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  • 俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.32

    2016-07-26 21:004時間前
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  • 俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.31

    2016-07-23 21:00
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    ☗5

    「どうかしら。ポニーテールも似合うと思うんだけど」
    「さすが依恋先輩! スタイリストの才能もあるんじゃないですか?」
    「神薙先輩、なんてお綺麗な……」
    「まさに女王の存在感です!」
     山里を筆頭に、一年女子たちが感嘆の声を上げる。一方、男どもの語彙力の貧困さは致命的だった。
    「やばい、これはやばい」
    「マジやべえ」
    「ウヒョー!」
     ――アマ女王防衛戦が明日に迫った。すると依恋がもっとオシャレするべきと言い出して、紗津姫の髪をあれこれアレンジしだすと、部活はそっちのけになってしまった。
     前日だというのに何をやってるんだと、来是もはじめは文句を言っていたが、七変化する紗津姫のヘアースタイルに、すっかり見入ってしまった。
     いつもアクセサリーなど着けずストレートで通している紗津姫だが、今見せている巻髪ポニーテールは、彼女の華やかな魅力が最大限に引き出され、内なる大人の香りがたちこめるかのようだった。依恋の手鏡で自分を覗きながら、紗津姫は頬を緩ませていた。
    「これ、すごく気に入りました。何だか自分じゃないみたい」
    「決まりね。そのシュシュも貸しといてあげるから、バッチリカメラ映りよくなってちょうだい」
    「それにしたって、すごいですよねー。ニッコ動でやるなんて。しかも解説が伊達さんとか」
     金子が言った。来是も今からワクワクが止まらない。
    「名人が相当にプッシュしたんだろ。敏腕プロデューサーだよな」
     対局はニッコリ動画での生中継が決定しており、しかもプロデューサーの伊達が自ら解説を買って出たことで話題を呼んでいた。
     アマ女王戦は将棋連盟ではなく、一アマ団体の主催。だから決定戦の三番勝負は将棋会館ではない場所で行われてきたし、そもそも非公開が慣例だ。その慣例を取っ払うため、伊達は精力的に動いたのだろう。もちろんニッコ動側も、集客が充分に見込めると判断したからこそ実現したのだ。
    「ところで、防衛祝いの打ち上げはどうしようか?」
    「依恋ちゃん、そういう話はまた後日で……」
    「いいじゃない。どうせ負けることはないんだから。来是だってそう思うでしょ」
     紗津姫の敗北は想像できない。しかしくどいようだが勝負に絶対はない。ここはその真理にしたがって、冷静な意見を述べるべきだろう。
    「依恋、今さら先輩を困らすなよ」
    「わかったわよ。でもみんな、月曜日はそのつもりでいてね」
     はーい、と元気な声が重なった。
     あとの余った時間は軽めの指導対局に費やして、終了後はさっさと解散した。後輩たちは口々に勝ってくださいと言いながら帰っていった。
    「それじゃーお先に。明日はおじいちゃんと一緒に、ニッコ生見ますよ」
    「ええ、おじいさんによろしく」
    「そういや紗津姫さん、服はどうするの?」
    「フレッシュカップのときと同じく、この制服で行くつもりです」
    「うーん、あたしとしてはもっと華が欲しいんだけど。ノースリーブとかどう? せっかくの晴れ舞台なんだから、自分を魅せる努力を惜しむべきじゃないわよ、紗津姫さん」
    「わかってないな依恋は。大和撫子らしく、あくまでも慎ましく! 適度に隠されていたほうが、先輩の場合は絶対にいいんだ」
    「私も同感ですよー。そのほうがエロいです」
    「そうだ、三番勝負なんだし、二局目は衣替えするってのはどうかしら。きっと視聴者も盛り上がるわよ」
    「……ありだな」 
  • 俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.30

