「かにぱん。」の自己紹介してみた。 その1
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「かにぱん。」の自己紹介してみた。 その1

2013-02-03 03:36
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〈第0章 はじめに〉

(V)・∀・(V)かにぱん。です。こんぱんわ。
ブロマガには1記事あたり10万文字くらい投稿できるということがわかりました。
そこで、今日は早速文字数上限に挑戦!
と思ったのですが、「今日は」って言って今日終わるものではなさそう。
10万文字書くのには、3日くらいかかると思うので…。
しかも自己紹介で10万文字本当に書けるのかはわかりません。
でも、10万文字に満たないとしても、今回の記事は長いとは思います。
自己紹介というか、これまでの「歴史」を書いてみようと思います。
もし、万が一執筆していった結果として10万文字をオーバーした際には、
……続きを「その2」として切り分けないといけないのか…。

さて、現在ニコニコ内においては、私はこちらのコミュニティを拠点として活動しているということが言えます。


動画をアップする際にはこのコミュに紐付けしますし、個人的に生放送したいときにはここを使います。

それで、思えばニコニコミュニティだとか、ユーザー生放送というものですら、ニコニコ内においては、
サイト設立からしばらく経ってから出来たものであって、もっと言えば最初は「アカウント」の概念すらなかったんですよね。
そして今、ブロマガという、これまた新しい機能が追加されたわけですから、今このブロマガを
お読みいただいている方の中には、(V)・∀・(V)かにぱん。とはなんぞや?という方だって
大勢いらっしゃるのではないかと思うのです。
それはコミュニティを見てもわからないことだと思います。
31歳の女性 ということがわかる程度ではないでしょうか。


そこで、10万文字を目指しがてら(目指すな)、本格的に自己紹介をしてみるのも面白いのではないかと。
それも、私と言う「中の人」ではなくて、かにぱん。という外の人というか、(V)・∀・(V)が出来上がって
今に至るまでの歴史というか、そういうのを振り返っていれば、おのずと10万文字に達するのではないか
と、そういう試み(?)です。
この歴史をそれぞれの時期に区切って章立てして書いていくので、普通メルマガなら
最低でもその章ごとに記事を分けて配信するものなのでしょうが、今回は文字数限界の件もあることですし、
あえて全章をこのページに記載してみることにします。


注意事項としては、
記事のリンク先に「かにぱんから」とか「ブロマガから」とか書かないようにお願いします!

〈第1章 ネトラジ期 Ⅰ(2004年)〉

インターネットに初めて触れたのは1999年でしたが、自分のパソコンというのは2000年になってようやく導入しました。
しかもそれはPCや機材に詳しい友人が、必要最低限のパーツ(ジャンク)をくっつけて作った自作モノでした。
ジャンク同士をくっつけたら動いたというだけのものだから、無料提供だぜ!って感じでした。
それで、その当時は、まずイラストサイトを作ってみたいと思っていたので、今のように、歌を録音するとか
それを動画にしてアップロードするとかそういうことは考えたこともなかったですし、周囲でやっている人もいませんでした。
テキストサイトの時代だったので、侍魂が盛り上がっていたとか2ch系掲示板黎明期であったりとかそういう時代です。
3D空間にアバターで入ってチャットするというサービスも既に出てはいたのですが、
回線速度が追いついていませんでしたね。
この頃はまだ「かにぱん。」ではないHNを使っていましたし、大幅に端折ります。
結論から言いますと私が「(V)・∀・(V)」になったのは、2004年なのです。
しかも正確には、その当時私はまだ「かにぱん」でした。つまりはじめは読み仮名に「。」がなかったのです。

自分の大学の学生専用の2ch系掲示板「つくちゃん」というのがあって(筑波大学・筑波学術研究ちゃんねるだっけか?)
途中で運営がいなくなったりして、空中分解したため今はもう残骸のようなものしかなくなってしまったんですけれども…
そこと、2ちゃんねるにも筑波大生が集まるスレがあって、そういうところを覗いてローカルな話題を楽しんでいました。
名無しで。

それで、ちょうどその頃に、ShoutCastというwinamp用プラグインを使うことで、自宅からネットラジオを配信できる
ということがなんとなくわかってきたのです。
確か、「暇な大学生がネットラジオしようぜ!」みたいなスレがあってそこを覗いてみたのがキッカケでした。
ラジオには昔から興味があって、いや、生まれる前から家では常にラジオがついていたので、
生活の一部だったといった方が正しいですな。
それで中学生の頃にはテープレコーダーにマイクを繋いでダビング機能とかを駆使して
ラジオ番組風のカセットテープなどを作ったり、生放送の電話リクエスト番組に電話をかけて出演することになったりして
遊んでいたので、PCがあれば家からラジオできるんだなあと、とても興味が湧いたわけです。


当時まだマイクは持っていなかったのですが、そのスレなどを読んだり、質問したりしてみると、
イヤホンのような「聞くため」のツールでも、端子をマイク用の穴に挿せば、左右どちらかのイヤホンが
マイクとして機能するということが判明!w
早速試してみました。
最初はどうやってマイクテストをしたのかわからないのですが、放送方法とかを勉強しつつ
「マイクテストの放送」をしたような気がします。
確か、ヘッドフォンの右側に向かって喋っていました。
マイクじゃないものをマイクとして使っているわけですから、まずゲインが低すぎて、聞く側が音量MAXにして
ようやくノイズ交じりに声がかすかに聞こえてくるという状態でした。
それが、2004年の夏の終わりだったと思います。

最初の数回は、そのままヘッドホンに向かって話していました。
それで、筑波大のリスナーさんたちと、大学近くで肉じゃがを食べるオフというのを開催したのですよ。
多分だけど、「得意料理はありますか?」みたいなメールに対して「自分の作った肉じゃがが好き!」という話をして
じゃあ今度皆にその肉じゃが振舞う!ってなったんじゃなかったかな。
私が肉じゃがを作って、鍋ごと公園に持っていって、リスナーさんたちが各自自分用の茶碗や米を持って集まるというw
そこで、リスナーさんの一人が、ヘッドセット型のマイクを下さったんです。
いつまでもヘッドフォンに向かって喋ってるわけにもいかないだろうってことでw
今販売されているヘッドセット型マイクは大抵ヘッドフォンを兼ねていると思うのですが、
そのマイクは、マイクのみのものでした。
でも、これでもやっぱりヘッドフォンをマイク端子に挿すより断然音質が良くなって好評でしたw

その頃は、毎晩のようにねとらじを放送していました。楽しかったです。
DJとして、名前(コテハン)があった方が良いということになり、その当時主食にしていた
「かにぱん」をHNにしました。
それに加えて、やはり番組はメールを募集してそれを読んでいく形にしたいと思い、メールアドレスを取得しました。
しかしkanipanというIDはすでに使われているので何か数字などをつけなければいけないわけで
覚えやすくてIDとして取得できる数字を探して「666」をつけました。
これは黙示録にある獣の数字なので、番組タイトルも「かにぱん黙示録」という名前でやっていくことにして、
それまでやっていた自分用のCGIのレンタル日記はバックアップ後閉鎖し、DJかにぱんのブログを立ち上げました。

2004年11月18日
Apocalypse -かにぱん黙示log- かにぱんブログだから略して蟹風呂?


この頃には、リスナーさんから (V)・∀・(V) というAAも頂いて、(V)・∀・(V)と書いて「かにぱん」と読む
という段階に達していました。
ブログは設立した日からずっとこのタイトル・副題です。
管理人紹介の部分も「ネトラジDJ・かにぱん。と申します。以後、お聞き知り置きを…」のまま現在に至ります。

さらに、ブログ設立より前の段階で、放送用のチャットルームというのを作ってあって(今はもうないけど)
それが今のニコ生における「コメント欄」のような役割を果たしていました。
なぜかというと、ラジオリスナーがラジオへ向けてのカキコミでスレッドを埋めてしまうと
ラジオを聴いていないスレ住民にとっては邪魔でしかないからです。
そこで、番組開始の合図だけスレに貼って、続きはチャットルームでコメントしてもらうとかそういう形にしました。
放送が終わったあとも、話が盛り上がっているとそのまま私もチャットルームに残ってチャットをしたりしました。
このときに、チャットルームに「入室」するか、入らずにROMる「閲覧のみ」を選べるのですが、
そのROMの人数が「閲覧者(2)」というような形で表示される設定のチャットルームだったので、
閲覧者のことは「えっつ~」と呼ぶ、というようなローカルルールが生まれましたw
ラジオ中、入室している人は名前が出るので名前を呼べますが、閲覧者に対しては「えっつ~お疲れー!」
という風に声をかけるというw

そんな私の最古のネトラジ音源は2004/10/30に放送したものです。
まず、この放送自体がブログ設立より前なんですよね。
これは筑波スレで行ったものだったと思います。
同じ学年のウボァ~というAAコテハンがいてその人をゲストに呼ぶというものでした。
これがウボァ~


uvoaa

しかもスカイプは当時まだなかったので、ピンプラグを2本挿せるケーブルを使ってマイクを2本、PCに接続して
うちから配信するという、まさにラジオスタジオ的な放送でしたw
ウボァ~は人気コテハンで、一体どんな声の人なんだ!!っていうのは多くのスレ住民の興味あるところだったみたいです。
ウボァ~が出るネットラジオというのも、これが最初で最後でしたね。

こういうラジオだとか、リスナーとオフ会をするとか、コテハンが増えるみたいなのは
「馴れ合い」といって、2ちゃん全域であまり好まれる風潮ではないので、距離感は難しかったですね。
確かに過度の「馴れ合い」はローカルルールとして“非推奨”としているところがあるのですが、
それは、結果的にコミュニティが崩壊するから薦めていないのであって、節度を保てば楽しいことは出来るとは思うんです。
だから頭ごなしに馴れ合い全面的にダメだろ、とは思わないのですが、馴れ合いとなると
それだけで毛嫌いする人もいるのは事実ですし、実際興味のない人に迷惑をかけるのは不本意なので、
聞きたいと思ってくれる人にはつくちゃんのかにぱんスレのほうに来てもらったりなんだり、
住み分けの必要も出てきたりしましたね。
やっぱり「嫌なら聞くな」とか主張して、色々な人が使う場所を私物化するわけにはいかないので。

その結果、ラジオをやるときにはネトラジ用スレを使うようになったりして、
今度は他の大学の学生との交流が広がるキッカケになりました。
そこには、筑波大生ではない聴きたい人と放送したい人が入り乱れていたので
ローカルな話題は話すのに工夫が要りましたが、楽しかったです。

ここで知り合った「うるる。」というコテハンも当時ネトラジをやったりしてて、2012年12月に大分のオタクイベントに
出演させていただくキッカケになった人なので、人との出会いはどこに繋がっていくかわからないねということを
今になって、お互いしみじみと話したりしますw
うるる。とは、その2004~2005年のネトラジ時代には一回もオフラインで会ったことがないままでした。
私もそのあと大学卒業と共に、筑波スレ含む大学関連の板やスレには全く行かなくなったので
そのままうるる。とは「マイミクだけど交流がない人」って感じになって6年経過ですからね。
まさか今になってオフラインで会う機会が出てくるとは思っていなかったんですよ。何しろ年も離れてますしね。

そこで「大学生カラオケ紅白歌合戦ネトラジ」というのを2回ほどやりました。
スカイプ通話での生歌、ないしは録音音源で参加できるという企画です。
スカイプというツールも2005年9月~10月にかけて急速に我々の間に普及しました。
当時はまだ英語版しかなかったのですが「無料で電話できるらしいぞ! すげえ!」ってなって盛り上がりましたねw
ラジオスレ内でも、スカイプを使ってゲストを呼んで放送する人も出てきたり。
うちは当初環境的に「ステレオミックス」がないサウンドボードだったので自分の放送にゲストは呼べなかったんですが。
そのためにサウンドボードを買い足したりもしましたよw

この紅白のラジオも前述の通りShoucastで配信する形だったのですが、このツールは、
自分のPCの中に架空のラジオサーバーを立て、ポートを開いてP2P経由で音声を配信するというもののようでした。多分…。
とにかく、自分のPCと回線が「糸電話化」するわけで、その糸の本数というのはスペックと上り回線の速度で決まるわけです。
なので、当時のうちの回線だと20人リスナー来たらパンクでした。
ですから、ラジオスレのDJが連携して、ミラー放送A、B、ミラーのミラー…という風にして、とにかく多くのリスナーが
聞けるように皆で協力しあったり、放送事故も頻繁に起きましたが、なんとか皆で楽しむために
一丸となっていた記憶があります。
ここまで人が集まって一つのネトラジを聞くっていうのは本当に珍しくて、お祭り状態で、
番組に出てくれた中でも特に歌の上手かったコテハンのときには、スレに「うめえええwww」みたいなコメが
瞬時に100件ついたりして、その速度もちょっと考えられないものだったのです。
こういう時代を通ってきていると、今のニコ生というのは「時代が進んだんだなあ」としみじみ感じますよ。

大学を卒業したらそこはもう居場所ではないと先にわかっていたので、3回目からは引継ぎに徹して去りました。
ネトラジという時代ではなくなった今、どうなっているのかわかりませんが……。

毎週金曜の夜8時を定期「かにぱん黙示録」の時間にしていたのですが、その頃私は大学では、
バンドサークルに所属していました。

入学からは合唱サークルに所属していたのですが、そこは3年で引退になるサークルで、
休学して、復学してからのバンドサークル所属だったので、サークルの執行部とかのメンバーも皆年下という状態ですが、
私は同じ“新入り”として、1~2年生と交流することが多かったです。
新入生歓迎か何かの飲み会で隣に座っていた1年生の男子が、筑波スレの隠れ住民だということが判明して
私がかにぱんであることをカミングアウトして打ち解けました。
彼は学年こそ1年生だったものの、浪人して入学したので歳は他の1年生より私に近かったというのもあるし
当時私は島谷ひとみさんにハマっていて、彼もめちゃくちゃ島谷ファンだったというのもありますね。
お互い恋愛感情とかではなかったので、ちょっと年が離れているけれど話が合う友人という感じでした。
人間関係がギスギスしてるときなんかに、もう晩御飯でも行こうぜ!って言って相談したり話したりする感じの。

その子の研究室の関係で、つくば市にラジオ局を作りたいと考えてる助教授(当時)がいるから引き合わせてくれることになり
仲介の仲介をしてもらって、その助教授が作ったラジオサークルの方にも顔を出してみたりしました。
結果的には、私が在学している間に具体的にそのラジオサークルで大きな動きがあったりということはなく
ラジオ局設立までには至らなかったのですが、卒業後、「ラヂオつくば」が出来たときには、
その先生の協力もやはりあったそうです。
ラヂオつくばについては、また別の章に書きます。


〈第2章 ネトラジ期 Ⅱ(2005年)〉

2005年6月18日、2ちゃんねる6周年記念24時間以上ネトラジというのがありました。

大学生活板のネトラジのスレに、その告知が貼られていて、どうやら色々な板からネトラジDJが集まって、
ニュース実況+(じっぷら)板に集ってバトン形式で配信していき、ひとつの番組を作ろうという企画のようでした。
面白そうだったので、じっぷら板の該当スレに行ってみたら、まだDJは募集中で、
すぐさま「出ろ」と捕獲されたので出てみることにしました。

その企画は、「トナメ実況」をしていた各板のDJが、
トナメ実況だけでなく、新たな一つの番組を、集まったDJ達で作ってみたいと立ち上げたもののようでした。
「トナメ」とは2chの「全板対抗人気トーナメント」という企画で、ネトラジの普及がキッカケで
ラジオ実況をつける風習ができつつあり、「2chトナメ実況DJ」みたいな界隈がN実+板に出来てたんですね。

私はトナメには実況としてもそれ以外としても参加したことがなく、この24時間以上ネトラジは
トナメ実況DJでなくても参加していいということだったので、恐る恐る混ぜてもらった感じです。
(後にChaotic Freedomでトナメ実況をしてYoutube板を支援することになったりもしました)

DJの人数が決まったらその放送を行うことになっている24時間の中にタイムテーブルを作って
一人当たり基本1時間を担当して放送を行うのですが、放送用URLは全員統一するという形です。
そのため、ひとつの放送URLで24時間以上ひっきりなしに番組が放送され続けることが出来れば
目標達成!というような感じの趣旨ですね。
放送日前にDJが24人以上ということが確定したので放送時間も24時間「以上」となり
これもすごいお祭りでした。

よくよく考えてみれば、2ちゃんねるって実況に使っていい板と、そうでない板があって、
放送の実況のためには例えばこの「ニュース実況+板」のようなところを使うのがルールに則った
正しい使い方だったんだなと、このときにようやくわかりましたw 遅かったww

何はともあれ、この企画の代表とも言えるDJ影瑠さんをはじめとする、2chネトラジDJの方々と知り合いました。
オカルト板からのDJということで名乗り出ていた朧月ともここで知り合ったのです。
だから朧月とは、今年6月がきたら8年間の付き合いになります。

24時間以上ネトラジでは、20時からだったか、なんかとにかくゴールデンタイムに枠をもらってしまい
私にしては緊張した覚えがあります。
影瑠さんの管理している掲示板に、専用スレを立てさせてもらって放送用の質問を募集し、
1時間それにずばずば答えていくという放送をしました。
もし万が一それに全部答え終わったとしても、実況スレにリアルタイムのコメントが書き込まれていくわけなので
絶対にコメントに追いつくことはなかったですw
この放送も手元にデータで持っていますが、最近聞き直したら、ものすごいマシンガントークしてて自分で笑いましたw

過去に大学生活板のテーマ曲を作ったけたーろさんと私とで、オリジナル曲「flow」というのを作って、
生歌で初公開しました。この放送のために作った曲でした。
大学生活板のテーマ曲もネトラジで使っていたマイクで無理やり宅録をして、歌を担当したりしましたからね。
懐かしいです。
けたーろさんは、「ぼっちな大学生がバンドを組むスレ」でバンドを組んでおられて、私は卒業後に
そこに参加させていただくことになりました。
それが「東京woタパラダイスオーケストラ」でした。
更に、その後けたーろさんには、後述のいさぱん。の同人サークル第一弾「甲殻勇者かにぱーにゅ」のOPテーマも
作ってもらったりしました。

初期ネトラジ期はこのような感じでした。


〈第3章 カラオケ板期 Ⅰ(2006年)〉

私は中学時代から趣味が「カラオケ」だったのですが、高校くらいからデモテープを作るということを始めてみました。
といっても、自宅でCDのカラオケトラックに合わせて歌ってるのを空間録音するとか、
カラオケBOXに行って空間録音する、とか、そんな程度なので、それがデモテープと言えるか怪しいですw
バンドやってる友人はちゃんとMTRを使ってましたからね…。
やっぱり公開オーディションのようなものに応募するにはそのくらいしないとダメなのかなあと思ったりもしましたが
単純に「録音をして自分の歌を聞きなおす」というのが好きになっていきました。
オーディションにも応募をしたことは一応あります。
勿論箸にも棒にもかからなかったよ!ww 
そもそも公開オーディションというのは名ばかりで、始めからデビューする人が決まっている
「デキレース」というやつも少なくないのかもしれないけれど、それを抜きにしたって私には
デビューできるルックスも実力もなかっただけだと思っています!

