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気がつくとツクール作っていました・前編(重歳謙治)【自作ゲームwikiに寄せて】
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気がつくとツクール作っていました・前編(重歳謙治)【自作ゲームwikiに寄せて】

2015-06-26 19:00
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前回に引き続き、自作ゲームwiki編集委員に寄稿いただいた文章を公開します。

「自作ゲームwikiは『自作ゲームの多様性』を示せる場に……みたいな?」(中村友次郎)

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重歳謙治

学生時代になんとなく手にしたツクールがキッカケで、無職から開発側の人間に。RPGツクール95でアスキーエンタテインメントソフトウェア コンテスト(略称:Aコン)にチャレンジしたり、RPGツクール2000、RPGツクールXPでサンプルゲーム制作、 RPGツクールVX、RPGツクールVX Aceでは開発ディレクターをやらせていただいたりと、かれこれ20年以上ツクールと付き合っています。あと、インターネットコンテストパークの審査ス タッフもやったりしていました。好きな言葉は「明日から本気出す」です。

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 みなさまハジメマシテ。おひさしぶりのみなさま、オヒサシブリです。トシ重こと重歳 謙治(シゲトシケンジ)と申します。このたびは、数奇な運命と、惑星(ほし)の巡りあわせにより、本ブログにて執筆させていただくことになりました。執筆の依頼を受けたときには無意識のうちに「やばい、これでおれ有名人になれるのか!?」と深夜に小躍りしていたかもしれません。

 いきなりしたり顔で語り始めても、90%くらいの人が「つーか、おまえ誰だよ」と心の中で声なきツッコミを入れられることが想像に難くないため、ざっくりとですが自己紹介をさせていただきます。ひとことで申せば“RPGツクールの中の人”です。
 RPGコンストラクションソフトとしてわりと有名な『RPGツクール2000』にてサンプルゲームを作ったり、『RPGツクールXP』のアシスタントディレクターを経て、『RPGツクールVX』と『RPGツクールVX Ace』の開発ディレクターを務めさせていただきました。ディレクターというエラソーな肩書ですが、ズブの素人がツクール好きをこじらせて、そのまま中の人になったとお考えいただいて、まったく問題ありません。その通りなので。


自作ゲームとの邂逅(←使ってみたかった)


 いまから数十年前、自作ゲームという言葉もなかった頃、世の中にマイコン(=パソコン)という言葉が生まれ、そこにゲームと呼ばれるモノが必然的に登場したのです。小学生のとき、ある友だちがMSXというパソコンを買ってもらって、ハドソンさんの不朽の名作『サラダの国のトマト姫』(通称:サラトマ)というアドベンチャーゲームをゲットしました。当時は、画面に絵が出るだけでも新鮮で、おそるべきカルチャーショックを受けました。
 その後、友だちは自分でゲームを作って、『マイコンBASICマガジン』というおっさん世代感涙のPC雑誌に投稿、見事に掲載されるという快挙を遂げました。当時は、雑誌に名前が載るだけでも大興奮で、自分のことでもないのに、周りに自慢して回っておりました。いま思えば、このとき異様に興奮した体験が、僕の原風景だったのかもしれません。


変な雑誌『LOGiN』との出会い


 ある日、本屋で見かけた『LOGiN』という雑誌が、僕の運命を変えました。この雑誌、なにがすごいかというと「おれはゲーム雑誌を手にとったつもりが、ゲーム雑誌じゃなかった。催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わった」ところです。
 ゲームとはまったく関係のない記事(着ぐるみ着て川を流れてみたり、世界中の葉巻を吸ってみたり、会社の慰安旅行のネタだけで10ページ以上ひっぱるなど)が充実していて、しかもそれがおもしろい。ヤマログやバカチン市国といった読者投稿系コンテンツも、ハガキ職人のレベルの高さと、編集者の卓越したセンスにより、クオリティの高い笑いを提供してくれていました。

 僕は、この好き放題やっている感覚が好きで、お小遣いのすべてをLOGiN購入につぎ込んでいました(買えないときは本屋で穴が開くくらい立ち読みしました)。そして、LOGiNのフリーダム過ぎる環境のなかで、僕の人生の転機ともなる“ツクール”誕生の舞台が醸成されていったのです……。


自分でゲームが作れる!? 遊べる!?


