• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第11号
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第11号

2013-02-15 12:00
  • 1
  • 1
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
  ■MAMORU OSHII MAIL MAGAZINE
  ■押井守の「世界の半分を怒らせる」。
  ■第11号(2013.2.15)
 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
  ※購読解除・変更手続きはこちら。
  http://ch.nicovideo.jp/my/blog
 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 【CONTENTS】目次
 
  1. NEWS
  2. 時事砲弾/第11回「じゅうどぉ」
  3. 何度言ってもわからない/監督かく語りき
    第7回「解禁/押井守が『009 RE:CYBORG』を語る(中編)」
  4. 監督外部記憶装置「推薦文(洋画編)」
  5. 熱海おたより通信
  6. I.Gマキノの「ガルム戦記」(7)
  7. 募集
 
  ※【今月の監督1/2】は監督新作撮影中につきお休みです。近日中にカナ
  ダ日記編が始まります。お楽しみに。
  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 【NEWS】押井守関連情報
 
  《発売中》文庫『ケルベロス 鋼鉄の猟犬』(幻冬舎文庫)
  《発売中》小説『ゾンビ日記』(角川春樹事務所)
  《発売中》新書『コミュニケーションは、要らない』(幻冬舎新書)
  《発売中》重鉄騎×押井守[ポーランドメイキング]
       DVD&映像読本(キャラアニ)
  《発売中》iPhone/iPadアプリ『ちまみれマイ・らぶ』(iTunesストア)
  《連載中》押井守監督の「勝つために見る映画」
      (日経ビジネスONLINE)連載中
  《OA》ラジオ「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」(FM TOKYO)
    「ニコニコ生放送/押井守×鈴木敏夫×川上量生」ポッドキャスト配信中
  《製作決定》映画『The Last Druid: Garm Wars』(2014年公開予定)
 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 【時事砲弾】
 
  押井監督が時事ネタに鋭く切りこむ「時事砲弾」。ときには榴弾のように、
  またあるときは徹甲弾、照明弾、焼夷弾、ガス弾…と目的に応じて様々な角
  度からオシイ論が放たれます。今回は最近なにやら騒がしい「柔道」問題。
 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
  第11回「じゅうどぉ」
 
  女子柔道の強化選手に対する体罰やパワハラ(セクハラ?)問題で、にわか
 に騒がしくなってきた日本の柔道界です。
  全柔連の前近代的体質がガンだとか、惨敗した代表監督が責任も取らずに留
 任にしてるのはどうよとか、監督に詰め腹切らせて事態収拾を図る役員たちっ
 て何よとか、とにかくロンドンでの「感動のメダル」から一転してボロクソで
 す。マスコミの掌返すような変節ぶりは、これはいつものことですから措くと
 して、事の本質は例によって「順番通りに物事を考える」ことによってしか見
 えてきません。
  そもそも、なぜこういう事態を招いたのかといえば、現在の柔道界が「金メ
 ダル」以外に目標を持てないことに根本的な原因があります。なにがなんでも
 金メダルです。そのための猛稽古であり、体罰であり、怪我人でもポイントを
 稼ぐために試合に出ろであり、ド根性を見せてみろであり……程度の差はあれ、
 選手から監督、役員に至るまで、その目的意識は実は一致しております。やり
 方が悪いんじゃないのとか、ものには限度があるだろ、というような話ではな
 く、そもそも柔道なるものは、試合に勝って一等賞になったり、世界最強を目
 指すためにやるもんなの、というのが今回のお話です。
 
