• Makerは我が道を行く――Maker "Fire" 能登、あるいはNT能登キャンプ

    2016-08-27 02:3621

     日本最大のMakerの祭典、Maker Faire Tokyo (MFT) は、今年も充実していた。ビッグサイトの西2ホールを埋め尽くした作品はどれをとっても創意工夫に富んでいた。








     科学未来館が会場だった頃はとにかく窮屈で、テーブルに乗る小さな作品を詰め込んだ養鶏場のような眺め、と感じたこともあったが、ビッグサイトになってからは高水準を維持していて、文句のつけようがない。通路が広くて出展者とゆっくり話せるし、アメリカ本国のMaker Faire で見かけるような巨大オブジェはないが、乗用車サイズの作品ならごろごろしている。
     だがしかし、私はそんなMFTにも慣れてしまった。優れた作品で飽和状態になるせいか、以前のようには感激しなくなった。集まる数が多いので、優れた作品でも市場価値が低下して、ありふれたものに感じてしまう。
     そしてビッグサイトも、ある意味では窮屈だ。床面積は大きいが、消防法の規制がうるさく、燃焼系の作品が展示できない。ハンダゴテさえ自由には使えない。
     かつてMFTがMake Tokyo Meeting と呼ばれていた頃は、もっと奔放だった。火炎を噴き出す自作ジェットエンジンや、レシプロ機関で動くロボットなどがあって、世の中にはこんな無茶をする奴がいるのか、と刺激を受けたものだ。
     俺定義では、Makerとは、技術をもって我が道を貫く人であるその作品は他人にとって不快なものや危険なものもあるはずだ。
     現在のMFTにはそうした作品がない。オタクっぽさもほぼ消えた。生き方を感じさせる作品はあるが、家族連れでも安心して見られる行儀のいい作品ばかりが選ばれている。これが悪いとは言わないが、以前のようにはわくわくしなくなった。

     イベントと自分がこんな関係になったら、さっさと別の道へ進むのがいいだろう。
     ニコニコ技術部・金沢メンバーのヒゲキタさんとあきにゃんも大体同じことを考えていたらしく、「NT能登キャンプ」を企画した。日時と場所だけ決めておいて、あとは自由、参加登録もしないというフリーダムなイベントだ。Maker Faire というよりはバーニングマンに近いかもしれない。場所は能登半島のほぼ先端、五色ケ浜海水浴場。日時は8月13~14日。
     NTというのはNicoTecの略である。ニコニコ技術部のイベントはNT+開催地名+開催年という命名規則になっている。これは整理用の名前で、別に愛称をつけることもある。この場合は「Maker Fire 能登」が愛称になるだろうか。

     Maker Fire(Faireではない、ファイヤーである) を名乗るからには、火を使ったものを持ち込みたい。
     そこで私は前からやってみたかったポテト砲を作った。じゃがいもを砲弾として発射するもので、推薬はカセットコンロのブタンガスなどを使う。やんちゃなMakerの遊びとして定番で、potato cannon で検索するといろいろ出てくる。金属弾を発射しない限り、銃刀法には触れない。
     動画>> 燃焼チャンバーの着火試験1着火試験2ポテト弾の試射
     このタイプのポテト砲は塩ビ製で、凝らなければ1~2時間で作れてしまう。とはいえ初めてだったのでいろいろな問題に直面し、いまいち着火が安定しないまま当日を迎えた。ほかに投げ釣り道具、シュノーケル一式、目印用のデルタカイト、キャンプ用具を車に積み込んだ。
     私は前日から出発し、当日朝9時に小松でnikuさんを拾って会場をめざした。
    「会場は金沢のちょっと先」ぐらいに思っていたのだが、私は能登半島をなめていた。金沢からが遠いのだ(羽咋からも遠い)。しかもお盆期間だから帰省ラッシュで道が混んでいた。

