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記事 4件
  • Vol.248 結城浩/クリエイタの矜持/結城浩の《挑戦状》/実際にやってみる意味/

    2016-12-27 07:00  
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    Vol.248 結城浩/クリエイタの矜持/結城浩の《挑戦状》/実際にやってみる意味/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年12月27日 Vol.248
    はじめに
    おはようございます。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    今回が2016年最後の配信となります。
    今年も一年、たくさんの応援をありがとうございました!
     * * *
    数学ガール6の話。
    『数学ガール6』を書いています。 第2章をレビューアさんに送るべく、一生懸命まとめているのですが、 さまざまな事情によりまだ送れていません。
    (こういうときによく「遅れているので送れていません」 という冗談みたいなフレーズが浮かびます。 冗談を言っている場合ではないのですが)
    自分一人で書いているときには、
     「よし、これであらかたできたな」
    という状態になります。 でもいざレビューアさんに見せる様子を想像して読み返すと、
     「いやいや、これではひとさまに見せられない」
    と変わります。品質向上のためには、人の目がほんとうに大事ですね。
    経験上、文章を書くときには「朝」が向いています。 そして、図版を描くときには「夜」が向いています。
    文章は朝、図版は夜。
    文章を書くときには、頭の中をすっきりさせ、 邪魔なものが何もない状態で書きたいと思います。 見通しを良くして、ひとつひとつの言葉をていねいに並べていく感じです。
    図版を描くときには、文章を書くときとは違う感覚が必要です。 「ゆるさ」や「あそび」のようなものです。 ちょいと試しにやってみて、まずかったら直しましょう……という感じです。
    「文章は朝、図版は夜」というパターンで作業を進めると、 時間を効率的に使った作業になるようです。
    あなたはいかがですか。
     * * *
    リアルなスパムメールの話。
    電子メールでのスパムは迷惑ですけれど、 自宅のポストに投げ込まれる広告チラシも迷惑ですね。
    投げ込まれる広告チラシが役に立ったことは、これまで一度もありません。 自宅のポストから取り出した広告チラシはゴミ箱に直行になります。
    我が家では、家内のアイディアで、玄関に紙ゴミ用の袋を置いています。 つまり、家の中に持ち込むことなく捨てられるようにしているのです。
    ところが困ったことに、 広告チラシの中には外側が透明のプラ袋になっているものもあります。 こうなると、分別回収のために一手間かかることになりますね。
    情報によりますと、家のポストに「広告チラシお断り」のような張り紙をすれば、 投げ込まれる広告チラシは激減するそうです。 でも美観の点で問題があり、我が家では採用していません。
    広告チラシの中には「アマゾンの箱」に入ってくるタイプのものもありますね。 箱を開けると、自分の購入した本の他に、 広告チラシが入っているという仕組みです。 この広告チラシも役に立ったことがありません。ゴミ箱に直行します。
    しかしながら、通常の広告チラシは玄関先で捨てられますが、 アマゾンの箱に入った広告チラシは、 いちおう部屋の中まで入り込むことに成功しています。 これは、まるで
     「トロイの木馬」
    のような作戦といえましょう。 もっとも、ゴミ箱に直行することには変わりはありませんけれどね。
    以前、アマゾンの箱に「古本買い取ります」という広告チラシが入っていました。 これはなかなかうまい!と思いました。 アマゾンの箱を開けてこの広告チラシを見る人は、本を買ったわけですから、 その人向けへの広告チラシとしてはナイスだと思いますね (私は利用したことはないですが)。
    アマゾン側はどんな買い物をしたかを把握しているわけなので、 その商品を買った人に合わせた広告チラシを同梱することは可能のはず。 将来は、うまくマーケティングされた広告チラシが同梱されるようになるのかしら。
     * * *
    『数学文章作法』の話。
    結城の『数学文章作法 基礎編&推敲編』が、 学校の参考図書や推薦図書に取り上げられる機会が多くなってきました。
    『数学文章作法』は説明文を書く人なら誰でも役に立つ本です。 《読者のことを考える》という基本中の基本から話を始めているので、 たとえば大学の先生が学生さんに、
     「まずはこのくらいは当然のこととしてほしい」
    という一冊として紹介されるケースが多いようです。
    大学の先生は、学生さんにレポートや論文を書いてもらいたいわけですが、 あまりにも基本的なところから話していては、 先生の時間がいくらあっても足りません。 学生さんの基礎知識を揃えるために『数学文章作法』が活用されていますね。
     ◆『数学文章作法』  http://www.hyuki.com/mw/
    木下是雄氏の『理科系の作文技術』が定番本ですけれど、 結城の『数学文章作法』も先生方に認知されてきているようです。 感謝なことですね。
    来年(2017年)には、 第三巻目となる『数学文章作法 執筆編』もまとめたいところです。
     * * *
    「本を書いています」の話。
    あまり結城のことをご存じない方にお会いしたとき、
     「やさしくて読みやすい入門書を書いています。   こういう本です」
    と自分の本を渡すことがあります。
    そのとき相手から、
     「うわあ、こんなに難しい本をお書きになるんですね!   すごいです!私にはさっぱりわかりませんが!   うわあ、私には読めないなあ〜」
    という反応をいただくことがあります。
    自分が読めないほど難しい本を書ける(のはすごい)と、 結城がほめられていることはわかるのですが、 入門書を書いている身としては、微妙に凹むのも事実です。 多くの方に「読める」本を書きたいわけなので。
    あ、念のために書いておきますが、 不愉快とか不快になるわけではありません。 本には対象読者というものがあるので、 「読めないなあ」と言われることは不可避ですから。
    考えてみると結城自身もそうです。礼儀正しく接したい相手から、 興味がない分野の本を、
     「これが、私の著書です」
    と渡されたら、あまり何も言えそうにありません。 せいぜい、
     「へえ、そうなんですか。すごいですね」
    くらいしか言えないです。
    「わたしは読みません!」とは言いにくいし、 「わたしには読めません」と言いたくなる心理は確かにありますね。 いくらつまらなそうに見えても「つまらなそう」なんて、 著者に向かっては言えません。
    著書を渡されたとき、無難に会話を進めるには、 本の「内容」ではなく「執筆方法」に話題をシフトするかもしれません。
     「この本の対象読者は?」  「このくらいの分量だと、執筆期間は?」  「編集さんとはどんな打ち合わせをしますか?」