  柔道が武道なのかスポーツなのか、という議論もとりあえずスルーして、そ
 の目指すところが「世界最強」や「金メダル」であるとは、どんな柔道家でも
 言いますまい。心技一体、心と技を鍛え、練るためにこそ柔道はあるのである。
 「他人に勝つより自分に勝て」と故・美空ひばりさんも歌っていましたが、柔
 道に限らず、剣道や空手から高校野球に至るまで、武道だろうがスポーツだろ
 うが、およそ指導者なら誰しも同じ言葉を口にします。がしかし、それがタテ
 マエであるに過ぎず、本音は「他人に勝って」「栄誉を手に入れる」ことが最
 終テーマになっていることは、オリンピック中継を冷静に眺めるだけでも周知
 の事実、スポコン漫画のテーマが「勇気友情勝利」であるのはご案内の通りで
 す。
 「他人に勝つより自分に勝て」が、いかにして「他人に勝って栄誉を得よ」に
 変わったのか。
  それを知るには、柔道なるものがいかにして成立したのかを知らなければな
 りません。
  何を迂遠な、と思われるでしょうが――繰り返しますが、物事の本質を知る
 にためには「順番通りに考える」しかないのです。
 
  多少なりと武道に興味のある方なら、近代柔道なるものが「柔術」あるいは
 「やはら」と呼ばれた格闘技にその起源に持つことはご承知でしょう。ではそ
 の「柔術」「やはら」なるものはいかなるものだったのか。騒乱の時代をタフ
 に生き抜いた武士たちが、取っ組み合いで命の遣り取りをしよう、などと考え
 るわけがありません。剣や槍を振り回し、可能なら遠目から矢を射て相手を倒
 すに勝るはない。自分の身の安全を可能な限り確保し、相手に能う限りのリス
 クを負わせるのが闘争の本質ですから、これは当たり前の話です。理想を言う
 なら遠距離狙撃でワンショット・ワンキル、精密誘導ミサイルで百叩き。狙撃
 銃もトマホークもなかった時代ですから、敵の後ろに忍び寄って槍でブスリが
 最高であり「安全・安価・有利」です。名乗りを上げて一騎打ちなんてのは、
 もちろん講談師が張扇で叩き出した虚構に過ぎません。がしかし、ここで終わ
 ったのでは本当のリアルには到達しません。自分が思うことは敵も思うし、人
 間の知恵は大同小異ですから、簡単に背後をとれるわけもなく、矢は尽きて刀
 が折れることもある。徒手空拳になったその時にいかに戦うか、その「最悪事
 態」を想像し、これに備えたればこそ彼らはタフに戦国の世を生き抜くことが
 できたのです。ここからが「柔術」「やわら」の出番です。甲冑具足で身を固
 めてますから、転がったら一巻の終わり。立ち技が全てであり、寝技に持ち込
 むのは圧倒的優勢下にトドメを刺すときだけです。「袈裟固め」なんてのは、
 間違いなく敵の首を掻き切る形を現在に留める技でしょう。生きるか死ぬか、
 殺すか殺されるかですから、「ノンルールでガチ、暗器だろうがセン抜きだろ
 うがなんでもあり」です。打撃や関節技に特化した凶悪な「殺し技」「殺しの
 テクニック」であったろうことは想像に難くありません。
  時移り、戦乱の世が去れば、こんなヤバい格闘技は学ぶものもなく、忘れ去
 られて当然であり、剣術だろうが柔術だろうが、あらゆる格闘技は「型」によ
 る体系化と「精神性」によって付加価値をつけて生き延びるしかありません。
 べつに生き延びなくったって誰も困らないのですが、いつかまた「殺しのテ
 ク」が役に立つ日が来るかもしれない、世の中がどうあれオレは他人より強く
 なりたいのダ、と考える人間は常に少数ながらいるものです。
  柔道の創始者たちもまた、そういった人たちだったのでしょう。
  しかし時まさに維新の時代ですから、ただの「殺しのテク」では近代国家に
 相応しくないし、柔術家たちがそうであったように滅び去るしかない、と彼ら
 は考えた(でしょう)。これを世に普及させるために、ケガ人続出必至の危険
 極まりない技はこれを省き、立ち技・寝技・関節技・絞め技等に分類整理して
 体系化し、稽古のシステムも洗練させました。都合のいいことに、創始者であ
 る嘉納治五郎は東大出身でしたので、官界にもコネクションがあり、柔道は一
 気に普及することとなった次第です。「柔術」を洗練し、淘汰したから、より
 強力になったというわけじゃありません。もちろん天覧試合で柔術一派に圧勝
 したからでもありません。
  で、キモはここからですが、危険な技を省いたことで誰でも学べるようには
 なったものの、その反面として自分が強くなったかどうかは、素人目には判然
 とし難くなります。技を修める者たちに達成感を与え、目的意識を持たせるた
 めに生み出されたのが、つまり「段位」と「試合」なのです。柔道はその初期
 から――創始者が高学歴であった事情もあり、大学を中心に普及しましたが、
 なにしろ彼らは四年間しか大学に在籍しないし、その期間に一定の成果を得た
 いので「試合」は常態化し、「競技のための稽古」がたちまち日常化したとい
 う次第。ここから「競技のための柔道」つまり「金メダル」へは、文字通りの
 一本道です。
  もちろん、そうはいいながらも稽古で省かれた危険技、「殺しのテク」全て
 が消滅したわけではなく、人間的に信頼出来る(悪用の恐れのない)ごく少数
 の弟子たちには、「隠し技」「秘伝」として伝授されていたそうです。
  空手には「道場に奥義なし」という言葉がありますが、これはつまり道場の
 稽古では技の本質は伝えず、信頼の篤い内弟子だけに機会を捉えてこれを伝え
 る、という空手の伝統を指しています。なにしろ「殺しのテク」ですから、月
 謝を払うだけの、どこの馬の骨とも判らぬ連中にホイホイ教えようものならキ
 ケン極まりないですから。
  柔道の「秘伝」が現在どうなっているのかは、寡聞にして存じません。
  ちなみに、僕が高校の柔道部員として参加した強化合宿では、指導にきた先
 輩から「タップをさせない関節技」とか「確実にオトす絞め技」とか「審判に
 バレない反則の仕方」の類を教えて貰いましたけど。
 