 時はファルコム作品全盛期(『ザナドゥ』を経て、『イース』『ソーサリアン』がPCゲーム業界を席巻していたころ)、友だちのPC-8801 mkIISRで『ソーサリアン』をガリガリやっていたところに、彼がニヤニヤしながら『ダンジョン万次郎』という手書きシールの貼られたフロッピーディスクを取り出してきました。
 『ダンジョン万次郎』とは、あのLOGiNが世に出したゲームコンストラクション系ソフトのひとつです。ウィザードリィ風の3DダンジョンRPGを作ることができました。3Dダンジョンを、方眼紙にマッピングするような要領でエディットすることができ、アイテムやモンスターも自由に設定することができました。画期的だったのは、ツールの中で、モンスターのドット絵も打つことができたこと。
 いま見れば、すべてがしょぼかったのですが、それでも僕にとっては、自作ゲームへの扉が開かれた瞬間でした。


浪人生とツクール


 LOGiNでは、『ダンジョン万次郎』のほかにも『アドベンチャーツクール』、シューティングゲームが作れる『ヨコスカウォーズ』など、さまざまなツクール系のソフトをリリースするのと並行して、アマチュアクリエイターを育成する企画を誌面で展開していました。プログラム作品だけでなく、企画書も評価の対象になっていたと記憶しています(このあたりあいまいなので、いいかげんなこと言っていたらスミマセン)。
 そして、入選作品は、ソフトベンダータケルと呼ばれる当時としては画期的な、全国に置かれたPCゲームの自動販売機で販売されるという、発表からの着地点まで至れり尽くせりな環境がそこにありました。

 かくいう僕も、そんなアマチュアクリエイターのみなさんの成功を横目に見つつ、『エメラルドドラゴン』をプレイする日々を送っておりました。そしてゲームで遊び過ぎたせいか、受験に失敗。合格発表の帰り道、フッと思い立ち、ソフトベンダータケルで『チャイムズクエスト』(RPGツクールDante98の前に販売されたRPGツクール)を購入したのでした。


絶望と嫉妬の日々


 プログラムがさっぱりわからなくてもゲームを作る環境は手に入った。あとは黒歴史ノートに書きためたアイデアを形にするだけ!と意気込んで『チャイムズクエスト』を起動。制作にとりかかりますが、どうしていいのかわからない。そもそも日本語入力モードってどうやって切り替えるんだ!?こいつバカなの?と思われるかもしれませんが、本当にそんなレベルでした
 初めてのドット絵制作に挑戦しますが、顔グラフィックの仕上がりはヘタクソ、しかもゲームをテストプレイすると、さっき描いた顔グラフィックが歩いていました……。それでも、自分の描いた絵がマップを歩き、必死で入力したメッセージが表示されたときの感動は、いまでも鮮明に覚えています。

 ただ、自分の思い通りにゲームを作れない絶望感によりモチベーションは削られ、創作意欲は減退ぎみ。奇しくもLOGiNの「未確認クリエイターズ」というコーナーでは、チャイムズクエストで作成されたユーザー作品の紹介が始まっていました。みなさん絵もうまく、話もすごくおもしろそう! このひとたちと何がちがうんだ……。それは、まさに才能あるひとたちへの尊敬と嫉妬の気持ちでした。のちに『コープスパーティー』を発表する祁答院慎さんの『サバトの女王』が載っていたりした当時を思えば、比較することすらおこがましいのですが。


伝説の季刊ムック『ログインソフコン』


 1993年ごろでしょうか。『チャイムズクエスト』で1作品を完成させましたが、不完全燃焼の感が強く、使用ツールを『RPGツクール Dante98』に変更しました。しばらくして、アスキーから季刊のCD付き(最初のころはフロッピーディスク)ムック『ログイン ソフコン』が発行されます。