そういうデモテープ用の録音では、カセットを使っているということもあり1曲全部通して録るのが当たり前だったので、
全部のテイクが全部違ってて、完璧なものは一つも録れなくて
同じ曲を何十回も録るのだけど、必ずどこかでミスや納得行かない部分が出てくるわけです。
まず編集が利くメディアじゃないことは仕方ない、しかし! 
編集しなくても聞けるようなテイクを録らなきゃ始まらない!と思ってとにかく回数を重ねていました。

録って聞く、というのは大学に入った頃にはライフワークになっていました。
カラオケボックスの昼のフリータイムがかなり安いので、授業が少ない日など(主に水曜日)にはヒトカラ4時間やって
土日にも両方一人でフリータイムで4時間行くので、週に2~3回行ってて、2ヶ月で合計25回行ったこともあり
お店の人に完全に顔覚えられていました。
いつもテープレコーダーを持っていって空間録りして、帰ったら聞いて反省会するっていう。
時々機械の後ろ側に回りこめるお店に行ってライン録りをしてみることもありました。

そういうことをやっていく中で、2005年には大学生カラオケ紅白歌合戦をやって、
自分でも録音音源で参加したりしたわけですけど2ちゃんねるのカラオケ板というところでは、
恒常的にカラオケの空間・ライン録音音源うpなどが行われていることがわかって、
そこに自分の歌を公開してみたくなったので、まずは、カセットに録った空間録音を
PCに取り込む方法を調べてアップしてみました。

それで、空間録音はどうしてもそうするしか方法がわからない人用で、可能であればその上のライン録音をするほうがいいし
もっと言えば宅録をした方が音質が良くなるということがわかりました。
聴く人が「もっとこの人の歌を聴きたいけれど音質が残念だな」って思って音質向上を薦めて来るので
こちらもそれに応えたくなるわけです。
そういうニーズがあるなら応えたいし、実際に宅録で編集したCDのような音質の音源とかが
チラホラ上がっているのを聴くわけで、そうすると、「自分の音源もこういった形に仕上げたらどうなるんだろう」と、
自分自身が一番興味が湧いて来て。

それで宅録やミックスの練習を始めました。
最初は、当時すごく流行していた「VIP STAR」を録りましたw(2005/11/29)
影瑠板民で合唱しようみたいな流れがあったので。

VIP STARとは。


これを歌っているkobaryuさんとも、当時ネットラジオをご一緒させていただいたりしました。
kobaryuさんは元々、カラオケ板の平井堅スレで似てて上手いことで有名だったので、
VIPという他板と、替え歌を通して異文化交流?をするような形になっていたのを覚えています。
24時間以上ネトラジに参加していたDJはVIPPERが多く、私はたまたまカラオケ板に
行き始めた頃だったので、なんだかすごく個人的にタイムリーに感じたりしていました。
でもね…kobaryuさんと知り合ったの、2005年暮れだけど、2009年2月まで、
私のこと男の子だと思ってたんですってーーー!!!!!
ドバグエの実況と、MouRaのインタビューを読んで、写真見て「女性だったのか…」ってなったそうです。


私自身は、2005年からじわじわと、主にアニソンスレにアニソンをうpったり、
時々サンホラスレにもうpしていったりしたのですがサンホラスレの過疎具合はすごくて、
音源をアップしても誰も聞いてくれないうちに、ロダからデータが消失する勢いでした。
アニソンスレと、ささきいさおスレではいさじが既に有名でした。
音源をアップするとき、レスの名前欄には名前をいれずに、音源データのmp3タグをいじっておき
アーティストの項目にコテハンなどを入れるというのが、暗黙の了解だったように思います。
その方がスレが荒れにくいから、極力そうするのがマナーというか。
勿論データのタグをいじるのも任意ですが、もし名前をそこに入れなくても、声とかで覚え、覚えられという側面があるので、
本当に特徴のある人は、「○○の人」というように半コテハンのようにして呼ばれるようになるあたりは
ニコニコとも近いところだと思います。
当人が名乗らないと、勝手に名前がついていきますよねw

その頃電波ソングブームがあって、いさじはKOTOKOさんの曲をリクエストに応える形でうpったりしていました。
(そして「OTOKO」とか言われる)
私は何をうpっても「クリリンっぽい」とか言われていました。
しかもそういうカキコミを、いさじが頻繁に行っていたことを、あとになって本人から聞かされました…!!
まぁ、最初に「田中真弓っぽくね?」って言い出した人は別の名無しさんらしいんですが、
そのカキコミを見たいさじがすごく納得して、以後、私がうpするたびに
「クリリン?」とか「パズー?」とか「きり丸」とか書いていたらしいです……!!
あのノンケ野郎……!!!
ちなみに私は田中真弓さんが歌ってらっしゃるキャラソンなどは、その頃ひとつもうpしたことは
なかったんですよ!!w
勿論田中真弓さんは大好きな声優さんであったことは当時から変わりませんが、
歌はそんなに存じ上げなかったですし、ましてやそれを歌ってみようとか、歌ったら似るのではとか
思ったことはなかったです!!!
だって、MADLAXの「瞳の欠片」とか、島谷ひとみの「ANGELUS(犬夜叉)」とか歌ってるのに
「田中真弓?」って言われるんだぞ!! それがそもそもおかしいだろ!!ww なんでだよ!!!!

その頃から、とにかくうp速度が速すぎることで知られるようになりました。
でも同じスレに毎日のように私が登場すると鬱陶しいので、日によってアーティストやジャンルを分けて
うp先を変えてはいたんです。(それでも尚アニソンスレだけ見てても異常な頻度だったとは思う)
それまで毎晩のようにネトラジやっていた時間を減らして、歌の録音にウェイトを置いただけなんですが…。
カラオケボックスにテープレコーダーを持っていかなくても、家で歌って録音して反省会が
出来るのですから手軽に決まっています!w

そうして徐々に歌の宅録とミックスの回数を重ねていきました。


私は2006年3月に大学を卒業したので、そこからカラオケ板のほうで歌をうpったり聴いたりで遊んだりして、
影瑠板ではネトラジをするという活動をしていたのですが、宅録で歌のミックスをする以外に
影瑠板でボイスドラマに参加したり、作ったりもしました。
出来る人が出来ることを分業してひとつのものを作る、つまりコラボでした。
ウェブを通じて、顔も知らない人たちとボイスドラマを作るってすごいなぁと思っていました。
私は声で参加したり、脚本を書いたこともありましたが、無言で失踪する人とかもウェブでは出てくるので
企画が頓挫する場合もあるということが徐々に理解出来てきました。
私は、無言失踪だけはしないようにしよう、と思いました。
あの人どうしてるかな、って探したら見つけられる状態にはありたいです。
例えばブログはずーっと同じところにあるので、遊んでいる場所が変わっても、
「家の住所」は変わってないみたいなことだと思うのです。

2006年10月28日には、「秋フェス」と称してバンドのライブをやりました。
私にとっては初めてのwoタパラライブでしたが、バンドにとっては2回目かな。
うちはボーカルが女性二人という構成だったので、このライブの後も、よく対になるコスプレでステージに立っていましたが
このときは神無月の巫女のコスをしました。
今もその巫女服持ってる…。用途ないけどw
この頃はハルヒブームでしたね。
当時まだニコニコがなかったのですが、バンドメンバーの一人がハルヒのEDを実写再現して
Youtubeにうpったりしていました。(この中に私はいません)

2006/05/07うpかーwww 時代を感じざるを得ない。「踊ってみたオフ」のさきがけってレベルですねこれ。

こういうアニソンバンドでのボーカルをしていた経緯もあって、この頃はアニソンばかり
聴いたり歌ったりだったように思います。
特に、バンドメンバーが結構コアな曲を選曲してくるので、知らない曲をバンドのために覚えるというのが多く
その練習も兼ねて宅録やうpをしていました。

それから、ポッドキャスティングのできるサイトを見つけたので、2006年8月に自分のボイスブログを開設しました。
♪Apocalypse-voice- 声で蟹風呂
フリートークや、お題への回答などをとにかく「声」で記事にするというのがボイスブログですね。
ボイスドラマ「いおりんラジオ」も当初こちらに公開していたのですが、容量が足りなくなったので、
いおりんラジオのボイスブログを後になって設立しています。
いおりんラジオ  (2007/05/23設立)
いおりんラジオについては、後で詳しく書きます。


〈第4章 カラオケ板期 Ⅱ(2007年)〉

2007年初頭は、まだ宅録とミックスの練習をしながらせっせとカラオケ板にアニソンをうpしていました。

そんな折、2007年2月24~25日、KOTOKO Band Battle in Nagoyaというイベントが開催されるのです。

これは、KOTOTOさんが所属するI'veの公式イベントで、バンド形態もしくはボーカルのみで参加できる
2DAYSのライブイベントでした。
勿論KOTOKOさん自身も二日とも参加されますし、イベント後半にKOTOKOさんご本人によるライブステージもありました。

私が当時所属していた東京woタパラダイスオーケストラでは、ライブの最後にKOTOKOさんの
「覚えてていいよ」
という曲を必ずと言っていいほど“〆”として演奏する風習がありまして、バンドのライブ音源と
私の宅録の音源を両方応募してみたところ、私が単独で審査を通過してしまい、参加することになったのです。
初めて名古屋に行きました。2007/02/24。しかも一人で…。
更に余談で、会場がELLというライブハウスだったのですが、大学で所属していたバンドサークルが
まさにその名前でした……。
こういう偶然がいろいろあって恐ろしいやら、面白いやらです。
「このバンドサークルの名前って名古屋にあるライブハウスにあやかってるんだーへー行くことはなさそう」
→1年後ステージに立つ ( ´゚д゚`)<……。
っていうw

そのときに、私は応募者の名前を「かにぱん。」にしました。
(V)・∀・(V) だと、∀が文字種別の規制にかかって応募できなかったため読み仮名のほうで登録しなければならず
しかし商品名そのものなのもちょっとなぁと思い、何か規制にかからない記号をつけようと思ったのです。
つまり、このイベントをキッカケに「。」がついたわけです。
♪でも★でも良かったように思いますが、なんで「。」にしたんでしょうねw
やっぱり★みたいに尖ったものよりも丸いものが良かったのかもしれないですね。
♪ほど浮かれたキャラでもないし。
かにぱんという単語もパ行が入ってて破裂音だけれど、どこか丸みを帯びている感じだし。「にぱ」のせいかな。

KOTOKOさんが、全出演者のステージの合間に一緒にMCして所見コメントをくださるのですが、
かにぱんというパンはご存知なかったようですw
そして、なんで「。」がついてるのかとかも聞かれたのですが、そこでは
「名前はここで終了ですという合図です」
的な説明をしたように思います。
後、「覚えてていいよ」は結構たたみかけるような曲なので、KOTOKOさんご本人も
「ライブでこれを歌うときは息継ぎも大変だよね!」
とおっしゃっていましたが、私は
「唾を飲むタイミングもなくて溺れそうになりますよね!」
みたいなことを言って笑われた記憶があります。

KOTOKOさん元気だったなあ。
「覚えてていいよ」もすごく元気が出る曲だし、ポジティブになる方法を教えてくれる曲という感じがするので
おすすめですよ。
落ち込んだときに、悪い方にしか考えられないときというのがあります。私は特にそうなんですけど、
他の人ももしかしたらそうかもしれないですね。
そういう方には特にオススメかもしれないです。


こんな風にして「かにぱん。」になった私ですが、2月24日がKOTOKO Band Battle、
そして帰宅して25日にはその件についてブログにまとめて、更にその翌日の26日に
オケ板で「カラオケ板紅白歌合戦」の準備を始めました。
カラオケ板紅白歌合戦 まとめサイト

これは、自分としては一貫して「運営の>>1」として運営してきて、中には「これ(V)・∀・(V)がやってるんじゃね?」と
気づく人もいましたが、自分からは名乗りませんでした。
そのほうが運営に徹することが出来たからです。
それから、やはり運営業に徹するため、運営中は歌合戦側に歌としての参加もしませんでした。
今はもう引き継ぎも何度も行われて、現在の運営さんはなんと6代目です。


私は第5回目までは運営、第6回~第10回は運営のバックアップとMCをしました。
私が運営をしている間は、MCを朧月(名義はMC初代“はつだい”)にお願いしていました。
放送のセットリストを二人で決めて、台本を私が書いて朧月にアドリブを入れながら読み上げて進行してもらう
という形でした。
その運営期間に、「ちゃんと引継ぎさえされれば誰が運営をやっても大体同じような企画進行が出来る」というだけの
ノウハウを構築して、運営引退をしました。
また、参加者の中でオフ会を開く動きもありましたが、私はそこには決して参加しませんでした。
参加しない方が運営をする上で適切だと考えたからです。
そのあとは引き続き参加してくださっているオケ板の参加者の皆さんが企画を盛り立てて、
その中から紅白企画を愛していて運営が必要なら自分がやる、という方々が
必要に応じて引き継ぎを行いながら今に至っています。
すでに放送回数は37回にも上ったようです。

オケ板紅白運営はすごくやりがいがありました。
すでにカラオケと関係ない他板で2~3回やっていたことを、さらにブラッシュアップしてオケ板でやるわけですから、
参加者は当然歌うのが好きな人、人のカラオケを聴くのが好きな人たちばかりになって盛り上がりましたし、
その頃には、もう「ライブドアねとらじ」のサービスが始まっていたので、
ShoutCastで配信しなくても良くなっていたのです。(IceCast方式)
SHoutCastでは20人でパンクだったものが、サーバーや回線の環境的に
数百人~千人聴いても大丈夫な状態になったわけですから、お祭りのやりがいもありますね。

大体月1回頻度のお祭りでしたが、それだけ参加希望者が多かったことや、
「またやって欲しい」という声が多かったということ、
ライブドアねとらじの視聴者数ランキングで毎回上位に食い込んでいたということは
とても嬉しいことでもありました。
月1回の頻度で開催するために準備、放送、後片付けをするというのは、毎日の余暇が
ほぼ全てそのどれかに持っていかれるということになりますw
KOTOKO Band Battleが終わって自分のことがひと段落したことを機に「よしやるぞ!」と企画を開始しましたが
そこから2008年の2月に運営を正式に引退するまで、怒涛の「紅白年間」でした……。

カラオケ板というのは、ジャンルとかアーティストごとでスレが立っています。
アニソンスレ、J-POPスレ、特定のアーティストのスレ(例えば「サンホラスレ」のような)とかとか、
大きな枠から小さな枠まで様々です。

そして、私が思ったのは、これだけさまざまなスレがありながら、
その色々なスレに行くという人はめったにいないということです。
自分の興味のあるスレにだけ通う人が多いのです。
私もそうでした。