     羽咋の手前でなぎさドライブウェイを走った。日本で唯一、車で波打ち際を走れる道路だ。しかしここも結構混んでいた。
     羽咋から"のと里山海道"なる道路に乗って山の中を延々走り、東海岸に出てからも延々走った。

     途中の海岸に伝統漁法「ボラ待ち櫓」なるものがあった。櫓からボラの群れが来るのを監視していて、来たら網を引きあげて一網打尽にするのだそうだ。


     午後2時頃、ようやく会場の五色ケ浜海水浴場に着いた。先にヒゲキタさんが来ていて、テントとブルーシートで場所を確保していた。なぜか「NT金沢」の看板を掲げている。
     この写真ではよくわからないが、海水浴客が大勢いて、駐車場もしばらく空きを待つ状態だった。もっと辺鄙で貸し切りになるような場所だと思っていたのだが、これではポテト砲が撃てない。

     とりあえず、デルタカイトを揚げて目印にした。この凧でニコニコ技術部の幟を掲げるつもりでいたが、幟を持ってくる人の到着が日没後になったので果たせなかった。
     相馬野馬追に影響されて「人生は旗だ」などと考えるようになり、今回も旗を揚げることにこだわっていたのだが、残念だ。次からは人に頼らず、自分の旗を作っていこう。


     とりあえず、他の海水浴客が帰るまで、泳ぐことにした。
     素晴らしい海だった。波打ち際は真っ白な砂地だが、10mほどで海藻が繁るようになる。消波ブロックを積んだ防波堤や岩場まで行くと、さまざまな魚が見られた。透明度も高く、10mぐらい見通せる。
     私は珠洲市まで車を走らせて釣り餌を買い求め、投げ釣りをやってみた。キスが一匹釣れたが、伊勢湾のように遠浅ではなく、すぐ根掛かりしてしまう。そこで棒きれの先に短い釣り糸と釣り針を結び、餌をつけて、シュノーケリングしながら魚を誘ってみた。すぐに小さいフグが飛びついてきた。食べるわけにはいかないが、水中で様子を眺めるのは面白かった。nikuさんに道具一式を貸すと、彼も長いこと熱中していた。

     後になって思ったのだが、シュノーケルと水中眼鏡を持参するよう、参加者に伝えておくべきだった。夏の海辺に来て、これがあるとないでは体験がまったく違う。よく水中映像で見かけるダイビングの世界を体験するには、大がかりなスキューバ装備など要らない。1000円ぐらいで買えるシュノーケルと水中眼鏡だけでも満喫できる。さらに足ヒレがあれば行動半径がkm単位で拡大する。

     夕方になって他の海水浴客がいなくなったので、私はポテト砲を撃った。
     めむくろさん撮影の動画
     ポテト砲の弾丸にはじゃがいもを使うのだが、これをてるてる坊主のように布で包んで数mの紐を結ぶと、いろんなものを投射できる。他の人が持ってきていた花火を飛ばそうとしたのだが、このときはうまく着火せず、失敗に終った。どうやら撃った後にチャンバー内を換気しないと適切な混合比にならないらしい。



     暗くなってくると、あちこちで野外調理が始まった。私も釣ったキスを焼いて食べた。焼肉、パエリヤ、MRE、ダッチオーブンの料理など、盛りだくさんである。
     車から電源を取ってビールサーバーも設置され、ビーパル族の宴会みたいになった。このときは20人ほど集まっていた。



     暗くなると参加者による火炎ショーが始まった。スプレー缶にガスバーナーで着火するもの、火をつけたスチールウールに針金をつけて振り回すもの、マッドマックスの火炎放射ギター、水素爆鳴気の点火など。
     いちばん過激だったのは充電したリチウム二次電池を斧で割り、バーナーであぶるというものだ>>めむくろさんの動画
     リチウム電池の発火事故はよくあるので、こうした機会に体験しておくといいだろう。