  お話を戻します。
  近代柔道はその出発点において、その普及の代償として「競技優先」の道を
 歩まざるを得ず、現在の二重価値――「他人に勝つより自分に勝て」と「他人
 に勝って栄誉を得よ」のアンビヴァレントに引き裂かれていた、ということに
 なります。その引き継がれた二重価値の歴史の果てに、現在の「暴力問題」も
 あるのですから、ことは全柔連がどうの、強化制度がこうの、という話で済む
 筈がありませんし、誰が責任をとるということでもありません。
  問われるべきは「柔道」がいかなる道を歩むべきなのか――その本質をどこ
 に見据えるのか、という歴史的な課題なのであって、それ以外にありません。
  ここまで世界的に普及したスポーツになったのだから、成立の歴史的経緯は
 措いて、不定期に変更されるレギュレイション下に、競技スポーツとしての道
 を邁進し、その集大成として「金メダル」を目指すのだ――というのならそれ
 もいいでしょう。がしかし、だとするなら「他人に勝つより」の価値観は直ち
 に捨て去るべきです。「暴力問題」も、要はスポーツ科学から導き出された訓
 練法からの逸脱か否か、という方法論の問題として語るべきものに過ぎません。
 「金メダル」を目指すという最終テーマを共有するのなら、「勝つための稽
 古」に徹するべきなのであって、「綺麗に一本勝ち」の美意識は無用です。勝
 つためのあらゆる準備を怠りなく実行した者の頭上にのみ「勝利」は輝くので
 すから。
  その先例は、かつての国際大会におけるフランス柔道にあります。
  まあ、きったない柔道でしたけど(怒)。
 「綺麗に一本勝ち」と「金メダル」、あるいは「武道」と「競技」は両立しま
 せん。
  あたりまえの話です。
  中継のアナウンサーや解説の柔道家が何をどう言おうと、カンケイありませ
 ん。
 「武道としての柔道」を追求しつつ、金メダルも取れなんてことは、姿三四郎
 にだって不可能です。
  僕の見解としては――全柔連は直ちに国際柔道連盟を脱退し、「JUDO」を
 捨てて「柔術」「やはら」の道へ帰って戴きたいと思います。ことのついでに
 全柔連が解散してもよろしい。フランス柔道みたいな「汚らしい柔道」に堕ち
 てまで、「金メダル」を欲しがるべきではありません。フランスはもちろん、
 韓国や中国も大喜びするでしょうが、放っておけばよろしい。
  武道としての孤高の道を歩むべきです。
  その方が「金メダル」なんぞより、なんぼかカッコいい。
  いつか役に立つ日が来る――その想いを信じるなら、それは現在の近代柔道
 ではなくて「殺し技」としての「柔術」「やはら」にある筈です。もちろん危
 険な技の体系ですから、子供なんぞが学ぶべきものであるわけもなく、潜在的
 な敵である外国人にも伝授すべきではないでしょう。なんでもかんでも国際化
 したがることは、本来のテーマが喪われた証拠に過ぎません。
  その過程での稽古による「暴力問題」は、師弟間の合意の問題であり、社会
 問題として語るべきスジ合いのものじゃありません。なんぼなんでも、ここま
 で理不尽な師匠にはついていけない、というのであれば辞める、脱走するだけ
 の話です。
  まあ、簡単に辞めさせてくれるかどうか知りませんけど。
 
