• 評価の忘れ方

    2017-07-21 18:00
    会社組織でも、友達等のコミュニティでも、家族でも、蟻でも。


    「誰だって、上位になりたい。」


    …出たよ?またしんどくなる思考が。


    本当にそうですか?
    誰だってというのは、誰ですか?
    そのへんにいる誰もがそう思っている、ということでしょうか?


    本当は。
    「俺が、上位に入りたい。」と、そう思っているのではないですか?


    「誰だって」と、みんなの代弁をしたかのような言い方をするのはなぜですか?


    『上位に入らなければならない。じゃないと……。』と、そう思っているからです。





    上位に入れば、評価される。
    ということは、
    上位に入らなければ、評価されない、ということです。


    ココロの根っこでは、「評価されたい」と思っているということになります。


    評価は、命令です。
    つまり、「命令されたい」と思っているのです。


    いいとか悪いとか言っているのではなくて(笑)。


    ……


    私も以前は、「上位に入らなければならない」と思っていました。
    「入りたい」のではなく、「入らなければならない」と、そう思っていました。


    上位に入らないと、見捨てられるから。


    命令されるほどの価値もない、そんな自分が嫌だったからです。


    私は、命令されることで、自分の価値を測っていたと、そういうわけです。


    はっきり申し上げます。この生き方はオススメできません。
    まずもってどこかで破綻します。


    ………


    私は、見捨てられ不安がとても強かった。…気付いたのはこの1年程なのですが(笑)。
    ゆえに。


    上位にいれば、見捨てられない。
    中位にいても、価値があやふや。
    下位にいたものなら、見捨てられるに決まっている。


    現実としては、上位にいても、見捨てられるときは見捨てられます。


    どこにいても、見捨てられる。だから、常に不安。
    とはいえ、誰かにすがるほど甘え上手ではない。
    八方ふさがり。生きた心地がしない。


    このような生き方はおやめください。
    ココロよりお願い申し上げます。どうか、おやめください。



    ………


    見捨てられるのが怖いのならば、見捨てられてもいいようにしておけばいいと、
    ある日気が付きました。


    そこで私は、他者からの評価について考えました。
    私は、他者に敏感でした。
    敏感だから、見捨てられる見捨てられないという発想に行き着く。
    評価をどのように扱えば、私は楽なのか。


    他者からの評価をそこそこ聞くだけにしておいて、
    明日になったらコロッと忘れる方法を考えました。


    忘れる方法。それは。


    評価をノートに書いておき、
    『忘れてもノートを見れば思い出せる。』ようにしておくことです。


    『ノートを見れば思い出せるのだから、忘れてもさして問題ない。』という状況を作ってみました。


    これを行うことで私は、『何を評価されたんだっけ?(笑)』と思うようになりました。
    評価されたことを意識することがとても少なくなりました。


    そして、別に意識しなくても、評価されたことは自然とやっている自分に気付きました。


    『がっつり気合い入れなくても、自然にやるんやなぁオレ。』って。
    そう気付いたわけです。


    ……
    ………


    『がっつり気合い入れなくても、自然にやるんやなぁオレ。』


    ここで、他者から与えられたものではない、自分の価値に気付いたわけです。


    なーんだ。別に評価が得られなくても、自分の良い所って見つけられるんやないの。
    ということは、別に他者の評価がなくても、なんとかなるってことよね。
    他者を気にしなくても、たとえ見捨てられたとしても、自分で見つけられるってことよね。


    あー、そうか。


    自分を見てなかったんだ。


    自分で自分を見捨ててたのね。


    …これに気付いたとき、笑ってしまいました(笑)。


    他者からの評価で、自分の価値を測るのは、落とし穴があります。
    他者からの評価が悪、と言っているのではありません。
    ほどほどでいいんです。


    他者からの評価はそこそこ聞いておくだけでいいということです。


    それは、あくまで他者からのイメージであり、それは「自己」であり。
    「自我」とは別物なのです。


    分けちゃえ、分けちゃえ。

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  • 会話をちょっと確認してみる。

    2017-07-07 18:002
    食べ物に関して。
    「好き嫌いせずに何でも食べなさい。」と教わりますね。


    これは。
    「多種の栄養価を摂取して身体を創れ」という意味で、
    「嫌いなものを好きになれ」という意味ではないのです。


    当たり前のことですね(笑)。
    しかしです。


    「嫌いなものを好きになれ」と取る人は、いるのです。


    私もそうだったから、よくわかります。





    なぜ「嫌いなものを好きになれ」と取ってしまうのか。


    それは。
    「嫌いなものを好きになれ」と要求してくる人が、周りにいたのです。


    その、要求する人とは。
    表面上は「好き嫌いせずに何でも食べなさい。」と言うのですが、
    実のところ「私の言うことを拒否するな。」と、そう要求しているのです。