     なかなか刺激的な宴になったが、いまひとつまとまりに欠けていた気もする。
     私が普段しているソロキャンプはもっとストイックなもので、食料はなるべく現地調達し、焚き火で必要最小限を作る。酔うと危険だから酒は飲まないか、ごく少量ですませる。夜はしじまの中で星を見上げたり、獣の鳴き声に耳をすませたりしながら思索にふけるスタイルなのだが、今回は花見の宴会みたいなものになった。
     焚き火を囲んでMakerの人生観などを語らう時間があってもよかったのだが、数人のグループに分かれて雑談するばかりだった。しゃべる人はとことんしゃべり、静かな人は黙ったままなので、少し仕切って自己紹介ぐらいさせればよかったと思う。いまだに誰が来たのか把握できないし、Twitterのまとめ を読んでもハンドル名と本人が結びつかない。

     キャンプといっても人それぞれで、私は夕方から翌日午前中までがコアタイムだと思っていたのだが、夕食が終ると片付けが始まり、家に帰ったり宿に移動する人が出始めた。なんだか思っていたものと違うなあと思いつつ、お開きムードになったので、私も車の中で横になった。
     後でヒゲキタさんから聞いたところでは、そもそもこの場所はキャンプ禁止だということが当日になってわかった。海水浴場の管理人が「まあいいよ」と見逃してくれたので続行できたのだが、次は別の場所を探さねばならない。

     4時頃目が覚めたので、車を降りて用を足した。月が沈んだために満天の星空になっていて天の川もくっきり見えた。ちょうどnikuさんも起きてきたので、二人でペルセウス座流星群を眺めた。流星群のピークは前日だったが、このときは20分ほどで10個以上の群流星を見た。

     翌朝は8時前に起き、再び海で遊んだ。まったくこの海は素晴らしい。nikuさんがキスを釣ったので、焚き火で炙って食べる方法を指南した。

     海に向かってポテト砲で水切りをしたりもした。じゃがいも弾は水面を3回跳ねた。
     仰角45°で撃つと100m近く飛んで防波堤の外側に水柱が上がった。

     3人ぐらいで11時頃まで遊んで、帰途についた。途中、コスモアイル羽咋に寄って宇宙機を見物した。他のメンバーは景勝地に行ったり、自家用機で体験搭乗したり、金沢で遊んだり、自転車旅行を続けたりしたようだ。各自やりたいようにやっているところは頼もしい。

     私はこの旅とイベントを大いに楽しんだが、先述の通り、Makerがたくさん集まったことによるシナジーが十分に引き出せなかったのは反省点だと思う。また、人によってアウトドアのスタイルがかなり違うのにも戸惑った。
     しかし、ぜひ次に繋げたいものだ。そのときは以下の点を練っておきたいと思う。

    ・コアタイムだけははっきり決めて、自己紹介や作品演示を全員参加でやりたい。
    ・お盆期間は避けたい。コミケと重なるのもよくない。
    ・海なら海水パンツ、水中眼鏡、シュノーケルは持参したい。
    ・キャンプするならLEDヘッドランプは持参したい。
    ・どんなアウトドア活動になるか、事前に承知しておきたい。花見宴会、河原バーベキュー、デイキャンプ、オートキャンプ、バックパッキング等の分類など。
    ・車横付け可能か、裸火で焚き火可能か、トイレ・水場はあるか、爆音は出せるか等を確認しておきたい。
    ・ゴミが出過ぎるので使い捨て食器を禁止したい。各自が飯盒やメスキットを持参すればゴミ問題は解消するはず。

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  • まつろわぬ人々の福島食い倒れツアー

    2016-08-10 18:431
    まつろわぬ人々の福島第一原発ツアー(その1 いわきクイーン編)
    まつろわぬ人々の福島第一原発ツアー(その2 Jヴィレッジ&1F編)
    まつろわぬ人々の相馬野馬追ツアー
     の続き。

