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むしマガ Vol.392【ヒアリの生物学】
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むしマガ Vol.392【ヒアリの生物学】

2017-07-04 18:17
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    Image: Insects Unlocked (Creative Commons CC0 1.0 Universal Public Domain Dedication)

    2017年5月、神戸港で国内では初となるヒアリが発見された。さらに同年6月には名古屋港と大阪港でもヒアリが確認された。ヒアリは原産地の南米からアメリカ、オーストラリア、そしてアジア諸国へと侵入、定着しており、その分布域を拡大している。

    ヒアリは針をもち毒を打ち込んで攻撃し、場合によっては人間を死に至らしめるともある。このことから、国内のメディアでも「殺人アリ」ヒアリについて大きく取り上げるようになってきたが、この侵略的外来種が実際にどの程度脅威となりうるのかについて、正確かつ詳細な情報源が限られているのが現状だ。

    この生物について国内で入手できる情報源のうち、もっとも豊富な情報を提供してくれるのが書籍『ヒアリの生物学』だろう。


    2008年に出版された本書には、次のような一節がある。

    ------
    ヒアリは将来日本を侵略するだろうか?答えは「イエス」である。問題は、いつ、どこに侵入するかということだ。
    ------

    9年前に出版された本書はまさに、今の日本の状況を言い当てていた。今回は、本書からの情報を中心に、この生物の生態、侵略の経過、そして対策などを見ていきたい。

    ・ヒアリとは

    ヒアリは広義には「刺されると火傷のような痛みを起こすアリの総称」だが、狭義には南米原産のSolenopsis invictaのことをいう。ここでも、このS. invictaをヒアリとよぶことにする。ちなみにinvictaとは「強い、やっつけられない」という意味。まさにこのアリの絶望的なまでのタフさを言い表している。

    触角の先に2節からなるふくらみがあることと、お腹の近くの腹柄に2つのこぶがあることが、ヒアリの形態の特徴。

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    Image: ヒアリのワーカー. 『ヒアリの生物学』より著者の許可を得て掲載

    ヒアリは日当たりの良い場所に巣を作る。原産地の南米よりも侵入先のアメリカなどの方でヒアリが繁栄しているが、これは宅地や公園などの都市環境がヒアリにとって好都合なこともあるようだ。人間がせっせとヒアリのための環境を整えている事実は、なんとも皮肉である。

    ヒアリの巣はマウンド状のアリ塚を形成する。

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    Image: ヒアリの巣. 『ヒアリの生物学』より著者の許可を得て掲載

    日本ではこのようなアリ塚を作るアリはほとんどいないため、もしヒアリがそれなりの規模の巣を作っていれば、これが目印になる。コロニー内のアリの数は数万〜数十万にもなる。つまり、大きなコロニーには、鳥取県の全人口と変わらない数のアリが暮らしているわけだ。

    突然の雨に見舞われても、ヒアリは怖気づかない。ヒアリたちは互いに組み合ってイカダをつくり、水たまりに浮いて避難する。恐るべき生存能力。

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    Image: TheCoz (Creative Commons Attribution-Share Alike 4.0 International)

    他のアリと同様に、ヒアリは巣内に女王アリとワーカーがいる(真社会性)。女王アリは1時間に80個のペースで卵を産み、一生の間に200〜300万個の卵を生産する。ワーカーはすべてメスだが生殖能力はない。ワーカーの大きさは2.5〜6ミリメートルとばらつきがあり、小型ワーカーは主に巣内の仲間の世話や採餌を、大型ワーカーは主に餌となる種子を砕いたり巣を掘ったりする。

    ワーカーには、女王アリや仲間の防衛という重要な任務がある。平均して、小型ワーカーは1回の攻撃で7刺し、大型ワーカーは4刺しする。攻撃力は小型ワーカーの方が高い。

    女王アリが生殖力をもつ新女王とオス(有翅虫)を産む時期は、ワーカーが1刺しあたりに注入する毒の量は1.5倍となり、攻撃力が増す。この攻撃力増大は、自分たちの血縁者を守る適応的行動だと考えられる。この攻撃力の変化が女王アリからのシグナルにより引き起こされるのか、興味深いところだが、よくわかっていないようだ。