    のような話題です。そこまで抽象度を上げると、 逆にいくらでも話が盛り上がる可能性がありそうです。
     * * *
    「イコール」の話。
    先日「イコール(=)はコロン(:)から作られた記号ではないか」 という話題を見かけました。
    結城は、 「=」が「等しい」という意味で使われた理由として、 「平行で長さが等しい二線分は、いかにも等しい様子を表しているから」 と記憶していました。
    手元にある参考書『数学史』(矢野健太郎)を見てみると、 こんなふうに書いてありました。
     --------  等号=  これは,英語で書かれた最初の代数の書物といわれる,  レコード(Robert Recorde, 1510-1558)の「知恵の砥石」  (The Whetstone of Witte, 1557)にはじめてみえている.  レコードは,これを等号として採用する理由を  つぎのようにのべている.  「2つの平行線=くらい等しいものはほかにないからである」  --------
     ◆矢野健太郎『数学史』(科学新興社)  https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894281872/hyam-22/
    うん、だいたい私の記憶は正しかったようです。
    結城は個人的に、 イコールをあまり短く書かない方がいいと思っています。
    子供が以前、二本の線分の長さをあまりにも不揃いに書いたり、 あまりにもゆがんで書いたりしたときには、
     「これじゃ、イコールなのに等しくないみたい」
    とたしなめたこともあります。
    「等しい」というのはとても大事な概念ですから、 記号もしっかりと書きたいと思っています。
    とはいえ、 手書きでイコールを書くときに定規を使うのはもちろんナンセンス。 もちろん、長さは何ミリでなければならないと考えるのもまちがっています。 物事には程度というものがありますからね。
     * * *
    ゲームの話。
    先日、120円のキャンペーンをやっていたので、 Mini Metroというゲームを購入しました(iOS版)。
     ◆Mini Metro(スクリーンショット)
    このスクリーンショットを見てもわかるように、 Mini Metroは地下鉄の路線図風ゲームです。
    △や○や□の形をした「駅」が少しずつ画面に登場し、 その駅に人が集まってきます。 駅同士を指でなぞって線路を引き、そこに電車を走らせます。 動く電車によって、駅に集まった人の混雑が解消されます。 うまく電車を走らせないと駅が乗客であふれてゲームオーバー。
    結城は、リアルな絵柄のゲームよりも、 こういうミニマルなグラフィクスのゲームの方が好きですね (うまいかどうかは別として)。
     ◆Mini Metro  http://dinopoloclub.com/minimetro/
     ◆Mini Metro(トレイラー動画)  https://youtu.be/WJHKzzPtDDI
     * * *
    世界の表現の話。
    結城は毎日『聖書』を少しずつ読んでいます。 そして毎朝、最初のツイートとして聖書の一節をつぶやく習慣があります。
    聖書は66巻に分かれています。順番に読んできて、 つい先日「伝道の書」から「雅歌」に変わりました。
    毎回、この切り替わりに大きな「落差」を感じます。
    「伝道の書」というのはニヒリズムの文学と呼ばれることもあり、 人生のいっさいは無に等しいということが書かれている巻です。
    それに対して「雅歌」の方は恋の歌、 しかもたいへん艶っぽい表現もたくさん出てくる巻です。
    この二つの巻には大きな落差があるのですが、 それが旧約聖書の中では並んで出てくるのです。
    「伝道の書」に吹く風はいわば「からっ風」で、 生き物の気配がなにもありません。でも「雅歌」に吹く風は、 花や果物の香りをいっぱいに含みぬくもりで満たされる風。 そんな違いがあるのです。
    (ここだけの話、「雅歌」に出てくる恋人の愛の表現は、 かなりあからさまで、ここに引用するのもちょっとはばかるほど。 ご興味のある方はぜひ『聖書』をお読みください)
    すべてのすべてを無と感じる巻と、 艶っぽい恋に満ちた巻が並んで現れるというのは、 矛盾しているようですが、 実はこの世界のあり方を正しく表現しているのかもしれません。
     * * *
    「いい子ちゃん」ぶる話。
    あなたは、映画『聲の形』をごらんになりましたか。
     ◆映画『聲の形』  http://koenokatachi-movie.com
    (以下、軽いネタバレがあるかも)
    あの映画に出てくるキャラで、 「自分にこういうところあるかも」って人はいたでしょうか。 私はいました。川井みきちゃんです。 だから、彼女が出てくるシーンは、なかなかつらかったですね (原作マンガではなく、映画限定の話です)。
     ◆川井みき  http://koenokatachi-movie.com/character/kawai/
    川井みきちゃんというのは、 とても大ざっぱにいえば、委員長っぽい優等生。 八方美人でいい子ちゃんぶるキャラクタです。 しかも、自分の中で自分の体験を美化しがち。 自分に悪いところがあるなんて思っておらず、 痛いところ突かれると泣く。 多くの人からそれなりに好かれるけれど、少数の人からひどく嫌われる。 そういう感じのキャラクタです。
    いい子ちゃんの設定で、 いい子ちゃんをつらぬいているといえるのだけれど、 そこに醜さと弱さと愚かさがほの見える。 あのキャラ造形はすごいと思いました。
    そもそも『聲の形』という物語は、 既存の物語のお約束をわざと「外して」いるところがありますね。 美形キャラならこういう設定、おっとりキャラならこういう設定、 そのような設定を「外して」「ずらして」います。
    ずらしていることで見えてくるのは、 誰しも持っている裏の面です。 人間なら誰でも、外から見える以外のものを抱えています。
     「外部からこんなふうに見えるから、内部もそうだろう」
    なんて簡単にはいえません。
    『聲の形』では、そこをうまく描いているように思いました。 だからこそおもしろく、 だからこそ見ていて「つらい」部分もあるのですが。
     * * *
    「グラフのトリック」の話。
    先日(2016年12月16日)フジテレビの『池上彰スペシャル』 に登場したグラフが物議を醸していました。
     ◆池上彰スペシャル  http://www.fujitv.co.jp/b_hp/ikegamiakira_sp/
    物議を醸したのは、 そこで使われているグラフが視聴者をミスリードするものだったからです。
    番組の中で「日本の平均所得の推移」と「米国の平均所得の推移」 を表す二つのグラフを並べて比較していました。
    しかし、その二つのグラフの目盛りは縦軸のスケールが異なっており、 横軸もズレがありました。ですから、 二つのグラフの見た目を比較するのは適切ではありません。
    個々のグラフは必ずしもまちがっているものではないし、 導かれている結論も必ずしもまちがっているわけではないのですが、 二つのグラフを比較したときに与える「印象」はミスリードとなっています。 当然ながら、番組はネットから非難を浴びることになりました。 グラフの軸を補正したもので検証作業も行われているようです (ご興味のある方は、「池上彰 グラフ」などで検索してください)。