 LOGiN誌上では、紹介されたユーザー作品はソフトベンダータケルで購入するしかなかったのですが、ソフコンでは、なんと雑誌のオマケとして収録されるということで、ハガキの代わりにゲームを投稿する感じで、多くのクリエイターが集まりました。ツクール作品が中心の盛り上がりでしたが、同じ趣味をもつ者同士が切磋琢磨できる場としては、これ以上の環境はなかったと思っています。
 当時は、ツクールの機能も基本的なものしかなく、ツクールをフル活用して新しいアイデアを実現することがひとつのトレンドになっていました。当時、有名だったのは、井上光さんの『ダークフォース』シリーズ。Dante98にはなかった顔グラフィック表示をおそらく初めて実現した作品です。
 ゲーム、特にRPGを作られるひとにはピンとくると思いますが、主人公の顔の有り、無しで、作品への没入感が格段に変わります。彼の『ダークフォース』はしっかり練られたストーリーと双璧をなすように、顔グラフィックを表示させたことが高く評価されたと言われています。続くように、RPGツクールでアクションゲームを作ったり、シミュレーションゲームを作ったり、3DダンジョンRPGを作ってしまったり、無茶するひと続出の時代が続きました。

 また、読者(投稿者)と編集部の距離が近かったことも、ソフコンを語る上では外せません。一番印象的だったのは、編集部のひとたちが、優秀な投稿者を接待するという企画です。
 編集部に呼んでもらい、焼肉をおごってもらって、しかもその様子が座談会として記事になる(このときは井上光さんや祁答院慎さんだったと思います)ばい、なにこのハンパない役得感!完全に有名人扱いだよ!と羨望のまなざしで記事を読んでいたのは、当時の僕だけではなかったと思います。

 ちなみに、あとから聞いたところでは「会社のお金でうまい肉食いたいから企画したんだよね」と、冗談だか本気だか、元読者として笑っていいのかすらわからない裏話があったようです。


目指せ賞金1,000万! に目がくらんだ漢たち


 ソフコンの刊行と重なるように、ツクール界では、後世に残る大イベントがありました。ひとつはスーパーファミコン版『RPGツクール SUPER DANTE』の発売と、「アスキーエンタテインメントソフトウェアコンテスト(以下:Aコン)」の開催です。

 初のコンシューマ機対応である『RPGツクール SUPER DANTE』は、初めて触ったツクールとして挙げられることも多く、実際に100万本以上売れたそうですので、このブログを読まれている方なら、いちどはその名前を聞いたことがあるかと思います。
 『RPGツクール SUPER DANTE』の発売と時期を合わせるように開催された超怪物級のイベントがAコンです。アマチュアクリエイター向けのゲームコンテスト(ツクール以外の作品も受け付けていました)としては、これまでに類をみない賞金額で、グランプリは、なんと1,000万円! 準グランプリでも500万円!と破格の大盤振る舞いに、全国のツクールユーザーたちが狂喜乱舞します。
 そのころの僕は、大学で演劇部かなんかやってて、一時的にゲーム制作から足が遠のいたような気がします。そして、結果発表の日、あのときの衝撃はいまでも忘れません。不参加でしたが、気にはなっていて「どうせグランプリ該当作品なしで逃げるんじゃないの」とひねくれ気味に見ていたのですが、なんとスーファミ版のRPGツクールで作られた作品が1,000万円とっちゃった。ほんの少しだけ、火がつきました。
 そして、一緒にその結果発表を見ていた友だちがつぶやきます。「いまのAコンのレベルなら勝てる」と。そして彼は第2回Aコンで100万円の賞をとるのでした。


負のエネルギーを爆発させろ


 当時、100万円をとった友だちの作品に少しだけ協力していたので、その分け前としてゲームソフト2本買ってもらうことになりました。そのとき僕が選んだのは『QUOVADIS 2~惑星強襲オヴァン・レイ~』と『RPGツクール95』でした。
 このときすでに負け犬のオーラに包まれていてゲームを作る気も失せていたのですが、山田章博先生のパッケージイラストに惹かれて選んでしまいました。この2本が、まさか僕の運命を左右することになるとは、このときは知る由もなかったのです……。

