかかるのは著者のdragoner氏が「コミケ参加者による身内批判になる」と言うのみで、まるでこのコメント自体には問題がないかのような断り書きを入れている点です。
     当時は「俺だけはこいつらの仲間じゃない」と仲間であるはずの他の連中を、憎悪に狂った目で罵倒することが「オタクしぐさ」でした。それはまるで、デスゲーム漫画で「最初にその場から逃げだそうとして真っ先に殺されるキャラ」の如くに。
     しかし、では、こう答えたサークルの彼は真っ先に殺されたのかというと、そうではない。恐らく、今やオタク界の中央でふんぞり返っていることでしょう。
     その証拠に、本書には現在コミケスタッフを務めている兼光ダニエル真師匠への取材もあるのですが、彼は当時の作家たちについて

    エロパロとかやってたんですが、買った人に対して「ハハ! こんなのお前ら好きなんだよな!」と小馬鹿にするような、最後のページをめくるとオッサンの顔が笑ってるとか、そういう非常にロックな作風で、とろろいもと言えば、我々の世代の共通認識として刷り込まれています。
    (29p)

     などと忘我の表情で追想しているのですから(奇妙な名前ですが、「とろろいも」というのは同人作家のペンネームです)。
     この「ロックな」という表現と共に、文中では「パンクな」との形容も飛び出しております。たまらなく恥ずかしいですね
     近いことは『ニューダンガンロンパV3』の時にも書きました。当時のオタク界は(今でもそうではあるけれども、輪をかけて)「クリエイター様エラい主義」が濃厚で、選ばれたエリートたるクリエイター様が本を買うだけのゴミクズのような消費者に過ぎぬキモオタどもを貶める様が絶対的な正義として、快哉を浴びておりました。そう、上のサークル関係者の言、今なら絶対にネットで炎上してしまう類のものですが、当時は普通だったのです。「俺たちはこいつらの仲間じゃない」とコミケの自分のサークルのエロ本の列並んでいる連中を、憎悪に狂った目で罵倒することは「オタクしぐさ」として正当化されていたのですから。そんなことが、業界の上の連中によって(オタク雑誌にオタクを侮蔑する記事をバンバン載せることによって)主導されていたのですから。
     かつてはそんな挙動に出ていた一部の人々は(兼光師匠自身がそうだとは言いませんが)「歴史修正」に邁進し、自分たちこそがオタク界のトップであり、オタクの味方なりと絶叫を続けていますが、その内心は今も変わらぬ、オタクへの憎悪で満ちています。違うのは『嫌オタク流』の作者と違い、オタクを金づるにした、ということだけです。
     そして……先に書いたことは、この事件がオタクを団結させるきっかけを作ったことで、「オタク内差別」が終焉したのでは……ということなのです。いえ、実際には「オタク内差別」なんて今でもあるわけですが、「俺だけはオタクじゃない!」と絶叫していた人々が「オタクの味方のフリ」をしている現状は、考えようによっては当時よりも遙かにマシなわけです。
     ……が。
     しかしそれは同時に、もう一つの史観も描き得ます。
     それはつまり、「オタク界のトップ」が「マスゴミ」を仮想敵にすることでオタク界を統一した、という考え方です。いえ、本書で頻出するコミケ関係者たちをこそ「オタク界のトップ」であるとするならば、この時期より以前から統一されていたと言えるのですが(ネット以前のコミケやオタク雑誌なんて、ものすごい影響力がありましたしね)、「マスゴミ」を仮想敵にすることでより支配力を高めたのでは……といった史観も成り立ち得ます。
     何しろ、上の兼光師匠のインタビューでは、延々延々と宮崎事件と直接関係のない表現規制問題とやらが実に饒舌に語られ、読んでいていささか辟易としました
     更に、また別なスタッフへのインタビューでは「(この当時の表現規制問題は)宮崎事件が火元といえば火元」との答えが返ってきています(39p)。
     そりゃあ、「間接的影響があった」とすれば何でも言えてしまえますが、しかしこの時期の規制問題は第一に、まず「メジャーな小学館などの雑誌にわいせつな漫画が」ということが発端であったはずです。
     つまり本書は、図らずも「宮崎問題」を「表現規制問題」へとすり替えていこうとする「オタク界のトップの手つき」の記録映像となってしまっているのです。
     逆に、彼らの言を見ていて疑問に思うのは、宮崎事件は当時「ホラーオタ、特撮オタ」の犯罪とされた側面が何よりも強かったはずであるにもかかわらず、そこに対する言及がまず、ないことです。事実、当時はこの事件の影響で『仮面ライダー』が打ち切られている(『RX』の後番組が考えられていたのが、頓挫している)のですが、不思議と彼らはこれには触れない。
     というのもやはり彼らが「エロ本屋さんの論理」で動いているからです。
     もちろん、それは彼らが「エロ本屋さんだから」であり、それはそれで悪いことではないかも知れません。しかし、『仮面ライダー』の打ち切りには一切の興味を持たず、裏腹にろくでなし子が逮捕されるや、ホモの男児へのレイプを擁護した時のフェミニストくらいの勢いで擁護するエロ本屋さんが、果たしてオタクの代表であり味方であるかと言われると、微妙なのではないでしょうか。
     ぼくが「オタク界のトップ」の手先を「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」と揶揄すると、「俺はオタクだ」とすごく心外そうな顔をしてきます。それは確かにそうであろうし、大変申し訳ないのですが、しかしそれでも、やはり彼らのトップは、少なくともオタクの誠実な味方ではなかったということが、本件からもわかろうというモノです。
     最後に、先のスタッフインタビューに戻りましょう。
     インタビューの締めでは今のコミケやオタクの状況について、スタッフ(市川孝一師匠、里見直紀師匠)が語ってくださいます。