    2016-07-20 21:00
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     ――などと冷静な態度でいられたのも、帰宅するまでだった。
     自分の部屋に戻り、バッグを放り投げ、ベッドに体を預ける。深呼吸する。そうすると身もだえするほどの歓喜が大波となって流れ込んできた。
     まさかの告白。夢じゃあるまいかと頬をつねり、ついでに頭も叩いてみるが、間違いなく現実だった。
     本音を言えば、そういうことを考えたこともある。無条件で恋人になってほしい――そう言ってくれたらどんなにいいだろうと。
     聞かなかったことにしてと紗津姫は言ったが、ずっと心の中心に残るだろう。俺は彼女に、そこまで認められるようになったのだ。
     今夜はいつになくいい気分で将棋の勉強に取り組めそうだった。夕食後、出水との指導対局の時間になると、嬉々としてパソコンの前に座った。
     しかしネット電話に接続した瞬間、思いがけないことを先に言われた。
    「今週はあんたの相手をしてられないわ」
    「どうしてですか?」
    「紗津姫ちゃんのトレーニング相手よ。アマ女王戦に備えてぜひって言われてね。っていうか今やってるところ。そこまでやる気になってくれてるなんて、嬉しいわ」
     声に交じってカチカチとマウスクリックの音が聞こえた。
     来是は紗津姫とオンラインで対局したことはなかった。部活でいくらでもできるからというのもあるが、プライベートの邪魔はしたくなかった。しかし家にお邪魔させてもらうほど、仲は進展したのだ。頼めば快く応じてくれるかもしれない。もっと、彼女と指したい。
    「観戦してていいですか?」
    「好きにすれば。せいぜい自分とのレベルの違いを知りなさい」
     相も変わらずの辛辣な言葉だったが、今の来是には喜び以外の感情はなかった。
     さっそく対局サイトにアクセスして、出水のアカウント名を探す。当然、現在対局している相手が紗津姫のアカウント名だ。
     shogi_idol_ks。一目で彼女だとわかる文字列。以前は別のアカウント名でやっていたが、将棋アイドル活動をはじめたのを機に、新しく作ったもの。これが神薙紗津姫であることはファンの間ではよく知られていて、数十名を超える観戦者がいた。チャットもたいそう盛り上がっていた。

    〈そこらの女流より強いんじゃないか〉
    〈相手は出水女流ってマジ?〉
    〈マジ。出水さんもメチャつええ〉

     局面はすでに終盤に入っていた。紗津姫が振り飛車、出水が居飛車。そして囲いは双方とも穴熊。――紗津姫が穴熊に潜ったならば、自分もそうしなければ勝ち目は薄い。プロの出水をして、そのように判断せざるを得ないのだろう。
     戦型選択の時点で、あんたは間違っている。出水の無言のメッセージが伝わってくるかのようだった。
     相穴熊戦ならではのねじり合いは、それから数十手に渡って続いた。手番を生かした出水が一直線の猛攻を仕掛けている。一見、紗津姫が劣勢だったが――彼女に受けの妙手が飛び出した。

