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日本は権力への奴隷国家か。占領軍についで(トルーマン大統領の日本は奴隷国家の記述)、徳川時代。サムソン著『世界史における日本』からの引用。「。百姓一揆は特定の不平不満の現れではあったが政治意識ましてや政治上の主義の現れではなかった」。
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日本は権力への奴隷国家か。占領軍についで(トルーマン大統領の日本は奴隷国家の記述)、徳川時代。サムソン著『世界史における日本』からの引用。「。百姓一揆は特定の不平不満の現れではあったが政治意識ましてや政治上の主義の現れではなかった」。

2017-03-19 06:53
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サムソン(イギリス大使館員として日本滞在三十年)著『世界史における日本』からの引用。

徳川政権の歴史は近代の影響が日本に及ぶのに抵抗しようとした歴史であったと言っても過言でない。家康をはじめ代々の将軍は日本人の生活を一つの型に固定させ、変化を防止しようと努めました。この試みは非常な決意を持って行われた。

信長と秀吉の建設的事業は中央集権のもとに日本の統一を目指したものでしたが、足利末期および戦国時代の耐え難い混乱ののちであったために一つの救いとして民衆から歓迎されました。家康が最後に覇権を握り、徳川氏は極めて鞏固な独裁を打ち立てることに成功しましたが、これは一部の外様大名が決して心底から協調しなかったのを除いては万人がほとんど感謝して全体主義的政治体制を受け入れた実例でもあります。

・徳川時代の日本政治において宗教は小さな役割しか演じなかったが、それは私のいわゆる新興諸学派(特に一向宗

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>>2
余りあなたと議論をしても仕方ないのですが、日本人、安倍日本政府は、周辺諸国に領土の拡大思想を持っているとは思いません。中国の軍事費の拡大と周辺諸国に対するいざこざを惹起していることに懸念を抱いているのです。現在中国に戦争を挑み、中国を植民地化しようなどとばかげた発想を持っている日本人は皆無だと思います。日本が中国に戦争を挑もうということはあり得ないことなので、あまり日本人を刺激しないでいただきたい。課題も何もありません。あなたの空想に過ぎないと思います。

No.4 86ヶ月前

>>4
私もあなたと議論したくない。空想じゃなく私は懸念しています。勝手に空想とかの言葉を使わないでほしい。
1.尖閣は棚上げ合意があるのに一方的に国有化する行為は拡大志向の一環とは言えないのでしょうか?
2.西沙、南沙へ米軍と共に巡回することには拡大志向とがあるとは言えないでしょうか?中国はそういう風に捉えています。
3.日本には南京虐殺は無かったと言っている人達が沢山いてその人達が現政権を熱烈支持している現状があなたには見えないのでしょうか?
4、中国は周辺諸国にいざこざを惹起していません。惹起を具体的に指摘して下さい。
5、中国の軍事費の増大は米国が挑発するから自衛のためにやっているものです。日本も軍事費を増大しています。米国も軍事費を増大してます。これらについては話し合って軍縮するほうに持っていくのが正当なあり方です。日本の現政権は中国封じ込めに忙しく話し合いしようとしない事態をあなたはどう見ているのですか?
以上につき具体的にお答えください。分かり易くお願いします。

No.5 86ヶ月前

>>5
現実を、中国の立場、西側の立場、日本の立場でみれば、異なった結果が出てくることは否定できない。私の言っていることは、各々が自分が正義だと思っている中で、日本が中国を攻撃するということを広めると、愛国主義的中国人、日本人を刺激するので、具体的事実があればともかくとして、そのような兆候も見られない中で、刺激することは避けるべきだといっているのであって、議論をしようとしているのではありません。あなたは中国の立場、私は日本の立場であって、議論をしても、いつまでも平行線でしょう。ただ、安倍政権の目指している方向は、大変危険であり、反対していくべきであるという視点に立っています。他国を攻撃するなどは、絶対反対の立場であることは変わりません。危険性の認識では違うとは思っていません。

No.6 86ヶ月前

 孫崎さん記述・紹介の2017年3月15日「トルーマン回顧録」,および3月19日サムソン「世界史における日本」の指摘は,悲しいかな日本人の特性をとても良く捉えていて同感だ.

 それにしても私達日本人の多くの人々は,いわゆる神代の時代からこの現在まで知らず知らぬの生き抜く知恵で,何百年も千年二千年もの長きで脈々と奴隷根性が受け継がれて来たなんて想像を絶するが,指摘されて考えれば思いつく点がそこかしこにある.

 日本人のDNAとは言わないが,私達社会の文化・風習などありとあらゆる奥深くまで,素直に奴隷になれるよう仕向けられ仕掛けられた,支配順応生活システムが組み込まれ根の深い問題だ.お役所システム・ムラ社会意識なんてその典型かもしれない.実際に今回のアベ政治順応への小さな兆候は地方行政に携わる人々から始まったと認識している.

