「ネトウヨ」の消失――これからの「自由」の話をしよう
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

「ネトウヨ」の消失――これからの「自由」の話をしよう

2014-01-25 21:07
  • 522
  • 44
ハロー、Mistirです。
今回はヲタク、ネトウヨ、自由、政治観など色々なことを一網打尽にする考察です。というか、仮説。最近ではネトウヨって死語になりつつある気もするけど、それも含めての考察。

基本的に誰にでも楽しく読める文章で書こうと思います。というのも今回の議論って今までの僕の政治観や人生観(なんてオーバーなもんじゃないけど)に対して、一つの区切りになるものだと思うんだよね。この文章を読んでくれる人に対して、どれだけ少なくても何か、……少なくとも僕に似た人には何かを残せると思っています。
そういった誰かのために、そして何より僕のために書きます。
まあ気楽にハーレム系ラノベでも読む感覚で紅茶でもすすりながら読んでね。

そもそもこんなことを考えるきっかけになったのは、あるブログのコメントを読んだときだった。

「なんでオタクと呼ばれる人たちが体制側である右翼思想を持ちやすいんだろうね」

どっちかというとオタクを馬鹿にした感じで書いていたコメントだったけど、確かに。なるほど…なんでだろうね。僕はこのことについて、ちょっと真剣に考えてみた。すると、ある一つの仮説が浮かんだ。その仮説はするりするりと他の疑問……僕が今まで抱えていた色々な政治的疑問に結びついて、1つの大きな像を浮かび上がらせた。

これからの自由に関して。
少なくとも、僕にとっての自由に関して。
……大げさ過ぎる!まあいいや。いいじゃん個人ブログだし。

さて、本題に入る前に、昔の話をしよう。
さっさと本題に入れだと? 頭の良い人の話はズレてるように見えて最後は話の中心に持っていくのです。ちなみに僕自身の頭の出来は不明なのでもしかすると脱線したまま終わるかもしれません。でもそれはそれで楽しいじゃん。脱線も楽しいもんだよ。

昔……小学生の頃の話だ。
僕はひねくれたクソガキだった。と言ってしまえば話は早いが、まあその具体的な説明は今は避けよう。そんなクソガキだった僕、そしてクラスのみんなは「体験授業」に行くことになった。どんな?紙を作る体験授業だ。正直、よく覚えていないのだが、ドロドロした紙の原料を濾して、ドライヤーで乾かして……みたいな感じだった。

ここからはよく覚えているのだ。
紙を作り終わったあと、担当のオニーサンかオネーサン、もしかしたら先生だったかもしれないが、そういった立場の人がこう聞いたのだ。
「紙を作るのが楽だと思った人ー!」
僕は手を挙げた。
おそらく、たくさんのガキの中で、手を上げたのは僕を含め3人程度だった。

担当の誰かさんは困惑しつつ、説得モードに入っていたような気がする。いや、紙(作った紙じゃなくて、手引を書いたパンフレット)に書いてあったのか?この辺りはよく覚えていないが、とにかく……
いわく「本当に楽だと思うの?」
いわく「これだけ手間がかかるんだよ?」
いわく「かなり時間かかったでしょ?」
まあ、こんな感じである。その後、楽じゃないと思った人ー!と担当の誰かが聞いたかどうかは覚えていない。

とにかく僕は圧倒的マイノリティであったわけだ。
だが最も困惑したのは僕である。ひねくれたクソガキとはいえ、本当に素直に「紙を作るのは楽だ」と思ったのだ。まず大量の原液を用意する。これは工場だと一気に作れそうだ。それを濾す。これも簡単、どでかい機械で流してしまえばいい。あとは乾かす。ドライヤーなら面倒かもしれないが、髪を乾かすための機械じゃなく、紙を乾かすための機械なら楽々だろう。……ダジャレではない。
このような思考を経たか経ていないのか、とにかく、紙作りは楽だと思った。ああ、こういった過程を経て、アレだけの大量のノートやらティッシュが作られているのだな、と。断じて、クソガキ特有の「大人を困らせてやろう」精神から「紙作りは楽だと思う」などと言ったわけではなかったのだ。
そんな僕は、ずっとモヤモヤしていた。