  ちなみに、僕が通う空手の道場には「試合」も「試割り」もありません。
 「試合」は結果として修行の道を迂遠にするからです。
  型稽古を中心に技を練る―自分の身体をいかに制御するか、技とインナーマ
 ッスルを鍛えることをテーマに稽古をする場です。師の言葉を借りるなら「格
 闘技でも武道でもない、伝統芸能としての空手」「文化としての空手」なので
 すが「結構使える文化」でもあります。
  それでも時に自由組手は行いますが、防具は拳を守るためのサポーターのみ
 です。
  自分に固有の「間合い」を体得するためには「生きた相手」が必要ですから。
  防具を着けると人間は大胆になり、無用に飛び込んだり、突きが深くなった
 りして「邪(よこしま)」になりますから。
 「あ、ゴメン」の顔面強打、大出血も時にはありますが、それは仕方がありま
 せん。
  僕も(未熟なので)指のスジを三回切りましたが、その度に再生しておりま
 す。
  人間のカラダって、たいしたもんです。
  現在は塾生の募集はしておりませんので、オレもやってみようと思われる方
 は他所の道場へどうぞ。そこが「暴力の溢れる理不尽な世界」であるかどうか
 は知りませんが。
  悪しからず。
 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 【何度言ってもわからない/監督かく語りき】
 
  ひとつお題が投げこまれれば、あっと言う間に雑多な教養と縦横に結びつき、
  無限に繁殖していく(そして誰にも止められない)押井ワールド。これは映
  画監督・押井守の思考体系を学ぶ、ダダ漏れおしゃべり録です。今回は大反
  響の前回に引き続き、監督が『009 RE:CYBORG』を語ります。
 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 【第7回】「解禁/押井守が『009 RE:CYBORG』を語る(中編)」
 