    ●小名浜編
     ここに来るのは2011年9月以来だったので、「すっかり復興したなあ」とまず思った。まだあちこち工事しているので「すっかり」とは言えないが、アクアマリンふくしまといわき・ら・ら・ミュウが元気なので、ここだけで一日遊べる状態だ。

     今回はら・ら・ミュウのある第1号埠頭で半日すごした。レストラン、海産物売り場、展示室などがある複合施設だ。
     地元のM月さんと合流して、福島グッズをもらったり、回転寿司をおごったりした(安いお返しで申し訳ない)。


     海産物売り場では生ウニ、岩牡蠣をその場でいただいた。安くて新鮮でうまい。材料を買ってその場でバーベキューできるコーナーもある。

     ら・ら・ミュウの海側には駆逐艦汐風を埋めた桟橋がある。左は震災前からあるタイルだが、艦尾の輪郭が示してある。その先は新しい桟橋を工事していた。

     二階には震災直後の避難所の様子が再現展示してあった。写真右は炊き出しのおにぎり(模型)。


     ら・ら・ミュウの前で発着している遊覧船ふぇにっくすも復活していた。スナック菓子を差し出したり投げると、カモメやウミネコがわらわら集まってきて楽しい。船内でもかっぱえびせんが売られているので、出航後も弾薬補給ができる。


     遊覧船から見えたもの。左は沖合に建設中の人工島と陸を結ぶ臨海道路の橋。もう完成しているように見える。中央はウの棲息地になっている照島。バックに勿来発電所の煙突が見える。右はカヤックフィッシングする人たち。
     なお、勿来発電所は映画『フラガール』にも登場した常磐炭坑の石炭を燃料としていた。この地域の炭田の衰退が常磐ハワイアンセンター、福島第一、第二原発を建設する流れを作っている。

    ●四倉編

     小名浜からルート6に入って北上していくと、道の駅よつくら港に着いた。初めて来る場所だ。この駅舎内にある食堂がなかなかいいと聞く。しかしまち歩きマップを見たら近くに「くさの根」という食堂があったので、そちらに行ってみた。あなご天丼を食べてみたが、あなごの肉の厚みにびっくりした。
     なお、四倉のまち歩きマップは四倉小学校6年生と日大理工学部岡田研究室が協力したワークショップで作られたものだ。
     常磐道の四倉パーキングエリア(上り)にある産直や よつくら亭
    はパーキングエリアにあるまじき地元食堂感が評判だと教えられた。
     人気メニューは刺身定食だが、私はイワシの蒲焼き丼をいただいた。こってり濃厚な味だった。

    ●川内村編
     阿武隈山中にある川内村は私の大好きな場所で、今回で4回目の訪問になる。これまでは田村市側からアプローチしていたが、県道36号線が全面開通したので富岡から簡単に行けるようになった。
     富岡町は避難指示地域で、ルート6や常磐道、県道36号線を通過することはできるが、それ以外のほとんどの道路はバリケードで封鎖されている。
     36号線を西進する途中には除染作業員のプレハブ宿舎やスクリーニング場があった。

     滝川渓谷を通り、トンネルをいくつか抜けて川内村中心部にさしかかると、新しくできたショッピングセンター、YO-TASHIが見えた。
     食堂は休業日だったが、ファミマで生鮮品や酪王カフェオレが買えた。

     かわうちの湯の駐車場の一角にある「あれ・これ市場」は川内村における道の駅的存在だ。地元の産品をいろいろ買い込んだ。
     かわうちうどんは製麺所のご主人が機械の設定を間違えて作りすぎたとかで1kgパックと500gパックで格安販売していた。この写真には写っていないが、私は「かわうち味噌」がお気に入りで、2袋購入した。
     レジで「近くで開いてる食堂ありますか?」と聞いたら、YO-TASHI、たかやま倶楽部、かわうちの湯、いわなの郷、を教えてもらった。