この件は極端な事例ではない。極端なのならもっとある。これは極めて普通のこと。
そう、極めて、ふつうのコトだ。


さて、ネトウヨとオタクの話に戻ろう。
オタクとは、そもそも「社会的弱者」だった。だったはずだ。そういった風潮を作ったのは……という話になると、間違いなく挙げられるのは……
マスゴミである。
あ、そこの人、読むのやめないで。ここからいわゆるマスコミ批判始めておしまい……じゃないから。あえてマスゴミって表記使ったのにも意味あるから。

この「マスゴミ」という表記はよく見かける……というと、「それアンタの見てるサイトが偏ってるからだろ」と言われそうだから、何といえばいいかな……うん、そうだ。「メディア批判の際によく見かける」程度にしとこう。だったら、何故マスコミ、メディアは批判されるのか?正しいものを正しく伝えないからか? 韓国推すから? 面白くなくなってきたから? 芸人ワイプまみれだから? なんかさぁ、どれも後付けに見えるんだよねぇ。これは勿論主観。

で、考えている間に見えてきたんだよね。
マスコミと学校(特に小学校、中学校)の類似性が。
あ、ここから特にマスコミ学校批判の流れでもないから、読むのやめないでね(二回目)。

そもそも、学校とは規律を教える場だ。集団行動の大切さだとかなんとか。
それはどうでもいい。だけど(「だから」が正しいかな?)あの世界には「同調圧力」がある。これは中島義道が散々指摘してきたことだし、岡本太郎も(彼の場合は先生に対する反抗だけど)言ってきたことだと思う。

僕は思う。小中学校、特に小学校ほど言行不一致を表す場所は無いと。

学校では戦争はいけないことだと教える。良くないことだと教える。あってはならないことだと教える。
なのに、いじめは無くせない。身近な一つの争いさえも。それさえ無くせないのに、人の心次第で戦争は無くせると説く。

学校では個性が大事だと教える。
なのに「紙作りは楽だ」と言う自由はない。「それは個性ではありません!」という逃げ道はいつでも使える。「個性と勝手を間違えるな」。じゃあ聞きます、紙作りは楽だと主張するのは自分勝手ですか。紙作りの件は特殊パターン?だとすると、「戦争は必要だ!」と小学校で主張できると思いますか。

学校では勉強が大事だと教える。
なのに大事な勉強を大事に頑張った人が優遇されることはない。優遇が始まるのは高校からである(私立小学中学の話をするとややこしくなるので、いったんスルーします)。

学校では夢を持てという。
なのに夢が「ハーレム作ることです!」と言う自由はない(この辺りの議論はまんま中島義道氏の影響を受けちゃってます)。

学校では自由の尊さを説く。
なのに学校に行かない自由はない。その自由を行使すると、「不登校児」のレッテルを貼られる。「それは自由ではない!」……何が自由かなんて、誰も教えてくれない。

学校では向上心の大切さを説く。
なのに精神的には遥か遠くに位置しているはずの小学1年生と小学6年生が同じ建物で同じ規則の元学ばされる。個人的意見ですが、小1と小6の差は20歳と30歳の差よりでかいと思ってます。

学校では人に優しくしろと説く。
だけど人に嫌がらせやいじめをする人間が隔離されることはない。ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、クラス替えの運次第でヘタしたら6年間、同じ教室を共有することになる。

……これだけ言うと「こいつどれだけ学校批判したいんだよ」と言われるかもしれないけど、実はこの事自体はどうでもいいんです。それが学校教育の限界だって知ってるから。教育改革は意欲のある人に任せます。完璧な学校教育のあり方に関して議論できるほど賢くはありません。代替案があるわけでもありません。僕は淡々と事実を指摘しただけです(勿論反論はお待ちしております!)