でも、音楽はそうじゃない。色々な楽曲があって、それぞれに良さがあって、知らなかったものを知るだけでも
楽しいっていう側面があると思うのです。
しかも、オケ板の場合、アニソンスレにおけるいさじみたいな、特定のスレに住んでいる面白い人
上手い人とかがいて、そういう人というのも色んなスレにアップするわけではないため、
やはり特定のスレでのみ知られるままとなっているのです。
こういう面白い人が、普段自分の行かないスレにはいて、「もっと早く知ってれば!」って思うことなども
時折あったので、そういう人がこの紅白企画に参加してくれたら、色々なスレが活性化したり
お気に入りのコテハンさんが見つかったりということに繋がると思ったのです。

もし、「ノンジャンル」というようなスレを立てても、結局そこに来る人は限られていて、
スレを立てただけでは盛り上がらないのです。
だから、カラオケ板のあらゆる要素を一箇所に集めてリアルタイムに楽しむ企画というのをやりたくて
「ごっちゃ煮であることを楽しんでもらう」ために紅白を始めました。

企画を立ち上げて、何度かやっていくうちにどうしても
「J-POPの日とアニソンの日で分けて配信して欲しい」
というような意見も出てくるのですが、そういう意見があるということも尊重したい一方で、
企画の趣旨としては曲げてはいけないところもあると思い、極力ごっちゃ煮の企画でやって、
そのこと自体を楽しんでもらえるよう運営が曲順などの工夫をすることで
折り合いをつけようという方向性でやってきました。

結果として今でも、「ごっちゃ煮企画」としてやっていただけているようです。
ジャンルで日程を分けたりすると、「ジャンルに属さないもの」が出てきたり、結局、
特定のスレだけを覗いているのと変わらなくなって、
「カラオケ板に来る人なら誰でも気軽に参加できて、知らないものを知る楽しみを得る企画」
というのが崩壊してしまう。
参加のハードルはなるべく低くして、放送のクオリティはなるべく上げて、歌で参加した人にも、
聴くだけの人にも、番組放送中はコメントで番組を盛り上げる役割を担ってもらうということが大切かなと思いました。
だから(過度の「馴れ合い」もどうかと思いますが)、「良かったところを指摘する感想コメント」を考えるようにするとか
そのくらいのことは全員がしたって悪いことじゃないと思うのです。
過度の馴れ合いというのは、ごく一部の人にしかわからない内輪ネタを引きずる、とかですかね。
そのためにも、オフ会に出てしまうと「オフ会参加者にしかわからない空気」がどこからか伝わったりして、
行ってない人、行けない人は「ギリッ」てなるだけだったりするので、そういうのは極力ナシにするというか。
こう考えると、色々と難しいですよね。

傾向として、2ちゃんだと「どうせ自分は名無しだから」と偉そうなことを言う人が出てきて、
それを見てその人を叩く人が出てきて、みたいなギスギスした空気になりやすいわけで、
わかっていたからこそなるべくそうはしたくなかったのです。
殺伐としてなければ2ちゃんじゃないみたいな考えもありますが、殺伐しろというローカルルールはないわけですし、
それよりも、「最大多数の最大幸福」というか、より多くの人が気兼ねなく楽しめる空気はどういうものか、
ということをすごく考えました。今でも考えています。
それが2ちゃんである必要がないなら他の場所でやるものアリですしね。
でも、試しにあえて2ちゃんでやってみたかったという挑戦の気持ちみたいなものもあったんだと思います。
「どこの誰だかわからないけど面白い人達」が集まるという強みはあるので。


「ラジオ番組っぽさ」を演出するために、番組専用のジングルも20種類くらい作りました。
また、ジングルを参加者から募集してみたりもしました。
その結果「ジングル職人」かというほどジングルを大量に作ってくださる方なども出てきたりw
そういうのも面白かったです。

結局2007年は、かなりの余暇をオケ板紅白のために割いたことになります。
自分が最後にしっかり関わった第10回紅白が、2008年の2月だったのです。ジャスト1年ですね。
2008年2月頃になると、私はニコニコのほうに自分の歌をかなりアップしつつありましたから
紅白の引継ぎも第6~10回の5回かけて行い、「もう大丈夫そうだ」と思いましたし、
自分の歌の方にも集中して新しいことをしたくなったので、そこを区切りにしました。
また第9回は、MC初代と私で大晦日放送をして、「大晦日に紅白歌合戦というお祭りを開催できた」ということが
既に感無量だったようなところもあります。
カラオケ板紅白歌合戦のオリジナルテーマ曲も2曲作りました。
作曲のできる参加者さんが曲を作ってくれたので、1曲目は歌を録ってくれそうな方に直接アカペラを
録ってくださるよう依頼したり、2曲目のときには合唱版のアカペラは公募したりもしました。


この企画を通じて、どや、Magnetism(まぐ)さん、転少女さん、天むすさん、いさじ達と知り合い、仲良くなりました。
他に今でも交流がある人としてグレイト炒飯や国連さんらも、紅白つながりです。
交流はないにしても、参加者さんの音源で特にお気に入りのものとかも沢山あります。
時々聴き返して、「あの人はまだカラオケ板にいるのかな、元気かな」とか思ったりしますw
それに、紅白を通じていさじがカラオケ板のアニソンスレ以外にも知れ渡って、面白かったです。


〈第5章 ニコニコ動画期 Ⅰ(2007年)〉

2007年は、オケ板で紅白運営を始めてからは、オケ板へのうpが徐々に減りました。
それは運営の方に時間を割いていたからというだけでなく、ニコニコ動画への動画公開に踏み切ったから
ということがいえます。具体的には6月25日からですね。

そこで、第4章と時期がかぶりますが、ニコニコの方はどうなっていたのかということを
書いていこうと思います。


2006年12月12日にニコニコ動画が始まりました。
その翌日くらいに、影瑠板で話題になっていて見に行ったのが最初でした。
色々と「ちょっとこれ見てww」って感じでURLがどんどん貼られて行ったので、
この連投されてる「http://www.nicovideo.jp/」って、なんだろうと思いましてw

最初に見たのは、「コードギアス」の「解読不能」でした。
アニメのオープニング映像なのですが、そこにコメントがずらずら流れてくるわけですよ。
私は高校時代に同人誌即売会にサークル側でよく行っていて、そこでMADムービーを知る機会があったため、
最初は、その「解読不能」もそういう文字を入れたMADなのかな、と思いましたw
でも、見ている人が字幕を入れることができるサイトなのだよ、と教わりました。
そして、動画そのものはYoutubeなど外部のサイトから、埋め込みコードを使って呼び出しているとわかりました。
Youtubeの動画を指定すると、ニコニコ内にその動画の動画ページが出来て、
(http://www.nicovideo.jp/thumb?v=Youtubeの動画ID という感じのURLで)
そこでコメントを打ったり、コメントが乗った状態の動画を見ることが出来るのです。
なので、コメント字幕をつけて楽しみたい動画を皆がこぞってYoutubeから仕入れてきて動画ページを作成する。
すると人が集まってきて空耳字幕をいれたり弾幕を撃ったりする、という感じでした。
とにかくその視聴者が字幕を入れられるシステムという発想がすごいですよね。

結果から言うとYoutube側からニコニコがBAN食らったような形になってしまいましたが、
動画を外部サイトへ呼び出すというのは、それをしていい作りになっているのでそれを生かしたにすぎないわけですし
コメントが画面上を流れるというシステム以外は、書き込みとかそのログ保存っていうのは、
「掲示板」の応用なんですよね。だからニコニコ動画ではコメントが乗った動画を「スレッド動画」と呼ぶわけで。
それは帯域もデータ保管用の容量も食わないのが大きなメリットだったと思います。

逆に、この当時は、ニコニコでコメントをつけたくても、Youtubeにアップロードして
それをニコニコに呼び出すという方法しかなかったわけですね。
なので当然私はその頃アップロード側ではなかったのですが、もう少し当時の流れを書いておこうと思います。


ニコニコは、動画にコメント字幕などを入れられるというシステムがすぐにウケて人が増えていったため
Youtubeから動画を呼び出す頻度が上がりすぎたのか、Youtube側がニコニコからの「動画呼び出し」の要求を
システム的に全面遮断したようで(Youtubeからするとかなり高負荷の要因になっていたのでは…)
ある日突然Youtube経由の動画が全部見られなくなりました。
でもYoutubeに行くと動画そのものは再生できるので、どうやらニコニコだけが呼び出し拒否を
されているようだとわかりました。
しかも、DoS攻撃も同時に起こりつつあり、一時期サイトがとても不安定になりました。

それで2007年3月6日に、ニコニコ動画(γ)が始まって、ユーザーのID制が導入され、
(今皆さんのプロフィールページの末尾についている数字です。マイページの上のほうにも書いてあります)
ニコニコ動画サイト内に動画アップロード用のサーバーが設けられて、そこへのアップロードが可能になりました。
そこからは、動画のIDがsmなんちゃらってものになったわけです。
(smになるまえはamなんちゃらとかでしたね。amはアメーバビジョンから呼び出した動画だったかな)
なので皆さんご存知のsm9「レッツゴー!陰陽師」なども2007/3/6アップロードですね。


この日が、ある意味本当のニコニコ動画の誕生なのではないかと思います。
2006/12/12が第一の誕生日、そして2007/3/6が第二の誕生日とも言えるでしょうか。
しかも、当初まずIDを取得するということ自体が困難でした。
このメールアドレスでID欲しいですってことを登録して、実際に付与されるまでに数日待たなければいけなかったんです。
それが面倒くさかったので、私はすぐにはIDを作りませんでした。
それにIDを取れたからといって24時間いつでも動画が見られるわけでもなかったのです。
アクセス制限があってこの番号からこの番号の人は、夜の7時になると見られなくなります、みたいな
逆テレホみたいな状態だったんですよ!w
(テレホとは。:テレホーダイ インターネットが常時接続じゃなかった時代は、通信した分電話代がかさんだのですが
深夜だけパケット代が追加加算されないというサービスがあったのです。詳しくはググってね)
今のように、どのIDの人でも常時アクセスできて、動画が見られるようになるまでにはしばらくかかりました。
私は最初に取得したIDは37万番台ですから、γ時代とはいえ、そんなにすぐさま取ったわけでないことになります。
けれど、10万アカウント突破するのにも1日しかかからなかったことから、すでに人気サイトだったことは
窺えますよね。

smなんちゃらで1,2,3・・と数字をひとつずつ増やしていくと最古の動画群を見ることが出来ます。

最古の描いてみたとか。

Youtubeから呼び出ししてコメントをつけていた頃に盛り上がったものなども、次々転載されました。
多分「βで盛り上がった動画でγも引き続き盛り上がりたい」っていう動きだったんだろうなと思います。
これとか。これのβ時代の盛り上がりっぷりは本当にすごかったです。

今38000コメくらいですけど、確か再生もコメ数ももっと異常な数値だった気がしますw
まぁ、これ歌ってる本人は多分超真面目にやってると思うので、あまり茶化しすぎるのも
失礼な気はするけれども…。

転載っていうのは決して褒められる話ではないと思いますが、その当時
「無断転載やめろよ」
みたいなことを言って止められるような空気ではなかったというか、
勢いがすごすぎて誰にも舵が取れない状態だったという風に感じます。

それにいざサーバーが設置されましたといわれても、皆が皆「じゃあすぐ動画作ってアップロードするわ」
ということにもならなかったですしね。
β時代に盛り上がった動画を再度Youtubeから仕入れてこようとする転載の動きがあると同時に、
「転載はいかんとおもうが、かといって自分で動画を作る技術はないなあ」
ということで、様子を見るスタンスの人が出て二分された感じがしました。

それまでは、Youtubeで予め伸びているものや、字幕を入れたことで面白くなるものを皆で一緒に見て騒いでいただけなので
突如「おまえの作った動画を上げろ」といわれても、「いや、作ったことはないよ」ってなったり
「仮に作ったとして、それがこのサイトの視聴者に受け入れられるのかは甚だ疑問!」みたいなことになるわけです。
喩えるなら、皆で映画やテレビを見て突っ込みを入れていたら、
「今日から貴方が番組を作ってください」ってなって
「え、でも作ったら突っ込まれる側になるんでしょ……?」っていう状態ですね。

突っ込みどころを用意するのは、突っ込むことよりも難しいので、サイトに「参加」するハードルが上がって
このままちょっと衰退してしまうのかもしれない、くらいには思いました。
ID制や、視聴制限もあったので余計ですね。
β時代に盛り上がったものが「自分に作れそうにない作品」だったので、私も投稿側に回るのには
勇気とか覚悟とかが相当要るような気がして、IDを取っても見るだけなんだろうな、と感じていました。

これが、2007年初頭です。

3月27日、Youtubeにこの動画があがりました。



せらさんの動画ですね。
私のブログでは3月31日に記事にしています
記事内のほとんどのリンクが死んでいますw
この動画を見てすぐさま、弟と歌詞を作って歌を録ってブログにアップして、
「てつくずおきば」に報告に行きました。
それがせらさんとの最初のコンタクトだったはずです。


私の弟はかなりロックマンが好き(ロッカー)で、彼のゲームプレイの歴史はロックマンと共に始まったようなものなので
今でも一人でRTA(リアルタイムアタック)とかやってるような人なんです。
ネットでも、ロックマンのTAS動画を見てたらしくて、その動画はニコニコのβでも結構盛り上がっていました。

http://www.nicovideo.jp/watch/am124407をご覧ください。)
そして、この時期はハレ晴レユカイブームの最中でもあり、弟は何かの偶然でこの動画を見つけてきて
「これすごいよ!」
と。
それで私は「じゃあ歌つけようぜ!」とw
現在動画としてはここで見られます。

更に、翌日の4月1日には、【蟹風呂閉鎖のお知らせ】という嘘記事で、オリジナルキャラの
「いおりちゃん」のイラストを公開しています。
これは後にボイスドラマ企画に発展します。ハッテン!!
http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im2031372


また、当時は「外山恒一の政見放送」がものすごく話題になっていて、
私もYoutubeでかなり見て回ったのですが、ポスターを発見したので、ブログで全文文字起こししてみたら
アクセスが40倍くらいになってビックリしました…。
ちなみにそれと同じ4月3日、ブログでは、「思い出は億千万」を歌って公開しています。
まだ動画として公開しようという気持ちにはなっていない頃です。

この「思い出は億千万」のような、「ゲームのBGMに歌詞をつける文化」についても、2006年4月、つまり1年前に
2ちゃんのレトロゲーム板を見ていた弟が
「ゲームのBGMに歌詞をつけるスレ」というのを発見してきて、
「見てると自然と歌えて超楽しい」というので見に行ったのが私としては最初だったのです。

ゲームのBGMに歌詞を付けてみるスレに関する蟹風呂の記事

前述のニコニコ動画(β)時代のこちらのTAS動画を見るとわかるとおもうのですが
http://www.nicovideo.jp/watch/am124407
動画内で歌詞コメをつける人がでてきて(おそらく同じレトロゲー板のスレを見ている人)
動画内でその歌詞を見た人が「ゲーム BGM 歌詞」とかで検索して、私のブログ記事に沢山訪れるということがあり
そのときもアクセスが40倍になりました。
「外山恒一のポスター」の件もあって、それら特定の記事にだけ多くの人が押し寄せてくるというw

「思い出は億千万」に関しては、確か2ちゃんのスレのほうでは、フルサイズの書き込みっていうのはなかったと思います。
「ワイリーステージ1の最後の部分
 おっくせんまん おっくせんまん」
くらいの書き込みはあったかもしれません。
でも他の部分は、動画に来た人たちが色々コメントしていって、そのなかで支持された歌詞が生き残って
あの形になったのだと記憶しています。
それも、2ちゃんと同じ「作者不詳」が面白い文化だと思います。
加えて、その歌詞で誰かが歌って音源化するというのは、そのスレでは求められていなかったので、
私は歌ったものを自分のブログに貼っていました。
カラオケ板には、ジャンルとして該当しそうなスレもなかったので、「せっかく録ってみたけど
公開する場所がないなあ」と思っていたのが実際のところでした。
でも、ニコニコがγになったその日のうちにゴムさんが「おっくせんまん!」をうpっていますね。


それで、ニコニコ動画は、ゲームのBGMに歌詞をつけたものを歌ったりしても、
少し需要があるのかもしれない、と思い、そういうを今度録ったら動画化も考えてみようかな、という
キッカケになりました。
でも、まだ4月の時点では、そういうゲームBGM楽曲を歌ってもブログにしか貼れないというような状態でしたね。

