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小池壮彦 怪奇探偵ブロマガ vol.32
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小池壮彦 怪奇探偵ブロマガ vol.32

2013-11-30 20:59
     占領期にGHQがおこなった検閲・監視というのは、新聞や放送などの公的なものだけを対象にしたのではなく、一般の手紙・電話・電信などもすべてチェックするというものだった。その作業は日本人を雇って進めたわけで、いわば同胞を売るという作業をあえてやらせたわけである。この作業に手を染めた多くの人たちは、過去を隠して戦後を生きた。したがって検閲の実態はほとんど闇に葬られたままだったが、今年の5月になって、占領期に検閲をやらされた日本人の名簿が発見された。そして、そのなかのひとりにインタビューした番組が、去る11月5日のNHK『クローズアップ現代』で放映された。

     占領下に日本で流通した手紙は、すべてこの人たちによって読まれていた。そして文面のなかに米軍から見て不穏な単語が使われていた場合は、その手紙の差出人を呼び出して事情聴取したのである。検閲作業に当たった人たちは、後に各界で出世したケースも多いため、いまさら過去を打ち明けるつもりのある人はほとんどいない。しかし、名簿が出てきたのでNHKが調べ、やむを得ず敵国に協力した苦悩を告白する人も現れた。また、すでに亡くなった人でも検閲作業の内情をひそかに記録し、実態を後世に伝えるために資料を遺族に預けていたという人もいた。それをテレビが取材したのである。

     占領期に検閲や監視をおこなったのは、GHQ傘下のCIS(民間謀報局)という機関である。NHKの番組で取り上げられたのは、CISの下部機関であるCCD(民間検閲隊)という秘密組織の事例であった。CISの傘下には、CCDのほかにも、警察・消防などを監視したPSD(公安部)や、占領政策上の保安情報を探るCIC(防諜隊)などがあった。そして日本の文化・教育・宗教という内面的な影響の強い分野の情報統制をおこなったのは、CISと並んで占領軍幕僚部に置かれていたCIE(民間情報教育局)という組織である。

     CIEには、日本を代表するような学者たちが勤務していた。江上波夫と並んで戦前から日本民族研究をおこなっていた岡正雄は、敗戦から3年目の1948年にCIEから出頭命令を受けている。そのときのことは、岡自らが『日本民族の起源』のあとがきに書いている。当時のCIEには、民俗学の関敬吾や、民族学の石田英一郎などがいた。彼らが岡正雄のことをCIE所属の米国人類学者に伝え、岡の業績は占領政策に組み込まれることになった。

     岡正雄はウィーン遊学中の1933年に"Kulturschichten in Alt-Japan"というドイツ語の学位論文を書いている。これは全6巻・1452ページに及ぶ大著であって、岡の代表的著作である。この原稿はウィーンの日本総領事館に保管されていたが、ナチスドイツに占領されたときに爆撃で焼失した。しかし、ナチスが敗れて連合国が占領したとき、米軍がウィーン大学にあった書籍等を押収し、そのなかに岡論文のコピーが残されていた。米軍はこれを確保し、わざわざ著者本人の手元に戻したのである。

     この経緯からすると、米軍は早い時期から岡正雄のことを知っており、彼の手になる貴重な論文が存在するという情報を得ていたように思われる。日本占領時にCIEが岡に接触したのは、直接的にはこの論文を返すという名目だったが、岡自身にとっては寝耳に水の話だったようである。当時のことを岡は次のように回想している。

    米軍の意図がなんであったかは知らないが、
    その好意に対し、私は素直に感謝した。

     しかし、CIE所属の米国人類学者は、当然論文の中身を読んでいた。おそらく岡正雄の実績に驚愕し、日本の文化政策上の重要人物として身柄を確保したということだろう。

     米軍が入手した岡正雄の論文は、邦題を『古日本の文化層』という。しかし、いまだに日本語には翻訳されていない。それどころか、長らくドイツ語原文での出版すらされなかった。その理由は明らかにされていないが、憶測はいろいろあって、日本の隠された実態と天皇の正体を浮き彫りにしたものであるために翻訳されないという話もあった。せめて海外で刊行物になっていれば入手もできるが、それすらなされていなかったのである。しかし、2012年に岡正雄の没後30年を記念して、ようやく原文がドイツで出版された。つい去年のことなのだ。

     ドイツ語原文の刊行がなされたことで、ようやく日本語版の刊行も近づいたのかもしれないが、なぜこの論文がこれまで翻訳されなかったのかという疑問とともに、岡正雄という稀代の学者がなぜマイナーな扱いを受けてきたのかという疑問がある。というのも、実は江上波夫の騎馬民族説というのは、岡正雄の研究がベースになっていたのである。だから戦後に評判になった対論『日本民族の起源』も、コンセプトとしては岡正雄の説を中心に展開されていた。江上の説はそのなかの一部にすぎないのである。

     いってみれば、騎馬民族説というのは、あえて江上波夫が前面に出ることによって世間をにぎわせたものである。岡正雄の存在はその陰にあって、なにやらタブーのにおいがあった。岡正雄の学説の骨子自体は、1979年刊行の『異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成』(言叢社)という論文集で知ることができる。そのなかに『古日本の文化層』の目次だけが翻訳・収録されている。目次だけで13ページに及んでいるが、その内容は「序」にはじまり、「Ⅰ 資料」、「Ⅱ 研究史」、「Ⅲ 物質文化」、「Ⅳ 精神文化」、「Ⅴ 終章」の全5部である。そして、そのなかに詳細な章と項目が並んでいる。

     たとえば、「Ⅱ 研究史」のなかには、「1.人類学的研究」、「2.先史学的・考古学的研究」、「3.民族学的研究」、「4.民俗学的研究」という4つの章がある。参考までに「3.民族学的研究」のなかの項目だけ列挙してみると、以下のようになる。

    a.出雲族、b.天孫族、c.蝦夷族(エミシ)、d.熊襲族、e.隼人族、f.倭人、g.土蜘蛛、h.海人族、i.山族、j.隔離居住民(奴隷・非自由民・賤民)、i.隷属民 ii.穢多 iii.海部 iv.夙の者、k.非定住民、i.山窩、ii.車(しゃー)、l.中国人、朝鮮人
     
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    最終更新日:2024-04-07 16:09
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