 トルーマン回顧録に書かれいると言うつぎのくだり,

「三、日本人は事実上、軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国であったこと。そこで一般の日本人は、一方のボスのもとから他方のボスすなわちわが占領軍のもとに切り換わったわけである。彼ら多くの者にはこの切り換えは、新しい政権のもとに生計が保たれていければ、別に大したことではないのである。」

はあまりにもその通りだ.それまで鬼畜米英だったものが一夜にして親米に.いやぁ凄い.それも国を牛耳り主導して来た人とその周辺の人達が率先して乗り換え,支配システムを温存させ自己への利益を享受する裏切り行為.これが生きるための生活の知恵「寄らば大樹の蔭」という訳か.

 太平洋戦争の敗戦で,日本に初めての「民主主義」が誕生して70年余,実はこれは見掛け上のもので,頭がアメリカにすげ替えられただけの植民地奴隷国家が続いていたことが,最近多くの人に知られるようになって来た.

 この見掛け上の「民主主義」を本物に変えるにはどうしたらよいか,解決の糸口がなかなか掴めないが,少なくともまだ「選挙権」と言う薬は残っている.この薬を服用しつつ,時間の経過とともに腐って行く総督とその周辺の首のすげ替えを,まだ民主主義が生き残っているらしい盟主アメリカに少し期待をしつつ,日本人の奴隷根性の払拭を続けていくしか無いと考えている.森友学園問題の政官共謀の国有地「合法装い詐欺」はそのひとつの切っ掛けかも知れない.

 日本の人々が国家の臣民・奴隷になるような,戦前の亡霊古代の世界,国家主権「神の国日本」に引き戻そうとするアベ政治の未来に人々の私達の幸せなど無い.(2017年3月20日)

No.7 86ヶ月前

わたしの敬愛する本多勝一も日本人の性格、資質について
同様の指摘をしています。

もしかして、サムソン氏は本多の愛読者かな。

pfさんの「奴隷のプロ」とは言いえて妙。


中国の異常な軍事費の増強とは右からの宣伝で
よく聞く言葉ですが、中国経済の急激な伸びには決して
言及しないのが特徴です。

younghopeさん騙されちゃダメですよ。
日本が高度経済成長期にどれほど凄まじい軍拡をやったか
調べてみることです。

韓国も台湾も、びっくりする数字が出てきます。

No.8 86ヶ月前

>>6
人の質問に答えないのはフェアじゃない。私が言っているのが「刺激的だ」とか言って私にレッテルを貼るのは良くない。私は現実に起こっている傾向について懸念しているわけです。あなたは中國に対して生理的な嫌悪感を持って居るように私は診断するのですが違いますか?辺見庸のエッセイとか最近では村上春樹の「騎士団長殺し」とか出て居まのでそれらを読んでインテリジェンスを身に着けられることを望みます。若しあなたが条件付きであるとしてもリベラルを自負しているのであればの話ですが。

No.9 86ヶ月前

>>9
追加。

ああ、そうそういい忘れた。

私が言っていることが刺激的だから日中両国の愛国者どもが戦う?
テロや戦争が私の言で刺激を受けて起こる?

笑止千万。

テロや戦争は深い深い国家的政策に絡んでというかいやむしろ背景があって起こるというよりかやはり起こされるものです。あなたにはもっと勉強して言葉を紡いでもらいたい。

No.10 86ヶ月前

8の補足。

私がそう説明すると、友人の中には、中国の
軍事費の伸びが経済成長とリンクしているとしても
結果的に莫大となったのは事実だから、日本にとって
は脅威なのは変わらないというやつがいます。

それなら北東アジアで最も平和国家であり、他国に
脅威でないのは北朝鮮だと言ってやるのですが。

No.11 86ヶ月前

>>8
pfさんの「奴隷のプロ」とは言いえて妙。私も、なるほど、と思いました。

和をもって尊しとすべし・・・ 多くの人は、この言葉が好きだ。私もだが。 ただ、「和」は言うべきことも言わない、日和見、隷属、という当面楽な方向に流れる。大体そうだ。特に権力が腐敗してきても、隷属していた方が当面安泰だから、あえて火中の栗を拾わない、猫の首に鈴をつけない。 権力に対抗する勢力を戦略的に育てよう、という位の考えが現在必要だが、そうはならない。

おしんの「しん」は辛抱のしん・・・「辛抱一筋」、演歌の世界。私も好きだ。これも実に日本人の性格にあっているのではないか?

日本には、政治の話で一晩中喧々諤々というような風土はできるように思えない。政治に関わることを避けよう避けようとする。避けないのは、自分の利害関係に直接かかわるときだけ、・・・が続きそうな気がします。
小学校~高校の主権者教育が大きく変われば将来何とかなるかも知れませんが・・

No.12 86ヶ月前

以下、「絶望の裁判所」(瀬木比呂志著)からです-

日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」のみえないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている。反面、その結果、そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通の国民、市民は、第二のラインを超えること自体に対して、また、そのようなテーマに興味をもち、考え、論じ、行動すること自体に対して、一種のアレルギーを起こすようになってしまう。不幸な事態である...日本の裁判所は、実は、「裁判所」などではなく、精神的被拘束者、制度の奴隷・囚人たちを収容する「日本列島に点々と散らばったソフトな収容所群島」にすぎないのではないだろうか?その構成員が精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして、人々の権利や自由を守ることができようか?みずからの基本的人権をほとんど剥奪されている者が、どうして、国民、市民の基本的人権を守ることができようか?これは、笑えないパラドックスである。

No.13 86ヶ月前
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