他にもMOTHERのエイトメロディーズもブログに貼ってました。


また、ワイリーステージ1のBGMについては、自分で作詞したものを公開したりもしました。


5月11日、「いおりちゃん」の幼馴染の「みちかちゃん」ができました。

5月16日、クロノトリガーの
「風の憧憬」に歌詞をつけて歌ってみた
これが、のちにニコニコに初めてアップする「歌ってみた」になります。


5月23日、「いおりんラジオ」が動き出しました。
私が描いた、いおりちゃんとみちかちゃんのイラストを朧月が気に入ってくれて
「それでこの二人がこういう掛け合いをするんですね、わかります!!」
みたいなことを言うので、「じゃあそれでボイスドラマ作ろう!」と。
影瑠板でボイスドラマを作っていた際は、音声編集は影瑠さんがやってくれていたのですが、
私もここまでの段階で、自分の歌のミックスや、紅白用のジングル制作などで、
ミキシングソフトの「KRISTAL」をだいぶ使えるようになっていたので、編集を外注しないで済むなら
自分さえ逃げなければ作品が完成するはずだ、と確信できたからです。
勿論役者はキャラクター分必要ですが、ちゃんとやってくれそうな人に地道に頼んでいこうと。
それに当初は、二人の掛け合いシリーズになると思っていたので、路華を私がやって、
伊織理はバンドのもう一人のボーカルのりりーさんに頼んでみたので、その2者のデータさえ揃えば良いわけだし
それほど完成はハードルが高いものではないだろうということで、とにかくまずは作ってみることにしました。


6月6日、いさじのカラオケ板アニソンスレでの音源が、「いさじメドレー」として動画になって
第三者の手によってアップロードされたりしました。
現在はすでにアップロード者自身によって削除済みですが、カラオケ板では、かなり知名度が上がっていたので
こういうことは比較的早い段階で起こるとは思っていましたw
本人は当時まだ「ニコニコ動画ってなんですか」とか言ってましたがw


それで、ハレハレロックマンから2ヵ月後の2007年05月26日
エアーマンが倒せない (カラオケバージョン)がニコニコの方に公開されました。

メガメガユカイに続き、これも歌ってせらさんの支援をしてみよう!と思ったけれど、
とにかく動画の作り方というのがさっぱりわかりませんでした。
なので、ブログと、カラオケ板の「ニコニコ動画関係の曲をうpするスレ」というところに音源を持っていってみました。
まずはショートバージョンを6月8日に。
そして6月11日に、せっかくなので、またロッカーの弟と協力して2番の歌詞を作詞してフルサイズにしてみました。
それぞれカラオケ板の方で、「動画をつけてニコニコに転載してもよいですか?」とレスがついたので
私自身は動画を作る技術を持っていなかったこともあり、「ではお願いします!」と動画化してもらいました。

ショート 

フル 

自分の手でエアーマンの動画を上げたのは、この転載のジャスト3年後となる2010年6月11日です。


ハモりはせらさんにやってもらいました。
せらさんは息を切らせながら「ぼくしね!」って言っていました。
3種類聞き比べると色々変化がわかって面白いですね。

私の歌がニコニコ動画に動画として上がったのは、このエアーマンの転載(short)が最初ということになります。


そこから、動画の作り方がもし簡単なのであれば、自分でも何か面白いものを作れるんじゃないか、と思い
作り方を調べてみると、標準装備の「ウィンドウズムービーメーカー」を使えば動画を作るのは
別に難しいことじゃないことがわかり、では手始めに何を作ろうということになりました。


当時は、「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」をベースにした音MADが大変流行っており、
音声素材さえあれば、とりあえずショートサイズ動画はすぐ出来そうだったので、
何を素材にしようか考えてガンダムにしました!なぜだろう!!
とりあえず検索してみて、他にやっている人がいないことは確認しましたw
(この記事のために再うpしました)


初めてうpった動画がこれです。なので私のニコニコ動画うp開始記念日は6月25日ということにしています。
とにかくγ時代は右も左もこんなのばっかりだったような気がしますw


2006年7月からずーっと歌いたかった、Ievan Polkkaも、1年近く経った2007年6月に
ようやく初の録音をしています。
そのあと、何度も何度も録り直して、2013年度版もすでに公開済みです。

 2007 

 2008 

 2011 

 2013 


そんなこんなで、最初の動画は「音MAD」だったわけですが、かねてよりやっていた
「ゲームのBGMに歌詞をつけて歌う」のを、動画にするのはどうだろうと思い、このジャンルは
カラオケ板でも該当しそうなものがないし、サンホラスレも過疎っていたしで、
そこらへんニコニコにアップしてみようということにしました。

そこで最初にアップしたのが、「風の憧憬」でした。
あまり好評ではありませんでしたが、再生は27000くらい行きました。
好評でないのにここまで伸びるというのは、ひとえに、「動画そのものの数が今ほど多くなかった」からだと思います。

そこからの2日で立て続けに
・Smiles and Tears を歌ってみたかにぱん。
・Eight Melodies を歌ってみたかにぱん。
・ワイリーステージに歌詞つけた
・メガメガユカイ
など、既に音源だけはブログに公開していたものを動画にして公開してみました。
全て10000~13000再生程度まで行きました。

また、
・StarDust -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。
・雷神の系譜 -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。と朧月
・輪廻の砂時計 -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。
・書の魔獣 -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。
・<ハジマリ>のChronicle -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。
・恋人を射ち墜とした日 -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。
・緋色の花 -Sound Horizon- を歌ってみたかにぱん。
なども7月5日までの間に一気に公開しました。
いざ始めると怒涛の勢いですね。


6月30日には、初めていさじとコラボした
・マスターアップ!グレイトアキバトラーを歌ってみたかにぱん。といさじ
というのを公開しましたが、私だけが不評でしたw
いさじとコラボをしている事それ自体に文句をつけられないような、
一人前の歌い手にならなければいけないと思いました。
当人たちはすごく楽しくやってるんですけどねw
でも私の力不足は否めないです。


しかも、7月1日には、「いおりんラジオ」の第2話をボイスブログで公開しました。
こちらもいさじとのコラボになっています。
朧月と「いさじを交えてガチホモ展開の学園モノをスピンオフ的に作れるのではないか」という話になり
誘ってみたら、快く引き受けていただけたのが「磯島輝美(いそじま・てるよし)」という役です。
動画もアップしましたが、コメントに暴言が多すぎて削除せざるを得なかったので、今はかなり時間が経ったあとに
改めて再うpしたもので見ていただけます。



いおりんラジオコミュ


ヘッドホン端子をマイク端子に差し込んで無理やりネットラジオを始めたところから、
録音のしかた、ミックスのしかたを覚えて、オリジナルボイスドラマを作るところまで来ましたw

ボイスドラマは、高校のとき文芸部の活動として自分で脚本を書いて友人たちと役を割り振りして
カセットテープにリアルタイム収録してそれを流しながら、学祭でスライド上映をするというのをやったのですが、
ネットとPCを使うと、対面できない相手とも「共演」できて、ドラマを作れる、そしてそれを
どこかの誰かに聞いてもらうことが出来るなんて、すばらしい技術の進歩だなあ、と思います。


6月23日、組曲『ニコニコ動画』が公開され、私もこれは、その前身である「ニコニコ動画中毒の方へ贈る一曲」から
楽しんでいたので、何人かの「歌ってみた」に続いて自分も自分なりに歌うことにしました。
その当時のコメントを「聞く」動画

7月14日に一度録音してアップしたのですが、まだまだセリフとか色々やり足らなかったので
15日に(改)でアップしました。
再生:261,361 コメ:34,738 マイ:1,580 まで伸びました。
私がアップした動画の中で初めて10万再生、20万再生を突破したのがこれということになりました。
同じ日にいさじも組曲をアップすることでニコニコデビューをしたので、いさじの記念日は7/15ということになりますが
彼の動画は約24時間のうちに10万再生を突破し、ランキング(当時はカテゴリ別はなく総合しかない)でも
1位に君臨していたのですが、なぜか18日に原因不明の権利者削除をされてしまいましたね……。
いまだに権利者は謎です。動画ページにも権利者が表示されない仕様だった時代なので。


組曲『ニコニコ動画』は、皆さんがご存知の通り「ニコニコらしさ」だけをふんだんに盛り込んだメドレーと
言っても過言ではないでしょう。
β時代に、Youtubeなどの外部サイトから動画を引っ張ってきて、そこにコメントを乗せるという遊び方をしていたときは
流行の動画とか、話題になるものの傾向というものはありましたが、動画がニコニコらしいのではなくて、
コメントを乗せる事でニコニコらしくしていたという状況でした。
動画そのものがニコニコらしさをはじめから意識しているのとはいえないものだったのです。
組曲『ニコニコ動画』は、βからγ初期にニコニコで「コメントという華を添えることでニコニコらしくなった動画」を
一望できるようなそんな動画でした。
動画そのものが、ニコニコにアップロードするために作られていて、ニコニコが好きな人向けで、
こういったものは、しもさんのニコニコメドレーが最初だったと言っていいかもしれません。
少なくとも、そこまでにニコニコの文化を前提とした動画で、ここまで話題になったものはなかったと思います。

そしてボーカロイドもまだミクがリリースされていなかったために、
「DTMerの一部がMEIKOを知っているかも」程度だった頃に
「オリジナル楽曲と、その二次創作の連鎖」を生み出した「エアーマンが倒せない」もすごかったと思いますし、
それが組曲に収録されたのも納得が行くというものですね。

ニコニコ動画の「歌い手」も組曲をキッカケに一気に増えた感じもしました。
ただアニソンやポップスを歌うだけだと、カラオケ音源の公開と変わりませんし、
すごく上手くてただ聴いてて耳に心地よいか、もしくは面白いことをしているかのどちらかでなければ
動画を上げにくい空気というのは、すでにその頃からあったのも事実です。
それを考えると、逆に、組曲はニコニコならではの動画なのだから、それを仮に歌ってみたとすれば
やはりニコニコにアップするのが正規のルートという感じがします。
「これを歌った場合には動画でアップしてもいいんだ」という、一種免罪符を与えられたような
そういう感じで、沢山の人がうpに踏み切って「歌い手」になった、そんな気もします。
なので、そこで歌い手が急増したのも頷けます。

そうはいっても、その後2008年1月に「ランティス組曲」が発表されるまで、
所詮は動画を上げてるのも見てるのも素人なんだからというゆるい空気があったように思います。
ランティス組曲が発表されたときは、自分の立ち位置を確認するキッカケにはなりました。
何しろMAD動画も氾濫するサイトだったわけですから、一種アングラ臭につられてやってきた視聴者も多いわけで、
そこにハッキリと企業が登場したことで、喩えるならば
“昼休みに教室で悪ふざけしていたら、校長が突如入ってきて、・・・無言で去った”
というような空気を感じましたw 私個人はw
権利者削除というものも、特定の作品に絞っての一斉削除のようなものも起こったりしたので、
少しずつですが、「アングラ」から地上へ這い出て行くためのプロセスなのかな、と感じ
自分はニコニコ動画を通じてこれから何を表現していけるのか、考える必要は出てきました。

そして、考えた結果、自分が企業と絡むことになったらどうしよう!というのは
杞憂という結論に落ち着いて、今まで通りやることにしましたw
こういう業界では「顔と運」のどちらかもしくは両方が必要で、どんなに動画のコメントで視聴者が
「声優になれる」とか「プロになれる」とか「本家超えた」とか言っても、現実はそんなに甘くないですよ!
私は「顔も運も持ち合わせていない」のだから、そういうものを使わなくてもいいものを作ってきて
今後もそうするだけなんだな、と再確認しましたww


それはそうと、組曲の歌ってみたブームの頃というのは、色々な楽器による演奏動画も沢山あがり、
歌の方では、視聴者が気に入った歌い手を無作為に選んでリミックスする「混ぜてみた」の文化も生まれました。
そして、フリーダムとはまた違う分岐として組曲の替え歌というものも出てきましたね。
当時はハルヒが流行っていたので、組曲『涼宮ハルヒの憂鬱』は早かったですよね。


私は相変わらず、「田中真弓みたいだな」とかコメントで言われ続けていました…。
組曲でも書かれていましたが、サンホラの動画でも書かれました。
それで、StarDustの動画で「デイドリームジェネレーション」のリクエストがきました。何故w
この曲は、元々は田中さんの曲ではありませんが、「コエンマバージョン」というのがあったので
それを意識しつつ歌ってみることにしました。
これがちょっと声真似を意識して歌ってみたものの最初の動画だと思います。
“元々が田中さんの曲”というのでは、確か「忍豚レゲエ」を歌ったのが最初になると思いますが。
他にもリクエストで「ゲキテイ音頭」なども歌いましたね。


そんな中、9月に前菜さんが組曲『ONE PIECE』を作りました。
歌なしバージョンと歌入りバージョンをアップしてました。
この後、私の色々な動画に「組曲ワンピース歌ってください!」のリクエストが3ヶ月間相次ぎました。

私はその頃は、相変わらずゲームのBGMに歌詞をつけたり、電波ソングを歌ったり、アニソンを歌ったり
サンホラを歌ったり、替え歌をしたり、毎日その日の気分で歌ってはアップしていました。
本当に1日1~2動画のレベルでした。
リクエストがくると、知っている歌なら翌日にはアップしていましたし、知らない曲はニコニコで探してきて
一夜漬けしてやはり翌日に録ってアップしました。

けれども、組曲『ONE PIECE』はすぐに歌おうという気持ちにはなれませんでした。
全然関係ない歌を歌っているときは「田中真弓に似てるな」とか言われる割に、田中さんの歌を実際に歌うと
似てないというコメントつくということが、それまでの経験でわかったからです。
例えば、デイドリームジェネレーションにしろ、ゲキテイ音頭にしろ、実際田中さんの音源が存在するものは
似てないと言われるのです。
そうでない全然関係ない曲では似てるといわれるのです。
これで、組曲『ONE PIECE』を歌ったら、どっちになるんだろう……。
田中さん本人が組曲『ONE PIECE』を歌ってる音源は存在しないけれど、リクエストをくれてる人は、
私が歌えばルフィっぽくなることを期待してリクエストしているところまではわかっているわけですから、
その期待には出来るだけ応えてみたい。
ただ、声真似なんていうのはそれまでにやったことがなかったので、全然自信が持てず、まずは
田中さんの声をもっと研究して、ご本人の音源がないものでもそれっぽく歌えるくらいまで
なんらかの特徴をつかめたら歌おうと思ったので、このリクエストだけは後回しにさせてもらいました。
結局2008年1月になるまで歌いませんでした。ずっと声真似の練習をしていたんです……。


そのため、2007年9~12月は、田中さんの曲を歌いながらも他の曲も歌い、リクエストに応えて、
忍たま乱太郎の吹き替えをして声真似の研究をしていました。

 
こういうの

その時期の動画で自分として印象的なのは、、巫女みこナースのエネコンMAD「巫女みコマンド」ですね。
これは私にとって最初のエネコンMAD歌ってみた となり、コマンド入力といえばかにぱん。という
謎の定評を得るに至るキッカケになりました。


この動画だと、コマンドがオマケなのですが、あまりにもコマンド入力が楽しかったので、
その後も続々出てくる「東方×エネコン」のMADは色々歌いました。
それで私を知ってくださった方も多いので、リスナーさんの中に
「かにぱん。といえばエネコン」派の方も結構いるようですw



また、リクエストに応えて歌ったいくつかの曲はかなりご好評いただいた記憶があります。
例えば「最終鬼畜全部蟹」とか「Beyond the Bounds」「ハナマル☆センセイション」などは、
リクエストがあったことで曲自体とも出会えたものですし、リクエストして下さった方のイメージ通りに
歌えたということなのかどうなのかわかりませんが、いずれも私にしては結構伸びました。
(ちなみに再生数って徐々にインフレしていったのですが、当時私の動画にとっては5万再生でも
 超伸びてる部類です。伸びたって言ってるものは5万再生を超えたんだな、と考えてください)


「最終鬼畜」のような多重録音は「くちミュー」で文化として知っていましたが、
自分がやることになるとは!
「Beyond the Bounds」は「何語だよ!!www」って思ったけど、その前にまず
私自身がいくつか英語の曲を歌っていたからリクエストが来たんでしょうね…。
確かリクエストされた場所も「森のキノコにご用心(改)」だったと思うし…。
とはいえ、「Beyond the Bounds」を皮切りにその後、英語「以外」も増えていった気がしてならないw
Ievan polkkaを歌っていた影響もあるとは思いますがw
エネコンMADも元のMAD動画シリーズ自体が人気のシリーズだったこともあり、
ランキングで新しいエネコンを見つけるなり歌ってアップしていましたね。
ある時期は、ランキングの1位が毎日「社長は大変なコマンドを(ry」でしたし。
なにしろ、カラオケ板紅白歌合戦のような「ごっちゃ煮企画」をやっていた身として、
自分自身もこれだけ「ごっちゃ煮レパートリー」を持てるようになると、楽しくてしょうがないです。

それから10月15日には、いさじと朧月と私という3人ユニットを結成しました。
その名も「Chaotic Freedom(カオティックフリーダム)」です。
ニコニコで当時ウケていたタグや動画の傾向は「カオス」と「フリーダム」でした。
そして私自身もそういうものが好きでしたし、この3人が集まったら、すごくカオスでフリーダムなものが
出来るのではないかということでそういう名前にしました。いや、そういう音源が出来上がったからこその
命名だったようにも思いますw 通称「カオフリ」です。

