• 「THE IDOLM@STER PRODUCER MEETING 2017 765PRO ALLSTARS -Fun to the new vision!!-」前夜

    2017-01-28 09:18
    横アリ病、というものをご存知だろうか。およそ5年前に猛威を振るった病気だ。
    内科部長さんのブログが詳しい。「横浜アリーナ病 Yokohama Arena Disease
    私も派手に罹患して、その症状が治まるまでに随分と時間がかかった記憶がある。

    アイマスのライブに参加すると多かれ少なかれこういった症状は出て来るのだが、
    初参加のアイマスライブというのもあり、横アリの時がいちばん症状が酷かった。
    仕事中でも唐突にフラッシュバックし、自然と涙が溢れてきたりして大変困った。

    10thのドームライブ後なんて、横アリの時よりももっと酷い症状になるのかなぁ、
    なんて思っていたけど、実はそれほど私に横アリ病のような症状は現れなかった。
    ツイッターを眺めている限りでもそういう人が現れているようには記憶してない。

    ドームライブが終わって日が浅い頃は、まだその熱を帯びている人は多かったが、
    雄弁に語ったりポエムを呟いている人はいるものの、そこまで起伏が激しくない。
    なんというか「いつものアイマスライブ後」という感じがして、不思議であった。







    プロデューサー的思考でドームライブを「いける」と思えたのはいつ頃だろうか。
    ドームライブをやるからには、ライブとして興行的に成功しなければ意味が無い。
    客入りを考えずに思い出開催にしてしまったら、ドームライブ成功とは言えない。

    その枷の大きさ故に、ドームライブというものは、あまり現実感を伴わなかった。
    もちろんその夢を捨てられるわけじゃないが、どこか遠くの絵空事のようだった。
    ドームライブというのは、概念とかバズワードのようなものだとずっと思ってた。

    ドームライブという言葉はエンディングや別れといったイメージも持ってしまう。
    夢が夢のまま叶えられることがないのであれば、約束の場所はずっと永遠となる。
    このまま時間の檻の中で、楽園に浸っていたいと願ってしまったのかもしれない。

    初めて参加したアイマスライブである横アリは、とても素晴らしいライブだった。
    それと同時に、ドームライブがいかに大変なことかを思い知らされた場でもある。
    横アリの後にドーム成功を確信してた人がいるならば、その心境を教えて欲しい。

    横アリで私が見たステージはとても広かった。そして、とても眩しく輝いていた。
    アイマスを愛する人達があれほど集まった姿を見たのは始めてだったし、驚いた。
    それでも、心の奥底では、「ドームには足りない」と思っていたのかもしれない。

    横アリ現地での来場者数は1日あたりおよそ1万2千。これでも途方も無い数字。
    10th西武ドームでの来場者数と比較すれば、ドームのハードルの高さが分かろう。
    単純に計算すれば、横アリの3倍以上。現実感が伴わなくなるのも、無理はない。

    もし、夢が夢で終われるのであれば、それはひとつの幸せなんじゃないだろうか。
    男坂エンドなんて便利な言葉があるけど、頂上に登り詰めず終えることもできる。
    結果ではなく、その過程そのものに意味と目的と結末を与えてあげれば良いんだ。

    上を目指してただひたすらに、我武者羅に頑張ってる時が、その時間が楽しくて。
    夢を実現させることから目を逸らし、夢を実現できなかった時の辛さから逃げて。
    それを承知の上で「今」に満足してしまえば、楽園という時間の檻ができあがる。

    たしか、「ビューティフルドリーマー現象」なんて名が付けられていた気がする。

    今にして思えば、横アリ病を患った原因はドームを「諦めた」からかもしれない。
    「あの時間に戻りたい」と強く願って涙したのは、その瞬間に歩みを止めたから。
    ドームを見据えていれば、未来を願えば、決してその場所に留まろうとはしない。

    私は春香に謝らなければならない。春香の言葉をあの時信じてやれなかったんだ。
    ドームを諦めて、この横アリで満足しておけば、そこは楽園となることができる。
    妥協した結果、横アリに過剰なまでに依存してしまったのが、横アリ病の正体だ。