     たかやま倶楽部に行ってみた。蕎麦を石臼で挽くところからやっていて、蕎麦打ち体験もできる。「高原野菜天ざる」をおいしくいただいた。ここは川沿いの市街地からすこしだけ山に入ったところにあって、眺めも素晴らしい。

     川内村には千扇川という素敵な渓流がある。この透き通った流れの中で釣りをするのが毎度の楽しみだ。
     震災後、漁協による川魚の放流はしていないので、入漁券は要らない。禁漁ではないが、釣った魚を食べるのは自己責任で、とのことだ。まつろわぬ私は「よろしい。釣れた魚は天然物ってことだな」と思って張り切るわけである。

     ルアーやフライでも釣ってみたいが、雑魚釣り道具しか持ってきていない。
     したがって、最初にやることは餌の確保だ。落ち葉の積もった林道の側溝を掘ると、みみずがいくらでも採れた。山の斜面を降りてきたみみずがU字溝でトラップされる構図だ。

     東作のフナ竿にヤマメ鉤を結び、太いみみずをつけて落ち込みに振り込む。と、黒い影がすっと寄ってきて――釣れた。ヒレピンの岩魚だ。サイズもまあまあなので、キープする。


     川縁に焚き火の跡があったので、火をおこして、釣った岩魚をじっくり炙り焼きした。買ったばかりのかわうち味噌を塗りつけた。
     味噌が焦げ、魚からおつゆがぽたぽた落ち始めた頃合いでがぶりとやった。
     思わず「うめえ!」と声が出た。こんな脂の乗った岩魚は初めてだ。
     放射能は大丈夫かって? 2011年には600Bq/kgくらいの魚がいたが、その値でも私は気にしないし、現在なら汚染なしと見ていいだろう。スーパーで普通に売っている「やさしお」が9000Bq/kgなことを思えば、2桁や3桁Bq/kgで騒ぐことはない。放射線リテラシーの第一歩は、ベクレルという単位の相場観を持つことだ。
     デザートは林道に散らばっていたサルナシの実。まわりをみてもサルナシの蔓が見あたらず、何者が運んできたのかわからない。サルナシというぐらいだから、猿かもしれない。
     サイズは小さいが、見た目も味もキーウィフルーツそっくりで、鮮烈な酸味と甘味を味わった。

     釣りを堪能したあとは、かわうちの湯につかった。事故直後は生活用に部分営業していたが、その後改修して全面オープンになった。
     湯上がりに食堂でサバ味噌定食をおいしくいただいた。これもかわうち味噌を使っていると思う。ここの蕎麦はたかやま倶楽部で打ったものだそうだ。

     今回の福島旅行はこの川内村が最後で、来た道を戻って帰途についた。
     往路でも見えたが、富岡町の新福島変電所に送電線が四方八方から集まっていて壮観だった。私は送電鉄塔が好きなので、車を止めて写真を撮りまくった。



     新福島変電所は1970年代のはじめ、原発にあわせて建設された。この変電所が地震でダメージを受け、1Fに送電できなくなったことが、1F事故の遠因になったとされている。

     富岡からは常磐道を通ったほうが早いが、最後にもう一度、ルート6の眺めを味わった。






     竜田一人の漫画『いちえふ』、北川玉奴の歌『ルート6』にも登場する広野火力発電所の二本煙突(実際には少し離れてもう一本ある)。
     このときは夕方だったが、陽を浴びて煙突のトップが輝く様子に見入った。
     私にとっても広野火力の煙突は思い出深い。2011年4月16日にルート6を北上したとき、警察の検問であえなくUターンし、二ツ沼総合公園からあの煙突を見上げたのだった。
     当時ひっそりしていた公園もいまは復旧し、温浴施設やレストランが営業されている。

     久しぶりの福島は――まわったのは浜通りと川内村だが――もう不便なところはほとんどなくなっていて、線量も放射線オタクの私には物足りなくなってしまった。
     にもかかわらず、送電線や煙突、車の列、川の流れ、野山の緑、道行く人々、商店の棚など、何を見ても物語が読み取れて、福島は私を飽きさせない。また訪れるとしよう。