こんなことをしました(こちらはリニューアル版ですが)


10月28日に約1年ぶりにバンドのライブが開催されたのですが、お客さんが倍に増えていました。
結構ビックリしました……。その後もライブのたびにお客さんが50人ずつ増えていきました。

この時もそうなのですが、イベント終了後はバンドメンバーとお客さんとが一緒に朝まで打ち上げをするというのが
恒例になっているバンドでしたので、ニコニコで私を知って見に来てくださったお客さんと打ち上げで交流できました。
ただ、私以外のバンドのメンバーはニコニコで活動しているわけではなかったので、
私を見たいお客さんが沢山来て、バンドそのものは楽しんでくれないというのでは困るので
ライブ本編にしろ、打ち上げにしろ色々工夫は必要でした。

11月17日には、組曲を英語で歌ってアップしました。

Maikiさんという海外ユーザー(マレーシアの方)が英語と日本語交じりで組曲を歌ってアップしていて、


説明文に私の名前があったので、アンサーソングのようなつもりで歌いました。
初めてランキングで2位まで上がったのでした。

後に、流星群を英語に翻訳するとき、Maikiさんとそのお友達の方と私とで翻訳をしました。



いおりんラジオも第3話が公開されました。
ここでいおらじに「どや」合流です。
カラオケ板紅白で見つけた人材の中から、朧月が「この人にやってほしい」という人をピックアップして
私が依頼をするという形で進めていきました。


《いおりんラジオについて》


ここで、先ほどから何度か出てきている「いおりんラジオ」というものについて、がっつり説明してしまいたいと思います。

いおりんラジオというラジオドラマは、「そういう企画をやろう!」と言って立ち上がったものではありませんでした。

あの「いおりちゃん」というオリジナルの女の子のイラスト自体、当時派遣社員だった私が、派遣先での契約期間満了に伴って
職場を去る際、職場の皆さんに4月のカレンダーを作って配布しよう、と思って描いたものです。
なのであのイラストは契約満了の3月末に合わせて完成させて、退職日にプリントアウトして職場で配りましたし、
ドラマ化のためにキャラクターデザインしたものではありません。
(その職場からは改めて誘われて、その後また勤めることになったのですがw)


それで、「今こんなイラストを描いているのだよ」と朧月に見せたら「かわいい! この子なんていうの!」というので
とっさにつけた名前が「いおり」でした。
その時点で朧月の中で、いおりのステータスが
「天文学部 ちょっといじめられっこ 天然」
になっていました。



でも、この段階ではたったひとりのキャラクターですから、やはりドラマという展開にはならないわけです。


朧月が、「きっと幼馴染の女の子がいて、その子がいおりちゃんをいじめから救ってどうのこうの」と
ストーリーを展開させ始めたので、描いたのが幼馴染の「路華(みちか)ちゃん」です。


「みちかちゃん」の名前は実在の先輩(?)からお借りしました。
先輩というのが適切かわからないのですが、高校時代、すごく好きだったコスプレイヤーの方のお名前で、
レイヤー名もかなりかっこよかったのですが、文通し始めて本名がわかったら本名が「路華」で、
なんだよこっちもいい名前だ、すげえ!!と思ったので、伊織理ちゃんの幼馴染の名前を決めようってなったときに
なんだかふとそれを思い出して、「路華ちゃんってかわいいよな~」ということで、お借りしたということですw
しかも、ライブ会場で知り合った方だったので、てっきり都内在住とかかと思い込んでいたら、
出身とお住まいは私の隣の市で、知っている高校の方だとわかったので、
それ以降は「地元の先輩」のように感じていたのですよ。

かくして、伊織理ちゃんと路華ちゃんが生まれました。

路華ちゃんが描かれた段階では既に朧月の中で、物語が動き出していました。
そこで、キャラクター設定を書き出して
「二人が放送部から借りてきた機材で、お互いにインタビューを収録した」
という体で、「トーク その1」「トーク その2」というのを作りました。
この「トーク」という部分は、私が脚本を担当しています。


そして、「トーク」の後に「ストーリー」ということで、物語本編があって、
そちらを朧月が脚本担当するという風に作っていきました。


なぜ、最初の「トーク」で二人が放送部から機材を借りてそういったものを収録したのか、ということも
設定があって、それは後々明かされる、いわゆる「伏線」でもあるのですが、
まだストーリーではそこまで描ききれていませんw
でも、キャラクターを紹介するのが目的なので、「トーク1」「トーク2」をあまり伏線と捉えなくても
問題は皆無ですが!w


それで、第1話が公開されました。
伊織理ちゃんの声は前述の通り、バンドメンバーのりりーさんにお願いしました。


動画はだいぶ後になって投稿したもので、最初は、私のボイスブログにだけ掲載していました。
第2話でコメディー路線に入ったときに、「コメントつきで聞くことが出来ると尚面白い」という方向性に転じたともいえるので
それに際して一応、最初から全話あったほうがいいだろうと思い、明らかに1話だけ気色が違うのはわかっていながら
動画でもアップすることにしたのです。


第1話は、キャストが自分とりりーさんだけですし、BGMや音声編集も自分でやったので、すんなり完成しました。

始めは「これはほんわかしたり、和んだりする、癒し系ボイスドラマにしよう!」と言って作っていたので
こんな感じです。

これが完成したあと、私と朧月で今後の展開を話していて、
「そういえば、いさじにガチホモネタやってもらうのはどうだろう」
「それで、同僚の男性教師に惚れてて、間違ったアプローチして何段オチかにするの」
「いさじの声で“ごちゅじんたまああああ”とか言われたらそれだけで吹くよねww」
というような会議の結果、瞬く間に第2話の脚本が完成してしまったので、いさじを誘ってみたところ、
快く乗ってきてくれました。
ちょうどそのとき「グレイトアキバトラー」のコラボもしていて、
「じゃあそのセリフも一緒に録音しちゃいますね」みたいな展開だったと思います。
(ただし、今は、「訛りが恥ずかしい」などの理由から、いさじはこの“声優業”を引退していますw)

ニコニコにこの動画を思い切って投稿してみましたが、「いさじ」タグにつられて見に来て、
他のキャストに文句をつけて帰るという方が多すぎて、一旦動画を消しました。
需要の側が欲しいものと、供給の側が提供したものに食い違いがあったパターンだな、と理解して
第3話が完成するまでは再うpをしませんでした。



第3話は、夏頃に企画したためちょっとホラー・怪談要素を入れてみることになりました。
そこで、二人の幽霊が登場します。
これが「転少女(えい)」さんと「どや」なのですが、いずれの方も、カラオケ板紅白で知り合いました。
これは朧月が、ボイスドラマのお話を考えたり、脚本を書いていく上で、まず先にキャラクターと声はセットで思い浮かぶからで
「こういう声の人が知り合いにいたな。こういう声だとこういうキャラやって欲しいな」
と思うことから、キャラクターが生まれて物語が動き始めるため、キャストが先にイメージとして決まっているというのが
ウェブのボイスドラマにおいては少し特異な部分なのではないかと思います。


ウェブで、オリジナルボイスドラマを企画しているサイトさんや、ネット声優さんなどはかなりの数いらっしゃいますが、
私がこれまで見たり、参加してきた感じですと、脚本が書き上がったあとに、「募集掲示板」を通じて
キャストを募って、軽いオーディションのようなものを開いて配役を決めていくものが多いのです。
そういった企画で声をあてたい、と考えて活動しているネット声優(ボイスコ)さんは、
募集掲示板をこまめにチェックしていますし、ドラマを作りたいと思っていても
知り合いだけでキャストが埋まらない場合にはそういうところで募集をかけなければいけないわけですから
その点では両者の利害は一致しているといえます。
しかし、キャスト側でも、企画者側でも、「募集掲示板を通じて知り合っただけ」ということが信頼に繋がらないのか、
無言でいなくなる方が大変多いのです。


そのため、
脚本はできてます→キャスト募集しました→応募は多数で配役も決まりました
→収録やら編集やらのどこかの手順で誰かがストッパーになって企画中断
というのを沢山見てきました。


セリフを300個とか収録して納品しても、返答がなく気づいたらサイトが消えていて
メールアドレスもdaemonさんになってる、とか。
なので、いおらじのように、「このキャラクターは貴方の声で演じてもらう前提で作られているので、是非ともお願いしたい」と
直接交渉してドラマを作るというのは、ウェブでは珍しいように感じます。
逆を言えば、他はこのプロセスを辿らないものだからこそ、それらは企画倒れの危機に瀕す、
というパターンに陥るのかもしれないですね。
勿論、企画側もキャスト側も、自分のやるべきことさえ逃げずにやれば、募集掲示板で知り合ったからといっても
作品は完成に漕ぎ着けると思いますし、完成した作品に立ち会ったことも少なくはありません。
声を当てたいというネット声優さんは、ちゃんと自分のサイトを持っていて、サンプルボイスなども公開してらっしゃるのですが
そういった方のサイトを逐一回って、この方にお願いしたいと思う人を見つけるという手間を
企画者側が惜しんでいる部分もあるでしょうし、惜しまざるを得ない程、人が多く、
且つばらけているということが言えます。
そのため、募集掲示板は、積極的に声当てをしたい方と、
そういう方を探している企画者とを結びつける場にはなっているのですが、
いざ始めてみると、たとえば音声編集の作業が思ったより大変、且つつまらないとか、
他のことが忙しくて優先度が上げられないとかの理由なのか、企画を無断で閉じる方が多いように見受けられました。


募集掲示板を伝ってメンバーを集めて企画をやるのが間違いということが言いたいのではないのです。
それは「リスクが多い」ということは言えると思いますが。
それでも、その方法を取る人が多いわけですから、その中にあっていおらじは、
募集掲示板を使うスタンスは取らないという点で特異かもしれませんが、
逆にそこを生かして、「つくりかけで投げない」という筋を通したいと思ってやってきました。


その結果、現在までの約6年間で、7つのお話と、5曲のキャラソンが完成しています。
6年間で7つのお話ですから、ざっくり1年に1話くらいのゆっくりしたペースですが、
ない話を、更新のために無理やりひねりだすのではなく、たまたま何かストンとお話が落ちてきたときに、
出来る人たちで動いて完成させよう、というスタンスなので、着実ではあります。
速いけれど不確かなものより、遅いけれど確実に完成はするという方法を考えたら今の形になりました。


キャストは、現在最新話の「いおりんラジオ 特別編 烏巣先生のアンドロイド」において最大人数の

総勢17名となっています。
そしてお話の内容も、まるで総集編か、劇場版のような長さと展開をしています。
第1話でほんわか癒し系、2話でギャグに転向し、そのあとは基本的に「トラブルが起きるが笑って解決!」というのが
いおらじの基本展開だったために、そのどちらでもない、そしてそのどちらでもあるような、そんな「特別編」ができました。
このお話で、朧月はかなり「出し切った」と思うので、もしいおらじに次のお話が生まれるとしても、
それにはまだしばらく時間がかかるのかもしれません。
でも、もし何かがまた「ストン」と落ちてきたら、それをやってみよう、そういうスタンスのボイスドラマなので、
この「特別編」が、最後になるのかどうか、それは後になってみないと私たちにもわかりません。
もしかしたら、そのうち考えがまとまって「これが最後ということにします」ということを明言するときが来るのかもしれませんし、
突如続きのお話を公開するかもしれません。
今はまだわからないですね。


けれど、この「特別編」には、関わった全員の全力が表現されているとは思います。
そのことは、1話から全部聴く事で、よりはっきりと、耳に沁みることだと思うので、いおりんラジオをまだ
全然お聴きになったことがない方には、「第1話近辺」から全部聴いてみて欲しいです。
ジャンプスクリプトで自動で飛びますしw
ちなみに、全部聴き終わるまでには、6時間ちょっとかかると思いますので、そこは予めそれだけの時間を取ってから
臨んで頂けると良いかもしれませんw


いおらじを通しては、4話以降で、やはりカラオケ板紅白で知り合ったここなっつさんや、天むすさん、
はるぴーさんにもご協力頂き、前菜さんを皮切りに、ニコニコ海賊団にも順繰りに、全員ご登場いただきました。
また、ネット声優とかではないはずのせらさんにも、出ていただきました。
朧月の個人的なつながりから谷屋さんにもレギュラーで出ていただいていますし、全てに通していえるのは、
繰り返しになりますが
「声を先に聴いて、キャラが生まれた」
ということです。
ニコニコ海賊団と朧月とには当初接点がなく、共通の知り合いとして私が間に挟まっているだけでしたが、
蟹風呂ライブという、私のブログ主催のライブを行った際に、ニコニコ海賊団にも朧月にも、せらさんにも、
まとめてゲスト出演して頂いたことで、朧月の中に、「彼らが演じるキャラ」というものが生まれたということになります。
直接会って、話をして、交流を持ったからこそだと言えます。
(ニコニコ海賊団や蟹風呂ライブについては後述)


このような、点が線で繋がるようなバックグラウンドまでもが「いおりんラジオ」の一部だと思っています。
確かにそれは、ボイスドラマを聴いただけではわからないことかもしれませんが、このように掘り返していくと
偶然の出会いの積み重ねとか、その中で知り合った人から得たインスピレーションとかリスペクトとかが、
最終的に作品という形になって世に生まれ出るというのが、私たちの作っている作品の、面白みの一つなのではないかと思うのです。
「調べれば調べるほど楽屋が面白い」というかw
楽屋が面白いからこそ、出来てくる作品で皆の息が合っているというのがあります。
ウェブ制作のボイスドラマは、各自が家で自分のセリフだけを収録するわけですから、
前後の役者の言い回しや間というのは完成するまで演者自身すら知りようがないのです。
最初にそれを聞けるのは、編集をしている私ということになります。
そんなわけで、演者は皆「相手がこのように言うだろうから自分はこのキャラとしてこのように返す」というのを、
すべて想像で補わなくてはいけません。
そこでは、やはり相手をどれだけ知っているかが問われるわけですよね。
いおらじの音声を編集していると、「この人たち本当は集まって収録したんじゃなかろうか」と思うような
偶然の間の一致などが大変多く、そこにバックグランドが滲み出てきている、と思いますし、
それを感じていただけたら、より一層制作陣としては嬉しいところですね!


ところで、こういった活動を続けていく中で、いさじもかにぱん。も、いおらじという作品も、皆楽しんでるよ、好きだよ、
という方がちらほら現れてきてくれて、例えば、今はいおらじに関するイラストも沢山提供してくださっている
絵師のひろむさんなどは、いさぱん。の歌のコラボにしろ、いおらじにしろ、私が蟹風呂を拠点に行ってきた
色々なものを総合的に楽しんでくださっていて、安心して絵の依頼が出来るなぁということで今に至っています。
始めは私がキャラデザをしたことでドラマが生まれて行ったのですが、どやがCDという形にしたいと言い出して、
絵をひろむさんにお願いしたりで、CDジャケットはひろむさんの描いてくださったものが多いですね。
一番最初にいおらじの絵を公式にお願いしたのは、「キャラクターソング企画」のためでしたが。


確かに私自身が文章も絵も好きでかけるのだけれども、そういうことを色々やっていくうちに、
例えば文章を書く人として朧月と知り合えたり、絵を描く人です、とひろむさんが連絡をくれたり、
徐々に分業化が進んで、自然とコラボが生まれていく、というのがネットのすごいところなのかもしれないと思います。
とりあえず自分に出来ることをちまちま発表しつづけていると、「この業務なら担当できるよ!」という人が
名乗りを上げてくれて(始めはそれはファンレターのような形ですが、“これができます”という情報が含まれていると
今度何かをお願いしてみようという流れになったりします)じゃあ、一人でやるより皆で協力しよう!ってなる。
その方が効率が良かったり、全体のクオリティの底上げになったりもします。




さて、2007年の出来事に戻ります。


11月22日、オーディオインターフェースというものを初めて導入しました。
音質向上委員会のチカラです!! といってもその委員は自分一人なんですけれども、
マイクをそろそろダイナミックマイクにしようということで、ネトラジ時代に使っていたヘッドセット型から
手で持って使えるソニーのマイクに変えてあったのです。
しかし、それをPCに直挿ししていたので大して音質良くもなかったのですよ。
ヘッドセットに毛が生えた程度? いや、音響機器に毛が生えたところで音質はよくなりませんがw
そこで、オーディオインターフェースを通すことでだいぶ変わるというのでUA-25を購入しました!
これでも、更に毛がぽやぽや生えた程度だったんですが、コンデンサマイクを導入するまでは
この毛並みで我慢していました。
コンデンサマイクをUA-25に接続するのは2009年3月のことですから、まだまだ先ですねw
今でもオーディオIFはUA-25です。


また、よく私の動画で背景に使っているこちらのイラスト

これも2007年11月に制作されました。
ブログの30万HIT記念にTシャツを作ろうと思い、いさじに原画をお願いして
それを私がTシャツデザインに起こし、原画にはおぶい君が彩色してくれてそれを動画背景に用いているというわけです。
これは、私の似顔絵とかではなく、「(V)・∀・(V)の擬人化をしてみて」といって描いてもらったものなので、
一種のアバターでしかないのですが、ミク好きのいさじが服をボカロっぽくしたので、
それを逆手にとって、私はコンデンサマイクを購入したらすぐに音声ライブラリを作ろうを決めました。
UTAUは2008年3月にリリースされたのですが、コンデンサマイクの購入とUTAU蟹音ぱん。リリースは
2009年3月となりましたので、1年もそのアイデアを暖めていたことになりますがw


12月5日には、まぐさんと初コラボを公開しています。
カラオケ板からの付き合いであるまぐさんですが、同じカラオケ板経由の友人で、
まだ「いおらじ」に出てもらっていないのはまぐさんだけだと思います。
それで、まぐさんにも既にキャラというのは設定されているのですが、お話のピースがまだ揃っていないので
脚本執筆は始まっていません。
もし「降ってきたら」作るかもしれませんね!