    横アリの「あの時間に戻りたい」と願ったのは、それほどまでに甘美だったんだ。





    プロデューサー的思考でドームライブを「いける」と思えたのはいつ頃だろうか。
    確信を持てるようになったのは、9thツアーの東京公演後あたりだったろうか。
    1万人規模の会場をツアーで次々に埋めていくのを見て、これなら届くと感じた。

    「いける」ではなく「いきたい」と願うようになったのは、劇場版を観てからだ。
    ドームを諦めていた私には、春香の台詞とM@STERPIECEが痛いほど、刺さった。
    明日は追いかけていくものじゃなく、今へと変えていくもの。それが自分になる。

    横アリ病のように「あの時間に戻りたい」と思わないのは、その必要が無いから。
    時には振り返りたくなる時があったとしても、戻ったり留まりたいとは思わない。
    そんなことをしなくても、この先の未来が光輝いているものだと知っているから。

    横アリを模したステージを観るため映画館へ通い続けたのも、きっとそんな理由。
    「どうしたいか、だけでいいんだよ。」という春香の言葉は、覚悟を必要とする。
    その輝きの向こう側をさらに観たいと望めばいい。そんな、些細な覚悟を決める。

    それでも、ドームはゴールじゃないと言い切れるようになったのはライブ前日だ。
    10th西武ドームライブは通過点にしなければならないと、そう強く思い願った。
    10年を経てもそのように未来を願うことが許されるのは、とても幸せなことだ。

    だから、ライブ開幕を告げる言葉を聴いた時も、私は泣き崩れることは無かった。

    担当アイドルの背中や横顔を見れる位置というのは、プロデューサーの特等席だ。
    ゲーム本編ではなかなか見れない景色だけど、ライブであればその願いが叶える。
    アイドル達をそのステージ上に送り出し、存分に歌い踊る姿に目を細めて見守る。

    西武ドームのセンターステージと花道は、そんなささやかな願いを叶えてくれた。
    もちろん、360度を囲まれたステージは、真逆の目的で作られたものであろう。
    客席のどの方向にも、その笑顔と歌声と姿を隅々まで満遍なく届けられるように。

    そのステージから届く、アイドル達の背中越しに見るサイリウムの海という光景。
    彼女達の背中は、これほどまで多くの光を背負うことができるようになったんだ。
    いつの間にか、なんて言ったら失礼だな。彼女達が着実に歩んできた証でもある。

    その光景が今後も続いていくことに不安が無いというのは、とても贅沢なことだ。
    それがどれだけ途方も無く大きな贅沢であるか、ドームライブを終えて実感した。
    いつもライブ後に感じる「感謝」の気持ちは、それを実感するからかもしれない。

    ライブが終わり、西武ドームを退場中に一息入れていたら最後の退場者になった。
    客席から人が消え、センターステージの解体が始まるのをぼんやりと眺めていた。
    その広大な会場や、ステージの光景を見下ろしながら、そんなことを考えていた。

    繪里子さんもライブ直後に、同じように解体中のステージを見ていたと後で知る。
    許されるならば、そんな時は担当アイドルの隣で一緒にその光景を眺めたかった。
    同じ時に同じ目線で、自分達の道程がどれほど「贅沢者」であるかを実感したい。

    「私達は、贅沢者です。」の言葉の中には、私達プロデューサーも含まれている。







    西武ドームでのライブが終わり、2日後になってしまったけれど足を運んだ場所。
    約束していたのに遅れてしまって、申し訳なさを携えながらあの光景を思い出す。
    西武ドーム前に誓った「まだその時じゃ無い」という私の言葉は今も変わらない。

    そして今日もまた、次のライブが始まる。たくさんの「贅沢者達」を携えながら。

    ドームライブの、その次へ。





    「THE IDOLM@STER PRODUCER MEETING 2017 765PRO ALLSTARS -Fun to the new vision!!-」前夜、自宅にて。




    10th西武ドームライブ前の記事↓
    「THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!2015」10thライブ前夜_