 押井:フランソワーズはじつは一番今日的なキャラクターなんだよ。人間エシ
 ュロンなんだから、世界中の情報が全部入ってくる。そうやって脳をチューン
 ナップしてるサイボーグだから神の声が聞こえちゃったんだという、彼らが主
 役である必然性がそこにあるんだよ。たぶん(草薙)素子と一緒で補助脳も入
 ってるだろうし、普通の人間には聞こえないものが聞こえる。違う脳内現実を
 生き始めてる。要するに上位にシフトしてるわけだ。だから彼らが神様、ほか
 の人間が気がつかない存在にダイレクトに繋がる可能性があるんだよ。それだ
 けに自分自身でそれを制御するのは難しい。極端な話、隣で戦ってる仲間とも
 違うものを見てる可能性が高い。これによって様々な絵的な見せ方、シチュエ
 ーションとかディテールが成立するわけ。フランソワーズの脳内現実のなかに
 あるジョー、ジョーの脳内現実のなかにあるフランソワーズ。その痕跡は残っ
 てるわけだ。高校生だったジョーのガールフレンドがそうだよ。あのトモエと
 いうさ。しかもよりにもよってトモエだよ(笑)。
 ――押井さんの実の娘さんと同じ名前(笑)。
 押井:ぎょっとしたよ。なんで顔まで似てるんだよ(笑)。
 ――驚きましたね。
 押井:それであの子はジョーにしか見えてないわけだ。だから監視カメラにも
 映らないし、ほかの誰も気がつかない。要するにジョーの脳内現実に登場する
 キャラクターで、じゃあそれは誰が送りこんだんだって言ったらフランソワー
 ズが送り込んだ。自分の分身として、ジョーの側にいる手段としてだよ。その
 フランソワーズは刻々と歳を取ってる。脳はチューンしてるけど肉体は生身だ
 からね。その彼女がジョーに会いに行く度に自分が歳を取ってることを実感す
 る。ジョーは永遠の17歳だから。自分が去るときにはもう1回、ジョーがリセ
 ットされて記憶を失う。そういう恋愛をふたりは生きてる。いままでにないタ
 イプの恋愛なんだよね。
 ――近いと言えば『御先祖様(万々歳!)』の麿子が近いですね。
 押井:あれには近いね。そういう男女関係はなかなかいいんじゃないのと俺は
 思ったわけ。これはたぶん女の人も納得できる設定であって、一方男にとって
 はどちらかと言うとブッちゃん(出渕裕)みたいに自分を守ってくれる年上の
 彼女というさ。
 ――メーテルみたいなもんですね(笑)。
 押井:その手に弱い奴は山ほどいるんだから。要するにキャラクター、とくに
 アニメのキャラクターというのは願望を実現することだから。どこかしらそう
 いう設定を持ち込まないと面白くもなんともない。当たり前の高校生で当たり
 前の男の子となにが始まるんだよ。それはいまの日常アニメと一緒で、些細な
 ことの気分の行き違いを描くしかテーマがないんだよ。それ以上のドラスティ
 ックな展開なんか誰も見たいと思ってないんだというさ。
 ――神山さんは大きな物語を描くという側の人間なわけですよね。でもなぜ出
 来なかったんでしょう?
 押井:勘違いしてるとしか思えない。エンターテインメントということの本質
 というのをね。もちろん観客の願望を満たすということが一番重要なテーマで、
 だからこそフランソワーズとジョーという永遠にすれ違う男女を中心に据える。
 観客である男にも女にも感情移入が可能で、しかも特異なキャラクター。かた
 や永遠の17歳で、かたやその永遠の17歳を恋人に選んじゃった女。俺はエン
 ターテインメントだからこそ、それを選んだ。ところが「30代のフランソワ
 ーズなんか誰も見たくない」という意見がでた。俺以外の全員がそう言ってた
 よ、石川(光久)もふくめて。俺はそれが大きな間違いだと言ったんだよ。あ
 のカチューシャをつけた美少女を今さら映画の中で誰が見たいんだよ? そこ
 でさすがにカチューシャだけじゃまずいと思って、あの巨大な胸になるわけだ。
 グラマーで下着姿の大人の女が自分から積極的に抱かれに行く。でもそれって
 彼女の一番切ない部分をなにも描いてない。ああいうシチュエーションを喜ぶ
 のははっきり言って男だけでしょ。確かに絵的にはそれなりにそそるシーンで
