• 【音楽紹介】 LAND Ninihi feat. Miku Hatsune / 感想

    2017-04-02 21:11

    ニニヒ『LAND』

    1.夜の街
    2.晴れた空、足は泥濘
    3.アンカー
    4.くるくるまるく
    5.幽霊ガール
    6.ファンファーレ
    7.渡りゆくヒトビト
    8.途中でゴォ
    9.ヨイヨイ
    10.グッドナイト
    11.遠回りの聖者
    12.澱の葉

    【LAND Ninihi feat. Miku Hatsune】
    https://ninihi.bandcamp.com/releases

     ROCKの名手としれたニニヒさんのアルバムがついに登場だ。

     少しだけ彼の説明をすると、ニニヒさんはニコニコ動画に初音ミクを使用したVOCALOIDのロック曲を投稿しているひとで、BPM遅めの、じっくりとペーストのある、粘りのある力強い音楽が魅力のコンポーザーだ。

     アルバム『LAND』は、名曲『渡りゆくヒトビト』を筆頭に、コンピ参加曲の『アンカー』『途中でゴォ』『澱の葉』などが収録されていてかなり豪華だ。ぱっと眺めてみるに、曲順からも作者の気持ちや気概が感じられ、ニヤリとしてしまう。

     間違いなく初期決定盤の趣が感じられる。




     実際耳を蓋して聞いてみよう。まず一曲目の『夜の街』が来る。

     世界に魂が宿る。もうそこはニニヒ・ワールドなのだ!!!

     この時点で、なんともまぁ高品質なサウンドの応酬か!!! サウンドエンジニアとしてのニニヒさんの馬力の高さに驚かされる。どれだけ音に向き合えばこんな精緻な音が出せるのか考えるだけで恐ろしい。畏敬の念すら湧いてしまう。そして『晴れた空、足は泥濘』がくる。

     情熱的な歌詞。歌。まるで1つの曲のように、『アンカー』へと流れるような出入りだ。

     ズーンと歪む音に、よく丁寧に折り目のよい、高い独特なミクの甘い声が響く。4曲目の『くるくるまるく』で小休止し、『幽霊ガール』『ファンファーレ』でボルテージを歪ませて高めていく。1~3曲目の優しさのある世界が嘘のように、音がゆっくり表情を変えていく。

     『渡りゆくヒトビト』はやっぱり名曲だった。この曲が真ん中に配置されるのは偶然ではなく、作者の折り目正しい精神からきているのだろう。こういうのが自分の音楽だ、と言ってきている気がする。目の前にしっかり「音楽」を出されている気がする。

     そして、ボルテージの高い世界を引き摺りつつ、『途中でゴォ』でゆるやかに去っていく。しかし、こんな優しい余韻を残していくような曲だったろうか、『途中でゴォ』はもっと乱暴な熱い曲だと思っていたが、アルバムでこんなに表情を変えるんだなとひとり思ってみたり。

     余韻を残しつつ『ヨイヨイ』でラストランへ入っていく。いやーこいつはノレる曲だ。ライブで聴いたら楽しいだろうなとまなうらに想像がめぐる。「ガンガン鳴らせ、ハッ、ホッ」

     『グッドナイト』でまた歌の世界がやってくる。情熱的で涼しい。カッコいい。闇夜に咲く花火のよう。そして、リスナーを導くように『遠回りの聖者』は始動する。ラスト・トラック感があるが、しかしここで終わらないのがこのアルバム最大の魅力だ。

     傑作『澱の葉』ですよ。まぁ聞いてくれと。この魅力は言葉にできないんだ。

     終わってみれば、ほとんど一瞬だ。






     聴きごこちがよかった。

     ここまで耳に響いてきてかつ優しい味わいのあるアルバムもないだろう。

     本当に聞いていて流れるようだった。一枚の絵巻を見るような、多彩な表情もあるし。グラデーションを描くように、夜から明かりへと、そして中間から中間へ。

     色々なものが詰まっていて、でも、世界が終わっていくのが凄く短く感じた。

     いやーーーーよかった。(纏め方が雑い!)