  • 広告
  • シン・ゴジラに学ぶBCP対策

    2016-08-14 00:391
    シン・ゴジラ、いやー面白かったですねー。
    え、まだ観てない?もったいない、早いとこ観ちゃいましょう。

     ゴジラや特撮の類って今までほとんど観たことなかったんですが、こんなに面白いものなんですねぇ。第一印象は「あ、これは災害対策シミュレーション映画だ。」って感想でした。なので、他の災害と同様にBCPへ盛り込めるんじゃないかなぁと思ったのが事の次第です。

     さて、どこまで書けるだろうか。



    1.BCPって何?

    ggrks→事業継続計画
     簡単に言うと、災害が起きても組織や事業が継続できるように事前に準備しておきましょうねという社畜バイブルです。災害に生き残ったらその後も生きていかなきゃならないからしゃーない。人類が滅亡してもシステムや事業が継続できるのがベストですが、なかなかそこまで想定してBCP作成できないから、ある程度の計画で諦めましょう。
    BCPってわりと最近生まれた概念で、ISO規格が2012年、JIS規格が2013年に制定されたので、東日本大震災当時には存在しませんでした。それまでは防災計画等はありましたが、人命保護だけでは足りないと痛感し官庁や企業ではBCPを策定するようになりました。生き残ることも大切ですが、その後生き続けることも非常に大事です。

    BCPでは、以下のような事態を想定します。(Wikipediaより引用)
     ・疫病
     ・地震
     ・火災
     ・洪水、津波
     ・サイバーテロ
     ・サボタージュ(内外の脅威)
     ・ハリケーン又は大きな嵐
     ・停電
     ・テロリズム
     ・窃盗(内外の脅威、重要な情報および物品)
     ・基幹システムの偶発的故障
    いやー世の中危険がいっぱいですね。この中にゴジラを突っ込みます(唐突)。
    あ、シン・ゴジラ以外のシリーズは全然わからないのでシン・ゴジラのみ想定します。



    2.脅威分析

     上記事態で想定されるいちばん大きい災害被害は、地震+火災+津波+停電のコンボかなぁと思います。たぶん実際のBCPでもそれを想定していることでしょう。なにせ東日本大震災で実際にその光景を目の当たりにしていますから。やはり自然災害は強い。ゴジラの被害を想定した場合、これらの自然災害とは大きく異なる点が見受けられます。

    ①ゴジラによる災害規模について
     実は、ゴジラがもたらす被害は自然災害に比べてそれほど大きくはありません。東北に押し寄せた津波範囲と比較すれば一目瞭然でしょう。ゴジラが存在する周辺に限られています。火を噴く前ならただ歩いているだけなので、その進路の線上幅50メートル程度が被害範囲と予想されます。つまり、進路からちょっとでも外れていたら直接の被害は免れます。進路上はたまったものじゃないですが、自然災害の面被害に比べたらずいぶんと小さく感じます。火を噴いた時はおよそ都内3区が壊滅し火の海になりましたが、それとて都内全滅したわけじゃありません。想定される被害も「拠点の喪失」と「人員の喪失」なので、現状のBCPに自然災害が盛り込まれていればそこから逸脱しないと考えます。

    ②ゴジラによる災害地域について
     ほぼ津波の想定地域と一緒の沿岸部です。ゴジラは海からやってきますし、冷却するために海へ戻ったりもします。原発が沿岸部に存在するのと同じ理由ですね。空冷で足りなければ液冷するしかない訳で、ゴジラは内陸部にはやってこないことが想定されます。内陸部に拠点やサブ拠点を設けるのは非常に有益ですね。自治体が発表しているウォーターハザードマップに対応していればゴジラの被害は免れます。なので、現状のBCPに津波が盛り込まれていればそこから逸脱しないと考えます。