    グラフを使って印象操作するというのは、 プレゼンテーションでの「あるある」な話題です。 そのため、今年の秋に上梓した結城の 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』では、 第1章で「グラフのトリック」の話題を取り上げたばかり。
    そんな中で今回の池上彰さんの番組が放映されたので、 何名かの読者さんは、
     「池上彰さんが、結城さんの本の販促活動しているみたい」
    と結城に伝えてくださいました。私も苦笑です。
    自分の本が売れるのはありがたいですが、 池上さんのような有名な方がミスリードするグラフを使うなんて、 たいへん悲しいことだと思います。
    特に、主張する内容が大事なものであればあるほど、 ちゃんとしたグラフを使うべきです。 さもないと、主張する人の信用がガタ落ちになるからです。
    思うに、プレゼンで「グラフのトリック」が使われるのは、 結論が先にあるからなのでしょう。 グラフをエビデンスとして使うのではなく、 印象操作のために使っているということです。 何とも悲しいですね。
    ちなみに、 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の第1章 「グラフのトリック」はKindleの無料サンプル版として、 全文まるまる無料で読めます。 「こんなグラフ、ありえない!」というグラフが登場しますが、 現実世界では、そうでもないのですよ……
    ご興味のある方は、のぞいてみてください。
     ◆『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』Kindle版  https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01MSJMKMW/hyam-22/
     * * *
    それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。
    どうぞ、ごゆっくりお読みください!
    目次
    はじめに
    数学の問題を出す楽しみ(問題編)
    十五円の涙
    クリエイタの矜持
    ロマンティック数学ナイトへの出題、結城浩の《挑戦状》
    喉がイガイガ
    数学の問題を出す楽しみ(解答編)
    反比例のグラフ描画をめぐって
    おわりに
     
  • Vol.247 結城浩/ネットで学ぶ/ノブレス・オブリージュ/ネットリテラシー/

    2016-12-20 07:00  
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    Vol.247 結城浩/ネットで学ぶ/ノブレス・オブリージュ/ネットリテラシー/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年12月20日 Vol.247
    はじめに
    おはようございます。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
     * * *
    『数学ガール6』の話。
    現在、章がまとまるごとにレビューアさんに送付する段階に来ています。 といっても、まだ送付できたのは第1章のみ。 現在は第2章に集中してまとめているところです。
    第2章は先週末に送るぞ!……と意気込んでいたのですが、 プライベートな出来事があれこれ起こったため、 今週に持ち越しとなりました。 今週末までには、何とか!……と意気込んでいる状況ですね。
    自分が書いた文章を読む他者(レビューアさん) が存在する緊張感は、 仕事を進める上でとても大事だと実感しています。
    じわじわとがんばります。
     * * *
    オファーをお断りするメールの話。
    最近、結城あてに雑誌の記事や、書籍や、 講演のオファーがよくやってきます。 たいへんありがたいことなのですが、 スケジュールの関係でお断りすることも多いです。
    結城にお仕事を依頼している人というのは、 編集者だったり、企画を立てている人だったりします。 そういう方々は予算やスケジュールや人繰りのことを考えた上で、 結城にオファーメールを出していると想像します。
    ですから、引き受けるのか引き受けないのかわからない状態のまま、 ずるずると引っ張るのはよくないと結城は考えています。 結城が引き受けないとなったら、相手は別の策を考えたり、 他の人を探す必要があるかもしれないからです。 ですから、引き受けないとしたら、 できるだけ早く返事をするように心がけています。
    とはいえ、できるだけ早く返事するといっても、 知らない人から仕事の話が来てお断りするときに、
     「断ります」
    とだけ書いたら、さすがに問題がありますね。
    私はできるだけ「お声がけいただいてうれしいのですが」など、 自分の正直な気持ちを添えるようにしています。 実際、お仕事をオファーしていただけるのはうれしいことですから。
    ひとこと添えるというのは、 依頼した人という「読者」のことを考える行為だと思っています。 つまり、自分がいま書いているメールの読者は誰なのかを想像するということ。
    お互いに話したことがあり、 仕事の内容について率直なやりとりしているときには、 儀礼的なことはほとんど書かず、 短く率直に書くことも多いです。
    仕事相手に結城は、
     「以下、誤解を避けるために率直に書きます」
    というフレーズを使うこともよくあります。 もちろん、率直に書いたら怒り出しそうな人には使いません。
    メールはすなわち相手とのコミュニケーションですから、 相手次第、状況次第で臨機応変に考えないとまずいと思っているのです。
     * * *
    誤りの指摘の話。
    「ロマンティック数学ナイト」という数学イベントがあります。 このイベントは、社会人向けの数学個別指導教室を運営している 「和から(わから)株式会社」が企画したもので、 次回が第4回目となります。
     ◆ロマンティック数学ナイト  http://romanticmathnight.org
    結城はイベントには直接参加していませんが、 代表取締役の堀口智之氏からのお声がけがあったため、 ボランティアの問題出題で企画を応援しています。
    次回の開催はクリスマスイブとのこと。 作成した問題をPDFにして先日運営さんに送付しました。
    ややあって、運営さんから、
     「出題、まちがってませんか?」
    というメールをいただきました。 そのメールをいただいたとき、結城は内心、
     「いやいや、問題でミスがあってはいけないので、   送付前に30回以上も見直したし、自分で解いてみましたよ。   まちがってるわけないですって」
    と思いました。正直なところ。
    しかしながら結城は、自著の 『数学文章作法 執筆編』の中でこんなことを書いています。
     「誤りの指摘に対して、   著者はそれが本当に誤りなのかどうかを判断します」  (『数学文章作法 執筆編』第6章より)
    誤りだと指摘されたことがあったら、 著者は「本当に誤りなのか」を判断する。 自分でそれを実践できなくちゃ、恥ずかしいですよね。 ということで、指摘されたところを確認してみました。 すると……まちがっていました!
