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  • ブルックリンでジャズを耕す (続・9 th Note) #02

    2016-06-09 18:00  
    110pt
    半年、まだ大丈夫だ。9ヶ月、まだ大丈夫。そしてほぼ一年が経とうとしている頃移民局から通知が来た。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「健康診断書が入っていなかったのでもう一度送り直すこと。もしもう一度同じ過ちを犯したら、全てのプロセスはゼロに戻るということを肝に銘じるように」
    というような内容であった。あれだけ足繁く通いなんども確認して封をした封筒の中の、いったい何が足りなかったのだろうと詳しく見てみると、「結核の陰性を証明するレントゲン写真が入っていない」だった。
    あいた口が塞がらず、半ば頭に血が上りながら最初に行った町医者のところをノックした。するとその先生は怒っている僕の話をじっくり慎重に聞いたのち、おもむろに口を開きこう言った。
    「Congratulation & Welcome to America.(おめでとう、そしてようこそアメリカへ)書類の不備があったと移民局から連絡が来たってことは、少なくとも僕たちが出した封筒はゴミ箱に捨てられてなかったっていうことだよ。つまり君のケースがようやくリアルにテーブルの上に乗ったっていう証明じゃないか」その日は風の強い日で、帽子が飛ばぬように先生が再び揃えてサインをしてくれた大きな封筒を盾にしながら、僕は弁護士事務所へはどの地下鉄に乗るのが早いかなどと考えていた。その時ふと心によぎったのが、「万が一のことがあるので面倒くさいけれども、もう一度この封筒の中身と同じものをコピーしてもらい手元に持っておこう」というアイデアだった。
    踵を返し、再び医院のドアをノックする。
    「ああ、いいよ。もちろん、問題ない。ちょっと待って開封するから」
    僕に一度渡した封筒をハサミでジョキジョキ切り開きながらクリップを外し、もう一度中身を一つずつチェックしつつ先生は「あっ」と小声をあげた。
    「一つ書類が足りなかった」
    再び作り直してもらった封筒を脇に抱えながら、落ち葉が舞い散る1アベニューを北上する僕は頭を左右に振り、よくアメリカ人がするような大ぶりなジェスチャーで「オーマイゴッド!」と口にしてみた。
    自分でも一部同じものをコピーしてもらって保管しておこう、そう思って踵を返さなければ、僕の人生はそこである意味180度変わっていたわけだ。なぜグリーンカードが不備でとれなかったのだろう、その本当の理由などは誰にもわからない。しかし僕ははたと思い立ち、面倒くさいのを我慢してもう一度医院に戻ったわけだ。そうしてよかった。僕は冷や汗を拭い、胸をなで下ろしながら、地下鉄への階段一気に駆け下りた。ピーター弁護士事務所に着くと、そのことを助手の人に必死で伝えようと息堰切るのだけれど、彼女は「ははは」と苦笑いして、「じゃ、これ出しときます」と事務的に頷いた。不承不承な気持ちを残したまま僕はビルの外に出ていく。突然パークアベニューを特大嵐のような風が吹く。まるで失敗しかかった手品をすんでのところで隠しおおせたマジシャンに、パラパラと気の無い拍手が起こったように落ち葉が道に掠る。
    僕はもう一度オーバーに肩をあげて冷たい冬の空気を吸い込み、それを一気に歩道に向かって吐き出した。ああ、もうこんなタイトロープは早く卒業したい。心が荒ぶ。
    それからピーター弁護士事務所に確認の電話をするようになった。
    「今僕のケースはどのあたりですか? 何か移民局から連絡はありましたか?」
    嫌われるのを承知でなんども電話をかける。
    「ちょっと移民局に問い合わせてみて急かしてみますね」
    助手の人は淡々と電話を切った。そんなことがあって年を越し、その冬もたくさんの雪に見舞われた。