    ③ゴジラによる災害期間について(ここ重要)
     ゴジラが他の自然災害と大きく異なる点は、この「災害期間」です。これはかなり厄介です。地震を想定すると、本震や余震等があるにせよ揺れている時間は限られています。被害規模にもよりますが、早ければ翌日あたりから復旧作業を開始できるのではないかと思います。災害期間が長い津波でも、おそらく数日後には復旧作業を開始できるでしょう。しかしゴジラは違います。自然災害とは比較にならないほど災害期間が長くなります。ゴジラ第一波だけなら数時間程度ですが、第二波はいけません。再上陸から火を噴いて休眠するまで数時間、休眠中の約2週間、そして凍結後の除染完了までの数ヶ月数年間は復旧作業を開始することができないことになります。周辺住民もみな疎開対象ですから、BCPを策定していてもそれを発動できるまで相当の時間がかかることが予想されます。つまり、原発至近ではなくても、それに準じた「原発災害」を想定したBCPが求められます。都心にお勤めの皆さん、BCPに原発災害なんて盛り込んでます?



    3.影響分析

     ここでの影響分析とは「事業に与える影響」の分析になります。BCP策定においては「目標復旧時間」を定めます。BCP発動後、以下のフェーズに沿って進みます。
     ①初動対応
     ②復旧作業
     ③限定復旧
     ④完全復旧
     事業継続に欠かせない、優先的に復旧させるべき機能を③限定復旧に当て、それ以外を④完全復旧に後回しにする優先順位付けになります。③④までの時間が「目標復旧時間」になります。これは言い換えれば「復旧に何日かかるか」ではなく「何日業務がストップしても会社は耐えられるか」の時間になり、それを越えることは事業規模縮小や事業存続停止を意味します。
     大抵の企業であれば、目標復旧時間は数日~数週間を想定していると思いますが、ゴジラが襲来した場合はその目標復旧時間を大幅に上回ることが予想されます。事業を年単位でストップしても継続できるなんてちょっと想像できませんね。
     仮に自身の事業が継続できたとしても、ゴジラがインフラに与える被害や復旧も勘案しないといけません。都心では電力や通信等のインフラは「洞道」と呼ばれる地下道に張り巡らされています。ゴジラの放射熱線は数万度とか数十万度とか聞きますから、まず耐えられません。劇中では大規模停電も発生していたので、おそらく地下変電施設もやられてるでしょう。ゴジラ近辺なら拠点喪失もしてるでしょうから、潔く諦めましょう。交通インフラは、大爆発してましたね…。あれ復旧できるんでしょうか…。インフラが復旧しなければ②復旧作業も望めません。そういえば東京駅の近くには東京電力本社もNTT本社もありますね、やべーなおい。まぁ政府機能も壊滅してるからいいか(良くない)。最終的に直接被害を受けなかった地域でも、東京や近郊住民の強制疎開がありましたからインフラが維持されるとは考えないほうが良いでしょう。