 はあったけど、冷静に考えてみ? なんであの場じゃなきゃいけないんだよ!
 ――それはみんな疑問に思ってました(笑)。
 押井:そもそもそういう積極的な大人の女がさ、なんで別室で脱いで来なきゃ
 いけないの。それは単にCGでやると大変だからだよ(笑)。服を脱ぐなんて
 芝居が3DのCGでできると思う? だから皮をむいて登場しただけ。見え透い
 てるんだよ。多少なりとも事情を知ってる人間ならすぐわかる。
 ――作業効率と演出の問題だと。
 押井:その手際が大変よろしくない。べつにそんな強引なことをやらなくたっ
 て、そういう場はいくらだって用意できるんだよ。
 ――でも「30代の女性と永遠の17歳の男」というのはとても現代的なテーマ
 ですね。いまの男の大人にならなさ加減と言うか。
 押井:だから映画をプロデュースしてる人間自体がいまの時代の願望を理解し
 てるのかと言ったら俺からすると理解できているとは思えない。とりあえず一
 通りのものを揃えて見せればどれか当たるだろうというだけでさ、実際は取り
 揃えて見せた分だけ当たる可能性は下がるんだよ。映画って見た人間にとって
 は、こちらが準備した設定のまず2割理解すれば十分で、あとは見えない設定
 でいいんだから。『裏切りのサーカス』って映画はなんであれだけ説得力を持
 てるんだというさ。
 ――あれはすごかったですね。
 押井:あれに関してやった衣装とか美術とかセットデザインの膨大なエネルギ
 ーを見てる間は気づかない。よくできてるから気がつかないんだよ。映画の仕
 事ってそういうものなんだよ。
 ――おまけにまるっきり説明しませんからね。見事にリアリティで進んでいく。
 押井:だから世界的にはヒットしてるんだよね。日本ではもうひとつだったけ
 ど。冷戦時代のスパイってどういうことなんだってさ、あんな不親切な映画な
 いよ。
 ――もうポカーンですよね。
 押井:でもそれは感じるものなんだよ。ああやってパーティやって逆に赤い側
 (共産圏)の歌を全員で歌うというさ。そういうふうなもんなんだよね。だか
 らジェットがバーで飲みながら愚痴を垂れるという持って行き方は俺だったら
 絶対やらない。
 ――でも言葉で説明しとかないと安心できないという部分もあるわけですよね。
 押井:それは神山の独特のスタイルなんだよね。俺はどちらかと言えばしゃべ
 ってることはべつに中身と何の関係もないから(笑)。『イノセンス』を見れ
 ばすぐわかるじゃないの。
 ――要するに設定を補足するためにしゃべらせてるんじゃなくて、しゃべるた
 めにしゃべらせてる。
 押井:そう。だからべつにしゃべらない映画に関しては徹底的にしゃべらない
 もん。いつもいつも饒舌なキャラクターを使ってるわけじゃないし。どちらか
 と言えば饒舌じゃないキャラクターのほうが多いんだよ。『アヴァロン』だっ
 て『スカイ・クロラ』だってほとんどたいしたことはなにもしゃべってない。
 ――『スカイ・クロラ』は結構その極みですね。
 押井:あれはしゃべる意味がないからさ。しゃべることがない人間の話だから。
 時間だけが重たく停滞してる。
 ――しゃべってない時間を描くためにしゃべらせてない。
 押井:神山は基本的にやっぱり埋め尽くさないと気が済まないんだよ。自分が
 考えたことを全部セリフにしようとするしさ。でもそれだと「不在が持ってる
 充足感」というか、不在の密度、時間の存在感というのかな? その世界だけ
 に流れてる時間、今回で言えば脳内現実の時間には永遠に到達しない。そして
 最後だけやってるわけだ、あのベネチアのところで。映画を見終わったときに
 もどこかの姉ちゃんが言ってたけど「あれって天国なの?」「水の上を歩いて
 るし、あっち側の世界のなのかしら?」って。あれは脳内現実なんだよね。だ
 からあそこで9人全員揃って終わらせるつもりだった。ただし目覚めるのはジ
 ョーじゃなくてフランソワーズ。あの世界ではフランソワーズが一番上位にい
 るんだよ。キャラクターというのはそういうふうに階層的に存在を描いていか
 ないと。全員が一堂に会している必要はない。誰が上位にいて、誰が下位にい
 るのか、要するに誰が上位の現実に一番アクセスしているのかと言えばフラン