それから、12月15日、関東ニコニコ合唱祭2007が開催され、私はこっそり覗きに行きました。
ただステージ袖にいただけなんですけれどもw
10月に開催した私のバンドのライブに、この合唱祭の主催の方(まげわっぱさん)が来てくださって、
歌での出演を依頼されたのですが、私はお客さんから「こいつ誰?」って思われそうだなと思ったので
出演はお断りして、イベントの様子だけ見せてもらうことにしました。
このイベントは、台湾で行われた組曲合唱祭の動画に触発されて、
「台湾でもニコ厨が集まって組曲を歌っているのだから日本のおれたちだってやろうぜ」
的な趣旨というか、動機で立ちあがった企画だったと思います。
そしてそれをまた動画でアップすることで台湾の皆さんに見てもらおう、みたいな。
なんか殺伐としたものを想像していたのですが、とても和やかでした。
ステージ袖でただのん君と知り合いました。


そして大晦日に「視聴可能動画数」を108個(煩悩の数)にして2007年は終了しました。
自分で消したものと削除されたものを合わせると、140個投稿していました。
大晦日に公開した動画は、トークラジオでした。


ボイスドラマではなく、フリーでトークするタイプの音源というのは、ボイスブログにずっとアップしていまして
ニコニコには全く上げていなかったのですが、大晦日に
・かにぱん黙示録 ニコニコ編「今夜は大晦日だ」(こちらは現在は見られません。)
を公開することで動画数を108個ちょうどにするという計画を発動しました。
歌ばかり歌っていましたが、私はこのときにも、今になってもまだ、ブログのトップで
「ネトラジDJかにぱん。です」と名乗っているくらいですから、ラジオの動画を作ってみたっていいんじゃないかと。
なので、遅ればせながら、これが最初のラジオ動画になりました。
その後は、「ニコニコ編」として
・「ポーション調合!!」


・「早口言葉地獄、再び」


・「おかしなたべもの」


・「見とれるような造形ぱん」


・「大晦日だよ!蟹音ぱん2008SP」


・「UTAU蟹音ぱん。連続音正式版リリース」

を作りました。

大晦日は2007年と2008年において「恒例」のような扱いでしたが、2009年には
ニコ生を始めたので、年越しニコ生を行いましたね。
動画の場合は、ちゃんとラジオ局で放送されるラジオ番組のように、BGMがあってジングルがあって台本があって、
という構成にしていました。
再生時間はまちまちですけれどね。
それからBGMが自作ということもこだわりです。


その他2007年 まとめ








 
→Ver3.0 


















〈第6章 ニコニコ動画期 Ⅱ(2008年)


以上の様にして、カラオケ板とニコニコ動画を股にかけた私の1年が終了しました。
そして、2008年の2月にカラオケ板紅白のMCをも引退してからは、
本格的にニコニコでの活動の方にウェイトを置くようになりました。


1月12日、組曲『ONE PIECE』を一通り歌い終えたので動画でアップしてみました。
もうこの時点で、組曲としては6回目くらいの録音になりましたw


しかし、私は漫画のワンピースに関して、実家にいた頃は毎週リアルタイムに読んでいたのですが、
大学に入ったときにジャンプを読む習慣がなくなって離れてしまったために、歌詞の読み間違いなどがあり
すぐに歌いなおして1月31日に(改)にしました。
この(改)の方もランキングの10位くらいまで上がった記憶があります。
当時は、今ほど動画も多くなく、前日と毎時の総合ランキングくらいしかなかったので、そこで10位まで上がると
「うわー結構目立つなあ…」という感じでした。


それにこの頃は、冬もマシンガンを加速したり、初めてボカロ曲のリクエストをもらったけど
それはMEIKO曲だったりしました。



それから

こういうものも作られたりして嬉かったですね。


3月3日にオメがん(三時のオメマユ)、18日にVIPゾロ(現DASH)がそれぞれ、組曲『ONE PIECE』をアップしたことが
判明して、替え歌の作詞をした前菜さんも、歌つき動画の方では「ロビンの人」と呼ばれていることがわかり、
「これ麦わら海賊団メンバー揃うんじゃないかな…」
と思い始めました。
それにもし集まったら全員で改めて組曲『ONE PIECE』を歌いたいな!と、この時に思いました。
(そしてそれが叶うまでには2年必要でした。)


どうやら私がリクエストに応えたことで、視聴者側で熱が篭っちゃった人が出たみたいで、オメがんやDASHの動画に
益々リクエストが相次いだようでしたw そして彼らが3月になって、それに応えたという。
(余談ですが、汽車しゃんは12月の時点で“ウソップっぽく”歌ってアップしていましたw)


この直後に、mixiの方でDASHからメッセージが来て、最初から「コラボしよう」というような話を
していたわけではないのですが、なんとなく連絡を取り合うようになりました。
DASHが、更に外部のサイトでオメがんを見つけてきて、mixiで私とDASHとオメがんが繋がりました。
そこで、ワンピースのキャラソンとかやってみたいね、なんて言ってどんな曲があるのか調べてみたら
なんと、ルフィ・ゾロ・サンジで歌ってる曲があるじゃありませんか!!
たまたまその時点で集まってたメンバーそっくりそのままのパート分けでコピーできるwwwということで
二人を誘ってみたところ、ものの数日でアカペラデータが送られてきました。


3月31日、ニコニコ海賊団が旗揚げされました。
(新アカからの再うp版)

2009年11月に3人で歌いなおしたもの


ここから、ニコニコ海賊団の歴史が始まります。

《ニコニコ海賊団について》

いまは「ニコパイ」という略称で親しまれている「ニコニコ海賊団」ですが、
これもなんとも数奇な運命を感じるコラボユニットですね。
ちなみにニコパイはNICONICO PIRATES(ニコニコパイレーツ)の略です。


まず、前菜さんが「組曲替え歌ブーム」の中で組曲『ONE PIECE』を作って、自身でも歌をつけ
「前菜@ロビンの人」と呼ばれていました。
そして、カラオケ板時代から全然関係ない曲で「クリリン?」とか言われていた私の動画に、この組曲を歌って欲しいという
リクエストが本ッッ当に沢山書き込まれまして、これはもう絶対逃げられないな、くらいの感じを受けましたw


そして、それを実際に歌ってみたところ、最初のバージョンと(改)で合計して10万再生まであっという間でした。
まさかそんなに待たれていたと思わなかったです…。
「似てないな」って言われて終わると思っていたので。(ちなみに今でも似てないと自分では思っている)
3月に偶然にもVIPゾロ(現DASH)とオメがんが投稿し、しかもその歌の中で、互いに煽り合う部分があって
特に交流もしていないのにこのシンクロ率はすごいなあ、と感心していました。

それで、DASHから「組曲ワンピース歌ってるかにぱん。さんですよね?」と連絡をもらって、
オメがん探しをして、3人で集まった。これが、ニコニコ海賊団の始まりでした。

名前は私がつけました。
本家麦わら海賊団とは明らかに異なるのだから別の名称をつける必要はあるし、
かといって別にカニのマークを掲げたいわけではない。
ニコニコ動画がなかったら、今こうして知り合って、「RESPECT!」を歌ったりしてないだろうしな、と思い
「ニコニコ海賊団」にしました。
今でこそ、ニコニコ生放送内で声真似をしている生主さんは沢山いらっしゃるわけですから、
「ニコニコ」でやってる「海賊団」は他にもあるかもしれませんが、少なくとも当時は私たちの他になくて、
なんというか、別に凝った名前にしたくもなく、安直なのが良かったんです。
それでこんなに単純な名称になりましたw


動画をアップするときに、「あ、何かコラボユニット名つけた方がいいかもなあ」と思い、
急いでつけたせいもありますw
なので、DASHとオメがんは、公開された動画を見て初めて
「あ、俺たちってニコニコ海賊団っていうんだ」
っていうことを知った状態でしたw すまん!w


こたねちんの組曲は2008年4月20日にアップされていますから、「RESPECT!」も見て歌ってみたのかな。


その後しばらく音沙汰っぽい音沙汰はなかったのですが、
9月には、組曲『ONE PIECE』の1周年を記念した動画にお誘いいただきました。


ちなみに記念日は、歌なしが9月7日の投稿、歌ありが9月14日の投稿(再うp)なので、
そのいずれかということになっています。


10月。
私と、DASH、オメがん、そしてこたねちんと前菜さんの5人が繋がりました。
そこで、「キャラソンを歌ってジャンプで繋いで動画ツアーを企画しよう!」という話になり、
「キャラソンツアー」を作りました。

出発地点がここ


この曲も、今歌い直したらもう少し似るような気がするので、近々録り直ししたいリストに入れてありますが…。
しかも録音環境もエンコード方法も違うので、もっと音質なども良く出来ると思うんですよね。
ともかく、最初は、この5人で4曲歌ったのが、「キャラソンツアー」でした。
その少し後に、今度は前菜さんから誘われて、クリスマスコラボをしようということになりました。
そこでは、組曲もアップしていた「するめ」さん(ニコニコ引退済み)がウソップを演じてくださいました。
また、チョッパーはいなかったので、私がそのときだけチョッパー役をしています。


ところで、今の7人が揃ってからニコパイを知った方になりますと、2008年当時のことなど
知らなくて仕方ないと思うのですが、タイツォンがウソップっぽく組曲を歌っていたことから、
私たちの動画でも「ウソップはタイツォンが似てる」というような
コメントが沢山つきました。(タイツォンとの交流については後述)
こういう「その動画にいない人の名前を書く」というのは、歌い手動画を見る上でマナー違反ということは
今では皆さんも良くご理解頂いていると思うのですが、実際にそういうことが沢山起きたから、
今はそういうのがマナーだよねとなっているのであって、過ちがあった上での現在、ということなのかもしれません。
その頃はそういうマナー違反が「マナー違反」と認識されていなかった分、多かったのです。
ここでタイツォンが―と書いてしまうのも本当は良くないのですが、ちょっと調べればどうせわかることなので
伏せずに本人の許可を貰って書いている状態です。

それで、タイツォンとはその後、後述の仙台ライブを通じて交流するキッカケを持てたので、一度ちゃんと誘って、
ちゃんと断ってもらえば視聴者も納得して諦めてくれると思い、タイツォンにウソップをやりにこないか
声をかけたことがあります。
知り合ったことで、余計に周囲に「タイツォンが加入か!?」という空気も出てきてしまいましたし、
そのままよくわからない感じではいられなかったですね。
タイツォンにとっても、例えば視聴者が「ニコパイに入ってください」ってしつこく言い続けるようだと、
迷惑になると思いましたし。
その仙台ライブの時タイツォンがボーカルをやった北海道バンドと
「ウィーアー!」をコラボすることになったので、尚更声をかけておこう、という意味合いもありました。
でも、多分やらないだろうとは思っていました。
だから、ダメ元で誘って、実際にちゃんと断られたので、
そういった経緯をブロブやニコ生などを通じて視聴者に説明していって、
正式にウソップが決まったらそれが例えタイツォンでなくても「ニコパイのウソップ」であることを
受け入れてもらえるよう説得を続けました。


しかしその間に、するめさんとは連絡がつかなくなったため、しばらくウソップ不在の期間がありました。
私が、タイツォンに声を掛けずに「ニコパイのウソップはするめさんなので」と主張し続けていれば
そうはならなかったのかもしれないとか色々反省もしましたが、実際のところはわかりません……。
しなかったことについてどんなに検証しても、今はもうそれとは違うルートに入ってるのだから
「もしこうしていたらどうなったか」を実際に知る術はありません。
ただ、色々なところに温度差というのはあったかもしれませんね。
どれだけ声が似ているかとかではなく、コラボユニットの場合は「足並みが揃っているか」が重要だと思いますし。
これは、他の誰がどう悪かったということではないので、責めるとすれば私を責めてください。
何かもっと全員が納得行く、的確な手段があったようにも思います。その反省は今後に生かすしかありませんが。


2009年9月。
9月といえば、組曲『ONE PIECE』の記念日がありますので、それに合わせて
ニコパイでキャラソンなどをコラボしていく中で、「Family」「ウィーアー!」を歌ったのですが
それはまさにその「タイツォンに断られてするめさんと連絡がつかなくなった時期」であったため
ウソップは不在であり、チョッパーとして梨姫しゃんの加入を発表することを兼ねての「Family」と
フランキーとして汽車しゃんが加入したことを発表するための「ウィーアー!」という形でありました。


経緯を知らないと、「汽車しゃんはウソップが出来るのに何故やってないのだろう」と思うかもしれませんが、
上記の事柄は、その疑問への回答にもなると思い書きました。
このあたりの事情を飲み込めば、そういう順序になった理由も理解していただけるのではないかと思いますが
いかがでしょうか。


そして、汽車しゃんが「無双」であったことは、今総合的に見返せば良かったことだとは思いますし、
飽く迄「徐々に」それを出していくという配慮も必要だと思ってそうしました。


梨姫しゃんは2009年の2月に組曲をソロでアップしていました。

そして、2009年7月6日に、
私、VIPゾロ、オメがん、こたねちん、するめさん、前菜さん、梨姫しゃん、×紋さんの音声を用いた、
「ミニ合唱Project」さんによる、「混ぜてみた」が公開され、いよいよ組曲『ONE PIECE』の正式な合唱が
現実味を帯びてきて、是非梨姫しゃんをチョッパー役に誘おう、となったのです。
そして、前菜さんに、既に交流のあった梨姫しゃんに声を掛けてもらっている間、
私の方では汽車しゃんに連絡を取っていました。

汽車しゃんとは、一番はじめ、私のバンドがライブを開催したときに、メールでチケット予約できるシステムを敷いていて
「行きたいけれど成人式だから行けない」というメールをもらったことで知り合いました。
ただしそのときは、フランキーやウソップの声真似ができる人、という認識はなかったですけどね。
彼の「汽車」という名前は、「最終鬼畜全部蟹」を聞いて、「俺も自分の大好きなポルノグラフィティの曲で
全部俺やろう」と思い立って録った動画で
「ボイスパーカッションが汽車っぽい」といわれたことに由来するという話をされたので
ワンピースファンだとか、自分も組曲を歌っているということは当人も言ってなかったように思います。



私もタグとかで巡ってみて「初音ミクの消失」をストレイト・クーガーの替え歌にしてるんだなあ、
とかそっちに注目してしまったしw



つまり、私が組曲『ONE PIECE』を歌う前から彼は私の動画を見ていた視聴者のひとりで、
もちろん組曲『ONE PIECE』も見ていて、ワンピースファンとして、
その後のニコニコ海賊団結成の流れも含めてすごく盛り上がっていたそうなのです。
ただ私が知らなかっただけでw
それで私はそれを全然知らずに、私の歌ったキャラソンの動画に「フランキーなら汽車さんがいる」というようなコメがあって
「え? 汽車さんってあの人かな?」
と思い出して調べたら、フランキーのみならずボンクレーとかジャンゴとかの声真似をしている動画が出てきて
「こいつだwwwwwwwwwwwこいつしかいねえwwwwwwwwwwww」
となったことで、こちらから、是非ニコパイのフランキーに、とお誘いした次第です。




フランキー役として誘って加入してもらった汽車しゃんですが、彼は元々早い段階(2007年12月時点)で
組曲『ONE PIECE』をウソップっぽく歌ってアップしており、しかも映像の関係で権利者削除されていたため
動画の検索などにはそれが引っかからず、汽車しゃんのマイリストを見るとようやくそれに気づける、という状態でした。
なので、「補欠」としてウソップをやってもらえることは、フランキーとして誘った後にわかったのです。
とはいえ、これにより、彼が色々な役を一人で演じるというキャラを確立させて「汽車無双」という単語が生まれるに至るなど、
色々「結果オーライ」であったともいえます。
それがわかったからこそ、組曲を合唱しよう!ということになったわけですし。
余談ですが、私が汽車しゃんに
「ウィーアー!のコラボの話があるので、フランキーとしてニコニコ海賊団に加入してくれないか」
という交渉のメールを送った際、汽車しゃんの返信のメールは日本語が若干崩壊していました。
嬉しすぎてそうなったそうですがw こちらとしても嬉しいことです。「ん?」とはなったけどね!ww




2009年のクリスマス動画は「YOU ARE THE ONE」になりました。
汽車無双のはじまりです。

出来る役はなんでもやっていいよ、といったらこうなりました。


蟹風呂ライブで、タイツォンとニコニコ海賊団とが共演することになった際、タイツォンは、汽車しゃんのことを
「汽車さんね…… あれは、病気!」
って言ってました! 多分「(良い意味で)」がつくんだと思うんですが、確かに病的な声真似レパートリーですよね!!!!


