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人間経済科学と賢人たちの教え その18
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人間経済科学と賢人たちの教え その18

2021-12-03 01:03



    産業新潮
    http://sangyoshincho.world.coocan.jp/
    12月号連載記事


    ■その18 人間経済科学が目指すもの

    ●「人間経済科学」とは


     「人間経済科学」という言葉は、私と財務省(大蔵省)OBの有地浩が中心になって「人間経済科学研究所」(https://j-kk.org/)を創設する際に生み出した造語である。

     したがって、「人間経済科学」とは、「人間経済科学研究所」で研究している内容という定義の手法もあり得るが、それでは、読者にはいったい何のことかわからないであろう。

     端的に言えば、「人間経済科学」とは、「人間」と「経済」を結び付けて考察する学問である。「経済とは人間の営みの一部」であるから、これは当たり前のようにも思える。しかし、これまでの経済学、特にマルク主主義や近代経済学のように「唯物主義」に基づく学問では、人間を「個性や感情を持たないもの」として扱う。典型的なものが、近代経済学における「合理的経済人」という概念である。

     この「合理的経済人」なるものは、私に言わせれば「金儲けロボット」である。感情・知性・思考など、人間性の根幹を成すと考えられるありとあらゆる要素を排除した「抜けがら」と言えるかもしれない。

     人間が「合理的経済人」とはかけ離れた存在であることは、我々自身の日常の行いを振り返れば明らかである。

     例えば、「天井の無いアウシュビッツ」と呼ばれるウイグル(新疆)で生産された綿を使って製品を製造しているとして、多くの世界的ブランドが糾弾された。特に「新疆綿」というネーミングの製品を販売した日本企業は、「人権感覚が欠如」しているとして厳しい非難にあっている。
     また、「フェア・トレード」も「適正価格」=「割高な価格」で商品を買おうとする運動である。

     「合理的経済人」であれば、前記の問題となど関係なく、より安いものを買うという「合理的」な行動を取るはずだが、そのような人々が実際どの程度いるのだろうか?


    ●人間は心で動いている

     多くの読者が、大学(高校・専門学校など)を卒業し就職するときに、どのような選択をすべきなのか悩んだであろう。その時に「生涯賃金が最も多くなるであろう」という理由だけで、職業を選択した人々がどれほどいるだろうか? 普通は「仕事のやりがい」、「企業イメージ」などに大きく影響されたはずである。

     同じように、人間が商品やサービスを利用するときにも、「価格」だけで選ぶわけでは無い。ブランドへの信頼、企業イメージなど目に見えないものに、判断が大きく左右されるのだ。

     このように「多様な心」を持った人間を「合理的経済人」=「金儲けロボット」の集合体としてとらえる(近代)経済学が「まったく役に立たない」と言われるのも当然である。
     運用チームにノーベル経済学賞受賞者などを集めたロングタームキャピタルマネジメント(LTCM)が1999年に破綻の危機に直面したのは有名な話であり、ノーベル賞経済学者の大罪(ディアドラ・N・マクロスキー著、ちくま学芸文庫)においても、現代の経済学の行き詰まりが描かれている。


    ●事件は現場で起こっている


     「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」というのは、1998年に織田裕二扮する青島刑事が映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間」で叫んだ名セリフである。

     私も、「机上の空論」を振りかざす学者の方々と出会う度に、同じ言葉を心の中で叫んでいる。

     実際、色々な経済学派において始祖としてあがめられるアダム・スミスも、実は「事件は現場で起こっている」と主張しているのだ。

     そもそもアダム・スミスはグラスゴー大学の道徳哲学の教授であった。つまり「人間がどのように振る舞うべきか」=「人間行動学」の研究者であったとも言える。その集大成が1759年に発刊された「道徳感情論」である。当時は、この書籍がスミスの代表的著作とされ、多くの人々に読まれた。現在有名な「国富論」は、1776年に「道徳感情論」の人間の経済活動に関する部分に焦点を合わせた「別冊」として出版された。

     また、スミスは当時の第一線の自然科学者との親交が厚く、「オイスタークラブ」などと名付けられたランチ会などを頻繁に行っていた。彼は、数式は振り回していないが、自然科学的な発想は「国富論」の中にふんだんに織り込まれている。

     さらに「国富論」の中で、スミスは、「ジャガイモなどの庶民の生活必需品の価格」など市井の様子に詳しい側面を見せている。決して、象牙の塔の中に閉じこもらず、一般の人々の中に飛び込んで「現場を自分の目で見る」ことに重点を置いていたのだろう。

     アダム・スミスは、経済を独立した事象として切り取って観察しているのではなく、あくまで人間の営みの一部としてとらえたからこそ、今でも色あせない鋭い視点で「国富論」を著すことができたのだ。


    <続く>

    続きは「産業新潮」
    http://sangyoshincho.world.coocan.jp/
    12月号をご参照ください。


    (大原 浩)


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    (情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)
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