    凡ミスではあるのですが、誤りは誤り。 さっそく修正して運営さんに再送したという次第。
    他者の目というのはなんと貴重なことでしょう。 まったく、誤りの指摘というのは「傍目八目(おかめはちもく)」です。 事前に誤りを指摘してもらったことで、 結城はイベントでの出題で恥をかかずに済んだともいえますね。
     「誤りの指摘に対して、   著者はそれが本当に誤りなのかどうかを判断します」
    これって、わざわざ言うまでもないほど当たり前に聞こえます。 でも、それを「実行する」のは本当に大事なことなんですね。
     * * *
    クリスマス・イブの話。
    ことはちゃん(いのちのことば社) @kotobasha が、 こんなツイートをしていました。
     --------  クリスマスQ&A(Q16)クリスマス・イブは「クリスマスの前の日」?  イブは「前日」ではなく「夕方(イブニング)」のこと。  古代ユダヤでは、一日は日没から始まるとされており、  キリストの誕生日であるクリスマスも、  24日の夕刻から25日の夕刻までとされた。  #クリスマスあるある言いたい  https://twitter.com/kotobasha/status/806414272318226432  --------
    一日が日没から始まっていたという話は知っていましたが、 「イブ」が「イブニング」のことだというのは知りませんでした。 ということは、クリスマス前々日のことを「クリスマス・イブ・イブ」 と呼ぶのは厳密には正しくないのですね(私はよく言っちゃう)。
     * * *
    「しやせまし、せずやあらまし」と思うこと。
    結城の昔話。
    むかしむかし、「Perlクイズ」という無料メルマガを発行してたんですよ。 私がお題を出して、 購読者がPerlでコードを書くという購読者参加型のメルマガ。 今にして思えば解答者がたいへん豪華でした。
    そういう無料メルマガを出したきっかけは忘れてしまいましたが、 たぶん、
     「こういうの、やってみたいな」
    という素朴な気持ちだったんじゃないかと思います。 そして「やってよかったな」と思います。 たいへん自分の勉強になりましたし、 とても楽しかったのを覚えています。 本にもなりました。
    自分の「やりたいこと」は、 時間が経つとどんどん変化していくものです。 何かを「やりたい」と思ったら、 思い切って「やってみる」のがいいですね。
    ネットでのちょっとした企画は、費用もほとんど掛からず、 すぐに始めて、すぐに終わることができます。 うまく宣伝すれば、たくさんの人を巻き込んで楽しいことができます。 失敗しても、それもまたいい経験です。
    兼好法師は徒然草98段で、
     「しやせまし せずやあらまし とおもふことは  おほやうはせぬはよきなり」  (しようかな、しないほうがいいかな、  ということはだいたいしないほうがいい)
    と言っています。 でも、現代なら「やろうかな。どうしようかな」と思ったら、 まずは、やってみるのが吉じゃないかなと思います。
    「やりたい」と思うタイミングが重要。
    「やりたい」と思うことには、自分の気持ちが向いています。 そこには、自分にとって必要な要素が隠れている可能性が高いです。 それを確かめることは、 決して無駄にはならないんじゃないでしょうかね。
     * * *
    問いかけ形式のタイトルの話。
    先日「風邪のひきはじめに葛根湯は効くか?」という記事を見かけました。
     ◆風邪のひきはじめに葛根湯は効くか?  http://www.asahi.com/articles/SDI201612094378.html
    この記事を一読して、心の中にもやもやとしたものが残りました。 医学的な内容がどうこうというわけではなく、 文章の書き方の話として気になる点があるからです。
    この記事のタイトルは、
     「風邪のひきはじめに葛根湯は効くか?」
    のように問いかけ形式になっていますね。
    しかしながら、記事を読んでいくと、 この問いかけに対する答えは明確に書かれていません。
    記事の末尾の方では、以下のように書かれています。
     --------  結論を言うと、  風邪のひきはじめに飲んで風邪の悪化を予防する  と証明された薬はいまのところありません。  --------
    この「結論」はぼんやりとした答えを与えていますが、 タイトルの「風邪のひきはじめに葛根湯は効くか?」 に直接答えているわけではないと感じます。
    「効くか?」という問いかけに対する答えというのは、 ざっくりいえば、以下の三種類のどれかです。
     ・効く。  ・効かない。  ・効くとも効かないともいえない。
    たとえば、もしも以下のように書かれていたなら、 タイトルに対する答えが書かれていると言えるでしょう。
     --------  ですから、風邪のひきはじめに葛根湯を飲んでも、  それが効くとはいえません。  --------
    ここでのポイントは、タイトルで使った言葉である、 「風邪のひきはじめ」や「葛根湯」や「効く」 などを再度使って答えを書くところにあります。 同じ言葉を使って答えを構成すれば、 タイトルでの問いかけへの答えが書かれていることが明確になります。
    もちろん、文章の書き手としてそこまで言い切るのは本意ではない、 という場合もあるでしょう。補足事項が重要だったり、 前提条件の方に重きが置かれたりする場合はあります。 その場合でも、問いかけに対する答えはきちんと書き、 その上で、補足事項や前提条件を強調することがよいと思います。
    たとえば、補足事項として、
     --------   しかし、飲んでも効かないというのは、  葛根湯に限った話ではなく、  市販の総合感冒薬でも同じなのです。  -------- 
    などと続けば、読者の納得感は増すでしょう。 著者が問いかけにきちんと答えを与えることで、 読者は著者が書く文章に対して一種の「信頼」をおくからです。
    「問いかけ形式のタイトルを使ったときには、 その問いかけにきちんと呼応した答えを書く」というのは、 《読者のことを考える》という原則に合致しています。 なぜなら、問いかけ形式のタイトルを見て読み始めた読者の多くは、 その問いかけに対する答えを求めて読み進めているからです。 文章の最後まで来たのに明確な答えらしきものが書かれていなかったら、 一種の失望感を抱くでしょう。
    著者がせっかく専門知識を持っていたとしても、 ちょっとした言葉遣いで読者の納得感が得られないのはもったいないですね。
    なお、宣伝になりますが、 これに類した話は拙著『数学文章作法 基礎編』の第6章「問いと答え」 にも出てきます。