    市川:昔から比べれば、住みやすくなったし、オタクって自分から言いやすくなった。昔は自分からオタクって言うこと自体が難しかったんですけど、今はもうオタクって言いやすいし、親にもコミケット行くって言っても今は普通になっているし、「晴れてきたな」って気がしますね。
    (43p)

     将来の明るさを暗示するかのような言葉です。

    市川:中にいる人のほうがイキりすぎなんですよね。外からのほうがだんだん柔らかくなっていますよ。
    (43p)

    市川:ホントはもうちょっと中にいる人の方がオープンになるべきだと思いますけどね。
    (中略)
    里見:もう被害者意識はいいんじゃない? って気はしますけどね。
    (44p)

     ……って、全然被害者意識が晴れてないやないかいっ!!
     この「中/外」という物言いは「コミケ、ないしはオタク界の中/外」という意味で使われているのですが、オタクのコンプレックスが解消されていると言っておきながら、いまだオタクがマスコミを敵視していると苦言を呈するのは、単純に矛盾しています。見ていくと「若い人の方が気にしていない」との指摘もあり、そう考えれば一応の辻褄はあうのですが、それならば「過去に非道い目に遭った世代は簡単に被害者意識を覆すことはできない」のはある意味、当たり前のことでもありますし、そこを「若いヤツは屈託ないんだからお前ら老害も被害者意識なんか持つな」という物言いは、あんまりでしょう。
     何よりぼくが気になるのは、このスタッフたちの言葉が「30年前のあの日の、サークル関係者の言」と、「完全に一致」を見ていることです。
    「ここには十万人の宮崎がいます!!」と絶叫したワイドショーのレポーターは、恐らくいなかったことでしょう。しかし「マスゴミ」の取材に対し、お追従笑いを浮かべながら「ここには十万人の宮崎(のクローン)がいます!!」と絶叫したオタクはいました。
     そしてそのオタクが何者だったのか(今では名を成している漫画家さんなのか、無名でとっくの昔に脱オタしているのか)は、もちろん今となっては確かめようはありません。しかし一つだけ言えるのはそんな彼の同年代が、今や「オタク界のトップ」の座に着いているのだ、ということです。
     あれから三十年。オタクは変わりました。
     オタクを取り巻く環境も大きく変わりました。
     しかし、「自らをオタク界のトップだと思い込んでいる一般リベ」の「オタクに対する態度」だけには、少しも変化がなかったのです。

    *3 もちろん、当該書がデタラメに満ちていることはぼくも指摘したとおりなのですが、呆れたことに師匠、この時点で本を通読していなかったと言います。そうした不誠実な態度で期を見るに敏な振る舞いをする者は、メリットが多くて羨ましゅうございます。