    ヒアリの動画

    ・ヒアリの毒

    アメリカでヒアリに刺される人は年間1400万人であり、毎年100人ほどが死亡している。ちなみに、日本でスズメバチに刺されて死亡する人は、年間20人ほど。日本国内の交通事故で亡くなるのは4000人ほどだ。

    ヒアリに刺されると激痛が走り、刺された箇所が赤く腫れあがる。ヒアリは一度に何度も刺すため、同じ場所に複数の腫れができる。ハチに刺された時には見られない膿疱ができるのが特徴だ。

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    Image: ヒアリに刺されたあと. 『ヒアリの生物学』より著者の許可を得て掲載

    ハチ目のうち毒を合成するハチやアリのほとんどは、毒成分のほとんどはタンパク質らしい。だがヒアリ毒はアルカロイド毒であるソレノプシンが主成分であり、この生合成経路も備えている。ソレノプシンは膜表面タンパク質の機能阻害や神経間のアセチルコリン伝達阻害を引き起こす。幼児が一度に多数のヒアリに襲われると、この直接的な毒作用で呼吸困難に陥り、死亡することもあるようだ。

    通常、ヒアリに刺されても1週間ほどで治癒するが、すでにヒアリに刺されたことがある人は過剰反応を起こし、アナフィラキシーショックを引き起こすこともあり、最悪の場合は死に至ることもある。

    ヒアリに刺された時は、漂白剤を同量の水で薄めて患部を洗浄し、かゆみを抑える抗ヒスタミン剤や細菌感染を防ぐ薬を塗っておく。市販の虫刺され薬で良いようだ。万一アナフィラキシーショックを起こした時はエピネフリン(アドレナリン)など、ステロイド薬を注入したりと、病院で内科的処置を行わなければならない。

    ただし、ヒアリに刺されて死ぬ確率は14万人に1人(0.001パーセント以下)程度ときわめて低いことは覚えておきたい。

    ・ヒアリ侵略の歴史

    ヒアリが南米からアメリカに侵入したのは1930年代と考えられており、それ以降生息域を拡大し続けている。上述のように、ヒアリにとって好適な日当たりの良い開けた環境が多いことも分布域拡大の原因だが、南米に存在していたような天敵がアメリカにいないことも、ヒアリが新天地で繁栄した大きな理由のようだ。

    アメリカでは1950年代から1980年代にかけて、総額1億7千万ドルもの巨額の費用をかけて殺蟻剤を散布するなど対策を講じたが、ヒアリを撲滅することはできなかった。この間、有機塩素系農薬の散布による他生物への悪影響も顕在化し、レイチェル・カーソンによる『沈黙の春』に代表される環境保護運動の盛り上がりもおきた。そして残念ながら、人間や生態系に影響のない殺蟻剤の開発もうまくいかなかった。

    結局、アメリカでは原産地よりもはるかに高密度のヒアリが生息することとなり、アメリカから他国への侵入と定着を許すまでになってしまった。アメリカ以外にも中国や台湾など、日本はヒアリ保有国と活発に貿易をしており、ヒアリが知らずに輸入されるリスクに常にさらされている。

    ・ヒアリの被害

    日本では「殺人アリ」としてヒアリへの恐怖が高まっているように見える。確かに、日本でヒアリが定着可能なエリアは関東以南と幅広く、自宅、路上、公園などの日常生活の場で子どもなどを中心にヒアリの脅威にさらされると予想され、人的被害は無視できない。

    ただ、日常的にヒアリに刺されていた台湾出身の知人らは、ヒアリに刺されても死ぬことはまずないので、不快以上の感想はなく、日本の報道は大げさだ、と私に言っていた。これについては、首肯できるところがある。