     ●ニニヒ

     
     

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  • 出芽 [歌詞]

    2017-04-01 20:15



    出芽 サギシ


     どこから生まれてどこにいくのか、分かりますか。
     分かりますか私は、私は。
     恋愛は楽しい。恋愛は、ある意味で私たちの救いだ、救い。
     時おり見せる表情が愛しい。愛しいから、立ち向かっていく。
     何度も見たいからよろこばせたい、よろこばせたいから。
     咥える、私が、こう。男性器をこう。
     咥えますとね、私が。
     咥えますと、彼は。よろこぶの。彼は。
     よろこぶ、の。
     淡い息切れに火照った肉体が断層に並ぶ転ぶ凍った熱量。
     何度も揺れる、の。
     呼気だけは切迫、切迫しているのに切迫、神経はすうっと張りつめて。
     ちょっとだけ心底にひろがっていくものに、見ないふり。
     できなくて、だから。男性器を咥えるのって、残酷だなぁ、って。思いはじめる。
     こんなに大事にも大事に舐めてあげているのに、彼は。
     とってもとっても愛しそうなのに。私。
     どろどろどろどろむかむかと歯切れの悪いおえつが、おえつが込みあげてきて、嘔吐が。
     込みあげて、まき散らす前に、ぐっと。ぐっとこらえて。心の底に。
     こらえて、でも吐けない嘔きがあって、胸のなかに。
     歯切れの悪さが胸のなかにただあるから目を背けることができなくて、できなくなって。
     だからわかってしまったのね。水溜まりになってしまった。
     私って性なんだね。
     私って性別、私ってそう。
     性別。
     性で生きている。
     無抵抗かな? 自覚。
     無抵抗な自覚。
     偏平とした地平が遠くひろがって見えている。偏平が、
     植わっているもの。
     はなくて、生えているものならある、硬質な嫌気。構え。
     専横心が横からしぃっ、しいっと私を見て。〝私〟を。
    「あんたは――」って。
     だからたいしたことはないんだけど、なおさら。
     こんな風にはしたくなかったかなって。私は。
     したくなかったって思う。きっと。
     もっともっと、純粋でいたかった。
     見つめたり。
     触れたり。
     遊んだり。
     何気ないことで泣いたりしたかったんだ。
     ――それももう、できないのかなぁ、って。できてなかったのかなぁ、って。
     性とか形とかじゃなく、じゃなくて。
     球根でいたかった。慈しみでいたかった。
     気付いたら。
     私は暗い水の箱の水滴になった。
    〝性別〟はひとを愛せない。私の理想の、理想じゃない。
     見つめても嫌な気がする。
     愛しても恋な気がする。
     言葉もきっと必要にならない。どうして。
     でもきっと、いいの。
     私がいいのっていう。いってくる。
     よろこぶ顔が見れる。ならそうしよう。
     そうだろうか。そうすることが果たして彼を愛することになるのだろうか。
     でもそれは愛なのだろうか。
     沃野の底で純朴な私が泣いて。
     いつか次に世界に生産されるまで現状を愛せ。
     彼も私も、彼女もあたしも、全部抱いて。
    「あんた男だよ」
    〝心理〟は私を覆すことができない。私の理想の、理想じゃない。
     彼は抵抗する。私は規定を続ける。
     自覚は瞬間の花束、束の間の拒絶は見違えた彼と薔薇の葛藤だ。
     認識の言葉に浪費される。
     性の私たちは冬も幸せだった。
     認識の私たちも幸せだった。
     でも。
     そうと言えないのだ。過去は始まっている。研ぎ澄まされた。
     アイという硬い絶望を常に抜け出すのだ。私は。
     アイをアイ。
     私を私のままだと。
     認識したまま、エゴに沈んでいる。
     だからよろこびを胚胎するから、嫌悪したい。
     お腹に抱えるどろどろは愛して。
     この愛しみも嫌な感情も、むしろ愛して。
     私は私を慰めて。拒絶したい。
     彼を、彼を。
     浅い球根の乾燥した根柱から存するために。
     吐き出してしまってもいい。空に華を探そう。
     嫌にさせるのは、
    「こんなものか」だ。
     こんなものかであなたを歪めないで欲しい、嫌だ歪めさせない。
     無自覚でいられない。
     私は。
     私、認識の沃野に結びつける。
     提示にすぎない。広遠から生え出た存在で、
     私が種をまいて芽を出した〝私〟ではない。
     だから。
     だから、ここでもう一度、彼を、どこから生まれて。
     いくのか、どこか分かりますか、わかりますか、私とあなたは、
     見せる表情は時おり愛しい。
     から向かっていく。立ち向かっていく。
     膨らんでいる。硬く、確かな本質や躍動を愛壊せる。
     唾液で満たして、胸中の杏桃を呼気と切迫のなかで神経を許せる。
     神経を刺激する。
     ここが激情だと言い聞かせてくる。
     彼も同様な顔をする。
     そうさせる。私は。彼が落ちる。
     落ちる、どこまでも。奈落へ。
     陥穽へ。
     それはそう。
     そう。それはまるで。
     赤子だ。