  • まつろわぬ人々の相馬野馬追ツアー

    2016-08-09 17:181
    まつろわぬ人々の福島第一原発ツアー(その1 いわきクイーン編)
    まつろわぬ人々の福島第一原発ツアー(その2 Jヴィレッジ&1F編)
    の続き。
     1Fツアーは解散したが、私は引き続き一人で福島をほっつき歩いていた。週末から南相馬で野馬追(のまおい)だと聞いたので、ぜひ見なくてはと思い、7月23日土曜日の宵、ルート6を北上して南相馬で一泊した。車中泊を覚悟していたが、たまたま電話してみた国道沿いのホテルが「キャンセルで一部屋空いてますのでお泊めできます」とのことで、そこに入った。

     翌朝7時すぎにチェックアウトして、臨時駐車場のひとつ「公園墓地」に車を止めた。7時50分頃だったが、車はどんどん入ってきていて、満車寸前だった。今日は三日間の野馬追の中日にあたる本祭りで、常磐線原ノ町駅の南西にある雲雀ヶ原祭場地が会場になる。駐車場からは徒歩10分くらいだった。

     8時すぎ、祭場地南ゲート付近の様子。天気は断続的な小雨で、野馬追では珍しいとのこと。「カンカン照りじゃないと野馬追って気がしねえな」と言うおじさんもいた。
     祭場地の南北に二つのゲートがあり、当日入場券もそこで買える。私も入場券を買ったが、祭場地でのイベントは午後からなので、まずは北からやってくる「お行列」を見ることになった。

     9時頃、祭場地の西を通る陸前浜街道の様子。沿道に見物人がたくさんいるが、幕張や有明で経験するような殺人的混雑ではない。9時半からスタートするお行列がここを通るので、自由に歩き回って好きな場所で眺められる。予約すれば桟敷席もある。
    「これより騎馬行列がまいりますが、人、馬とも、たいへん勇んでおりますので、前を横切ったり、カメラのフラッシュを浴びせないようにお願い致します」 というアナウンスが流れている。
     私はこの意味をよく理解していなかったので、後で大失敗してしまった。


     9時半をまわると、赤い消防車輌に先導されて、南下するお行列が見えてきた。かっぽ、かっぽという馬の足音も響いてくる。すごい、馬も甲冑も幟旗も本物だ! 騎馬500騎、歩行(かち)武者が400人という大行列である。色とりどりの幟旗も目を奪う。こんな軍勢を隠しているから東北は油断ならない。
     列順は中ノ郷(原町区)を先頭に小高郷(小高区)、標葉郷(浪江町、双葉町、大熊町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)になる。この地名からわかるとおり、原発事故の影響をもろに受けた地域だが、事故当年の2011年も相馬三社に分けて神事のみを実施している。