さて、ここまで述べてきた学校の特徴は、何にそっくりでしょうか。
……マスコミだよね。ああ、書いててあまりにも僕の主観入ってて嫌になってきた。でも別にいい、僕に似てる人にとりあえずは向けてるんだから。もしかすると学校が楽しくて楽しくて今でも小学校時代に戻りたいって思ってる人は「こいつ何言ってんだ?」ってなっちゃうかもしれない。間違いなく、僕はその正反対だ。今を普通とするなら、小学校の頃は地獄だったし、小学校の頃を普通とするなら今は天国だ。そんな人間の発言が全員に通る筈がないことくらい知っている。
「お前、良い先生に会わなかったのか?」と言われるかもしれない。
会いましたよ。凄く尊敬できる先生。曲がったことが嫌いで、変わってたけど筋が通った先生だった。でも、それはそれ。これはこれ。

どういう意味でマスコミと学校は似ているのか。
さっき言った言行不一致の同調圧力、これが一つ目。

次に「それが世界であるという点」。これは分かりにくいけど……テレビで流行っているものは、世の中の流行。そういった時代があったし、未だにそれは強いと思う。正直これからネットがそういう役割を果たすかもしれないと思うと怖いところもあるのだけれど。権力機関になるとロクなことにならないからな……とにかく。学校はどうか。言うまでもなく、ガキにとって世界とは学校だ。世界そのものである学校に馴染めないという選択肢は用意されていない。不登校は「問題」でこそあれ、「個性」になることはない。よくよく考えるとオカシな話である。会社に行かなければ給料が貰えないから困る。これは分かる。学校に行かなければ集団生活のスキルが学べないと言うのだろうか?はめ殺し窓は暴力行為を好む(端的な表現)ガキどもに外され、一歩的に殴られてケガをし、集団に嫌がらせをされ……どんなブラック企業だよ! いや、僕の学校が末期だっただけかもしれない……よし、この話は控えめにしておこう。

三つ目。構造上、マスコミにも学校にも、「右翼思想」が入りにくいのだ。学校は、そもそもの歴史的に仕方のない面もある。右翼思想こそが学校だった時期、それが戦時中だった。そこからの大反動が、左翼思想、すなわち「リベラル」「急進」の思想こそがインテリ思想であるという風潮を生み出したのだ。朝日新聞は今ではあんなモンであるが(あんなモンと以外どう表現しろと)、一応、インテリ御用達新聞だったはずである。もしかすると今でもそうなのかもしれない。ならマスコミはどうか。株主がどうのこうのとか細かいことはあるだろうが、そもそもマスコミには現実を批判する役割がある(はずだ)。「しょうがないよね〜戦争起こっても仕方ないし軍備拡張もやむなしだよね〜」なんて言っちゃったら、ある意味それはマスコミじゃないのかもしれない(産経新聞、すまん! 僕は好きだけど、朝日新聞煽りとか爆笑モンだし)。

学校で「しょうがないよね〜戦争起こっても仕方ないし軍備拡張もやむなしだよね〜」なんて言っちゃったら……真っ青になる人は多そうだ。だけどその逆「どの国の人も仲良く」だとか「戦争は人の心が生み出した悪だ」みたいな論調は余裕で通る。仕方ないね。このことを批判したいなんて思わない。新しい歴史教科書の会に任せます。

これまでのことをまとめて考えると「君が代起立問題」とか凄く分かりやすい。これは信仰の自由をめぐるバトルなどではない。「宗教的、軍隊的に思想を押し付けられる」学校という場で「押し付ける立場の」教師が「自由を行使する」ことのおかしさを叫んでるんですよ。言い換えると「学校では規律を守ることを教えなければなければならないのに、教師はなんで破っていいんだ」になります。こんな議論、永遠に交差しません。

ここまで考えて気付いたんです。

もしかして、保守なんて存在しなくて。
体制側なんて存在しなくて。
もしかして。

ただ、みんな反動してるだけなんじゃないかと
過去に、政権に、マスコミに、教育機関に、未来に、隣国に、自国に、原発に、不健康に、煙草に、神に、先生に、教養主義に、就活に、ブラック企業に、死に……。

かつてのインテリは、自らの知性を理想の方向へと反動させた。
体制を、攻撃しようとした。
学生運動という形でそれは現れた。
今、ネットで保守的な思想を持つ人たちは「学校=マスコミ」という「体制」に対して「オンライン学生運動」を行っているのではないか。

だったらネトウヨなんて極左集団である。


……
……んなわけねーだろ!!!!!!!
……

薄々のところ多くの人が感じ取っている。右翼左翼で分けることはもう不可能だ。右翼と呼ばれる人が日米同盟に大賛成し左翼と呼ばれる人が米国からの離脱を主張する。
愛国と反日で分けることも、リベラルと保守で分けることも……不可能だ。