  • 性別論

    2017-03-23 15:53

    ――権力は単なる政治的な力関係や権力装置ではなく、
      それを信じる主体同士の関係の中で発生する

     最近、LGBT関連の性別に関する発言をよく見かけるので、覚え書きとして文を残そうと思う。また、機会があれば子供についても書いていこうと思う。

     まず、私は、性別は人間が持つて生まれてくる普遍的な性質だと思つていない。

     つまり、生まれた瞬間からLGBT/男性/女性である、そんな人間はいないと私は思つている。それは生まれた瞬間に日本語をマスターしている赤子がいないのと同じ論理だ。

     性別とは、人間が訓練によつて「修得していく性質」であり、日々の無意識の絶え間ない連鎖によつて生じてくるものだ。常に可変的な状態であり、性別は常に「」を要求し続ける。よつて「私はLGBTだ!」「私は男性だ!」「私は女性だ!」このような主張は却下される、それは人間の記憶と同様、常に暫定的な姿であり、人間は変化(へんげ)していくからだ。

     この文章の時点で激怒を飛ばすひともいるだろう。人間の言語、能力、記憶、性別、それが完全に固定されたものだと思つて疑わないひともいるだろう。それはそれで一向に構わない。私は私の要求によつてこの文章を書いているのだから、野暮な千慮や配慮は不要なことだ。

     だが、これを「クイア理論」と言う。元の話に戻す。

     人間は日々の絶え間ない訓練によつて性別を選択する。しかし、自由意思を行使し続けられるひとはいない。人間は怠惰な存在であり、何かしらの決定の大部分を自然性にまかせて決定している。性別もこれに例に漏れない。つまり、「社会」である。

     ひとは自分の性別決定の大部分を「社会」にまかせている。それもそうだろう、あなたの周りを見たまえ、この文章を読むようなひとならいざ知らず、多くのひとは自己の性別を疑うことなどはしないだろう、必要ないからだ。

     ゆえに、ひとは国の社会や文化的な風土によつて、ある一定の量を目標に性別を志向せしめられる。タイという国を見よ、タイはニューハーフの比率が高い国としてしられているが、それはタイがニューハーフに寛容な、LGBTに理解のある文化的な国だから多いのではない。

     タイという国の社会、文化的な風土が、ニューハーフの人口を、ある一定の量になるように「生産」しているのだ。あるいは、なるほど結婚に該当するような制度性をもった意思決定によって、人間は自己の性別をそこで初めて「決定してしまう」のかもしれない。

     それは分からないが、性別とはすべてが常に性別になつていく状態であり、性別とはすべてが変化の中間にあるものだ。

     時に性別は、制度による許可を社会に要請する、社会の不寛容さを非難する、頷けることも多いが、自己の性別の特権性を維持しようとするひとにはその行為のむなしさを思う、性別とはすべての性別が変化の途上であって、性別の制度を嘆くのはすべての性別が常に行っているのだ。誰の特権でもない。

    (2017/03/23)