     法螺貝を吹き鳴らしたりもする。女性や子供もいる。女性武者は二十歳未満で未婚という規定がある。男女非対称だが、伝統行事なのでいまのところはそうなのだろう。
     さて、街道の東側にいた私はヨークベニマルで弁当を買おうと思い、行列の切れ目ができたのを見計らって道を渡った。すると後続の先頭にいた騎馬武者が馬を小走りさせて駆け寄ってきて、鞭か何かで私をびしり!と指し、
    「○×◎△□◇!!」と、ものすごい形相で怒鳴ったのである。
     何を言っているかわからない。怒っているのはわかる。
    「あの、ええと…」
    「○×◎△□◇!!」 騎馬武者は引き続き、憤怒の形相で怒鳴る。
    「すみません、どういう…」
     すると近くの人が小声で「戻れ、戻れ」と言った。
     道を横断したのが悪かったらしい。私は再び東側の沿道に戻った。それからまわりの人に、
    「どうもすみません、なんかすごく怒られちゃいました、お騒がせしました」と詫びた。
     すると地元のおばさんが、
    「あー、知らない人はわかんないよねえ。お行列はすごく厳粛なもんだから、前を横切っちゃだめなんだ」
    「そうそう、二階の窓から見るのもだめだし、昔は帽子かぶるのもだめだったんよ」
     と、もう一人のおばさんが言った。
     そういえば前を横切ったりフラッシュをたくな、とアナウンスしていた。行列の切れ目ならいいというものではないのだ。沿道の人が騎馬武者に手を振るところもあまり見なかった。武者が知り合いの見物人と、親しげに言葉を交わすところは見かけたのだが。
    「今日はあの人たちがいちばん偉い日だから」「今日だけはね」
     そう言っておばさんたちはちょっと笑った。
     なるほどー。私は馬上からド叱られた困惑が晴れて、すっかり感心してしまった。私は役に入ってロールプレイできる人を無条件に尊敬してしまうたちだ。
     そうこうするうちに100mほど北側で、また一悶着起きた。私の時は単騎だったが、こんどは四、五騎が不届き者を取り囲んでわあわあ怒鳴っている。先行していたグループも歩みを止めて振り返っている。すごい緊迫感である。
     写真は撮ってなかったが、印象としては左のペンギンコラみたいな感じだ。
    「ひええ… いきなりあんな目に遭ったら、私だったら泣いちゃうなあ…」
     思わずそうつぶやくと、近くにいたおじさんたちが振り返ってわははと笑った。
    「いやあ、あたしらもこれが楽しみで来てるようなもんなんだ」
     さっきのおばさんも笑って言った。
     不届き者が態度を改めたのか、お行列は何事もなかったように再開した。
     私はますます感動してしまった。体験乗馬をしたことがあるのだが、馬というのはなかなか思い通りに動かないものだ。なのにあの騎馬武者たちは不届き者を見つけるなり素早く包囲して怒鳴りつけた。その馬術、立ち居振る舞いや発声が、恐いけど、すごく様になるのだ。

     不届き者がいなくても、本物の甲冑をまとった武者は、普通に行進するだけでハシビロコウのような威厳を放射する。まるで時代劇をVR体験しているみたいだった。
     こりゃあ、みんな野馬追に熱中するわけだ。こんな本気の祭りがあったら、この日のために一年間頑張れるなあ、と納得した。
    「原発事故の年もやったんですってね?」と、おばさんたちに聞いてみると、
    「いやあ、あの年は避難してたからよくわかんねえ」という返事だった。

     野馬追は和風リエナクトメントでもある。元々が神事のふりをした軍事訓練なので、ミリタリーファンの人はぜひ生で見てみるとよい。刀は抜かないが、戦国時代の甲冑や馬具が、ちゃんと機能して全力を発揮する様子がわかる。馬はレンタルもあるが、甲冑は本人が所有して維持し、骨董品に1000万円以上かける人もいるという。
    「これがまつろわぬ人々の祭りかあ…」と思い知ったわけだった。

     11時すぎ、赤い母衣(ほろ)を背負った総大将が通って、お行列は終った。沿道の見物人たちも雲雀ヶ原祭場地に向けてぞろぞろ移動し始める。路上には馬の落とし物が点々と残っていた。

     雲雀ヶ原祭場地のグランド面を「はら」、スタンド席になる斜面を「やま」という。やまの中央にあるつづら折りの道は羊腸の坂といい、競技に勝った騎馬が駆け上がる見せ場だ。

     当日券の私に、いい席は残ってなかった。やまの最高部に行ったが、松の木が邪魔であまりよく見えない。適当に座ったりうろうろしながら見物した。この頃には雨はほとんど止んでいた。