     ◆『数学文章作法 基礎編』  https://mw1.hyuki.net
     * * *
    クーポンの話。
    ドミノ・ピザがおもしろいキャンペーンをやっていました。 「年末クーポン大そうじ祭」と称して、 「ドミノ・ピザ以外のどんなクーポン券でも、期限切れでも、 割引します」というキャンペーンだそうです。
    ライバルピザ会社のクーポン券はもちろんのこと、 任意のクーポン券が使えるという不思議なキャンぺーンです。
     ◆ドミノ・ピザ「年末クーポン大そうじ祭」  http://www.dominos.jp/topics/161205_m.html
    結城は最初、 このキャンペーンの意味がわかりませんでした。 でも、少し考えてみると、 とても頭がいいキャンペーンであることに気付きました。
    実質上、単なる「年末セール」であるにも関わらず、 以下のようなメリットが生まれるからです。
     ・話題性を生む  ・自社でクーポン券を印刷する必要がない  ・他社のクーポン券を消費させてしまう  ・顧客がどんなクーポン券を持っているか調査できる
    こういう企画を考える人はとても頭がいいと思います。
    ところで、こういう企画をすべての店がやりだしたらどうなるでしょうね。
     * * *
    能力評価の話。
    疲れているときや、凹むできごとがあったときや、 失敗したときや、頭がごしゃごしゃているときや…… 気持ちが萎えるときには、つい、
     「自分には能力がない」
    などと思ってしまいがちです。 でも、本当にそう思うなら、 自分の判断も信じない方がいいですね。
    「自分には能力がない」という人は、 自分自身の評価自体もあてにしちゃダメです。 多くの人は、
     「自分には能力がない」
    といいつつも、
     「自分には『自分には能力がない』と評価する能力はある」
    と思うらしいのです。不思議です。
    若いときも、歳とってからも、 人はどうしても自分の能力が気になるものです。
    自分は、うまくできるのか、ちゃんとできるのか、 まっとうにできるのか。
    もちろん物事は、うまくできるに越したことはありません。 でも、うまくいかなくてもいいんですよ。 ほんとに。
    現在の自分の判断基準で「うまくいく」だけが人生ではありませんから。
    うまくいくときもあれば、うまくいかないこともあるものです。
    これまではだいたいうまくいってたのに、 あるときからガクッとうまくいかなかったりすることもあります。 確率変数みたいなもんで、散らばるのが普通です。 平均を見たり分散を見たりしつつ、 ジグザグ進むのが人生の妙味。
    お互い、じっくり行きましょうね。
     * * *
    約18年前の文章。 明日を悩む若い人へ。
     http://www.hyuki.com/story/youth.html
    約16年前の文章。 明日を悩む若い人へ。
     http://www.hyuki.com/dig/nos.html
     * * *
    それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。
    今回も前回と同じく、 いささか「もがいている」感がある号となりました。
    どうぞ、ごゆっくりお読みください!
    目次
    はじめに
    楽しみつつネットで学ぶ
    ノブレス・オブリージュ
    愚かな人ほど花を見る
    ネットリテラシーと数学ガールにおけるコミュニケーション
    「自分の頭で考える」ということ
    おわりに
     
  • Vol.246 結城浩/再発見の発想法/「まちがい」について/『数学ガール6』進捗報告/

    2016-12-13 07:00  
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    Vol.246 結城浩/再発見の発想法/「まちがい」について/『数学ガール6』進捗報告/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年12月13日 Vol.246
    はじめに
    おはようございます。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
     * * *
    おわびと訂正。
    前回のVol.245でミスがありました。
    「可能性はゼロではない」という話題の中で、 ツイートのユーザIDとURLを間違っていました。 以下のように訂正しておわびいたします。
     誤 snoopy_zzz  正 ohnuki_tsuyoshi
     誤 https://twitter.com/snoopy_zzz/status/803180361760980992  正 https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/803097506082996224
     * * *
    概念拡張の話。
    一本のロールケーキが目の前にあり、 それを普通に輪切りにして何人かで分けることにします。
    ロールケーキを2人で分けるには1回切ればいいですね。 もしも3人で分けるときには2回切ればいいですね。 これを一般化して「n人で分けるにはn-1回切ればいい」と考えます。 ここで、nは2,3,4,...です。
    ところで、もう一歩概念を拡張させてn=1のとき、 つまりロールケーキを独り占めするときのことを考えます。 このときは切らないで済みます。 このことを「切らない」ではなく「0回切る」と表現するのは楽しいものです。 なぜなら、
     「1人で分けるには0回切ればいい」
    と言えることになるので、 先ほどの「n人で分けるにはn-1回切ればいい」 という表現を《そのまま》使えるからです。
    「n人で分けるにはn-1回切ればいい」という一つの表現を、 n=2,3,4,...の場合だけでなく、 n=1の場合まで拡張したといえます。
    で、さらにもう一歩概念を拡張させて、 n=0のときを考えたくなりますよね。つまり、
     「0人で分けるには-1回切ればいい」
    という表現。 さあ、この表現を正当化させる解釈はありうるでしょうか。
    あります。
    たとえば、目の前にロールケーキがそもそも1本存在するのは、 もっと大きなロールケーキの島がどこかにあって、 そこから切り出してきたから、と考えます。
    そう考えると「誰も食べられない」 (つまり「0人で分ける」)ようにするためには、 ロールケーキの島から、切り出してきた分を1回キャンセル (つまり「-1回切る」)すればいいですね。
     「0人で分けるには-1回切ればいい」と言えます!