    ヒアリが及ぼす人的被害のリスクをどう見るかは、個々人で異なるだろう。ただ、一つ言えることは、ヒアリの被害は人への影響にとどまらないということだ。

    ヒアリは広食性で昆虫などの節足動物の他に植物も食べる。ジャガイモ、トウモロコシの種子、柑橘類の木を食べ、作物への被害は無視できない。

    さらに、ヒアリは生まれたばかりの脊椎動物を襲う習性があり、ニワトリやウシといった家畜の仔も殺されたり盲目にさせられることがある。これらに対する策にもコストがかかり、畜産業への被害は甚大だ。また、野生の希少種への影響も懸念される。

    他にもヒアリにより不動産や観光地の価値が下がったり、ヒアリが電線をかじるなどして電気系統にダメージが与えられるなど、ヒアリによる被害は広範である。アメリカではヒアリによる経済損失は年間で50〜60億ドルにも及ぶ。ヒアリはただの「不愉快な生きもの」として片付けられないわけだ。

    日本のどこかでヒアリがすでにコロニーを作っていたら、我々はなす術がないのだろうか。これについては、ヒアリが侵入してからの経過時間に依存しそうだ。女王アリは新コロニーを創設してから2年ほどは繁殖できる有翅虫を産まないため、それまでに殺蟻剤などを使用して徹底した駆除を行えば、撲滅できる可能性はある。

    しかし、有翅虫を生産するようになると、生息域が爆発的に拡大していくので、完全な撲滅は困難になるだろう。

    ・ヒアリ対策

    ヒアリを定着させないためには、早期の発見と防除が鍵となる。また、定着してしまった場合に備えて、ヒアリ駆逐のための基礎研究をすでに進めておく必要もありそうだ。「倒せない」ヒアリにも天敵が存在し、たとえばノミバエはヒアリに寄生して殺す生態をもつため、生物的防除の手段として研究が進められている。

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    Image: ヒアリ頭部から羽化するノミバエ. 『ヒアリの生物学』より著者の許可を得て掲載

    日本には世界的に見てもアリの専門家の層が厚く、ヒアリの生態を理解し弱点を探るためのプロジェクトを国の支援のもとに立ち上げてもよいだろう。

    侵略的外来種として名高いヒアリは、基礎生物学の有用な材料としての顔もある。ヒアリのコロニーには女王アリが1匹しかいない単女王制コロニーと、2匹以上の女王アリが同居する多女王制コロニーがある。面白いことに、単女王制コロニーと多女王制コロニーでは、そこにいるヒアリのGp-9遺伝子の遺伝子型が異なる。

    Gp-9遺伝子は、ヒアリ体表の匂い物質の合成に関わっていると考えられている。多女王制コロニーに共存している女王どうしの血縁関係はほとんどないため、この遺伝子の「印」だけで同居するかどうかを決めていることになる。例えるなら、血液型が同じというだけで赤の他人の家族と同居し、世話するようなものだ。

    このGp-9遺伝子は、ヒアリの体表に「レッテル」を貼ることで、同じ「レッテル」、つまり、同じ遺伝子型をもつヒアリ個体に仲間を受け入れさせて利他行動を促している。結果として、同じ遺伝子型のコピーが増えていくことになる。

    これは利己的遺伝子の典型と考えられ、「緑ひげ遺伝子」とよばれる。緑ひげ遺伝子の存在はリチャード・ドーキンスにより1970年代に予言されたが、それが1990年代にヒアリのGp-9遺伝子として実際に発見されたことになる。

    このように、ヒアリは社会生物学の有用なモデルとしても、重要な役割を果たしてきた。これから日本でアリ研究者を目指す若い世代にとって、(日本国内で研究するのは難しいかもしれないが)ヒアリは防除研究と行動生態学研究の両方をできる魅力的な材料に映るのではないだろうか。

    ・最後に

    ここに紹介したヒアリの生態は、『ヒアリの生物学』の内容のごく一部であり、さらに詳しい内容を知りたい人はぜひとも本書を手にとってみてほしい。とはいえ、Amazonでは品切れが続いているので、出版社さんにはなんとかして本書を世の中に流通させてほしいものなのだが。

    ・参考資料







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