  • 間違いだらけの論客選び

    2018-02-09 23:248
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     さて、今回俎上に上げるのは、2017年の冬コミでゲットした後藤和智師匠の同人誌です。
     いや、本当は今年初の記事をこれにするつもりでいたのですが、まあ、ああした予想外の事態が起きてしまいましたので……。
     さてみなさん、後藤師匠をご存じでしょうか。かなり旧聞に属しますが以前、コミケで撒かれた「TPP反対」のチラシに噛みついた御仁です。その時の言い分がケッサクで、「萌えキャラを使用して政治主張をさせていた、けしからぬ」というわけのわからぬモノ*1
     そのチラシでは東方のキャラの「扇情的な」姿と共に、そうした主張がなされておりました。「扇情的」と言っても大したものでもなく、ましてや東方のキャラは公式がパロディ化を容認しています。無許可の版権キャラの凄惨極まる二次創作が溢れており、それを正義とするのがコミケのはずですが、そしてまた師匠のブースの周囲は政治的主張がなされた本を売っているサークルばかりだと思うのですが、師匠は「扇情的な姿を描くとは何事、本当にキャラを愛しているのか」「キャラクターに自らの主張を代弁させるとはけしからぬ」「コミケで政治主張をするな」といった理解不能の理由をもって、チラシの主を人でも殺したかのように舌鋒を極めて罵っておりました。とにもかくにも「表現の自由」を何よりも深く憎悪する、リベラルならではの言動と言えましょう。
     そうそう、『男性権力の神話』が出た時の師匠の言にも肝を潰しました。何せ師匠は件の書を「「女性よりも男性のほうが差別されている」と主張しているものではな」い、などと事実と全く異なる紹介*2していたのですから! とにもかくにも「内容がいかなるものであろうとも、味方の書いたものであれば肯定」というリベラルの揺るぎない派閥性がここでも明らかになり、ぼくたちの胸にさわやかな感動を運んできました。

    *1 詳しくは「不惑のフェミニズム」を参照のこと。
     ちなみに後藤師匠はぼくに批判されたことがよほど気に入らないらしく、(自分はブロックしておきながら)ずっとぼくのツイートを監視しているみたいです。今回、調べていて5chの彼のスレッドで以下のようなつぶやきに気づきました。

    えー球審の後藤です(半ギレ)。なんかH頭S児のクソ野郎に私について「コミケで本が売れないので途方に暮れている」とかリークしている奴がいましたが私は同コミケで6桁の売上を記録しました。なお本当に途方に暮れているのは、駅メモのガチャで根雨さんが出なかったことです。
    https://twitter.com/kazugoto/status/948419966386126849

     いや、しかし、それにしても、文筆活動をする資格があるのかはなはだ疑問といわざるを得ない人間が売り上げ六桁を行くとは(これ、金額のことなのかなあ?)、本当に、羨ましいですね。
    *2 (https://booklog.jp/users/kazutomogoto/archives/1/4861824737

     その後藤師匠が冬コミでぼくの著作を俎上に乗せるというのだから、こちらとしても心中穏やかではいられません。そんなわけで早速ゲットしたのが本書です。
     見るとまあ、タイトルにあるとおり「論客」と称すべき人々の著作のタイトルが出るわ出るわ。ぼく以外にも(東浩紀師匠、宇野常寛辺りはまあ、どうでもいいんですが)岡田斗司夫氏、本田透氏、小浜逸郎氏と錚々たるメンツの著作が、やり玉に挙げられております。
     もっとも内容は他愛のないモノ。「対応分析」やらいう手法で著作を分析したというのですが、要は本を(70年代アニメの悪役のごとく)こんぴゅーたーにかけて単語を抽出、その傾向を調べたという、徒労に近いモノです。PTAが昔、(まだ子供も専業主婦も多く、その活動が活発であり)漫画やテレビアニメを目の仇にしていた時代、「作中に銃が何丁、刀が何本登場した、教育に悪い」といった文句のつけ方をし、また漫画家の方も(確か藤子A氏だったと思います)そのやり方に閉口して「内容を見てくれ」とぼやいていたのを思い出します。
     本書では著書一冊につき1pを使い、そうした分析で導き出したグラフと共に寸評が書かれているわけです。例えば小浜氏の『人はひとりで生きていけるか』については