    こんなことを考えるのはナンセンスなようですが、 ぱあっと世界が広がった感じがして、とても楽しくありませんか。
    以上の話は、ぼんてんぴょんさん(@y_bonten) のツイートをもとにしています。
     https://twitter.com/y_bonten/status/804177608002781184
     * * *
    組織と「自分が答えるべき質問」の話。
    管理とは何かについて、よく考えます。
    でも人心掌握とかいう難しい話ではありません。 管理できてる状態は何で判断できるかという話です。
    私は「大事な問いかけにどう答えられるか」が一つの指標になると思っています。
    たとえば経営者に「御社の昨年度の売上は?」と尋ねましょう。 この答えのオーダー(桁)を誤るようなら、経営者は失格でしょう。 質問相手は経営者に限りません。部長にはその部の売上を尋ねる。 課長には経費額と人員数を尋ねる。その答えはどうなるかな?
    組織の構成員には「自分が管理しているもの」があります。 各人が管理すべきものをきちんと管理できているかを 「問う」のはいいことでしょう。問いに答えられるかどうかで、 管理できているかを判断するのです。
    そう考えると、
     そもそも私は、  誰からの、  どんな問いに答えるべきなのだろうか
    という思いを抱くはず。
    これは「自分の責務を自覚せよ」ということの言い換えに過ぎません。 「問い」というコミュニケーションの面から言い換えているのです。
     「私は誰からのどんな問いに答えるべきか」
    自分は誰からのどんな問いに答えるべき存在かを考える。 逆に、自分は誰にどんな問いを投げるべき存在なのかを考える。 構成員全員がそれを考えるような組織は、 うまく回る組織ではないでしょうか。
    それは、プログラムとよく似ています。 プログラムを構成する各モジュールにはそれぞれの責務があり、 定められたインタフェースを介して、情報を交換し、 処理が進んでいきます。組織とそっくりですよね。
    自分は誰のどんな問いに答えるべきかを考えると、 自分が把握しておくべき情報もわかります。 そして、自分が参加すべき会議も(参加すべきでない会議も)わかります。 自分が業務で使える時間の多くを何に割かなければならないかもわかります。
    組織の中で動くとき、 「自分は誰からのどんな問いに答える存在か」 をよく考える。そして問いかけに適切に答えることを大切にしようとすると、 組織の中で行う仕事がおもしろいものになってきます。 それは、組織での自分の位置と働きが明確になってくるからです。
    そんなことを、よく考えます。
    私自身は、一人で仕事しているのにね。
     * * *
    批判と罵倒の話。
    Twitterなどで、専門家が誰かを批判するとき、 罵倒するかのような言葉遣いをする場合があります。 それが尊敬すべき方の場合には、とても悲しくなります。 批判そのものがまちがっているわけではなく、 批判そのものが正しいときに、特に悲しくなります。 言葉選びは大事です。批判することと罵倒することは違うのです。
    そういうときには、 「この先生は、専門分野では繊細な感覚を持っているが、 日本語や他者の感覚には鈍感なのかもしれない」 と思うようにしています。 私自身も、敏感な領域と鈍感な領域があります。 一人の人にすべてを期待しすぎてはいけないのでしょうね。
    他山の石、他山の石。
    特に「自分は絶対に正しい」と考えているときの言葉は、 先鋭的になりやすいので注意が必要です。
     * * *
    年上の妻の話。
    結城はTwitterでクイズを出すのが大好きです。 先日は、アンケート機能を使ってこんなクイズを出しました。
     問題「金のわらじを履いてでも求めるべきものは、いったい何か?」
    もちろん答えは「年上の妻」ですね。
    これは、 「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」 という言い回しを踏まえてのクイズです。
    ところで、このクイズを出すに当たって調べていたら、 「金のわらじ」は「きんのわらじ」ではなく、 「かねのわらじ」と読むと知って驚きました。 すり減ることがないように金属製のわらじを履く、 という表現で「根気よく探す」という意味合いがあるそうです。
    単独で「金のわらじで尋ねる」という表現もあって、 「辛抱強く探し求めること」や 「なかなか得難いもの」を表すそうです。 知らなかった!