    ……


    「好き嫌いせずに何でも食べなさい。」という言葉は、
    多種の栄養価を摂取して身体を創ることを目的としています。


    私が、相手のために、作ったのです。


    せっかく料理を作ったのに。
    『嫌い!』と言われて食べてくれない。
    「あなたのために作ってあげたのに、なんだその態度は!」と、そのような声を張り上げる。


    ご奉仕したので報いてもらうことを目的としています。


    相手が、私のために、食べるのです。


    言っていることは同じなのに。
    まったく別の意味になります。


    「好き嫌いせずに何でも食べなさい。」という言葉自体は、どちらも同じです。
    ポイントは、誰が、誰に。
    これが抜け落ちているので、真意がよくわからなくなっているのです。


    ………


    日本語というのは、目的語がなくても成立するので、あやふやになることが多いですなぁ。
    お察しの文化ですからね。
    お察しスキルがないと、勘違いします。


    「嫌いなものも食べなさい。」
    どうして嫌いなものも食べないといけないのですか?
    それを伝えるのが一番大事です。


    「料理を食べてくれると、嬉しいな。」
    誰が嬉しいのですか?
    そこが一番大事です。


    目的語を省略した、ひとりよがりのコミュニケーション能力は、勘違いされがちです。
    目的語を省略しないで、きっちり伝えたほうがよろしいかと。
    命令だけじゃ、嫌われます。信頼は得られません。



    ………


    元来、人間は命令を拒絶します。
    「~しろ」(強制)
    「~してはいけない」(禁止)
    「~して偉いな」(評価)


    3つ目も、命令です。
    評価は、命令なのです。


    「いつもトイレをきれいにご使用いただき、誠にありがとうございます。」


    これは、命令なのです。


    評価は、「コントロールするため」の命令です。
    今、きれいにトイレを使ったと評価すれば、今後もきれいに使ってくれるだろうという期待が込められています。


    今後もきれいに使ってもらうように、今現在、評価を与えているのです。
    にんじんを先にぶら下げて、ずっと走ってもらうように。


    評価は黒、と言っているのではありません。


    褒めて伸ばす。
    「子どもを褒めると、子どもが言うことを聞くようになった!」と、よく聞きます。
    これは、親の意に反する行動を制限するという側面もあるのです。


    ……
    ………


    目的語を添えた言い方は、相手に選択肢を与えることになります。


    「明日会議だから、オレの代わりに今日中に資料をまとめてほしい。」
    『…それは、私がやらなければならないことですか?』


    目的をきっちり伝えると、相手に対し判断材料を与えることとなり、
    拒否される可能性が高まります。


    「今日中に資料をまとめてほしい。」
    『…なんのために、ですか?』
    「そこまで言わなきゃわからないのか?」


    命令した人が、目的語をあえて(もしくは無意識に)伏せるのは、
    拒否されるのが嫌だからです。
    ですので、あやふやな言い方にして、選択させないようにしているわけです。


    あるあるですなぁ。あるあるだぁ。


    このようなことを知っておくと、言葉通りに真に受けなくなります。


    知っていれば、「あー、なんかめんどくさいことになってんのか。」くらいに思えてきます。
    そしてそれは、私には直接関係ないことなんだと、そう思えてきます。


    無駄な思い込みは回避できます。
    ストレスを少しでも軽減することが目的です。
  • 愛情か、執着か。

    2017-06-30 18:002
    自分のココロが、相手のココロと同じである。
    相手と同じだと、自分は安心だ。


    これは場合により、いろんな側面があります。


    愛情か、執着か。





    自分と相手が同じ思考だと安心を感じるのは、とても自然なことです。
    それに見返りを求めないなら、愛情と言えます。


    執着とは。


    見返りを求めることです。
    「これだけ安心させてあげたんだから、お前も俺を安心させろ。」
    これは、無意識に思われることが多いです。


    これは損得勘定です。
    信頼関係とはほど遠いものです。


    ……


    ここからは、ひとつの側面として、聞いてください。


    自分のココロと、相手のココロは同じである。
    …という「執着」は。


    相手をないがしろにしていることと同義なのです。


    ライターがふたつあります。


    ふたつとも、半分くらいガスが入っています。
    ふたつともちゃんと火が付きます。


    入っているガスは、同じもの。


    ライターAのガスを、ライターBに入れます。
    Bは火が付けられます。
    Aは付かなくなる。


    「火が付けばいい」のなら、ガスがあればいい。
    ガスさえあれば、ライターAそのものは、なくてもいいわけです。
    ライターBがあれば別に問題ないわけです。