     小谷野敦の『すばらしき愚民社会』に見られるような「大衆社会」批判であるが、この本の中ではやたらと「自分は政治には疎いが、現在(当時)の民主党政権があまりにも酷いのでついつい政治について語ってしまった」という趣旨の(原文ママ)文言が目立つ(これ、「っべー、政治について詳しくねえのについ政治を語っちまったわー」というような〈地獄のミサワ〉感が強い)。
    (60p)

     といった具合。「対応分析」やらいう頭のよさそうな手法と、幼稚な罵倒に終始した本文とのギャップがすごいです。
    『電波男』については

    はっきり言って、全体としてネット掲示板的な言い回しや女性を侮蔑する表現が非常に多く、極めて読みづらかった。しかし本書で説かれたような女性観は、後にロスジェネ言説やオタク言説に引き継がれ、ネット上における女性差別として実を結んでいるあたり、実に罪深い本であると言える。ごめんなさい(実は私もこの本をかつてそれなりに高く評価していたのでした……)。
    (44p)

     とあります。どうもよくわかりません。「かつてそれなりに高く評価していた」時にはこの本が「読みづら」くは感じなかったのが、「真実に目覚めた」後に読み返すと「読みづらかった」のでしょうか。それとも評価していた頃から「読みづらかった」のでしょうか。文脈から見るに、この「読みづら」いはあくまで「内容に賛成できない、不快である」といった意味に取れるので、前者かとも思いますが、それにしても何かヘンです。
     最後は

     ちなみにカテゴリ9の使用頻度も全体で3位だった。結局のところ、愚痴だったということか。

     で終わっています。
     このカテゴリ9として選択されている単語は、以下のような具合です。

    男性、場所人生、バカ、母親、先生、電話、好き、選ぶ、男、女、子
    (17p)

     どうも、師匠にとっては、これらが使われている本は「愚痴としての傾向」が強いらしいのです。
    「バカ」が使われていれば「愚痴」というのはわからないでもないですが、「男性」とか「場所」とがが多用されている本が愚痴だという価値観がさっぱりわかりません。師匠は「近い性質を持った単語を集めて(16p)」と言っているのだけれども、「電話」と「人生」って近い性質を持っているんでしょうか。まさかとは思いますが、これらは後藤師匠の判断で恣意的に集めてきた単語なのではないでしょうか*3
     というわけで恣意的に「電話」と「子」の性質が近いのだと強弁し、好きな単語をセレクトして、そこに「愚痴」というレッテルを勝手に貼りつけて、それらの単語が多いからその本は愚痴だと言い募ることが、後藤師匠の方法論であることがわかりました。
     師匠はぼくの書を「自分と異なる考え方を持った人たちや異なる社会集団(その中のマイノリティ)をバッシングするもの」であると罵倒していますが、少なくとも本書を見て間違いなく言えるのは、恣意的な要素を恣意的に結びつけることで、自分と異なる考え方を持った人たちや異なる社会集団(その中のマイノリティ)をバッシングする、リベラルの傾向であるように思えるのですが……。

    *3 師匠のセレクトが恣意性に満ちていることは、間違いないかと思います。何しろ、堀井憲一郎氏の著作を複数採り挙げた箇所では、
    同著は今回も採り上げるが、著者初めての新書である『若者殺しの時代』と比較することにした。同書は、ロスジェネ系・オタク系の男性論客に広く共有されている「バブル女」への敵愾心を含んでるからだ。
    (122p)

     と、自分の選択が恣意的であることをあどけなく吐露しているのですから!