ある作家がいた。その作家は「サイレントマジョリティ」を考慮して、アンケートの結果を自分の都合のいいように捻じ曲げた。

ある保守系(?)漫画家がいた。その漫画家は「ネトウヨ」を嫌うあまり、「ネトウヨ」は「低収入」「低学歴」と定義し、「ノイジーマイノリティ」であると言い放った。

ある精神科医がいた。その精神科医は自分を「リベラル寄り」と主張し(この主張を聞いたのがリベラルについて真剣に考えたきっかけでもある)、今は安倍政権が嫌いすぎて忙しそうな感じである。


う ん ざ り だ  

もう右翼も左翼もうんざりです。わけがわかりません。知りません。サイレント・マジョリティもノイジーマイノリティも知りません。投票した人がいた、クレームつけた人がいた、それ以上のことなんて何も言えないじゃないっすか。俺はこう思う、でいいじゃないですか。それに……

かや……某精神科医は「自分はリベラル」と言う。
果たして、自由が嫌いな人などいるのでしょうか?
もちろん、そういう意味で言ったわけではないのは分かっている。だけど今、リベラルってどういう意味で機能しているんだ?

わけがわからない!

デカルトという人がいました。彼は「我思う、故に我あり」と言いました。この世は数学の定義でさえ揺らぎうる、だったら疑えないものはない、疑えないのは「疑っている私」だけだ、っていう考え方です。この考え方は「疑っている私=私、でいいの?」みたいな感じで色々と反論ができるのですが……それは後の時代の哲学のお話。
大事なのは、ここから。この懐疑心の固まり、疑いオバケ、神をも疑う(まあ実は結構信心深い人で、このあたりスゲー悩んだみたいですが)大胆不敵、自由の塊デカルト大先生ですが……実は、こんな感じの言葉残してるんですね。『方法序説』を実際に読んだ人なら知っていると思います。

城ってあるじゃん。あれの石1つ抜いただけでエライことになったりするでしょ?積むのは難しいけど、壊すのは簡単なんだよね。ちょっと変えちゃうだけで一気に崩壊しちゃうってことがよくあるの。だから、簡単に物事を変えようとしちゃダメ」(以上、超訳)

何かに似てると思いませんか?
そう、「保守」の思想です。
当時としてはリベラルの極地にいたデカルト先生が、まさかの保守思想です。ちなみにデカルトは調べれば調べるほど好きになる思想家なので調べてみるといいかも。

自由、保守。ますますわからない。

だったら……経済学用語で「新自由主義」とかってあるじゃん? あれだけ基準に考えれば良くない?……って、どう考えてもそういった言葉を経済学的に正しい意味で対応させて保守がどうのこうのって議論してる人なんかいないよね、あんまり。いたらごめん。

結局何が言いたいのか。

最近のネトウヨ、左翼って言葉、ただのレッテルじゃん。もう気付いてるなんて言わないで。
事実、薄々多くの人に気付かれている。だからネトウヨなんて言葉を最近見かけなくなったのかもしれない。

ちなみに、僕は今まで自分がリベラルな保守だと思っていた。もし天皇制が廃止されれば、鳩山政権化だと、日本のシンボルは鳩山由紀夫になる。怖すぎる。だから天皇制は残さねばならない。……別に、愛国心から天皇制を残すべきだなんて主張しない。
韓国には親日罪がある。条約も破る。そんな政権の国と仲良くする必要はない。別に「韓国人はどうのこうの」なんて何も言わなくていい。そんな必要はない。ただ、朴槿恵が反日政権なのは間違いないのだから、別に譲歩する必要もなかろうと思うだけだ。それを日本のせいだと言うなら、言わせておけばいい、どうしようもない。他国に最大に譲歩していた民主党政権時を忘れてはいけない。