     じゃあどうすればいいか。正直なところ、事業の分散化・冗長化しか手が無いです。



    4.計画策定

     「簡単に言わないで欲しいなぁ…」とボヤきたくもなりますが、仕方がありません。ゴジラが現れたら都内での事業継続は諦めましょう。身も蓋もないですね。幸いなことにゴジラは同時多発的に日本各地へ出現することがありません。なので、東京から遠く離れた地点にサブ拠点を配置しましょう。かなり体力が必要になるので、正直なところ大企業か体力のある中堅企業しか対応できないかと思います。中小零細の人達は…なんとか生き残ってください…。
     さすがに原発災害規模のBCPなんて考えてる人少ないんじゃないかなぁとググってたところ、けっこう色々な企業が考えてるっぽいですね。東京海上日動火災さんなんてそのものズバリでした。あれ、これだけでよかったんじゃね?
     大企業であれば事業停止が1分1秒でも許されない場合がありますから、そういう企業は既に情報システムを遠隔拠点へフェイルオーバーさせる機能を構築済かと思われます。可能な限り遠隔分散し、きちんとフェイルオーバーできるようにしておいてください(ここ重要)。自動フェイルオーバーできるなら、設備を見捨てて人員はさっさと避難することができます。そう簡単にはなかなかいかないのは重々承知の上ですが。ゴジラに耐えるには大企業に限らず可能な限り情報システム遠隔分散を試みましょう。生産設備を持つ企業はその冗長化も考えなくてはなりません。費用対効果の観点で難しいかとは思いますが、せめて基幹生産設備だけでも。あれ、既存のBCP対策内容と同じじゃね?
     人員保護については特筆すべき点があります。他の自然災害は発生とほぼ同時に被害が発生しますが、ゴジラの場合は発生から被害まで数時間の誤差があります。つまり情報封鎖や情報隠匿でもしない限り、ゴジラの発生を認識してから到達するまでに「逃げる時間がある程度確保できる」という点です。実際、蒲田で暴れた時に破壊したのは無人の自動車が大半でしたし、一目散に逃げていればビル倒壊に巻き込まれる人もいなかったんじゃないかなぁと想像してます。結果的に人が残ってましたが、品川での迎撃時に避難完了報告も出ていたので。ゴジラの放射熱線で焼かれてしまった人は、直前まで対応に追われていた人や逃げなかった人と推測します。徒歩1時間の標準距離は約3kmであるため、3時間くらいあれば東京駅から板橋駅あたりまで徒歩だけで逃げることができる計算になります。公共交通機関が動いている間ならもっと先に逃げることができますね。実際に東日本大震災時は徒歩で10時間くらいかけて帰宅したのですが、この移動距離感はそれほど無理があるわけではないのを実感しています。なので、「ゴジラが現れた場合は一旦事業を捨てて一目散に都心や予測進路から逃げる」とBCPには追記してください。これだけで相当の被害が免れます。人員がいなかったら復旧作業もできません。人命優先でとにかく生き延びさせることを考えてください。分散拠点に人員配置して事業継続するのはその後です。



    5.おわりに

     いろいろと考えてはみましたが、たとえゴジラと言えども既存のBCPからそう大きく外れなくても対応できるのではないかと思いました。まぁ机上の空論なんですけどね。実際にはもっと予測不可能な事態が発生するかもしれませんし。ただ、こうやって遊んでみるだけでも、「予測を超えた事態」が多少なりとも予測可能な範疇になるんじゃないかなぁ、と。劇中では初めて目にするゴジラという「予測を超えた事態」で右往左往する場面もありましたが、今の私達は違います。ゴジラという存在を知り、多少なりともゴジラの被害を押さえることができます。あらかじめ予測ができれば、必要以上にゴジラを恐れることは無いのです。みなさんのBCP策定の一助になれば幸いです。

     それではみなさん、無事に生き残りましょう。





  • 「THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!2015」10thライブ前夜

    2015-06-24 15:555
    2015年2月15日(日)、Zepp Tokyo。

    劇場版「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」打ち上げパーティーを
    終え会場を出た私は、熱気冷めやらぬその足でどうしても行きたい場所があった。

    連れの人達には申し訳ないなと思いながらも、私はそこに行かねばならなかった。

    会場から数分の距離。この地で開催されたのも、きっと偶然では無いのであろう。
    あまり楽しい場所ではないかもしれない。私にとっては少し苦い思い出の場所だ。
    その場所は私だけじゃなく多くの春香担当Pにとって、すごく大切な約束の場所。

    冬の冷たい夜風に曝されながら、しばしの時間その光景を自分の目に焼き付ける。
    あれから随分と時間が経ってしまった気がするが、その時の約束は忘れていない。
    その光景を再び目にすることによって、春香との約束を再確認する必要があった。

    記憶は風化する。ゼロにならなくとも、いずれは色褪せて遠い日の出来事になる。
    そうならないために、忘れたくない大事なことにはちゃんと振り返る必要がある。
    そういった儀式のような行為が、私の中であの時の記憶を鮮明に蘇らせてくれる。

    時間は夜の21時。あの時もきっと同じくらいの時間じゃないかと記憶している。



    ドームでのラストコンサートの後に見た光景は、この日ちょっと意味が変わった。





    「春香担当Pになった瞬間」というものがあるのなら、あのEDを観た時だろう。
    それまでは、アイドル個人に対してそこまでは思い入れが無かったかもしれない。
    担当Pというものは「やる」ものじゃなくて「なる」ものなんだと強く意識した。

    春香との別れが春香担当Pとしてのトリガーになるのも、なんだか不思議な話だ。
    以来、春香担当Pを自称しているものの肝心の春香をあの場所に残してきたまま。
    どんな顔して再会すればいいのか分からないまま時間だけが過ぎてしまっていた。

