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押井守の「世界の半分を怒らせる」。第12号
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押井守の「世界の半分を怒らせる」。第12号

2013-03-02 14:15
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 ■MAMORU OSHII MAIL MAGAZINE
 ■押井守の「世界の半分を怒らせる」。
 ■第12号(2013.3.2)

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【CONTENTS】目次

 1. NEWS
 2. 時事砲弾/第12回「おすかぁ」
 3. 何度言ってもわからない/監督かく語りき
   第8回「解禁/押井守が『009 RE:CYBORG』を語る(3)」
 4. 監督外部記憶装置「推薦文(邦画編)」
 5. 熱海おたより通信
 6. I.Gマキノの「ガルム戦記」(8)
 7. 募集
 8. おしいえむ

 ※【今月の監督1/2】は監督新作撮影中につきお休みです。近日中にカナダ日
 記編が始まります。お楽しみに。
 
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【NEWS】押井守関連情報

 《発売中》文庫『ケルベロス 鋼鉄の猟犬』(幻冬舎文庫)
 《発売中》小説『ゾンビ日記』(角川春樹事務所)
 《発売中》新書『コミュニケーションは、要らない』(幻冬舎新書)
 《発売中》重鉄騎×押井守[ポーランドメイキング]
      DVD&映像読本(キャラアニ)
 《発売中》iPhone/iPadアプリ『ちまみれマイ・らぶ』(iTunesストア)
 《連載中》押井守監督の「勝つために見る映画」
     (日経ビジネスONLINE)連載中
 《OA》ラジオ「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」(FM TOKYO)
   「ニコニコ生放送/押井守×鈴木敏夫×川上量生」ポッドキャスト配信中
 《製作決定》映画『The Last Druid: Garm Wars』(2014年公開予定)

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【時事砲弾】

 押井監督が時事ネタに鋭く切りこむ「時事砲弾」。ときには榴弾のように、ま
 たあるときは徹甲弾、照明弾、焼夷弾、ガス弾…と目的に応じて様々な角度か
 らオシイ論が放たれます。今回はアメリカ映画の祭典とも呼ばれるアカデミー
 賞についてです。

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 第12回「おすかぁ」

 いつの間にか決まってました「アカデミー賞」。
『アルゴ』も『パイ』も見てません。
 見る機会はあったのですが、例によって「一年後にスタチャンでいいや」と思
い直し、飲みに行ってしまいました。助監督のカネコなら「見てから飲みに行く
べきだ」と言うでしょうが、だからヤツはダメなのです。
 それにしても、そろそろアカデミー賞でもないだろう、と誰も言わないのは何
故なのでしょう。かつて戦後日本のお祭り騒ぎだった「オリンピック」がいまや
国民的イベントから滑り落ち、視聴率もままならず、アナウンサーと織田裕二だ
けがコーフンしてる世界に落ちぶれているのに、なぜ異国の映画賞の行方が気に
なるのか。
 確かにある時代までのアメリカ映画は世界標準だったかもしれませんが、いま
どきハリウッドが「パラダイス」だなんて井上陽水でも歌わないでしょう。
 「メイクアップ・シャドウ」――いい曲ですけどね。
 いや、騒いでいるのはテレビやネットの映画サイトだけで、実をいえば「アカ
デミー賞」がどうだろうとカンケイない、と思ってるのが日本の観客の実相でし
ょう。だってハリウッド映画、日本でだけはヒットしない――世界中でヒットし
たハリウッド大作が、なぜか日本でのみ当たらない、というのが配給会社の悩み
のタネなんですから、『海猿』や『テルマエ』で劇場に足を運ぶ日本の観客が、
いまさらアカデミー賞で一喜一憂する筈もありません。
 かくあってはならじ、とムリにも盛り上げようとすれば織田裕二です。
 あれは見ていて実に恥ずかしい。
 何か勘違いしているとしか思えません。
 それにオリンピックだって、ワールドカップだって、日本選手や代表が出場し
てナンボなのであって、参加すらしてないアカデミー賞じゃ盛り上がれというほ
うがムリというものです。まあ、だからと言って日本のアカデミー賞で盛り上が
れるかと言えば、死んだ伴淳三郎じゃありませんが「あんな恥ずかしい思いはし
たことがない」という有り様ですから、それ以前のお話です。
 と、ここまで書いて想像するのですが――実は当のアメリカではどうなのかと
言えば、これもまた織田裕二状態なのではないでしょうか。オバマがホワイトハ
ウスから中継で作品賞を発表というサプライズも、裏を返せばそうまでしなけり
ゃ盛り上がらない状況だと言えなくもないような気がします。
 「オバマ=織田裕二」説は説得力がありそうな気がしてきました。