2009年の12月には、前菜さんとこたねちんと汽車しゃんと私とせらさんでジャンプフェスタ・ストロングワールド観るオフ
というのをやったのですが、このときに「ワンピースの0巻」という特典がちょうど在庫切れになったために、
引換券を渡されて、年明けにそれの交換に行ったのですよ。
(後、このストロングワールド見に行くオフに、「行きたいのに行けない」と悔しがるDASHに対して
 「ゾロざまぁwwww」という電話を掛けたことで、DASHにざまぁキャラが定着した)

0巻を取りに再度幕張に行った時のメンバーは、私と汽車しゃんと5月病マリオさんとせらさんの4人だったのですが、
(せらさんまじどこへでもついてくる)
まず最初にアキバの海峡で唐揚げを食べて、マリオさんと汽車しゃんが、ジョジョの話題で盛り上がり、ふたりが
「最近ニコニコで“うろジョジョ”見てる」「おれもれもwww」ってなりまして、
「もしかしてニコパイが声あてたら“うろワン”出来るんじゃね」という流れに。
そこで、アキバで食事が済んだら幕張にワンピ0巻を引き取りに行って、今度は幕張のビッグボーイでご飯を食べながら
実際に「うろおぼえワンピース」を描いてみることになりました。

そして数日後、出来てしまったのがこれです。

このシリーズなんですが、じわじわ続いて今ここまで来てます。






2010年3月31日。
ニコニコ海賊団の2周年記念日でしたが、2年越しの夢を皆でかなえるため1月から頑張りました。
つまりうろワンを作りながらもこれを作っていました。


この動画は、私が関わった動画の中で初めての100万再生となり、もうニコニコ海賊団として
出来るだけのことはやりきったと言っても過言ではないと思います。
これ以上の誉れはないのではないでしょうか。

この合唱に関しては、やはり「ミニ合唱Project」さんの「混ぜてみた」も参考にさせていただきましたし、
「ミニ合唱Project」さんと、その「混ぜてみた」動画を楽しんでくださっていた視聴者の皆さんからの
期待に応えたいという気持ちも、モチベーションに繋がりました。
まぁこの合唱に対するモチベーション自体は、そこまでの2年間、ずっと高かったんですけどね!ww

スカイプに「船室」という会議窓を作ってあって、今の7人で、録音や会議をして
「ここにこのセリフをいれよう」とか、「このセリフを録ってみたから聴いてみて!」とか、
「この部分は誰と誰で歌おう」とか毎日大騒ぎでした。
×紋さんにも、ビビとドクトリーヌをお願いして、セリフも沢山録ってもらいました。
私も、ルフィ1役とはいえ、それは、とても大きな1役であったため、アニメ本編の該当シーンを見て
本家田中さんのセリフの言い回しを耳コピしまくりました。
前菜さんの、エニエスロビーでのロビンのシャウトは、本家と同時再生して
「同じ人が二人いるwww」
となったし、それに応えるルフィの「生きたいと 言えぇぇええ!!!」も、前菜さんにまけじと全力を出しました。
あのとき、「叫び方」というのを覚えた気がします。


この動画のクレジットには尾田栄一郎先生の名前や、ワンピースの声優陣について書かれていませんが、
ご本家の関係者の方々に「捧げる」ほど偉そうなものでもないし、「スペシャルサンクス」にすると、
原作のほうが「お手伝い」とか「素材」扱いになりそうで何か違うと思ったのです。
いまだにこの部分の明確な答えは見つかっていません。
とにかく、作品や、それに関わっている皆さんへのリスペクトは最大限込めたし、
この動画を見て欲しいのはそのご本家の方々ではなくて、どちらかというと、まだワンピースを良く知らない人
であるような気がします。


ちょっと前に書きましたが、私はワンピースを「ナミの過去編」までリアルタイムで読んで、
そのあとにジャンプを毎週読む習慣がなくなったために一旦離れていたのです。
それで、組曲『ONE PIECE』を歌うことで、もう一度ワンピースと出会い、読み直して、
改めて感動したという経緯があるので、この合唱動画も、ワンピースとまだちゃんと出会っていない人や
一旦離れた人が、「改めて面白い作品なんじゃないか」と、興味を持って欲しい思いで作っていきました。
だから、原作者やアニメの本家声優さんに見て欲しいのでもないし、
それらを素材として人気動画を作りたかったのでもないので、クレジットにその方々を入れるとしたら、
なんと入れればいいのかいまだにわかりません。
「最大限のリスペクト」という項目を作ればいいのかな……。
ちなみに、以下に紹介する「ピースマ」等においては、「やっぱりなんか違うんだよな」と違和感を感じながら
「スペシャルサンクス」の項目に書き加えました。絶対何か違う…。

ハッ!! 「スペシャルシャンクス」と書けば良かったのか!!!

ともかく、この「メドレー替え歌」は、今でも「続きを作ってください」の声を沢山頂くのですが、
組曲『ONE PIECE』は第1巻~39巻の内容をこの10分半に詰め込んでいます。
また同じような「メドレー替え歌」を仮に作るとして、それが組曲なのか流星群なのかすらわかりませんが、
とにかく第2弾をやるとしたら、やはり同じ冊数になる78巻くらいまでは出てからじゃないと
作れないんじゃないかな、と思っています。
しかも、その頃にニコパイがどうなっているのかはまた別の問題なので、確約もできませんが…。
多分ニコパイのメンバーは、一生涯の友人であると思いますが、「ニコニコ海賊団」という活動を
いつまで続けられるかということは誰にもわからないのです。



2010年4月1日(組曲の翌日)、エイプリルフールネタとして、
「アニメワンピース嘘オープニングテーマ」を作りました。



作曲はせらさん、作詞は私、演奏は北海道バンド、そしてニコパイが歌う、というものです。
エイプリルフールネタとしてそこまで盛り上がりませんでしたが、
「実はニコパイのテーマソングなのです」とネタバラシをしたところ、
ちゃんと楽曲として気に入っていただけたようで、それはそれで大変嬉しかったです。


上記楽曲制作メンバーに加えCDジャケットと動画背景が5月病マリオさんという、
これまでのニコパイとその周辺の皆さんの総力を結集したものになりました。
CDはもうほとんど在庫がなく、増刷する予定は今のところないのですが、即売会や蟹風呂喫茶の物販などでは
少数置いていますので、是非手にとっていただければと思います。
CDに収録されているバージョンは動画とは別になります。
カラオケ音源も入っています。

それから、ニコパイでは、現在までに、この「ピースマ」を含め3枚ほどCDを出していますが、
そのいずれにも言えることは「おまけが本編すぎる」ということです。

CDというメディアは、再生時間としては74分が最大、というのがいわゆる一般的な考え方ですが(例外はあります)
ニコパイCDに収録されている「楽曲」の再生時間は合計で10分程度であり、その後に30~40分くらい
オマケのトークが収録されています。声優座談会のようなポジションですね。
こればかりは、CDを買って聴いていただきたいトラックです。

オープニングテーマのようなイメージで「ピースマ」を作り、2作目としてはエンディングテーマのようなイメージで
「共生賛歌 ~RAINBOW COLOR~」
という楽曲を発表しました。略称は「ボーカラ」


「ピースマ」は息継ぎをどこですればいいのかわからないということに定評があり、
そのことでメンバーからもせらさんに苦情が噴出しましたが、「ボーカラ」の方は「ピースマ」に比して
脅威の息継ぎ回数です! とても歌いやすいと思います。
タイトルは、ダジャレですが、せらさんと「何か、今回はダブルミーニングなタイトルにしたい」という相談をして
例えば「強制参加」→「共生賛歌」とか、という例を出したらそのまま通ったというような流れだったと思います。
そして、作詞の際に、パート分けを予め決めて、その担当パートのキャラクターのイメージカラーを歌詞に盛り込み、
カラフルな歌にしようと決めていたので、サブタイトルを「RAINBOW COLOR」としました。


もう一つのCDは、歌モノではなく全編セリフのボイスCDです。
ニコパイが羊を数えるCD


こちらも大変くだらなくて、睡眠妨害にうってつけです。
ちょっとこの動画で序盤をお聴きいただけるので参考にどうぞ。
CDでは200匹まで数えています。

勿論「共生賛歌」のCDにも「羊を数えるCD」にもお馴染みの「座談会トラック」が収録されています。
しかも、「羊」のCDでは、皆で協力して台本を作っていったので、その制作過程をお聴きになれます。
え、いらないって?

という風に、ちょっと販促になってしまいましたが、同人CDを作ったりもしてきました。


また、私のブログ「蟹風呂」で主催するライブ「蟹風呂LIVE」の1st、それから2ndの前編においては
ニコニコ海賊団のステージというのを設けましたが、そのときには出演者一同、その人気に驚きました。
なんというか、実感がないんですよ。
私たちを見に来たの?本当に? という感じでw
何か違うものに熱狂してるんじゃないだろうか、と。
いや、確かにワンピースに熱狂的であるということは言えると思うのですが、ワンピースに熱狂的だからって
ニコニコ海賊団にも熱狂的になるとは限らなくて、むしろ批判的になる人だって大勢出そうだし。
けれども、ワンピースもニコパイも好きだと言ってくださる方は、私たちが思っている以上に多くて
ライブに足を運んでくださって、本当にびっくりしましたし、嬉しかったです。
ライブに関しては、別章で詳しく書きます。


ニコパイはその後も仲良くやっています。
ただ、この人たちは、別にこれが仕事ではないので、本来の各自の生活というのがあって、
その余暇をそれぞれ割いて、コラボとかに充てているわけです。
プライベートが忙しくなるタイミングや、その余暇の使い方や、使える時間の長さは
人によって違いますし、その時々で変化しますから、いつでも誰とでもペースが合う訳ではありません。
特に7人となると、7人全員のタイミングを合わせてニコ生をしよう、というだけで
結構一大事ですw
そのため、最近は、きっかり3ヶ月に1度のペースでやっていたコラボやニコ生も、
実質無理!という状態にあります。
皆バラバラに、各自の生活を送っているのだからしかたのないことです。
でも、あれやりたいね、いつかこれやりたいね、というような、「ニコパイでやりたい面白い企画」というのは
いつも私たちの中にあって、きっとタイミングが合えばそれをするんだと思います。
だから、以前のペースではないけれども、きっとまた動画をアップしたり、ニコ生をすることはありますから、
都合が合えばこちらまで、遊びに来てくださいね。





《声真似について》

ニコニコ海賊団で、ルフィを担当している以上、声真似について書いておかなければいけないと思います。
しかしこれは、飽く迄私個人のスタンスとして主張するものであって、これと違う考えの方が大勢いらっしゃることは
理解していますし、それは各々自由にやって良い事だと思いますから考えが違う方のことは全く否定しません。
そもそも、誰かを否定するために書く段落ではありませんしね!!w


先に書いておきますと、私は
・自分の生放送「かにぱん黙示録」ではキャラのセリフを言うなどの声真似をコンテンツとして配信していない
というスタンスです。
今のニコ生の風潮にあっては珍しいかもしれないので、
私の声真似に対する考え方を以下に噛み砕いて解説しながら、理由を説明していきます。


まず、組曲『ONE PIECE』を歌うまでの流れを含む、ここまでの文章を読んで頂いていれば、
私が、リクエストによって組曲『ONE PIECE』を知り、すぐには歌えないと思いつつ、
なんとかリクエストには応えたいがために、やったことのない声真似というものに挑戦したのだということは
わかっていただけているのではないかと思います。


しかし、他の楽曲の「これ歌ってください」「歌って欲しい」というリクエストについても同じことなのですが、
「視聴者がリクエストをしてきたからやったのであって、似てないからといってそれは私のせいじゃない」
みたいなことは言いたくないのです。
確かに、私は自分自身で「私って田中真弓さんのような声出せるかも!」と気づいたわけでもありませんし、
人からリクエストを貰わなければ、もしかしたら未だに1曲も田中さんの曲は歌ってなかったかもしれません。
だからといって、リクエストされて歌って「似てない」といわれたときに、リクエストした人のせいにするのは
とてもかっこ悪いことだと思うのです。
飽く迄似てないことは私の責任なのです。



事実、リクエストを受けるというところは「受動的」なことかもしれません。
でも、それを聞いて「歌いたい」と思うところからは「能動的」なのですから、そこから後は
自分で責任を持たなければいけない部分だと思います。
そのため、仮に似てないと言われようとも、また、自分で完全に納得の行く出来ではなかったとしても、
「全力を尽くす」
ということから逃げてはいけないと思います。


それは何故かというと、結局のところ、どこかしらで手を抜いたことというのは、追々自分の後悔になるだけだからです。


私は、後悔がこの世で一番嫌いなことかもしれません。
時間は巻き戻せないからです。
死ぬのより嫌だと言ってもいいでしょう。
死んだ後のことなんてわからないから、生きている間に起こることと比較してもナンセンスですし、
生きている間に感じる苦痛としては、「後悔」というのは私にとって生き地獄そのものなのです。
だから、とにかく迷ったら「一番後悔しないであろう選択肢」を取るようにしています。


そして歌にしろ、声真似にしろ、「後でもっとチカラがつけば、そのときは今より良くなる可能性」が
あるのかもしれませんが、その時が来るのをただ待っているのでは、可能性を自分で殺していることになります。
まずは、「今の全力」を出し切らなければ、そこより良くなった未来というのは訪れないものだと思っています。
ひとまず今の全力とか、今の限界を出し切って、
自分の「今」をはっきり知らなければ、その先へは進めないものだと思っています。



リクエストに応えるにしても、
「視聴者がやれというからやった」
だけでは責任転嫁になるし、リクエストした側も別段嬉しくないですよね。
私は、視聴者から受けたリクエストで知らなかった曲を知って、それを気に入って歌いたくなったから
能動的に歌って、リクエストに応えるというスタンスでいたいのです。
そして、ちゃんとそのときの全力を発揮しなければ、自分が後悔するのがわかっているのです。
勿論、後になって「今やれば更に良いものになる」と感じればそのときに「改」をリリースすれば良いのです。
とにかく、「今の」全力を出したい、これに尽きます。


ただ、他の方々が私と違う考えであればその通りに自由にやればいいと思うと同時に、
私にもやりたいこと、やりたくないこと、やれないことがあります……。
声真似というのは、今となってはニコ生の人気コンテンツとなっていますよね。
私もニコパイをやっている以上、自分のニコ生で時折「声真似してください!」といわれますが、
トップページに書いている通り、かにぱん黙示録内では声真似はあまりやりません。
ニコパイの生放送のときは、腹を決めて必要に応じてやりますが、かにぱん黙示録内では
ほとんどやらないですね。
それは、生でちょっと喋った程度では、私にはまだ似せられる実力はないと思っているからです。
本当はニコパイの生放送でも、「自分絶対似てないこれ…」と物凄くイライラしてたりもします。


でも、録音で声真似をするときは、ひとつのセリフに対して何百回も録ります。
その中から「これだったら及第点」というのをなんとか一つだけ選ぶ、という作業をするのです。
生で1回言うくらいでは納得が行かないことはわかりきっているので「やらない」ということが
私の責任の取り方であって、全力を出したいときは、集中して録音を重ねることで応えたいのです。
どこでどういうタイミングならやる、それ以外ではやらないとはっきりしておく必要性を感じているのです。



それはなぜかというと、声真似というのは、結構ナイーブなものだと私は解釈していて
例えばそれは、似顔絵に似ています。
特徴を捉えてそれをデフォルメすることで、「似ている!」となったり、本人が不愉快になったりもするのです。
その差は紙一重で、「ものまね芸人」はそれを笑いに昇華させていますが、
あれは、生半可の覚悟や勉強では出来ないことのはずなのです。
本人を不愉快にさせた時点で笑いではなくなるわけですから。
ただでさえデフォルメしていることで、ブラックジョークの要素があるのでギャンブルだと思います。
だから、本来中途半端は許されない世界なんじゃないかと思うのです。
「真似される程の有名人になったら、その人も本望だろう」
というような言い分もあるかもしれませんが、それは人それぞれ感じ方の違うところですから
一概には言えないことだと思います。



皆さん自身は、自分自身が有名人ではないだけに、「真似されることになった場合」の自分の気持ちを
想像したことすらないかもしれませんが、今ちょっと考えてみてください。
すぐに
「もし、それがこういうパターンだったら嫌だな」
というものに思い当たったりしませんか? 
自分で好きではないと思っている特徴を前面に出されたりしたら嫌ですよね。
真似をされて嬉しいかもしれないし、嫌になるかもしれない。
実際にされてみなければ判断はできないけれど、どちらの可能性もあることに気づくはずです。