    「パラレルな世界」という都合の良い言葉で、その後も春香と出会う機会は得た。
    もちろんそれを否定する気は無いが、あの時に約束を交わした春香なのだろうか。
    春香との約束を履行するために、私はいったいどの春香に会えば良いのだろうか。

    どれも皆同じ春香として存在し、それと同時にどれも皆違う春香として存在する。
    それどころか同じゲーム内においても次の巡に現れる春香はどちらなのだろうか。
    わた春香さんと普遍論争」の世界は、収束するどころか逆に広がってしまった。

    幾度となく「初めての出会い」を繰り返し、いつものように少しぎこちない挨拶。
    そうやって繰り返されるプロデュースの日々と、訪れることのない春香との再会。
    約束を果たせないジレンマと共に、それをまだ果たさなくても良い安堵も感じる。

    OFAは逆に手が止まってしまった。エンドレスプロデュースは少し怖いものだ。
    そこを楽園とすると帰ってこれなくなりそうで、忙しさを理由に長く触れてない。
    プロデュース期間というのは「出口」でもあって、時には必要なものだと感じた。

    呪縛や呪いといった言葉を使ってしまったら、きっと春香は嫌な顔をするだろう。
    そんなつもりじゃないのはこっちも同じだ。あんな台詞なんて言いたくなかった。
    結果として、アイドルとしての春香と1人の女の子としての春香を天秤にかけた。

    春香が得られた夢。春香が得られなかった幸せ。申し訳なさ。後ろめたさ。後悔。
    そんな自責の念を春香が望んでなんかいないのは重々承知している。しているが。
    時間の檻に閉じ込められていたのは、春香ではなく私自身だったのかもしれない。

    ドームでのライブを目指していなければ、トップアイドルを目指していなければ、
    もしかしたら私と天海春香は今とはまた違った人生を歩んでいたのかもしれない。
    そんな馬鹿な考えが頭をよぎるのも1度や2度じゃないが、それは口にできない。

    ただでさえドームライブというものは、物語の終焉を否が応でも意識させてくる。
    繪里子さんがライブであの言葉を言わなくなったのも、そういう理由だと聞いた。
    できうるものならば、永遠の刻を持ってその場所その時間に留まり続けていたい。

    パッとしない中堅アイドルくらいのランクで、まだまだ地方ドサ回りとかしてて、
    「今日のオーディションはちょっと失敗しちゃったな」「次こそは頑張りますね」
    なんていつもの会話をしながら、それでもいつかはトップアイドルと夢は大きい。

    そんなたわいもない会話が堪らなく甘美で、その場に足を留まらせるには充分だ。
    留まり続けている限り、変化が訪れない限り、ずっと共に見続けていられるんだ。
    ただ、それをプロデュースだと言ってしまうには、あまりにも申し訳なく思える。



    ドームライブというものは、私を躊躇させるに充分なゴールとしての存在だった。





    例外があった。繪里子さんの存在だ。彼女だけはあの時の記憶を引き継いでいる。
    ゲームの外側にいる人間は皆記憶を引き継いでいる、と言われればそうなのだが、
    彼女だけは別だ。春香として生きて、春香として存在することを可能としている。

    例なんて挙げずとも、繪里子さんが今までどれだけ春香と共に歩んできたことか。
    『これで春香と並んで歩ける』という繪里子さんの台詞を今でも鮮明に覚えてる。
    マチアソビの授賞式から届いたその言葉の重さは、私の想像を遙かに超えていた。

    繪里子さんは依り代だ。様々な場所や時間軸に広がった春香の記憶を繋ぎ止める。
    「並んで歩ける」という言葉どおり、春香もまた、繪里子さんと共に歩んでいる。
    私が望み止まなかったものは、きっと繪里子さんが大切に持ち続けていてくれた。

    春香はずっとその場所に取り残されているわけじゃなく、今もちゃんと歩んでる。
    そう思えるようになったのは、先述の打ち上げパーティーに参加してからだった。
    ドームライブ発表の時、ハンドマイクと共に高々と突き上げられた右手と後ろ姿。

