• トビーフーパーが亡くなった。

    2017-09-14 08:39
    トビーフーパーが亡くなりました。
    言わずと知れた、ではないのかもしれませんが、ホラー映画ファンの間では誰もが知る素晴らしい映画監督でした。

    私程度の感性では、彼の映画に対する語りなど出来ようもありませんが、思い入れだけなら胸いっぱいにつまっています。

    多くのファンがそうであるように、言葉に出来ないほどの衝撃や感動を、彼の映画から何度も何度も与えてもらいました。

    彼の訃報を知った瞬間、頭に思い浮かんだ光景は、中学生の頃の自分でした。
    背を丸めて見つめた小さなテレビ、VHSの再生が終わり、テープが自動で巻き戻されるやかましい音と夕日を背に踊るレザーフェイス、チェーンソウの騒音と遠ざかる女の狂笑。

    真っ赤な金属ドアは、力いっぱい閉じられました。

    そして、赤の他人の私だけれど、冥福を祈りました。

    暖かくておいしいごはんを食べながら。
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  • もういちど見たいサマーキャンプインフェルノ

    2017-08-09 20:30
    「サマーキャンプインフェルノもってる??」
    ホラー映画が好きだと自称する人と出会ったときに、必ず聞いている質問です。

    こう書くと、幻の名作ホラー映画的なニュアンスを与えてしまうだろうけれど、そういうわけでもない。そういうわけでもないのだけれど、そういうわけでもありえる。そういうわけのあるホラー映画なんである。サマーキャンプインフェルノ。

    わたしとサマーキャンプインフェルノとの出会いは、軽薄だ。
    遥か昔にレンタル落ちのワゴンセールで叩き売られていたところ、100円に満たない金額であったそれを何の期待もなく買ったのが出会い。
    たしか、それと一緒にグローネンバーグのラビットもワンコインで買った(本来語るべきは、そっちのほうだろう)

    サマーキャンプでインフェルノ。もはや見なくても物語がわかりそうなタイトル。
    わたしは「どうせ、いつもどおりのアレでしょー?」という、あなどった態度で鑑賞したに違いない。
    その不遜な気持ちは払拭されることなく、物語は続いた。画面の中では、ホラー映画のいつもどおりのアレが、よどみなく展開された。
    何の驚きも意外性もなく、サマーキャンプでインフェルノである。

    そうして、ラスト10秒。
    わたしのあなどりは鮮やかとは言いがたい、暴力的でギザギザな一発により見事に壊された。

    「衝撃のラスト」ほど信じるに値しないコピーもそうはないけれど、サマーキャンプインフェルノに関しては、額面通り「衝撃のラスト」だった。

    予想できていようがいなかろうが、衝撃のラストである。
    人によっては失笑ものかもしれないし、爆笑ものかもしれないし、とるにたらないそよ風のようなラストかもしれない。

    けれども、わたしの度肝はぬかれるのぬかれないの、横綱襲名口上の四字熟語は夏宿煉獄と言おうと決意させるほどのラストシーンだったんである。

    そんな素敵なVHSも、度重なる引越しによる断捨離の波を乗り切れず、ここではないどこかへ消えうせてしまいました。

    失って初めて気付く軽薄さで「もういちど見たい」と騒ぐ後の祭りの阿波踊り。
    断捨離先に立たず、是非もういちど見たいものです。

    ちなみに、ホラー映画好きの某氏の話によると、DVDにはなっていないそうです。
    何故なっていないかというのは、察して余りある。

    傑作とも名作とも言えませんが、怪作ではあると断言しましょう。頼りないウィスパーボイスではあるけども。
  • なんとまあ。

    2017-07-22 19:57
    なんとまあ久しぶりなことでしょう。

    色々、ありました。
    でも取り沙汰すほど大きなことでもないことばかりです。

    そう、耳がずいぶんよくなりました。
    今ならハードボイルドなミドルエイジの囁きさえも聞き取れることでしょう。

    そして、stupidbearというバンドを組みました。
    知人は「プロレスラーの引退宣言と同じだな」と言いました。
    解散はなんだったんだという意味でしょう。

    ところで、世界というのは不条理なものですが、わたくし個人のレベルでいえば正しく巡っています。
    急にセミナー系のことを言い出したけど、まあびっくりしなさんな。いつものことだよ。

    食べれば満腹。
    そういう約束が守られてるだけで、いつでも私はひとりずもうをしていたようです。
    食べれば満腹になる世界で食べずに空腹を嘆いていたようです。

    暖かいごはんが、いつでも少しの努力で手に入る世界にいることに気付きました。
    これは私の個人的なレベルでのささやかな話にすぎないんだけれど。

    なにかというと。
    べつに多くは望みません、ということ。
    そういうことを思いました。

    もともと物欲は無いんだけれど、物欲なんて潔く可愛いものです。
    物欲などとは比べられない厄介者をいつでも心に飼っていました。

    取り沙汰すほど大きなことでもない色々なことがあって、
    そうした厄介者はドアを開けて出て行きました。

    もう帰ってくるなよとは言いつつも塩はまきませんでした。

    学びはそこらじゅうにあるものだね。

    そういうことで、そういうことです。

    それでは、また。また。また。