     しかし、それより、ぼくはここでかつては師匠が本田氏を評価していたと知り、大変意外に感じました。ですが、考えるとこの本は話題になった当初は結構、リベラルにも評価されていた気がするのです。大御所フェミニストの小倉千加子師匠も結構好意的な評を与えていましたし(リップサービスレベルのモノですが、しかしフェミニストがそれをすること自体がすごいことです)、草食系男子大好き芸人として有名な森岡正博師匠も本書を絶賛していました。宮台真司師匠も『バックラッシュ!』というフェミの言い訳本の中で本書を「気持ちはものすごくよくわかる、だけど違う(大意)」といった割合共感的な評を与えていました。
     何というか……師匠の説明不足な文章からちらちら窺い知れることからの推測でしかないのですが、当時『電波男』はロスジェネ論みたいな感じで評価されていたのかも知れません。リベラルが『電波男』を取り込もうとしていたというのは今となっては理解しがたい話ですが、彼らが無茶苦茶なデタラメを弄してオタクを取り込もうとしたり、またフェミが「男性学」などと称して男性を取り込もうとしたりは現在進行形の事態です。事実、当時のいわゆる「非モテ論壇」には反女性的なスタンスのモノと同時に、「フェミニズムに理解を示す(と、本人たちが自称していました)」リベラル寄りの流派も存在していたのです。彼らのスタンスはよく知らないのですが、「何か、安陪さんのせいでモテない」みたいな方向に持って行こうとしていたのでは、といった気もします。いや、俺がモテないのはどう考えても女性を輝かせようとする安陪さんが悪いんですが。
     で、まあ、『電波男』のモテモテぶりに便乗しようとして『女災何とか』みたいな本を書いたバカがいた気がするのですが、彼が「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」の総バッシングにあったということはご存じの通り。この潮目の変化は「ミソジニー」という言葉の登場の仕方と対になっている気がします。
     リベラル君の一部は当初、「これだ!」と『電波男』という鉱脈に飛びついた。そしてセミをご主人様に見せびらかす猫みたいに、グルにご報告に行った。しかしそこでグルのガールフレンドであるフェミ様のキツい叱責を受けた。フェミニストは子分たちの愚かさにブチ切れ、「ミソジニー」という概念の流布を急いだ……本田氏の「消え」方は本当に不気味ですが、以上のような事情が、或いは裏にはあったのかも知れません。
     そしてまたこれはちょうど、ぼくが時々指摘する、「セクハラ」の時はフェミを批判する気概のあったマスコミが、「ジェンダー」といった概念が流布した辺りから完全にフェミの傀儡と化したのと、全く同様な現象のようにも思えますね。

     事実、本書から立ち昇ってくるのは、相手を女性差別的であると言い立てて、とにもかくにも「表現の自由」を踏みにじってやろうという師匠の惛い情念です。
     ちょっとまえがきに立ち戻ってみましょう。

    またロスジェネ程度の男性オタクによる議論は、いまのまとめサイトに代表されるような反フェミニズムと密接に繋がっております。
    (略)
    本書で分析しているオタク論客の著書には、明らかに反女性的な傾向が見られます。それをいかに位置付けるかにより、ヘイトスピーチ対策にも役立つのではないかという算段です。
    (3p)

     う~む、東浩紀師匠も宇野常寛も岡田斗司夫氏もみな「オタク論客」だと思うのだけれど、諸氏の著作も反女性的な傾向が見られるとは知らなかったなあ……。
     師匠の主張を特徴づけているのは、反フェミニズムは即、反女性であるとの短絡、そしてそれら(フェミニズム批判にせよ女性批判にせよ)は是非を論じる以前に、その存在自体がまず許されないヘイトスピーチなのであるとのリベラルならではの思考停止、他者排除、言論否定です。
     ちなみに上には「いまのまとめサイト」とありますが、これはどうも「まとめサイト一般」とでもいった意味らしい。まとめサイトで反フェミ的なところを、少なくともぼくは一つも知らないのですが。
     また、「対応分析」についての事前説明の項では様々な「主成分」について述べられています。中でもぼくや本田氏の書は「主成分3」の「負の方向」に位置づけられるのだと幾度も幾度も繰り返されます。この「主成分3」というのは「オタク論の哲学系?/近年の保守論壇系」であるとされ、

     主成分3は、単語だけ見るとかなり解釈に困るものだった。というのも、正の方向には「仮面ライダー」「ケータイ」「ネットワーク」「キャラクター」、負の方向には「萌える」「オタク」などの単語が並ぶなど、どちらもオタク文化論系の単語が見られたからだ。
    (8p)

