「ラスト・ピュリファイ」レビュー 著:AiZ #フリーゲーム
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「ラスト・ピュリファイ」レビュー 著:AiZ #フリーゲーム

2015-10-10 20:00

    「ラスト・ピュリファイ」





    制作者:insider (さんだーぼると)
    DL; (http://www.vector.co.jp/soft/winnt/game/se482649.html)

    皆様ご無沙汰しております。元フリーゲーマーのAiZでございます。こうしてフリゲレビューを書くのは半月ぶりぐらいになるでしょうか。
    先日、ニッチブックスさんの会議に参加させていただいた際にブロマガでのフリゲレビュー投稿が再開されたことを知りました。ちょうどシルバーウィークという時間が取れるタイミングでもあったので、自分もレビューを寄稿できたらなと思い、久々に色々なフリーゲームに触れました。
    しかし、正直RPGやアクション作品であまりピンとくる作品が見つかりませんでした。昔ハマっていたフリゲ作品をやり直してみても、あの頃ほど魅力的に感じることができず、ここ数年ゲームをまともにプレイしていなかったため、自分のゲームに対する熱は完全に冷めてしまったのかなと途方に暮れてしまいました。
    そんな時に何気なくツイッターを開いたところ、受験生達のツイートのやり取りが目に止まり、ふと、勉強なんてそっちのけでひたすら商業やフリーのノベルゲームばかりやっていた自分の大学受験時代の思い出が蘇りました。受験ムード一色な周囲の重圧に疲弊していたあの時期は、ノベルゲームこそが自分の唯一の心の逃避先であり、安全地帯であり、そして第二の故郷でした。その頃の思い出が懐かしくなって、フリーのノベルゲームで何か面白いものはないかなと探したところ、奇遇にも時間を忘れてのめり込めるような作品に出会うことができました。
    前置きというか自分語りが長くなってしまいましたがフリーゲーム、『ラスト・ピュリファイ』のレビューに移らせていただきたいと思います。

    「見ろよ、無駄の上に無駄が積み重なった街。
    色々ありすぎて、住んでる俺でも把握できないくらいだ。
    だが……色々あるからこそ、世界はこんなにも広い。そうは思わねぇか?」

    2010年3月20日に同人サークルさんだーぼるとさんが公開された「自由の意味を問うADV」。プレイ時間はアナザールートが出現する二周目を含んでトータルで7~8時間ほどと、フリーゲームにしてはややボリューミーです。

    2014年、中東勢力と軍事大国間での摩擦により第三次世界大戦が勃発、核戦争という最悪の結果をもたらしてしまった。多くの国が崩落し、世界人口の半数が消滅し、人類の存続が危ぶまれていたが、欧米で発足した「世界倫理機関」の急成長により、この戦争は終結へと向かうことになる。
    そして大戦終結後、世界倫理機構は核攻撃によって壊滅した主要国家に代わり、世界のあらゆる大陸を統治し、ついに2017年に日本の統治を終えたことで世界統一が完成した。しかし、そこで待っていたのは統治前の記憶の消去、娯楽の禁止、宗教の廃絶、感情や自我の抑制など、永久平和の名の下に人間の尊厳を剥奪する独善的政策であった。我慢の限界に達した日本国民達はついに反旗を翻し、東京に集結。その地を独立都市として倫理機関の支配から切り離した。
    物語はそんな近未来、2028年の独立都市東京に倫理圏の人間である少年、未名守徹が迷い込むところから始まる。徹は幼少期から倫理機関による精神教育を受けていたため、あらゆる感情や価値観というものが無かった。徹が非倫理圏である東京で見るものは不可解・非合理的なものばかり、時には価値観の相違から周囲と衝突することもあった。しかし、徹のそんな純真無垢さに惹かれた東京の人々は徹に人としての精神を取り戻させようと試みる。
    彼らとの日々を過ごしていく中で徹の中で徐々に感情が芽生えていくが、それは倫理圏では禁忌とされているものであり、その心は倫理機関と東京の間で揺れ動くこととなる。そんな中、倫理機関軍の東京への侵攻、last purify(最期の浄化)が始まってしまった──


    読者の皆様が本作品のスクリーンショットを見てまず思うことは、恐らくグラフィックのレベルの高さでしょう。キャラクター絵に関しては言わずもがな、商業作品ではないかと疑ってしまうほどのクオリティです。
    しかし自分が特に強調したいところは背景絵です。フリゲに関わらず、ノベルゲームにおいて背景絵というものはやや軽視されがちな存在にあり、商業ゲームにおいてすら写真を加工したものや、フリー素材が使われていることがしばしばであり、平然と作画崩壊しているものが使われていることも珍しくありません。しかし、本作品では倫理機関の攻撃を受け、崩壊しかけている東京の風景が緻密丁寧に描かれており、とても見応えのある背景となっています。こういう一見目立たないところに力を入れているという点だけでもすごくこの作品に好感を抱きました。








    第三次世界大戦後の東名高速道路・お台場・浅草

    ストーリーのジャンルは近未来ディストピアSFと言ったところでしょうか。PSYCHO-PASS・STEINS;GATE・幸福安心委員会などに代表されるような、アニメやゲームに非常に馴染みが深いジャンルです。世界倫理機関が「永久非武装・永久平等・永久平和」をスローガンとしたユートピアを創ろうとしたがゆえに生まれてしまったディストピアを舞台として物語が進んでいきます。
    いくら罵倒しても怒らず、褒めても喜ばず、生命の危機が及ぼうとも回避しようとせず、命令が与えられなければ自分からは全く動こうとしない倫理機関の人間は、東京の住人からはまるでロボット、機関に自由を奪われ飼いならされてしまった家畜のような存在として映ります。一方、倫理機関の精神教育を施されて育った徹の視点からは、価値観の相違から多くの争いごと、殺しあいが生じてきた人類の歴史に、倫理機関が最良の形で終止符を打ったと信じて疑いません。機関に完全に管理された平和な社会を受容した彼は、むしろ東京住民の重視するコミュニケーションや娯楽というものに価値を見いだせず、それらは彼の目には奇異なものとして映ります。
    倫理圏と非倫理圏という全く異なる2つの視点から描かれたディストピアな世界観も、この作品の大きな魅力の一つと言えます。