 OSはWindows95が登場し、ゲームを作りやすい環境が整い始めていました。演劇部にも飽きて時間も余っていたことから、当時ハマっていたマンガの『スプリガン』と魂の名作『真・女神転生』を足して2で割ったような現代を舞台にしたRPGを完成させました。当時は、まだインターネットも普及し始めたばかりで、テストプレイを頼むにも友だちの家にもっていくしかありません。デキとしては自己満足の塊みたいなものでしたが、とりあえず完成したので、第3回Aコンに応募することにしました。
 結果は、箸にも棒にもかからず。惨敗です。そして、そのときに送られてきた参加賞が、僕のなかの負のエネルギーを目覚めさせました。いまとなっては、とてもいい記念品なのですが、送られてきたのはキーホルダーがひとつ。それまでは、自分の作ったゲームを客観的に評価する基準がなく、意識もしていなかったのですが、キーホルダーを見た瞬間、自分の半年間の努力がキーホルダーひとつに置き換えられた感覚におそわれました。「いまに見ていろ、おれはそっち側にいくぜ」それは、そのとき僕の内に響いた魂の絶叫でした。


インターネットコンテストパークと僕


 ちょうど1998年あたりです。世間にインターネットが普及しはじめたころでした。『ログインソフコン』が惜しまれながらも廃刊となり、入れ替わるように『インターネットコンテストパーク』(のちのコンパク)がスタートしました。『ログインソフコン』にあった、投稿作品のページ『コンテストパーク』を、そのままインターネットに移したようなコンテンツです。
 当時、その存在は知っていましたが、インターネット接続環境をもっていなかったので見ることはできませんでした。たまたま友だちの家で見せてもらったときの衝撃は忘れていません。
 『ログインソフコン』は季刊でしたので、年に4回、3か月に1回の発行です。それに対して『インターネットコンテストパーク』は月に1回の更新、というネットならではのスピード感。すごく敷居が下がったように感じられました。

 そして、家に帰ってすぐにBiglobeに申し込み、インターネット開通。当時はダイアルアップ回線(電話回線)が主流だったので、通信速度は遅いし、家に電話がかかってくると接続が切れるというおそろしいネット環境でした。そのころの僕は、大学を卒業して無職の状態でした。本当は『うまい棒』で有名な『やおきん』さんに内定をいただいていたのですが、卒論を書いているときに吐血してぶっ倒れて(肺結核と診断されました)、泣く泣く辞退した次第です。
 郵便局や、レストラン、映画のエキストラなど、いろいろなアルバイトをしていました。特にエキストラのバイトは刺激的で、深夜の渋谷に呼び出され、バスに詰め込まれて千葉の海岸で死体役やったり、上半身裸で学ラン着るヤンキーを演じたり、しかも命がけでやったのに給料もらえなかったりとカオスな世界を垣間見ることができました。でも、そこには夢をもったひともいっぱいいて、非常に良い経験をさせてもらったと思っています。


Aコンへの再挑戦


 無職とはいえ、実家暮らしだったので、時間だけはそこそこありました。「ゲームコンテストで目立つためには、オリジナルのグラフィックだ!」と勝手に思い込み、アルバイト代でスキャナを購入しました。当然ですが、イラストはまともに描いたこともありません。しかし、『QUOVADIS 2~惑星強襲オヴァン・レイ~』や『FRONT MISSION』の影響を受けまくった僕の中では、SFロボットRPGを作ろうという強い気持ちがありました。とりあえずメカを描く練習と、人間のキャラクターを描く練習から始めました。
 ストーリーや設定は、すでに黒歴史ノートに満載。問題ありませんでした。CGはドット絵をかじったくらいなので、本屋に行ってCGの描き方の本を買ってきて独学です。ゲームを作りたい気持ちを原動力に、何にでも挑戦する時期が続きました。