 あんまり茶化すと「怒らせる」どころか「恨みをかう」ことになりそうなので
やめますが、もはや映画の評価をナントカ賞で代替させようとする制度それ自体
にムリがあるような気がするのです。カンヌもベネチアも、パルムドールだろう
と銀の獅子だろうと同じことです。個々の作品や制作者を顕彰することが、その
年の映画を総括する行為足り得ない時代になったのではないでしょうか。
 映画関係者はそう思わないでしょうが。
 僕も映画関係者には違いありませんが、そう思うのです。
 興行成績というあからさまな評価でなく、その年の映画を文化的に総括すると
いう行為を、映画祭も映画賞も、雑誌のベストテンすらすでに満たしてはいない。
その理由は何かといえば、文化領域において映画が占めていた影響力が世界的に
後退したからだ、と考える他にないでしょう。
 映画がなくても困らない、とは誰も思わないでしょうが、かつてのように映画
に熱狂しなければならない謂れもない。映画はすでにして、当然のようにそこに
あるものなのであって、ハレの日のメインイベントではなくなっているのですか
ら。
 考えてみれば当たり前の話です。
 劇場を訪れるしかなかった時代とは違います。あらゆるメディアを通じて、映
画に接しない日など、ただの一日もない時代に、映画だけが別格である筈もあり
ません。その気になれば複数の映画チャンネルで365日24時間で映画が流れ、
街を歩けばレンタル屋、飛行機の中でも見放題なのですから、もはやそれは環境
の一部であるに等しい。量は質に転化することもなく、ただ単純に過飽和状態を
招いたとしても、何の不思議もありません。
 ファーストフードからレストランまで、形態と質の違いはあれ食事するという
行為が日常であるように、映画を見るという行為も日常そのものと化しています。
あれはマズいがこれはウマい、あの店よりこちらの店という格差はあっても、拍
手しなければならない謂れは、とりあえず客にはありませんから。
 身も蓋もない言い方をするなら、そういうことになります。
 それを寂しいと思うのは、映画に思い入れのある関係者の感傷に過ぎないので
しょう。
 近い将来に映画が消滅するわけでもないのですから、落胆するほどのことじゃ
ありません。かくあってはならじ、とリキむ必要もありません。
 どうでもいい人たちにとっては、当たり前のお話です。

 ところで僕はオスカーなるものを手にしたことがあります。
 もちろん全米アカデミー協会から貰ったわけではなく、スタジオジブリに遊び
に行った時に、鈴木敏夫の部屋に飾ってあったものを手にしただけです。
 「意外に重たいもンなんだ」
 「まあ、ね」と鈴木敏夫が余裕をかまして眺めています。
 おおっ…と、落っことす真似をしたら慌てふためいていました。
 知り合いの造形屋さんに偽物を作って貰い、あらかじめ擦り替えておいて、目
の前でその首を手刀で叩き落としたらどんな顔をするか――目下のところ、一番
やってみたい冗談です。
 激怒するでしょうが、だからこそやってみたひ。

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【何度言ってもわからない/監督かく語りき】

 ひとつお題が投げこまれれば、あっと言う間に雑多な教養と縦横に結びつき、
 無限に繁殖していく(そして誰にも止められない)押井ワールド。これは映
 画監督・押井守の思考体系を学ぶ、ダダ漏れおしゃべり録です。今回も引き
 続き、監督が『009 RE:CYBORG』を語ります。

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【第8回】「解禁/押井守が『009 RE:CYBORG』を語る(3)」

押井:神山にはなにかが足りないんだよ。それはおぼろげながらなんとなくわか
る。まあ、色だ艶だ女だいろんなこと言うんだけど、言っちゃえばね、「他人に
興味持ってるの?」というさ。
――それはわかるような気がします。
押井:もしかしたら映画監督ってオーケストラの指揮者みたいなもんだと思って
るのかな、あいつ。
――そう思ってる人はいっぱいいると思いますけど違うんですか?
押井:世間的にはみんなそう思ってるんだろうけど、俺に言わせれば勘違い。全
然勘違いだよそれは。あえて言えばコンサートマスターみたいなもんであってさ。
オーケストラにはコンサートマスターという奴がいるんだよね。
――指揮者じゃないんですね。
押井:うん。リードしてるだけ。テンポを守って、きっかけを作って。じゃあ映
画製作における指揮者は誰だって言えば、映画はじつは指揮者はいないんだよ。
それがある意味で言えば映画の面白いところでさ。
――でも神山さん自身がどうお考えかは別にして、神山さんに限らず、映画監督
が指揮者だと、ほとんどの監督は思ってるように見えますね。
押井:うん。そう思うよ。「そこのティンパニ、そこのホルン、半拍遅い」って
全部を自分のリズムと自分の時間に合わせてひとつの表現を達成しようとすると
いうさ。
――神山さんの場合、そこに対して必要以上の責任感を負ってしまってるという
のもあるんじゃないですか?
押井:俺に言わせるとね、そういうふうな監督はお呼びじゃないの(笑)。
――そうなんですか。 
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「我々の間にチームプレイなどという都合の良い言い訳は存在しない。必要なのはスタンドプレイの結果として生じるチームワークだけだ」「・・・わしはわしで自分の信ずる正義を全うできた。それで十分だ」とは神山版攻殻の荒巻公安9課長の台詞だが、組織の指揮官としての荒巻の描き方からは押井・神山両監督の理念の差異が如実に覗える。前述の台詞も、もし押井監督が語らせるとすればその背景にある動機はまったく異なる観点から解釈すべきものになるのだろう。
53ヶ月前
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