さて、僕はネット右翼でしょうか。それともリベラルでしょうか。

どーでもいいよね。

でさ、結局、気付いちゃったことっていうのは、ここから。
最初のテーマに戻ろう。

「なんでオタクと呼ばれる人たちが体制側である右翼思想を持ちやすいんだろうね」

に対する一つの解答。解答の一つ(解答の全てではない)。
さっきも言ったけど、それは反動だ。制度に対する、反動だ。学校という世界に対する反動だ。マスコミという世界に対する反動だ。そんなものが世界ではないと、自分たちの世界を守ろうとする、反動だ。
だったらそもそも、ネットも規律を強いる世界じゃないか。失言をすれば燃やされる。ボロクソに叩かれる。……そうですね、歴史は繰り返すのです。学校ではない、一つの新たな自由を手に入れた世界。そこは結果的に学校にそっくりだった! ただ、物理的にケガをする可能性は低い。そしてよほど酷い晒され方をしない限りは、LANケーブルを引っこ抜けば済む。その違いはあるかも。だけど、やっぱり似てると思うんだよなぁ、マシなだけで。中毒性がある分ネットのほうがひどいかも。ネット中毒とカルト宗教への盲信、何が違うんだとも思うし。多分脳内物質の分泌プロセスとしては結構似てるよね。
学校を批判する意図はないって言ったのはここにある。結局、どこも同じ。

思い出すことがある。小説を原作にした漫画『NHKにようこそ!』のワンシーンだ。NHKとはいえ、マスコミのNHKは関係ない。日本ひきこもり協会の略である。有名な作品だし、あらすじは省略する。今日引用したいのは、サブストーリーの1つだ。
主人公の友人であるヲタ眼鏡(いじめられっ子、ただしイケメン)は、学校に自分の世界を見つけられず、エロゲーの世界にハマってしまう。そこには自分の世界があった、と。

そこに映し出されたのは僕の求めていた世界そのものだった。それまでの殴られ傷つけられるだけの何の価値もない学校生活とは違う。本当に価値のある現実……僕だけの世界!!僕だけの理想郷!!」。

そして自力で学費を稼ぎ、代アニ(公式の略称だった気がする)に入学するのだ。だが、そこで彼が見たものは、エロゲートークを和気あいあいと楽しむリア充集団、文化財としての「オタ」、萌えキャラの構築法……そこには、現実があった。ヲタを食い物にする立場。彼は言う。

もう何一つ……ここには僕の胸に響くものは存在しない……神は死んだのか?

涙無くしては思い出せないシーンだ。泣きそうになりながら、今続きの文章を書いている。ガチで泣ける。コレなんだよなぁ。反動の先にあるパラダイスは、結局、反動の前の世界と同じなんだよ。僕は知っている。小学校を幾ら批判したところで始まらない。小学校と正反対の施設を作ったとしよう、そこは多分……小学校だ。

僕の自由ってなんだったんだ。政治観ってなんだったんだ。あんまりじゃないか。ただの反動に支えられた自由。Aに対してZを突きつけるだけの自由。何が自由だ!ふざけんな!何が保守だ!結局、振り回されているだけじゃないか!

何が、自由だ……。
神は、死んだのか?

……さて、ここで僕の思想は荒涼とした大地に立たされるわけです。そして気付きます。
……ああ、これが、自由なんだ、と。
やっぱりオーバーかな? だけど、言ってることはそんな滅茶苦茶じゃない。自分の思想が結局学校批判に源流があったって認めた上で、もうそれでいいってことにする。それだけ。あとは、やりたいように、考えたいように。

右も左もどうでもいい。レッテルを貼るのはなるべくやめよう。靖国参拝も、とりあえずはどうでもいい。原発も、とりあえずはどうでもいい。韓国も、どうでもいい。中国も、どうでもいい。表現規制も、どうでもいい。ネトウヨももう概念として消えていくだろう。左翼も消えるかもしれない。経済用語が絡んでるから、共産主義は消えないかもしれない。わかんない。どうでもいい。
こう言うと怒る人がいるかもしれない。でも僕は、自由を行使しているだけだ。