    Aは予備です。


    Bのガスが満タンになれば、カラのAはポイっと捨てても問題ない。


    ひとつより、もうひとつ同じものがあったほうが安心である。
    Aは、予備扱いです。


    ………


    ライターを人間に置き換えてください。
    Aをないがしろにしていることにお気づきでしょう。


    Bは、「問題が解決すれば(火が付けば)それでいい。」と思っているとしたら。
    Aは、ガスを抜き取られて、あとはないがしろです。


    Bは、Aを自分の予備だと思っているのです。
    だから「執着」するのです。


    Aがいなくなったら困る。
    ガスを補充できなくなるから。
    Bのココロが傷ついたときに、補完する手段Aがなくなるから、Bは不安なのです。


    ゆえに、Aを手放さない執着が生まれるのです。



    ………


    これは、側面のひとつです。
    「ココロが同じであってほしい」気持ちすべてがこれだ、とは思わないでくださいね。


    人間をモノ扱いする人は、います。
    モノ扱いしている本人に自覚はありません。
    ゆえに、こちらから見極めることが必要です。


    見極め方を提起します。


    1、自分で考えようとしているかどうか




    アドバイスを求め、アドバイスをもらった。
    そしてそのアドバイスを実行した。


    これだけでは、自分で考えているかどうかは、見極められません。
    大切なのは、その後です。


    また別の案件でアドバイスを求められた。
    次もまた次も。
    そして、アドバイスを「そのまま」実行する。


    ここまではまだいいんです。
    実行したとき、その人がどうなったか。
    「解決した。ありがとう。」で終わっている人。
    何かあるたびにアドバイスを求める人。
    次何かあったらどうするか、を考えない人。


    それが、自分で考えようとしない人の特徴です。


    アドバイスをもらうな、と言っているのではありません。
    「解決すればあとはいい」と思っていることが問題なのです。


    このような人は、他者に執着します。
    自分ひとりでは考えられないと思い込んでいるからです。


    2、受け入れているか、従っているか




    「受け入れる」と「従う」は別物です。


    「受け入れる」とは。
    他者の意見を、自分なりに解釈して、なにかしらの答えを提示することです。


    「従う」とは。
    他者の意見を、そのまま鵜呑みにして、実行することです。


    ふたつの違いは、「自分で考えているかどうか」です。
    1とかぶっちゃいますね。


    常に従う人は、他者に執着します。
    他者に考えてもらっているからです。
    自分だけでは解決できないと、またそう思い込んでいるのです。


    従うなって言っているのではありませんよ。


    ……
    ………


    はじめての職場に来た時。
    最初は従うことが必要です。それは必要なので、いいんです。


    一点。


    『この会社はこんなふうにやるんだ。オレならこうやるなー。』
    この思考を忘れないことです。


    ずっと従っていると、『オレならこうやる』という思考を忘れがちです。
    …というか、忘れるように仕向けられているのですけれどね(汗)。


    なぜ、忘れるように仕向けられるのか。


    予備扱いしたいからです。


    上記2か所で、「思い込んでいる」と太字で書きました。
    なぜ、思い込んでしまったのか。


    誰かに、思い込まされたのです。


    ………
    ………


    自分で考えられない人の特徴は。


    周りが過干渉だったことが挙げられます。


    自分で考えられない人のために、周りの人が先回りして準備する。
    「これがいいんじゃない?」「あれのほうがいいよ」
    そのようなことを幼少時から言われ続けた人です。


    大事に、しすぎたんだなぁ。


    ゆえに、他者の意見が正しく聞こえるのです。
    そしてそれを、「自分の意思である」と勘違いしてしまうのです。


    大事にするバランスが大切です。
    そのためには、「決断」させることが必要です。


    なんでもいいんです。
    「レストランに入ったら、5秒でオーダーを決める。」
    このような小さなことからちょっとずつ積み重ねていく。


    相手にさせようと思ってもなかなかやってくれないでしょう。
    それならば、あなたがその人の前で小さな決断し続けることが大切です。


    小さなことのようで、超重要です。