 ソワーズに決まってるじゃないの。だからフランソワーズがメンバーを集める
 んだよ。そして最後に目覚めるのがフランソワーズでなきゃ何の意味があるん
 だよ。ある朝目覚めて、シーツから抜けだして、窓を開けて、水没した街があ
 って、その向こうに自分たちの仲間がこっちに向かって立っているという、そ
 こで終わるんだったら意味があるんだよ。彼女は彼女で新たな脳内現実を生き
 始めてるんだよ。そのなかにはジョーだけじゃなく、みんながいなきゃいけな
 いんだよ。
 ――美しいじゃないですか。
 押井:そういうふうにしたんだよ。「そうしろ」っつったんだからさ(笑)。
 そこの壁に天使の化石が飾られていようがいまいが、もはやどうだっていいん
 だよ。あれはただの暗号なんだから、わからせる必要もない。
 ――仮に現実的に存在しなくても、化石が存在したという事実があっても悪く
 はないということですね。
 押井:そうそう。映画って準備している間に「これでいけるぞ」ってその瞬間
 は必ずあるんだよ。最初は半信半疑で始めて、なんとなくこれはうまくいきそ
 うだからやってみようかなというさ。いろいろ準備している間に「これだ」と
 いうのを見つけるために脚本の作業があり、ロケハンがあり、デザインの開発
 があり…ということなんだよ。脚本だのコンテだのはその産物に過ぎないんで
 あってさ。
 ――つまり神山さんは脚本の段階でそれを全部文字でフィックス(決定)した
 いタイプということですよね。
 押井:そう。だから延々としゃべってる。延々と会議やってる。延々と議論し
 てる。
 ――故にテキストで読むとある程度もしかしたらフィックスしてるように見え
 るものが、映画に置き換えたときに破綻するということになるわけですか。
 押井:そこで一番信じられないのはじつは言葉だよ、という事実にたどり着か
 ないと、映画の時間は一生たちあがらない。つまり映画の一番根本的な理解と
 いうさ、映画ってどういう表現なんだってことだよ。これはべつに神山だけの
 問題じゃないよ。それをわかってる人間はじつはたいしていやしないんだよ。
 映画の構造を解析するというのは、それはべつに批評家の仕事じゃなくて監督
 が本能的に身につけているべきものなんだよ。普通の日常のドラマをやってる
 んだったらいいんだよ、そこに構造がすでにあるんだから。でも架空の世界で
 架空のキャラクターを操ってものを作るアニメの監督だったり、あるいは実写
 でもSFであったりファンタジーを手がける監督はそうはいかない。そのこと
 に関して言わば現実の階層とかさ、キャラクターの階層や構造としてどうとら
 えるかという意識がなかったら、薄っぺらいものにしかならない。その世界の
 重量感とか時間を描いてる実感とかが、永遠にたちあがってこない。そういう
 ことはとくに作り物の世界をやっている人間は敏感であるべきだし、それが監
 督の仕事なんだよ。 
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
ニコニコポイントで購入

続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

入会して購読

この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

×
『いちいち言わなくても、ちゃんと見てくれてたら解るはずでしょ!』というオンナ視点な押井監督
『そんなの言葉にして言ってくれなきゃわかんないだろっ!』というオトコ目線な神山監督

ちゃんと見てても言葉にしてもとどのつまりは論理的構造的不完全さを露呈するのが人間だけど、その曖昧さを受容してなお言葉の向こうにある膨大な無意識の世界を見つめようとするスタンスが、オトコ押井監督の謙虚さでもあり作家としての矜持でもあるのだと思った。

『神山は女がダメ』ということの意味が自分なりにすこしわかってきたような気がするが・・・
次号(後編)に期待。
56ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。