どうでもいいんだ。だけど、どうでもいいからこそ、思ったことを言う。それで誰かを深く傷つけたなら、謝る。良いことがあったら、ありがとうと言う。

……なーんだ、やっぱり一周して学校教育みたいになってる。ああ面白い。

悟っているわけではない。この世は無駄だなんて言うつもりは全くない。「最近の若者は無関心」……そうだろうか。少なくとも僕は真逆だ。やりたいことをやる。とりあえずはこうやって、文章を書こう。文章力が上がって、発想ももっとキレるようになれば、誰かを救うなんてオーバーなことは無理でも、ちょっと新しい物の見方を提示できるかもしれない。それすらオーバーかもしれないけど。
画力を上げよう。そうすれば、誰かが僕の絵を見て何か思ってくれるかもしれない。ああ、でも今の絵だとまだまだそんなことは言えない。先は長い。
選挙も行くだろう。思ったところに入れよう、それが良いと思うから。そう思うだけで、その証明は御免被る(ジョルジュ・バタイユ風)。

僕は、自由だ。
もちろん、この考え方に反論することも自由だ。
ここに一つの自由がある。
それが世界の形だ。
下らない結論。それでいい。多分。
もっと自由に、政治のことを考えていい。それができる日本は、とりあえず凄く平和だ。


※おまけ
なんで「軍事費拡張反対」とか大学で(物理的に)叫んでる人たちにイラッと来るのか。ただうるさいからだろうか? それもあるだろうけど、多分「昔ながらのやり方で昔ながらの主張を引き続きやってる」ことに対する、僕の小さな「反動」なのだろうと思うと、すっきりしました。

※追記
リベラル論に対して確かに誤解っていうか、いわゆる戦後の使い方と違う使い方してるのは間違いない。ただ、某精神科医の使う「リベラル」って、自分にレッテルを貼ることで反論する側にもレッテル貼ってる気がするんだよね。気がするってだけ。それだけ。

※追記その2
たくさんのご意見、ご感想本当にありがとうございます。必ず全レスいたしますが、ちょっと時間がかかりそうです。気長にお待ちください……重ね重ね、本当にありがとうございます。健全にお話ができて、非常に嬉しいです。

※追記その3
本当にたくさんのコメントありがとうございます。個別レスは必ずしますが、まとめて言いたいことだけ言ってから今日は寝ます……
「どうでもいい」というのは、「原発があろうがなかろうがどうでもいいじゃーん」という楽観論とは根本的に異なっていますが、明らかに説明不足でした。もし選挙以外の場でひたすら政治に関して、隣国に対して怒り続ける…………と、使うべきエネルギーがそちらに吸い取られてしまう気がするのです。だったら、そのエネルギーはとりあえず「どうでもいい」と保留しておいて「必ず選挙に行く」という形で還元したほうが合理的なんじゃないか、と思うわけです。勿論「書くこと」で伝える力があるなら徹底的に行使すればいいと思います。ですがツイッターとかでみんなで一緒になってワイワイ政治的な批難とかしてると、精神すり減らない? とも思ってしまいます。人それぞれと言えばそれまででしょうが……とりあえずそのあたり、説明不足でした。
それと「マスゴミ」と同じなどと言われると……傷つきますよ(笑)少なくともこのブロマガに既得権益も無ければ放送法の適用もありません!! どうしても偏った視線にはなってしまいます……個人ブログってのをそこまで免罪符にするつもりも無いですが……もちろん、この文章に対する批判はお待ちしております。ただ、レッテルやめてって言ってる文章なのにレッテル貼ってくるのはやめてほしいなぁ。仕方ないけどさ。

※追記その4
No.181「ひじり」さんのコメントにうなってしまったので、引用させていただきます。
これって「かつてあるとされていた『アウトサイダーの拠り所』はもう実質存在しないのだから、各々が個を確立して生きるようにしましょう」ってだけの話じゃないの?
本文における右翼左翼うんぬんはその構造を説明するための「例」にすぎないわけで、「例」の正否なんてここでは問題じゃないでしょ。
うおぅ……的確かつ簡潔、ぐうの音も出ません。凄く言いたいことを理解してくれてらっしゃる。ただ、この的確かつ完璧なコメントに至るまでの過程を本文ではぐねぐねと描いたつもりだったので、本文が無駄だとは思いません。ですが……完璧なまとめ方です。こんな文章、書けるようになりたいなぁ。
他の方への返信もさせていただきますので、気楽に気長にお待ちくださいね。
広告
他512件のコメントを表示