    しかし、本作品の最大の特徴は作中全編に渡って見られる強いメッセージ性でしょう。はっきり言って説経くさいストーリーが苦手という方にこの作品はオススメできません。
    物語はもっぱら徹と東京の住人達との会話がメインとなって進んでいくのですが、自由というものに確固たる信念を持った彼らは、もっぱら徹に感情を持つことの素晴らしさや人らしく生きることについて語ります。その彼らの主張の中には独特の哲学めいた内容も含まれています。哲学表現と聞くとやや分かりにくい、詩的で難解な(田中ロミオ作品でよく見られるような)表現のイメージが強い方も多いでしょう。しかし、本作のプロットにはあまり専門的用語が使われておらず、難しい内容もとても分かり易く表現されています。おかげでハリー・ポッター1巻を読むのに1年以上かかるような読解力の乏しい筆者でも、内容についていけずに置いてきぼりになるようなことはありませんでした。

    恐らくフリーゲームをある程度かじっている人であれば、『悪の教科書』というゲームをご存知の方は少なくないのではないでしょうか。悪の教科書は本作を制作したさんだーぼるとさんが2008年に公開された社会批判ノベルゲームです。いじめ・差別・教育・宗教などの現代社会ではタブーとされている問題をテーマとしたストーリーが、「先生」と生徒達の間で5篇に渡ってオムニバス形式で繰り広げられます。公開された当時は同作のあまりにも強すぎるメッセージ性や過激な内容から、「最早ゲームではない」とまで言わしめられ、フリーゲーム界隈においてかなり話題となり、カルト的人気を博しました。




    悪の教科書 Textbook Of Evil (2008年公開)

    本作品と悪の教科書(以下、前作と表記)とでは、「社会批判」というテーマが共通点として挙げられますが、前作はかなり作者の主義主張の方に重きを置いてある印象でした。しかし、本作では作者の主義主張とストーリー性が比較的にバランスが取れている様に感じました。といっても他のノベルゲーム作品に比べると明らかにメッセージ性の強い作品となっています。

    本作品をプレイ後、作者はどのような環境下でこのような作品を作るに至ったのだろうかと興味を持ち、当時の社会情勢について少し調べてみました。
    2009年、北朝鮮による地下核実験が行われ、国連安全保障理事会にて「核なき世界」決議が採択されるなど、世界的に核に対する緊張感が高まった時期とも考えられます。作品内でも核戦争により世界の半分が崩壊したとの描写があり、恐らく当時の核問題を反映したのではないかと考察できます。
    そして忘れてはならないことが日本国民の政治への不信感からの政権交代。ローゼン麻生から鳩山への首相交代により、世間の児童ポルノを巡る漫画・アニメにおける表現規制問題がより活発した時期でもあるということです。このまま政府の思惑通りに政策が進めば、性的表現規制のみならず、ゆくゆくは政府が恣意的に作品の表現を操作し、クリエイターがどんどん自由な表現ができなくなっていく「過剰規制」の暗黒時代に突入するのではないか、とオタク界隈は不安や怒りに満ちていました。
    本作においては世界倫理機関という存在が戦争を無くすために人々から感情を奪ってしまった世界を描いています。おそらく作者は「日本政府」を「世界倫理機関」に、「クリエイター達の作品」を「人々の感情」という形に、少なからず投影していたのではないか、と感じました。

    某動画投稿サイトにおける悪質な過剰規制の縮図

    筆者が感じたこの作品の一番の魅力はやはり作者の一貫したメッセージ性です。僕は作者の哲学思想が強く織り込まれている作品が大好きです。作者の主観が全くない作品なんてまるでパイロット不在の航空機、芯のないボールペンに等しいぐらいに思っています。
    しかし、人の主張というものにはいつも反対意見というものがつきものであり、なかなか公の場において自分の意見を声高に訴えるということは難しいものです。だからといって他者との意見相違を気にしていたらそれこそ何もできなくなる…だったらいっそ主張してしまえ!という力強い意志がこの作品から感じられました。またそれに関しては作中においてもキャラクターの会話から述べられています。
    筆者は今年3月に発売されたフリーゲームエッセイ、「開かれたフリーゲームと、その敵」内において「不謹慎作品の存在意義」について数ページ程、言及させていただきましたが、不謹慎作品に関しても同じことが言えます。作者の表現したいという強い意志がこもった作品はどんな形であれ、批判的に受け取る者は必ずいます。しかしその一方、作品から滲み出る作者の力強さを意識的、もしくは無意識的に感じ、圧倒され、感動や興奮を覚える者も必ずいます。

    ネットの普及によってほとんどの日本国民は誰でも自分の意見を言える環境に置かれ、表現の幅が大きく広がったかのように見えました。しかし、一見フリーダムなネット社会の中でも現実社会と同じような同調圧力というものは確かに存在します。異端者はまるで多数派かのように装った一部の人間によって非難され、場合によっては晒しあげを食らって悪者かのように喧伝されることも珍しくはありません。
    こんな時代だからこそ、この力強いメッセージのこもった本作品を多くの人に触れてもらいたい。そう思える作品でした。


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