だから、私は、真似をするということには、かなりの覚悟と勉強とリスペクトが必要だと考えています。
それがあるのかないのかなんていうことは、本人から見たらバレバレなのですから、尚更です。


そのため、私は、「これなら世に出せる」と思う声真似を、飽く迄「収録」の形で提示したいと思っていて
ニコパイの生放送においては、声のコンディションを極力調整して、事前に可能な範囲で練習したりして
臨むということで折り合いをつけています。
あ、ただ、かにぱん黙示録内で田中真弓さんの曲を歌うこともありますが、
それは真似ではなく、他の曲と一緒で、むしろ普通に、自分なりに歌ってたりします。
それが似てるとしたら、もうそれは、それで……そうなんだろう…。



最後にもう一度書いておきますが、この「声真似」のスタンスは、私個人の、自律や自戒を書いたものであって
他の声真似主さんがどうすべきかは、ご本人の自由であればよいと思う次第です。
ただ、他の生主さんが、皆声真似やってくれるのに、かにぱん。は何故やってくれないんだ!
という方には、以上のようなことをご理解頂けると嬉しいのです。
他は他、私は私ですしね…。
私としては、かなり噛み砕いたつもりなのですが、まだ言葉足らずかもしれません。
自分の中では、行動理念というか軸のようなものがあるのですが、
読者さんから見て筋が通っていなかったとしたらすみません。



さて、2008年3月以降の、その他の出来事に戻ります。

3月22日、バンドのライブがありました。
その一回前のライブよりも会場の収容人数は少ないというのにお客さんは増えてしまって大変でした。
このライブは、その一回前の池袋のライブと違って「うp主」のお客さんが増えました。
例えばせらさんとか。

しかも、このライブについては、そのせらさんが後に、ニコニコ漫画(公式)で連載した
「てつくずおきば体験版」の4話にも描かれています。
これです!(有料)


まぁ、このライブと、この次の池袋のライブと2回分の内容を混ぜて描いている感じになってますけどね!
セミノンフィクションなのでw

実際は私は「かぼちゃだよね~」とか言ってませんし、あ、いや、否定するのはそこじゃなかった。
実際せらさんはもっともっと挙動不審でした。あ、今も挙動不審か。

まず、私のバンドは、ライブを入場無料にしていました。
ブッキング形式だと普通チケットノルマがあるのですが
そのノルマ分については、バンドのメンバー7人でワリカンして払ってしまい、
お客さんにはチケットを当日開演前に手渡ししたり、取り置きリストで管理するなどして、
とにかく無料で見てもらっていたのです。
自分たちが好きで演っているだけだから、お客さんからお金をもらうようなことじゃない、という
アマチュア精神(?)でw 
このあたりのスタンスに反対意見の人もいるかもしれないけれど、そこは今はおいといてください!w


それで、開演前の昼過ぎの時間に私は会場の入り口で待機して、お客さんにチケットを渡して
そしてすぐにそこから一旦退去してもらう、という形にしていました。

せらさんは、ねこさんと観に来てくれたのですが、チケット受け取りのときには、せらさんが単独で来ました。
明らかに私のライブに来る人だろうな、という感じで遠くから見てるのになかなか近づいてこない男の子がいて
それがせらさんでした。
そして、彼はじわじわとにじりよってきました。

せら「あ、せらと、申します」
かに「せらさんだとぅぉ!? お世話になってます!!」
せら「えっ!あ、はい」

このあたりは漫画にあった描写は結構忠実だと思います。タイミングとしてはライブ前でしたがw
そして、チケットを2枚渡して、
「開場時間頃になったらまた来てください。一旦は別の場所で時間をつぶしてきてもらえますか」
というと、せらさんはチケットをじーっと見つめたまま、数秒黙り込んでしまい
「……わかりました!」
と言ってじわじわと去っていきました。

これが実際の風景です!! ちょっと漫画とは違うでしょ!!w



その後、同じようにして、どやとグレイト炒飯が来ました。
その二人とも、このライブ開演前が初対面でした。
でもどやを見た時の、「この人がどやに違いない感」は異常でした。
あと、グレイト炒飯は三田村邦彦に似ています。似田村邦彦だと思います。

それから、阿部ダンサーズ超監督が、千葉ダンサーズ(マユリさん、凶ちゃん、13)と、暴徒くんをつれてきました。
阿部ダンサーズ超監督とは、この動画のうp主です。

MMDが出来る前にこんな動画を作って、「踊ってみた」の火付け役になった方ですね。

そして、監督は、色紙を取り出して私に「サインをください!」と言ったのです。

サインとかしたことなかったのですが、そこで初めて「かにぱん。」としてサインをしました。
すると、後から後から「おれもれも」とお客さんがやってきて、色々なものにサインしましたw
2000円札とかww
あと、そのときに鉄扇にもサインしましたが、その持ち主が
蟹風呂喫茶でバーテンをやってくれている「鉄扇の風伯」さんです。
ライブのたびに新しい鉄扇を持ってきていたので、風伯さんのところに4~5本
私や他の出演者のサインが入った鉄扇があると思いますw

せらさんの漫画に描かれている、打ち上げのジャンケン大会とかはその次のライブで、
2008年10月27日開催の池袋ライブの模様ですね。
このときも打ち上げの1次会が100人、2次会にも80人くらいいて、どやとまぐさんの初対面となったり
転少女さんともお会いできたり、漫画にあるように、せらさんの似顔絵無双が始まったり
モスコが来たりもしました。

そして、せらさんにしろ、監督にしろ、どやにしろ、この年の12月に行われた合唱祭につながっていくわけです。
合唱祭についても、せらさんの漫画があります!(有料)


4月11日、しもさんの新しいニコニコメドレー「ニコニコ動画流星群」がリリースされました。
私は翌12日中に(V)・∀・(V)<かにかに動画流星群(SP1)をアップしました。
5月13日には、カオフリの第2弾「1000%SPARKING!を歌ってみたとは限らない。」を公開しましたが
最終的に映像の関係で権利者削除となりました。短い命でした。


そして、6月10日だったかと思いますが、最初のアカウントが無期限動画アップロード停止状態となりました。


権利者削除をされた動画は、MOSAIC.WAV楽曲一斉削除で消えた5曲くらいと、アクエリオンやゾイドジェネシスなどの
歌ってみた音源にアニメ映像を乗せたものが、映像で引っかかったパターンとで、合計8個です。
最後の決め手になったのは、ゾイドジェネシスでした。


奇しくも、私がカラオケ板にアップしたエアーマンが転載されたのと同じ日(6/11)に、
2つ目のアカウントに移動することになりました。
これが私のニコニコ動画2年目開始と同時に起きたのですから、偶然とは恐ろしいものですね……。
「さぁある意味今日から2年目だ!」→「アカウントロックされてるー!( ´゚д゚`)」
てな具合でした…。この時点で、最初のアカウントの投稿動画は、マイリストに全183件あり、
最終的にはそのうちの177件を、「最初のアカウントからアップした動画」と認定しています。
もう上手く数え切れないほど動画があるのですが、現時点では、1197個
自分の動画の数と数えています。

これによって、私はニコニコ動画からいなくなったと思った方も大勢いらっしゃるようで、
最近になって数ヶ月に一度くらい、稀に歌ってみたのカテランなどにランクインしようものなら
「おかえりなさい」だの「まだいたんだ」だの色々言われますが、今この記事を書くまでに
ニコニコ動画からいなくなったことはありませんww
「おかえりなさい」って言うけど、どこにも出かけてないよ!!!w
皆よりよっぽど、毎日ニコニコログインしているレベルだよね!!www

とにかくそこから、権利者削除と無関係なものの再うpなどを始めて、
次に改めて、新しい動画を公開したのは6月21日でした。

謳う丘

これは、ブログの100万HIT記念です。
ミリオンという大台を意識して、とにかく多重録音しなければいけない音源を録ろう!と思い、
かねてよりリクエストを頂いていた「謳う丘」を謳いました。
動画は、「こがにのじかん」MADを作ってくださった、Hiyoさんにお願いしました。
今聞きなおすと、まだまだだなぁと思うのですが、この当時はこれが全力だったことは
紛れもない事実です。
合計780個テイクをミックスしています。

そして、その4日後の6月25日0:00には、1周年記念で歌った、物語.WAVを公開しました。

これは長いメドレーだけあって、収録にはじっくり時間をかけました。
流星群は、すぐにも録れる!という選曲と繋ぎだったので「速さが命」とばかりに翌日うpをしましたが、
さすがに物語は即日は無理だなと思ったので、どうせだし何らかの記念日に合わせて公開しようということで
1周年記念に照準を絞って収録しました。
ほぼ同じ頃、講談社のMouRaというポータルサイトからインタビューの申し込みを受けたりもしました。
もうそのサイト自体がなくなってしまったので、そのインタビュー記事を貼る事はできないのですが、
ライターの方、カメラマンの方がわざわざつくばまで取材に来てくださいました。
しかも、そのインタビューシリーズは「ニコニコの“神”たち」みたいなコンセプトで
(私は蟹だと言い張ったんですが)その初回が私でした。(蟹なのに…)
その後、同じシリーズ内で、タイツォンやほんこーんさん、超監督らもインタビューを受けていました。
MouRaの取材に際しての動画はまだニコニコに残っているようですね。
それにしても、まさかこういう取材を受ける立場になるとは思いも寄りませんでした…。蟹なのに。


8月中旬、バンドの練習の日に、朧月が東京へ遊びに来ていたので、バンド練習後に合流して
オールでカラオケしました。
これが朧月との初対面でした。


これが朧月との初対面でした。これが朧月との初対面でした。これが朧月との初対面でした。(大事なこと)

なんという破壊力……!!
この人には、なんらかの「スイッチ」が備わっているのだと今も信じている…。
ON/OFFの切り替えがすごいときがあるのですよ。
そしてそれを、この後にも何度も見せられたので、そう信じています。


8月23日、伝説のライブイベントが開催されました。
Niconico Summer Live(笑)2008です。
ニコニコサマーライブ2008ができるまで その1
ニコニコサマーライブ2008ができるまで その2
ニコニコサマーライブ2008ができるまで その3
ニコニコサマーライブ2008ができるまで その4(完)


勿論、ライブというのは、当日突如集まって「ハイやります!」ってものではないので、
数ヶ月前からじっくりと準備がされるものなのですが、ニコニコの歌い手と演奏者が単発でバンド編成して
それを1000人規模の会場で見せる、というのは、これが最初だったのは確かで、
最初だからこそ準備の中でとにかく試行錯誤が多かったのを覚えています。
考えうるあらゆるリスクに対してどのような対処をするか、ということとか。

ブログにも書いてあるとおり、始めは出演そのものをどうするか悩みました。
自分は、前々から書いている通り、バンドに所属していて、確かに自分個人でニコニコに動画を
上げてはいるものの、他の有名な歌い手、奏者に混ざって「瞬発力」を発揮できる自信はなかったからです。
また、色々とリスクも考えられました。
ステージに摺りガラスを置いて、顔を隠そうという案があったくらいです。

自分のバンドで出るイベントでさえ、悪意を持った人が来ないように色々工夫して告知していましたし
ニコニコで宣伝をして1000人ものお客さんを集めるともなれば、リスクだって
数倍の規模と、パターンが考えうるわけですよね…。

3月の大塚での自分のライブの前後に出演依頼が来て、相当迷っていた記憶があります。
最終的に、当日まで出演が知らされないシークレットという形で出たいと申し出て、
その形で出ることを許して頂きました。
ゼブラさんと、ガゼルさんもシークレットだったので、イベントTシャツのデザイン上、
名前は文字として記入せず、模様に私たち3人のモチーフを組み込むという形にしました。
Tシャツデザインは私がすることになったのでw
ガゼルの角にゼブラ模様、そして楽譜に(V)というブレスマークを蟹のハサミとして入れました。

4月頃からこのような準備がじわじわと始まり、7月上旬にチケットが倍率12倍という売れ行きで完売。
8月1日に、初めて自分が所属するバンドの皆さんと、顔合わせ兼スタジオ練となりました。

インテル王子、鬼弦曹さん、三代ギター魂くん、事務員Gさん、地味侍さん、やまだんさん…
今でも各々の道で頑張っている人たちです。
この方々と、ニコサマを通じて、あのとき知り合えて、私は本当に光栄に思います。
スタジオ練では、やっぱり皆「瞬発力」が異常だなぁと思いました。
スタジオ内のホワイトボードに、コード進行を書いて、それを見ながら予習なしでも演奏できちゃうという感じの。
なんかもう、その場で覚えたりアレンジしたりできちゃうんだもんなあ。
このくらいじゃないとニコニコではやっていけないんだな、くらいに思いました。ビビった。

前日練である8月22日のスタジオは、スタジオ丸ごと貸し切りのような状態で、
どこの部屋へ行っても、ニコニコ奏者と歌い手がいる!w
バンドサークルの合宿を思い出しました。
砂敏さんや、ガゼルさんサリヤ人さんやRe:さん、ジギルさん疲れた男さん雪弥さん…
しゃーべるたん、prkrさん、ティッシュ姫、デP…まだまだまだまだ沢山の……
うおぉ、メンバー思い出すだけでムネアツだよ!!
なんかめまぐるしかったですw


とにかく、今思い出したことを書くよりも、上記ブログ記事を全て読んでいただくほうが
臨場感があると思うのですが、「ニコニコのライブイベント」は、ここから始まったんじゃないかと思います。
勿論その前にも「ニコニコ音楽寅さん」とか、それこそ私のように、元々所属しているバンドなりがあって
そのライブをやっていたうp主と、そこに見に来るニコ厨というのはあったのですが、
ニコニコの奏者と、歌い手で、複数のバンドを作って、ひとつのライブにするというやり方は
ここがスタートになったんじゃないかと。


打ち上げも楽しかったなあ……。
「ネットスター」の収録のためにほんこーんさんが来日してて、あの当時はまだ日本語が
喋れなかった、と後で仰ってましたが、超パーティで共演することになったとき、
やっぱりニコサマの話になって、「懐かしいですねー」っていうw
なんていうか、とにかく沢山の人にとって、一つの節目になったライブだったと思います。
DJ Takumaさんとも、ニコサマの打ち上げで知り合って、後にTakumaさん主催の「ニコニコキャラバン」にも
2度出させていただきましたし、やはりニコサマの裏方にいた「いぶし銀次」さんともその後交流が続いて、
「おっさんホイホイライブ」に出させていただいたり、ニコサマを起点とした、
沢山の分岐が生まれたんです!確実に!
これって、私ひとりに起こったことではないと思います。
やっぱりそこから、何かの転換とか派生とかを感じたっていう出演者は少なくないはずです。
「あのとき始まった」感!!


打ち上げといえばせらさんが無理やりエアーマンを歌わされていて、
「あれ? せらさんいたんだ?」
と話しかけたら、
「本番前に舞台袖で話しかけたじゃないですか! まぁかにぱん。さん、“この人誰だろう”みたいな
 よそよそしい感じだったから、ぼくだとわからなかったのかなとは思ったけどw」
と言われて、未だにそのことを根に持たれているらしく、ニコサマの話になると必ず
「舞台袖で話しかけたときよそよそしくされた」
ということを言ってきますね…。


そして前述の通り、10月に池袋で、7ヶ月ぶりにまたバンドのライブを開催しましたね。
いっつも、ライブには来てくれるのに照れくさいからって打ち上げに来てくれないまぐさんが
ついに打ち上げに来てくれて…。
今思い返すと、まぐさんにしては恐ろしく静かだったなあ。


でも、2次会がパセラのパーティルームで朝までコースだったので、
入るや否や、まぐさんに「熱くなれ」を歌わせたりしてましたw
あと、どやにも「いちごSPARKING!」を歌わせもしました。(そして私は合いの手を盛大に間違えた)
その2曲っていうのは、二人がそれぞれカラオケ板紅白に提出してきたことがあるレパートリーで
私はすごく好きだったんです。
いつか、自分の裁量でイベントを作れる日が来るなら、この2曲は絶対セットリストに入れようって思っていて
80人の大部屋で、まずはそれをやってみてもらうことにしたのでしたw
結論から言えば、その夢は2010年5月に叶い、二人には400人の前で歌ってもらいましたw


この池袋のライブの際に、ソフトバンクの方が見に来ていて、私とせらさんと名刺交換などをしました。
そのつながりから、11月に、AMラジオで放送するラジオCMのお仕事を頂いて、
せらさんとねこさんと、私といさじでCMを作りました。
それらは、マクロスFの番組の間に流れたらしいです。

この日記見たら、私ネットランナー編集部に、バンドのライブ観に来ませんかってメール送ってたのか。
え、まじか。
何やってるんだ、私。


ここで、ブロマガの1記事における文字数上限10万文字が近いので、
記事を切り分けようと思います。

<続く>
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ぜんぶ読んだ記念カキコ

なつかし面白かったです。
57ヶ月前
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