    すり減らない金属製のわらじを履いて探すほど、 「年上の妻」というのは貴重で得難いものなのですね。
    年上の妻といえば、 森薫さんのマンガに登場する『乙嫁語り』のアミルが有名です。 中央アジアを舞台にした「お嫁さん」のお話。
    『乙嫁語り』の第1巻のあとがきによると、 アミルのキャラには、 「弓が上手」「姉さん女房」「野生」「天然」「強い」 「なんでもさばける」「でも乙女」「でもお嬢様」 のように「清々しいまでに全部ブチ込んである」とのこと。 なるほど。
     ◆『乙嫁語り1』(森薫)  https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0097280D6/hyam-22/
    『乙嫁語り』、最新刊の第9巻がもうすぐ出るようですね。
     ◆『乙嫁語り9』(森薫)  https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01N2RXAJ8/hyam-22/
    ちなみに、私の妻も「金のわらじを履いて探すべき」すてきな女性です。
    (アミルと併記することによる、さりげないイメージ戦略の一環)
     * * *
    Amazon Dash Buttonの話。
    ボタンを押すだけで、そのボタンに割り当てられた商品が届く。 そんな便利なAmazon Dash Buttonが日本でも運用開始になったようです。
     ◆Amazon Dash Button  https://www.amazon.co.jp/b?ie=UTF8&node=4752863051
    「消耗品が切れて困った」を解消するためにとてもいい方法!とは思うのですが、 妻に相談してみたところ「家のあちこちにそんなボタンを置いとくなんてイヤ」 との反応でした。まあそういう見方もありますね。
     「本の注文にAmazon Dash Buttonはどうかな」  「あなたの家ではヤギか何か飼ってるんですか」
     * * *
    モーメントの話。
    Twitterには「モーメント」という機能があります。 モーメントというのは「複数のツイートをまとめる」機能です。
     ◆モーメントの作成 - Twitterヘルプセンター  https://support.twitter.com/articles/20174969
    ポイポイとツイートを放り込む感じで、 手軽にモーメントを作ることができます。
    先日、iPhoneを使いモーメント機能で遊んでいるとき、 「これは電子書籍っぽいな!」という感想を持ちました。 電子書籍っぽいというのは変な表現ですが、 一つ一つのツイートは「ページ」で、 次のツイートを読む行為は「ページめくり」であると考えると、 iPhoneで本を読んでいる感覚になるのです。
    コンピュータでモーメントを見たときには、 普通のスクロールなので、あまり本っぽくはありません。 iPhoneで見たときの「ページめくり」の感覚が伝わるように、 動画にしてみました(44秒)。ごらんください。
     ◆Twitterの「モーメント」をiPhoneで見ると電子書籍っぽい  https://youtu.be/lV2DNZVtiXY
    これは、自分の連続ツイート(連ツイ)を「モーメント」にまとめて、 それをiPhoneのTwitterアプリでぱらぱら眺めている動画です。 画面の全面が一ツイートで満たされ、 ページめくりして連ツイを読んでいる感じがわかるでしょうか。
    結城は、モーメントのことを 「非常に手軽に作れる電子書籍だ」と感じました。 ツールだの、epubだの、スタイルシートだのはまったく考えずに済む。 書きたいことをツイートしたらそれがページになり、 それらをまとめてモーメントを作れば一冊の本になる。 そんな手軽さを感じるのです。
    「スマートフォンで読む」という体験には、 まだまだ可能性がたくさん眠っていると思っています。
     * * *
    松本人志さんの話。
    以前、 ドキュメンタリー番組でダウンタウン松本人志さんが、 企画を考えるシーンを見たことがあります。 松本さんは、目をギューっとつぶって、ものすごく考えている。 その様子がなぜか忘れられません。
    もちろん、目をギューっとつぶって考えたからといって、 おもしろい企画になる保証はありません。 でも、私たちが見ている多くの企画や作品や行動やルールは、 つまり人工的なものの多くは「誰かが考えたからそうなっている」 ということを思うのです。
    ふわっと思いついて、パパッと作って出来上がり、 というものもあるでしょうけれど、 いろいろちゃんと考えるべきときには、 しっかり考えなくては。
    目をギューっとつぶるようにして。
     * * *
    「音楽は耳で作られる」という話。
    「あの人は技術を持っている」というのは、 何かを「作る力」を持っているということです。 でも、それだけじゃありません。 「作る力」と同時に「見る力」も持っているものです。
    「見る力」というのは、自分が何かを作り出したときに、
     ・これは「よい」か?  ・これは「よくない」か?
    という判断をする力のことです。
    何かを作ろうとするときには、 「作る力」と「見る力」の両方が大切です。
    記憶で書いているので不確かですが、 森博嗣さんの小説のどこかに、
     「ビリヤードのうまさは、腕ではなくて目で決まる」
    と書かれていました。ここでいう「腕」は「作る力」に相当し、 「目」は「見る力」に相当するでしょう。
    結城が子供の頃に習っていたリコーダー教師の言葉も思い出します。 それは、
     「音楽は耳で作られる」
    という言葉です。音合わせの重要性と、 合奏中に他人の音を聞くことの重要性を説明するときに出てきた言葉でした。 リコーダーは笛ですから、息を吹き込めば音が出ますし、 指を動かせば音程が変わります。 ですから、「口と指」で音を作ると考えがちですが、 しかし実際には、音を聞く「耳」が大切になるのです。 ここでいう「口と指」は「作る力」に相当し、 「耳」は「見る力」に相当するでしょう (耳なのに見るというのは変ですけれど)。
    ビリヤードプレイヤーは、目でプレイする。 音楽家は、耳で音を作る。 カウンセラーは、クライアントの言葉を聴くことでアドバイスする。 そして著者は、文章を読むことで本を書く。
    つまりは、インプットとフィードバックによって、 アウトプットを行うということですね。
    あなたが関わる世界でも、これに類することはありますか。
     * * *
    それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。
    どうぞ、ごゆっくりお読みください!
    目次
    はじめに
    再発見の発想法 - Memoize(メモ化)
    『数学ガール6』進捗報告 - 本を書く心がけ
    「まちがい」について - 仕事の心がけ
    父の思い出
    もっともためになったアドバイスは - Q&A
    おわりに
     
  • Vol.245 結城浩/進捗が見えないときに/「断片」と「作品」/本を書くために必要なこと/

    2016-12-06 07:00  
    220pt
    Vol.245 結城浩/進捗が見えないときに/「断片」と「作品」/本を書くために必要なこと/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年12月6日 Vol.245
    はじめに
    おはようございます。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    もう12月なんですねえ!
     * * *
    サイン本の話。
    翻訳された結城浩の本を何冊かプレゼントする企画を行っています。 〆切は2016年12月6日(火)、つまり、この結城メルマガの配信日です。 ぜひどうぞ!