     正午、甲冑競馬が始まった。普通の競馬のようなゲートはなく、北側の直線路からよーいどんで発走してトラックを一周する。兜はかぶらないようだが、甲冑をつけた武者が大きな旗をはためかせて疾走するのだからすごい。これまで私は、甲冑の騎馬武者は歴史上の美景にすぎず、実際にはあまり戦力にならなかっただろうと思っていたので、一瞬で目から鱗が落ちた。あれは実用の兵装なのだ。


     出走を終えて羊腸の坂を上がってくる騎馬武者たち。みんないい顔をしている。女子騎手も凛々しいものだ。坂の上で景品らしき紙袋をもらって降りてゆく。


     続いて、神旗争奪戦が始まった。グランド内にすべての騎馬が集まり、神輿を担いだ神職が通る。色とりどりの旗が満ちて目覚ましく、「これは旗の祭りだ」と思った。旗幟鮮明の言葉どおり、所属をでかでかと示して戦う。なにごとも匿名でやるネット文化の対極にあるものだった。


     神旗争奪戦では花火を使ってストリーマーが打ち上げられる。この神旗を奪い取った者が勝ちだ。神旗の落下点では騎馬が団子になっていて、遠目にはよくわからなかった。勝者は神旗の数だけだから、羊腸の坂を駆け上がるときはソロになる。この姿がインディ・ジョーンズのようにかっこよく、騎手は嬉々としている。

     落馬して救急車が呼ばれたり、馬だけが坂を駆け上がってくるハプニングもあった。逆に、疲れたのか坂を上がろうとせず、手綱を引かれる馬もいた。こうしたことは野馬追ではよくあることらしく、皆なごやかに見物していた。


     15時頃、「〇〇殿に申し上げる。只今をもって神旗争奪戦を、閉じる!」「承知!」というアナウンスがあって、野馬追本祭りのプログラムは終了した。騎馬武者たちは三々五々解散していった。
     Twitterを見ると漫画『いちえふ』作者、竜田一人さんも野馬追見物に来ていたので、連絡を取って合流した。竜田さんによるとこのあと小高で火の祭りがあって、震災後休止していた花火が今回復活するという。じゃあ小高で現地集合しましょう、ということになった。

     小高は震災後何度か訪れていた場所だ。線量は低いのだが1Fに近いゆえ、長く立ち入り制限されていた。2012年5月に初めて来たときは商店街のあちこちに地震で傾いた家屋が残っていた。
     臨時駐車場に指定されている小高区役所に車を止め、小高駅から商店街を歩いてみた。


    私はひなびた商店街が好きで、福島はそういう商店街の宝庫だ。小高の商店街はまだ復興の途についたばかりだが、アンテナショップ希来(きら)、東町エンガワ商店、小高商工会館などの拠点ができていた。

     竜田さんは小高駅の近くで営業している浦島鮨という寿司屋に入って「ここおいしいよ」とツイートしてくれていたが私は気づかず、サンマートの裏手にある小高川で釣りに熱中していた。婚姻色の出たカワムツが釣れた。

     日暮れの頃、小高川べりの道路に集まって花火を待った。花火は小高川の一本北側にある前川べりにセットアップされていた。
     南相馬に移住した柳美里さん一家も来ていて、竜田さんに紹介してもらった。柳さんの話では、小高川には希少な水生昆虫がいるとのことだった。

     19時頃、神主さんが祝詞をあげると、遠くの道沿いにかがり火がともされた。火の祭りは騎馬行列が帰るとき、沿道に提灯などの明かりをともしたのが始まりだそうな。

     そして目の前で打ち上げられた花火はすごい迫力。距離が近いせいか、音楽にあわせた創作花火もきれいにきまった。竜田さんもしきりに歓声を上げていた。
     柳さん一家は終電が近いとのことで、終了間際に急いで帰っていった。近くに車を持ってきていたので、お送りすればよかったと後悔している。
     竜田さんと別れ、私は道の駅南相馬の駐車場で車中泊した。明日はルート6を南下して川内村に行ってみる予定だ。
    (つづく)