     などとあります。
     統計分析に知識がないので、正直ぼくも正確には理解していませんが、「対応分析」というのは要するに、各因子の相関関係をグラフ化して現す手法、みたいなことのようです*4
    「ケータイ」や「ネットワーク」はともかく、他の単語が頻出したらそれはオタク論であろうというのは一応、わかるのですが、「仮面ライダー」が唐突でギョッとします。他に「主成分」の中には作品名、ないしキャラクター名は見当たらず、この単語だけ何故選ばれたのか、謎です
     正の方向、負の方向の意味がどうにもわからないのですが、読み進めると師匠が悪しき価値観だと思っている単語が頻出する時に「負の方向」と言っているように思え、これはどうも「近年の保守論壇系」との相関関係が高く、「オタク論の哲学系?」とは低いことを示しているのだと思われます(いえ、別に「オタク論の哲学系?」と「近年の保守論壇系」とは相反する概念ではないのだから、不自然かとは思うのですが、他の「成分」が一応、対立概念を並べているように思えたので今回はそのように解釈しました)。
     しかし……恣意的に選んだ単語を分析して恣意的な因子と因子を組みあわせて相関関係を調べた上、因子に「?」マークをつけられても「勝手に言っとれ」以上の感想を持てません。
     先の記述には続いて、

     負の方向には、本田透『電波男』や勢古浩爾『まれに見るバカ』、兵頭新児『ぼくたちの女災社会』などといった、女性を中心に自分と異なる社会集団をバッシングする書籍と、ケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』や竹田恒泰、渡部昇一といった保守論壇の人物が並立された。
    (略)
     この方向は、近年のヘイトスピーチを支えている保守論理、ないしネット上の保守言説(所謂「ネット右翼」)的な傾向と言うことができるだろう。
    (8p)

     とあり、また、ケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』評のページでは、

    主成分3の負の方向には、本田透『電波男』、勢古浩爾『まれに見るバカ』、橋本治『バカになったか、日本人』、兵頭新児『ぼくたちの女災社会』など、自分と異なる考え方を持った人たちや異なる社会集団(その中のマイノリティ)をバッシングするものが多く位置付けられている。この指標を「ヘイト本」的な傾向として捉えることができるのだ。
    (95p)

     と、ほとんど同じ内容が(少ない文字数にもかかわらず)繰り返されております。
     上には書かれていませんが、「主成分3」の「負方向」には「朝鮮」「韓国」「中国」といった単語も含まれており、要はそれらと「萌える」「女」という単語を同一視すれば、オタクと保守論者は「完全に一致」するというモノスゴく頭のいいことを、師匠はおっしゃっているわけです。何せ、ぼくの本にそれらの単語が出た回数は

     朝鮮:0
     韓国:0
     中国:1

     といった具合なのに(ただし、本文のみではなく表も含めるともっと出てきます)、師匠の基準では、ぼくの本はいわゆる反韓本と同一視されてしまうわけです。
     まあ、このリクツではフェミニストの書いた本など、絶対に「ヘイト本」になるわけですが、そこはそれ、師匠は独断で採り挙げる本を決めていらっしゃるので「多い日も安心」なわけですね。

    *4 とは書いたものの、そもそもグラフってみんなそうですよね。詳しくは(https://res.pesco.co.jp/analysis/statistics/corresponding/)辺りをご覧ください。以下の図がわかりやすいかと思います。

    【分析例】
    年代別にみた昼食の特徴(架空のデータ)
    20f969fefc522d60e684e77d317871e8a8955a22

     上の表を、以下みたいな感じにするのがそうみたいです。
    dca24e37bfb7bccdf89ce2186f57fdaba7d97e8f

     さて、いよいよ師匠の兵頭新児評を採り挙げましょう(いや、もう今までのでおなかいっぱいなのですが……)。ごく短いモノなので、全文引用してみます。

     ストーカー、痴漢冤罪などといった「女性による男性の受難」を「女性災害」と表現した議論で、内容はとにかく女性叩きに溢れている、典型的なフェミニズムからの「バックラッシュ」系議論と言える。近年ネット上においても性犯罪・性暴力被害者への理解が(まだ足りないものの)進んできた一方で、いまだに本書の議論のように「女性の権利向上によって、いまや男性が「被害者」「弱者」である」という認識を示す人も後を絶たない(名前は伏せるが、某人気成人向け漫画家が削除したブログにもこのような認識が示されていた)。ちなみに統計には現れていないが女性はかなりの割合で「ナオン」と書かれている……。
     チャートを見ると、まず主成分3・6・8がかなり負の方向に振れているのが見られる。ネット上の右派言説、コミュニケーション論、サブカルチャー論の悪魔合体がここでは見られるというこおとだ。(原文ママ)そして主成分1・7も正の方向に強く振れている(どちらも十指に入る)。自らとは異なる社会集団を理由をつけて叩くという宮台社会学の正当な後継者は、東浩紀や宇野常寛ではなく兵頭ではないかと言えるのかもしれない。
     ちなみにカテゴリ9の単語の使用頻度は31.21%と堂々の一位(ちなみに二位は勢古浩爾『まれに見るバカ」の26.61%)。まあ、そういうことです。
    (58p)