    詳しい応募方法については、 以下のブログ記事をごらんください。
     ◆中文版『数学ガール/フェルマーの最終定理』他多数!   《結城浩のサイン本無料プレゼント》  https://snap.textfile.org/20161123170454/
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    まぐまぐ!での購読者さんへのお知らせ。
    「まぐまぐ!」から配信される有料メルマガは、 配信元ドメインが順次変更になるとのことです。。 これまでの「mag2.com」から「mag2premium.com」に変更されるとのこと。 もしもメール受信のフィルタ設定などをしている方は、ご注意ください。 公式の情報は以下です。
     ◆メルマガ配信元ドメイン変更のお知らせ(株式会社まぐまぐ)  https://www.mag2.co.jp/news/page363.html
    なお、「ブロマガ」からの配信には変更ありません。
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    謎のメモの話。
    先月末、TODOリストを見たら、
     ★★★ 11/30 までに連絡メール出すこと ★★★
    というメモが書かれていました。 ★マークがたくさんついているので、 きっと重要なことなのでしょう。
    でも「いったい誰に対して、何に関する連絡メールを出すのか」 がさっぱりわかりません。思い当たるものが何もありません。 しかも11/30って月末。今日じゃん!
    こんなひどいメモを書いたのは誰だ? 私だ!(涙)
    これ、結局何の連絡メールだったのか、現在もまだわかっていません。
    この話をしたら、多数の知り合いから「『予定表あるある』ですね」 と言われました。よくあることなんだ……
     * * *
    リラックスの話。
    先日、こんな質問をいただきました。
     あなたがリラックスしたいとき、  もっとも効果があるものは何ですか。
    結城がすぐに思いついたのは「入浴」という答えでした。 疲れたときや、いろんなことで頭がいっぱいになったとき、 もっとも効果的なのは入浴じゃないかな、と思ったからです。
    その次に思いついたのは「睡眠」ですね。 結城は寝付きが比較的よい方で、横になって目を閉じると、 たいていの場合はすぐに眠ってしまいます。 直前にコーヒーでも飲んでいなければの話ですが。
    他にはあるかな、と考えてふと気付いたことがあります。 それは「入浴」や「睡眠」はリラックス法というよりも、 疲労回復法じゃないか、ということです。 質問に対してちょっとずれた回答をしてしまっていました。
    リラックスするというのは緊張感をほぐすという意味ですよね。 ということで改めてリラックスについて考えてみます。 結城に効果が高いリラックス法は、
     「歩く」
    ことじゃないかな、と思いました。
    結城はよく歩きます。カフェに出かけて書き物をしますし、 一日のうちに何度もカフェを移動しますから、 そのたびごとにこまめに歩くことになります。 そしてそれは、執筆の緊張をほぐすのに大きく役立っていると思います。
    私の頭には慣性の法則が働いています。 なので、仕事の一区切りで席を立ち、 荷物をまとめてカフェから出ても、 しばらく頭は仕事のことを考えています。
    さっき書いた文章を頭は勝手に思い出し、なぞり返し、 概念をこねくり回し、適語選択したかどうかをチェックし、 自然に浮かび上がる疑問がないかどうかを再確認します。 それは仕事にとってはいいことなのですが、 ある種の緊張が持続しているともいえますね。
    それでも、しばらく歩いていると次第に緊張はやわらいできます。 空を見上げ、町行く人たちを眺め、 仕事とは直接関係がない風景を見ているうちに、 心がリフレッシュするように感じます。
    ということで「歩く」は私のリラックス法の一つですね。
    あなたはいかがでしょう。
     * * *
    「可能性はゼロではない」の話。
    〔結城注:下記の引用部分に誤記がありました。以下では修正しています〕
    大貫剛さん(@ohnuki_tsuyoshi)がこんなツイートをしていました。
     --------  「可能性はゼロではない」といった表現が混乱を招く問題、  IPCC第5次報告書が非常に良い統一基準を作っていたので、  これを参考にすると良いと思った。  可能性が1%未満の場合は「ほぼあり得ない」で統一してる。  https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/803097506082996224  --------
    ここで言及されているIPCC第5次報告書では、 「0〜1%の確率」は「ほぼあり得ない」、 「0〜5%の確率」は「可能性が極めて低い」という表現が使われているとのこと。
    結城もときどき「可能性はゼロではない」という表現が気になります。 「ゼロではない」という表現は「ありえなくはない」 という二重否定のニュアンスで使われているように感じます。 つまり「ありうる」ことが強調された言い回しであるという意味です。
    「可能性はゼロではない」という表現が使われる場面を想像すると、 単なる事実として「ゼロではない」が語られているわけではなく、 そこには別の意味合いが付加されてしまっているのですね。
     * * *
    掛け算順序の話。
    先日、カクヨムで『掛け算』という落語を読みました。 ときどきネットで見かける「2×3は3×2と同じか違うか」 という議論を落語仕立てにしたものです。
     ◆第1話 - 落語・掛け算(山本弘)  https://bit.ly/2gRHgAo
    この落語がおもしろいのは、 単なる「変な算数を批判する」というパターンに収めるのではなく、 掛け合いがどんどんエスカレートしていって、 ありとあらゆる数を含む表現の順序をひっくり返している点です。 一つのアイディアを極限までもっていった笑いとでもいいましょうか。
    それほど長くないので、ぜひお読みください。
     * * *
    「数学者はすごい」と思う点。
    結城が素朴に「数学者はすごい」 と思っている点をいくつか列挙してみます。
    論じているとき、 「そもそもそれは存在するのか」と問う姿勢。
    解が見つかったとき、 「解は唯一か」と問う姿勢。
    解が存在し、唯一だとわかったとき、 「一般化できないか」と問う姿勢。
    一般化した解が得られたとき、 「別の分野に類似する概念はないか」と問う姿勢。
    つまり、数学者の「どこまでも問う」という姿勢を、 結城はすごいと思っているのですね。
    第一歩の「それは存在するか」という問いからして驚きです。 だって、存在について真っ正面から考えるって、 日常生活ではなかなかありません。 そんな問いを中学校(あるいは小学校)から学べる点で、 数学の学びはとても重要じゃないかと思います。
     * * *
    それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。
    どうぞ、ごゆっくりお読みください!
    今回は『数学ガール6』執筆の関係もあって、 いろんな意味での「もがき」が絡んでいるようです……
    目次
    はじめに
    進捗が見えないときの対処法 - 仕事の心がけ
    「断片」は「作品」ではない - 本を書く心がけ
    本を書くために必要なこと - 本を書く心がけ
    お絵描きでリラックス
    おわりに