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記事 14件
  • 「夏の果(げのはて)」

    2016-08-31 07:00  
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       万葉の世において去りゆく季節を惜しむのは春と秋だけだったという。しかし、現代詩の世界では夏もまた消えゆく影を惜しむものとなっている。海へ山へと人々が行動するようになったことで夏が深い記憶を刻む季節になったからだそうだ。 
     8月最後の海でビールでも呑もうと、週末の午後、葉山の一色海岸まで散歩した。台風10号の接近を予感させる曇空の浜辺はローカルだけで寂寞としている。皆が眺めているだけの海では忙しさから解放されたライフセーバーたちが今年最後の海を味わい尽くそうと力強く泳いでいる。潮風で体を冷やさぬようパーカーを羽織ると、ビーサンを手に裸足で歩いた。最初は足裏にひんやりと冷たいのに身体の芯にはじんわりとした暖かさを伝えてくれる晩夏の砂が心地良い。灼けるような太陽の記憶を足下の砂までもが惜しんでいるように感じられた。
     

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  • 「子育てと消費について考え始めた日。」

    2016-08-29 07:00  
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     退院するときからチャイルドシートが必要だというので、個人的には最初で最後のつもりで子供にまつわるあれこれが揃っているという大型ショップに足を運んだ。 
     チャイルドシートを、と言っただけなのに、「他のものはまだ何も」と妻が口を滑らせた途端、店員さんがあれも必要ですよ、これも買っておいた方がいいですよ、とあれこれと勧めて来た。中には確かに必要なものもあるのだろうが、本当に必要なんだろうかと猜疑心を抱いてしまうものもあった。けれど僕も妻も初めての子育てで不安しかない。これがあれば、と言われてしまうとそれで不安が解消されるような錯覚に陥ってしまい、つい「じゃあ買っとく?」という方に気持ちが傾いてしまう。
     

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  • 「祭りのあと」

    2016-08-26 07:00  
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     夏の賑わいで散らかっていた浜辺を台風が一掃したのだろう。あちこちで弧を描いていた砂も整地されたみたいに水平で、足跡ひとつ残されていなかった。色鮮やかな水着も消えた。賑やかだった都会の子供たちの声も消えた。潮の香りに混じって毎日のように鼻先をくすぐられたサンオイルとバーベキューの匂いも。
     

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  • 「葉山Classic」

    2016-08-24 07:00  
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     134号線から一本奥まったところにあるその歴史的建築物のことを、僕は少しも知らなかった。葉山にある旧東伏見別邸。1914年に皇族の別荘として建てられた大正時代の洋風建築だ。普段は非公開となっているというこのクラッシックな建物に招待して下さったのは、公私ともにお世話になっている逗子のワインショップ「a day」の松尾明美さん(「渋谷のラジオの学校」にもご出演頂いた)だ。
     

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  • 「食べることは生きること、生きることは食べること。」

    2016-08-22 07:00  
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      「食べることが出来なくなった時が、神様の決めた人間の本当の寿命なのではないでしょうか。」そんな持論を持つ医師の話をしてくれたのは、先週「渋谷のラジオの学校」に出演して下さった漫画家のくじらいいく子さんだ。ちなみにその医師の方はカトリック信者であることからもそういう価値観を持つに至ったそうだ。
     

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  • 「浜辺でビール片手に盆踊りを眺めながら僕らの命がどこから来てどこに逝くのかに思いを馳せる。」

    2016-08-19 07:00  
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     1年前と同じ宵闇の浜辺に、1年前とは違う僕らがいた。先祖の御霊を見送った送り盆に浜で開かれる盆踊りの夜だった。まるで現世の人々を見守る御霊のような提灯のやさしい明かり。地元の少年少女によるお囃子。小さな櫓を囲んで浴衣の袖が涼しげに揺れていた。
    「柔らかい砂浜の上で踊るには下駄よりもビーサンなんだね」
    「ホントだ、浴衣なのにビーサン」
     1年前は見落としていたその間違い探しが発見できるくらい僕らは心に余裕ができたのかもしれない。
     

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  • 「心配症な僕はいつも最悪の事態を想定しながら生きている」

    2016-08-17 07:00  
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     子供の頃ひとりで留守番するたびに親が帰って来ない夜を想定していた。女の子とつきあい始めると同時にフラれることを想定していた。人生を改めて振り返った時、自分が心配症である余り、いつも最悪の事態ばかり想定して生きているのだと気づく。たとえば、食糧自給率の低下、中国産野菜から検出された過剰な農薬などの報道を見て、「やがて日本の農家は大根一本1千万円でも売らない」と言い始めるのではないだろうかと想定し、最終的に自分で有機野菜を栽培し始めたように。
     

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  • 「海で自由を獲得する子供たち」

    2016-08-15 07:00  
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     僕らが暮らしている町のビーチは数ある湘南の浜でも何年も前に海水浴場としては閉鎖されている。駐車場もなければ交通の便も悪い。クラブやエステとか、パンケーキやスムージなど東京の最先端をそのまま持ち込んだような不粋な海の家もない。だから、日本の夏の海に六本木や渋谷と同様の刺激を求める人々の姿もない。家族連れがメインのとても長閑なビーチだ。いつもは地元の人ばかりだけれど、お盆休みには都会からも夏休みの子供たちが続々と海水浴に訪れている。隣り近所の家々からいつもは聞こえない子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。都会から遊びに来た色白の女の子に一年中真っ黒な地元の男の子が砂浜で仄かな恋心を抱いたりする、そんな季節だ。
     

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  • 「いつか波を待ちながら悩んだことを懐かしく思う日が来るのだろうか」

    2016-08-12 07:00  
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     波を待ちながらぼんやりと考えた。あたらしい生命を授かった人たちはどんな風に子供の名前を決めて来たのだろう。生まれる場所と同様決して自分で選ぶことのできない、けれど死ぬまで背負うことになる名前を。
     

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  • 「この異常な日々はいつの間に日常になってしまったのだろう」

    2016-08-10 07:00  
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     どんな異常も毎日続けばやがてそれが日常になる。爆弾の雨が降り続く中でも人は眠るし、腹も減るし食べるし、排泄もすれば、セックスもして出産もする。なぜならそれが生命としての、すなわち生きることの本質だからだ。だから異常が日常になってしまうと「この日常は異常だよ」と声高に叫ぶひと握りの人間の方が気が狂っていると思われてしまう。
     

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