    「主成分3・6・8」とありますが、6、8はそれぞれ「決断主義系/引きこもり系」、「劣化言説系/サブカルチャー論系」。一言で言えばこれらが負であるというのは「引きこもり系」「サブカルチャー論系」の論調が強いというわけでしょう。この評は別段、異存はありません。
    「1・7」は「若者論的傾向/政治論的傾向」、「宮台社会学系?/マーケティング社会学系」。これが正というのは「若者論的傾向」、「宮台社会学系?」が強いということでしょうか(「宮台――」というのがよくわかりませんが、上の寸評からするに「差別的」とでもいった意味あいを込めているようです)。
     笑ってしまうのが「ナオン」表記に泣きを入れているところで、ここで師匠が自らの徒労に近い手法について認識を改めてくれれば、ぼくも本書を著した甲斐があったというものです。
    (ところで「某人気成人向け漫画家」って、誰のことなんでしょう?)
     いや、しかし、それにしても、唖然とするのが、相手の主張に反論するのではなく、とにもかくにも女性叩きは許せぬとただひたすら思考停止を続ける(他のリベラル君と何ら変わることのない)後藤師匠の姿です。
     ぼくは著作で、性犯罪冤罪の洒落にならない実態を素描しました。そうした事実関係やそれを元にしたぼくの議論の仕方に問題があるのであれば、そこを批判すればよい。しかし師匠は(そして全リベラルは)それをしない。ただひたすらに女性についてネガティブな記述があった、許せぬと半狂乱になるばかりです。
    女性の権利向上によって、いまや男性が「被害者」「弱者」である」という認識が間違っているというのであれば、そこを指摘すればよい。しかし師匠にはそれができない。専ら、言論そのものがまかりならぬまかりならぬと絶叫するばかりです。どこに問題があるのかさっぱりわからないチラシを全否定して泣き叫んだあの時と、全く同じに。
     いえ、そもそも著作から単語のみを拾い上げ、「こんな要素が多かった、けしからぬ本だ」と真っ赤になるという師匠の方法論自体が、最初っからそうした「言論」というモノを見事なまでに、惚れ惚れするほどに、清々しいまでに迷いなく打ち捨てることでしか採用できないモノであることは、考えてみれば自明です。自らとは異なる社会集団を理由のないままに叩くという宮台社会学の正当な後継者は、東浩紀や宇野常寛ではなく後藤ではないかと言えるのかもしれない
     ちなみに「カテゴリ9」とやらに属する「男性」「女性」、或いは「バカ」といった単語は確かにぼくの著作に頻出していますが、この「バカ」にしても、そもそも「ぼくがバカなだけですが」など、必ずしも相手を「バカ」と罵倒する時のみに使っていたわけではない。しかし師匠はそうしたことに対する忖度を一切、働かせないのです。
     他にもざっと検索したところ、(先の基準でいえば、ぼくが多用していなければならない)単語の使用頻度は

     場所:1
     人生:3
     電話:7
     先生:6

     でした(ただし引用中のものは除く)。
     まあ、正直多いのか少ないのかわかりませんが、「男性」「女性」という言葉がこれの数十倍出て来ていることは、確かです。逆にこれら単語が頻出し、「男性」「女性」「バカ」といった単語が全く出ない本があったとしても、それは師匠にとっては「ヘイトスピーチ本」なのです。まあ、そういうことです

  • お知らせ

    2018-01-13 23:256
    先週書きました、久米泰介師匠のテキストへの評、旧ブログの方に大幅加筆、改訂の上で発表しました
    http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/747866da26b2996ca6b4ec0ff15457f1)。
    未見の方、一度読んだけど今一よくわからんかったという方はこちらを見ていただけると幸いです。