    担当アイドルの背中を見守れるのはPの特権だ。あの姿は紛れもなく春香だった。
    西武ドームライブというのは、「2度目のドームライブ」なんじゃないだろうか。
    1度目というのはもちろん、春香との約束を交わすED前のドームライブの事だ。

    1度目のドームを経験して。それからもずっと繪里子さんと春香は共に歩んでて。
    そして10年目の今回、その歩みを止めることなく、辿り着いた先は西武ドーム。
    繪里子さんに「ドームはゴールじゃない」と言われるまで、私は気付かなかった。



    この日、ドームはスタート地点や通過点になって、そしてゴールではなくなった。





    繪里子さんと春香が共に歩んでいる道は、もしかして52週目以降なのだろうか。
    あのドームライブを1回目と捉えるなら、そういう時間軸を歩いている気がする。
    プロデューサーが共に歩むことを許されなかった場所を、代わりに繪里子さんが。

    繪里子さんは依り代だ。春香だけではなく、プロデューサーとの依り代でもある。
    あの場所に春香を1人残してしまった後ろめたさを、繪里子さんが背負っている。
    勝手に感じていた罪悪感が消えることは無いが、それでも随分と払拭されている。

    春香と約束を交わした後も、ずっとアイドルを続けていてくれる。そういう希望。
    依り代としての繪里子さんを見ることで、52週目以降の春香を私達に投影する。
    今までアイマスライブに何度となく足を運んだのも、たぶんそういう理由だろう。

    繪里子さんにばかり重荷を背負わせて、時折どうしようもなく罪悪感に苛まれる。
    大正義モードの時は特にそうだ。そういう時は、心から申し訳なく思ってしまう。
    春香と共に歩いてくれている繪里子さんに対し、私はただただ感謝するしかない。

    以前、ニコマスをずっと見続ける理由を「53週目だから」と考えたことがある。
    自分の手から離れた春香が、その後ずっとアイドルを続けていてくれると信じて。
    私にとってアイマスのライブは、ニコマスを見ることと同じ意味だったんだろう。

    映画館に通い劇場版アイドルマスターを見続けた理由も、たぶん一緒なんだろう。
    プロデューサーの手を患わせることが無くなったアイドル達の姿は、53週目だ。
    その後の春香を遠くから見守り続けること。それが私の、53週目の体現なんだ。

    それがプロデュースなのかと問われてしまうとちょっと答えるのに窮してしまう。
    支えるなんて言ったら烏滸がましい。けど私にできることならばやらせて欲しい。
    52週目に約束を交わした春香に対して、それが唯一私にできることなのだから。





    自己否定するばかりのアイマス人生だったけど、もう贖罪なんて言葉は使わない。





    実は、打ち上げパーティーでのドームライブ発表時の内容は、あまり覚えてない。
    その時はずっと繪里子さんの姿を見ていて、ライブ開催日すら目に入ってこない。
    この時ばかりは、繪里子さんのその姿を目に焼き付けておくことが最優先だった。

    気がついたら、ドームライブという言葉に纏わりつく不安感を感じていなかった。
    ただ、嗚咽を漏らしてむせび泣いていた気がする。不思議と気持ちいい涙だった。
    ドームでのラストコンサートの後に見た光景は、この日ちょっと意味が変わった。

    アイマスに出会ってから、春香に出会ってから随分と長い時間が経った気がする。
    私達の中にも思い出ボムが存在するのなら、その大きさは今迄の時間に比例する。
    西武ドームのライブでその特大の思い出ボムが炸裂するなんてことは分かってる。

    「いつか、アイドルを辞めたら、戻ってきても、いいですか?」と約束した春香。
    今はまだ、その時じゃない。まだまだ春香には、アイドルを続けていって欲しい。
    その約束を履行するのは、もっとずっと先になるんだ。それでいいんだろ?春香。

    だから私は、今回の西武ドームでの2日間のライブを、全力で精一杯楽しむんだ。





    「THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!2015」
    10thライブ前夜、ホテルにて。