    〈銀で犠打キタ!〉
    〈これで攻めを遅らせるってことかー〉
    〈これは出水さん困ったな〉

     犠打。持ち駒をタダ捨てして、相手の攻めを遅らせるテクニック。もちろん来是も紗津姫から幾度となく教わってきたが、言うは易く行うは難し。肝心なときに指せないことのほうが多い。それを紗津姫は秒読みの中で、当然の一手というように指した。
     来是は心の底から感動していた。それは出水も同じだったのか、一手も指すことなく彼女の投了が表示された。正しく指せば、どうあがいても負ける。そして紗津姫は決して間違わないことを悟ったのだ。
     このレベルの差を、あと一年以内に埋めなければならない。もっと勉強しなければ。まだ遙か高みにいるふたりの感想戦を眺めながら、来是は腹の底に力を溜めた。
     着メロが鳴り響いたのは、感想戦が終了してふたりがログアウトしたすぐ後だった。
     紗津姫からだ。来是は驚きつつもすぐさま出た。
    「こんばんは。さっきの対局、見てくれたみたいですね?」
    「どうしてわかったんですか?」
     と言ってから見当がついた。来是は本名をそのままアカウント名にしている。特に理由はなく、凝った名前を考えるのが面倒だっただけだ。
    「観戦者のところに出たとき、一目でわかりましたよ。来是くんとはネットでやったことはなかったですけど……今後はお時間のあるときにどうですか?」
    「俺もそうお願いしようと思ってたところです。ぜひ」
    「それで、対局はどうでした? 恥ずかしくない将棋だったと思いますけど」
    「恥ずかしくないどころか、名局ですよ。あの銀打ち、すごかったです。俺もああいうのを一目で指せるようにならないと……。それより」
     ふと、胸の内に湧いた迷い。
     だが、より高みを目指すためには、聞かなければならない。
    「出水さんって、対抗型のときはいつも穴熊なんですか?」
    「そうですね。私が飛車を振ったら、だいたい穴熊で。……急戦で来ることは、ないです」
    「正直に言ってください。振り飛車に急戦……っていうか棒銀はダメなんですか? 以前、俺が後輩たちに棒銀のことを力説して、先輩は賛同してくれましたよね。でも本当のところは」
     しばしの沈黙。
     出水との対局でも、まだ勝ったことはない。本気で勝ちたいなら棒銀はやめろと、何度も言われた。
     紗津姫は――自分に負かされることを願っている。だから、少しでも勝率の上がる将棋を勉強してほしい。そう言われることを覚悟する。
     棒銀は春張来是の、文字どおり芯になっている。しかしそれを曲げるべきか。彼女のアドバイスを受け入れるべきか。
    「来是くんは、棒銀が好きなんでしょう? だったら、それを貫いて」
    「……アマチュアは好きなように指していい、そういうことですか」
    「それもあります。だけどそれ以上に私は、好きなように戦う来是くんが、好きです」
     彼女の息づかいが聞こえる。想いを乗せてくれているとはっきりわかる、意志の強い声。
    「部活のとき、依恋ちゃんが言ったこととも通じると思うんです。大事なのは余裕を持つこと。私を棒銀で倒せる。そう信じて余裕を持つことが、きっとさらなる上達に繋がると思うんです。……確かに将棋は技術が大事で、棋理というものが大事です。だけど将棋の勉強はあまりにも奥が深くて、一生を費やしてもすべてを知るなんてできません。たとえば来是くんが穴熊の戦い方を覚えたとして、私はどうすると思います? 事前にそうとわかっていれば、狙い撃ちしちゃいますよ」
     穴熊を狙い撃ち。すなわちそれは。
    「……システム?」
    「はい、システムですね。来是くんはこれの対策をまだ知らないでしょう?」
     対居飛車穴熊に特化した振り飛車側の戦法。正式名称は考案した棋士の名字が頭についているが、システムというだけで将棋ファンはわかるようになっている。
    「来是くんは同時に、対システムの勉強もしなくてはいけなくなります。労力が何倍にもなるんですよ。ひとつの戦法ばかり指すのは、確かに対策を立てられやすい不利があります。プロだったら選り好みはしていられませんけれど、私たちはアマチュアですから……勉強漬けになるよりは依恋ちゃんが言うように、余裕を持って他のことにも関心を持つべきです。そして限られた時間の中で、好きな戦法を突き詰める。これも立派な、アマチュアにとっての棋理なんじゃないかなって。決してただの精神論ではないと思うんです」
    「先輩……」
    「何より、棒銀はダメだなんて結論は誰にも出せていません。来是くんなら、まだ見たこともない棒銀の戦いを見せてくれる。そう信じています」
     彼女の言葉が終わると当時に、全身にこの季節らしからぬ涼風が舞い込んだ気がした。
     紗津姫との距離がかつてないほど近づき、勝ちたい想いがより強くなった。そのせいで生じた、一時の気の迷い。それをこうもたやすく消し去ってくれた。
     紗津姫は愛する女性。そして導き手だった。彼女となら、どんな未来でも歩んでいける。
    「……わかりました。今までどおり頑張ります。ちゃんと余裕も持って」
    「はい、私もです」
    「先輩はこれから、将棋以外に何をするつもりなんですか?」
    「とりあえずは依恋ちゃんを見習って、もっと美容をお勉強しようと思います。来是くんは?」
    「それじゃあ俺も美容を……ってのは冗談で、筋トレでもしようかな」
    「ふふ、鍛えられた男性って、素敵だと思いますよ」
    「マジですか?」
    「いざっていうときに、守ってくれそうですから」
     電話を終えると、さっそく有言実行することにした。腕立て伏せを二十回もやるとくたくたにへばってしまったが、心地よい疲労感の中で決意できた。
     彼女のために、もっと男らしく、強くなる。