 毎月更新される『インターネットコンテストパーク』を励みにしながら、約9か月が過ぎ『KNight-Blade -The Survivor of Hell Hound-』という作品が完成します。この作品は『インターネットコンテストパーク』史上、初の金賞作品となりました。当時は連絡手段がメールではなく電話が主流で、編集部から直接電話がかかってきます。受賞を聞いたときには、頭の中が真っ白になるくらい喜んだ……と思います(真っ白になったのでよく覚えていません)。
 プレイヤーのみなさんからの感想がほしかったので、作品にメールアドレスを書いたテキストを入れたり、あわててホームページを作って掲示板を開設したりしました。たくさんの感想をもらうことができて、ネットの友だちも一気に増えました。同じツクールをやっているひとたちとも知り合うことができました。

 しかしながら、ちょうどそのころ、第4回Aコンの締切は残り1か月まで迫っていたのでした。自分の作風は、奇をてらわないオーソドックスなRPGでしたのでクセ者ぞろいのAコンで戦い抜くためにはインパクトが弱い。そこで「残り1か月でAコンに出すゲームを作る!」と、またもや勝手に思い込み、そして実行しました。
 そして完成したのが『Bite a Cat!』という忍者の大学生が活躍する現代物のRPG風アドベンチャーです。ちなみにタイトルの由来は、ゆでたまご先生と並んで僕が尊敬する漫画家・荒木飛呂彦先生のジョジョ第4部「バイツァダスト(負けて死ね)」からです。好きなクイーンは、シアーハートアタックです。


Aコン受賞とサンプルゲーム制作と無職からの脱出


 Aコンは、毎回3,000を超える作品が応募されるため、審査期間も半年ほどかかりました。その間、やきもきしながら待っているわけですが、ある日のこと、編集部から電話がありました。「いま開発中のRPGツクール(のちにRPGツクール2000と呼ばれます)があるんだけど、収録するサンプルゲーム作らない?」というお誘いでした。創作意欲がみなぎっていたので、即答でお受けすることにしました。
 ここでサンプルゲームについて、補足しておきますと、ツクールシリーズではWindows版あたりから、製品CDに、実際にそのツクールで作られたゲームがお手本(サンプル)として収録されていました。ちなみに『RPGツクール95』では、祁答院慎さんの『猫の森のトラ吉』のほか、編集部のみなさんが作られたゲームが10本近く入っていました。このとき電話をくださったのが、魂の師匠であるO貫さんでした。そして、頼まれてもいないのに企画書を書いたことを覚えています。

 見てもらう段階で「編集部に遊びにきなよ」と言われたので、興奮しながら、当時三軒茶屋にあったアスキーに向かいました。そこには、休日にも関わらず、矢野大将(RPGツクールマスター)もいらっしゃったと思います。現場の空気に触れられて、モチベーションも高まりました。
 それから何度か遊びに行くことがあり、同じくサンプルゲームを依頼された八百谷真さん(『囚人へのペル・エム・フル』の作者)とも友だちになりました。彼の担当したサンプルゲーム『III』は、開発途中のものを見せてもらったときからインパクトがあって、作り手目線で悔しい思いをした記憶があります。ちなみに僕が作ったサンプルゲームは『Abyss-Diver #0』というサイバーパンクなRPGでした。

 ちょうどサンプルゲームが完成したころ、Aコンの結果が出ました。渾身の『Bite a Cat!』は賞金20万円の佳作でした。このときの賞金1,000万円は、同じく『RPGツクール95』作品の『パレット』。作者は西田好孝さんです。遠く及びませんでしたが、自分の中では全力を出し切った感はありました。
 Aコン受賞も嬉しかったのですが、『Bite a Cat!』を作ったことで、もうひとつの大きな経験がありました。それは、僕のゲームをきっかけに、友だちを作るのが苦手だったひとりの女の子に、たくさんの友だちができたことです。この経験は、生涯において最高の誇りであり、モチベーションの源でもあります。プライスレスな価値を、初めて自分の中に見出すことができたのです。当面の目標は達成できたので、ひとまずハローワークに行って、職業訓練の学校に通わせてもらおうと思っていました。

 すると、O貫さんから「ツクールの仕事、手伝わない?」とお声がけいただいたのです。時は2000年3月。ちょうどアスキーがエンターブレインに変わる10日前のことでした。

後編に続く)

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